國際聯盟脱退ノ詔書
朕惟フニ曩ニ世界ノ平和克復シテ國際聯盟ノ成立スルヤ皇考之ヲ懌ヒテ帝國ノ参加ヲ命シタマヒ朕亦遺緒ヲ継承シテ苟モ懈ラス前後十有三年其ノ協力ニ終始セリ
今次満洲國ノ新興ニ当リ帝國ハ其ノ独立ヲ尊重シ健全ナル發達ヲ促スヲ以テ東亞ノ禍根ヲ除キ世界ノ平和ヲ保ツノ基ナリト爲ス然ルニ不幸ニシテ聯盟ノ所見之ヲ背馳スルモノアリ朕乃チ政府ヲシテ慎重審議遂ニ聯盟ヲ離脱スルノ措置ヲ採ラシムルニ至レリ
然リト雖國際平和ノ確立ハ朕常ニ之ヲ冀求シテ止マス是ヲ以テ平和各般ノ企圖ハ向後亦協力シテ渝ルナシ今ヤ聯盟ト手ヲ分チ帝國ノ所信ニ是レ従フト雖固ヨリ東亜ニ偏シテ友邦ノ誼ヲ疎カニスルモノニアラス愈信ヲ國際ニ厚クシ大義ヲ宇内ニ顕揚スルハ夙夜朕カ念トスル所ナリ
方今列國ハ稀有ノ政変ニ際会シ帝國亦非常ノ時艱ニ遭遇ス是レ正ニ擧國振張ノ秋ナリ爾臣民克ク朕カ意ヲ体シ文武互ニ其ノ職分ニ恪循シ衆庶各其ノ業務ニ淬励シ嚮フ所正ヲ履ミ行フ所中ヲ執リ協戮邁往以テ此ノ世局ニ処シ進ミテ皇祖考ノ聖猷ヲ翼成シ普ク人類ノ福祉ニ貢献セムコトヲ期セヨ
この著作物は、日本国の著作権法第10条1項ないし3項により著作権の目的とならないため、パブリックドメインの状態にあります。(なお、この著作物は、日本国の旧著作権法第11条により、発行当時においても、著作権の目的となっていませんでした。)
この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。