坂本龍馬/坂本龍馬手帳摘要


壬丑歳    慶応元年
四月廿五日、坂ヲ発ス。
五月朔、麑府ニ至ル。
五月十六日、鹿府ヲ発ス。時午ヲ過グ、鹿児ヨリ四里、伊集院四里。
市来港止宿四リ、川内センダイ宿二リ。
十七日
川内川あり、海辺迄三里計ト云。然ニ海
船ヲ入ル、水深シ、大川泊二リ。
阿久根宿二リ。
十八日
野田二リ半。
此辺野田島町皆地巻士也、泉米津までの
間平原然ニ水少シ物多シ、ハゼノ木多シ。
泉米津
 右下直地 本ノ書体右衛門と云もの右町役人也、ベツ
 トヲト云旅人人馬断所々の世話ヲナスも
 のなり、後日野間原泉口番所ニ至リテ
 直右衛門ニ書テ与へバ、必ズ急ギ罷出  ル筈ナリ。
十九日、朝肥後ニ入ル。
 右泉口米津ゟ乗船。
廿三日宰府ニ至ル。渋谷彦助ニ会ス。
廿四日伝法ニ謁ス。
小田村ニ会ス。
廿七日又謁ス。
廿八日宰府ヲ発ス。
二り山家宿 止宿三リ。
廿九日
三リ内野、三リ。
飯塚、五リ大川アリ。
木屋之瀬宿 止リ二リ。
朔日
黒崎平町乗船、赤間間ニ至ル、西の端町
入江和作ヲ尋、但小田村ノ示ニヨル。城
ノ腰綿屋弥兵衛ニ宿ス。 但シ官ノ差宿也。
二日
曽病アリ、依而養生ノ為、宿ヲ外浜町村
屋清蔵ニ取、□□医ヲえらンデ長府かなや
町多原某を求、不日ニ平癒スト、期一七
日トス。
四日、此日一夷舶アリ、馬関ニ泊ス。
五日、長府時田重次郎馬上ゟ来ル。
六日
桂小五郎山口ゟ来ル。
七日
船腹ニ横一白色ノ蛇腹アリ、砲門ノ如ク
見ユル。十日英船大サ順動丸ノ如シ。
 スコールステヱン二ツ
 ラツト
 ラアトルカストの色黄色ニ見ユル。
 西大寺ノ前西南ノ地方ニヨリ泊ス、売
 買船也。然ニ上陸ノ者四人アリ、皆剣
 ヲ帯ビ士官ト見ユル。
夜ニ入、椋梨伝八郎来ル。
(同巻ヲ倒ニシテ巻首ヨリノ中程ニ突然ト左ノ数行アリ)
廿三日 将軍坂ニ下ル ○廿三日ハ乙丑ノ九月ナリ校正者識
廿四日夜 大坂ニ下ル。
廿五日
廿六日 兵庫
廿七日
廿八日 予州青島泊。
廿九日 上関
十月
三宮 市
   別巻
丙寅正月大     慶応二年
十日 下ヲ発。
十七日 神戸
十八日 大坂
十九日 伏見
廿日 二本松
廿二日 木圭、小、西、三氏会。
廿三日夜 伏水ニ下ル二時過ル頃───
廿四日朝 邸ニ入ル。
卅日 夜京邸ニ入ル。
二月小
廿九日夜 伏水邸ニ下リ乗船。
三月朔日 大坂
四日 三邦丸ニ乗組。
五日 朝出帆ス。
六日夕 下ノ関ニ泊ス。
八日 長崎ニ至ル。
十日 鹿児府ニ至ル。
十六日 大隅霧島山ノ方、温泉ニ行、鹿
児ノ東北七里計ノ地、浜ノ市ニ至ル。
 但し以舟ス、夫ヨリ日高山に至ル。
十七日 シヲヒタシ温泉ニ至ル。
廿八日 霧島山ニ発ス。温泉所ニ泊ス。
廿九日 霧島山山上ニ至ル、夫ヨリ霧島ノ宮ニ宿ス。
卅日 温泉所ニ帰リ。
四月大 シヲヒタシ温泉所ニ帰ル。
八日 日当山ニ帰ル。
十一日 浜ノ市ニ帰ル。
十二日 浜市ヨリ上舟、鹿児ニ帰ル。
十四日 改正所ニ至ル。
五月朔日 桜島丸来ル。
廿九日
 四両三歩 金
右寺内氏ヨリ借用セリ。
又弍両寺内ヨリ、右短刀合口コシラへ幷研。
備前兼元無銘刀研代。
 合テ三両二朱余払フ。
六月朔 桜艦ニ乗組。
 是ヨリ先キ廿九日両氏ヲ問、時ニ西
 曰、
 近日西客来ル、其時件ニ付テハ曽テ木
 桂ヨリ来書アリ、其儀ニ曰ク、両国論
 ヲ合テ云々ト、故ニ此国ニ来ラバ先ヅ
 其事件云々ヲ委曲、使ヲ以達可ク、然
 ラザレバ其西客ニ一名ヲ付て送ルベシ
 ト。
 船買主与三郎
 請人 小曽根英四郎
 周旋 多賀ナリ。
廿二日 プロイセン商人チョルチーニ;面会ス。船買入及商法ヲ談ズ。
廿三日 船見分此日夷人ヨリモ奉;行へ引合邸留守居へ談ズ。
廿四日 朝邸留守居え行、; 但留守居ハ汾陽五郎右門也。
廿五日 朝五時頃呉半三郎亜商と取替ユ
 ル証文案紙成ル。
六日
廿七日
廿八日 船受取。
  三両二歩也。
   坂本龍馬 寺内新右門 多賀松太郎
   菅野覚兵衛 白峯駿馬 陸奥元次郎
   関 雄之助
  右ハ当月何月分慥ニ頂戴仕候。以上。
           関 雄之助印
     何月何日
印鑑○関雄之助
右ハ印鑑を以て坂、寺、多賀、菅、白、
陸、関七人之分、毎月三日壱人当三両弍
歩宛頂戴仕候。以上。
  十月三日
大洲イロハ丸
船将 国島六左衛門
○風薬 カミルレ大 接花中 ※[#「石+柬」、578-30]砂 トヲシヤ
 〔倒ニシテ巻首ヨリ如左 二冊トモ参考ニ;用ナキ一時ノ心    水夫頭    虎吉
覚様ノ者多シ。此ニ其一類ヲ;写シテ望蜀ノ念ナカラシム。〕             熊吉
貞観政要 大宗曰 忠良有異乎。魏徴       水夫           浅吉
曰、良臣使身獲美名君受顕号子孫伝                    徳次郎
世云々。                                仲次郎
斉明天皇六年 始造漏刻。                         勇蔵
卒報猶如急変                               常吉
(子 非)賤虚名貴実田破浮淫督耕戦                   貞次郎
明賞罰営富強。                              加蔵
○術数有余而至誠不足、                         〆十二人
  上杉氏之身ヲ亡ス所以ナリ。               生残者三人
丙寅五月二日ワイルウヱフ破船五島塩屋            下等士官 浦田運次郎
崎ニ於テ死者十二人。            水夫             一太郎
船将 黒木小太郎                              三平
士官 池  蔵太                            〆三人
右死セル者朝暁ヨリ日出ニ至リテツクス

  │      浦田運次郎
  │      水夫一太郎
 か│島児 ニ    幾太郎
 残│ス  分    友 吉
  │        安 吉
  │     火焚 新 助
(以上草々ノ略記都テ後日結写文飾ヲ加ル者ニ勝リ、其真卒ナル当日ノ真ヲ見ルニ足ル故ニ写置
                                            土方直行記)