吹雪の産声

 松林の梢を鳴らせ、雑木の裸になつた幹の間を吹き抜けて来る冷たい風が、ひつきりなしにこの重病室の硝子窓に突きあたつてゐる。朝の間、空は地を映すかと思はれるほど澄みわたつてゐたが、昼飯を終つた頃から曇り始めて、窓の隙間から吹き込んで来る風は更に冷気を加へて、刃物のやうな鋭さを人々に感じさせてゐた。

 午前中に一通り医療をすました病人たちは、それぞれの寝台にもぐり込んで掛蒲団を首まで引つぱつてちぢまつてゐる。暇になつた附添夫たちは、当直の者を一人残して詰所へ引きあげてしまひ、室内にはしんとした静けさだけが残つてゐた。鼻の落ちかかつた病人が時々ぐすぐすと気持の悪い音をたて、冷たい風のため痛みの激しくなつた神経痛の病人が堪へられない呻声をもらしてゐるが、それらは一層静けさを人々の胸にしみわたらせてゐるやうであつた。さつきから、室の中央に出された大きな角火鉢の前で股を拡げ、講談本かなにかを読み耽つてゐた当直の坂下も、やがて一つ大きい欠伸をすると、

「用があつたら、詰所にゐるからな。」

 と言ひ残して私の方をちよつと眺め、薄笑ひをして出ていつてしまつた。

 矢内の方に視線を移して見ると、寝苦しいのであらう短い呼吸をせはしく吐きながら、それでもやはりまだ睡つてゐるやうである。さつきうつたパントボンが効いたのであらう。食塩注射を既に数回もやらねばならなかつたほど衰へた彼は、ここ十数日煉獄の日々が続いて浅い睡眠さへもめつたにとれなかつた。落ち窪んだ眼窩は洞穴のやうに深く、その中にある紙のやうに薄くなつた瞼では眼を閉ぢることも出来ぬのか細目に両眼を開いたままである。両頰に突起した顴骨、細長いほど突き出た顎、そしてそこに生えてゐるまばらな艶のない鬚を眺めてゐると、もはや死の今日明日に迫つてゐることを強く感じさせられるのであつた。この男の死後襲つてくるであらう孤独が頭をかすめ、かうした世界に生き残る自分のみじめさが胸にこたへて、私はいきなり彼を抱き起して寝台の上にしつかりと坐らせたい衝動を覚えた。その衝動をおさへ、立上ると足音を忍ばせながら室内をあちこちと歩いた。凍りついたやうな窓硝子の向うに、空はますます曇つて流れ、ちらちらと白いものが舞ひ落ち始めてゐる。時計を見るとまだ二時を少しまはつたばかりであつたが、悪臭の澱んだ室内はたそがれのやうに薄暗かつた。

 寝台はずらりと二列に並んで、絆創膏を貼りつけた頭や、パラフィン紙で包んだやうにてらてらと光つてゐる坊主頭や、頭から頸部へかけて繃帯をぐるぐる巻いた首などが、一つづつ蒲団の間から覗いてゐる。頭の前に取りつけられた二段の戸棚になつてゐるけんどんの上には、薬瓶や古雑誌などが載せられ、寝台の下には義足や松葉杖が転がされてある。その他血膿のにじんだガーゼ、絆創膏の切れはしなどがリノリウムの敷きつめられたゆかにぽつぽつと散らばつて、歩いてゐる私の草履にからみつくのであつた。入口のところまで来ると私はちよつと立停つて外を眺め、すぐそこに見える狂人病棟の窓に、この寒いのに明け放つて外へ半身をのり出し、なにやら呟きながらげらげらと笑つてゐる狂つた老婆を硝子越しに見つけると、引返してまた歩き出した。途中、部屋の中ほどまで来ると私はちよつと矢内の寝台を覗いて見、まだ睡つてゐる彼をたしかめると、入口とは反対側の奥まつた硝子戸まで歩をすすめた。硝子戸にぶつかるとまた立停つて考へたが、私は思ひ切つてそれを開き、廊下へ出た。廊下を挟んでこちらに向いてゐる小さな産室が二つそこにある。孕んだまま入院して来た女たちがここで産み、生れた子供は感染しないうちに自宅に引き取られ、或は未感染児童の保育所に送られるのである。廊下に立つて、私はその部屋を一つ一つ覗いた。部屋の大きさは畳にすれば八畳くらゐのものであらう、各室とも二つづつの寝台が並んでゐる。妊婦は今一人、右手の部屋にゐるきりで、左の部屋は空になつてゐ、がらんとした寝台の上を寒々とした風が流れてゐた。

 妊婦は窓の方に向つて坐り、生れ出る子供の産着でも縫つてゐるのか、大きな腹をかかへるやうにして手を動かしてゐる。彼女の腹は臨月であつた。昨日も陣痛を訴へて医者を走らせたりしたのであつたが、ここへ来るまで百姓をしてゐたといふ彼女の丈夫な体は、痛みが停るともう横になつてはゐないのであつた。彼女の病勢はもうかなり進んでゐて、小豆くらゐの大きさの結節が数へ切れぬばかりに重なり合つて出てゐる顔面は、さながら南瓜のやうである。頭髪は前額部の生際からいただきのあたりへかけてすつかり薄くなり、勢のない赤茶気たのが握り拳のやうに後頭部にくるくると巻かれてゐる。彼女は何時ものやうに小さな声で、自分の故郷に伝はつてゐるのであらう民謡を口吟くちずさんで、調子を合せ、上体を小刻みに揺り動かしてゐるのが、背後から見る私の眼にも映るのであつた。今までも彼女がこの唄を口吟んでゐるのを幾度も聴いたことがあつた。彼女は恐らくこの唄声以外には一つも知らぬのであらう。声はほそぼそとしてその顔に似ず美しいものであつたが、じつと聴いてゐると胸に食ひ入つて来る呻きのやうなものが感ぜられ、かへつてなまなましい苦痛が迫つて来る。それは長い間いためつけられた農婦が何ものかに向つて哀願し訴へてゐるやうであり、また堪へられぬ自分の運命の怨嗟のやうにも聴えた。私はその唄を聴くたびに千幾百年の長い癩者の屈辱の歴史が思ひ浮んで、暗い気持になつた。

 雪が激しくなつて来た。私は部屋の前を離れると廊下の窓側によつて外を眺めた。雑木の幹に白い粉が吹きつけて、半面はもう白く脹らんで見える。空を仰ぐと、幾万の蚊が群がり飛びながら地上に向つてなだれ落ちて来るやうである。ふと気がついて見ると、さつきの唄声はやみ、その代りに小さくすすり泣く声が聞える。また泣き始めたのだ。彼女の唄声が何時の間にか泣声に変つてゐるのを私はもう何度も聴いてゐた。常は病のことも忘れ腹の中に成長しつつある小さないのちに母らしい本能的な喜びを感じては口吟み始めるが、ふと院外そとに暮してゐる夫を思ひ出したり、自分の病気が気にかかつて来たりすると、頭がこんがらがつて泣き出してしまふのであらう。彼女が殆ど同時に泣いたり笑つたりするのも珍しくはなかつたのである。矢内の寝台から三つばかり離れて彼女と同年、すなはち三十四五の女が肋膜を病んで寝てゐるが、彼女はそこへ来てよく話し込んで行くことがある。二三日前もそこへ来て、腹の子供に与へる名前のことなどを語り合つては、大きな、つつ抜けた声で笑つてゐたが、不意に黙り込んだかと思ふと忽ちぽろぽろと涙を流し始めて、

にしを育てることも出来ねえだよ。汝ァお母ァを恨むぢやねえぞ、お母ァは好きでれえ病になつたぢやねえ。んだからな、んだからな、汝ァお母ァを恨むでねぞ……。」

 と腹に向つて口説きながら産室へ駆け込むのであつた。また、彼女は夜中に姿をかくして附添夫たちを騒がせたことも二三度あつた。彼女は寒さに顫へながら雑木林の中でぼんやり佇んでゐた。附添夫がやうやく見つけて、帰らうと言ふとおとなしく帰つて来る。なんのためにあんなところで立つてゐたのかと訊いても、彼女はただ黙つてゐて返事もしなかつた。首でも縊る気だつたのかと訊くと、急に激しい調子で否定し、あとはのどをつまらせて泣いてしまふ。彼女自身でも自分がどうして夜中に室を抜け出したりしたのか判らなかつたのであらう。彼女は絶えず喜びと苦痛とを一緒くたに感じて、こんがらがつたままとまどひ続けてゐたのだ。そしてただどうにかせねばならぬといふことだけを切実に感じて、夢中のまま部屋を飛び出したのであらう。

 風が募り、雪は速力をもつて空間を走つた。暗灰色に覆はれた空は洞窟のやうに見え、私は頭上に重々しい圧迫を覚えた。

「野村さん。野村さあん。ゐませんか。」

 病室の方からさういふ呼声がその時聴えて来た。私はとつさに矢内が眼をさましたのであらうと気づいて、

「ああゐますよ、いますぐ。」

 と、急ぎ足で病室へ這入つた。とつつきの寝台にゐる病人が私を見ると、

「矢内さんが呼んでゐるよ。」

 矢内は眼をさまして、じつと視線を近よつて行く私の方へ向けてゐる。

「気分、どう?」

 彼は微笑をしたかつたらしく、目尻にちよつと皺を寄せたが、すつかり肉の落ちた顔ではもはや表情をうごかすことも出来なかつた。

「何か、用?」

「いや、なんにも、用はない。」

 私はふと、彼の眼が異様な鋭さを帯びて来たのに気がつき、すると寒いものが胸をかすめるのを覚えた。彼はじつと私の顔に視線を当ててゐた、しかしよく見ると彼は私の顔を眺めてゐるのではなく、どこか私の背後にでも注意をそそいでゐるやうである。彼の眼にはもう何も映つてゐないのではあるまいか、この鋭さは死を見る鋭さではあるまいか。私はじつとその眼を眺めてゐるうち、その鋭さの内部に、暗黒なものを見つめてでもゐるかのやうな恐怖の色がたゆたふてゐるやうに思はれるのであつた。彼は弱々しい、衰へ切つた声で、途切れ途切れの言葉を吐いた。ひとこと毎にせはしく呼吸し、ともすれば乱れさうになる頭を弱まつた意識のうちに懸命につなぎ合せてゐるらしく、私も彼といつしよに息苦しくなつて来るのだつた。

「苦しい?」

「そんなに苦しくない。」しばらく黙つてゐてから「苦しくないが、頭が、なんだかぼうつとして行くやうな気がする。」

「熱があるのかも知れないね。」

 と言つて私が額にを置くと、彼は幼い児のやうに險を閉ぢた。熱はなかつた。二時ちよつと前にあつた午後の検温では、三十六度二分、といふ低い熱で、かへつて低過ぎるのが心配であつた。死ぬ前には妙に体温が下るものだといふことを何時か聴いたことのあつた私は、額に掌を広げながらも、むしろ熱があつてくれればと半ば願つていた。けれど、

「熱ないよ。これなら大丈夫だよ。さつき睡れたからよかつたんだよ。」

 と私は彼を力づけた。

「眼をさましたら、君が、ゐないので……。」

「淋しかつたのか。」

「うん、俺、今夜、死ぬよ、きつと。」

「馬鹿なこと言つちやいけない。しつかり気をもつて、がんばるんだ。」

 私はじん、としたものを体に感じ、急いで、声に力を入れながら言つた。

「あの子供、きつと、今夜生れるよ。早く生れないかなあ、俺、待つてゐるんだけどなあ。」

 さういふ彼の言葉の中には、今夜生れるといふことを確信してゐるやうなひびきがこもつてゐた。彼がどんなに子供の生れることを待つてゐたか、私の想像も及ばぬほどであつた。彼はもう何度となく、早く生れないかなあ、とくり返してゐたのである。

「生れるよ。きつと生れるよ。」

 と私は強く言ひ切つて黙つた。生れ出る子供よりも、彼の死の迫つてゐることを強く感じさせられて、私はもはや言葉がなかつた。しかし死の近づきつつある彼が、どうしてこれほど子供の生れることを待つてゐるのであらうか。ここへ来る前から小学校で子供を教へ、また入院してからも病院内の学園に子供たちを相手に暮してゐた彼の、本能的な子供好きのためであらうか。私には不可解なものに思はれるのであつた。或は生れ出る子供の中に自己のいのちの再現を見ようとしてゐるのか――。

「湯ざまし。」

 けんどんの上に載せた薬瓶をとつて、私は静かに彼の開いた口中へ流し込んでやつた。薬瓶の中にはかねてから造つて置いた湯ざましが這入つてゐるのである。仰向いてゐるためのどを通しにくいのであらう。彼は口をもぐもぐと動かせてゐたが、やがてごくりと飲み込んだ。ごくりといふ音に、まだ彼が幾らかでも力をもつてゐることを私は知つた。

「も、すこし。」

 と彼はまた骨ばかりの顎を突き出し、唇を尖らせるのであつた。

 深い寂寥が襲つて来て、私は不意に何かにしがみつきたい衝動を覚えた。かうした施療院の堅い寝台の上で死んで行く彼は果して幸福なのか不幸なのか、そして生き残る私自身は――看護みとられる彼が不幸か、それとも看護る私の方が不幸なのか、更に今夜にも生れるかも知れないあの子供は、一体幸なのか不幸なのか。私はただそこに人間の手には動かし難いちから、運命的なちからを感ずるのみであつた。だが、私は何にしがみつきたいのか、しがみつくものが果してあるだらうか。私がしがみつきたいと思つたのは、死んで行かうとしてゐる彼の生命であつた。だが死の迫つた彼の命にどうして私を支へる力があるか。私は今までの彼との交遊を思ひ浮べた。女性から遠ざかつた私の対象を失つた心は、彼の中に自分の力の源泉を見ようとした。或は彼の精神と私の精神との均衡裡の緊張に自己の墜落を防いで来たのである。だが、それも破れようとしてゐるのだ。彼の死と共に、私の心は底知れぬ孤独の淵に墜落するであらう。

 桜の花が散つて間もない時分、私は癩の宣告を身に受けて入院した。するとそこに矢内がゐたのである。矢内は昨日入院したといふのであつた。私と彼とがめつたにない親しさで交はるやうになつたのも、お互に入院したばかりの孤独さ、お互に病院に慣れ切らない何を見ても恐怖と驚きとを感ずる感受性の一致が結びつけたためである。いやそれはお互に結びついたといふよりも、むしろ私が彼にしがみついて行つたといふ方が当つてゐよう。二人の性質は殆ど正反対といつてよかつた。東北の果に生れ、雪の中に育つた彼と、温暖な四国に生れた私とは地理的にも反対のものを示してゐる。彼の言葉使ひには常に鈍い重さがつきまとひ、動作は牛のやうにスローであつたが、彼と対立すると私はいつも圧迫感を覚えた。

「おい、一石いかうか。」

 と彼の部屋を覗いて見ると、彼はたいていごろり横になつて眠たさうな顔をしてゐる。顔全体にかるいむくみが来て、眉毛はもう殆ど見えないくらゐ薄くなつてゐる。癩の進行程度は私とほぼ同じくらゐである。

「うん、よし来い。」

 勿論二人とも定石も満足に知らぬのであるが、相伯仲してゐるため二人にとつては力の入つた勝負なのであつた。彼は常に遠大な計画をもつて迫つて来る。私の石を遠巻きにしてじりじりと攻め寄つて来る。時には私の石をみな殺しにかけようとでもするやうな、途方もない石の配りをすることもあつた。しかし勝負は定つて私の勝になるのである。私の石は巧みにぬらくらと逃げ廻りながら敵の弱点を一個所だけ破る。一個所でも破られると定石を無視した彼の計画は、もはや収拾がつかないでばらばらに分裂したまま死んでしまふのであつた。石を投げて「もう一ちよう。」と彼は言ふ。口惜しさうにも見えないのである。師匠が弟子に負けた時のやうな悠々とした表情が彼の顔には流れてゐる。

 この病院へ這入つて来ると皆年齢をなくしてしまふ。まだ十三四の子供が大人に向つて相対の言葉を使ひ、大人もまた平気で自分の子のやうな相手の友達になつてしまふのである。大人にも子供にも、ただで食はされてゐるといふ意識があるからであらう。私もいつの間にかこの習慣になれて、七つも年上である矢内に向つて、おい、お前、君といふ風な言葉使ひになつてゐた。私はこれをいけないと思ふのであつたが、矢内は少しも気にする風はなかつたのみか、彼は私を鋭いところがあると言つて尊敬さへもしてゐるやうであつた。私の小賢しい部分が彼の眼には鋭敏なものと見えたのかも知れない。私はそれに対してただ少しでも誠実でありたいと願ふ以外にはなかつた。彼は間もなく学園に奉職するやうになつた。彼はもともと美しい男ではなく、低い小さな鼻、小さな眼、狭い額、その額に波形に這入つてゐる深い皺、それらから来る印象はふとあの醜い、手を有つた動物を聯想させるのであつたが、しかし子供たちに囲まれてにこにことしてゐる時の彼の顔は、どこにもないほど美しいものであると私は思つた。眼尻に皺をよせ、頰をふくらませて笑つてゐる姿は、素朴な美しさをたたへて、私はそこに長閑な田園の匂ひを嗅ぐのであつた。さういふ時、私は病気のことすらも忘れることが出来た。平常からめつたに病気を忘れることの出来なかつた私は、さうした姿を見る時、何故ともなくほつと溜息を吐いた。

 かういふことがあつた。

 その時私は二週間ばかり病院から暇をとつて父の家へ帰つたのである。その記憶は今もなほ頭の中に黒い斑点として焼痕を残してゐるが、私は実はもう病院へは帰るまいと決意してゐた。病院へ帰らないでどこへ行かうといふのか、癩患者は療養所といふ小さな片隅をおいては、この地球上どこにも平和な住家はないのではないか――いふまでもない、私の心は死に向つて決意してゐたのである。

 二週間の間、私は生と戦ひ続けた。父の許から帰ると病院へは来ず東京の町々をさまよひ、ある時は鉄道線路の横に立つて夜を明かし、ある時は遠く海を見に行つた。私は私の生を、私の意志によつてねぢ伏せようとしたのであつた。だが意志とはなんだらうか、意志と生命とがどうして別物だと考へられるか、意志をもつて生命をねぢ伏せる、要するに言葉の綾ではないか。意志が強ければ強いほど生への欲求の強いのも当然であつた。私は方向を失つてしまつた。死ぬことも出来ない、しかし生きることも出来ない。生と死の中間に挟まれて私は動きがとれなくなつてしまつたのだ。びしよびしよと雨の降る夜、電光の溢れた街路に立つて、折から火花を散らせながらごうごうと怪物のやうに駈けて行く電車の胴体へむしやぶりついて見たかつた。俺は癩病だ、俺は癩病だと叫びながら、人々でいつぱいの中を無茶苦茶に駈け廻りたくなつたりした。犇々ひしひしと迫つて来る孤独が堪らなかつたのだ。雪崩れるやうにもみ合つて通る人々、その中にぽつんと立つてゐる私だけが病人であるとは! 私とその人々との間には越えられぬ山がそびえて、私だけが深い谷底から空を見上げて喘いでゐるやうに思はれた。もし叫びまはることによつて自分の五体がばらばらに分裂し去ることが出来たらどんなに良かつたか。さういふところへ矢内からの手紙であつた。

「――君の手紙を見ました。君の気持がどうであるかは僕はよく判ります。けれども、君は君の生命が君だけのものではないといふことを考へるべきです。君のものであると共にみんなのものです。みんなの中の君であると共に、君の中のみんななのです。君の中に僕が在るやうに僕の中に君が在ることを考へ、どうでも生きて貰ひたい僕の願ひです。」

 手紙は至つて簡単で短かつた。しかしこの短い中に流れてゐる彼の真剣な声は、私の心にひびかずにはゐなかつた。この手紙の意味が私に十分読めてゐるか疑はしいが、私はこの時切実に矢内のところへ帰りたくなつた。彼の柔和な顔や、学園の子供たちを相手にしてゐる姿などが蘇つて、この孤独感から抜け出るには彼以外にないと感じさせられた。私はその夜再び病院の門を潜つた。彼は待ちかまへてゐて、大きな手でがしりと私の肩を摑んで、きらりと涙を光らせた。私が真に友情を知つたのはこの時であつた。

 半年ばかりたつて彼はこの病室に入室した。急性結節の発熱であつた。そしてそれきり彼は寝ついてしまつたのである。

 初めはすぐ退室出来るであらうと思つて深く気にもとめなかつた。また急性結節は小児のはしかのやうに、大切にさへすれば一命をとられるやうなことは決してないのである。しかし不運にも急性結節の熱が退き、退室も間近になつたと思はれる頃になつて、激烈な癩性神経痛が両腕に襲つて来たのであつた。急性結節の高熱に痛めつけられ、体力を失つた矢先に来たこの神経痛は、彼の抵抗力の殆どを奪い尽したのである。毎日一回づつ巻き更へてやる繃帯の中で、彼の腕は見る間に痩せ細つて行き、摑んで見ると堅い木の棒を摑んでゐるやうな感じがした。その上へ極度な睡眠不足が重なり、一時的にもせよ痛みをとめて睡眠をとりたいと思つて服用する強いアスピリンや、麻酔の注射は更に彼の力を衰へさせたのである。そしてやがてはその注射もアスピリンも効果が薄れて行き、遂には一睡も出来ぬまま夜を明さねばならなくなつた。私は彼の寝台の前に立ちながら、何者に向つてともつかぬ憤ろしい思ひになつた。夜など、歯を食ひしばり、額からだらだらと膏汗を流しながらじつと堪へてゐる彼を見ると、私自身も歯を食ひしばらねばゐられない苦痛を感じた。かうした痛みを前にしてただ呆然と立つてゐなければならぬ自分の無力さ、またこの痛みに対してほどこす術を知らぬ医学の無能さ、さういつたものに対する激しい怒りと共に、やがては私自身もかうした苦痛を堪へて行かねばならぬであらうといふ恐怖に、私の心は暗い淵の底に沈んで行くのであつた。しかし一たび狂ひ始めた病勢は最後まで狂ひ続けねばやまない。間もなく彼は胸の痛みを訴へるやうになり、肋膜炎の診断を受けねばならなかつたのである。さういふ日々の苦痛な生活がもし内臓に影響を及ぼさなかつたならばそれは奇蹟であらう。急坂を駆け下りて行くやうに彼の病勢は悪化した。やがて肺結核が折り重なつて弱り切つた病体の上にのしかかつたのであつた。

 吹雪はますます激しくなり、潮がおし寄せて来るやうに松林が音を立てた。入室以来十一ヶ月、一日として休まることなかつた彼の病勢は、うち続いた長い嵐の日々であつたのだ。彼の結核は俗にいふ乾性であつたため、喀血するといふやうなことは一度もなかつたが、それだけまた悪性のものでもあつたのである。しかしさうした中にあつて、一日も意力の崩れることのなかつた彼――私にはさう見えたのである――は、私に何者にも勝つて生きる意義を教へてくれた。

 ある日のことであつた。それは今から二ケ月ばかり前であつた。私は殆ど毎日彼の病室を見舞つてゐたが、その時ちよつとした用件のため四五日訪ねることが出来なかつたのであつたが、その日這入つて行くと、彼はいきなり、

「つくづく生きなければならないと思ふよ。」

 と、堅い決意を眉宇に示して言ふのである。何時ものやうにおつとりとした調子ではあつたが、私はその底に潜んでゐるおしつけるやうな力を見逃すことが出来なかつた。

「うん、生きなければいけないよ。だから早く元気になつて呉れ、早くね。」

 彼は不快なものをふと顔に表はした。だから早く元気になつてくれ、と言つた私の言葉の日常的な卑俗さが気に触つたのであらう。が、間もなく彼らしく顔を柔げ、

「昨夜、二人死んだのだよ。一人はこの病室、も一人は、×号の人。」

 人が死ぬとこの病院では、その病室の前で鐘を叩いて、病舎に住んでゐる死人の知人を集める習はしがある。その鐘の音を昨夜、二度も聴かされて、彼はしみじみと考へたといふのであつた。

「そしてね、僕はもつと真剣に病気と戦はなくちやいけないと思つたのだ。今まで僕は、心から戦はうとはしなかつたんだよ。僕は戦ふよ。」

 産室の妊婦が来たのはその翌日だつた。この妊婦は彼の心に異常な衝動を与へたと見え、彼は珍しくその日一日興奮の色を浮べながら、寝台の上に幾度も起き上らうとするのであつた。

「死ぬ人もあるけれど、生れる者もあるんだね。僕は今まで、人間が生れるといふことを知らなかつた。忘れてゐた。僕は今まで、既に生れてゐる者だけしか頭になかつたんだ。」

 と、彼は熱のこもつた声で言つた。

「うん。僕もさうだつたよ。いや、僕は僕だけしか、今まで見えなかつた。君にあの手紙を貰ふまではね。」

「よかつたよ。君にもみんなが見えるやうになつたんだから。そのうへに、生れて来るんだよ。次々に生れて来るんだよ。僕は初めて歴史を知つたんだよ。」

 彼の肉の落ちた頰には喜悦が昇つてゐた。が、それを見た刹那、私は、彼が意識しないにせよ既に死を感じてゐることをはつきりと知つた。

 彼はその後もたびたび子供のことを語つた。そして語る度に彼の顔に和やかな光りがただよふのであつた。それは体内にかがまつてゐる胎児をまのあたり見ながら、その成長を楽しむ父親のやうな様子があつた。だが、自分の病勢が進むにつれて焦り気味になり、ふと不安な影が顔を包むやうになつた。早く生れないかなあ、と言ふ彼の声には、どこか絶望のひびきが感取されるのであつた。

「おお、さむ。ひでえ雪になりやがつたなあ。」

 矢内の寝台の向ひ側の男が、起き上つて急いで襟を合せながらさう言つて便所へ立つて行つた。

「ほんとだ、ひどい雪になつたのね。」

 とその横の女が寝台に坐つて大きな欠伸をした。それが動機になつて方々で声がしだした。

「やあ、もう五六寸はつもつたぜ。」

 と片足の少年が叫んだ。少年は松葉杖をこつとんこつとんとつきながら窓際に立つて行つた。

 矢内は仰向けに寝たまま、じつと窓外を眺めてゐる。雪の少ないここでは珍しい大雪であつた。彼は自分の生れた土地を思ひ出してゐるのであらうか、私はふとあたりに北国の気配を感じるのであつた。

「おうい諸君、お茶にしようか。」

 と当直の坂下が詰所から出て来て叫んだ。室内は急にざわめき始めた。けんどんの戸をがたがたとあける音や、湯吞の触れ合ふ音などが入り混つて聴えた。

「何か食べたくない?」

 と私は矢内に訊いた。彼は首をちよつと左右に揺つた。なんにも食べたくはないのである。


 夜になつた。私は矢内の横の寝台を空けて貰つてそこに宿ることにした。吹雪はますます激しさを加へて窓外に唸り続けてゐる。ごうごうと林の音が聴える。どこか遠くで巨大な怪物が断末魔のうめきを呻いてゐるやうである。窓にはすべてカーテンが広げられ、室内は無気味な沈黙が続けられてゐた。私はやがて襲ひかかつて来る不幸の前に立つて、それを待つともなく待つてゐるかのやうな不安が病室全体を満たしてゐるやうに思はれてならなかつた。雪のため各病舎からの見舞ひも殆どなかつた。それでも宵のうちは入口の硝子戸が二三度明けたり締めたりされたが、間もなくその数少い見舞客も帰つてしまふと、重苦しい静けさが一層人々の身にこたへるかのやうであつた。

「ああ、ああ、今日もこれで暮れたんだなあ。」

 と向う端の男が呟きながら床の中から腕を伸ばして、脹らんだ蒲団をとんとんと叩いて押へつけた。

「ほんとにねえ……何時までこんなくらしがつづくんだらうねえ……。」

 それに応ずるともなく一人の女が此の世の人とも思はれぬかすれた声を出して起き上つた。彼女はそろそろと手探りで寝台をおりると、便所へ行くのであらう、あさくさ紙を口にくはへて寝台と寝台との間を探り歩き始めた。頭から顔、頸、手足へかけてすつかり繃帯につつまれてゐた。眼も鼻も勿論繃帯の中になつてゐる。外部から見えるのはただれくづれかかつた唇だけであつた。その姿はまだ仕上らぬ人形の型であつた。顔もなければ指もなく、また人間らしい頭髪もない。ただ頭らしいもの、二本の腕らしいもの、二本の足らしいものがやうやく象どられてゐる白い模型が、薄暗い電燈の下を怪しげにゆらゆらとうごいて行くさまである。慣れてゐる私も長く見るに堪へなかつた。

 矢内の呼吸が速くなつた。私はじんと全身の毛立つのを覚えた。死ぬんぢやないか、といふ不安が頭をかすめた。

「矢内!」

 と私は思はず高い声を出した。彼はものうく眼を開いて私を見る。私はほつと息を抜きながら、

「苦しくなつた?」

 と低い声で訊いた。

「くるしい――。」

 と彼は力の無い声である。殆ど聴きとれぬほど低い声であつた。私はそつと彼の額に手を置いて見た。しかし熱はなかつた。

「みみ、のなかで、なんだか、あばれて、あばれて、ゐる。」

「ええ?」

 と私は聴きとれないで訊きかへしたが、すぐうんと頷いて解つたやうな表情をして見せてやつた。一言を出すに彼がどんな努力をしてゐるかが察せられて、私は訊きかへしたりした自分が無慈悲なものに思へたのである。が、私はすぐその言葉の聴えた部分をつぎ合すことが出来た。彼は以前にも耳の中で何かがあばれてゐるやうに耳鳴りがすると言つたことがあつた。それから眼がかすんでならないとも言つた。その時私がそれを医者に訴へると、まあ判り易く言へば全身結核、といつたやうな状態なのだと教へてくれたのであつたが、それから推して考へると彼は眼も耳も破壊されつつあるのであらう。不安が私の心の中に拡がつて来る。私は坂下に医者を呼ぶやうに頼んだ。坂下はさつきから心配さうに私らの方を眺めてゐたが、急いで廊下伝ひに医局へ駈け出して行つた。死んぢやいけない、生きてくれ、どんなことがあつても生きてくれ、と私は心の中で呟き続けた。坂下の足音が廊下の果に消えてしまふと、室内の静けさが身にしみ、矢内の出す呼吸の音がかすかに耳に這入つて来た。

 間もなく医者が来、診察が終ると、彼は私を寝台の陰に呼んで言つた。

「まだ一日二日は大丈夫と思ひますが、危険はありますから気をつけて下さい。」

 そして変つたことがあればすぐ呼ぶようにとつけ加へて矢内の腕へカンフルをして出て行つた。医者の姿が硝子戸の向うに消えてしまふと、私は取りつく島を失つた思ひがし、もはや頼り得るものが何ひとつとして無いことを深く感じた。窓外に咆哮する雪嵐はあくまで、生ようとする人間に対して敵意に満ちてゐるやうに思はれ、私は人間といふものの孤独さ、頼りなさが骨までもしみ入るのであつた。私はあらためて室内を眺めまはした。繃帯に埋まれたこの人達は果して生きてゐるのであらうか、もし精神と肉体を備へたものが人間であるなら、これは人間とは言へぬであらう、それなら一体何だといふのか、恐らくは人間といふ外貌を失つた生命であらう、これはもう動物ですらあり得ないのではないか、人間としての可能の一切を失つて最後の一線に残された命とはこれであらう。だが、私はこの時はつきりと知つた。生命に対する自然の敵意を。私は病室の一歩外に荒れ狂ひ、喚き咆哮する自然の盲目な力を見た。自然は絶間なく人間を滅ぼさうと試みてゐるのだ。生命とは自然の力と戦ふ一つの意志なのだ。その時、矢内の唇がもぐもぐと動いてゐるのに気づいて急いで耳を近づけた。

「うまれ、ない、かなあ、まだ、生れないかなあ……。」

 咽喉のどの奥からしぼり出すやうな声であつた。私は、はつと胸のしまる思ひがし、

「生れるよ。きつと生れるよ。」

 何が私にさういふ確信を与へたのか、私は夢中になつて、しかし断乎と言ひ切ることがこの時出来た。一瞬、矢内の眼が異様に輝いてじつと私の眼に釘づけされた。

 その時、突然、がらがらと何かの転がる音が附添詰所であがつた。

「何を!」と喚く声がそれに続いて、烈しく罵り合ふ声が聴えたかと思ふと、とたんに入口の硝子戸が荒々しくあけ放たれて附添夫の一人が転がるやうに病室の中へ駈け込んで来た。と、その後からまた一人が追つて来ると忽ち室内で子供のやうなつかみ合ひが始まつた。

「この、ひようろく玉。」「何を。この薄馬鹿。」「畜生。」「ぶつ殺してくれる。」さういふ悪罵を喚き合ひながら二人はどたどたと床の上でもみ合つた。僧兵のやうに頭の禿げ上つた方が、やがて小兵な相手をリノリウムの上にねぢ伏せてぼかぼかと頭を撲つた。小兵な男は二本の足と二本の腕をばたばたともがいてゐたが、そのうち隙を狙つて下からしたたか相手の顎を小突き上げた。上の男はワッといふやうな悲鳴をあげて一瞬ひるんだが、忽ち物凄い勢で前よりも一層猛烈に打ち続けた。病人たちは仰天してみな起き上つた。静かにしろ、と誰かがどなつた。病室だぞとまた一人が叫んだが、二人の耳には這入らなかつた。と、そこへ当直の坂下が駈け込んで来た。彼はさつき医者を呼びに行つてから、どこか他の病室の附添詰所にでも用があつたのであらう、そのまま帰つて来なかつたのである。彼は物凄い勢で二人に飛びかかつて行くと、

「ここを何処だと思つてやがるんだ。このかつたい野郎!」

 と叫んで、上になつてゐる男の頰桁を平手でぴしやりと叩いて、背後から抱きすくめた。と、下の男が猛然とはね起きて坊主頭をぶん撲つた。

「馬鹿!」と坊主を抱いた坂下が叫んだ。そして彼はいきなり坊主を放すと小兵な男の胸ぐらを摑んでぐいぐいと当直寝台の上に押しつけた。「仲さいは時の氏神つてことをこの野郎、知らねえな!」

「おい、静かにしてくれないか。」

 と私はたまりかねて言つた。

「それ見ろ!」と坂下が言つた。「死にかかつた病人がゐるんだぞ、それで、き、貴様附添か、ここを何処だと心得てやがるんだ。」

「放してくれ、もう判つた。」と押へられた男が言つた、が、にやにやと笑ひながら立つてゐる坊主を見ると、忽ち憎々しげな声で「あん畜生、生意気な野郎だ。」

 坊主は毒々しい嘲笑を顔面一ぱいに浮べながら、

「へッ、どつちが生意気だ。口惜しかつたら外へ出ろ。病室は喧嘩をする場所ぢやねえ。」

「ぢや、なんで手前てめえ俺の頭を撲りやがつたんだ。」

「貴様が生意気だからさ。」

「生意気なのは手前ぢやねえか、バットを三本呑みや死……。」

「よし判つた。」と坂下が押へた。「もつとやりたけりや外へ出てやれ、とめやしねえ。」

 そこへ詰所にゐた残りの附添夫が二人、寝てゐたと見えて単衣の寝衣のまま寒さうに体をちぢめながら這入つて来た。

「おい!」と坂下は小兵から手を放して立上ると、二人に向つて言つた。「手前ら、何だつて喧嘩をとめねえんだ。病室で騒いでゐるのをほつたらかしにしとくとは、ふとい奴だ。」

「ははは、ははは、ばかばかしくてな、とめられもしねえさ。こいつらときたら。」

「何だい一たい、喧嘩のおこりは、ええ?」

 と坂下は訊いた。

「この畜生が……。」と小兵が言ひかけるのを、「手前だまつてろ!」と坂下は一喝を喰はせた。

「おこりはかうさ。初めこいつが――小兵が――バットを三本煎じて呑んだら死ぬつて言つたんさ。するとこの坊主が、いや死なねえつて反対した訳さ。」

「ちえッ。もつとましな喧嘩かと思つたらなんでえ、だらしのねえ喧嘩しやがる。」

 と坂下は唾でも吐くやうに言つた。病人たちがどつと笑つた。

「バットを三本煎じて呑みや死ぬに定つてるぢやねえか。」

 と小兵が苛立しげに言つた。

「ちえッ死ぬもんか。」

 と坊主が言つた。

「死ぬ。」

 と小兵も負けてゐなかつた。

「死なねえ。」

「死ぬ!」

「死なねえ。」

「ぢや貴様ここで呑んで見ろ。口惜しかつたら呑んで見ろ。」

「馬鹿!」と坊主が大声でどなつた。「もし呑んで死んだら手前どうするんだ!」

 病人たちもみな思はず噴き出した。坊主は自分の失言に気づくと、急に真赤になつて叫んだ。

「よし、呑んでやる! 持つて来い。」

 病人たちはもう腹を抱へるやうにして笑つた。坊主はますます苛立つて来た。その時であつた、私は産室から伝はつて来るうめき声を聴いた。陣痛だ。

「おい坂下君、大変だ、大変だ。子供が生れさうだぜ。」

 と私は夢中になりながら言つた。

「えッ、そいつあ大変だ。やい! そんな糞にもならんこたあ明日にしろ。坊主、手前は人の頭をぶん撲つた罰に医局に行つて来い、俺はこつちの用意だ。」

 異常な緊張した空気が病室を流れた。坊主が慌しく廊下を駈け出して行くと、坂下は産室の方へ飛んで行つた。病人たちは寝台の上に坐つて生れるのを待つた。急に水をうつたやうに病室全体がしんと静まつた。地響きをうつて雪の落ちる音が聴えて来る。吹雪はまだやまない。矢内の顔を見ると、彼もまた私の方に衰へ切つた視線を投げた。視線が、かつちりと合ふと、彼の骸骨のやうなおもてに微かな喜びの色が見えた。

「矢内、生れるよ。」

 と私は力をこめて言つた。彼はちよつと瞼を伏せるやうにして、また大きく見開くと、

「うまれる、ねえ。」

 とかすかに言つた。今にも呼吸のと絶えさうな力の無い声であつたが、その内部に潜まつてゐる無量の感懐は力強いまでに私の胸に迫つた。死んで行く彼のいのちが、生れ出ようともがいてゐる新しいいのちにむかつて放電する火花が、その刹那私にもはつきりと感じられた。

「いのちは、ねえ、いのちにつながつてゐるんだ、よ。のむら君。」

 と彼はまた言つた。私は心臓の音が急に高まつて来るのを覚えながら、言葉も出ないのであつた。生命と生命とのつながり、私は今こそ彼の手紙がはつきりとよめた。そして彼の確信がどのやうなものであるかを知つたのだ。間もなく一通りの準備を終へた坂下が産室から出て来た。彼は興奮の色を顔に表はしながら近寄つて来ると、

すげえなあ。」

 と吃るやうな声で言つた。

「俺アこの病院へ来てから、まだ一ぺんも赤児の泣声を聴いたことがなかつた、癩病に嬰児こどもはねえと思つてたからな。」

 私は思はず顔に微笑が漂つて来るのを意識しながら、

「さうだよ。」

 やがて廊下に急ぎ足が聴え、女医が看護婦を従へて這入つて来ると産室の中へ消えた。坂下は夢中になつて女医の後を産室へ再び這入つて行かうとすると、看護婦が笑ひながらとめた。

「だめよ。」

「ちえッ。」

 と坂下は残念さうに私の横へ引返して来た。

 激しい呻きが聴えて来た。緊張した呼吸づかひが誰もの口から出た。病人たちは寝ようとしないでじつと生れるのを待つてゐる。矢内は眼を閉ぢてじつとしてゐる。私はふと不安になつた。耳鳴りがしてゐる彼の耳に、もし生れた嬰児の声が聴えなかつたら――私は大切なものを今一歩といふところで失つたやうな思ひであつた。

「矢内。」

 と私は呼んだ。動かない。私はハッと全身に水を浴びたやうな思ひで再び呼んだ。

「矢内!」

 すると彼は静かに眼を開いて私の顔をまじまじと眺めた。私はほつとしながら言つた。

「矢内、きこえるかい?」

 彼はちよつと瞼を伏せてまた開いた。こつくりをして見せる代りであることを私は知つてゐる。私は注意深く矢内の眼を眺めた。その眼の中にある感激に似た輝きがぱちぱちと燃え、空間の中に存在する見えぬ何ものかを凝視してゐるやうな鋭さが、その内部から湧き上つて来る真黒いものに没し去られさうになるのを私は感じる。それは戦ひである。深淵の底に消え失せようとする生命が新しい生命に呼びかける必死の叫びである。私は再び彼を抱き起してしつかりと寝台の上に坐らせたい欲求を覚えた。それは私の心の奥底から烈しい力で突き上つて来る衝動であつた。私は自分の腕がその時無意識のうちに動き出したのを知つた。はつとして自省した時、その空間に差し出した手が震へるのを知つた。空しいものが私の心の間隙に忍び込んで来た。私はまた何かにしがみつきたい欲求を覚えた。私自身が淵の底に吸ひ入れられて行くやうな気がしたのであつた。私はその時絶望を感じてゐるのか喜びを感じてゐるのか判らなかつた。その二つのものが同時に迫りぶつかつて来るのだ。私を支へるものが欲しかつたのであつた。

 坂下は私の横に立つたまま息をつめ、産室から来る呻声に調子を合せて、彼もううううと唸るのであつた。

 間。 それは緊張し切つた長い時間であつた。

 突然、何かを引き裂くやうな声が聴えた。続いて泣き出した嬰児の声が病室一ぱいに拡がつた。

「うー。」病人たちは低い呻声をもらした。期せずしてみんなの視線は産室の方に集まつた。異常な感激の一瞬であつた。その時矢内が不意にむつくりと起き上つた。あつと私は声を出して彼の体を支へようと腕を伸ばしたが、その時にはもう彼の体はゆらゆらと揺れながら再び元の位置に倒れてゐた。私は驚きのあまりどきどきと心臓を鳴らせながら、歪んだ枕を直してやつた。彼は静かに眼を閉ぢたまま何も言はなかつた。

 やがて、看護婦が子供を抱いて這入つて来ると、

「男の子よ。」

 と言つて勝ち誇つたやうな顔つきをし、そのまま風呂場の方へ歩いて行つた。堰が切れたやうに病室全体がにはかに騒しくなつた。附添夫と共に病人たちも元気な者はその後について集まつて行つた。と、そこからどつとあがる笑声が聴えて来ると、

「癩病でも子供は生れるんだ。」

 と一人が誇らかな声を出した。続いて口々に言ふ声が入り乱れた。

「看護婦さん。俺に一度だけ、抱かせてくれろ、な、たのむ。」

「馬鹿言へ、小つちやくてもこの児は壮健だぜ。うつかり抱かせられるかつてんだ。」

「病気がうつる。みんな引き上げろ。」

「だつて俺あもう十年も子供を抱いたことがねえんだ。たつた、一度でいい。」

「いけねえに定つてるぢやねえか、このかつたい。」

「生れたばかりで抱かれるかい。」

「まるで小つちやいが、やつぱり壮健だ。見ろ、この元気さうな面。」

「全くだ。俺あこいつの手相を見てやるかな、大臣になるかも知れねえ。」

「さはるな、さはるな。」

「こら、赤児、こつち向いて見ろ、いいか、大きくなつたつて俺たちを軽蔑するんぢやねえぞ、判つたな。しつかり手を握つてらあ。なんしろこいつあ病者ぢやねえからな。」

 そのうち坂下が出て来ると彼は急いで私の横へやつて来て言つた。

すげえ。凄え。」


 あくる日の午後、矢内は死んだ。空は晴れわたつて青い湖のやうであつた。降り積つた雪の中を、屍体は安置室に運ばれて行つた。屋根の雪がどたどたと塊つて地上に落ちた。産室からは勇ましく泣声が聴えて来る。私はその声に矢内の声を聴き、すると急にぼろぼろと涙が出た。喜びか悲しみか自分でも判らなかつた。白い雲が悠悠と流れてゐる。

脚注

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出典

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  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 光岡良二『いのちの火影』新潮社、1970年、130頁。
 

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