坂本龍馬の手紙/慶応3年6月24日付坂本権平宛
< 坂本龍馬の手紙
一筆啓上仕候。益御安泰
可被成御座愛度御儀
奉存候。降而私儀無異
乍不及国家之御為日
夜尽力罷在候。乍失敬
御安慮可仰付候。然ニ先
頃西郷より御送被遣候
吉行の刀、此頃出京
ニも常帯仕候。京地
の刀剣家ニも見セ候
所、皆粟田口忠綱位
の目利仕候。此頃毛利
を見てしきりにほしがり、
私しも兄の賜なりとて
ホコリ候事ニて御座候。此頃
出京役人ニも度〻
会し、国家ニ心配
仕候人〻ハ後藤象次郎、
福岡藤次郎、佐々木
三四郎、毛利荒次郎
ニて、中ニも後藤を以て
第一の同志致し、
天下の苦楽を共
ニ致し申候。御安心可被遣
候。余事拝顔の時、
万〻申上候。恐惶謹言。
六月廿四日 直柔
権平様
左右
追白
此度ハ取急候間、何も
くハ敷ハ申不遣候。京
地の勢ハ大勢帰国
仕候ものに御聞可被遣候。
私先頃
ニて 四月廿三日之夜 中国海ニて、
私しが蒸気船と
紀州の蒸気船と
突当り、私しの船が
沈没仕候より、長崎へ帰り
大義論を発し、
ついに紀州と一戦
争可仕と、私が部
下のものへハ申聞、用意
仕候内、紀州の方より
薩州へ頼申、書キ
物を以て勘定奉
行らが断りに出かけ、
日〻手尽し候もの
から其まゝニさし
ゆるし候事ニ仕候。
皆人の申候ニハ、此龍馬
が船の論
本の海路定則
を定メたりとて、海船
乗らハ聞に参り申候。
御笑可被遣候。 再拝。