原文 編集

大津浪記念碑

髙き住居は
 児孫 和樂 [1]
想へ惨禍の
 大津浪
此処より下に
 家を建てるな

明治卄九年にも
昭和八年にも津
浪は此処まで来て
部落は全滅し生
存者僅かに前に二人
後に四人のみ
幾歳經るとも要心何従 [2]

脚注 編集

  1. 防災科学技術研究所の読みでは「児孫和樂(こまごともにわらく)」
  2. 最終2文字をどう読むかは資料により異なる。国土交通省の石碑情報アーカイブは「要心をせ」。中央防災会議や防災科学技術研究所は「要心何従(なにより)」。IBC岩手放送、草間、児島などは「要心あれ」。
 

この著作物は、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


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