坂本龍馬の手紙/慶応2年2月6日付木戸孝允宛

此度の使者村新同行ニて参上可仕なれども、
実ニ心ニ不任義在之、故ハ去月廿三日
夜伏水ニ一宿仕候所、不斗も幕府より
人数さし立、龍を打取るとて夜八
ツ時頃二十人計寝所ニ押込ミ、皆手ごとニ
鎗とり持、口々ニ上意/\と申候ニ付、少〻
論弁も致し候得ども、早も殺候勢相見ヘ
候故、無是非彼高杉より被送候ビストール
を以て打払、一人を打たをし候。何レ近間ニ
候得バ、さらにあだ射不仕候得ども、玉目少
く候得バ、手ををいながら引取候者四人御座候。
此時初三発致し候時、ビストールを持し手を
切られ候得ども浅手ニて候。其ひをニ隣家
の家をたゝき破り、うしろの町ニ出候て、薩
の伏水屋鋪ニ引取申候。唯今ハ其手
きず養生中ニて、参上とゝのハず
何卒、御仁免奉願候。何レ近〻拝顔
万奉謝候。謹言々。
   二月六夕       龍
     木圭先生 机下

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