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校長の簡単な紹介しょうかいが済んで、当の新任柔道じゅうどう師範しはん河田三段が挨拶あいさつのためにだんへ登った時、その講堂の中にうやうやしくなみいた生徒達のはみな好奇心こうきしんかがやいていた。大抵たいていの眼は悪戯者いたずらものらしい光をびていた。
そしていよいよ河田師範の顔がそれらの眼の矢面に立った瞬間しゅんかん、生徒達はみな急にうれしくなった。
後の方にすわっているものの中には、わざわざこしのばしてながめたものもあった。そしてその眼は同じく嬉しそうになって生徒達の頭の中へまた割込わりこんで行った。
河田師範の顔がみられたのは、本当をえばそれが最初ではなかった。校長に導かれて、羽織はおりはかまで着席した時にも、またその朝体操たいそうの先生達のいる部屋へやの中で豪傑ごうけつわらいをしているときにも、河田師範は生徒たちの視線に六尺近くの巨軀きょくさらしていたのではあったが、いよいよ公然と生徒の前に現れる段になった時、彼等かれらは用意をしていたように嬉しそうな眼付きをしたのである。――
生徒達は腹から嬉しさがこみ上げて来るのを感じて、「ううううう」とのどをつまらせた。それは何かうまい渾名あだなか警句かだれかから出されるのを待っているのであった。それはごくわずかなものでよかった。ほんの少しの火花のようなもの、それで結構であった。とにかく生徒達は彼等の笑いを爆発ばくはつさせたかったのであった。その笑いと云っても――笑わずにはいられないというよりも、むしろ笑わねばならない、全部で笑わねばならないという意識から生じて来たものなのであるが――
津田三吉もその中の一人であった。彼はその中学の最上級生の五年級の中の一人であった。
――三吉が河田師範の顔を見た時、彼も急に嬉しさがこみ上げて来た。そして講堂にみなぎっている、何かをきっかけに爆発したいという生徒達の意識を感じると彼は一種の圧迫あっぱくめいたものを感じた。「ここで何か云わなければ……。」そんな欲望が彼をおそった。
次に瞬間、三吉には心の中になにかしらない、しかし変に河田師範というものとはなるべからざるあるものが思い出されて来たような気がした。それは変な気持であった。
次の瞬間には彼は自分の思い当ったことで独りでに顔が赤くなった。
大蒜にんにくだ、大蒜にんにくだ。
      にんにくをつるしたような伍子胥ごししょの眼
これだ。」
三吉のその時の心の中には、そのどこで覚えたか知らない、しかも何の意味だか了解りょうかい出来ない川柳せんりゅう記憶きおくと、またどこで見たのかはっきり覚えない支那しな水滸伝すいこでんの絵図の記憶とがよみがえって来て、当の河田師範の風貌ふうぼうどもえになって揉合もみあい、やがて渾然こんぜん融合ゆうごうされたのを感じたのであった。
「ほう見事なものだ。あれは蒙古もうこだよ。水滸伝だ。大蒜にんにくを…………。」
このようにやや声高こわだかに三吉が言った時、その近所にこもっていた、笑いの爆発の用意がつつみを切ったように解放せられた。三吉の言葉は、そうなれば全部云ってしまうのを要しなかったのである。
蒙古もうこ、はっははははは」
「水滸伝、はっははははは」
このような笑いの渦巻うずまきの中心に位して、三吉は我ながら顔が赤くなるのを覚えた。彼は、みな一緒いっしょになって笑えなかった。我ながら自分の言葉が効果が強く反響はんきょうしてしまったものだから。――彼の皆を笑わせたい欲望が、我ながら感心するような警句を海、あまり見事に当りをとってしまったものだから、彼は一種のきまわるさを感じたのであった。
彼は皆と一緒に笑えなかった。ただ「えへへへへへへ。」と笑ったのみだった。


式が済んでしまってから鳴りどよもしているその笑い。離れ離れにすわっていた生徒達の親しい者同志が顔を見合わせた時、双方そうほうはここでも嬉しそうな顔をした。「変な顔だね。」言葉ははぶかれても両方の心は一致いっちしていた。
三吉は、やはりそんな一対いっついが出会うやいな冒頭ぼうとうを省いて「にんにく、はははは。」と云って笑い出すのを見て満足の頂点にいた。しかも彼等はだれがそんなうまいことを云ったのか知らなかった。
三吉は、五年級の運動家で、日頃ひごろ勢力をふるっている乱暴者らんぼうものが、あかぼうのように楽しそうにしてその渾名あだなの命名者にしげもなく大声で鑚仰さんぎょうの声を放っているのを傍観ぼうかんした時、「ここでも認められている。」という気がして嬉しさが加わった。
その男はその命名者が三吉であるとは知らない。それを三吉自身が何喰なにくわぬ顔をしている――その気持が彼には愉快ゆかいであった。また三吉にはそんな勢力家に面と向ってめられるよりは、そのようなよろこびの方がはるかに自由なのであった。


      にんにくをつるしたような伍子胥の眼。
この狂句きょうくか川柳かわからないものが三吉の記憶にまったのは、いつ頃がまたどこからかわからなかった。しかしそれは彼の記憶の中にわけのわからないものとして変にわだかまっていたのであった。
彼にはその記憶が、河田師範の顔を見た瞬間に、期せずしてかびの生えているような古い記憶の堆積たいせきから浮び上って、その疑問を氷解したことが何より嬉しかった。それには彼に霊感(○○)――そういうものの存在を肯定こうていせしめたほどであった。彼にはその解釈がもう疑うべからざるものに思えたのであった。――
彼はいい気持になってその解釈が成り立った段階を分析ぶんせきしていた。
それによると、彼が河田師範を見た瞬間に聯想れんそうしたものは、これもいつ見たか、どこで見たか知れない水滸伝の絵であった。その中に活躍かつやくしている豪傑の姿であった。それはことまなじりけてそのはしが上の方へつるし上っている所で、河田師範の容貌ようぼうと一致していた。――それが彼自身の解釈では蒙古人種の特徴とくちょうなのであった。
そしてその聯想にぴったりと合うべく伍子胥なる人物――それはもう水滸伝の豪傑に違いないと彼には思えた――その伍子胥の大蒜をるしたような眼が、その不可解のままでしかも変に忘れ難く、意識の底にこびりついていたその狂句の記憶から、ぽっかりと浮かび上って来たのであった。
そしてそれらが三つ巴になって揉合い、やがて渾然と融合されたのであった。
      にんにくをつるしたような河田の眼。
彼はこの新しい狂句を得て途方とほうもなく有頂天うちょうてんになってしまった。
しかし三吉自身はその大蒜というものすらもさだかには知っていないのであった。
しかしそれが支那人のたしなむ、ねぎのような臭気しゅうきを多量にもっているもの、らっきょうのような形をしたもの、薬種屋の店先に釣るされているもの、と漠然ばくぜんと覚えていた。しかしその知識をどこから得たのか、また彼が一度でもそれを見、それをいだか、また一度でも確かに薬種屋ののきでそれを見たかということにはどれも確実な記憶を持たなかった。
そうなれば彼の解釈も曖昧あいまいなものであったが、彼はかえってそれが一種の霊感のように思えたのであった。
にんにくはやしている生徒達も、そんなことには頓着とんちゃくがなかった。
しかしそのにんにくという言葉のおん、そのいやしく舌にびるような音を彼等が舌の上で味わってみて、次にそれを河田師範の風貌の上におっかぶせる時、彼等は突然とつぜん嬉しそうに笑い出すのであった。――少くとも三吉の友達の比野という生徒の意見はそうであった。彼はやはりそのにんにくなる言葉はきいたことがあるが、博物学的の知識を欠いていた一人であった。
三吉が比野からその意見をきいた時、三吉は例の由来の委細を、その根拠こんきょの曖昧なのにも気付かずに、得意になって衒学げんがく的な口吻こうふんで語ってきかせたのであった。


しかしそれでもにんにくにはいんな力があって人々の口から口へ伝ってゆく。――この想像は三吉に気持のいいものであったし、それは事実でもあった。三吉はその証拠しょうこを新しく目撃もくげきするたびに彼が一廉ひとかど諷刺家ふうしかになりすました気持であった。
むらがてるこいに一片のを投げ与えた。鯉のむれにたちまち異常は喧轟センセイションが起される。――彼はそのように想像するのが嬉しかった。そして一切が彼に味方しているように感じていた。


しかし彼のその得意にはだんだん暗いかげしていった。そして彼をあまやかし、彼をおだて、彼にくみしていた一切のものが彼を裏切り、彼に敵意を持っていると思わねばならない時がだんだんやって来た。
ある日彼等の級の柔道じゅうどうの時間が来たとき、その河田師範は、柔道の選手の一人を相手として寝業ねわざの教授をした。
師範がいろいろ説明してきかせたなかに生徒には何だかさっぱりわからないことがあった。それはチャンスという言葉なのであったが、師範がその撰手せんしゅの首を片手でやくして、残りの手で相手のうでぎゃくをとるというわざを示した時師範はその機会という英語を使って、「こうすればチャンスだ。」と云って皆の顔をうかがったのである。
ある者はそれが耳のちがいだろうとも思わず聞き流していた。またある者は機会チャンスがどうしたのだといぶかしんでいた。
しかし中にはそれを意地悪く聞きとがめた者がいた。その男が近所の者に、「先生、玉突たまつきと間違ってるぜ。」と云った。その男の話しによると玉突きでは両天秤りょうてんびんの玉をチャンスと云うので、それは彼の説によるとチャンスの意味を取りちがえた玉突の通用語なのであった。
将棋しょうぎのように王手飛車とでも云えばいいのに生意気に英語を使ったりするからはじをかくんだ。」と云ってそのあざけった。
それが口火となって級の者が「ハハハ、チャンスか。」と云って打興うちきょうじていた時、三吉にはそのチャンスという渾名あだながやがて彼の命名した渾名を圧倒あっとうするのではないかという懸念けねんが生じた。彼はそれが心配であった。
その気持を彼は前から経験していた。それはその柔道師範に他の誰かが新しい渾名をつけかけた時に感ずる、自分の渾名の権威けんい対抗たいこうしようとする者に対するにくしみや嫉妬しっとの感じであった。この時にも彼はそれを感じたのであったが、その渾名の由来を説明してきかせた男の、――その男は級の中の洒落しゃれものであったが――それを云う時の柔術師範に対する悪意であった。「知らないくせに、生意気に英語を使うから恥をかくんだ」その言葉がもたらす河田師範に対する毒々しい侮辱ぶじょくを感じた。それは彼が渾名の対抗者と彼を憎む感情と共に起って来たのかも知れなかったが、彼は明かにその男を憎むべき男だと思ったのであった。
しかし次の瞬間には、それと同様の攻撃が彼自身に加えられなければならなかった。
彼は自分の顔が独りでにあかくなるのを覚えた。
ことに彼は彼の無意識に働いていた意志というものが、河田師範の容貌を露骨ろこつ揶揄やゆしたものであると思った時、自分かいかに非紳士的ひしんしてきな男であったかと思った。
次にはその報いが、――自分こそ、河田師範から憎まれねばならない人間なのだ――という考えが浮んだ。彼の心はざんげの気持では止っていなかった。さらに先生に対する恐怖きょうふに移って行ったのであった。
さらにまたそのざんげの気持は自己嫌悪じこけんおの状態に――なぜ自分はこんなに軽薄けいはくな男なのであるか。なぜ軽薄にも、あの時、自分に、我こそその渾名の命名者にならなければならないという気持になったのであるか。――
彼はその考えに責められた。殊に最も身慄みぶるいするほどたまらなかったのは、その時の自分の衒学的態度、――殊に救われないように思えたのは、それが衒学でも何でもない自分の軽率な早合点はやがてんではあるまいかという考えが彼をす時であった。


しかし一方では彼の気持とは、まるっきり無関心に彼の渾名がひろがってゆきつつあった。――と彼には思えた。彼はその考えをひがみだと思いたかったのであったが、それが事実である証拠しょうこが意地悪く彼の眼にれた。
ある日の正午の休憩きゅうけい時間であった。
冬の寒さにもめげず、運動場には活気がみなぎっていた。蹴球しゅうきゅうに使われる、まるいボールやゆがんだボールが次ぎ次ぎにり上げられた。そして生徒達は、運動場にはびこっているゴムマリの野球のじんいながら争ってそれを取ろうとひしめいていた。また一方には鉄弾ショットを投げている一群があった。
三吉は運動が出来ない少年であっつたが、やはりそんな生徒は一団を造って毎日申し合わせたように風のかないかげに寄合って雑談にふけるのであった。――
その日も三吉はその群の中にいた。そして話しに耳をかたむけながらも、運動場に揉み合っている生徒達を眺めていた。
その時彼は柔道の稽古着けいこぎをつけた偉大いだいな体格の男が、鉄弾ショットを投げる生徒の中にまざっているのを見つけた。それはうたがいもなく河田師範であった。その近所には河田師範が投げるのを見付たえに人群ひとだかりがしていた。
雑談をしていた仲間もそれを見付けると、それを見るためにけ出して行った。
そしてそこには三吉と、平田と、も一人絵のうまい比野という生徒の三人が残っていた。しかし彼にはそこでその三人がいるということに何か気不味きまずい思いがあった。しかし彼はそこにいた。
三吉は、だんだん師範に渾名をつけたことが苦いくいとなっていた。そして多少のはばかりが師範に感ぜられていたものであるから、そこへ駆けてゆく気にはなれなかった。――
鉄弾ショットが、その近くに見物している生徒等の頭より高くあがっておちるとその一群からは拍手はくしゅや、感嘆かんたんの声がきこえた。三吉が話しを止めてその方に目をやった時、何を思ったか、その絵の得意な比野という男が、大きな声で、「にんにく」と呶鳴どなった。
三吉は面喰めんくらわざるを得なかった。真顔になって「おいせよ。」と云ったが、比野はそれを呶鳴ると、三吉の影へ身をかくして、また、「にんにく。」と呶鳴った。
鉄弾ショットの方の一群の中の数人が三吉等の方を眺めた。それを見ると三吉は、はらはらした。近所にいたものも、両方を見較みくらべて笑っていた。その視線が三吉には、彼自身の困却こんきゃくしているのを興がって見て煎るように思われた。
殊にそんな無鉄砲むてっぽうに呶鳴った比野に対しては、「ここに、先生の渾名をつけた男がいますよ。」と河田師範に知らせる悪意さえ感じた。
三吉は先生に知られるのをおそれていた。またそれを怖れていることが人々にわかるのを怖れていた。それを知ったら人々は思いやりなく、意気地いくじなしだというにきまっていると思われた。彼は人々に意気地なしのように思われるのがいやであったので、殊に、その比野という男がそれを知ったら、何の容赦ようしゃもなくそれを種に三吉をおどすだろうと三吉は思っていた。そして比野はそういう方では評判の悪辣性あくらつせいを持った男であった。
三吉はその比野が悪魔あくまのような眼で、ちゃんと自分のその恐怖を見抜みぬいて、こんなことをするのじゃないかと邪推じゃすいする気持もあった。
三吉には「止せよ」という言葉さえ、もう自由には出なかった。彼はそれとなく師範のいる方に背を向けた。
比野はもう満足したらしく呶鳴らなかった。しかし彼はさらに手痛い手術を三吉に試みた。
「津田もなかなか傑作けっさくを作るね。にんにく、とはうまくつけたな。」
彼が以前の彼なら、その讃辞さんじを快く受け入れたであろうが彼にはもうそれが彼の傷口へ荒々あらあらしく触れるのであった。
 

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