半七捕物帳 第三巻/帯取の池

帯取の池 編集

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「今ではすっかり埋められてしまって跡方も残っていませんが、ここが昔の帯取の池と云うんですよ。江戸の時代にはまだちゃんと残っていました。御覧なさい。これですよ」
半七老人は万延(まんえん)版の江戸絵図をひろげて見せてくれた。市ヶ谷(いちがや)の月桂寺(げっけいじ)の西、尾州家(びしゅうけ)の中(なか)屋敷の下におびとりの池という、かなり大きそうな池が水色に染められてあった。
「京都の近所にも同じような故積があるそうですが、江戸の絵図にもこの通り記(しる)してありますから嘘じゃありません。この池を帯取というのは、昔からこういう不思議な伝説があるからです。勿論、遠い昔のことでしょうが、この世の上に美しい錦の帯が浮いているのを、通りがかりの旅びとなどが見付けて、それを取ろうとしてうっかり近寄ると、たちまちその帯に巻き込まれて、池の底へ沈められてしまうんです。なんでも池のぬしが錦の帯に化けて、通りがかりの人間をひき寄せるんだと云うんです」
「大きい錦蛇でも棲んでいたんでしょう」と、わたしは学者めかして云った。
「そんなことかも知れませんよ」と、半七老人は忤(さか)らわずにうなずいた。「又ある説によると、大蛇が水の底に棲んでいる筈はない。これは水練に達した盗賊が水の底にかくれていて、錦の帯を囮(おとり)に往来の旅人を引摺り込んで、その懐中物や着物をみんな剝(は)ぎ取るのだろうと云うんです。まあ、どっちにしても気味のよくない所で、むかしは大変に広い池であったのを、江戸時代になってだんだんに狭(せば)められたのだそうで、わたくしどもの知っている時分には、岸の方はもう浅い泥沼のようになって、夏になると葦(あし)などが生えていました。それでも帯取の池という忌(いや)な伝説が残っているもんですから、誰もそこへ行って魚を捕るものも無し、泳ぐ者もなかったようでした。すると或る時、その帯取の池に女の帯が浮いていたもんだから、みんな驚いて大騒ぎになったんですよ」


それは安政(あんせい)六年三月のはじめであった。その年は余寒が割合に長かったせいか、池の岸にも葦の青い芽がまだ見えなかった。ある時、近所のものが通りかかると、岸の浅いところに女の派手な帯が長く尾をひいて、まん中の水の方まで流れているのを発見した。これが普通の池でも相当の問題になるべき発見であるのに、まして昔から帯取の池という奇怪な伝説をもっている此の池に女の美しい帯が浮んでいるのであるから、その噂(うわさ)はそれからそれへと伝わって、たちまち近所の大評判となったが、うっかり近寄ったらどんな怖(おそ)ろしい目に遇うかも知れないという不安があるので、臆病な見物人はただ遠いほうから眺めているばかりで、たれも進んでその帯の正体を見とどける者がなかった。
そのうちに尾州家から侍が二、三人出て来た。かれらは袴の股立(ももだち)を取って、この泥ぶかい岸に降り立って、疑問の帯をずるずると手繰(たぐ)りあげたが、帯は別に不思議の働きをも見せないで、濡れた尾を引摺ながら明るい春の日の下にさられされた。帯は池の主(ぬし)でもなかった。やはり普通の若い女が絞める派手な帯で、青と紅とむらさきと三段に染め分けた縮緬(ちりめん)地に麻の葉模様が白く絞り出されてあった。
「誰がこんなところへ捨てて行ったんだろう」
それが第二の疑問であった。帯はまだ新しい綺麗なもので、この時代でも売れば相当の値になるものを、誰が惜しげもなく投げ込んで行ったものか、それに就いてはいろいろの想像説があらわれた。ある者は盗賊の仕業(しわざ)であろうと云った。盗賊がどこからか盗み出して来たのを、邪魔になるので捨てたのか、あるいは後の証拠になるのを恐れて捨てたのか、おそらく二つに一つであろうとのことであった。又ある者は誰かの悪戯(いたずら)であろうと云った。ここが帯取の池ということを承知の上で、世間の人を騒がすためにわざとこんな帯を投げ込んだものであろうとのことであった。しかしそんな悪戯はもう時代おくれで、天保(てんぽう)以後の江戸の世界には、相当の物種(ものだね)をつかって世間をさわがせて、蔭で手をうって喜んでいるような悠長なにんげんは少なくなった。したがって、前の説の方が勢力を占めて、これはきっと盗賊の仕業に相違ないと云うことに決められてしまった。
しかしその盗賊は判らなかった。その被害者もあらわれて来なかった。疑問の帯は辻番所(つじばんしょ)にひとまず保管されることになって、そのまま二日(ふつか)ばかり経つと、ここにまた思いも寄らない事実が発見された。その帯の持主は、市ヶ谷合羽坂(かっぱざか)下の酒屋の裏に住んでいるおみよという美しい娘で、おみよは何物にか絞め殺されているのであった。そう判ると、又その評判が大きくなった。
おみよは今年十八で、おちかという阿母(おふくろ)と二人で、この裏長屋にしもたや暮しおをしていた。長屋といっても、寄付(よりつき)をあわせて四間(よま)ほどの小奇麗な家で、ことに阿母は近所でも評判の綺麗好きというので、格子などはいつもぴかぴか光っていた。しかしこの母子(ははこ)が誰の仕送りで、こうして小奇麗に暮しているのか、それは近所の人たちにもよく判らなかった。おみよの兄という人が下町(したまち)のある大店(おおだな)に勤めていて、その兄の方から月々の仕送りを受けているのだと母のおちかは吹聴(ふいちょう)していたが、その兄らしい人が曾(かつ)て出入りをしたこともないので、近所ではそれを信用しなかった。おみよは内証(ないしょ)で旦那取りをしているらしいという噂が立った。おみよの容貌(きりょう)がいいだけに、そういう疑いのかかるのも無理はなかったが、母子は別にそれを気にも止めないふうで、近所の人たちとは仲よく附合っていた。
帯取の池におみよの帯が浮んでいた其の前の日の朝、この母子は練馬(ねりま)の親類に不幸があって、泊りがけでその手伝いに行かなければならないと云って、近所の人たちに留守を頼んで出て行った。表の戸には錠をおろして行ったので、誰も内を覗(のぞ)いて見る人もなかったが、それからあしかけ四日目に阿母が一人で帰って来た。両隣りの人に挨拶して、やがて格子をあけてはいったかと思うと、たちまち泣き声をあげて転(ころ)げ出して来た。
「おみよが死んでいます。皆さん、早く来てください」
近所の人たちもおどろいて駈け付けると、娘のおみよは奥の六畳に仰向けさまに倒れていた。それを聞いて家主も駈け付けた。やがて医師も来た。医師の診断によると、おみよは何者にか絞め殺されたのであった。更に不思議なことは、おみよは阿母と一緒に家を出た時と同じ服装(みなり)をしているにも拘(かかわ)らず、その麻の葉の帯が見えなかった。彼女(かれ)をまず絞め殺して置いて、それからその死体を適当の位置に据え直して行ったことは、その死にざまのちっとも取り乱していないのを見てもさとられた。
「おみよさんがいつの間に帰って来たんだろう」
それが第一に判らなかった。おちかの説明によると、その日練馬へゆく途中で、娘のすがたが急に見えなくなった。勿論、その前から練馬へゆくのをひどく忌(いや)がっていたから、途中でおふくろを撒(ま)いて逃げ帰ったのであろうと、おちかは推量した。先をいそぐ身は今更引っ返して詮議(せんぎ)もならないので、彼女は娘をそのままにして先方へ行った。通夜やら葬式やらに三日ばかりの暇を潰して、四日目のけさ早くに練馬を発って、たった今帰りついて見ると表の錠は外(はず)れていた。案の通り、娘は先に帰っているものと思って、格子をあけてはいると内は昼でも真っ暗であった。口小言(くちこごと)を云いながら窓をあけると、まず眼にはいったものは娘の浅ましい亡骸(なきがら)で、おちかは腰のぬけるほど驚いたのであった。
「何がなんやら一向に判りません。わたくしはまるで夢のようでございます」と、おちかは正体もなく泣き崩れていた。
近所の人たちも夢のようであった。おみよがいつの間に帰って来て、いつの間に殺されたか、両隣りの者すら気がつかなかった。それにしてもおみよの帯を誰が解いて行ったかと詮議の末に、それがおとといの朝、かの帯取の池に浮かんでいたと云うことが初めて判(わか)った。おちかもその帯を見て、これは娘の物に相違ないと泣きながらに証明した。して見ると、何者かがおみよを絞め殺して、その帯を解いて抱え出して、わざわざ帯取の池へ投げ込んだものであろう。しかし、なんのために彼女の帯を解いたか、慾の為ならばこの家内にもっと金目の品は幾らもある。彼女の帯ばかりでなく、着物も剝(は)いで行きそうなものであるのに、単に帯ばかりに眼をつけて、しかも場所をえらんで、それを帯取の池に沈めたと云うには何か深い仔細がなければならない。まさか池の主が美しいおみよを魅(み)こんだ訳でもあるまい。どう考えてみても、この疑問がまだ容易に解けそうもなかった。
こうなると近所迷惑で、長屋じゅうの者はみな自身番の取調べをうけた。取分けて母のおちかは、自分が娘を絞め殺して置いて、わざと家を留守にしていたのではないかという疑いをうけて、そのなかでも一番厳重に吟味されたが、おちかは全くなんにも知らないと云い張った。近所の人たちも母子が二人づれで出て行くところを確かに見とどけたと証明した。殊(こと)にこの母子はふだんから仲好しで、おふくろが娘を殺すような理由は誰の眼にも発見されなかった。帯取の池の秘密はそのおそろしい伝説と同じゆおに、いつまでも疑問のままで残されていた。


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それから七日ばかりの後の夜であった。手先の松吉(まつきち)が神田三河町の半七の家(うち)へ威勢よく駈け込んで来た。
「親分、知れましたよ。あの帯取の一件が……。近所の評判に噓はねえ、おみよという女はやっぱり旦那取りをしていたんですよ。相手はなんでも旗本の隠居で、こっちから時どきにそっと通っていたんです。おふくろは頻(しき)りに隠していたんですけれど、わっしがいろいろ嚇(おど)かしつけて、とうとうそれだけの泥を吐かせて来たんですが、どうでしょう。それが何かの手掛(てがか)りになりますまいか」
「むむ、それだけでも判ると、だいぶ見当がつく」と、半七はうなずいた。「おふくろを嚇かして来たんじゃあ、あまり手柄にもならねえが……。ひょろ松、まあ手前(てめえ)にちゃあ上出来のほうだ。おとなしそうに見えていても、旦那取りをするような女じゃあ、ほかにも又いろいろの紛糾(いざこざ)もあるだろう。そこで、おめえはこれからどうする」
「さあ、それが判らねえから相談に来たんです。まさかその旗本の隠居が殺したんじゃありますめえ。親分はどう思います」
「おれもまさかと思うが……」と、半七は首をひねった。「だが、世間には案外なことがあるからな。なかなか油断はできねえ。その旗本はなんという屋敷で、隠居の下(しも)屋敷はどこにあるんだ」
「屋敷は大久保式部(おおくぼしきぶ)という千石取りで、その隠居の下屋敷は雑司ヶ谷(ぞうしがや)にあるそうです」
「じゃあ、なにしろその雑司ヶ谷というのへ行って見ようじゃあねえか。飛んでもねえものに突き当るかも知れねえ」
あくる朝、松吉の誘いに来るのを待って、半七は二人づれで神田を出た。きょうは三月なかばの花見日和(びより)といううららかな日で、ぶらぶら歩いている二人のひたいには薄い汗がにじんだ。雑司ヶ谷へゆき着いて、大久保式部の下屋敷をたずねると、さすがは千石取りの隠居所だけに屋敷はなかなか手広すな構えで、前には小さい溝川(どぶがわ)が流れていた。
「まるで一軒家ですね」と、松吉は云った。
なるほど背中あわせに一軒の屋敷があるだけで、右も左も広い畑地であった。近所で訊(き)くと、この下屋敷には六十ばかりのご隠居が住んでいて、ほかには用人と若党と中間(ちゅうげん)、それから女中が二人ほど奉公しているとのことであった。半七は菜の花の黄いろい畑のあいだを縫って、屋敷の横手をひと通り見まわした。
「屋敷の奴が殺(や)ったんじゃあるめえな」
「そうでしょうか」
「これだけの広い屋敷だ。おまけに近所に遠い一軒家も同様だ。妾(めかけ)を殺(や)っつける気があるなら、屋敷の中でやっつけるか、帰る途中を殺っつけるか、何もわざわざ当人の家まで押掛けて行くには及ばねえ。誰が考えてもそうじゃねえか」
「そうですねえ。じゃあ、きょうは無駄足でしたか」お、松吉は詰まらなそうな顔をしていた。
「だが、まあいいや。久し振りでこっちへのぼって来たから、鬼子母神(きしぼじん)様へご参詣をして、茗荷屋(みょうがや)で昼飯でも食おうじゃねえか」
二人は田圃(たんぼ)路を行きぬけて、鬼子母神前の長い往来に出ると、ここらの気分を象徴するような大きい欅(けやき)の木肌が、あかるい春の日に光っていた。天保以来、参詣の肢が少しゆるんだとは云いながら、秋の会式(えしき)についで、春の桜時はここもさすがに賑わって、団子茶屋に団扇(うちわ)の音が忙がしかった。すすきの木菟(みみずく)は旬(しゅん)はずれで、この頃はその尖(とが)った嘴(くちばし)を見せなかったが、名物の風車は春風がそよそよと渡って、これも名物の巻藁(まきわら)にさしてある笹の枝に、麦藁の花魁(おいらん)があかい袂(たもと)を軽くなびかせて、紙細工の蝶の翅(はね)がひらひらと白くもつれ合っているのも、のどかな春らしい影を作っていた。ふたりは欅と桜の間をくぐって本堂の前に立った。
「親分、なかなかご参詣があるねえ」
「花どきだ。おれたちのような浮気参りもあるんだろう。折角来たもんだ。よく拝んでいけ」
松吉もまじめになって拝んだ。名代(なだい)の藪蕎麦(やぶそば)や向畊亭(こうこうてい)はもう跡方もなくなったので、二人は茗荷屋へ午飯(ひるめし)を食いにはいった。松吉は酒をのむので、半七も一、二杯附合った。二人はうす紅い顔をして茶屋を出ると、門口(かどぐち)で小粋なふうをした二十三、四の女に出遇った。女は妹らしい十四、五の小娘をつれて、桐屋(きりや)の飴(あめ)の袋をさげていた。小娘は笹の枝につけた住吉踊りの麦藁人形をかついでいた。
「あら、三河町の親分さん」と、女は立停(たちど)まって愛想のいい笑顔をみせた。
「ご信心だね」と、半七も笑って会釈(えしゃく)すると、小娘も笑って挨拶した。
「お前たちもお午飯(ひる)かえ。もう少し早いとお酌でもして貰うものを、惜しいことをしたっけな」と、半七はまた笑った。
「ほんとうに残念でございますね」と、女も笑った。「妹と二人で家をあけちゃ困るんですけれど、きょうはよんどころないご代参(だいさん)を頼まれたもんですからね。一人で二つ願っちゃあ、あんまり慾張っているようで勿体(もったい)のうござんすから、自分は自分、妹はご代参と、こう役割を決めてまいりました」
これが病気とでも云うのかえ」
松吉は親指を出してみせると、女は肩を少しそらせて笑った。
「ほほ、ご冗談でしょ。可哀そうにこれでもまだお嫁入り前でさあね。ご代参をたのまれたのは、町内の古着屋のおっ母(か)さんに……。と云い訳するのも野暮ですが、そこの妹があたしのところへお稽古に来るもんですから」
「じゃあ、そのおっ母さんもご信心なんだね」と、半七は何の気もつかずに云った。
「ご信心もご信心ですけれど、すこし心配事がありましてね。そこの息子さんが十日ばかりも前から、どこへ行ってしまったか判らないんですよ、方々の卜者(うらない)にみて貰ったら、剣難があるの、水難があるのと云われたそうで、おっ母さんはなおなお苦労しているんです。今もお堂でお神籤(みくじ)を頂いたんですが、やっぱり凶と出たので……」と、女は苦労ありそうに細い眉を寄せた。
女は内藤新宿(ないとうしんじゅく)の北裏に住んでいる杵屋(きねや)お登久(とく)という師匠であった。彼女(かれ)は半七や松吉の商売を識(し)っているので、ここで遇(あ)ったのを幸いに、もしその古着屋の息子のゆくえに就いて、なにか心当りでもあったら知らしてくれと頼んだ。半七はこころよく請合った。
「なにしろ、おっ母さんが可哀そうですからね」と、お登久は同情するように云った。「妹はまだ子供ですし、稼ぎ人にいなくなられちゃあ、どうにもしようがないんです」
「そりゃあ、気の毒だね。一体(いったい)その息子はなんという男で、年は幾つくらいだね」
半七に訊かれて、お登久は詳しくその息子の身の上を話した。彼は千次郎(せんじろう)といって九つの春から市ヶ谷合羽坂下の質屋に奉公してたが、無事に年季を勤めあげて、それから三年の礼奉公をすませて、去年の春から新宿に小さい古着屋の店を出して、おふくろと妹と三人暮らしで正直に稼いでいる。年は二十四だが、色白の小作りの男で、ほんとうの暦(とし)よりは二つ三つぐらいも若く見えるとのことであった。その話を聴きながら半七は師匠の顔色をじっと窺(うかが)っていたが、相手に云うだけのことを云わせてしまって、徐(しず)かにこう云い出した。
「そこで、師匠。云うまでもねえこったが、その千次郎という息子は早く探し出さなけりゃあ困るんだろうね」
「ええ。一日でも早い方がいいんです。くどくも申す通り、おっ母さんがひどく心配しているんですから」と、お登久はすがるように頼んだ。うす化粧をした彼女の顔に、不安の暗い影がありありと浮かんでいた。
「じゃあ、もう少し深入りをして訊きてえことがあるんだが、師匠はどうせ此処(ここ)へはいるつもりなんだろうから、おれたちも附合ってもう一度引っ返そうじゃあねえか」
「でも、それじゃああんまりお気の毒ですから」
「なに、構わねえ。さあ、おれが案内者になるぜ」
半七は先に立って、茗荷屋へ再びはいった。いい加減に酒や肴(さかな)をあつらえて、お登久と妹に飯を食わせてやったが、やがて時分を見て彼はお登久を別に小座敷へ連れて行った。
「ほかじゃあねえが、今の古着屋の息子の一件だが……。おめえもおれにたのむ以上は、なにもかも打明けてくれねえじゃあ、どうも水っぽくて仕事がしにくいんだが……」
にやにや笑いながらその顔をのぞき込まれて、お登久は少し酔っている顔をいよいよ紅(あか)くした。彼女は小菊(こぎく)の紙でくちびるのあたりを掩(おお)い俯向(うつむ)いていた。
「おい、師匠。野暮に堅くなっているじゃあねえか。さっきからの口吻(くちぶり)で大抵判っているが、おめえは行くゆくその古着屋の店へ坐り込んで、一緒に物尺(ものさし)をいずくる積りでいるんだろう。ねえ、年が若くって、男が悪くなくって、正直でよく稼ぐ男を、家主にもって不足はねえ筈だ。まあ、そうじゃあねえか。おめえは芸人、相手は町人、なにも御家(おいえ)の御法度(ごはっと)を破ったという訳でもねえから、そんなに怖がって隠すこともあるめえ。いよいよという時にゃあ、おれだって馴染み甲斐に魚っ子の一尾(いっぴき)でも持ってお祝いに行こうと思っているんだ。惚気(のろけ)がまじっても構わねえ、万事正直に云って貰おうじゃねえか。おらあ黙って聞き手になるから」
「どうも相済みません」
「済むも済まねえもあるもんか。そりゃあそっち同士の芝居だ」と、半七は相変わらず笑っていた。「そこで、その千次郎という男は、無論師匠ひとりを大切に守っているんだろうね。無闇に食い散らしをするような浮気者じゃあるめえね」
「それがどうも判りませんの」と、お登久は妬(ねた)ましそうに云った。「確かな手証は見とどけませんけれど、合羽坂の質屋にいた時分から何か引っ懸りがあるように思われるので、あたしは何だがいい心持がしないもんですから、時どきそれをむずかしく云い出しますと、いいえ決してそんなことはないと、どこまでもしらを切っているんです」
千次郎は夜泊りなどをする様子はない。商売用のほかに方々が遊びあるく様子もない。合羽坂にいるときから鬼子母神様が信仰で、月に二、三度はかならず参詣に来る。その以外に何の怪しい廉(かど)もないが、たった一度、女の手紙らしいものを持っていたことがある。勿論、見付けられると同時に、千次郎はすぐに破ってしまったので、自分はその文句を読んだことはないが、その以来注意して窺っていると、彼はなんだか落着かないところがある。自分に対して何か隠し立てをしていることがあるらしい。それが面白くないので、半月ほど前にも自分は彼と喧嘩をした。そうして、是非ともすぐに女房にしてくれと迫ったこともある。それから間もなく、彼は姿を隠したのであった。
「そうか。そいつあいけねえな」と、半七もまじめにうなずいた。「だが、師匠。おふくろに苦労させるのが可哀そうだからなんて、うまくおれを担(かつ)ごうとしたね。おめえもずいぶん罪が深けえぜ。おぼえているがよい。はははははは」
お登久は真紅(まっか)になって、初心(うぶ)らしく小さくなっていた。


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お登久の姉妹(きょうだい)に土産(みやげ)の笹折を持たせて帰して、半七はまだ茗荷屋に残っていた。
「やい、ひょろ松。犬もあるけば棒にあたるとはこの事だ。雑司ヶ谷へ来たにも無にゃあならねえ。合羽坂の手がかりが少し付いたようだ。女中をちょいと呼んでくれ」
松吉が手を鳴らずと、年増(としま)の女がすぐに顔を出した。
「どうもお構い申しませんで、済みません」
「なに、少しお前に訊きたいことがある。もとは市ヶ谷の質屋の番頭をしていた千ちゃんという人が、時どきここへ遊びに来やあしねえかな」
「はあ。お出でになります」
「月に二、三度は来るだろう」
「よくご存じで」
「いつも一人で来るかえ」と、半七は笑いながら訊いた。
「若い綺麗な娘と一緒にじゃあねえか」
女中は黙って笑っていた。しかしだんだんに問いつめられて、彼女はこんなことをじゃべった。千次郎は三年ほど前から、毎月二、三度ずつその若い綺麗な娘と連れ立って来る。昼間来ることもあれば、夕方に来ることもある。現に十日ほど前にも、千次郎が先に来て待っていると、午(ひる)頃になって娘が来て、日が暮れるころ一緒に帰ったとのことであった。女中たちのいる前では、二人とも恥かしそうな顔をしてちっとも口を利かないので、誰もきょうまでその娘の名を知らないと彼女は云った。
「十日ばかり前に来たときに、その娘は麻の葉絞りの紅(あか)い帯を締めていなかったかね」と、半七は訊いた。
「はあ、たしかnそうでございましたよ」
「いや、ありがとう。姐(ねえ)さん、いずれ又お礼に来るぜ」
幾らか包んだものを女中にやって、半七は茗荷屋の門(かど)を出ると、松吉もあとから付いて来てささやいた。
「親分、なるほどちっとは当りが付いて来たようですね。なにしろ、その千次郎という野郎を引挙げなけりゃあいけますめえ」
「そうだ」と、半七もうなずいた。「だが、素人(しろうと)のことだ。いつまで何処に隠れてもいられめえ。ほとぼりの冷(さ)めた頃にゃあ、きっとぶらぶら出て来るに違げええねえ。てめえはこれから新宿へ行って、その古着屋と師匠の家の近所を毎日見張っていろ」
「ようがす。きっと請合いました」
松吉に別れて、半七はまっすぐに神田へ帰ろうと思ったが、自分はまだ一度もその現場を見とどけたことがないので、念のために帰途(かえり)に市ヶ谷へ廻ることにした。合羽坂下へ来た頃には春の日ももう暮れかかっていた。酒屋の裏へはいって、格子の外からおみよの家の様子を一応うかがって、それから家主の酒屋をたずねると、御用で来た人だと聞いて、帳場にいた家主も形をあらためた。
「ご苦労さまでございます。なにか御用でございますか」
「この裏の娘の家は、その後なんにも変ったことはありませんかね」
「けさほども長五郎親分が見えましたので、ちょっとお話をいたして置きましたが……」
長五郎というのは四谷(よつや)から此の辺を縄張りにしている山の手の岡っ引である。長五郎がもう手をつけているところへ割り込んではいるのも良くないと思ったが、折角来たものであるから、ともかくも聞くだけのことは聞いて行こうと思った。
「長五郎にどんな話をしなすったんだ」
「あのおみよは他人(ひと)に殺されたんじゃないんです」と、亭主は云った。「おふくろもその当座は気が転倒しているもんですから、なんにも気が付かなかったんですが、きのうの朝、長火鉢のまん中の抽斗(ひきだし)をあけようとすると、奥の方に何かつかえているようで、素直にあかないんです。変だと思って無理にこじあけると、奥の方に何か書いた紙きれが挟まっていたので、引っ張り出して読んでみると、それが娘の書置(かきおき)なんです。走り書きの短い手紙で、よんどころのない訳があって死にますから先立つ不孝はゆるしてくださいと云うようなことが書いてあったので、おふくろはまたびっくりして、すぐにその書置をつかんで私のところへ飛んで来ました。娘の字はわたくしも知っています。おふくろも娘の書いたものに相違ないと云うんです。して見ると、あのおみよは何か云うに云われない仔細があって、自分で首を縊(くく)って死んだものと見えます。そのことは取りあえず自身番の方にもお届け申して置きましたが、けさも長五郎親分が見えましたから詳しく申上げました」
「そりゃあ案外な事になったね、そうして、長五郎はなんと云いましたえ」と、半七は訊いた。
「親分も首をかしげていましたが、自滅(じめつ)じゃあどうも仕方がないと……」
「そうさ。自滅じゃあ詮議にもならねえ」
それからおみよが平素(ふだん)の行状などを少しばかり訊いて、半七は此処(ここ)を出た。しかし彼はまだ腑(ふ)に落ちなかった。たといおみよが自分で喉を絞めたとしても、誰がその死骸を行儀よく寝かして置いたのであろう。長五郎はどう考えて知らないが、単に自滅というだけで此の事件をこのままに葬ってしまうのは、ちっと詮議が足りないように思われた。それにしてもおみよの書置が偽筆でない以上、彼女(かれ)が自殺を企てたのは事実である。若い女はなぜ自分で死に急ぎをしたのか、半七はその仔細をいろいろに考えた末に、ふと思い付いたことがあった。彼はそのまま神田の家へ帰って、松吉のたよりを待っていると、それから五日目の午すぎに、松吉がきまりの悪そうな顔を出した。
「親分、どうもいけませんよ。あれから毎日張込んでいるんですけれど、野郎は影も形も見せないんです。草鞋(わらじ)を穿(は)いたんじゃありますめえか」
松吉の報告によると、その古着屋も師匠の家もみな平屋(ひらや)の狭い間取りで、どこにも隠れているような場所がありそうもない。古着屋の店にもおふくろが毎日坐っている。師匠の家でも毎日稽古をしている。ほかには何も変ったことはないと云った。
「師匠の家じゃあ相変らず稽古をしているんだな。あそこの家の月浚(つぎざら)いはいつだ」と、半七は訊いた。
「毎月二十日(はつか)だそうですが、今月は師匠が風邪を引いたとか云うんで休みましたよ」
「二十日と云うとおとといだな」と、半七は少しかんがえた。「あの師匠、どんなものを食っている。魚屋も八百屋も出入りするんだろう。この二、三日の間、どんなものを買った」
それは松吉もいちいち調べていなかったが、自分の知っているだけのことを話した。そうして、おとといの午(ひる)には近所のうなぎ屋に一人前の泥鰌鍋(どじょうなべ)をあつらえた。きのうの午には魚屋に刺身を作らせたと云った。
それだけのことが判っていりゃあ申し分はねえじゃあねえか」と、半七は叱るように云った。
「野郎は師匠の家に隠れているんだ。あたりめえよ。いくら新宿をそばに控えているからといって、今どきの場末(ばすえ)に稽古師匠が毎日店屋物(てんやもの)を取ったり、刺身を食ったり、そんな贅沢ができる筈がねえ。可愛い男を忍ばしてあるから、巾着(きんちゃく)の底を掃(はた)いてせいぜいのご馳走をしているんだ。おまけに毎月の書入れにしている月浚いさえも休んでいると云うのが、何よりの証拠だ。師匠の家にはお浚いの床(ゆか)があるだろう」
師匠の家は四畳半と六畳の二間で、奥の横六畳に二間(にけん)の床があると松吉は云った。床の下は戸棚になっているのが普通である。その戸棚のなかに男を隠(かく)まってあるものと半七は鑑定した。
「さあ、松。すぐ一緒に行こう。奴らは銭がなくなると、また何を仕出来(しでか)すか判ったもんじゃあねえ」
二人は新宿の北裏へ行った。


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「おや、三河町の親分さん。先日はどうもご厄介になりました。その後まだお礼にも伺いませんで、なにしろ貧乏暇無しの上に、少し身体が悪かったもんでございますから。ほほほほほ」
杵屋お登久はべんべら物の半纏(はんてん)の襟を揺り直しながら笑い顔をして半七をむかえた。彼女は松吉が裏口に忍んでいるのを知らないらしかった。半七は奥へ通されて、小さい置床(おきどこ)の前に坐った。寄付(よりつき)の四畳半には長火鉢や箪笥や茶箪笥が列んでいて、奥の六畳が稽古場になっているらしく、そこには稽古用の本箱や三味線が置いてあった。八ツ(午後二時)少し前で、手習い子もまだ帰って来ない時刻のせいか、弟子は一人も待っていなかった。
「妹はどうしたね」
「あの、きょうもお参詣にまいりました」
「鬼子母神様かえ」と、半七はお登久の持って来た桜湯をのみながら苦笑いをした。「なかなかご信心だね。だが、鬼子母神さまを拝むよりも俺を拝んだ方がいいかも知れねえ。千次郎のたよりはすっかり判ったぜ」
お登久は眉をすこし動かしたが、やがて調子をあわせるように華(はな)やかに笑った。
「ほんとうに、そうでございますね。親分さんにお願い申して置けば、それでもう安心なんでございますけれど……」
「冗談じゃねえ。ほんとうにたよりが判ったんだ。それを教えてやろうと思って、わざわざ下町からのぼって来たんだぜ。師匠、だれもほかにいやあしめえね」
「はあ」と、お登久はからだを固くして半七の顔を見つめていた。
「師匠の前じゃあちっと云いにくいことだが、千次郎は市ヶ谷合羽坂下の酒屋の裏にいるおみよという若い女と、近所の質屋に奉公している時分から引っ絡(から)んでいたんだ。お前がふだんから気をまわしている相手というのはその女だ。ところで、そこにどういう因縁があったか知らねえが、千次郎とおみよは心中することになって、男はまず女を絞め殺した」
「まあ」と、お登久の顔は真蒼(まっさお)になった。「ほんとうに二人で死ぬ気だったんでしょうか」
「ほんとうも嘘もねえ。真剣に死ぬ気だったんだろう。だが、女が死ぬのを見ると、男は薄情なものさ。急に気が変って逃げ出して、それから何処にか隠れてしまったんだ。死んだ女はいい面(つら)の皮で、さぞ怨んでいるだろうよ
「二人が心中だという確かな証拠があるんでしょうか」
「女の書置が見付かったから間違いもあるめえ」
云いかけてふと気がつくと、お登久の涼しい眼には涙がいっぱいに溜まっていた。
「その女と心中までする位じゃあ、つまりあたしは騙(だま)されていたんですね」
「師匠にゃあ気の毒だが、煎じつめると、まあそんな理屈にもなるようだね」
「あたしはなぜこんなに馬鹿なんでしょうね」
もう堪まらなくなったらしい。お登久は悶(じ)れるように身を顫(ふる)わせて、襦袢(じゅばん)の袖口を眼にあてた。裏口で居ぬが頻(しき)りに吠え付くのを、松吉は小声で追っているらしかったが、そんなことはお登久の耳にはちっともはいらないらしかった。彼女はやがて眼を拭きながら訊いた。
「それで、千さんの居どこが判ったらどうなるんでしょう」
「相手が死んだ以上は無事に済むわけのものでねえ」
「親分が見つけたら捉(つか)まえますか」
「忌(いや)な役だが仕方がねえ」
「じゃあ、すぐに捉まえてください」
お登久はいきなり起(た)ちあがって、床の下の戸棚をがらりとあけると、戸棚の隅には若い男の蒼ざめた顔を見えた。案の通りここに隠れていたなと思う間もなく、お登久は男の手を摑(つか)んで戸棚からぐいぐいと引摺り出した。
「千ちゃん。お前さん、よくもあたしをだましたね。商売上で少し筋の悪い品を買って、飛んだ引合(ひきあい)を喰いそうになったから、ちっとの間どこへか姿を隠すんだと云うから、一昨々日(ささおととい)からこうして隠まって置いてやると、そりゃあ丸で噓の皮で、市ヶ谷の女と心中しそこなったんだということを今初めて聞いた。今まで人をさんざん騙して置きながら、またその上にそんな噓をついて……。あんまり口惜(くやし)いから、あたしはお前を引っ張り出して親分さんに渡してある。さあ、縛られるとも、牢へ入れられるとも、勝手にするがいい」
くやし涙の眼を瞋(いか)らせて、お登久は男の顔を睨みつけると、彼はその眼を避けるように顔をそむけたが、その方角にはまた半七の眼が晃(ひか)っているので、彼はもういっそ消えてしまいたいように俯伏して、稜毛(のげ)の逆立った古畳に顔を埋めてしまった。
「もうこうなったら仕方がねえ」と、半七は諭(さと)すように云った。「この芝居ももうこれで大詰だろう。おい、千次郎。正直に何もかも云ってしまえ。自身番まで引摺って行って、わざわざ引っぱたくのも忌(いや)だから、ここでみんな聞いてやろうぜ」
「恐れ入りました」と、千次郎はもう生きているような顔色はなかった。
「おめえはあのおみよという女と心中したんだろう。女はおめえが絞めたのか」
「親分、それは違います・おみおはわたくしが殺したのじゃございません」
「嘘をつけ。女をだますのとは訳が違うぞ。天下の御用聞の前で嘘八百をならべ立てると、飛んでもねえことになるぞ。人を見て物をいえ。現におみよの書置があるじゃあねえか」
「おみよの書置には心中とは書いてございません。おみよは自分ひとりで死んだのでございます」と、千次郎は顫えながら訴えた。
半七も少しゆき詰まった。心中というのは自分だけの鑑定で、成程おみよの書置に心中ということは書いてないらしかった。しかしおみよとこの千次郎とがどうしても無関係とは思われなかった。
「それじゃあ、てめえはどうしておみよの書置の文句を知っている。おみよの死んだそばにいねえで、それが判る筈がねえ。第一に、おみよが自分一人で死んだということをどうして知っている。訳を云え」と、半七は嵩(かさ)いかかって極めつけた。
「正直に申上げます」
「むむ。早く申立てろ」
そばにはお登久が執深そうな眼をして睨みつけているので、千次郎も少しためらっているらしかったが、半七に催促されて彼はとうとう思い切って白状した。彼は市ヶ谷の質屋に奉公している時から、近所のおみよと不図(ふと)云い交すようになったが、女は武家の持ち物になっているので、万一それが露見したらどんな祟りを受けるかも知れないという懸念から、二人は用心して、月に二、三度ぐらいずつ雑司ヶ谷の茶屋でこっそり出逢っていた。千次郎が新宿に古着屋の店を持つようになっても、二人の関係はやはり繋がっていた。そのうちに自分の妹が長唄の稽古に通うのが縁となって、千次郎は師匠のお登久とも他人でない関係になってしまった。そうして、お登久の眼を忍んで、むかしの恋人にも逢っていた。
これだけでもやがては面倒の種になりそうなところへ、さらにおそろしい面倒が湧き出しそうになって来た。それは千次郎とおみよとが雑司ヶ谷の茶屋で逢っていることろを、大久保の屋敷の者に見つけられたのであった。この前の妾(めかけ)はないんか不埒(ふらち)をはたらいて主人の手討に逢ったとか云う噂を聞いているおみよは、根がおとなしい女だけに、もう生きている空もないように顫え上がってしまった。彼女と母と一緒に練馬えへゆく途中から逃げて帰って、約束の茶屋で千次郎に逢って、自分の秘密が屋敷に知れた以上は、もう生きてはいられないと嘆いた。
その話を聞いて気の小さい千次郎は悸(おび(えた。おみよばかりでなく、不義の相手の自分とてもあるいは屋敷へ引っ立てられて、どんな禍(わざわ)いに逢うかも知れないと恐れた。しかし彼は女と一緒に死ぬ気にもなれなかった。おみよから心中の話をほのめかされたのを、彼はいろいろに宥(なだ)めすかして、その日の夕方にともかくも市ヶ谷の家へ帰らせたが、なんだか不安心でもあるので、彼は途中からまた引っ返しておみよの家へたずねて行くと、もう遅かった。おみよは台所の梁(はり)に麻の葉の帯をかけて縊(くび)れていた。長火鉢のそばには母と自分とに宛てた二通の書置があった。急いだとみえて、どっちも封をしてなかったので、彼は二通ながら披(ひら)いて見た。
あまりの驚きと悲しみとに、千次郎は少時(しばらく)ぼんやりしていたが、やがて気がついておみよの死骸を抱きおろした。その死骸を奥へ運んで、頸(くび)にからんでいる帯をといて、北枕に行儀よく横たえて、彼は泣いて拝んだ。母にあてた書置は火鉢のひきだしに入れ、自分にあてた書置は自分のふろころに押込んで、彼も女のそばですぐ縊(くび)れて死のうと覚悟したが、ここで一緒に死んではかのお登久に済まないような気がしたので、彼は半分夢中でおみよの帯をかかえながら表へそっとぬけ出した。それからどこをどう歩いたか、彼は死に場所を探しながら帯取の池へ迷って行った。女の帯で首をくくろうか、それとも池へ身を投げようかと思案しているところへ、あいにくと幾たびか人が通るので、彼は容易に死ぬ機会を見出(みいだ)すことが出来なかった。陰(くも)った夜で、空には弱い星が二つ三つ輝いているばかりであった。その星のひかりを仰いでうっとりと突っ立っているうちに、薄ら寒い春の夜風が肌にしみて、彼は急に死ぬのが怖ろしくなった。彼はかかえていた女の帯を池へ投げ込んで、暗い夜路を一散(いっさん)に逃げ出した。
しかし彼は一種の不安に付きまとわれて、すぐに自分の家へ帰ることも出来なかった。たとい自分が手をおろして殺したのでないにもせよ、おみよの死について何かの連坐(まきぞえ)を受けるのが怖ろしかった。大久保の屋敷の祟りもおそろしかった。質屋に奉公していたときの故朋輩(もとほうばい)が堀(ほり)の内(うち)の近所に住んでいるのを思い出して、千次郎はその足ですぐ堀の内をたずねて行った。いい加減の嘘をついて、そこに十日ほども忍んでいたが、いつまでその厄介になっているわけにも行かないので、彼は幾らかの路銀を借りてふたたび江戸へ帰って来た。それはお登久が雑司ヶ谷で半七に逢った翌(あく)る晩であった。
母に対しても、お登久に対しても、彼は正直に打明ける勇気がないので、ここでもまたいい加減の嘘を作って、筋の悪い品物を買った為にその引合を受けるのが迷惑だから、当分は世間に顔を出したくないと云った。お登久は母と相談の上で、可愛い男を自分の家に隠(かく)まって置いた。その秘密は半七に看破(みやぶ)られたばかりか、あわせて千次郎の秘密までもさらけ出されたので、お登久は急に口惜(くや)しくなった。彼女は押え切れない嫉妬に眼がくらんで、今まで大事に抱えていた男を半七の前に突き出したのであった。


「それからどうしました」と、わたしは半七老人に訊いた。
「どうと云ってしようがありませんや」と、老人は笑っていた。「それが心中の片相手ならば下手人(げしゅにん)にもなりますが、女は自分ひとりで死んだのですから、男は別に構ったことはありません。表向きにすれば、お叱りの上で町ちょう)役人にでも預けられるのですが、それも可哀そうでもあり、面倒でもありますから、その場でわたくしが叱っただけで、まあ堪忍してやりましたよ。そこで可笑(おか)しいのはそれからひと月ほど経ちますとね、お登久と千次郎と仲良く二人づれで私のところへ礼に来ましたよ。男が無事に済んだからいいようなものの、一旦こっちへ引渡した以上、もし重い科人(とがにん)になったらもう取返しは付きませんや。それを云ってわたくしがお登久にからかいますと、お登久はまじめな顔をして、女っていうものは皆んなそんなもんですって……。はははははは」
 

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