国民対皇室の歴史的観察
所謂国体論の打破
北一輝
一
無分別なるは日本国民なるかな、その歴史のいかに光栄ある事実をもって綴られたるかを知らず、その祖先のいかに大いなる足跡を残したるかを顧みず、かえって奇怪にも国体論のごとき妄想を
もし、吾人にしてすでに社会に立てる人ならしめば、吾人は言わんと欲するものあり。必ずしも年少の空夢ならずと信ず。吾人は為さんと欲するものあり。また必ずしも。――あらず、吾人というべからず、断じてこれ近き将来において日本国民の理想たるに至るべきものならんなり。しかりといえども、いかんせん唇を開かしめず。一言吐く露骨ならしめよ、彼「不敬」なりとして打撃されん。一歩を投ずる大胆ならしめよ、彼「不忠」なりとして迫害されん。ほとんど言語道断なり。されば、言うあたわざる、また言うも甲斐なき今日において、吾人もとより
さわれ、あたうだけの範囲においてはもとより沈黙すべきにあらず。否、吾人は黙すべからざるものあるを見る。すなわちここにいう国体論これなり。迷妄虚偽を極めたる国体論という妄想の横たわりて、もって学問の独立を犯し、信仰の自由を縛し、国民教育をその根源において腐敗、毒しつつあることこれなり。吾人がここに無謀を知ってしかもそれが打破をあえてするゆえんのもの、ただ、三千年の歴史に対して黄人種を代表して世界に立てる国家の面目と前途とに対して、実に
二
そもそも建国以来大化改革に至るまでの一千三百年間の日本国は、厳格なる意義をもってすれば、国家としてにあらずして単に社会なりき。皇室は主権者としてにあらずして、ただ近畿数万里の地においてのみある尊敬をもって仰がれたる大なる家族なりき。されば、それらの時代において国民と皇室とがはとんど全く
事実をして事実を語らしめよ。
実に、久しく専横をほしいままにせし
(『佐渡新聞』明治三十六年六月二十五日・二十六日)

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