大塚徹・あき詩集/秋冷の虚


秋冷の虚

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―獄をいでて故郷に帰るの日―

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ほうぼうと 幼けない日の鳩笛を
どこか薄明りのなかで うつらうつら鳴らし
 ていた。
ほのぼのと ふるさとの灯のように
うら若く優しい母の面影がまたたいた。
海の涯とも 雲の上とも
まるで 呼びかけようもない杳い円光の情痴
 の座に
菩薩のように気高く女人の姿が入滅していっ
 た。

光る蜥のように たちまちと瞼を渉って
紅顔の童子は早も壯麗の若者となっていた。
若者は崇遠な眞理を尋ねて
戒律の海底を探索する潜水夫だった。
海底には海底の法律が 審判が、厳然と鉄鎖
 の規約があった。
朝に 航海する国際資本主義の使節を
夕に 侵略する反動の浮城を爆破した。
若者とその仲間たちは 目のない魚族のごと
 く深海に沈潜した。
そして流沙のようにながいながい暗鬱な人生
 が過ぎていった。

いま 漂流のはてを
若者は心の港に蹌踉と帰ってきたが
すでにふるさとの秋冷ふかく
しょうしょうと虚しく雨がふりつづいていた。
忍びよる終焉の気配のように
るるるると寂しく虫が鳴きつづけていた。
雜草の家はかたぶき
朽窓の 父母の灯も昔に消えて
この日 糺弾の十字架に 若者は敬虔な白髪
 の老人だった。

〈昭和九年、昭和詩人〉