半七捕物帳 第四巻/向島の寮

向島の寮

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慶応(けいおう)二年の夏は不順の陽気で、綿ぬきという四月にも綿衣(わたいれ)をかさねて顫(ふる)えている始末であったが、六月になってもとかく冷え勝ちで、五月雨(さみだれ)の降り残りが此の月にまでこぼれ出して、烟(けむ)のような細雨(こさめ)が毎日しとしとと降りつづいた。うすら寒い日も毎日つづいた。半七もすこし風邪をひいたようで、重い顳顬(こめかみ)をおさえながら長火鉢のまえに鬱陶(うっとう)しそうに坐っていると、町内の生薬屋(きぐすりや)の亭主の平兵衛(へいべえ)がたずねて来た。
「お早うございます。毎日うっとうしいことでございます」
「どうも困りましたね。時候が不順で、どこにも病人が多いようですから、お店も忙がしいでしょう」と、半七は云った。
「わたくしどもの商売繁昌は結構と申してよいか判りません」と、平兵衛は腰から煙草入れ抜き取って、ひと膝ゆすり出た。「実は少し親分さんにお知恵を拝借したいことがございまして、そのご相談に出たのでございますが……。いえ、わたくしの事ではございませんが、家で使って居りますお徳(とく)という下女(げじょ)のことで……」
「はあ、どんなことだか、まあ伺って見ようじゃありませんか」
「ご承知でもございましょうが、あのお徳という女は生麦(なまむぎ)の在(ざい)の生れでございまして、十七の年からわたくしの家(うち)へ奉公にまいりまして、足かけ五年無事に勤めて居ります。至って正直なので、家でも目をかけて使って居ります」
「あの女中のことは私も聞いていますが……」と、半七はうなずいた。「家でもどうかしてああいう奉公人を置き当てたいものだと云って、うちの嬶(かかあ)なんぞもふだんから羨(うらや)ましがっている位ですよ。そのお徳がどうかしましたかえ」
「本人には別に何事もないのでございますが、その妹のことに就きまして……。まあ、こうでございます。お徳にはお通(つう)という妹がございまして、これも今年十七になりましたので、この正月から奉公に出ました。桂庵(けいあん)は外神田(そとかんだ)の相模屋(さがみや)という家でございます。江戸へ出ますと、まずわたくしのところの姉を頼って来まして、その相模屋へは姉が連れて行ったのでございました。しますと、その相模屋の申しますには、丁度ここにいい奉公口がある。江戸者ではいけない、なんでも親許(おやもと)は江戸から五里七里は離れている者でなければいけない。年が若くて、寡言(むくち)で正直なものに限る。それから一つは一年の出代(でがわ)りで無闇に動くものでは困る。どうしても三年以上は長年(ちょうねん)すると云う約束をしてくれなければ困る。その代りに夏冬の仕着(しきせ)はこっちで為(し)てやって、年に三両の給金をやる」
「ふむう」と、半七は眉をよせた。
この時代の下女奉公として、年に三両の給金は法外の相場である。三両一人扶持(ぶち)を出せば、旗本屋敷で立派な侍が召抱えられる世のなかに、ぽっと出の若い下女に一年三両の給金を払うというのは、なにか仔細(しさい)がなければならないと彼は不思議に思っていると、平兵衛はつづけて話した。
「お徳はさすがに江戸馴れして居りますので、あんまり話の旨いのを不安に思いまして、どうしようかと二の足を踏んで居りますと、妹の方は年が若いのと、この頃の田舎者(いなかもの)はなかなか慾張って居りますので、三両の給金というのに眼が眩(く)れて、前後のかんがえも無しに是非そこへやってくれと強請(せび)りますので、お徳もとうとう我(が)を折って、当人の云うなり次第に奉公させることになりました。その奉公先は向島の奥の寂(さび)しい所だそうでございます。お徳が帰ってきて其の話をしましたので、家では少し可怪(おかし)く思いましたが、向うが寂しいところで若い奉公人などは辛抱することが出来ないので、よんどころなしに高い給金を払うのだろう位にかんがえて、まずそのままになって居りますと、お通が目見得(めみえ)に行ったぎりで其の後なんの沙汰もないので、姉も心配して相模屋へ問合せに行きますと、目見得もとどこおりなく済んで、主人の方でも大変気に入って、すぐに証文をすることになったと云うことで、妹の手紙をとどけてくれました。それは確かにお通の直筆で、目見得が済んで住みつく事になったから安心してくれ。奉公先はある大家(たいけ)の寮で、広い家に五十ぐらいの寮番の老爺(じいや)とそのお内儀(かみ)さんがいるぎりで、少し寂しいとは思うけれども、田舎にくらべれば何でもない。ご主人が月に一度ぐらいずつ見廻ってくるから、その時に給仕でもすればいいと云うことで、勤めもたいへんに楽だから自分も喜んでいると云うようなことが書いてあったようでございます。お徳もまあそれで安心して、むこうの云う通り、三年以上長年するという証文を入れて帰って来ました」
「その時、妹には逢わなかったんですね」
「はい。本人には逢いませんけれども、たしかに本人の直筆に相違ございませんから、姉も安心して帰ったのでございます。それは正月の末のことで、それから小半年は別になんの沙汰もございませんでしたが、おととい見馴れない男がお徳をたずねてまいりまして、向島から来たと云って妹の手紙を渡して行きましたので、すぐに封を切って見ますと、あすこの家にはどうしても辛抱していられない、辛抱していたら命にかかわるかも知れない、詳しいことはとても手紙には書けないから是非一度逢いに来てくれと云うようなことが書いてございましたので、妹思いのお徳は半気違いのようになってすぐにも駈け出そうといたします。勿論、それも本人の直筆でございますから、嘘はあるまいと存じましたけれど、なんだか不安にも思われますので、その日はもう日が暮れかかっているので止(や)めさせまして、きのうの朝早く店の小僧の亀吉(かめきち)を一緒につけてやりました」
「よく気がつきましたね」と、半七はほほえんだ。「まったくこういう時に、一人で出すのは不安心ですからね」
「左様でございます。それからもう八ツ(午後二時)を廻ったかと思う頃に、二人が、くたびれ切って帰ってまいりました。向島の奉公先と云うのがなかなか見付からなかったそうで、おまけに寮番の老爺(おやじ)というのがひどくむずかしい顔をして、そんな者はこっちにいないとか云ったそうで……。まあ、いろいろ押問答の挙げ句に、ようよう本人に会わせて貰ったのですが、お通は姉の顔をみるとわっと泣き出して、もうこんな恐ろしい家(うち)には一日も奉公していられないから、すぐに暇を取って連れ出してくれと云います。そんなことが無闇に出来るもんでもありませんから、だんだん宥(なだ)めてその様子を訊きますと、なるほど変な家でございまして、お通でなくっても大抵のものは勤まりそうもない家だと云うことが判りました」
「化け物でも出るんですか」と、半七はほほえんだ。「それとも油でも舐(な)める娘でもいるんですかえ」
「まあ、それに似寄った話でございます」と、平兵衛はひたいに皺をよせた。「その寮というのは寺島(てらじま)村の奥で、昼でも狐や河獺(かわうそ)の出そうな寂しい所だそうでございます。近い隣りには一軒も人家はございません。そこへ行ってから小半月ほどは、お通も唯(ただ)ぶらぶらしていたんだそうですが、それから寮番夫婦に云い付けられて、土蔵のなかへ三度の食事を運ぶことになりました」
「土蔵の中へ……」
「土蔵の中には大きな蛇(へび)が祀(まつ)ってあるんだそうで……。それに三度の食物(しょくもつ)を供える。それには男の肌を知らない生娘(きむすめ)でなければいけないと云うので、お通がその役を云い付けられたのでございます。あまり心持のいい役ではありませんが根が田舎育ちでございますから、わたくしどもが考えるほどには蛇や蛙を怖がりもいたしません。それに神に祀られているほどだから、人に対して何も悪いことはしないと云い聞かされているもんですから、平気でその役を勤めることになりました。その土蔵というのは昼でも真っ暗なくらいで、中に何が棲んでいるか判りません。扉(と)の錠(じょう)をはずして、入口へ食物の膳を供えたら、あとは振り返らずにすぐ出て来いと云われているもんですから、はじめのうちは正直にその通りにしていました。三度三度その通りで、半時(はんとき)も経って行ってみると、膳の物は綺麗にたべ尽してあるそうでございます。まあ、それで当分は何事もなかったのでございますが、四月の二十日(はつか)のことだと申します。午(ひる)の膳を運ぶのが例より少し遅くなりまして、急いで土蔵の扉をあけますと、その錠の音が奥へ響いたのでございましょう。土蔵の二階の梯子(はしご)がみしりみしりと響いて、なにか降りて来るような様子でございます」
「なるほど」と、半七は煙草をすいながら、耳を傾けていた。
「それがきっと大きい蛇だろうとお通は思いまして、膳をそこに置いたままで慌てて引っ返そうとしましたが、怖いもの見たさに、扉のかげに隠れてそっと覗(のぞ)いていますと、梯子を降りて来たのは……。その日はいい天気で、しかも真っ昼間でございますから、土蔵のなかは薄明るく見えましたそうで……。今、みしりみしりと降りて来たのは、一人の若い女のようで、黙って膳に手をかけたかと思うと、こっちで覗いているのを早くも覚(さと)ったとみえまして、細い声でもしと呼んだそうでございます。お通はぞっとして黙って居りますと、その女は幽霊のような痩せた手をあげてお通を招いたそうで……。もう堪まらなくなって、あわてて土蔵の扉をしめ切って一目散(いちもくさん)に逃げて帰りました。大蛇(だいじゃ)が口をきく筈がありません。きっと幽霊に相違ないとお通は急に怖毛(おぞげ)だって、それからはもう土蔵へ行くのが忌(いや)になりましたが、自分の役目ですから仕方がございません。その後も怖々(こわごわ)三度の膳を運んで居りました。しかしだんだんに考えてみると、幽霊が飯を食う筈もありません。怖いもの見たさが又手伝って、天気のいい日に又そっと覗いてみますと、うす暗い隅の方から大きい蛇――およそ一丈もあろうかと思われる薄青いような蛇が、大きい眼をひからせて蜿(のた)くって来るようです。お通はぎょっとして立竦(たちすく)んでいますと、二階の梯子が又みしりみしりという音がして、なにか降りて来るようです。よく見ると、それはこのあいだの幽霊のような女で……。お通は堪まらなくなって、また逃げ出してしまいました」
「だいぶ怪談が入り組んで来ましたね」
「それでもお通はまだ辛抱している積りであったようですが、この頃たびたび土蔵のなかを覗きに行くことが寮番の夫婦に知れまして、なんでも厳しく叱られて、おまえも縛って土蔵のなかへほうり込んでしまうとか嚇(おど)かされまっしたそうで……。それからいよいよ怖くなって、いっそ逃げ出そうかと思っても、夫婦が厳重に見張っていてひと足も外へは出しません。それでも、隙をみて、短い手紙をかいて、店の方から来た人にたのんで、姉のところへ届けて貰ったのだそうでございます。お徳もその話を聞いてびっくりしましたが、すぐにどうするという訳にも行きませんので、まあもう少し辛抱しろとくれぐれも云い聞かせて、怱々(そうそう)に帰って来ましたようなわけで……。前にも申上げました通り、ひどく妹思いの女だもんでございますから、どうしたらよかろうかと云って顔の色を変えて心配して居ります。桂庵に掛合ってもらって暇を取るのが勿論順道でございますが、三年以上という証文がはいって居りますから、きっとなにか面倒なことを云うだろうと存じます。といって、このままに打っちゃって置くのも可哀そうでございますし、わたくしどもにもいい知恵が浮かびませんので、お忙がしいところを相談に出ましたのでございますが、まあ、これはどう致したものでございましょう」
半七は眼を薄くつむって考えていたが、やがて徐(しず)かにうなずいた。
「ようございます。なんとか致しましょう。わたしから桂庵に掛合ってあげてもいいが、ともかくも証文を反古(ほご)にすると云うのは穏かでない行き方ですから、なんとかほかの段取りにしてみましょう、そのお通という娘のことばかりでなく、こりゃあ私の方でも少し調べて見にゃあならねえことですから、まあ私に任せてください。桂庵は相模屋ですね」
「外神田の相模屋でございます」
「お徳には心配するなと云ってください。二、三日のうちに何とかしましょうから」
「なにぶんお願い申します」
くれぐれも頼んで、平兵衛は帰った。


午(ひる)飯を食ってから半七は三河町の家(うち)を出て、外神田の相模屋をたずねると、桂庵でも彼の商売を知っているので、素直に奉公人の出入帳(でいりちょう)を出してみせた。この正月の末にお通を目見得にやった奉公先は向島の寺島村の寮で、この寮の主人は霊岸島(れいがんじま)の米問屋の三島(みしま)であることが判った。
この頃は諸式高直(こうじき)のために、江戸でも時どきに打毀(うちこわ)しの一揆が起った。現にこの五月にも下谷(しもや)神田をあらし廻ったので、下町(したまち)の物持からはそれぞれに救い米の寄附を申出た。そのときに彼(か)の三島では商売柄とは云いながら、一軒で白米二千俵の寄附を申出て世間を驚かしたことを、半七はまだ耳新しく記憶していた。その三島の寮が向島の奥にあって、そこに何かの秘密が忍んでいるとすれば、猶更(なおさら)うっちゃって置くことは出来ない。半七はいったん自分の家へ帰って、子分の松吉(まつきち)を呼んだ。
「おい、ひょろ松。おめえはご苦労でも霊岸島へ行って、三島の様子をちょっと調べて来てくれ。あすこの家に年頃の娘はねえか」
「あすこの娘なら知っています。おきわといって近所でも評判の小町娘(こまちむすめ)で、もう十九(つづ)か二十歳(はたち)になるでしょう」
「その娘はどうした。家にいるか」
「それがなんでも三年まえの今時分でしたろう。店の若い者と駈落(かけおち)をしてしまって、今にゆくえが知れねえそうです」と、松吉は云った。
「駈落の相手はなんという野郎だ」
「そりゃあ知りません」
「そいつを一つ調べて来てくれ。そればかりでなく、三島の家の様子も調べて来るんだぜ。そのおきわという娘に弟妹(きょうだい)があるかどうか、それをよく洗って来てくれ。いいか」
「ようがす」
松吉はすぐに出て行った。なにぶんにも頭が重いので、半七は湯にはいって風邪薬を飲んで、日の暮れないうちから衾(よぎ)を引っかぶって汗を取っていると、夜の五ツ(午後八時)頃に松吉が帰って来た。
「親分、ひと通りは調べて来ました。娘と駈落をした奴は良次郎(りょうじろう)といって、宿(やど)は浅草(あさくさ)の今戸(いまど)だそうです。年は二十二で小面(こづら)ののっぺりした野郎で、後家(ごけ)さんのお気に入りだったそうです」
「で、どこへ行ったか、まったく判らねえのか」
「判らねえそうです。無論に浅草の宿にはいねえんですが、どこへ行っていますか」
「おきわには弟妹があるのか」
「ありません。ひとり娘だそうです」
「そうか」
少し見当がはずれたので、半七は床の上で首をかしげていたが、そのほかにも松吉が調べて来た三島の事情をそれからそれへと詮議して、半七はなにか思い当ることがあったらしい。にやにや笑いながら首肯(うなず)いた。
「よし、もうそれで大抵わかった」
「ようがすかえ、それだけで」
「もういい、あとはおれが自分でやる」
あくる朝早く起きると、ゆうべ汗を取ったせいか半七の頭もよほど軽くなった。陰(くも)ってはいるが、きょうは雨やみになっているので、半七はあさ飯の箸を措(お)くとすぐに町内の生薬屋へ行った。女中のお徳をよび出して、妹の手紙をとどけて来たという男の人相や年頃を詳しく訊(き)いて、その足で更に今戸の裏長屋をたずねた。この頃の長霖雨(ながじけ)で気味の悪いようにじめじめしている狭い露地の奥へはいって、良次郎の家というのを探しあてると、二畳と六畳とのふた間の家に五十近い女と、十四、五の小娘とが向いあって、なにか他人(ひと)の賃仕事でもしているらしかった。裏店(うらだな)の割には家のなかが小綺麗に片付いているのが半七の眼をひいた。
「あの早速でございますが、こちらの良次郎さんは唯今どちらへおいででしょうか」
「はい」と、母らしい女は針の手をやすめて見返った。「おまえさんはどちらからお出でになりました」
「霊岸島からまいりました」と、半七はすぐに答えた。
「霊岸島から……」と、女は半七の顔をじっと眺めていたが、やがて起(た)って入口へ出て来た。「じゃあ、三島のお店(たな)からですか」
「左様でございます」
云い切らないうちに、女は框(かまち)から片足おろして、いきなり彼の袖をつかんだ。
「それはこっちで訊きたいんです。忰(せがれ)はどこに居ります。良次郎はどこにいます」
逆捻(さかね)じを喰って少しあわてた半七は、わざと仰山(ぎょうさん)らしく驚いてみせた。
「おかみさん、飛んでもねえことを……。ここの家で知らないで、誰が知っているもんですか」
「いえ、そうは云わせません。店で良次郎をどこへか隠しているんです。わたしはちゃんと知っています。お嬢さんと駈落をしたなんて、嘘です、嘘に相違ありません。良次郎はご主人の娘をそそのかして淫奔(いたずら)をするような、そんな不心得な人間じゃありません。ここにいるお山(やま)はほんとうの妹じゃありません、もう一、二年経つと彼(あれ)と一緒にする筈になっているんです。そういう者がありながら、そんな不埒(ふらち)なことをするような良次郎じゃございません。第一あんな親孝行の良次郎が親を打っちゃって置いて、どこへか姿をかくす筈がありません。おまえさんの方で隠しているんです。さあ、どこにいるか教えてください」
気違いのような権幕(けんまく)で責めたてられて、半七もいよいよ持て余した。
「まあ、待ってください。成程そんなことがあるかも知れませんが、わたしはまったく知らないんです。店の方から云い付けられて、ただ正直に出て来ただけのことなんです。じゃあ、良次郎さんはまったくこちらにはいないんですか」
「いませんとも……」と、女は声をうるませながら云った。「自分の方でどこへか隠して置きながら、白ばっくれて探しによこすなんて、あんまり人を馬鹿にしている。いいえ、こっちには確かな証拠があります。見せてあげるからお待ちなさい」
女は奥の仏壇の抽斗(ひきだし)から一通の手紙を持出して来て、半七の眼先に突きつけた。すぐに受取ってあけてみると、自分はよんどころない訳があって、三年のあいだは姿を隠している。三年たてばきっと帰ってくるから心配してくれるな。世間ではお嬢さんと駈落をしたなどと云い触らすかも知れないが、それにも訳のあることだから、お山にもよく云ってくれ。ご主人の為と親の為で斯ういうことをするのだから、かならず悪く思ってくれるなと書いてあった。
「この手紙に三十両のお金を付けて、人に頼んでそっと届けてよこしたんです」と、女は泣きながら云った。「これが確かな証拠です。ご主人の為にと書いてあるじゃありませんか。親の為とも書いてあるのを見ると、三年の間どこにか隠れていれば、きっと五十両やるとか百両やるとか云う約束があるに相違ありません。あれは親孝行な人間ですから、そんなことを引受けてご褒美を貰って、親に楽をさせる料簡(りょうけん)なんでしょうが、わたしの方じゃあお金なんぞは要(い)りません。それより一日も早くわが子の無事な顔がみたいと思っています。三十両のお金は幾らか貰いましたけれど、残った分はみんな返しますから、どうぞ忰を連れて来てください。お願いですから」
彼女は再び半七の袖を摑(つか)んで、ゆずぶるながら泣いて口説いた。お山という娘も声をたてて泣き出した。思いもよらない愁嘆場(しゅうたんば)を見せられて、半七ももう仮面(めん)をかぶっていられなくなった。
「おかみさん。もう斯(こ)うなりゃあ何もかも正直に云うが、わたしは霊岸島から来た者じゃあねえ。わたしは御用聞の半七という者で、実は少し調べたいことがあって出て来たんだが、おまえの話でみんな判った。もう案じることはねえ。良次郎はきつと連れて来てやるから、二、三日おとなしく待っているがいい」
御用聞と聞いて、女は急に涙を拭いた。そうして、忰のゆくえを探索してくれるようにくれぐれも頼んだ。


お通と良次郎のほかに、半七はおきわという娘のゆくえをも突き留めなければならなかった。おきわは向島の寮に押籠(おしこ)められて、土蔵の二階に住んでいるに相違ない。お通が見たという幽霊のような女はそれである。半七は確かにそれと見きわめながらも、まさかにつかつかと踏み込んで出しぬけに土蔵の戸前(とまえ)をあけるわけには行かないので、もう少し確かな証拠を握りたいと思った。彼は今戸の露路を出ると、すぐに向島の方角へ足をむけると、陰った空はまた暗くなって、霧のような雨が烟(けむ)って来た。途中で番傘を買って、竹屋(たけや)の渡(わたし)を渡って堤(どて)へ着くと、雨はだんだんに強くなって葉桜の堤下はいよいよ暗くなった。
もう午(ひる)に近いので、彼は堤下の小料理屋へはいって、しじみ汁とひたし物で午飯(ひるめし)を食っていると、古ぼけた葭(よし)の衝立(ついたて)を境にして、すこし離れた隣りにも二人づれの客が向い合っていた。はじめは二人ともに黙ってちびりちびり飲んでいるらしかったが、そのうちに年上らしい一人の男が微酔(ほろよい)機嫌で云い出した。
「え、おい。あの餓鬼(がき)をどうかしてくれねえじゃあ困るじゃねえか。どうで田の草を取っていた日向(ひなた)くせえ女だ。気に入らねえのは判り切っているが、眼をつぶって往生してくれ。あいつに逃げられるとまったく困るから」
若い男は黙っていた。
「あいつの足止めをするのは慾得(よくとく)ばかりじゃあいけねえ。そこで色男に頼むんだ。我慢して相手になってやってくれ。恋と情けのしがらみに、とか何とか云うのはここのことだ。なにも一生の女房にするとい云うわけじゃあねえ。ちっとの間(ま)の辛抱だよ」
「そんな罪なことはしたくないから」と、若い男は溜息まじりに云った。
「ひどく聖人になり澄ましたな」と、年上の男は冷笑(あざわら)った。「ええ、おい。嘘もほんとうにもしろ、お嬢さんと駈落をしたという色男じゃあねえか。どうで溷鼠(どぶねずみ)だ。今更まじめな面(つら)をしたって、毛の色は白くならねえぜ」
「わたしも今になって後悔している。ふだんから眼をかけて下さるおかみさんに口説かれて、よんどころなく引受けてしまったが、ああ悪いことをしたと此の頃じゃあ切(しき)りに後悔している。世間からはうしろ指をさされ、親たちには苦労をかけ、こんな間違ったことはない。もう此の上は誰がなんと云っても、決してそんな相談には乗らないつもりだ。お通という女中もそれほど帰りたがるなら、すなおに帰してやったらいいじゃありませんか」
「帰してよければ苦労はない」と、年上の男は急に声を低くした。「あんな奴でも口がある。うっかり帰してやったら世間へ出て何をしゃべるか判らねえ。どうしてもここは色男にお頼み申して、足止めのおまじないをして貰うよりほかはねえ。え、良さん。おめえ、どうしても忌(いや)か。毒くわば皿で、おめえも一度こういうことを引受けた以上は、一寸(いつすん)斬られるのも二寸斬られるのも血の出ることは同じことだ。え、おい、器用(きよう)にうんと云ってくれ。俺から又おかみさんの方へもいいように話してやる。おかみさんだって野暮じゃねえ。重(おも)た増(ま)しが出るのは判っているから、素直(すなお)におとなしく引受けてくれ」
「いや、もうなんと云われても私はあやまる。誰かほかの人に頼んで……」
「ほかの人に頼めるくらいなら、口を窄(すぼ)めやあしねえ。今こそ堅気の寮番でくすぶっているが、これでも左の腕には忌(いや)な刺青(ほりもの)のある六蔵(ろくぞう)だ。おれが一旦こう云い出したからにゃあ忌も応も云わせねえ。おい、良さん、その積りで返事をしてくれ」
酒の酔いも手伝っているらしく、彼の声はだんだんに高くなった。いやな刺青の講釈まで聞きすまして、半七はもういい頃と衝立のこっちから声をかけた。
「もし、たいそうお賑かですね」
「どうもお騒々(そうぞう)しくつてお気の毒さまでございます」と、六蔵という男は答えた。「若い者は道楽をして困りますから、ちっと嚇(おど)かしているところですよ」
「お察し申します」と、半七は笑いながら云った。「だが、この頃は世の中がさかさまになって、年寄りの云う方が間違っていることが随分あります。今の一件なんぞはそっちの若い人の云う方が道理(もっとも)らしい。ねえ、良次郎さん。そうでしょう」
名を指されて二人はぎょっとしたらしい。半七はつづけて云った。
「左の腕になにか忌な刺青があるとか云う小父(おじ)さん。あんまり若けえ者をつかまえて無理を云わねえ方がいい。づで霊岸島からは縄付(なわつき)が出るんだ。その道連れを大勢こしらえるのは殺生(せっしょう)だろうぜ」
「な、なんだ」と、六蔵はこっちへ向き直った。「おめえは誰だ」
衝立を押退(おしの)けて、半七も向き直った。
「まあ誰でもいい。おれはこれからおめえのあずかっている寮へ行くんだ。案内してくれ」
その口吻(くちぶり)でもう覚ったらしい、六蔵はあわてて懐中(ふところ)へ手をいれようとする途端に、半七は飛びかかって其の腕を押さえた。六蔵の手は匕首(あいくち)を握ったままで早縄(はやなわ)にかかってしまった。蒼くなってすくんでいる良次郎を見かえって、半七は徐(しず)かに起った。
「おめえにはお慈悲を願ってやる。おとなしくして、おれと一緒に来(き)ねえ」
縄付きの六蔵を追い立てて、半七は雨のなかを三島の寮へ行った。良次郎は死んだような顔をして後からぼんやりと付いて来た。びっくりしてうろうろしているお通に指図して、半七は奥の土蔵の戸前をあけさせると、暗い二階から幽霊のような若い美しい女が出た。女は三島のひとり娘のおきわであった。


その明くる日、霊岸島の米問屋三島から後家(ごけ)のお糸(いと)と番頭の由兵衛(よしべえ)が奉行所に呼び出されて、すぐに入牢(じゅろう)を申渡された。
三島の主人は四年前に世を去って、後家を立て切れないお糸は由兵衛と不義を働いていると、ひとり娘のおきわがもう十九になって、親類の手前、世間の手前、相当の婿を貰わなければならないことになった。殊に容貌(きりょう)よしに生れているので、諸方から縁談を申込んで来る。それが由兵衛には面白くなかった。彼は自分の甥を店の養子に直して、自分が後見人格でこの大身代(おおしんだい)を掻きまわそうという悪法を企(たくら)んでいたが、その甥はまだ十五の前髪で、おきわと妻合(めあ)わせるわけには行かない。もう一つには、おきわはなかなか悧巧(りこう)な娘で、自分たちの不義を薄うす覚っているらしいので、由兵衛はなにかにつけて彼女(かれ)を邪魔者と見て、結局お糸をそそのかして彼女を放逐してしまおうと企てたが、なんの落度もない家付きの娘をむやみに追い出すわけには行かないので、彼は更に大胆な計画を立てた。
色に溺れた四十女のお糸はもう我が子への愛情を忘れてしまって、由兵衛の計画に同意することになった。由兵衛はまず寮番の六蔵を抱き込んで、去年の夏おきわをだまして向島の寮へ誘い出して、大きい古土蔵の奥に閉じ籠めてしまったのである。しかし家付きの娘が突然に消えてなくなったと云っては、親類や世間の手前が済まないので、おきわは店の若い者と駈落をしたと云うことを吹聴(ふいちょう)させた。その相手に選み出されたのが彼(か)の良次郎であった。
彼はふだんからお糸や由兵衛に眼をかけられているばかりか、年も若し、男振りもよし、おきわの相手と云い触らすには恰好(かっこう)の資格を具えていたので、彼はお糸からいろいろ因果をふくめられて、無理往生に承知させられた。身におぼえのない不義の濡衣(ぬれぎぬ)を被(き)て、しばらく何処にか隠れていてくれば、三年の後にはきっと取立ててやる。たとい店へ呼び戻すことが出来ないでも、二百両三百両の資本(もとで)を渡して、きっと身分の立つようにしてやるという条件付きで、良次郎は忌々ながらそれを引受けることになった。
この時代の主従関係で、主人が手を下げて頼むものを無下(むげ)には断わりにくいのと、これを引受ければ行くゆくは親孝行ができるという浅はかな考えとで、良次郎はおきわが押籠められると同時に霊岸島の店をぬけ出した。しかし実家に帰ってはすぐに露顕するので、彼は綾瀬(あやせ)の方の知己(しるべ)の家に身をかくして、心にもない日蔭者になっていた。
おきわを土蔵のなかに封じ籠めてしまったものの、まさかに飢殺(ほしころ)すわけにも行かないので、三度の食物は寮番が運んでいた。いかに残酷な六蔵夫婦もこれはあまり心持がいい役目でないのと、お糸と由兵衛とがこの寮に来て密会する場合に、何かの給仕をする者が無くては不便であるのとで、若い女中を新しく抱えることになったが、迂闊(うかつ)な者を引入れては秘密の発覚する虞(おそ)れがあるので、江戸馴れないぼんやりした女を選んだ末に、かのお通を抱えることになったのである。
そうしてだんだん使っていると、お通は見掛けよりもしっかりしていて、土蔵のなかの秘密を薄うす感付いたらしいので、六蔵もすこし困った。さりとて迂闊に暇を出すのは却(かえ)って危険なので、その口止め足どめの手段として又もや良次郎を誘い出し、色仕掛けで若い田舎娘を手懐(てなず)けさせようと企てたのであるが、いくらおとなしい良次郎でもたびたび他人(ひと)のあやつり人形になることを承知しなかった。殊にこの頃は自分の前非をしきりに後悔しているので、彼はどうしても素直にそれを承知しないばかりか、却ってお通の味方になって、その手紙を神田の姉のところへ届けてやったので、それが大事を洩らす端緒になってしまった。
それを知らない六蔵は又ぞろ彼を近所の料理屋へ連れ込んで、半分は強面(こわもて)でおどし付けているところを、あたかも半七に見つけられたのであった。入墨者の彼は懐中に呑んでいた匕首をぬく間もなしに押さえられた。はじめはかれこれ強情を張っていたが、土蔵のなかから本人のおきわが現われたのと、良次郎が正直に白状したのとで、六蔵ももう恐れ入るよりほかはなかった。
お糸は吟味中に牢死した。六蔵は入墨の前科者だけに罪が重く、悪人と共謀して主人の娘を牢獄同様のところに押籠めて置いたと云うので死罪となった。張本人の由兵衛は無論に重罪であった。後家とは云いながら主人の妻と不義をかさね、あまつさえ家督相続の娘を押籠めて其の身代を横領しようと巧(たくら)んだのであるから、引廻しの上で獄門にさらされた。良次郎も相当の処刑を受くべきであったが、主人の命でよんどころなしに引受けたというのと、彼は日頃孝心の深い者であるというのとで、上(かみ)にも特別の憐愍(れんびん)を加えられて、単にきびしく叱り置くと云うだけで家主に引渡された。
向島の寮は取毀(とりこわ)された。これは上(かみ)からの命令ではなかったが、こういう事件を仕出来(しでか)した以上、三島に向ってその破却を勧告するのが親類の義務であった。秘密をつつんでいた土蔵も無論に取崩されたが、お通が見たという大蛇は姿を現わさなかった。おきわもそんな蛇を見たことはないと云った。霊ある蛇はわざわいを未然に察してどこへか立去ってしまったのか、あるいはお通のおびえた眼に一種のまぼろしが映ったのか、それはいつまでも疑問として残されていた。
 

この著作物は、1939年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。