坂本龍馬の手紙/慶応元年12月14日付岩下佐次右衛門・吉井友実宛

一筆啓上。
然ニ私ニ非レバ
たれか上関迄
出し候心積ニ候所、
此頃御国より相
廻り候船、下の関
ニ参候時節、人
なく幸ニ黒田
了介殿御出ニ候
得共、今少し
御留りの儀故ニ
無是非候。私とても
了介殿御同伴
上坂も致候。芸
永井主人が事
ハ兼而長州の
政府の論の如ク
相辨候所、永井
曰ク、然レバ諸隊
頭立候者ニ面会
可致と、則諸
隊頭立候もの
面会せり。
 案ズルニ永井ハ
 諸隊の者と政
 府の論と、甚こと
 なり候心積也。
 故、政府をたすけ
 諸隊を撃、或ハ
 諸隊を助ケて
 政府を撃との
 論のよしなり。
京よりミブ浪人
同伴ニて帰りし、
長人ハ虎口を
のがれしと大ニ
笑合候。上下
一和兵勢の
盛なる、以長第
一とすべく存候。
何レ近程ニも
上京御咄申上候。
 〆
       坂本龍馬
岩下 佐次兵様
         直陰
吉井 幸輔 様
      

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