坂本龍馬の手紙/慶応3年2月14日付河田左久馬宛

 其後ハ御無音申上候。御別
 後、老兄の事を京の方
 に申遣し候よふ存候うち、
 別に愚存も相生じ、先、
 其まゝニ仕候。何卒、今一度
 御面会仕候時ハ、よほどおもし
 ろき事、御耳に入候と相楽
 ミ申候。其儀ハ彼の先年
 御同様、北門の方へ手初致し
 候事お、又、思ひ出たり。
 此度ハ既に北行の船も
 借受申候。其期根ハ三月中
 旬より四月朔日にハ多分、出
 帆仕たしと心積致し申し候。
 上許を相初候時ハ、必や
 老兄が留守でハこまり
 候事故、私も薩の方へハ申
 不遣在之候。何卒、其
 御心積りにて何となく
 三月初旬までのうち
 そろ/\と、関まで御出かけ被成候
 ずや。小弟も二月十日ニ
 長崎より下の関まで
 帰着仕候事ニ御座候。
 何レ拝顔の時、萬々
三月十四日 稽首/\
                  龍馬

  河田先生
     御案下

追白 もし下の関ニ御出浮
被成候得バ、まあ今の内ニハ
唯、何の事も他にハ御咄
しなく、そろ/\と御出かけ
可被成奉存候。当時、其御地ニ
御留りニて、つがふよろしけれバ
別に御出浮被成ずても
よろしく、小弟可後便
申上候時を御まち奉願候。
又、近日中御出浮被成候
得バ、何か上許のよし御
相談申上候。何レ後期ニ。
                 再拝
河田佐熊先生 龍拝
    御直破

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