大詔を拝し奉りて


ただ今、宣戦の御詔勅が渙発かんぱつせられました。精鋭なる帝国陸海軍は、今や決死の戦いを行いつつあります。東亜全局の平和はこれを念願する帝国のあらゆる努力にもかかわらず、遂に決裂のやむなきに至ったのであります。過半来、政府はあらゆる手段を尽くし、対米国交調整の成立に努力してまいりましたが、彼は従来の主張を一歩も譲らざるのみならず、かえって英蘭比と連合し、支那より我が陸海軍の無条件全面撤兵、南京政府の否認、日独伊三国条約の破棄を要求し、帝国の一方的譲歩を強要してまいりました。これに対し帝国は、あくまで平和的妥結の努力を続けてまいりましたが、米国はなんら反省の色を示さず、今日に至りました。もし帝国にして彼らの強要に屈従せんか、帝国の権威を失墜、支那事変の完遂を切り捨てたるのみならず、遂には帝国の存立をも危殆きたいに陥らしむる結果となるのであります。事ここに至りましては、帝国は現下の時局を打開し、自存自衛を全うするため、断固として立ちあがるのやむなきに至ったのであります。

今、宣戦の大詔を拝しまして、恐懼きょうく感激に堪えません。私、小なりといえども、一身を捧げて決死奉公、ただただ宸襟しんきんを安んじ奉らんとの念願のみであります。国民諸君もまた、己が身を省みず、しこの御盾たるの光栄を同じくせらるるものと信ずるものであります。およそ勝利の要決は、必勝の信念を堅持することであります。建国二千六百年、我等われらいまだかつて戦いに敗れたことを知りません。

この史蹟しせきの回顧こそ、いかなる強敵をも破壊するの確信を生ずるものであります。我等われらは光輝ある祖国の歴史を断じて汚さざるとともに、さらに栄えある帝国の明日を建設せんことを固く誓うものであります。

省みれば我等は、今日まで隠忍と自重との最大限を重ねたのでありまするが、断じて易きを求めたものでなく、また敵の強大を恐れたものでもありません。ひたすら世界平和の維持と、人類の惨禍の防止とを護念ごねんしたるにほかなりません。しかも敵の挑戦を受け、祖国の生存と権威とが危うきに及びましては、決然立たざるを得ないのであります。当面の敵は物資の豊富を誇り、これによって世界の制覇を目指しておるのであります。この敵を粉砕し、東亜不動の新秩序を建設せんがためには、当然、長期戦たることを予想せねばなりません。これと同時に、絶大の建設的努力を要すること、言を要しません。かくて我等は、あくまで最後の勝利が祖国日本にあることを確信し、いかなる困難も障碍しょうがいも克服して進まなければなりません。これこそ、昭和の臣民我等に課せられたる天与の試練であり、この試練を突破して後にこそ、大東亜建設者としての栄誉を後生に担うことができるのであります。

この時に当たり、満州国及び中華民国との一徳一心の関係いよいよあり、独伊両国との盟約、ますます固きを加えつつあるを欣快とするものであります。帝国の隆替、東亜の興廃、まさにこの一戦にあり。一億国民が一切を挙げて、国に報い、国に殉ずるの時は今であります。八紘はっこうを宇と為す皇謨こうぼの下に、この尽忠報国の大精神ある限り、英米といえども何ら恐るるに足らないのであります。勝利は常に御稜威みいつの下にありと確信致すものであります。私は、ここに慎んで微衷を披瀝ひれきし、国民とともに大業翼賛の丹心を誓う次第であります。終わり。

この著作物は、日本国の著作権法第10条1項ないし3項により著作権の目的とならないため、パブリックドメインの状態にあります。(なお、この著作物は、日本国の旧著作権法第11条により、発行当時においても、著作権の目的となっていませんでした。)


この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。