同志社大学設立の旨意
明治七年の末、胸中一片の宿志を齎らし、十余年来夢寐の間に髣髴たる我が本国に帰着せり。
明治八年十一月二十九日、同志社英学校を設立したり。是れ即ち現今同志社の設立したる創始なり。
斯くの如くにして同志社は設立したり、然れども其目的とする所は、独り普通の英学を教授するのみならず、其徳性を涵養し、其品行を高尚ならしめ、其精神を正大ならしめんことを勉め、独り技芸才能ある人物を教育するに止まらず、所謂る良心を手腕に運用するの人物を出さん事を勉めたりき。而して斯くの如き教育は、決して一方に偏したる智育にて達し得可き者に非ず。
唯だ上帝を信じ、真理を愛し、人情を敦くする基督教主義の道徳に存することを信じ、基督教主義を以て徳育の基本と為せり。
吾人は政府の手に於て設立したる大学の実に有益なるを疑はず。然れども人民の手に拠って設立する大学の、実に大なる感化を国民に及ぼすことを信ず。
其生徒の独自一己の気象を発揮し、自治自立の人民を養成するに至っては、是れ私立大学特性の長所たるを信ぜずんば非ず。
一国を維持するは、決して二、三英雄の力に非ず。実に一国を組織する教育あり、智識あり、品行ある人民の力に拠らざる可からず。是等の人民は一国の良心とも謂ふ可き人々なり。而して吾人は即ち此の一国の良心とも謂ふ可き人々を養成せんと欲す。吾人が目的とする所実に斯くの如し。
明治二十一年十一月
同志社大学発起人 新島 襄