半七捕物帳 第七巻/白蝶怪

白蝶怪(はくちょうかい)

編集
天保(てんぽう)七年――申年(さるどし)の正月十八日の夜である。その夜も四ツ半(午後十一時)を過ぎた頃(ころ)に、ふたりの娘が江戸小石川(こいしかわ)の目白不動堂(めじろふどうどう)を右に見て、目白坂から関口駒井町(せきぐちこまいちょう)の方角へ足早にさしかかった。
駒井町をゆき抜ければ、音羽(おとわ)の大通りへ出る。その七丁目と八丁目の裏手には江戸城の御賄組(おまかないぐみ)の組屋敷がある。かれらは身分こそ低いが、みな相当に内福であったらしい。今ここへ来かかった二人の娘は、その賄組の瓜生長八(うりゅうちょうはち)の娘お北(きた)と黒沼伝兵衛(くろぬまでんべえ)の娘お勝(かつ)で、いずれも明けて十八の同い年である。
今夜は関口台町(だいまち)の鈴木(すずき)という屋敷に歌留多(かるた)の会があったので、二人は宵からそこへ招かれて行った。いつの代にも歌留多には夜が更けるのが習いで、男たちはまだ容易にやめそうもなかったが、若い女たちは目白不動の鐘が四ツを撞(つ)くのを合図に帰り支度に取りかかって、その屋敷で手ごしらえの五目鮨(ごもくずし)の馳走(ちそう)になって、今や帰って来たのである。屋敷を出るときには、ほかにも四、五人の女連れがあったのであるが、途中でだんだんに別れてしまって、駒井町へ来る頃には、お北とお勝の二人になった。
夜更けではあるが、ふだんから歩き馴(な)れている路である。自分たちの組屋敷まではもう二、三町に過ぎないので、ふたりは別に不安に感じることも無しに、片手には提灯(ちょうちん)を持ち、片袖(かたそで)は胸にあてて、少しく俯向(うつむ)いて、足を早めて来た。
坂を降りると、右側は二、三軒の屋敷と町家(まちや)で、そのあいだには寺もある。左側はほとんどみな寺である。屋敷は勿論(もちろん)、町家も四ツ(午後十時)過ぎには表の戸を閉めているので、寺町とも云うべきこの大通りは取分けて寂しかった。春とは云っても正月なかばの暗い夜で、雪でも降り出しそうな寒い風がひゅうひゅう吹く。
二人はいよいよ俯向きがちに急いで来ると、お北は何を見たか、俄(にわか)に立停まった。
「あら、なんでしょう」
お勝も提灯をあげて透かして見ると、ふたりの行く先に一つの白い影が舞っているのである。さらによく見ると、それは白い蝶(ちょう)である。普通に見る物よりもやや大きいが、たしかに蝶に相違なかった。蝶は白い翔(はね)をひるがえして、寒い風のなかを低く舞って行くのであった。二人は顔を見あわせた。
「蝶々(ちょうちょ)でしょう」と、お勝はささやいた。
「それだから可怪(おかし)いと思うの」と、お北も小声で云った。「今頃どうして蝶々が飛んでいるのでしょう」
時は正月、殊にこの暗い夜ふけに蝶の白い形を見たのであるから、娘たちが怪しむのも無理はなかった。二人はそのまま無言で蝶のゆくえを見つめていると、蝶は寒い風に圧(お)されるためか、余り高く飛ばなかった。むしろ地面を掠(かす)めるように低く舞いながら、往来のまん中から左へ左へ迷って行って左側のある寺の垣に近寄った。それは杉の低い生垣で往来から墓場もよく見えるばかりか、野良犬などが毎日くぐり込むので、生垣の根のあたりは疎(まば)らになっていた。蝶はその生垣のすきまから流れ込んで、墓場の暗い方へ影をかくした。
それを不思議そうに見送っていると、二人のうしろから草履の音がきこえて、五十ばかりの男が提灯をさげて来た。彼は通り過ぎようとして見返った。
「お組屋敷のお嬢さんたちじゃあございませんか」
声をかけられて、二人も見かえると、男は音羽の市川屋(いちかわや)という水引屋の職人であった。ここらは江戸城に勤めている音羽という奥女中の拝領地で、音羽の地名はそれから起ったのであると云う。その関係から昔は江戸城の大奥で用いる紙や元結(もっとい)や水引のたぐいは、この音羽の町でもっぱら作られたと云い伝えられ、明治以後までここらには紙屋や水引屋が多かった。この男もその水引屋の職人で、源蔵(げんぞう)という男である。多年近所に住んでいるので、お北もお勝も子供のときから彼を識(し)っていた。
「いま時分どこからお帰りです」と、源蔵はかさねて訊(き)いた。
「鈴木さんへ歌留多を取りに行って……」と、お北は答えた。
「ああ、そうでしたか」と、源蔵はうなずいた。「そうして、ここで何かご覧になったんですか」
「白い蝶々が飛んでいるので……」
「白い蝶々……。ご覧になりましたか」
「こんな寒い晩にどうして蝶々が飛んでいるのでしょう」と、お勝が訊いた。
「わたくしももう三度見ましたが……」と、源蔵も不思議そうに云った。「まったく不思議ですよ。去年の暮れ頃から、時どきに見た者があると云いますがね。この寒い時節に蝶々が生きている筈(はず)がありませんや。おまけに暗い晩に限って飛ぶと云うのは、どうもおかしいんですよ」
武家の子とは云いながら、若い娘たちはなんとなく薄気味悪くなって、夜風がひとしお身に沁(し)みるように感じられた。
「蝶々はどっちの方へ飛んで行きました」と、源蔵はまた訊いた。
「お寺のなかへ……」
「ふむう」と、源蔵は窺(うかが)うように墓地の方を覗(のぞ)いたが、そこには何かの枯れ葉が風にそよぐ音ばかりで、新しい墓も古い墓も闇(やみ)の底に鎮まり返っていた。
提灯の灯が又ひとつあらわれた。拍子木の音もきこえた。火の番の藤助(とうすけ)という男がここへ廻って来たのである。三人がここに立停まっているのを見て、藤助も近寄って来た。
「なにか落し物でもしなすったかね」
彼も三人を識っているのである。源助から白い蝶の話を聞かされて、藤助も眉(まゆ)をよせた。
「その蝶々はわたしも時どきに見るがな。なんだか気味がよくない。今夜はこの寺の墓場へ飛び込んだかね」
「誰(だれ)かの魂が蝶々になって、墓のなかから抜け出して来るんじゃあねえかね」と、源蔵は云った。
「なに、墓から出るんじゃない、ほかから飛んで来るんだよ。墓場へはいるのは今夜が初めてらしい」と、藤助は云った。「だが、蝶々がどこから飛んで来て、どこへ行ってしまうか、誰も見とどけた者は無い。第一、あの蝶々はどうも本物ではないらしいよ」
「生きているんじゃ無いか」
「飛んでいるところを見ると、生きているようにも思われるが……。わたしの考えでは、あの蝶々は紙でこしらえてあるらしいね。どうも本物とは思われないよ」
聴いている三人は又もや顔を見あわせた。
「わたしもそこまでは気が付かなかったが……」と、源蔵はいよいよ不思議そうに云った。「紙で拵(こしら)えてあるのかな。だって、あの蝶々売りが売りに来るのとは違うようだぜ」
「蝶々売りが売りに来るのは、子供の玩具(おもちゃ)だ。勿論、あんな安っぽい物じゃあないが、どうも生きている蝶々とは思われない。白い紙か……それとも白い絹のような物か……どっちにしても、拵え物らしいよ。だが、その拵え物がどうして生きているように飛んで歩くのか、それが判(わか)らない。なにしろ不思議だ。あんな物は見たくない。あんなものを見ると、なにか悪いことがありそうに思われるからね。と云って、わたしは商売だから、毎晩こうして廻っているうちには、忌(いや)でも時どき見ることがある。気のせいか、あの蝶々を見た明くる日は、なんだか心持が悪くって……」
こんな話を聴かされて、三人はますます肌寒くなって来た。お勝はお北の袂(たもと)をそっと曳(ひ)いた。
「もう行きましょうよ」
「ええ、行きましょう」と、お北もすぐに同意した。
「そうだ。だんだんに夜が更けて来る。お嬢さんたちはお屋敷の前まで送ってあげましょうよ」と、源蔵が云った。
藤助に別れて、三人はまた足早にあるき出したが、音羽の通りへ出るまでに、蝶はふたたびその白い影をみせなかった。娘たちの組屋敷は音羽七丁目の裏手にあるので、源蔵はそこまで送りとどけて帰った。
お北の父の瓜生長八は、城中への夜詰の番にあたっていたので、その夜は自宅にいなかった。瓜生の一家は長八と、妻のお由(よし)と長女のお北と、次女のお年(とし)と、長男の長三郎(ちょうざぶろう)と、下女のお秋(あき)の六人暮らしで、男の奉公人は使っていない。長三郎は十五歳で、お年は十三歳である。お北の帰りが少し遅いので、長三郎を迎えにやろうかと云っているところへ、お北は隣家のお勝と一緒に帰って来た。水引屋の職人に送って貰(もら)ったと云うのである。
「唯今(ただいま)……。どうも遅くなりました」
茶の間へ来て、母のまえに手をついた娘の顔は蒼(あお)かった。
「お前、どうかしたのかえ」と、母のお由は怪しむように訊いた。
「いいえ、別に……」
「顔の色が悪いよ」
「そうですか」
白い蝶が若い娘たちを気味悪がらせたに相違なかったが、お北自身は顔の色を変えるほどに脅(おびや)かされてもいなかった。彼女(かれ)はかえって母に怪しまれたのを怪しむくらいであった。しかし、まんざら覚えのないわけでも無いので、白い蝶の一件を母や妹に打明けようと思いながら、なぜかそれを口に出すのを憚(はばか)るような心持になって、お北は結局黙っていた。
「この春は風邪(かぜ)が流行(はや)ると云うから、気をお付けなさいよ」と、なんにも知らない母は云った。
夜も更けているので、妹のお年は姉の帰りを待たず、さっきから次の間の四畳半に寝ていたのであるが、このとき突然に魘(うな)されるような叫び声をあげた。なにか怖い夢でも見たのであろうと、お由は襖(ふすま)をあけて次の間へ行った。
唸(うな)っているお年を呼び起して介抱すると、少女のひたいには汗の球がはじき出されるように流れていた。
お年の夢はこうであった。彼女が姉と一緒に広い草原をあるいていると、姉の姿がいつか白い蝶に化して飛んでゆく。おどろいて追おうとしたが、とても追いつかない。焦(じ)れて、燥(あせ)って、呼び止めようとするところを、母に揺り起されたのである。
その夢の話を聴かされて、お北ははっと思った。今度こそは本当に顔色を変えたのである。しかもそうなると、白い蝶の一件を洩(も)らすことがいよいよ憚られるように思われて、彼女はやはり口を閉じていた。母も少女の夢ばなしに格別の注意を払わないらしかった。
「子供のうちはいろいろの夢をみるものだ。姉さんはここにいるから、安心しておやすみなさい」
お年は再び眠った。他の人びとも皆それぞれに寝床にはいったが、その後にはなんの出来事もなく、瓜生の一家は安らかに一夜を過した。宵からの疲れで、お北も他愛なく眠った。
風は夜のうちにやんでいたが、明くる朝は寒かった。こんにちと違って、その当時の音羽あたりは江戸の場末であるから、庭にも往来にも春の霜が深かった。早起きを習いとする瓜生の家では、うす暗いうちから寝床を離れて、お由は下女に指図して台所に立働いていた。お北は表へ出て門前を掃いていると、隣家の黒沼でももう起きているらしく、お勝も箒(ほうき)を持って門前へ出てきた。ふたりの娘はゆうべの挨拶(あいさつ)を終ると、お勝は摺(す)り寄ってささやくように云った。
「あなた、ゆうべの事を誰かに話しましたか」
「いいえ。まだ誰にも……」
「わたしはお母さまに話したのですよ」と、お勝はいよいよ声を低めた。「そうしたら、お母さまはもう白い蝶々のことを知っているのです」
「お母さまも見たのですか」
「自分は見ないけれども、その話は聞いているのだそうです。お父さまに話したらば、そんな馬鹿なことを云うなと叱(しか)られたので、それぎり誰にも云わなかったのだそうです」
御賄組などはおの職務の性質上、どちらかと云えば武士気質(さむらいかたぎ)の薄い人びとが多いのであるが、お勝の父黒沼伝兵衛は生れつき武士気質の強い男で、組じゅうでも義理の堅い、意地の強い人物として畏敬(いけい)されていた。その伝兵衛に対してお勝の母が何か怪談めいた事を話した場合、あたまから叱り飛ばされるのは知れ切っていた。
お勝の母の話によると、このごろ夜が更けると怪しい蝶が飛びあるく、それはお勝らが見たのと同じように、普通の物よりもやや大きい白い蝶で、それが舞い込んだ家には必ず何かの禍いがある。多くは死人を出すと云うのである。
「お母さまはどうしてそんな事をご存じなのでしょう」と、お北はまた訊いた。
「それはね」と、お勝は更に説明した。「四、五日前に白魚河岸(しらうおがし)の小父(おじ)さんがご年始にきたときに、お母さまに話したので……。八丁堀(はっちょうぼり)でも内々探索しているのだそうです」
白魚河岸の小父さんというのは黒沼の親類で、姓を吉田(よしだ)といい、白魚の御納屋(おなや)に勤めている。吉田は土地の近い関係から、八丁堀同心らとも知合いが多いので、その同心のある者から白い蝶の秘密を洩れ聞いたらしい。してみると、まんざら無根の流言とも云えないのであるが、伝兵衛はあくまでもそれを否認していた。彼はこんなことまで云った。
「白魚河岸がそんな出たらめを云うのか。さもなければ、この頃はお膝元(ひざもと)が太平で、八丁堀の奴(やつ)らも閑(ひま)で困るもんだから、そんな、詰まらないことを云い触らして、忙がしそうな顔をしているのだ。ばかばかしい」
こうひと口に云ってしまえばそれまでであるが、白魚河岸の小父さんは嘘(うそ)を云うような人ではない。八丁堀の人たちが幾ら閑だからと云って、根も葉もないことに騒ぎ立てるはずもあるまいと、お勝の母は夫に叱られながらも、内心はそれを信じていた。
その矢先に、お勝が現在その白い蝶の飛ぶ姿を見たと云うのであるから、母はいよいよそれを信じないわけには行かなくなった。
「それですから当分は夜歩きをしない方がいいと、お母さまは云っているのですよ」と、お勝はさらに付加えた。


門前の掃除を仕舞ってお北はわが家へはいったが、今のお勝の話がなんとなく気にかかって、彼女は暗い心持になった。
お勝の父がいかにそれを否認しても、白い蝶の怪異はまんざら跡方のないことでも無いように思われた。
殊に妹のお年がゆうべの夢にうなされて、姉が白い蝶に化して飛び去ろうとしたと云う話が、また今更のように思い合されて、お北は一種の恐怖を感じないわけには行かなかった。白い蝶と自分とのあいだに、何かの因縁が結び付けられているのではないかとも恐れられた。しかもそれを母や弟に打明けるのを憚って、彼女はやはり黙って朝の膳(ぜん)にむかった。
「お前はゆうべからどうも顔の色が悪いようだが、まったく風邪でも引いたのじゃあないか」と、母のお由はふたたび訊いた。
「いいえ、別に……」と、お北はゆうべと同じような返事をしていたが、自分でも少し悪寒(さむけ)がするように感じられてきた。気のせいか、蟀谷(こめかみ)もだんだんに痛み出した。
弟の長三郎は朝飯の箸(はし)をおくと、すぐに剣術の稽古(けいこ)に出て行った。四ツ(午前十時)頃に、父の長八は交替で帰ってきたが、これも娘の顔を見て眉をよせた。
「お北、おまえは顔色がよくないようだぞ。風邪でも引いたか」
父からも母からも風邪引きに決められてしまった。お北はとうとう寝床にはいることになった。下女のお秋は音羽の通りまで風邪薬を買いに出た。
お北は実際すこし熱があるとみえて、床にはいるとすぐにうとうとと眠ったが、やがてまた眼がさめると、茶の間でお秋が何事をか話している声がきこえた。お秋が小声で母と語っているのであるが、襖ひとえの隣りであるから、寝ているお北の耳にも大抵のことは洩れきこえた。
「わたくしが薬屋へまいりますと、丁度お隣りのお安さんもお薬を買いに来ていまして、お隣りのお勝さんもやはり寝ておいでなさるそうで……」
「じゃあ、どっちも夜ふかしをして風邪を引いたのだね」と、お由は云った。
「いいえ、それが可怪いので……」
お秋はさらに声を低めたが、とぎれとぎれに聞える話の様子では、かの白い蝶の一件について訴えているらしい。いずれにしても、お勝も床に就いたのである。
「まあ、そんなことがあったのかえ。お北はなんにも云わないで、わたしはちっとも知らなかったが……」と、お由は不安らしく云った。「そうすると、お勝さんもお北もただの風邪じゃあ無いのかしら」
それから後は又もや声が低くなったが、やがてお秋が台所へさがり、お由は発って父の居間へ行ったらしかった。そのうちに、お北は又うとうとと眠ってしまったので、その後のことは知らなかったが、ふたたび眼をさますと、もう日が暮れていた。
このごろの癖で、夕方から又もや寒い風が吹き出しらしく、どこかの隙間(すきま)から洩れて来る夜の風が枕もとの行燈(あんどう)の火を時どきに揺らめかしていた。
お北が枕から顔をあげると、行燈の下(もと)には母のお由がやはり不安らしい顔色をして、娘の寝顔を窺うように坐(すわ)っていた。
「どうだえ、心持は……」と、お由はすぐに訊いた。「少しは汗が取れましたかえ」
云われて気がつくと、お北の寝巻は汗でぐっしょりと濡(ぬ)れていた。母は手伝って寝巻を着かえさせて、娘をふたたび枕に就かせたが、十分に汗を取ったせいか、お北の頭は軽くなったように思われた。それを聴いて、お由はやや安心したように首肯(うなず)いたが、やがて又ささやくように話し出した。
「それはまあよかった。実はわたしも内々心配していたのだよ。どうも唯の風邪じゃ無いらしいからね。おまえの寝ているあいだに、おとなりの黒沼の小父さんが来て……」
「お勝さんも悪いんですってね」と、お北も低い声で云った。
「今朝までは何ともなかったのだが、お午(ひる)ごろから悪くなって、やっぱりお前と同じように、風邪でも引いたような工合(ぐあい)で寝込んでしまったのだが、それには仔細(しさい)があるらしいと云うので、黒沼の小父さんが家へ聞きあわせに来なすったのだよ。ゆうべの歌留多の帰りに、目白下のお寺の前で、白い蝶々を見たと云うが、それは本当かと云うことだったが、お前も病気で寝ているから、あとでよく訊いておくと返事をして置いたのさ。そうすると黒沼の小父さんは、それでは又来ると云って出て行ったが、その足で音羽の通りへ出て、あの水引屋の――市川屋の店へ行って、職人の源蔵に逢(あ)って、何かいろいろ詮議(せんぎ)をした末に、源蔵を案内者にして、お寺の方まで行ったのだとさ」
黒沼伝兵衛は娘の病気から白い蝶の一件を聞き出したが、元来そういうたぐいの怪談を信じない彼は、一応その虚実を詮議するために、そのとき一緒に道連れになったという市川屋の源蔵をたずねたのである。その結果を早く知りたいので、お北は忙がわしく訊いた。
「それからどうして……」
「あの小父さんのことだからね」とお由は少しく笑顔を見せた。「なんでも源蔵を叱るように追いまわして、その蝶々を見たのはどの辺かということを厳重に調べたらしい。蝶々は生垣をくぐってお寺の墓場へ飛んで行ったと云うので、今度はお寺へはいって墓場をいちいち見てあるいたが、別にこれぞという手がかりも無く、蝶々の死骸らしい物も見付からなかったそうだよ。それでもまだ気が済まないと見えて、黒沼の小父さんはお寺の玄関へまわって、坊さんにも逢って、白い蝶々について何か心あたりはないかと問合せてみたが、お寺の方ではなんにも知らないと云うので、とうとう思い切って引揚げてきたそうだが……。なにしろ不思議なこともあるものさね。おまえも本当にその蝶々を見たのかえ」
もう隠してもいられなくなって、お北はゆうべの一件を母に打明けると、お由の顔はまた陰(くも)った。若い娘たちが夜ふかしをして、夜道をあるいて、ふたりが同時に風邪を引いた。――そんなことは一向にめずらしく無いのであるが、それに怪しい蝶の一件が絡んでいるだけに、二人の病気には何かの因縁があるように思われないでもなかった。
「家(うち)のお父さんはね」と、お由はまた云った。「ああいう人だから、今度のことについて別に噓だとも本当だとも云わないけれど、わたしはなんだか気になって……。もしやお前が悪くでもなっては大変だと、内々案じていたのだが、この分じゃ仔細も無さそうだ。それにしても、お勝さんの見舞いながらお隣りへ行って、おまえも確かにその蝶々を見たと云うことを、小父さんに話して来なければなるまい。わたしはこれからちょっと行ってきますよ」
お由は有合せの菓子折か何かを持って、すぐに隣りへ出て行った。その留守に、お北は妹を枕もとへ呼んで、ゆうべの夢のことに就いてさらに詮議すると、お年は確かに姉さんが白い蝶々になった夢をみたと云った。子供の夢ばなしなど、ふだんはほとんど問題にもならないのであるが、今のお北に取っては何かの意味ありげにも考えられた。彼女はなんだか薄気味悪くなって、この部屋のどこにか蝶の白い影が迷っているのでは無いかと、寝ながらに部屋の隅ずみを見まわした。
半時ばかりの後に、お由は帰って来て、娘の枕もとで又こんなことを囁(ささや)いた。
「おまえと違って、お勝さんはどうも容態(ようだい)がよくないようで、丁度お医者を呼んで来たところさ。お医者は質(たち)の悪い風邪だと云ったそうだけれど、小父さんはよっぽど心配しているようだったよ」
「小父さんは何と云っているのです」
「黒沼の小父さんはまだ本当にはしていないらしいのだがね。それでも自分の娘が悪くなったし、お前も確かにその蝶々を見たと云うのだから、少し不思議そうに考えているようだったが……。黒沼の小父さんの話では、それがもう町方(まちかた)の耳にもはいって、内々で探索をしていると云うことだから、嘘か本当かは自然と判るだろうけれど……。まあ当分は日が暮れてから外へ出ないに限りますよ。姉さんばかりじゃない、お年も気をおつけなさい」
娘たちを戒めて、その晩は早く寝床に就いたが、表に風の音がきこえるばかりで、ここの家には何事もなかった。明くる朝はお北の気分もいよいよ好くなったが、それでも用心してもう一日寝ていることにしたので、弟の長三郎が代って門前を掃きに出ると、隣りの黒沼には男の子がないので、下女のお安が門前を掃いていた。
ここで長三郎は、お安の口からさらに不思議なことを聞かされた。
ゆうべの夜なかに、病人のお勝が苦しそうな唸り声をあげたので、父の伝兵衛が起きて行って窺うと、お勝の部屋には灯火(あかり)を消してあって、一面に暗いなかに小さい白い影が浮いて見えた。それは白い蝶である。蝶は羽をやすめてお勝の衾(よぎ)の上に止まっている。伝兵衛は床の間の刀を取って引っ返して来て、まずその蝶を逐(お)おうとしたが、蝶はやはり動かない。伝兵衛は刀の鞘(さや)のままで横に払うと、蝶はひらひらと飛んで自分の寝巻の胸にはいった。
伝兵衛は妻のお富(とみ)を呼び起して手燭(てしょく)をともさせ、寝巻を払って検(あらた)めたが、どこにも蝶の影はみえなかった。あなたの眼のせいでしょうとは云ったが、お富も一種の不安を感じないでもなかった。お勝をゆり起して訊いてみたが、お勝は別におそろしい夢に魘されたのでも無く唯うとうとと眠っていて何事も知らないと云った。
話は単にそれだけのことで、しょせんは伝兵衛の眼の迷いと云うことに帰着してしまったのであるが、場合が場合だけに、どの人の胸にも消えやらない疑いが残っていた。臆病(おくびょう)なお安は頭から衾を引っかぶって夜の明けるまでおちおちとは眠られなかった。
「黒沼の小父さんも年を取ったな」と、長三郎はその話を聴きながら、肚(はら)のなかで笑った。ふだんはそんな怪談をあたまから蹴散(けち)らしていながら、いざとなれば心の迷いからそんな怪しみを見るのである。年を取ったといっても、四十を越してまだ間もないのに、人間はそんなにも弱くなるものかなどとも考えた。
「そんな事は誰にも話さない方がいい。わたしも黙っているから」と、長三郎はお安に注意するように云った。「ええ。誰にも云っちゃあならないと、御新造さまからも口止めされているんです」と、お安も云った。
口止めされながら、すぐに他人にしゃべってしまうのである。長三郎は若い下女の口善悪(くちさが)ないのを憎みながらいい加減にあしらって家へはいった。そうして、朝飯を食ってしまってから、素知らぬ顔で隣りの家へ見舞にゆくと、お勝の容態はやはり好くないらしかった。
「姉さんは……」と、母のお富が訊いた。
「姉はもう好くなりまして、きょう一日も寝ていたらば起きられるでしょう」
「それは仕合せでしたな。家のむすめはまだこの通りで……」
「ご心配ですね」
そんな挨拶をしているうちに、主人の黒沼伝兵衛が奥から出て来た。
「長さん。こっちへ来てくれ」
長三郎を自分の居間へ呼び入れて、伝兵衛は徐(しず)かに云い出した。
「若い者の手前、まことに面目のないことだが、ゆうべは少し失策(しくじり)をやったよ」
「どんなことですか」
長三郎はやはり素知らぬ顔をしていると、伝兵衛は自分の口から白い蝶の話をはじめた。それはさっきお安が長三郎に洩らしたと同じ出来事であった。伝兵衛は正直にゆうべの失策を打明けた後に、みずからを嘲(あざけ)るように苦笑いをした。
「わたしも小身ながら武士の端くれだ。世に不思議だの、妖怪(ようかい)だのと云うものがあろうとは思ってはいない。怪力乱神を語らずとは、孔子(こうし)も説いている。かの白い蝶の一件は、先日も白魚河岸の親類が来て、何か家内に話して行ったそうだが、わたしは別に気にも掛けずにいた。いや、まったくばかばかしい話だと思っていたのだ。ところが、おとといの晩は家(うち)のお勝も見た。おまえの姉さんも見たと云う。まだそればかりでなく、あの水引屋の――職人の源蔵も見たと云う。源蔵は正直者で、むやみに嘘を云うような男でもない。してみると、これには何かの仔細があるらしくも思われる。就いては、物は試しだ。わたしは今夜、目白坂の辺へ行って、果してその白い蝶が飛ぶかどうかを探索してみようと思うのだが、どうだ、お前も一緒に行ってみないか」
その頃の若侍のあいだには「胆(きも)だめし」と唱えて、あるいは百物語を催し、あるいは夜ふけに墓場へ踏み込み、あるいは獄門首の晒(さら)されている場所をたずうねる、などの冒険めいた事がしばしば行なわれていた。伝兵衛が長三郎を誘ったのも、その意味である。長三郎の通っている剣術の道場でも、これまで往々にそんな催しがあったが、彼はまだ十五歳の前髪であるので、とかくにその仲間から省かれがちであるのを、彼はふだんから残念に思っていた。その矢先へ、この相談を持ち掛けられたのであるから、長三郎はよろこんで即座に承諾した。彼はぜひ一緒に連れて行ってくれと答えると、伝兵衛は然(さ)もこそと云うようにうなずいた。
「むむ。お前ならばきっと承知するだろうと思った。では、今夜の五ツ頃(午後八時)から出かけることにしよう。だが、親父やおふくろが承知するかな」
「夜学に行くことにして出ます」
長三郎は護国寺(ごこくじ)門前まで漢籍の夜学に通うのであるから、両親の手前はその夜学にゆくことにして怪しい蝶の探索に出ようと云うのである。その相談が決まって、彼は威勢よく我が家へ帰った。
「あなたはともかくも、年の若い長(ちょう)さんなぞを連れ出して、なにかの間違いがあると困りますよ」と、妻のお富は不安そうに云った。
「なに、あいつは年が行かないでも、なかなかしっかりしているから、大丈夫だよ」
伝兵衛は笑っていた。


二十日正月というその日も暮れて、宵闇(よいやみ)の空に弱い星のひかりが二つ三つただよっていた。今夜も例のごとく寒い風が吹き出して、音羽の大通りに渦巻く砂をころがしていた。
「寒い、寒い。この正月は悪く吹きゃあがるな。ほんとうに人泣かせだ」
この北風にさからって江戸川橋(えどがわばし)の方角から、押合うように身を摺りつけて歩いて来たのは、二人の中間(ちゅうげん)である。どちらも少しく酔っているらしく、その足もとが定まらなかった。
「いくら寒くっても、ふところさえ温(あった)かけりゃあ驚くこともねえが、陽気は寒い。ふところは寒い。内そとから責められちゃあ遣り切れねえ」と、ひとりが云った。
「まったく遣り切れねえ」と、他のひとりも相槌(あいづち)を打った。
「仕方がねえ。叱られるのを承知で、また御用人を口説くかな」
「いけねえ、いけねえ。うちの用人と来た日にゃあとてもお話にならねえ。それよりもお近(ちか)に頼んだ方がいい。たんとの事は出来ねえが、一朱や二朱ぐれえの事はどうにかしてくれらあ」
「お近に……。おめえ、あの女に借りたことがあるのか」
「ほかの者にゃあどうだか知らねえが、おれには貸してくれるよ」
「まさか情夫(いろ)になった訳じゃあるめえな」
「いろになってくれりゃあいいが、まだそこまでは運びが付かねえ」
「それにしても、不思議だな。あの女がおめえに金を貸してくれると云うのは……。どうして貸してくれるんだよ」
「はは、それは云えねえ。なにしろ、おれには貸してくれるよ。おれが口説けば、お近さんは貸してくれるんだ」
「それじゃあ。おれも頼んでみようかな」
「馬鹿をいえ。おめえなんぞが頼んだって、四文(しもん)も貸してくれるものか。はははははは」
こんなことを話しながら、押合ってゆく二人のうしろには、又ひとつ黒い影が付きまとっていた。音羽の七丁目から西へ切れると、そこに少しばかりの畑地がある。そこへ来かかった時に、むこうから拍子木の音が近づいて、火の番の藤助の提灯がみえた。
「今晩は」と、藤助がまず声をかけた。
「やあ、ご苦労だな」と、中間のひとりが答えた。「べらぼうに寒いじゃあねえか」
「お寒うございますな」
「いくら廻り場所だって、こんなところを正直に廻ることもあるめえ。ここらにゃあ悪い狐がいるぜ」と、他のひとりが笑いながら云った。
「なに、狐の方でもお馴染(なじみ)だから大丈夫ですよ」と、藤助も笑いながら云った。「おまえさんがたは今夜もご機嫌ですね」
「あんまりご機嫌でもねえ。無けなしの銭でちっとばかしの酒を飲んで、これから帰ると門番に文句を云われて、御用人に叱られて、どうで碌(ろく)なことじゃあねえのさ」
「そう云っても、こいつにはお近さんと云ういい年増(としま)が付いている。だから仕合せだよ」
「ええ、つまらねえことを云うな」
「お近さん・・・…」と、藤助の眼は暗いなかで梟(ふくろう)のように光った。「お近さんと云うのは、お屋敷のお近さんですかえ」
「むむ、そうだ」
中間はなま返事をして、そのまま歩き出した。
他のひとりの続いて行った。藤助はまだ何か訊きたそうな様子で、ふた足ばかり行きかけたが、また思い直したらしく、中間どものうしろ姿を見送ったばかりで引返して大通りへ出ようとする時、彼は何にか驚かされたように、俄(にわか)に畑のかたを見返ると、そこには小さく蹲(うずく)まっている物があった。それは狐(きつね)ではない。人であるらしかった。
人は這(は)うように身を屈(かが)めて、畑から往来へ忍び出たかと思うと、草履の音を盗んで、かの中間どものあとを追って行くらしかった。それと同時に、藤助の提灯の火は風に吹き消されたのか、わざと吹き消したのか、たちまちに暗くなった。彼もまた抜き足をして、その黒い影のあとを追って行った。
一方にこういう事のあるあいだに、また一方には目白坂下の暗い寺門前に、二つの暗い影がさまよっていた。それは黒沼伝兵衛と瓜生長三郎で、かれらは昼間の約束通りに、白い蝶の正体を見とどけに来たのである。長三郎は小声で云った。
「小父さん。この辺ですね」
「この辺だ。きのう源蔵に案内させて、よく調べて置いた。蝶々はあの生垣をくぐって、墓場へ舞い込んだと云うことだ」と、伝兵衛は暗いなかを指さした。
「毎晩ここらへ出るのでしょうか」
「それは判らない。まあ、ここらに網を張っているよりほかはあるまい。風を避(よ)けるために、この門の下にはいっていろ」
「なに、構いません。わたしはそこらへ行って見て来ましょうか」
「むむ。犬もあるけば棒にあたると云うこともある。ただ突っ立っているよりも、少し歩いてみるかな」
「小父さんはここに待合せていて下さい。わたしがそこらを見廻って来ます」
云うかと思うと、長三郎は坂の上へむかって足早にあるき出した。風はなかなか吹きやまないで、寺内の大きい欅(けやき)の梢(こずえ)をひゅうひゅうと揺すって通ると、その高い枝にかかっている破紙鳶(やれだこ)が怪しい音を立ててがさがさと鳴った。
強い風をよけながら、暗いなかに眼を配って、長三郎は坂の上まで登り切ると、とある屋敷の横町から提灯の灯がゆらめいて来た。どこをどう廻って来たのか知らないが、火の番の藤助はここへ出て来たのである。彼は拍子木を鳴らしていなかったが、その提灯のひかりで長三郎は早くも彼を知った。
「おい、火の番。今夜はここらで蝶々の飛ぶのを見なかったかね」と、長三郎は近寄って声をかけた。
「おお、瓜生の若旦那(わかだんな)ですか」と、藤助は少しく提灯をかざして、長三郎のすがたを透かし視(み)た。「あなたは蝶々を探しておいでなさるんですか」
「おとといの晩、うちの姉さんがここらで白い蝶を見たと云うから、わたしも今夜さがしに来たのだ。おまえも見たことがあるそうだね」
藤助はそれに答えないで、また訊いた。
「その蝶々を探して、どうなさるんです」
「どうと云うことも無いが、その蝶々が何だか可怪いから、捉(つか)まえて見ようと思うのだ」
「つかまえて……どうなさるんです」
「ただ、つかまえるだけの事だ」と、長三郎はその以上のことを洩らさなかった。
「それならばおやめなさい」と、藤助は諭すように云った。「白い蝶の飛ぶことはあります。寒い時に蝶々が飛ぶ。……考えてみれば不思議ですが、それには又なにかの仔細があるのでしょう。お武家のあなたがたがそんなことにお係り合いになさらぬ方がよろしいんです」
「いや、少し訳があるので係り合うのだ。それで、おまえは今夜も見たのか」
藤助は首を振った。
「その蝶々の飛ぶのは、ここらに限ったことじゃありません。毎晩きっとここらへ出ると決まっているんじゃありませんから、探してお歩きなすっても無駄なことですよ。今夜はあなたお一人ですか。それともお連れがあるんですか」
なんと答えてよいかと、長三郎はやや躊躇(ちゅうちょ)したが、やがて正直に云った。
「実は黒沼の小父さんと一緒に来たのだ」
「黒沼の旦那……」と、藤助は冷やかに云った。「その旦那はどこにおいでです」
「坂下の門前に待っているのだ」
「はあ、そうですか」
藤助の声はいよいよ冷やかにきこえたばかりでなく、提灯の火に照らされたその顔には冷やかな笑いさえ浮かんだ。
「今も申す通り、ここらを探しておいでになっても、白い蝶々はめったに姿を見せやあしませんよ。風邪でも引かないうちに、早くお引揚げになった方が、よろしゅうございましょう」
彼はこう云い捨てて、軽く会釈したままで立去ったが、長三郎はまだそこにたたずんでいた。
拍子木の音は坂を横切って、向う横町の方へだんだんに遠くなるのを聞きながら、長三郎は考えた。藤助の話によると、白い蝶は毎晩ここらに出ると限ったわけでも無いと云う。それは自分も覚悟して来たのであるが、ここらを毎晩廻っている火の番がそういう以上、めったに姿を見せない蝶をたずねて、いつまでも寒い風のなかに徘徊(はいかい)しているのは、なんだかばかばかしいようにも思われて来た。
「いっそ小父さんに相談して来ようか」
彼は引返そうとして、また躊躇した。折角ここまで踏み出して来ながら、まだ碌々の探索もしないで引っ返しては気怯(きおく)れがしたようにでも思われるかも知れない。長三郎は意気地なしであると、黒沼の小父さんに笑われるのも残念である。ともかくも、もう少し歩いてみた上での事だと、長三郎は思い直して又あるき出したが、闇のなかには彼の眼をさえぎる物もなかった。
まだ五ツ半(午後九時)を過ぎまいと思われるのに、ここらの屋敷町はみな眠ってしまったように鎮まっていた。ただ聞えるのは風の音ばかりである。
長三郎はあても無しにそこらを一巡して、坂の上まで戻って来ると、だんだんに更けてゆく夜の寒さが身に沁み渡った。
「小父さんも待っているだろう」
もうこのくらいで引返してもよかろうと思って、長三郎は坂を降りた。もとの寺門前へ来かかった時に、彼は俄に立停まって、口のうちであっと叫んだ。大きい白い蝶が闇のなかにひらひらと飛んでゆくのを見たのである。彼は眼を据えて、その行くえを見定めようとする間に怪しい蝶の形はたちまち消えるように隠れてしまった。
早くそれを小父さんに報告しようと、彼は足早に門前へ進み寄ったが、そこに伝兵衛のすがたは見いだされなかった。わたしの帰りの遅いのを待ちかねて、小父さんもどこへか出て行ったのかと、長三郎は暗い門前を見まわしているうちに、その足は何物にかつまずいた。それが人でもあるようにも思われたので、彼はひざずいて探ってみると、それは確かに人であった。しかも大小を差していた。
長三郎ははっと思って、慌(あわ)ててその人を抱え起した。
「小父さんですか。黒沼の小父さん。……小父さん」
人はなんとも答えなかった。しかもそれが伝兵衛であるらしいことは、暗いなかにも大抵は推察されたので、長三郎はあわててまた呼びつづけた。
「小父さん……小父さん……。黒沼の小父さん」
そこ声を聞き付けたらしく、どこからか提灯の灯があらわれた。それは火の番の藤助である。彼は提灯をかざして近寄った。
「どうかなすったんですか」
「あかりを見せてくれ」と、長三郎は忙がわしく云った。
その灯に照らされた人は、まさしく黒沼伝兵衛であった。彼は刀の柄(つか)に手をかけたままで、息が絶えていた。慌てながらもさすがは武家の子である。長三郎はその死骸(しがい)を引起して身内をあらためたが、どこにも斬傷(きりきず)または打傷らしい痕(あと)も見いだされなかった。
「早く水を持って来てくれ」と、長三郎は藤助を見かえった。
藤助は提灯をかざしたままで、ただ黙って突っ立っているので、長三郎は焦れるようにまた云った。
「おい。この寺へ行って、早く水を貰って来てくれ」
「寺はもう寝てしまいましたよ」と、藤助は徐かに云った。
「それじゃあ井戸の水を汲(く)んで来てくれ」
「水を飲ませたぐらいで、生き返るでしょうか」
「なんでもいいから、早く水を汲んで来い」と、長三郎は叱り付けるように叫んだ。
藤助は無言で寺の門内へはいった。提灯は彼と共に去ってしまったので、門前はもとの闇にあけった。その暗いなかで、長三郎は黒沼の小父さんの死骸をかかえながら、半分は夢のような心持で、氷った土の上に小膝(こひざ)をついていた。
その夢のような心持のなかでも、彼はかんがえた。小父さんが急病で仆(たお)れたので無いことは、刀の柄に手をかけているのを見ても判っている。小父さんは何物にか出会って、刀をぬく間もなしに仆れたのであろう。長三郎はかの白い蝶を思い出した。自分はたった今、こちらで怪しい蝶の影をみたのである。小父さんはかの蝶のために仆されたのではあるまいか。長三郎は一種の恐怖を感ずると共に、また一方にはおさえがたい憤怒(ふんぬ)が胸をついた。
「畜生、おぼえていろ」
彼は肚のなかで叫びながらあたりの闇を睨((にら)んでいるとき、藤助の提灯の灯が鬼火のように又あらわれた。彼は片手に小さい手桶(ておけ)をさげていた。
血のめぐりが悪いのか、あるいは意地が悪いのか、こういう場合にも彼はさのみに慌てている様子もみせず、いつもの足取りで徐かに歩いて来るらしいのが、又もや長三郎を焦燥(いらだ)たせた。
「おい。早く……早く……」
呶鳴(どな)り付けられても、彼はやはり騒ぎもせず、無言で門へ出て来ると、長三郎は引ったくるようにその手桶を受取った。手桶には柄杓(ひしゃく)が添えてあるので、長三郎はその柄杓に水を汲んで、伝兵衛の口にそそぎ入れた。
「小父さん……小父さん……。しっかりして下さい」
伝兵衛は答えなかった。柄杓の水も喉(のど)へは通らないらしかった。それが当然であると思っているかのように、藤助は黙って眺めていた。
「仕方がない。寺へ連れ込んで、医者を呼ぼう」と、長三郎は柄杓を投げ捨てながら云った。
藤助はやはり無言で立っていた。どこかで梟の声がきこえた。


黒沼伝兵衛の死骸は寺内へ運び込まれた。とかくに落着き顔をしている火の番の藤助を追い立てるように指図して、長三郎は近所の医者を迎えにやった。近所といっても四、五町は距(はな)れているので、藤助はすぐに帰って来ない。そのあいだに、寺僧も手伝っていろいろ介抱に努めたが、伝兵衛の死骸は氷のように冷えて行くばかりであった。
「お気の毒なことでござるな」と、住職ももう諦(あきら)めたように云った。
長三郎は無言で溜息(ためいき)をついた。飛んだことになってしまったと、今夜の企てを今さら悔むような心持になった。しかもそんな愚痴を云っている場合ではない。しょせん蘇生の望みがないと諦めた以上、医者の来るのを待っているまでもなく、一刻も早く黒沼の家へ駈(か)け付けて、この出来事を報告して来なければなるまいと思ったので、彼は死骸の番を寺僧に頼んで表へ出た。
寺では提灯を貸してくれたので、長三郎はそれを振り照らして出たが、風が強いのと、あまりに慌てて駆け出した為に、寺の門を出てまだ三、四間も行き過ぎないうちに、提灯の灯はふっと消えてしまった。また引っ返すのも面倒であるので、さきを急ぐ長三郎は暗いなかを足早に辿(たど)って行くと、どこから出て来たのか、突き当らんばかりに、ひとりの男が小声で呼びかけた。
「あ、もし、もし……」
不意に声をかけられて、長三郎はぎょっとして立停まったが、相手のすがたは闇につつまれて見えなかった。
「あのお侍さんは死にましたか」と、男は訊いた。
なんと答えていいかと、長三郎はすこし躊躇していると、男は重ねて云った。
「あのかたは何と仰(おっ)しゃるんです」
長三郎はこれにも答えることは出来なかった。黒沼伝兵衛が往来なかで訳のわからない横死を遂げたなどと云うことが世間に洩れきこえると、あるいは家断絶と云うような大事になるかも知れに阿のであるから、迂闊(うかつ)な返事をすることは出来ない。殊に心の急(せ)いている折柄、こんな男に係り合っているのは迷惑でもあるので、彼は無愛想に答えた。
「そんなことは知らない」
「お若いかたですか」
「知らない、知らない」
云い捨てて長三郎は又すたすたと歩き出すと、男は執念ぶかく付いて来た。
「それから、あの……」
まだ何か訊こうとするらしいので、長三郎は腹立たしくなった。それには云い知れない一種の不安も伴って、彼は無言で逃げるように駈け出した。暗闇を駈けて、音羽の大通りの角まで来ると、彼はまた何者にか突きあたった。
「瓜生さんの若旦那ですか」と、相手は声をかけた。
それは藤助である。彼の持っている提灯も消えているらしい。
「医者は……」と、長三郎はすぐに訊いた。
「もう寝ているのをたたき起しました。あとから参ります」
「じゃあ。頼むよ」
長三郎はそのまま駈けつづけて、自分の組屋敷へ帰った。もうこうなっては親たちに隠して置くことは出来ない。あとでどんなに叱られるにしても、万事を正直に報告しておかなければならないと思ったので、彼はまず自分の家へ立寄ると、父も母も意外の報告におどろかされた。父の長八は慌てて身支度をして忰(せがれ)と一緒に表へ飛び出した。
二人はとなりの黒沼の門を叩(たた)くと、妻のお富も娘のお勝も玄関に出て来た。かれらも意外の報告におどろかされて、すぐにその場へ駈け付けることになった。主人のほかには男のない家であるから、お富とお勝が出て来た。
男ふたりと女ふたり、四つの提灯の灯は夜風にゆらめきながら、凍った道を急いで目白坂下へゆき着くと、かれらよりも先に医者が来ていた。医者はもう蘇生の見込みはないと云った。
しかし伝兵衛の死因は不明であった。身内になんの疵(きず)らしいものも見いだされず、さりとて急病とも思われず、まことに不思議の最後であると、医者も首を傾(かし)げていた。刀に手をかけていたのを見ると、なにか怪しい物にでも出会って、異常の驚愕(きょうがく)か恐怖のために心の臟を破ったのではあるまいかと、医者は覚束(おぼつか)なげに診断した。寺の住職も、まずそんなことであろうと云った。長八親子は途方に暮れたように歎息した。お富親子は泣き出した。
「さて、これからだ」
長八は膝に手を置いて、その太い眉(まゆ)を陰(くも)らせた。長三郎も薄うす危ぶんでいた通り、これが表向きになると黒沼の家に疵が付かないとも限らない。死んだ者は余儀ないとしても、その家の跡目が立たないようでは困る。長八は差し当りその善後策を考えなければならなかった。
この時代の習いとして、こういう場合には本人の死を秘(かく)して、娘に急養子をする。そうして、まず養子縁組の届をして置いて、それから更に本人急死の届けを出すことになる。一面から云えば、まことに見え透いた機関(からくり)ではあるが、組頭のその情を察して大抵はその養子に跡目相続を許可することになっている。今度の事件もその方法によって黒沼家の無事を図るのほかは無い。
「あとあとのこともいろいろござるに因って、今夜のことはなにぶん御内分に……」と、長八は住職と医者に頼んだ。かれらもその事情を察しているので、異議なく承知した。
医者は承知、寺の方も住職が承知した以上、他の僧らも口外する筈(はず)はあるまい。残るは火の番の藤助である。彼にも口留めをして置く必要があるので、長八は忰に云いつけて藤助を探させたが、その姿は見えなかった。
寺の話によると、彼は医者を迎えに行ったままで帰らないと云う。彼は医者の門を叩いて急病人のあることを報(しら)せ、その帰り途(みち)で長三郎に出逢ったことまでは判っているが、それから寺へも帰らずにどこへ行ってしまったのかと人びとも少しく不審をいだいたが、この場合、その詮議に時を移してもいられないので、長八は住職と相談の上で近所の駕籠(かご)を呼ばせ、急病人の体(てい)にして伝兵衛の死骸を運び出すことにした。
そうした秘密の処置を取るには、暗い夜更けが勿怪(もっけ)の仕合せであった。
これでまず死骸の始末は付いたが、長八の一存で万事を取計らうわけにも行かないので、彼は組じゅうでも特別に親しくしている四、五人に事情を打明けて、とりあえず急養子の手続きを取ることになった。
前にも云う通り、黒沼の親戚の吉田幸右衛門(こうえもん)と云うのは京橋の白魚河岸に住んで、白魚の御納屋に勤めている。その次男の幸之助(こうのすけ)はことし二十歳(はたち)で、行くゆくは黒沼の娘お勝の婿(むこ)になるという内相談も出来ていたのであるから、この際早速にその縁組を取結ぶことにした。勿論、それについてお富にもお勝にも異存はなかった。吉田の家でも不慮の出来事におどろくと共に、当然の処置として幸之助の養子縁組をこころよく承諾した。
すべての手続きはとどこおりなく運ばれて、黒沼の家には何のさわりもなく幸之助がその跡目を相続することになったので、関係者一同もまずほっとした。伝兵衛の死も表向きは急死という届け出(で)になっているのであるから、死骸の検視のことも無くて、そのまま菩提寺(ぼだいじ)へ送られた。
こうして、この奇怪なる事件も闇から闇へ葬られてしまったが、解けやらない疑いの雲は関係者の胸を鎖(とざ)していた。長三郎は飛んだことに係り合った為に、勿論その両親から厳しく叱られたが、今さら取返しの付かないことである。それよりも気にかかるのはかの藤助の身の上で、万一その口から当夜の秘密を世間に拡められては面倒である。長八はその翌朝、長三郎を遣わして藤助の在否をさぐらせたが、彼はゆうべから戻らないと云うので、むなしく引返して来た。
「どうもおかしいな」
長八はきょうもそれを云い出した。伝兵衛の葬式(とむらい)を済ませた翌日の朝である。かの一件以来、寒い風が意地悪く毎日吹きつづけていたのであるが、けさはその風も吹きやんで俄に春めいた空となった。長八が自慢で飼っている鶯(うぐいす)も、朝から籠(かご)の中で啼(な)いていた。
「もう一度、行ってみましょうか」と、長三郎は父の顔色をうかがいながら云った。
「むむ。あの晩ぎりで、藤助の行くえが知れないと云うのは、どう考えても可怪い。あいつも殺されたのかな」
「さあ」と、長三郎もかんがえた。「殺されたのでしょうか」
「殺されたかも知れないぞ」
「それならば、どこからか、死骸が出そうなものですが……」
「それもそうだが……。と云って、子細もなしに姿を隠す筈もあるまい。係り合いを恐れたかな」
黒沼伝兵衛の横死について、自分もその場に居合せた関係上、なにかの係り合いになることを恐れて逃げ去ったかとも思われるが、自分ひとりでなく、その場には長三郎も立会っていたのであるから、我が身に曇りのない申開きは出来る筈である。女子供では無し、分別盛りの四十男がそれだけの事で姿を隠そうとも思われないが、案外の小胆者でただ一途(いちず)に恐怖を感じたのかも知れない。いずれにしてももう一度詮議して置く必要があると、長八は思った。
「では、行って見て来い。やはり帰らないようであったら、近所の者にも訊いてみろ。だが、よく気をつけてこちらの秘密を覚(さと)られるなよ」
「承知しました」
長三郎はすぐに表へ出てゆくと、一月末の空はいよいようららかに晴れて、護国寺の森のこずえは薄紅(うすあか)く霞んでいた。音羽の通りへ出ると、市川屋の職人源蔵に逢った。
「黒沼の旦那様は飛んだことでございましたね」と、源蔵は挨拶した。
「丁度いい所でおまえに逢った。火の番の藤助はこの頃どうしているね」と、長三郎は何げなく訊いた。
「いや、それが不思議で、この二十日正月の晩から行くえが知れなくなってしまったんです。近所でも心配しているんですが、まだ判りません」
火の番はいわゆる番太郎で、普通は自身番の隣りに住んで荒物屋などを開いているのであるが、この町の火の番は露路のなかに住んでいた。藤助も以前は表通りに小さい店を持っていたのであるが、三年前に女房に死に別れて、店の商いをする者がなくなったので、町内の人びとの諒解を得て、店は他人にゆずり自分は露路の奥に引っ込んで、やはり町内の雑用(ぞうよう)を勤めているのであった。
「藤助には娘があったね」と、長三郎はまた訊いた。
「お冬(ふゆ)という娘がございます」と、源蔵はうなずいた。「明けて十五で、人間もおとなしく、容貌(きりょう)もまんざらでないんですが、可哀そうに、子供のときに疱瘡(ほうそう)が眼に入ったもんですから、右の片眼が見えなくなってしまいました」
「その娘も心配しているだろうね」
「もちろん心配して、お神籤(みくじ)を引いたり、占いに見て貰ったりしているんですが、どうもはっきりした事は判らないようです」
これだけ聞けば、その上に詮議の仕様もないように思われたが、ともかくも藤助の家の様子を一応は見届けて帰ろうと思い直して、長三郎はその案内をたのむと、源蔵は咲に立って自身番に近い露地のなかへはいった。長三郎もあとに付いて、昼でも薄暗いような露路の溝板(どぶいた)を踏んで行った。
露路の入口は狭いが、奥にかなりに広い空地があって、ここら特有の紙漉場(かみすきば)なども見えた。藤助の家(うち)にも小さい庭があって、桃の木が一本立っていた。
「ふうちゃん、居るかえ」
源蔵は表から声をかけたが、内には返事が無かった。三度つづけて呼ぶうちに、その声を聞きつけて、裏の井戸端からお冬が濡れ手を前垂れで拭(ふ)きながら出て来た。
お冬は十五にしては大柄の方で、源蔵の云った通り、容貌はまず十人並以上の色白の娘であった。右の眼に故障があるか無いかは、長三郎にはよく判らなかった。
「お父(とっ)さんのたよりはまだ知れないかえ」と、源蔵は縁に腰をかけて訊いた。
お冬は無言で悲しそうにうなずいたが、源蔵のうしろに立っている前髪の侍をちらりと視たときに、彼女(かれ)は慌てたように眼を伏せた。
「この若旦那は瓜生さんと仰しゃって、このあいだ亡くなった黒沼さんのお屋敷の隣りにいらっしゃるのだ」と、源蔵はあらためて長三郎を紹介した。「お前のお父さんに逢って、なにか訊きたいことがあると云うので、ここへご案内して来たんだが、お父さんがまだ帰らねえじゃあ仕様がねえな」
お冬はやはり俯向いて黙っていた。藪(やぶ)うぐいすか籠の鶯か、ここでも遠く啼く声がきこえた。江戸と云ってもここらの春はのどかである。紙漉場の空地には、子供の小さい凧(たこ)が一つあがっていた。それを見かえりながら、源蔵はまた云い出した。
「だが、まあ、そのうちにはなんとか判るだろう。神隠しに逢ったにしても、大抵は十日か半月で帰って来るものだ。あんまり苦にしねえがいい」
こんなひと通りの気休めで満足したかどうだか知らないが、お冬はやはり黙っていた。そうして時どき若い侍の顔をぬすみ視ているらしいのが源蔵の注意をひいた。「ふうちゃん、煙草(たばこ)の火はねえかえ」
お冬は気がついたように起(た)ちあがって、煙草盆に消し炭の火を入れて来ると、源蔵は腰から筒ざしの煙草入れを取出して、一服喫(す)いはじめた。


ともかくも藤助一家の様子をも見とどけて、もうこの上に詮議の仕様もないと思い切った長三郎は、源蔵を眼で促して行きかかると、源蔵も早々に煙草入れをしまって起ちあがった。
「じゃあ、ふうちゃん、また来るからな」
お冬はやはり無言で会釈した。啞(おし)でも無いのになぜ始終黙っているのかと、長三郎はすこし不審に思ったが、深くも気に留めず表へ出ると、源蔵も続いて出て来た。「まったくあの娘も可哀そうですよ」
「そうだな」と、長三郎も同情するように云った。
「なにかまだほかに御用は……」と、源蔵は訊いた。
「いや、わたしももう帰る。忙がしいところを気の毒だったな」
「いえ、なに……。わたくしどもの店もこの頃は閑ですから、毎日ぶらぶら遊んでいます。忙がしいのは暮れの内で、正月になると仕事はありません」
「そうだろうな」
云いかけて、ふと見かえると、露路の入口にはお冬が立っていた。
彼女は濡れた前垂れの端を口にくわえながら、その片眼に何かの意味を含んでいるように、こちらをじつと窺っているらしかった。源蔵も気がついて見返ったが、別になんにも云わなかった。二人が道のまん中で別れるのを、お冬はしばらく見送っていたが、やがて足早に引返して露路へはいった。
長三郎は家へ帰って、ありのままに報告すると、父の長八はただ黙ってうなずいていた。この上は藤助が果して何者にか殺されたのか、あるいは無事にどこからか現われて来るか、自然にその消息の知れるのを待つほかは無かった。長八は忰に注意して、今後も油断なく藤助の安否を探れと云い聞かせておいた。
ことし十五歳で、まだ部屋住みの長三郎は、玄関に近い三畳の狭い部屋に机を控えていた。父の前をさがって、自分の部屋へ帰って、彼はふたたび藤助の身の上について考えた。
藤助は生きているか、死んでしまったか。それにつけて思い出されるのは、当夜の彼の行動である。自分の近所に住んでいる御賄組の武士(さむらい)が怪しい変死を遂げたのを見て、火の番の彼は当然おどろき騒ぐべき筈であるのに、案外に彼は落着いていた。落着いたと云うよりも、むしろ冷淡であるようにも見えた。長三郎が焦れて指図するので、彼はよんどころ無しに働いているようにも見えた。これは何かの仔細があるのではないかと、長三郎はかんがえた。
彼は長三郎に追い立てられて、渋しぶながら医者を呼びに行った。その帰り路で行くえ不明となったのである。そのほかにも、暗いなかで長三郎に突き当って、声をかけた者がある。彼は何者であろうか。心が急くので碌々に返事もせずに別れてしまったが、彼もこの事件に何かの関係がある者ではあるまいか。あるいは彼が藤助を捕えて行ったのか、あるいは藤助を殺して、その死骸をどこへか匿(かく)したのかと、長三郎はまた考えた。しかも暗がりの出来事であるから、その相手の人相や風俗はちっとも判らなかった。
黒沼伝兵衛の死――藤助の行くえ不明――暗がりの怪しい男――この三つを一つに結び付けていろいろに考えたが、何分にも世故(せこ)の経験に乏しい長三郎の頭脳(あたま)では、その謎(なぞ)を解くべき端緒を見いだし得なかった。
午(ひる)過ぎになって、となり屋敷の黒沼幸之助が来た。
「このたびは一方ならぬご厄介に相成りまして、なんともお礼の申上げようもございません」と、彼は長八に対して丁寧に挨拶した。
同じ組の者は他に幾人(いくたり)もあるが、瓜生家とは隣り同士でもあり、多年特別に懇意にしていた関係上、今度の一件について長八が最も尽力したのは事実であった。
「いや、あなたこそ何かとお疲れでしたろう」と、長八も会釈した。
どこの家(うち)でも葬式などは面倒なものである。まして急養子の身の上で、家内の勝手もわからず、組内の人びとの顔さえも碌々に知らない幸之助が、一倍の気苦労をしたことはよく察せられるので、長八もその点には同情していた。お疲れでしたと云う言葉も、形式一遍の挨拶ではなかった。
「有難うございます。おかげさまで、どうにか滞(とどこお)りなく片付きました」と、幸之助はふたたび挨拶した。
「そこで、御新造は……」
「まだ臥(ふ)せって居ります」
お勝は病中であるにも拘らず、父の急変に驚かされて、母と共に現場へ駈け着けたばかりか、その翌日も無理に起きていたので、病気はいよいよ重くなった。彼女は母のお富と、新しい婿の幸之助とに看病されて、その後も床に就いているのである。彼女は父の葬式に列(つら)なることも出来なかった。葬式やら、病人やら、黒沼家の混雑は思いやられて、長八はますます同情に堪えなかった。
「就きましては、明日は初七日(しょなのか)の逮夜(たいや)に相当いたしますので、心ばかりの仏事を営みたいと存じます。ご迷惑でもございましょうが、ご夫婦とご子息にご列席を願いたいのでございますが……」
「いや、それはご丁寧に恐れ入ります。一同かならず御焼香に罷(まか)り出でます」と、長八は答えた。
これで正式の挨拶も終ったところへ、娘のお北が茶を運んで来た。まだ馴染の浅い仲とは云いながら、客と主人は打解けて話し出した。
「ご承知でございますか、護国寺前の一件を……」と、幸之助はお北のうしろ姿を見送りながら、少しく声を低めた。
「護国寺前……。何事か、一向に知りません」と、長八は茶を喫(の)みながら云った。「白い蝶でもまた出ましたか」
「そうでございます」と、幸之助はうなずいた。
「え、ほんとうに出ましたか、白い蝶が……」
「護国寺前……東青柳町(ひがしあおやぎちょう)に野上佐太夫(のがみさだゆう)というお旗本がありますそうで……。わたくしは昨今こちらへ参りましたのでよくは存じませんが、三百石取りのお屋敷だとかうけたまわりました。昨夜の五ツ(午後八時)過ぎに、大塚仲町(おおつかなままち)辺の町家の者は二人連れで、そのご門前を通りかかりますと、例の白い蝶に出逢いましたそうで……」
「ふうむ」
長八は唸るような溜息をつきながら、相手の顔をながめていると、幸之助はさらに説明した。
その二人連れは大塚仲町の越後屋(えちごや)という米屋の女房と小僧で、かの野上の屋敷の門前を通り過ぎようとする時に、暗闇のなかから一羽の蝶が飛び出した。そうしてひらひらと女房の眼のさきへ待って来ると、女房は声も立てずにその場に悶絶(もんぜつ)した。小僧は途方に暮れてうろうろしているところへ、幸いに通り合わせた人があったので、共どもに介抱して近所の辻番所(つじばんしょ)へ連れて行くと、女房は幸いに正気に復(かえ)ったが、自分にもどうしたのかよくは判らない。ただ眼のさきへ大きい白い蝶が飛んで来たかと思うと、たちまち夢のような心持になってしまって、その後のことは何にも知らないと云うのであった。
以上は世間の噂󠄀(うわさ)ばなしを聴いたに過ぎないので、幸之助もくわしい事実を知らないのであるが、ともかくも奇怪な白い蝶が闇夜にあらわれて、往来の人を脅(おびや)かしたという噂󠄀が彼の注意をひいたのである。その話を終った後に、彼はまた云った。
「白い蝶の噂󠄀は京橋の実家に居るときから聴いて居りまして、八丁堀の役人たちも内々探索しているとか云うことでございましたが、こうしてみるとやはり本当かと思われます」
「本当でしょう」と、長八もうなずいた。「現にわたしの家の娘も見たと云います。あなたのお父さまの亡くなられた晩にも、忰の長三郎がそれらしい物を見たとか云います。市川屋の職人も見たことがあると云う。一人ならず、幾人(いくたり)もの眼にかかった以上、それが跡方もないこととは云われますまい」
とは云ったが、さてそれがどう云うわけであるか、長八にも説明することは出来なかった。幸之助にも判らなかった。いわゆる理外の理で、広い世界にはこうした不思議もあり得ると信じていたこの時代の人々としては、強いてその説明を試みようとはしなかったのである。なまじいにその正体を見届けようなどと企てると、黒沼伝兵衛のような奇禍に出逢わないとも限らない。触らぬ神に祟(たた)り無しで、好んでそんな事件に係り合うには及ばないと云うのが、長八の意見であった。
彼はその意見に基づいて忰の長三郎を戒めたが、今や幸之助に対しても同様の意見をほのめかして、若い侍の冒険めいた行動を暗に戒めると、幸之助もおとなしく聴いていた。
幸之助が帰ったあとで、お北は父にささやいた。
「東青柳町にまた白い蝶々が出たそうですね」
「お前は立聴きをしていたのか」と、長八はすこし機嫌を損じた。「立聴きなぞをするのは良くないぞ」
お北は顔を赤くして黙ってしまった。
その翌夜は黒沼の逮夜で、長八夫婦と長三郎は列席した。他にも十五六人の客があったが、大抵の人は東青柳町の噂󠄀を聞き知っていた。そうして、それは切支丹(きりしたん)の魔法ではないかなどと説く者もあった。今夜の仏の死が奇怪な蝶に何かの関係を持っているらしくも思われるので、遺族の手前、その噂をするのを憚りながらも、奇を好む人情から何かとその話が繰返された。父からきびしく叱られているのと、また二つには若年者の遠慮があるので、長三郎は始終だまっていたが、諸人のうわさ話をいちいち聞き洩らすまいとするように、彼は絶えずその耳を働かせていた。
それから半月余りは何事もなくて過ぎた。二月に入っていよいよ暖かい日がつづいて、本当の蝶もやがて飛び出しそうな陽気になった。その十二日の午過ぎに、長三郎は父の使いで牛込(うしごめ)まで出て行ったが、先方で少しく暇取って、帰る頃にはこの頃の春の日ももう暮れかかっていた。江戸川橋の袂まで来かかると、彼は草履の緒を踏み切った。
自分の家(うち)まではさして遠くもないのであるが、そのままで歩くのは不便であるので、長三郎は橋の欄干に身を寄せながら、懐紙を小撚(こよ)りにして鼻緒を挿(す)げ換えていると、耳の端で人の声がきこえた。
それが何だか聞き覚えのあるように思われたので、長三郎は俯向いている顔をあげると、二人の男が音羽の方向へむかって、なにか話しながら通り過ぎるのであった。ひとりは屋敷の中間である。他のひとりは町人ふうの痩形(やせがた)の男であった。どちらもうしろ姿を見ただけでは、それが何者であるかを知ることは出来なかった。その一刹那(せつな)に長三郎はふと思い出した。
「あ、あの時の声だ」
黒沼伝兵衛の死を報告するために、暗やみを駈けてゆく途中で突きあたった男――その疑問の男の声が確かにそれであったことを思い出して、長三郎の胸は怪しく跳(おど)った。
二人はもう行き過ぎた後であるので、それが中間の声か、町人の声か、その判断は出来なかったが、ともかくもかれらのひとりがその夜の男に相違ないと、彼は思った。しかも彼はあいにくに草履の緒をすげているので、すぐにその跡を尾(つ)けて行くことも出来なかった。長三郎が焦れて舌打ちしている間に、二人は見返りもせずに橋を渡り過ぎた。
急いで鼻緒をすげてしまった頃には、二人のうしろ影はもう小半町も遠くなっているのを、見失うまいと眼を配りながら、長三郎は足早に追って行った。音羽の大通りへ出て、九丁目の角へ来かかると、ひとりの女が人待ち顔に佇(たたず)んでいた。彼女は長三郎を待っていたらしく、その姿をみると小走りに寄って来たので、長三郎は思わず立停まった。女は火の番の娘でお冬であった。
「先日は失礼をいたしました」と、お冬は小声で挨拶した。
そうして、うしろの横町を無言で指さした。その意味が判らないので、長三郎も無言でその指さす方角をながめると、横町の寺の前に立っている男と女のすがたが見えた。
まだ暮れ切らないので、ふたりの姿は遠目にもおおかたは認められたが、男はかの黒沼幸之助で、女は自分の姉のお北であることを知った時に、長三郎は一種の不安を感じて無意識にふた足三足あるき出しながら、さらに横町の二人を透かし視た。
幸之助と姉とは今頃どうしてそこらに徘徊しているのであろう。途中で偶然に行きあたって何かの立ち話をしているのか。あるいは約束の上でそこに待合せていたのか。前者ならば別に仔細もないが、後者ならば容易ならぬことである。幸之助は黒沼家の婿養子となって、いまだ祝言の式さえ挙げないが、お勝という定まった妻のある身の上である。その幸之助と自分の姉とが密会する――万一それが事実であって、その噂が世間にきこえらば、二人は一体どうなることであろう。いずれにしてもひと騒動はまぬがれまい。
それを考えながら、長三郎はしばらく遠目に眺めていると、お冬は訴えるようにまた囁いた。
「あのおふたりは、このごろ時どきに……」
「きょうばかりでは無いのか」と、長三郎はいよいよ不安らしく訊いた。
お冬はうなずいた。ゆうぐれの寒さが身にしみたように、長三郎はぞっとした。自分は中間と町人のあとを尾けて来たのであるが、長三郎はもうそんな事を忘れてしまったように猶(なお)も横町をながめていると、その思案の顔に鬢(びん)のおくれ毛のほつれかかって、夕風に軽くそよいでいるのを、お冬は心ありげに見つめていた。
目白の不動堂で暮れ六ツ(午後六時)の鐘を撞き出したので、それに驚かされたように、幸之助とお北の影は離れた。男を残してお北ひとりは足早に引返して来るらしいので、姉に見付けられるのを恐れるように、長三郎もおなじく足早にここを立去った。


「考えると、不審のことが無いでもない」
長三郎は家へ帰ってから又かんがえた。黒沼のむすめお勝はまだ全快しないで、その後も引きつづいて枕に就いている。その見舞ながらに、姉のお北はほとんど毎日たずねて行く。勿論、隣家でもあり、ふだんから特別に懇意にしているのであるから、父も母も長三郎も別に不思議とも思わなかったのであるが、こうなると、お北が毎日の見舞もほかに意味があるらしく推量されないことも無い。
婿に来たとは云うものの、お勝が病気のために、幸之助はまだ祝言の式を挙げていない。そこへ姉が毎日入り込んで、幸之助と親しくする。しかもお冬の訴えによれば、ふたりは時どきに目白坂下の寺門前で会合すると云う。それらの事情をあわせて考えると、一種の疑いがいよいよ色濃くなる。姉に限って、まさかにそんな事はと打消しながらも、長三郎は全然それを否定するわけには行かなくなった。
さりとて、父や母にむかって迂闊にそれを口外することは出来ない。いずれにしてもさらに真偽を確かめる必要があると思ったので、長三郎はきょうの発見についていっさい沈黙を守ることにした。お北もやがてあとから帰って来た。その話によると、音羽の大通りまで買物に出たのだと云うことであった。
音羽の大通りへ買物へ出たものが、横丁の寺門前までわざわざ回って行く筈がない。そんな嘘をつく以上は、姉の行動はいよいよ怪しいと、長三郎は思った。
それから二、三日の後である。長三郎が夕飯をすませてから、いつもの如く夜学に出ると、四、五間先をゆく男のうしろ姿が隣家の黒沼幸之助であることを、薄月のひかりで認めた。彼はどこへ行くのであろう。又もや姉を誘い出して、かの寺門前で密会するのではあるまいかと思うと、長三郎はそのあとを尾けてゆく気になった。
彼は草履の音を忍ばせて、ひそかに幸之助の影を追ってゆくと、その影はかの横町の方角へはむかわずに、路ばたの狭い露路にはいった。
露路の奥には火の番の藤助の家がある。彼はその家をたずねるのか、それとも他の家をたずねるのか、長三郎は更にまた新しい興味に駆られて、つづいて露路のなかへ踏み込んだ。先日一度たずねた事があるので、長三郎はまず藤助の家のまえに忍び寄って内の様子を窺うと、故意か偶然か、行燈の灯は消えて一面の闇である。その暗いなかで女の声がきこえた。
それがお冬の声でないことを知ったとき、長三郎はまた不思議に思った。女の声は低かったが、それでも力がこもっているので、外で聴いている者の耳にも切れぎれに響いた。
「あなたのような不人情な人はない、覚えておいでなさいよ」
幸之助か何か宥(なだ)めているらしかったが、その声はあまりに低いので聴き取れなかった。暫(しばら)くして女の声がまた聞えた。
「忌です、いやです。……もういつまでも瞞(だま)されちゃあいません。いいえ、いけません。あなたのような人は……。いいえ、忌です。ただは置かないから、覚悟しておいでなさい。……わたしは死んでも構わない。……あなたもきっと殺してやるから……」
長三郎はおどろいた。その女はいったい何者で、幸之助になんの恨みを云っているのか。彼は息をつめて聴いていると女は嚇(おど)すようにまた云った。
「わたしの口ひとつで、あなたの命は無いと云うことは、かねて承知の筈じゃあありませんか。……黒沼家へ養子に行ったのは、まあ仕方がないとしても……。隣りの娘とまで仲よくして……。いいえ、知っています」
幸之助は又もや何か云い訳をしているらしかったが、やはり表までは洩れきこえなかった。長三郎はすこしく焦れて縁に近いところまでひと足ふた足進み寄ろうとする時に、うす暗い蔭からその袂をひく者があった。ぎょっとして見かえると、それはお冬であるらしかった。「およしなさい」と、女は小声で云った。
それは果してお冬であった。
不意に声をかけられて長三郎もやや躊躇していると、暗い家のなかでは人の動くような音がきこえた。お冬はふたたび長三郎の袖をつかんで、無理に引戻すように桃の木のかげへ連れ込むと、何者かが縁先へ出て来た。暗いなかでも見当が付いているらしく、すぐに下駄(げた)を穿いて表へ出て行く姿を薄月に透かして視ると、それはすっきりとした痩形の女であった。この女が幸之助を恨み、幸之助を嚇していたのかと思ううちに、その姿は露路の外へ幽霊のように消えてしまった。
長三郎もお冬も無言でそれを見送っているうちに、やがてまた静かに縁を降りて来る者があった。それは幸之助で、なにか思案しているような足取りで、力なげに表へ出て行くのを、長三郎はほとんど無意識に尾けて行こうとすると、お冬はまた引留めた。
「およしなさい」
なぜ留めるのか、長三郎には判らなかった。それを諭すように、お冬はささやいた。
「あの人たちは怖い人です」
なぜ怖いのか、長三郎にはやはり判らなかった。しかし、かの女が「わたしの口ひとつで、あなたの命は無い」などと云ったのを考えると、それには怖ろしい秘密がひそんでいるらしくも想像された。
「なぜ怖いのだ」と、長三郎は訊いた。
「なんだか怖い人です。わたしのお父さんもあの人たちに殺されたのかも知れません」と、お冬は声をしのばせて、若い侍にすがり付いた。
その一刹那に、又もや一つの影が突然にあらわれた。暗いなかでよくは判らなかったが、猫のように縁の下から這い出して来たらしく、頬(ほお)かむりをした町人ふうの男が足早に表へぬけ出して行った。彼は、まったく猫のように素捷(すばや)かった。
長三郎も意外であったが、お冬も意外であったらしく、身をすくめて長三郎にしがみ付いていた。家のなかは暗闇であるが、外には薄月がさしている。それに照らし出された男のうしろ姿は、このあいだ江戸川橋で出逢った町人であるらしく思われたので、長三郎は又もや意外に感じた。と同時に、彼はほとんど無意識にお冬を突きのけて、その男のあとを追って出た。
薄月のひかりにうかがうと、女は大通りを北にむかって行く。幸之助はそのあとを追ってゆく。町人ふうの男は又そのあとを追って行くらしい。まだ宵であるから、両側の町家(まちや)も店をあけていて、人通りもまばらにある。それを憚って幸之助もすぐに女に追いすがろうとはしない。男も相当の距離を取って尾けて行くので、長三郎もその真似(まね)をするように、おなじく相当の距離を置いて尾行することにした。
女は途中から左に切れて、灯の無い横町へはいってゆくと、左右は農家の畑地である。そこまで来ると、幸之助は俄かに足を早めて女のうしろから追い付いた。その跫音(あしおと)ももちろん知っていたのだろうが、女は別に逃げようとする様子もなく、徐かに振向いて相手と何か話しているらしかった。
町人はそれを見て、身を匿すように畑のなかに俯伏したので、長三郎もまたその真似をして畑のなかに俯伏していると、やがて女は幸之助を突き放してふた足三足もあるき出した。幸之助は追いかけて、女の襟に手をかけた。引倒そうとするのか、喉でも絞めようとするのか、男と女は無言で挑み合っていた。
俯伏していた町人は畑のなかから飛び出して、飛鳥のごとくに駈け寄ると、それに驚かされて二つの影はたちまち離れた。女はあわてて逃げ去ろうとするのを、町人は駈け寄って押さえようとすると、幸之助は又それをさえぎるように立ちふさがった。男ふたりが互いに争っているあいだに、女は一目散に逃げ出した。
女はともあれ、眼のまえに争っている男ふたりをどう処置していいのか、長三郎も当座の分別に迷った。本来ならば幸之助に加勢するのが当然であるが、今の場合、幸之助を助けるか町人を助けるか、どちらにするのか正しいか、長三郎にも見当が付かなかった。彼は一旦起ちあがりながらも、いたずらに息を呑んでその成行きをながめているのうちに、町人は草履をすべらせて小膝を突いた。幸之助はそれを突き倒して逃げ出した。男はすぐに跳ね起きて、そのあとを追ってゆくと、幸之助は畑のなかへ飛び込んで、路を択(えら)ばすに逃げてゆく。追う者、追われる者、その姿は欅(けやき)の木立のかげに隠れてしまった。
何がどうしたのか、長三郎にはちっとも判らなかった。彼はもその跡を尾けてゆく元気もなくて唯ぼんやりと突っ立っていたが、さっきからの行動をみると、その町人は唯者(ただもの)ではない。おそらく八丁堀同心の手に付いている岡(おか)っ引(ぴき)のたぐいであろうと想像された。かの女と幸之助とのあいだに何かの秘密がひそんでいることも、さっきの対話でうすうす想像された。それらを結び付けて考えると、かれらは一種の重罪を犯していて、岡っ引に付狙(つけねら)われているのではあるまいか。
相手の女は何者であるか知らないが、幸之助は隣家に住んでいて、朝夕に顔を見あわせている仲である。それが重罪人であろうとは意外であるばかりか、自分の姉がその重罪人と親しくしているらしい事を考えると、長三郎はあたりが俄に暗くなったように感じられた。彼はもう夜学に行く気にもなれなくなって、その儘わが家へ引返した。
彼は今夜の出来事を父にも母にも話さなかった。父には内々で話して置きたいと思ったのであるが、何分にも広くない家であるので、万一それを姉にでも立聴きされては困ると思ったので、その晩は黙って寝てしまった。
夜のあけるのを待ちかねて、彼は黒沼家の門前を掃いている下女のお安に聞きただすと、幸之助はゆうべ帰宅しないと云うのである。彼は遂に岡っ引の手に捕われたのか、それとも逃げ延びてどこへか身を隠したのか、いずれにしてもその儘では済むまいと思われた。
父の長八は当番で登城した。長三郎はいつもの通りに剣術の稽古に行って、ひる頃に帰って来ると、母のお由は午飯を食いながら話した。
「お隣りの幸之助さんは昨夜から帰らないそうだね」
「どうしたのでしょう」と、長三郎はそらとぼけて訊いた。
「お友達と一緒に遊びにでも行ったのかも知れない」と、お由は笑いながら云った。「こっちへ来てはまだ昨今だけど、京橋の方にはお友達が随分あるようだからね。なにしろ御納屋の人たちには道楽者が多いと云うから」
「お婿に来て、まだひと月にもならないのに、夜遊びなんぞしては悪いでしょう」
「悪いとも……」と、お由は首肯(うなず)いた。「けれども、お婿と云っても相手のお勝さんがあの通りだからね。きっとお友達にでも誘われて、どこへか行ったのだろうよ」
姉のお北も、妹のお年も、そばで一緒に箸をとっているので、長三郎はこの対話のあいだに姉の顔をぬすみ視ると、気のせいか、お北の顔色はやや青白く見られた。
その日の夕方に、お北もゆくえ不明になった。


「きょうはお天気でようござんしたね」と、二十四五の小粋(こいき)な女房が云った。
「むむ。初午(はつうま)も二の午も大あたりだ。おれも朝湯の帰りに覗(のぞ)いて来たが、朝からお稲荷さまは大繁盛だ」と、三十二三の亭主が答えた。
「それじゃあ、あたしも早くお参りをして、お神酒(みき)とお供え物をあげて来ましょう」
女房は帯を絞め直して、表へ出る支度に取りかかった。この夫婦は神田(かんだ)の三河町(みかわちょう)に住む岡(おか)っ引(ぴき)の吉五郎(きちごろう)と、その女房のお国(くに)である。女中に神酒と供え物を持たせて、お国が表へ出てゆくと、それと入れちがいに、裏口から一人の男が顔を出した。
「親分。内ですかえ」
取次ぎの子分が居あわせないので、吉五郎は長火鉢の前から声をかけた。
「留(とめ)じゃあねえか。まあ、あがれ」
「お早うございます」
手先の留吉(とめきち)はあがって来た。
「誰(だれ)もいねえから火鉢は出せねえ。ずっとこっちへ来てくれ」と、吉五郎は相手を長火鉢の向うに坐(すわ)らせて、すぐに小声で話し出した。「どうだ、例の件は……」
「面目がありません、このあいだの晩はどじを組んでしまって……」と、留吉は小鬢(こびん)をかいた。
「だが、親分。もう大抵のところは見当が付きましたよ。お尋ね者のお亀(かめ)はお近(ちか)と名を変えて、音羽の佐藤孫四郎(さとうまごしろう)という旗本屋敷に巣を作っているんです」
「佐藤孫四郎……小ッ旗本だろうな」
「と云っても、四百石取りで……。三年ばかりへ御役(おやく)に出ていて、去年の秋に帰って来たんです。お亀のお近はそのあとから付いて来て、その屋敷へはいり込んだと云うことです」
「だれから訊(き)いた」
「屋敷の中間(ちゅうげん)にかまをかけて聞き出したんです。自分にうしろ暗いことがあるからでしょうが、中間なんぞには時どきに小遣いぐらいくれるらしいので、みんなの評判は悪くないようです」と、留吉はいったん笑いながら、また俄(にわか)に眉(まゆ)をよせた。「そこまでは判(わか)っているんだが、それから先がまたどうも判らねえ。お近には内証(ないしょ)の男がある。それが音羽の御賄(おまかない)屋敷の黒沼という家へ、このごろ婿(むこ)に来た幸之助という若い奴(やつ)らしいんですがね」
「幸之助の実家はどこだ」
「白魚河岸の吉田という御納屋(おなや)の次男です」
「そこで、そのお近や幸之助と例の蝶々(ちょうちょう)と、なにか係り合いがあると云うのか」と、吉五郎はまた訊いた。
「さあ、そこが難題でね」と、留吉はふたたび小鬢をかいた。「わっしの本役は蝶々の一件で、お近や幸之助はまあ枝葉(えだは)のような物なんですが、不意にこんな掘出し物をすると、ついそっちが面白くなって……。今のところじゃあ、あのふたりと蝶々の一件とが結び付いているような、離れているような……。親分はどう鑑定しますね」
「おれにもまだ判断が付かねえ」と、吉五郎は徐(しず)かに煙草(たばこ)をくゆらせた。「それから火の番の藤助と云うのはどうした。これも帰らねえか」
「帰って来ません。こいつは確かに蝶々に係り合いがあると睨(にら)んでいるんですが……。なにしろ忌(いや)にこぐらかっているんでね」
「どうで探索物はこぐらかっているに決まっているから、まあ落ちついて考えて見なけりゃあいけねえ」
吉五郎はつづけて煙草を喫(す)った。留吉も煙管筒(きせるづつ)を取出した。親分と子分はしばらく無言で睨み合っていると、その考えごとの邪魔をするように、町内の午祭りの太鼓の音が賑(にぎ)やかにきこえた。
「幸之助はその晩から自分の家へ帰らねえのか」と、吉五郎は煙管をはたきながら訊いた。
「これも帰って来ないようです」と、留吉は答えた。「わっしに捉(つか)まりそうになったので、どっかへ姿を隠したと見えますよ」
「だが、幸之助はともかくも侍だ。火の番の親爺(おやじ)とは身分が違うのだから、姿を隠したままで、済むわけのものじゃあねえ。そんな事をすれば家断絶だ。黒沼という家でもとんだ婿を貰(もら)ったものだな。ひょっとすると、白魚河岸の実家に忍んでいるんじゃあねえか」
「わっしもそう思ったので、けさも出がけにそっと覗いて来たんですが、どうもそんな様子も見えないようでしたが……。しかしまあ、よく気を付けましょう」
「しっかり頼むぞ」
「ようがす」
「手が足りなければ、誰か貸してやろうか」
「さあ」と、留吉はかんがえた。「大勢であらすと却(かえ)っていけねえかも知れません。もう少し一騎討ちでやってみましょう」
他人に功名を奪われたくないような口吻(くちぶり)で、留吉は早々に出て行った。吉五郎は又もや煙管を取上げて、徐かに煙を吹いていたが、やがて何をかんがえたか、忙がしそうに煙管をはたいて起(た)ち上がると、あたかも表の格子にあく音がして、お国と女中が帰って来た。
「おい。着物を出してくれ」
「どっかへ行くの」と、お国は訊いた。
「むむ。留が今来たが、あいつひとりには任せて置かれねえことが出来た。おれもちょいと出て来る」
吉五郎も早々に着物を着かえて、表へ出て行った。商売で出ると云うのであるから、女房ももうその行く先を訊こうとはしなかった。
その日の午後である。
旧暦二月なかばの春の空は薄むらさきに霞んで、駿河町(するがちょう)からも富士のすがたは見えなかった。その日本橋(にほんばし)の魚河岸から向う鉢巻の若い男が足早に威勢よく出て来た。男は問屋の若い衆(しゅ)であるらしく、大きい鯛(たい)を青籠(あおかご)に入れて、あたまの上に載せていた。彼は人ごみの間をくぐり抜けて、日本橋を南へむかって急いで来たが、長い橋のまん中ごろまで渡ったかと思うときに、彼はどうしたのか俄に足を停めた。と見る間もなく、彼は頭の魚籠(びく)を小脇(こわき)に引っかかえて、欄干から川のなかへざんぶと飛び込んだので、往来の人びとはおどろいた。
威勢のいい魚河岸の若い衆が、なんで突然日本橋から身を投げたのか、仔細(しさい)を知らない人びとは唯(ただ)あれあれと騒いでいたが、そのなかで唯ひとり、その仔細を大抵推量したのは神田三河町の吉五郎であった。彼はどこをどう歩いていたのか知らないが、あたかもここへ来かかってこの椿事(ちんじ)を目撃したのである。
若い衆が川へ飛び込んだのは、鯛を持っていたが為であろうと、吉五郎は思った。徳川家には御納屋という役人がある。それは将軍の食膳(しょくぜん)に上(のぼ)せるべき魚類、野菜類を取扱う役で、魚類だけでも鯛の御納屋、白魚の御納屋、鮎(あゆ)の御納屋などと、皆それぞれの専門がある。この御納屋の特権は、良い魚類とみれば勝手に徴発を許されていることである。御納屋の役人がある魚を指さして、「これは御用だぞ」と云ったが最後、忌でも応でもその魚を納めなければならない。その代金もくれるかくれないか判らない。唯取りにされてしまう場合も往々にある。そんなわけであるから、河岸の人間は御納屋を恐れて大いに警戒しているのである。
かの若い衆は、どこかの註文(ちゅうもん)で大きい鯛を持出した途中、あいにくに日本橋のまんなかで鯛の御納屋に出逢ったのである。これを取られては大変だと思ったのか、あるいは権力を笠(かさ)に被(き)て強奪されるのを口惜(くやし)いと思ったのか、いずれにしても血気の若い衆は一尾(いっぴき)の鯛を御納屋の手へ渡すまいとして、魚籠と共に川中へ飛び込んだのであろう。河岸育ちであるから泳ぎも知っているであろう。殊に白昼のことであるから、溺死(できし)する気づかいもあるまいと、吉五郎は多寡をくくってさほどに驚きもしなかった。
彼は身を投げた若い衆よりも、身を投げされた相手に眼をつけると、それは四十前後の人柄のいい侍で、これも身投げの仔細をおおかたは察したらしく、微笑を含みながら見返りもせずに行き過ぎた。
吉五郎は引返して、その侍のあとを追った。橋を渡り越えて室町(むろまち)のあたりまで来たときに、彼は小声で呼びかけた。
「もし、もし、今井(いまい)の旦那(だんな)……」
呼ばれて立停まった侍の前に、吉五郎は小腰をかがめて丁寧に会釈した。
「旦那さま。ご無沙汰(ぶさた)をいたして居ります」
「三河町の吉五郎か」と、侍はまた微笑した。「今のを見たか。おれたちはどうも憎まれ役で困るよ」
侍は鯛の御納屋に勤めている今井理右衛門(いまいりえもん)であった。自分が何をしたと云うわけでもないが、自分のために若い衆が身を投げたのを、岡っ引の吉五郎に見付けられたかと思うと、彼はやや当惑に感じたのであろう。憎まれ役などと云い訳がましく云っているのを、吉五郎は軽く受け流してすぐに本題に入った。
「途中でこんなことをお尋ね申すのも失礼でございますが、あなたは吉田の旦那とご懇意でございましたね」
「吉田……。白魚河岸か」
「左様でございます。それで少々伺いたいのでございますが、この吉田さんは音羽の佐藤さんというお旗本をご存じでございましょうか」
「音羽の佐藤……」
「昨年の秋頃、長崎からお帰りになりましたかたで……」
「むむ。佐藤孫四郎どのか。わしもちょっと識(し)っているが、吉田はよほど懇意にしているらしい。吉田の家内はなんでも佐藤の親類だとか云うことだから……」
「はあ、ご親類でございますか。それではご懇意の筈(はず)で……」
「なんだ。その佐藤に何か用でもあるのか」と、理右衛門は相手の顔をながめながら訊いた。
吉五郎が唯の人間でないことを知っているだけに、彼は幾分の好奇心を唆(そその)かされたらしくも見えた。
「いえ、別に用と云うほどの事でもございませんが……」と、吉五郎はあいまいに答えた。「先日あのお屋敷の前を通りましたら、吉田さんのご子息をお見掛け申しましたので……」
「次男の方だろう。あれは御賄組の黒沼という家へ急養子に行ったそうだから……」
「わたくしもそんなお噂(うわさ)を伺いました。いや、どうもお急ぎのところをお引留め申しまして相済みませんでした。では、では、これで御免ください」
ふたたび丁寧に会釈して立去る吉五郎のうしろ姿を、理右衛門は不審そうに見送っていた。往来なかで人を呼びとめて、単にそれだけのことを訊いて行くのは少しく可怪(おかし)いと思ったからであろう。しかも吉五郎に取っては、吉田の家と佐藤の屋敷との関係を聞き出しただけでも一つの手がかりであった。佐藤の屋敷の前で吉田の倅(せがれ)のすがたを見たなどと云うのは、もとより当座の出たらめに過ぎないのである。
吉田と佐藤とが親戚の間柄である以上、吉田の次男幸之助がその屋敷へ出入りするに不思議はない。そうして、その屋敷にいるお近という女と親しくなったと云うのも、世にありそうなことである。ただ、その幸之助が留吉の虜(とりこ)にならずに、どこへ姿を隠したか。それを詮議(せんぎ)しなければならないと吉五郎は思った。
彼はそれから京橋へ足を向けて、白魚河岸の吉田の家をたずねた。勿論(もちろん)、玄関から正面に案内を求めるわけには行かないので、彼は気長にそこらを徘徊(はいかい)して、その家から出て来る中間や女中らを待ち受けて、いろいろにかまを掛けて探索したが、幸之助は実家にひそんでいないらしかった。
「灯台下暗(もとくら)しで、やっぱり佐藤の屋敷に忍んでいるかも知れねえ」
吉五郎はいったん神田の家へ帰って、ゆう飯を食って更に出直そうとするところへ、留吉が忙がしそうにはいって来た。
「親分、出かけるんですかえ」
「むむ。今夜はおれが音羽へ出かけて、張込んでみようと思うのだ」
「それじゃあ行き違いにならねえでよかった。実は又ひとつの事件が出来(しゅったい)してね」と、留吉は眉をひそめた。「黒沼の家の娘が死んだそうで……」
「家付き娘だな」
「そうです。お勝と云って、ことしで十八になります。親父が死んで、幸之助を急養子にしたんですが、お勝は病気で寝ているので、祝言も延びのびになっているうちに、幸之助は家出をして帰らない。それがもとで、お勝は自害したそうです」
「自害したのか」と、吉五郎は少しく驚いた。
「短刀だか懐剣だか知らねえが、なにしろ寝床の上に起き直って、喉(のど)を突いたんだと云うことです」と、云いかけて留吉は声を低めた。「それからまだ可怪いことは、黒沼のとなりの瓜生という家では、お北という娘が家出をしたそうです」
「幸之助が家出をする。女房になる筈のお勝という女が自害をする。又その隣りの娘が家出をする。それからそれへと悪くごたつくな。それで、その女たちは、なぜ自害したのか、なぜ家出をしたのか。その訳はわからねえのか」
「なにぶん武家の組屋敷のなかで出来た騒動だから、くわしいことはとても判らねえ。これだけのことを探り出すのでも容易じゃあありませんでしたよ」
「そうだろうな」と、吉五郎もうなずいた。「そう聞いちゃあ猶更(なおさら)打っちゃっては置かれねえ。ご苦労だが、もう一度行ってくれ」
ふたりが神田を出る頃には、ようやく長くなったというこの頃の日も暮れていた。しかも夕方から俄に陰(くも)って、雨を含んだような生暖かい南風が吹き出した。
「忌な晩ですな」
「忌な空だな。降られるかも知れねえ」
暗い空を仰ぎながら、ふたりは音羽の方角へ急いでゆくと、途中から風はいよいよ強くなった。
「黒沼伝兵衛という侍が死んでいたと云うのは、どの辺だ」
「そこの寺の前ですよ」
留吉が指さす方にある物を見いだして、吉五郎は口のうちで叫んだ。
「あ、蝶々だ」
「むむ。蝶々だ」
ふたりは白い影を追うようにあわてて駈け出した。


闇にひらめく蝶のかげを追いながら、吉五郎と留吉は先を争って駈け出したが、吉五郎の方がひと足早かった。彼はふところから四つ折りの鼻紙を取り出して、蝶を目がけてはたと打つと、白い影はそのまま消えて失せてしまった。
「たしかに手応えはあったのだが……」と、吉五郎はそこらを透かして見まわしたが、提灯(ちょうちん)を持たない彼は、暗い地上に何物をも見いだすことが出来なかった。
「そこらへ行って、蠟燭(ろうそく)を買って来ましょう」と、留吉は土地の勝手を知っていると見えて、すぐにまた駈け出した。
寺門前には小さい商人店(あきんどみせ)が五、六軒ならんでいる。表の戸はもう卸してあったが、戸のあいだから灯のひかりが洩(も)れているので、留吉はその一軒の荒物屋の戸を叩(たた)いて蠟燭を買った。裸蠟燭では風に吹き消される虞(おそ)れがあるので、小さい提灯を借りて来た。
その提灯のひかりを頼りに、ふたりはそこらの地面を照らして見たが、蝶らしい物の白い影はどこにも見あたらなかった。吉五郎は舌打ちした。
「仕様がねえ。風が強いので吹き飛ばされたかな。まさかに消えてなくなった訳でもあるめえ」
と云う時に、留吉は声をあげた。
「や、飛んでいる。あすこに……」
白い蝶は三、四間距(はな)れたところに飛んでいるのである。それを見て、吉五郎はまた舌打ちした。
「畜生。ひとを玩具(おもちゃ)にしやあがる」
ふたりはすぐに駈け寄ると、蝶の影は消えるように見えなくなった。
留吉は提灯をふりまわして、しきりにそこらを照らして見たが、それらしい物の影もないので、彼は焦(じ)れて無暗に駈け廻った。吉五郎も梟(ふくろう)のように眼を見張って、暗いなかを覗いて歩いたが、それもやはり無効であった。
往来の絶えた寺門前の闇のなかに、大の男ふたりが一生懸命駈け廻って蝶を追っているのは、どうしても狐(きつね)に化(ばか)されたような図である。しかも今のかれらはそんなことを考えている暇はなかった。
「ほんとうに人を馬鹿にしていやあがる。忌々(いまいま)しい奴だな」と、留吉は息をつきながら云った。
吉五郎も立停まって溜息(ためいき)をついた。
いかに焦れても、燥(あせ)っても、怪しい蝶はもうその影を見せないのである。ふたりはあきらめて顔を見合せた。
「親分。どうしましょう」
「仕方がねえ。又どっかで見付かるだろう」
「これからどうします」
「むむ。おれの考えじゃあ……」と、云いかけて、吉五郎は俄に見返った。「留。あれを取って捉まえろ」
見ると、うしろの寺の生垣の下に、犬か猫のように蹲(うずく)まっている小さい影がある。留吉は持っている提灯を親分に渡して、すぐにその影を捕えに行った。影は飛び起きて、暗い坂の上へ逃げて行こうとするのを、留吉は飛びかかって押え付けた。吉五郎がさしつける提灯のひかりに覗いて見て、留吉はうなずいた。
「むむ、てめえか。このあいだからどうもおかしい奴だと思っていたのだ」
「おめえはその女を識っているのか」
「こいつは火の番の藤助のむすめで、お冬と云うんですよ」
「火の番の娘か」と、吉五郎もうなずいた。「おれもそいつを調べてみようと思っていたのだ」
「自身番へ連れて行きましょうか」
「いや、自身番なんぞへ連れて行くと、人の目に立っていけねえ。ここでおれが調べるから、おめえは提灯を持って往来を見張っていろ」
吉五郎はお冬の腕をつかんで、寺の門前へ引摺(ひきず)って行ったが、正面は風があたるので、横手の生垣をうしろにしてしゃがんだ。
「おまえは今頃なんでこんな所に忍んでいたのだ」
お冬は黙っていた。
「おれは十手(じって)を持っている人間だ。おれたちの前で物を隠すと為にならねえぞ」と、吉五郎は嚇すように云い聞かせた。「そこでお前の親父はどうした。まだ帰らねえのか」
「はい」と、お冬は微(かす)かに答えた。
「ほんとうに帰らねえか。あすこの佐藤という旗本屋敷に隠されているんじゃあねえか」
お冬はやはり黙っていた。
「おめえはそれを知っている筈だ。おまえの親父は訳があって、当分は佐藤の屋敷に隠れているから心配するなと、お近という女から云い聞かされている筈だが……。それでも知らねえと強情を張るか。又そのお近という女は、時どきにお前の家へ忍んで来て、黒沼の婿の幸之助と逢曳(あいびき)をしている筈だが……。それでもおまえは強情を張るか」
お冬はまだなんにも云わないので、吉五郎はほほえみながらその肩を軽く叩いた。
「おまえは年の割に、なかなかしっかり者だな。と云って、褒めてばかりはいられねえ。あんまり強情を張っていると、おれも少しは嚇かさなけりゃあならねえ。おまえは一体、なんでここへ来ていたんだよ。おまえにも色男でもあって、今夜ここへ逢いに来ていたのか」
お冬はあくまでも強情に口を閉じていた。
「それとも俺たちの後を尾けて来て、何かの立聴きでもしようとしたのか。え、おい。なぜいつまでも黙っているんだよ」と、吉五郎はふたたびその肩を軽く叩いた。
前にも云う通り、門の正面には南風が強く吹き付けるので、吉五郎らは横手の生垣をうしろにしてならんでいたのであるが、その時、その生垣の杉のあいだから一つの手があらわれて、暗いなかで吉五郎の襟髪を摑(つか)んだかと思うと力任せに強く引いた。不意に摑まれたのと、その引く力がかなり強かったのとで、吉五郎は思わず尻餅(しりもち)をついて仰向けに倒れると、その隙(すき)をみてたちまち起ちあがったお冬は、いわゆる脱兎(だっと)の勢いで駈けだした。
それに気がついて、留吉があわてて駈け寄ると、お冬は手早くその提灯を叩き落した。彼女は灯の見える大通りへ出るのを避けて、暗い目白坂を駈けのぼって行くのである。
それを追うよりも、まず親分を救わなければならないと思ったので、留吉はそのまま門前へ駈けつけると、吉五郎は倒れながら相手の腕を摑んでいた。
「留、早くそいつを取っ捉まえろ」
留吉はこころえて、これも生垣越しに相手の腕を摑んで引出そうとすると、相手は出まいと争ううちに、生垣の細い杉は二、三本ばらばらと折れて、内の人間は表へころげ出した。彼は必死に挑み合ったが、捕方ふたりの為に組み敷かれて、更に早縄をかけられて、門前に引据えられた。
「なにしろ暗くっちゃあ、面(つら)が見えねえ」
今度は寺の門を叩いて、提灯の灯を借りることにした。その灯に照らされた男の顔を覗いて、留吉はうなずいた。
「俺もそんな事じゃあねえかと思った。親分。こいつは火の番の藤助ですよ」
「そうか」と、吉五郎もうなずいた。「こんな所で調べていると、又どんな邪魔がはいらねえとも限らねえ。やっぱり自身番へ連れて行こう」
云いも終らないうちに、果して邪魔がはいった。おそらく門内にひそんでいたのであろう。ひとりの覆面の男が突然に跳(おど)り出て、まず留吉の提灯をばさりと斬(き)り落した。
「光る物を持っているぞ。気をつけろ」
留吉に注意しながら、吉五郎はふところから十手を出すと、留吉も十手を取って身構えした。覆面の男は無言で斬って絵かかった。それが侍であると覚(さと)ったので、ふたりも油断は出来ない。縄付きの藤助をその儘にして、激しく斬って来る相手の刀の下を抜けつ潜(くぐ)りつ闘っていると、男はなんと思ったか、俄に刃(やいば)を引いて暗い坂の方角へ一散に逃げ去った。
ふたりはつづいて追おうとしたが、逃げてしまった相手を追うよりも、すでに捕えた相手を逃がさない工夫が肝腎(かんじん)であると思ったので、ふたりは云い合わせたように足を停めた。かれらはふたたび門前へ引返して来ると、暗いなかに藤助の姿は見えないらしかった。留吉は寺内へ駈け込んでさらに提灯を借りて来ると、果してそこらに藤助の姿は見えなかった。
覆面の男は藤助を救うがために斬って出たのであろう。その闘いのあいだに彼は姿を隠したのであろう。しかも藤助は縄付きであるから、自由に遠く走ることは出来ない筈である。あるいは墓場に忍んでいるかも知れないと云うので、留吉が先に立って石塔のあいだを縫ってゆくと、白い蝶が又ひらひらとその眼先を掠(かす)めて飛んだ。
「また来やあがった」
ふたりは怪しい蝶の行くえを追って行くとき、留吉は足許(あしもと)に倒れている石塔にふまずいて、横倒しにどっと倒れた。
「あぶねえぞ」と、吉五郎は声をかけたが、留吉はすぐに返事をしなかった。
留吉は倒れるはずみに、石塔の台石などで脾腹(ひらば)を打ったらしい。さすがに気を失うほどでも無かったが、彼は低い息をついているばかりで容易に起き上られそうもないので、吉五郎は手を貸して扶(たす)け起すと、留吉はぐたりとしていた。
「留。どうした。しっかりしろ」
こうなると、蝶の詮議は二の次にして、子分を介抱しなければならないので、吉五郎は留吉を抱くようにして墓場を出た。寺の玄関へ廻って案内を乞(こ)うと、奥から納所(なっしょ)がでて来た。留吉はさっき提灯を借りに行ったので、納所もその顔を識っていた。
「その人がどうかしたのですか」
「そこで転んで怪我(けが)をしたらしいんです。済みませんが、灯火(あかり)を拝借したいので……」
留吉を玄関に横たえて、納所が持って来た灯のひかりに照らして見ると、留吉は脾腹を打ったほかに、左の手も痛めているらしかった。吉五郎は自分の身許を明かして、すぐに医者を呼んで貰いたいと頼むと、納所は異議なく承知して、寺男を表へ出してやった。
吉五郎らの身許を知ったので、寺でも疎略には扱わなかった。住職もやがて奥から出て来た。彼は納所らに指図して、書院めいた座敷へ怪我人を運び込ませた。
「夜中にお騒がせ申しまして、相済みません」と、吉五郎はあらためて住職に挨拶(あいさつ)した。
「いや、どういたしまして……」と、住職は留吉の方を見返りながら、これも丁寧に会釈した。「それにしても、夜中どうしてこの墓地へおはいりなされた。なにか御用でござるか」
住職の物云いは穏かであるが、その眼の怪しく光っているのを、吉五郎は見逃さなかった。
初対面の住職はもう四十五六歳であろう。いろの蒼白(あおじろ)い痩形(やせがた)の一種の威厳を具(そな)えたように見える人柄であった。彼は何事も知らないのであろうか、あるいは何かの秘密を知っているのであろうか。それを確かめない以上は、迂闊(うかつ)な返事も出来ないので、吉五郎は用心しながら答えた。
「実はここの火の番の藤助という者の行くえを探して居りますと、今夜こちらのご門前でその姿を見付けましたので、取押えて一旦(いったん)は縄をかけたのですが、又どこへか逃してしまいましたので、それを探しにお墓場の方へまいります途中、なにぶんにも暗いので、足許に倒れている石塔につまずきまして……」
「左様でござりましたか。火の番の藤助はわたくしも識って居りますが、あなたがたのお縄にかかりながら又それを抜けて逃げるとは、見掛けによらない大胆者でござるな。藤助に何かご詮議の筋があるのでござりますか」
「藤助は先月以来、行くえが知れないのでございます」
「それはわたくしも聴いて居りますが……。では、藤助は何かうしろ暗いことでもあって、すがたを隠しているのでござりますな」
そらとぼけてそんなことを云うのか、あるいはまったく知らないのか。吉五郎はその判断に苦しみながらあいまいに答えた。
「うしろ暗いことがあるか無いか、それは調べてみなければ判りませんが、いずれにしても駈落者(かけおちもの)は一応の詮議を致さなければなりませんので……。まして世間へは駈落と見せかけて、わが家の近所にうろ付いているなぞは、潔白な人間のおこないでは無いように思われますので、ともかくも取押えようと致しますと、案外に手向いをいたしますので、よんどころなくお縄をかけたのでございます」
「ごもっともで……。そこで、その藤助がこの寺の墓地へ逃げ隠れたとおっしゃるのですか」と、住職はまた訊いた。
「今も申す通り、なんぶん暗いので確かなことは判りませんが、もしやと思いまして……」
「では、確かにこの寺内へ逃げ込んだというお見込みが付いたわけでも無いのですな」
このとき納所が茶と菓子を運んで来たので、それを機(しお)に住職は又あらためて会釈した。
「甚だ勝手でござりますが、実は二、三日前から風邪(かぜ)で引籠(ひきこも)って居りますので、わたくしはこれで御免を蒙(もうむ)ります。どうぞゆるゆるとご休息を……」
「ご病ちゅうご迷惑をかけて恐れ入ります、ご遠慮なくお休みください」
たがいに挨拶して、住職は納所と共に起ちあがった。そのうしろ姿を見送りながら、吉五郎は何か思案していると、今まで無言でころがっていた留吉は自由にならない体を少しく起して、小声で話しかけた。
「親分、あの和尚は怪しゅうござんすね」
「おめえも見たか」
「さっきから寝ころびながら、あいつの顔色をうかがっていたんですが、あの和尚、なにか因縁がありそうですぜ」
「おれの思う壺(つぼ)にだんだん嵌(はま)って来る」と、吉五郎はほほえんだ。「まったくあの和尚は唯の鼠(ねずみ)じゃあねえ」
跫音(あしおと)がきこえたので、ふたりは急に口をつぐむと、納所が医者を案内して来た。


岡っ引の吉五郎と、その子分の留吉は着々失敗(しくじ)ってまず第一に目的の白い蝶を見うしない、次にお冬を取逃がし、次に火の番の藤助を取逃がし、更に覆面の曲者(くせもの)を取逃がし、最後に留吉は墓場でころんで負傷した。一夜のうちにこれほどの失敗が重なったのは、彼等に取ってよくよくの悪日とも云うべきであった。
しかも不幸はかれらの上ばかりでなく、この事件に重大の関係を有する御賄組の人びとの上にも、種々の不幸が打続いたのであった。黒沼の婿の幸之助がゆくえ不明になったかと思うと、つづいて瓜生の家でも娘のお北が姿をかくした。幸之助の家出、お北の家出、両家ともに努めて秘密にしていたのであるが、女中らの口からでも洩れたと見えて、早くも組じゅうに知れわたってしまった。
取分けて、人びとをおどろかしたのは、黒沼の娘お勝の死であった。前にも云う通り、お勝は先月以来引きつづいて病床に横たわっていて、急養子の幸之助とは名ばかりの夫婦であったが、その幸之助が家出をすると又その跡を追うように隣家のお北が家出したことを知った時に、お勝は枕をつかんで泣いた。
「口惜(くやし)い」
そのひと言に深い意味のこもっていることは、母のお富にもよく察せられたが、まだ確かな証拠を握ったわけでもないので、表立って瓜生の家へ掛合いにも行かれず、さしあたりいい加減に娘をなだめて置くと、お勝は母や女中の隙をみて、床の上に起き直って剃刀(かみそり)で喉を突き切った。お富がそれを発見した時には、娘はもうこの世の人ではなかった。別に書置らしい物も残していなかったが、その自害の原因が「口惜い」の一句に尽くされているのは疑うまでもないので、お富も身を顫(ふる)わせて口惜がった。
まだ正式の祝言は済ませないでも、幸之助がお勝の婿であることは、組じゅうでも認められている。世間でも認めている。その幸之助と駈落をしたとあれば、お北は明らかに不義密通である。確かな証拠を握り次第、お富は瓜生の親たちにも掛合い、組頭にも訴えて、娘のかたき討をしなければならないと決心した。
お富が決心するまでもなく、瓜生の家でもそれに対して相当の覚悟をしなければならなかった。長八は妻のお由と忰(せがれ)の長三郎を自分の居間に呼びあつめて囁(ささや)いた。
「どうも飛んだ事になってしまった。幸之助の家出、お北の家出、それだけならば又なんとか内済にする法もあるが、それがためにお勝までが自害したとあっては、事が面倒になる。黒沼の方ではどういう処置を取るか知らないが、どうも無事には済むまいと思われる。おれたちもその覚悟をしなければなるまいぞ」
「その覚悟と申しますと……」と、お由は不安らしく訊いた。
「おれも侍の端くれだ。こうなったら仕方がない、一日も早くお北のありかを探し出して、手打ちにして……。その首を持って黒沼の家へ詫びに行かなければ……。さもないと家事不取締りの廉(かど)で、おれの身分にも拘(かか)わるからな」と、長八は溜息まじりで云った。
比較的武士気質(さむらいかたぎ)のうすい御賄組に籍を置いていても、瓜生長八、ともかくも大小をたばさむ以上、こういう場合には、やはり武士らしい覚悟を決めなければならなかった。
「それで、黒沼の家はどうなるでしょう」と、お由はまた訊いた。
「今度こそは断絶だろうな」と、長八はふたたび溜息をついた。「先月の時にも表向きにすればむずかしかったのだが、伝兵衛急病と云うことにして、まず繫(つな)ぎ留めたのだ。それは組頭も知っている。その矢先へまた今度の一件だ。養子は家出する、家付きの娘は自害する。それではどうにも仕様があるまい」
「いっそ先月の時に、お隣りの家が潰(つぶ)れてしまったら、こんな事にもならなかったのでしょうに……」と、お由は愚痴らしく云った。
「今更そんなことを云っても仕方がない。なにしろ娘が悪いのだ。幸之助も悪いが、お北も悪い。つまりは両成敗で型を付けるよりほかはないのだ。おれはもう覚悟している。おまえたちもそのつもりでいろ」
お由は無言で眼を拭(ふ)いた。長三郎も黙って聴いていると、父はやがて忰の方へ向き直った。
「今も云い聞かせた通りの次第だが、おれは勤めのある身の上だ。御用をよそにして娘の行くえを尋ね歩いてはいられない。おまえは部屋住だ。これから江戸じゅうを毎日探し歩いて、姉の隠れ場所を見つけて来い。途中で出逢ったらば、無理に連れて帰って来い」
いかにこの時代でも、十五歳の小忰に対してこんな役目を云いつけるのは、少しく無理なようにも思われたが、これは迂闊に他人にも頼まれない用向きであるから、長八もわが子に頼むよりほかはなかったのである。その事情を察しているので、長三郎も断わることは出来なかった。
「承知しました」
「けれども、おまえ……」と、お由は我が子に注意するように云った。「家の姉さんの家出したのはほかに仔細のあることで、おとなりの幸之助さんとは係り合いが無いのかも知れないからね。そのつもりで、むやみに手暴(てあら)な事をしちゃあいけませんよ」
「いや、それは未練だ」と、長八は叱るように云った。「お北が幸之助と裏口で立ち話をしているのを、妹も二、三度見たことがあると云うのだ。お秋も今まで隠していたが、これも二人の立ち話を時どきに見たと云う。してみれば、証拠は十分だ。長三郎、決して容赦するなよ。おまえは年の割合には剣術も上達している。万一、幸之助が邪魔をして、刀でも抜いて嚇かすようなことがあったらば、お前も抜いて斬ってしまえ」
内心はどうだか知らないが、父としてはこう命令するよりほかは無かったのであろう。
長八はさらに我が子にむかって、探索の心あたり四、五ヵ所を云い聞かせると、長三郎は委細こころえて、父の前を退いた。そうして、すぐに表へ出る支度をしていると、母は幾らかの小遣い銭をくれて、その出ぎわに又ささやいた。
「お父さんはああ云っているけれども、なにしろ総領むすめなんだからね。おまえに取っても姉さんなのだから……」
長三郎は無言でうなずいて出たが、なにぶんにも困った役目を云い付かったと、彼は悲しく思った。
姉を庇(かば)う母の心はよく判っているが、この場合、一刻も早く姉をさがし出して、なんとかその処分をしなければ、父の身分にも関わる、家名にも関わる。たとい母には恨まれても、父の指図通りにしなければならない。白い蝶の探索については、彼も一種の興味を持っていたが、今度の探索はなんの興味どころか、単に辛(つら)い、苦しい役目と云うに過ぎなかった。
それでも彼は奮発して出た。勿論、どこという確かな目当てもないのであるが、さしあたりは父に教えられた心あたりの四、五ヵ所をたずねることにした。それは母方の縁者や、多年出入りをしている商人(あきんど)などの家で、あるいは青山(あおやま)、あるいは高輪(たかなわ)、更に本所深川(ほんじょふかがわ)などであるから、いかに若い元気で無茶苦茶に駈けまわっても、それからそれへと尋ね歩くのは容易ではなかった。
しかも行く先ざきで何の手がかりをも探し出し得ないので、彼はがっかりしてしまった。姉はどこへも立廻った形跡がないのである。
疲れた上に、日も暮れかかったので、長三郎はきょうの探索を本所で打切ることにした。本所の家は母方の叔母にあたるので、そこで夜食の馳走(ちそう)になって、六ツ半(午後七時)を過ぎた頃に出て来たが、本所の奥から音羽まで登るにはかなりの時間を費した。江戸市中の地理に明るくない彼は、正直に両国橋(りょうごくばし)を渡って、神田川(かんだがわ)に沿って飯田橋(いいだばし)に出て、さらに江戸川(えどがわ)の堤(どて)に沿うて大曲(おおまがり)から江戸川橋にさしかかったのは、もう五ツ(午後八時)を過ぎていた。
雨催(あめもよ)いの空は低く垂れて、生あたたかい風が吹く。本所で借りて来た提灯をたよりに、暗い夜道を足早にたどって、今や橋の中ほどまで渡り越えたとき、長三郎は俄に立停まった。自分のゆく先に白い蝶が飛んでいるように見えたからである。はっと思ってふたたび見定めようとすると、その白い影はもう消え失せていた。
「心の迷いか」と、長三郎は独りで笑った。
蝶の影は彼の迷いであったかも知れないが、さらに一つの黒い影が彼の眼のさきにあらわれた。水明かりに透かして視ると、それは確かに人の影で、音羽の方角からふらふらと迷って来るのであった。
長三郎は油断なく提灯をさし付けて窺(うかが)うと、それは火の番の娘お冬で、さも疲れたように草履を引摺りながら歩いて来た。
「お冬か」
長三郎は思わず声をかけると、お冬はこちらを屹(きっ)と見たが、たちまちに身をひるがえして元来た方へ逃げ去ろうとした。その挙動が怪しいので、長三郎はすぐに追いかけた。追い捕えてどうするという考えもなかったが、自分を見て慌(あわ)てて逃げようとすうる彼女の挙動が、いかにも胡乱(うろん)に思われたからであった。
疲れているらしいお冬は遠く逃げ去る間(ひま)もなしに、追って来る長三郎に帯ぎわをつかんで引戻された。そのはずみに、彼女はよろめいて倒れた。
「なぜ逃げる。わたしを見て、なぜ逃げるのだ」と、長三郎は声を鋭くして訊いた。
お冬は黙っていた。
「お前はこれからどこへ行くのだ」
長三郎はかさねて詰問しながら提灯の灯に照らして見ると、お冬は右の足に草履を穿いて、左足は素足であった。片眼の女、片足の草履、それが何かの因縁でもあるように、長三郎の注意をひいた。
「おまえは片足が跣足(はだし)だな。草履をどうした」
お冬は黙っていた。
先日、水引屋の職人と一緒に藤助の家をたずねた時にも、お冬は始終無言であったが、今夜もやっぱり無言をつづけているので、長三郎はすこしく焦れた。
「え、なぜ返事をしないのだ。おまえは何か悪いことでもしたのか」
長三郎はその腕をつかんで軽く揺り動かすと、お冬は地に坐ったままで男の手先をしつかりと握った。
前髪立ちとは云いながら、長三郎も十五歳である。殊に今の人間とは違って、その時代の人はすべて早熟である。若い女に、自分の手を強く握られて、長三郎の頰(ほお)はおのずと熱(ほて)るように感じられた。
彼はその手を振払いもせずに暫く躊躇(ちゅうちょ)していると、お冬はいよいよ摺り寄ってささやいた。
「若旦那……。あなたこそどこへお出(い)ででした」
今度は長三郎の方が黙ってしまった。
「あなたは誰かを探して歩いているんじゃございませんか」
星をさされて、長三郎はなんだか薄気味悪くもなった。
この女はどうして自分の秘密の役目を知っているのであろう。もう一つには、今頃こんな取乱したような姿をして、どうしてここらを徘徊しているのであろう。彼は謎(なぞ)のような女に手を握られたままで、やはり暫くは黙っていた。


一〇

編集
お冬は長三郎の手を固く握ったままで、さらにささやいた。
「あなたの探している人は見付かりましたか」
なんと答えようかと孝三郎はまた躊躇したが、結局思い切って正直に云った。
「見付からない」
「教えてあげましょうか」
「おまえは知っているのか」
「知っています」
「ほんとうに知っているのか……。教えてくれ」と、長三郎は疑うように訊いた。
「あなたの探しているひとは……。ご近所にかくれています」
「近所とは……。どこだ」
「佐藤さまのお屋敷に……」と、お冬は左右を見かえりながら声を低めた。
「佐藤……孫四郎殿の屋敷か」と、長三郎は意外らしく訊き返した。「どうして知っている」
それにはお冬も答えないので、長三郎はまた摺り寄ってまた訊いた。
「そこには幸之助と……。まだほかにも隠れているのか」
自分の姉の名をあらわに云い出しかねて、長三郎は探るようにこう訊くと、お冬は頭(かぶり)を掉(ふ)った。
「いいえ、黒沼のお婿さんだけです」
長三郎は失望した。勿論、幸之助の詮議も必要であるが、さしあたりは姉の行くえを探しあてるのが自分の役目である。その姉は佐藤の屋敷にいないと聞いて、彼は折角の手がかりを失ったように思った。それでもふたたび念を押した。
「黒沼幸之助だけは確かに佐藤の屋敷に忍んでいるな」
「はい」
長三郎は焦れて来たので、とうとう姉の名を口にした。
「わたしの姉のお北は一緒にいないのか」
「おあねさんはご一緒じゃありません」
「姉の居どころをおまえは知らないか」
お冬は又だまってしまった。あくまでも焦らされているように思われて、年の若い長三郎は苛々(いらいら)した。
「これ、正直に教えてくれ。頼む」
「お頼みですか」
「頼む、頼む」と、長三郎は口早に云った。
「わたくしもお頼み申したいことがありますが……」と、お冬は自分の顔を男の頰へ摺り付けるようにして、訴えるようにささやいた。
もうこうなっては前後を省みる暇もないので、長三郎は素直に答えた。
「おまえの頼むこと……。なんでも肯(き)いてやる。早く教えてくれ」
「では、一緒においでなさい」と、お冬は起((た)ちあがった。
彼女はやはり男の手を摑んで放さなかった。
この上は彼女の心のままに引摺られて行くのほかは無いので、長三郎も無言で歩み出したとき、宵からの生あたたかい風が往来の砂をまいてどっと吹き付けた。その砂を顔に浴びて、男も女もあわてて両袖(りょうそで)を掩(おお)ったので、繋がっている手と手が自然に離れた。長三郎の持っている提灯の灯もあやうく吹き消されそうになった。
その風のうちに、お冬はなんの音を聞いたのか、俄にうしろを見返ったかと思うと、長三郎のそばを颯(さっ)と離れて、橋を南へ飛鳥のごとくに駈け去った。取残された長三郎は呆気(あっけ)に取られて、再びそれを追い捕える気力もなく、ただぼんやりとそのゆくえを眺めていると、やがて草履の音が北の方から近づいて、頰かむりをした男がうしろから彼に声をかけた。
「あなたはあの女とお知合いでございますか」
相手が何者か判らないので、長三郎は突っ立ったままで睨んでいると、男は頰かむりの手拭(てぬぐい)を取って丁寧に会釈した。
「わたくしは神田の三河町に居りまして、お上(かみ)の御用を勤めている吉五郎という者でございます。失礼ながらあなたは……」
長三郎も黙っていられなくなった。
「わたしは音羽の御賄屋敷にいる瓜生長三郎……」
「はあ、瓜生さんのご子息でございましたか」
丁度いい人に出逢ったと云うように、吉五郎は馴(な)れなれしく摺り寄って来た。
「あの女は音羽の火の番の娘じゃございませんか」
長三郎はうなずいた。
「ご近所ですから、前からご存じなんでしょうな」と、吉五郎はまた訊いた。
「知っています」
「そこで、くどくお尋ね申すようですが、今ここでどんなお話をなすったんでしょう。いや、こんなことを申上げてはたいへん失礼でございますが、これも御用とおぼしめしてご勘弁をねがいます。実は先刻あの女を取押えて、少々取調べて居りますとことへ、思いもよらない邪魔がはいりまして……」
云いかけた時に、強い南風が又もやどっと吹き寄せて来て、二人の顔をそむけさせたが、その風のなかで何を見付けたのか、吉五郎は慌ててふた足三足かけ出した。一羽の白い蝶が風に吹き揚げられたように、地を離れてひらひらと空を舞って行くのである。長三郎もそれを見つけて、思わずあっと声をあげた。
「若旦那。つかまえて下さい」
吉五郎はすぐに蝶を追った。長三郎も一緒に追った。しかも、あいにくに強い風がまた吹き付けたので、蝶は橋の上から斜めに飛んで、川の上に吹きやられてしまった。
「水に落ちたかな」と、長三郎は提灯をかざしながら、残念そうに云った。
「そうでしょう。川の方へ吹き飛ばされちゃあ仕様がありません」と、吉五郎も残念そうに水の上を覗いていた。「しかし若旦那。あなたは何かご覧になりませんでしたか」
「なにを見たかと云うのだ」
「あの蝶々の飛んで行くときに、何かご覧になりませんでしたか」
「いや、別に……」
「そうでしたか」と、吉五郎は微笑(ほほえ)みながらうなずいた。
その一刹那(いちせつな)に、長三郎はふと心付いた。怪しい蝶はよそから飛んで来たのでなく、そこらの地面から吹き揚げられたらしい。暗いなかで不意に起ったことであるから、もちろん確かには判らないが、地に落ちていた蝶が強い風のために空中へ吹き揚げられたのではあるまいか。生きた蝶か死んだ蝶か。あるいはお冬が怪しい蝶を袂(たもと)んでも忍ばせていて、故意か偶然に落して行ったのではあるまいか。その疑いを解こうとして、彼は更に訊き返した。
「おまえは何か見たのか」
「いや、別に……」と、吉五郎は笑っていた。
自分の返事を鸚鵡返(おうむがえ)しにして、冷やかに笑っているような岡っ引の態度を、長三郎は小面(こづら)が憎いように思った。彼は何をか見付けたに相違ない。そうして、意地わるく秘(かく)しているのである。秘されるほど聞きたがるのが人情であるのに、まして今の場合、長三郎はあくまでもその秘密を探り知りたいので、忌々しいのを堪(こら)えながらおとなしく訊いた。
「おまえは何か見たらしい。見たなら見たと云って正直に教えてくれ。わたしもあの蝶々について詮議をしているのだから……」
「そうですか」と、吉五郎はすこし考えながら答えた。「折角ですが、それは申上げられません。あなたもご覧になったのなら格別、わたくしの口からは申されません。こう申したら、定めて意地の悪い奴だとおぼしめすかも知れませんが、御用を勤めている者はみんなそうです。そこで、あなたはどう云うわけで、あの蝶々をご詮議なさるんです」
「別にどうと云うこともないが、このごろ世間で評判が高いから……」
「ただ、それだけの事でございますか」と、吉五郎は相手の顔色を窺いながら云った。「まだほかに、何か仔細があるのじゃあございませんか」
「ほかに仔細はない」と、長三郎は強く云い切った。
「仔細がなければよろしいのですが……」と、吉五郎は又もや意味ありげに云った。「特におあねえ様はもうお屋敷へお帰りになりましたか」
長三郎はぎょっとした。さすがは商売だけに、岡っ引は早くも姉の家出を知っているのである。さてその返答をどうしたものかと、彼も即座の思案に迷っていると、吉五郎は諭すように云った。
「若旦那わたくしは大抵のことを知っています。蝶々のことも大抵は見当が付きました。やっぱりわたくしの鑑定通りでした。近いうちにきっと埒(らち)をあけてお目にかけます。おあねえ様のご安否もやがて判りましょう。ご姉弟(きょうだい)のことですから、おあねえ様の行くえをお探しなさるのはあなたのご料簡(りょうけん)次第ですが、蝶々の一件はあなたがたがお手出しなさらずに、どうぞわたくしどもにお任せください。素人がたに荒されると、かえって仕事が面倒になりますから……。お父様にもよくそう仰(おっ)しゃって下さい」
こうなると、多年の功を積んだ岡っ引と、前髪のある若侍とは、まったく相撲にならないのは判り切っているので、長三郎も意地を張るわけには行かなくなった。
「おまえは姉の在所(ありか)を知っているのか」
「それは存じません。しかし探索の糸を手繰(たぐ)って行けば、自然に判ることだと思います。もし知れましたらば早速にお報(しら)せ申します。自分の手柄をするばかりが能じゃあありません。お屋敷のご迷惑にならないようにきっと取計らいますから、ご安心ください。もうおいおいに夜が更けます。今晩はこれでお別れ申しましょう」
行きかけて、吉五郎はまた立戻った。
「唯今(ただいま)も申した通りですから、あなたがたは決して蝶々の一件に、お拘り合いなさるな。悪くすると、あなたがたのおからだに何かの間違いが無いとも限りませんから……」
吉五郎が最後の一言はあながちに嚇しばかりでは無い、現に黒沼伝兵衛は目白の寺門前で怪しい横死を遂げたのである。それを思うと、長三郎も今更のように一種の不安を感じて、どこにどんなやつが自分を付狙っているかも知れないと、俄に警戒するような心持にもなった。そうして、風の音に油断なく耳と眼とを働かせながら、暗い夜道を提灯に照らして帰る途中、彼はいろいろに考えた。
今夜のことはすべて謎である。お冬の云うことも、吉五郎の云うことも、半分は判っているようで半分は判らない。お冬は自分をどこへ誘って行くつもりであったのか、吉五郎はなにを見付けたのか、長三郎にはよく判らないのである。彼は怪しい娘と岡っ引とに焦らされているようにも感じた。
予想以上に帰りが遅かったので、瓜生の父も母もやや心配していたが、無事に戻って来た我が子の顔をみて、まず安心した。長三郎はきょうの探索の結果を報告して、どこにも姉の立廻ったらしい形跡のないことを説明すると、父の顔色は陰(くも)った。
「不幸者め。困った奴だ。あしたは非番だから、おれも探しに出よう。まだほかにも心あたりはある」
長三郎はお冬に出逢ったことを報告すると、長八の眉はまた皺(しわ)められた。
「してみると、お冬という女はお北のゆくえを知っているのか。おれも最初から火の番のことが気にかかっていたのだが、やはり何かの係り合いがあると見えるな。それにしても黒沼幸之助が佐藤孫四郎の屋敷に忍んでいるとはいいことを聞き出した。どういうわけがあるか知らないが、本人をいったん匿(かく)まった以上、ひと通りの掛合いでは素直に本人を渡すまい。存ぜぬ知らぬとシラを切るに相違ないから、なんとか手段(てだて)をめぐらして、無事に幸之助を受取る工夫をしなければなるまい。それまでは誰にも他言するなよ」
吉五郎に関する報告を聞いて、長八はまた云った。
「三河町の吉五郎の名はおれも聞いている。岡っ引仲間でもなかなかの腕利きだそうだ。それがもう大抵は見当を付けたと云う以上、蝶々の方はどうにか埒が明くのだろう。こうなると、蝶々はどうでもいい、一日も早くお北と幸之助をさがし出して、こっちの埒を明けなければならない」
父としてはこう云うのが当然であると、長三郎も思った。蝶の詮議などはしょせん一種の物好きに過ぎない。それよりも姉のゆくえ詮議が大事であると考えたので、彼は父とあしたの探索の打合せをして寝床にはいった。しかし彼は眼が冴(さ)えて眠られなかった。どうでもいいとは思いながらも、やはり彼は蝶のことが気にかかってならなかった。お冬と白い蝶と、その二つを結び付けて、彼はなんとかしてその謎を解こうと試みたが、結局は無駄な努力に終った。
長三郎が眠られないあいだに、おなじく眠らない人があった。それは吉五郎の子分の留吉で、彼は寺のひと間に衾(よぎ)をかぶって、そら寝入りをしながら寺内の様子を窺っていた。


一一

編集
医者の診察によると、留吉の怪我(けが)は幸いに差したることでも無かった。しかし吉五郎は寺の納所(なっしょ)にたのんで、あしたの朝は駕籠(かご)を迎いに遣(よこ)すから、今夜だけはここへ寝かして置いてくれと云った。寺では少しく迷惑らしいようであったが、相手が相手であるから情(すげ)なく断わるわけにも行かないので、結局承知して吉五郎を帰した。
さっきからよほどの時を費したので、今さら墓場の探索をするのも無駄だと諦(あきら)めて、吉五郎はそのまま表へ出た。それから神田へ帰る途中、江戸川橋でお冬のすがたを認め、さらに長三郎に出逢(であ)ったことは、前に記した通りである。そこで吉五郎がどんな発見をしたかは、留吉はもちろん知らなかったが、親分が自分ひとりをここに残して行った料簡(りょうけん)はよく判(わか)っていた。
「あの医者は手軽そうなことを云ったが、なかなかそうは行かねえらしい。腕も足もずきずきと骨が痛んで、自由に身動きもならねえ。あしたは駕籠に乗って骨つぎの医者へ行って、よく診(み)て貰(もら)わなけりゃあならねえ」
寺の納所たちへ聞えよがしに、彼はこんなことを云って、わざと苦しそうに顔をしかめていた。
そこに寝床を敷いて貰って、彼は頭から衾(よぎ)を引っかぶってしまったが、自分には大事の役目があることを承知しているので、今夜は眠らない覚悟をきめて、徐(しず)かに夜の更けるのを待っていると、目白不動の四ツ(午後十時)の鐘を聞いて、寺内もひっそりと鎮まった。
留吉はこのあいだからこのあたりを徘徊(はいかい)して、付近の様子を探っていたので、この寺の相当に大きいことを知っていた。建物は古いが手入れもよく行き届いていて、寺内には住職のほかに納所坊主が二人、小坊主が一人、古い寺男が一人、都合五人が住んでいる。寝床を敷きに来た小坊主に訊(き)くと、住職の名は祐道(ゆうどう)、納所は全達(ぜんたつ)と信念(しんねん)、寺男は弥七(やしち)と云うのである。
「ほかの坊主はともかくも、和尚の面つきがどうも気に入らねえ」と、留吉は寝ながらに考えた。
外の風の音はまだ止(や)まないで、枕もとの雨戸も時どきに揺れるように響く。その庭先で何やらひとの争うような物音がきこえた。猫や犬が狂っているのではない。確かに人と人とが挑み争っているのである。
留吉は寝床から這(は)い出して、なおも聴き耳を立てていると、外の人は息をはずませて争っている。さらに障子をそっとあけて、縁側まで這い出して雨戸越しに窺(うかが)うと、外の人は二人であるらしく、一人は男、一人は女であることも、その息づかいでおおかたは想像された。かれらは得物を取って闘っているのでなく、空手の摑(つか)み合いであるらしかった。
夜ふけの寺の庭先で、男と女が息を切って摑み合い、むしり合っている。それだけでも唯事(ただごと)ではない。留吉は雨戸の隙間(すきま)から覗(のぞ)いてみようと燥(あせ)ったが、何分にも戸締りが厳重に出来ている上に、長い縁側の戸袋は遠いところにあるので、そこまで這って行って雨戸を繰り明けるのは容易でなかった。よんどころなく雨戸の隙間に耳を押付けて、一心に外の物音を聴き澄ましていると、その物音は吹き消されたようにたちまち鎮まって、風の音のほかには何にもきこえなくなった。
留吉は不思議に思った。なんだか気味が悪いようにも感じた。今まできこえていた物音は自分の空耳であったのか、あれほどの格闘が俄(にわか)にひっそりと鎮まる筈(はず)がない。一方が倒れたならば、尚更その物音がきこえる筈であるのに、何事も無しにたちまち鎮まってしまうのは可怪(おかし)い。しかも自分の耳にきこえたのは、風音でもなく、木の葉の摺(す)れ合う音でもなく、たしかに人と人とが挑み合う音であった。
「変だぞ」
しばらく縁側に這い屈(かが)んで、留一は外の様子を窺っていたが、怪しい物音はふたたび聞えなかった。根負けがして寝床へ戻ったが、彼はいよいよ眼が冴(さ)えて眠られなかった。
どうで夜明かしと度胸を決めているのであるから、眠られぬのは平気であったが、今夜の出来事について彼はいろいろに考えさせられた。男は誰(だれ)か、女は何者か、なんのわけで夜更けに庭先で摑み合っていたのか。自分もその物音を聞いたばかりで、その正体を見届けないのであるから、物に馴(な)れている留吉にも見当が付かなかった。
張り詰めている気もゆるんで、彼は暁(あけ)がたから思わずうとうとと眠った。ふたたび眼をあくと、いつの間にか雨戸は開け放されて、縁先には朝の光が流れ込んでいた。手足のまだ痛むのを堪(こら)えながら、留吉は寝床の上に起き直ると、枕もとの煙草盆(たばこぼん)には新しい火が入れてあった。自分の寝ているうちに、小坊主が覗きに来たものと見える。彼は自分の油断を後悔しながら、不自由の手で煙草を一服すった。
「寝首を掻(か)かれねえのが仕合せだった」と、彼は独りで苦笑いした。
寺では寝巻を貸してやろうと云ったのを断わって、彼はゆうべからごろ寝をしていたので、そのまま這い起きて羽織をかさねた。例の物音が気になるので、彼はそっと縁側へ出てみると、庭先はもう綺麗(きれい)に掃いてあって、そこで摑み合いのあったらしい形跡は残されていなかった。それでも彼は庭下駄を突っかけて、覚束(おぼつか)ない足どりで庭に降りた。
ゆうべの風はいつか吹きやんで、今朝はうららかに晴れていた。庭のまん中にある桜の大樹も、もうひと雨でほころびそうに紅(あか)らんで、春をよろこぶ小鳥の声が賑(にぎ)やかにきこえた。よく見ると、その木の下には古い苔(こけ)を踏み荒らした足跡が残っている。怪しい物音は自分の空耳でなかったことを確かめて、留吉は又もや独りで笑いながら、身を屈めてそこらあたりを見まわしたが、別にこれぞという物も見いだされなかった。
痛むからだを我慢して、さらに墓場の方へ行きかかる時、ふと見かえると住職の祐道が法衣(ころも)すがたで自分のうしろに突っ立っていたので、留吉はすこし慌(あわ)てながら挨拶(あいさつ)すると、祐道はその蒼(あお)ざめた顔に笑みを含みながら云った。
「お痛み所はいかがですな」
「おかげさまで、よほど楽になりました」
「それは結構でござる。まあ、ご大切になさい。昨夜も申上げた通り、わたしも風邪(かぜ)で引籠(ひきこも)って居りましたが、今朝はよんどころない法用で唯今(ただいま)から外出いたします。吉五郎どのが見えましたらば、よろしくお仕えください」
「行ってらっしゃい」と、留吉も丁寧に会釈した。
「では、ごめん」
祐道はそのまま立去った。そのうしろ姿が植込みの八つ手の大きな葉かげに隠れるのを見送っているうちに、八つ手の葉が二、三枚新しく折れているらしいのが留吉の眼についた。近寄よって見ると、下葉は果して折れていた。しかも何物かが無理に摑んで引折ったらしく見えた。おそらく昨夜の格闘の際に、一方の相手が何かのはずみに下葉を摑んだのであろう。そう思いながら更に見まわすと、その折れかかった下葉に白い糸屑(いとくず)が引っかかっていた。早朝に掃除をした者も、さすがにそこまでは気がつかなかったらしい。留吉はその糸屑をとって、朝のひかりに透かしてみると、糸の長さは四、五寸で、俗に菅糸(すがいと)という極めて細いものであった。
女の住んでいない寺中では、僧侶が針や鋏(はさみ)を持つことが無いとも云えない。その糸屑が庭先に散っていたとて、さのみ怪しむにも足らないかも知れないが、留吉はゆうべの一件を思い合せて、この糸屑にも何かの仔細(しさい)があるらしく疑われたので、あたりを窺いながらそっと自分の袂(たもと)に忍ばせた。
庭先に余り長く徘徊していて、他の僧らに怪しまれては何かの邪魔であると思ったので、留吉は縁側に這いあがって、ふたたび元の寝床の上に坐(すわ)っていると、やがて小坊主が朝飯を運んで来て、きょうは起きられるかと訊いたので、どうにか起きられるようにはなったが、まだ手足の自由が利かないから、迎いの駕籠の来るまではこうして置いてくれと、留吉は頼んだ。小坊主はこころよく承知して、どうぞごゆっくりと答えて去った。
午(ひる)に近い頃に、吉五郎は迎いの駕籠を吊(つ)らせて来て、納所坊主や寺男に礼を云って、留吉を受取って出た。出るときに、吉五郎は寺男の弥七に幾らかの銀(かね)をつつんでやった。
「親分。不動さまの境内まで駕籠をやってください」と、留吉は小声で云った。
駕籠は音羽の大通りへ出ないで反対の方角にむかって目白坂をのぼった。不動の門前に駕籠をおろさせて、駕籠屋をそこに待たせて置いて、留吉は親分に扶(たす)けられながら門内にはいったが、人目を憚(はばか)るかれらは、客をよぶ掛茶屋をよそに見て、鐘撞堂(かねつきどう)の石垣のかげに立った。
「どうだ、留。早速だが、なにか種は挙がったか」と、吉五郎は頰(ほお)かむりの顔を摺り寄せて訊いた。
「別に面白いこともありませんでしたが……。でも、一つ、二つ……」
留吉はまず夜なかの格闘の一件を話した。それから彼(か)の糸屑を出してみせると、吉五郎はひと目見て笑い出した。
「はは、これだ、これだ。実はこの菅糸をおれも見たよ」
「どこで見ました」
「江戸川橋の上で……。ゆうべおめえに別れてから、風の吹くなかを帰って行くと、橋の上で火の番の娘を見つけたんだ」
「お冬があんな所をうろついていましたか」
「一旦(いったん)ここを逃げてから、どこをどう迂路(うろ)ついていたのか知らねえが、橋の上で若い侍と話していて、おれの跫音(あしおと)を聞きつけるとすぐにまた逃げてしまった」
「その侍は何物です」
「その侍は御賄組の瓜生長三郎……。このごろ家出をしたお北という娘の弟だ。いや、それはまあ後のことにして、おれがその侍と話しているうちに、一つの白い蝶々(ちょうちょう)がひらひらと舞いあがった」
「ふむう。白い蝶々がまた出ましたかえ」と、留吉も眼をみはった。
「おれの鑑定では、お冬の袂から一旦落ちたのを、強い風に吹きあげられて……。まあ、そう思うより仕方がねえ」と、吉五郎は説明した。「侍の持っている提灯の灯で透かして視(み)ると、その蝶々には細い糸が付いている……。細くって、光っているのを見ると、これだ、この菅糸だ。中途で切れたと見えて、やっぱり七、八寸ぐらいしか付いていなかったが、おれの眼には確かに菅糸と見えたんだ」
「その蝶々はどうしました」
「捉まえようと思ううちに、風の吹きまわしで川のなかへ落ちてしまったが、蝶々も生き物じゃあねえ、薄い紙か絹のような物で上手に拵(こしら)えたんだろうと思う。暗いなかで光るのは、羽に何かの薬が塗ってあるんだな。早く云えばお化けのような物だ」
この時代には、子供の玩具(おもちゃ)に「お化け」というものがあった。燐(りん)のたぐいを用いたもので、それを水に溶かして人家の板塀または土蔵の白壁などに幽霊や大入道のすがたを書いて置くと、昼ははっきりと見えないが、暗い夜にはその姿が浮いたように光って見えるのである。もちろん、子供の幼稚な悪戯(いたずら)に過ぎないので、それに驚かされる者は少ないのであるが、気の弱い娘子供などは、やはりこの「お化け」を恐れ嫌った。怪しい蝶が闇夜(やみよ)に光るのは、それに類似の手段(てだて)を用いたのであろうと、吉五郎はひそかに想像していたのであった。
「そうかも知れませんね」と、留吉もうなずいた。「さもなけりゃあ、寒い時節に蝶々の飛び出す筈がありませんからね」
「そこで、その蝶々がどうして飛ぶか……。拵(こさ)え物を飛ばせる以上、誰か糸を引く奴(やつ)がなけりゃあならねえ。おれがだんだんに調べてみると、その蝶々が飛び出すのは風の吹く晩に限っているらしい。そうなると、いよいよ怪しい。と云って、小さい蝶々を飛ばせるには、どんな糸を使うのか、それとも何かの機関(からくり)仕掛けにでもなっているのか。おれは上野の烏凧(からすだこ)から考えて、多分この菅糸を使うんだろうと鑑定していた。おめえも知っているだろう。花どきになると、上野じゃあ菅糸の凧を売っている。薄黒いから烏凧というのだ。あの凧は薄い上に、糸が極細の菅糸だから風のない日でもよくあがる。今度の蝶々にも菅糸をつけて、風の吹く晩に飛ばせるんだろう。そうして、暗い晩を狙(ねら)ってやりゃあ自分の姿はみえねえ。蝶々だけが光る……。まあ、こんな手妻(てづま)だろうと思っていた。ところが案の通り、ゆうべの蝶々には菅糸が付いていた。おめえも寺の庭で菅糸を拾った。万事が符合する以上は、もう間違いはあるめえ。蝶々の正体は大抵判ったと云うものだ」
「そうです、そうです」と、留吉は又うなずいた。「成程、親分の云う通り、お化けと烏凧で、手妻の種はすっかり判った。ところで、それを使う奴は……」
「お冬という奴だろう」
「なぜそんな事をするんでしょう。ただの悪戯でもあるめえが……」
「ただの悪戯じゃあねえに決まっている。それにはお冬を使って、何かの仕事を目論(もくろ)んでいる奴があるに相違ねえ。誰かがお冬の糸を引いて、お冬がまた蝶々の糸を引くと云うわけだから、順々に手繰(たぐ)って行かなけりゃあ本家本元は判らねえ。それにしても、ここまで漕ぎ付けりゃあ大抵の山は見えているよ」と、吉五郎は笑っていた。
「そうすると、お冬はゆうべ又あの寺へ舞い戻って来たんでしょうか」と、留吉はまた訊いた。
「そうのようにも思われる。そうでねえとも思われる。おれもそれを考えているんだが……」
「でも、その菅糸が落ちていたんですよ」
「この一件はお冬ばかりじゃあねえ。大勢の奴らが係り合っているらしいから、糸屑だけでお冬とも一途(いちず)に決められねえ」と、吉五郎はまだ考えていた。「だが、まあ、今の話はこれだけにしよう。来たついでと云っちゃあ済まねえが、不動さまにお詣(まい)りをして別れようぜ」
二人は本堂の方へ足を向けた。


一二

編集
親分と子分は不動堂の門前で別れて、留吉を乗せた駕籠は神田へ帰った。吉五郎は頰かむりをして音羽の大通りへ出ると、水引屋の市川屋の店先に、子分の兼松(かねまつ)が人待ち顔に腰をかけていた。彼は親分のすがたを見つけて、小走りに寄って来た。
「もし、面白いことがありそうですよ」
「むむ、どんなことだ」
兼松は振返って小手招きをすると、店から職人の源蔵が出て来た。吉五郎に引合されて、彼は丁寧に会釈した。
「わたくしは市川屋の職人で源蔵と申します。なにぶんお見識(みし)り置きを……」
「わたくしも今後よろしく願います。そこで、兼。この源蔵さんという人に何か手伝って貰うことでもあるのかえ」と、吉五郎は訊いた。
「実はね」と、兼松は声をひくめた。「この源蔵がゆうべ変なことを見たと云うんです」
「なにを見たね」
吉五郎は職人の方へ向き直ると、源蔵も小声で話し出した。
「実は昨晩、高田(たかだ)の四(よ)つ家町(やちょう)まで参りまして、その帰り途(みち)に目白坂の下まで参りますと、寺の生垣の前に男と女が立ち話をして居りましたが、わたくしの提灯(ちょうちん)の灯を見ると、二人ともに慌てて寺のなかへ隠れてしまいました。夜目遠目で確かなことは申されませんが、男は火の番の藤助で、女はむすめのお冬のように思われたのでございます。お冬はともあれ、このあいだから行くえ知れずになっている藤助がこの辺にうろ付いていて、往来なかで娘と立ち話をしているのは何だか変だと思いましたが、その時はそれぎりにして帰ってまいりました。そこで、念のために今朝ほどお冬の家へ行ってみますと、お冬は留守でございました。勿論(もちろん)、藤助のすがたも見えず、家は空明(がらあ)きになって居りました」
「それは宵のことかえ」
「左様でございます。まだ五ツ(午後八時)にならない頃でございました」
「それから、もう一つのことも話してしまいねえ」と、兼松は催促した。
「へえ」と、源蔵はやや当惑らしい顔色をみせたが、やがて思い切ってまた云い出した。
「わたくしももう五十で、年のせいでございましょうか、若い人たちのようにはどうも眠られません。昨晩も風の音が耳につきましておちおちと眠られずに居りますと、なんでも夜なかの事でございました。表で頻(しき)りに犬の吠(ほ)える声が聞えるのでございます」
「むむ」と、吉五郎もそのあとを催促するように相手の顔をみつめた。
「夜なかに犬の吽のは珍らしくもございませんが、あんまり烈しく啼(な)きますので、わたくしも何だか気味が悪くなりまして、そっと起きて店へ出まして、雨戸の節穴から覗いてみますと、表は真っ暗でなんにも見えませんでしたが、犬の吠えているのは隣りの店のまえで、その犬の声にまじって人の声が聞えるのでございます。低い声ですからよくは判りませんが、ふたりで話しているらしいので……」
「男の声かえ、女の声かえ」
「どっちも男の声のようで……」
「その男が何を話していたえ」
「それがはっきりと判りませんでしたが……。ひとりがなぜ寺へ埋めないのだと云っていたようでございました」
「その声に聞き覚えはなかったかね」
「何分はっきりとは聞き取れませんので……」
「それからその二人はどうしたね」
「やがてどこへか行ってしまったようで、犬の声もだんだんに遠くなりました」
「どっちの方へ遠くなったえ」
「橋の方へ……」
「もうほかに話してくれることは無いかね」
「へえ」
「いや、大きにご苦労。この後も何か気のついたことがあったら教えてくんねえ」
「かしこまりました」
源蔵はほっとしたように立去った。それを見送って、吉五郎は子分にささやいた。
「正直そうな奴だな」
「小博奕(こばくち)ぐらいは打つでしょうが、人間は正直者ですよ」と、兼松は答えた。「そこで、親分。今の話の様子じゃあ、ゆうべこの辺で人間の死骸(しがい)を運んだ奴があるらしゅうござんすね」
「むむ。まんざら心当りがねえでもねえ。おれもたった今、留の野郎から聞いたんだが……。おい、耳を貸せ」
吉五郎はふたたびささやくと、兼松は顔をしかめながら幾たびかうなずいた。
「へえ、そんなことがあったんですか。夜なかに寺の庭先で男と女が挘(むし)り合いをして……。じゃあ、その女が息を止められたんでしょうね」
「まあ、そうだろうな」
「女は誰でしょう。お冬でしょうか」
「さあ、それが判らねえ。この一件にはお冬と、御賄屋敷を家出したお北という女と、佐藤の屋敷に隠れているお近という女と、都合三人の女が引っからんでいるらしいので、どれだかはっきりとは判らねえが、まずこの三人のうちだろう。みんな殺されそうな女だからな」
「それにしても、まあ誰でしょう」
「執拗(しつこ)く訊くなよ。それを穿索(せんさく)するのがおめえ達の商売じゃあねえか」と、吉五郎は笑った。
「だが、まあ、おれの鑑定じゃあお近という女だろうな。なにしろ自分が殺されそうになっても、ちっとも声を立てずに争っていたのを見ると、よっぽどのしっかり者に相違ねえ。お北というのはどんな女だか知らねえが、いくら武家の娘でもこういう時にはなんとか声を立てる筈だ。お冬もしっかり者らしいが、なんと云っても小娘だ。大の男を相手にして、いつまでも激しく争っていられそうもねえ。そうなると、まずお近だろうな」
「なるほど、そういう理窟になりますね。それで、これからどうしましょう」
「佐藤の屋敷へ踏み込むか、祐道という坊主を締め上げるか、それが一番早手廻しだが、なにぶん一方は旗本屋敷、一方は寺社の係りだから、おれたちが迂闊(うかつ)に手を入れるわけにも行かねえので困る。まあ、気長に手繰って行くよりほかはあるめえ。第一に突き留めなけりゃあならねええのは、その死骸の始末だが、寺で殺して置きながら墓場へ埋めてしまわねえのは、後日の証拠になるのを恐れたのだろう。川へ流したか、それとも人の知らねえような所へ埋めてしまったか。源蔵の話じゃあ、二人の男が橋の方へ行ったらしいと云うから、ひょっとすると何かの重石(おもし)でも付けて、江戸川の深いところへ沈めたかも知れねえ。日が経って浮き上がったにしても、死骸がもう腐ってしまえば人相は判らねえからな」
「そうですね。殺した奴は誰でしょう」
「おればかり責めるなよ。おめえもちっと考えろ」と、吉五郎はまた笑った。「殺されそうな女も三人あるが、殺しそうな男も三人ある。火の番の藤助と、黒沼の婿の幸之助と……。もう一人は寺の住職……。まず三人のうちらしいな。いや、往来でいつまでも立ち話をしているのは良くねえ。そこらで午飯(ひるめし)でも食いながら相談するとしよう。留はあの様子じゃあ、まだ当分は思うように働かれねえ。おめえが名代(みょうだい)にひと肌ぬいでくれ。頼むぜ」
「ようがす」
二人は連れ立って、そこらの小料理屋へあがると、時刻はもう午を過ぎているので、狭い二階には相客もなかった。縁側に寝ころんでいた猫は人の影をみて早々に逃げて行った。
「あんまり居心地のいい家(うち)じゃあねえな」と、兼松はつぶやいた。
「まあ、仕方がねえ。こういうときには、繁昌しねえ家の方が都合がいいのだ」
親分も子分も少しは飲むので、取りあえず酒と肴(さかな)をあつらえて猪口(ちょこ)を取りかわした。
「今度の一件は留の受持ちで、わっしは中途からの飛び入りだから、詳しいことが腹にはいっていねえんですが……」と、兼松は猪口を下に置いて云い出した。「いったい、佐藤の屋敷に忍んでいるお近という女は何者ですね」
「今はお近といっているそうだが、以前はお亀といって、深川の羽織をしていたんだ」
「むむ。芸者あがりかえ」
「容貌(きりょう)もよし、気前もいいとか云うので、まず相当に売れているうちに、金田(かねだ)という千石取りの旗本の隠居に贔屓(ひいき)にされて、とうとう請出されて柳島(やなぎしま)の下屋敷(しもやしき)へ乗込むことになったのだ」と、吉五郎も猪口を置いて説明した。「それでまあ二年ほど無事に暮らしていたのだが、今から足かけ四年前の秋のことだ。十三夜の月見で、夜の更けるまで隠居と仲よく飲んでいた。……それまでは屋敷の者も知っているが、そのあとはどうしたのか判らねえ。夜が明けてみると、隠居は寝床のなかに死んでいた。酔って正体もなしに寝ているところを、剃刀(かみそり)のようなもので喉を突いたらしい。手箱のなかに入れてあった三十両ほどの金がなくなっている。お亀のすがたは見えねえ」
「隠居を殺して逃げたのか。凄(すご)い女だな」
「いくら隠居でも、妾(めかけ)に殺されたと云うことが世間にきこえちゃあ、屋敷の外聞にもかかわるから、表向きは急病頓死と披露して、それはまあ無事に済んだのだが、当主の身になると現在の親を殺されてそのままにゃあ済まされねえ。そこで、八丁堀の旦那のところへ内々で頼んで来て、お亀のゆくえを穿索して貰いたいと云うのだ。おれたちも旦那方の内意をうけて当分はいろいろに手を廻してみたが、お亀のありかは判らねえ。なかなか悧口(りこう)な女らしいから、素早く草鞋(わらじ)を穿いてしまって、もう江戸の飯を食っちゃあいねえらしい」
「なんで隠居を殺したんだろう」
「隠居には随分可愛いがられて、云う目が出ている身の上だから、三十両ぐらいの金が欲しさに、主(しゅう)殺しをする筈のねえのは判り切っている。三十両は行きがけの駄賃に持って行っただけのことで、ほかに仔細があるに相違ねえ。下屋敷は少人数だから、どうもよく判らねえのだが、女中たちの話によると、なんでも五、六日前に隠居と妾とが喧嘩(けんか)をした事があるそうだ。その時は隠居もかなり激しく怒った様子で、お亀も蒼い顔をしていたと云うから、その喧嘩がもとでこんな事になったらしいが、どんな喧嘩をしたのか誰も知らねえから見当が付かねえ。なにしろちっとも手がかりがねえので、おれたちももう諦めてしまった頃へ、この頃になってふと聞き込んだのは、お亀によく肖(に)た女を音羽辺で見かけた者があると云うのだ。そこで、留に云いつけて、この音羽から雑司ヶ谷(ぞうしがや)の辺を探索させると、あいつもさすがに馬鹿じゃあねえ、それからそれへと手をのばして、とうとうその佐藤の屋敷に忍んでいることを突き留めたのだが、さっきも云う通り、旗本屋敷に巣を喰(く)っているので、迂闊に手入れをすることが出来ねえ。しかしこうなりゃあ生洲(いけす)の魚(うお)だ。遅かれ早かれ、こっちの物よ」
吉五郎は冷えた猪口を飲みほして、自信があるように微笑んでいると、兼松もおなじく得意らしく笑った。
「まったくこうなりゃあ生洲の魚だ。そのお亀……お近という奴は今までどこに隠れていたんでしょう。初めから佐藤の屋敷に忍んでいたんでしょうか」
「そうじゃあるめえ」と、吉五郎は頭(かぶり)をふった。「それなら足かけ四年も知れずにいる筈はねえ。女は確かに草鞋を穿いていたに相違ねえ。おれもよく調べて見なけりゃあ判らねえが、佐藤という旗本はお近が深川にいる時からの馴染(なじ)みかも知れねえ。留の話によると、佐藤は三年ばかり長崎へ御役に出ていて、去年の秋に江戸へ帰って来ると、お近はそのあとから付いて来たと云うのだ。してみると、お近も長崎へ行っていて、佐藤と一緒に引揚げて来たのだろう。おれたちが鵜(う)の目鷹(たか)の目で騒いでも知れねえはずよ。相手は遠い長崎の果てに飛んでいたのだ」
云いかけて、吉五郎は俄に表へ耳をかたむけた。
「なんだか騒ぞうしいようだぜ。火事かな」
兼松はすぐに起(た)って往来にむかった肱掛(ひじか)けをあけると、うららかな春の町を駈けてゆく人びとのすがたが乱れて見おろされた。
「弥次馬が駈け出すようですね。なんだろう。ちょいと見て来ます」
云いすてて兼松階子(はしご)を降りて行ったが、やがて引返して来て仔細ありげに囁いた。
「江戸川橋の下へ死骸が浮き上がったそうですよ」
「死骸が……」と、吉五郎も眼をひからせた。「女か」
「若い女だそうです。何でも十八九の……」
「十八九か」
「なにしろすぐに行って来ましょう」
「むむ、おれも後から行く」
兼松を出してやって、吉五郎は忙がしそうに手をたたくと、女中が階子をあがって来た。
「どうも遅くなりまして相済みません。ご飯は唯今すぐに……」
「いや、飯の催促じゃあねえ」と、吉五郎は煙草入れを仕舞いながら云った。「姐(ねえ)さん。そこの川へ死骸が浮いたそうだね」
「そうだそうで……」と、女中は声をひくめた。「わたくしは見にまいりませんけれど、まだ若い娘さんだそうです」
「十八九と云うじゃあねえか」
「ええ。なんでもここらの人らしいと云う噂(うわさ)で……」
「ここらの人だ……。お武家かえ、町の人かえ」
「お武家さんらしいとか申しますが……」
「そうかえ。わたしたちは少し急用が出来たから、酒も飯もいらねえ。すぐに勘定をしてくんねえ」
「はい、はい」
女中が早々に降りて行ったあとで、吉五郎は一旦しまいかけた煙草入れを取出して、また徐かに一服吸った。
江戸川に発見された死骸は、十八九の若い女で、武家らしい風俗である。瓜生の娘お北――それがすぐに吉五郎の胸に泛(う)かんだ。
「おれの鑑定は外れたかな」
寺で殺されて川へ流された女――それはお近ではなかったのか。お北か、お近か、彼はまだ半信半疑であった。
「こういうときには落着くに限る」
彼はさらに二服目の煙草を吸った。表を駈けてゆく跫音はいよいよ騒がしくきこえた。


一三

編集
料理屋の勘定をすませて吉五郎は表へ出ると、江戸川の方角へむかって見物の弥次馬が駈けてゆく。吉五郎は目立たぬように頰かむりをして、その弥次馬の群れにまぎれ込んで行くと、江戸川橋から桜木町(さくらぎちょう)の河岸へかけて、大勢の人が押合っていた。検視の役人がまだ出張っていないので、死骸は岸の桜の下へ引揚げたままで荒筵(あらむしろ)を着せてあった。吉五郎はそつと眼をくばると、人込みのなかに兼松のすがたが見いだされた。市川屋の源蔵もまじっていた。
「御賄屋敷の娘さんと云うじゃありませんか」
「瓜生さんのお嬢さんだそうですよ」
「なんでも二、三日前から家出をしていたんだと云うことですがね」
「身投げでしょうか。殺されたんでしょうか」
口々に語り合っている弥次馬の噂󠄀を聴きながら、吉五郎はなおもあたりに目を配っていると、十三四歳らしい武家の娘と、十八九ぐらいの女中らしい女とが息を切って駈け付けて来た。
「ちょっと御免ください」
諸人を分けて死骸のそばへ進み寄ると、あたりの人びとは俄に路を開いた。その様子をみて、吉五郎はすぐに覚った。ひとりは瓜生の妹娘で、ひとりは奉公人であろう。父や母は世間の手前、ここへ顔出しも出来ないので、娘と女中が取りあえず真偽を確かめに来たに相違ない。見物の人びともその顔を見識っているので、すぐに路を開けて通したのであろう。さてこれからどうなるかと窺っていると、女中は死骸のそばに立っている自身番の男に会釈した。
「この死骸をみせて貰うことは出来ますまいか」
「はい、どうぞ……」と、男は気の毒そうに云いながら、顔のあたりの筵を少しくまくりあげて見せた。
二人の女はひと目のぞいて、たがいに顔を見あわせたが、それぎり暫く何も云わなかった。やがて男にふたたび会釈して、二人は無言のままで立去ってしまった。
「家(うち)から云い付けられて来たんだろうが、さすがはお武家の女たちだな」
「ちっとも取乱した様子を見せないぜ」
かれらのうしろ姿を見送って、人びとは囁いていた。吉五郎は猶(なお)もそこに佇(たたず)んで、検視の来るのを待っていあが、役人は容易に来なかった。真昼の春の日を浴びて、人込みのなかに立っていて、彼は少し逆上(のぼ)せて来たので、あとへさがって河岸端の茶店へはいると、兼松もつづいて葭簀(よしず)のうちへはいつて来た。
「死骸は瓜生さんの娘に相違ないそうですよ」と、彼は小声で云った。
「むむ、あの女たちの様子で判っている」と、吉五郎もうなずいた。「だが、おれの鑑定もまんざら外れたわけじゃあねえ。あの死骸は寺で殺されたんじゃあねえ。自身番の奴が筵をまくった時に、おれもそっと覗いてみたが、死骸の顔にも頸(くび)のまわりにも疵(きず)らしい痕(あと)はなんにも見えなかった。第一、人に殺されたような顔じゃあねえ」
「じゃあ、ただの身投げでしょうか」
「まずそうだろうな。寺で殺された女はほかにある筈だ」と、云いかけて吉五郎は葭簀の外を覗いた。「おい、兼。あすこで源蔵と立ち話をしている中間(ちゅうげん)は、どこの屋敷の奴だが、そっと源蔵に訊いてみろ」
「あい、あい」
兼松は駈け出して行ったが、やがてまた引返して来た。
「あれは佐藤の屋敷の中間で、鉄造(てつぞう)というのだそうです」
「そうか。留がいるといいんだが……」と、吉五郎は舌打ちした。「まあ、いい。おれが直(じか)に当ってみよう。おめえはここに残っていて、検視の来るまで見張っていてくれ」
吉五郎は茶店を出ると、かの中間はまだそこを立去らずに、あとからだんだんに集まって来る見物人の顔を、じろじろと眺めていた。そのそばへ摺り寄って、吉五郎は馴れなれしく声をかけた。
「おい、兄哥(あにい)、済まねえが、ちょいと顔をかしてくんねえか」
「おめえは誰だ」と、中間は睨(にら)むように相手の顔を見返った。
「おめえは三河町の留という野郎を識っているだろう」
「三河町の……留……」と、中間はその眼をいよいよ光らせた。「その留がどうしたんだ」
「留が少し怪我をしたので、おれが代りに来たんだ。野暮を云わねえで、そこまで一緒に来てくんねえ」
「むむ、そうか」
中間も相手の何者であるかを大抵推量したらしく、思いのほか素直に誘い出されたので、吉五郎は先に立って彼を元の小料理屋へ連れ込むと、さっき余分の祝儀をやった効目があらわれて、女中はしきりに世辞を云いながら二人を二階へ案内した。
「おめえは三河町の吉五郎だろう。なんで俺をこんな所へ連れて来たのだ」と、中間の鉄造は落着かないような顔をして云った。
「ああ、待ちねえ。だんだんに話をする」
酒と肴を註文して、女中を遠ざけた後に、吉五郎は打ちくつろいで話し出した。
「このあいだ中から内の留がいろいろおめえのご厄介になっているそうだが……」
「なに、別にどうと云うこともねえんだが……」と、鉄造はまだ油断しないように眼をひからせていた。
「川へ揚がった死骸は、御賄屋敷の瓜生さんの娘だろうね」
「むむ」
「どうして死んだんだね」
「おらあ知らねえ」
「知らねえかえ」と、吉五郎は考えていた。「それはまあ知らねえとして、ゆうべの夜なかにおめえはどこへ行ったえ」
鉄造は黙っていた。
「あの風の吹く夜なかに、犬に吠えられながら二人連れでどこへ行ったんだよ」と、吉五郎はかさねて訊いた。
「おらあそんな覚えはねえ」と、鉄造は声を尖(とが)らせた。
「それじゃあ人違いかな。お近さんの死骸を運んで行ったのは、おめえたちじゃあなかったかな」
相手の顔色が変ったのを見て、吉五郎は畳かけて云った。
「おめえたちはふだんからお近さんの世話になって、相当に小遣いも貰っていたんじゃあねえか。よんどころなく頼まれたとは云いながら、その死骸を捨てる役を引受けちゃあ、あんまり後生がよくあるめえぜ」
「なんと云われても、そんな覚えはねえよ」と、鉄造はふたたび声を尖らせた。
「そう喧嘩腰になっちゃあいけねえ。おたがいに仲よく一杯飲みながら話そうと思っているんだ」
あたかも女中が膳(ぜん)を運んで来たので、話はしばらく途切れた。女中に酌をさせて一杯ずつ飲んだ後に、ふたりはふたたび差向いになった。
「目白坂下の寺は、おめえの屋敷の菩提所(ぼだいじょ)かえ」と、吉五郎は猪口を差しながら訊いた。
「そうじゃあねえ」
「それじゃあお近さんの識っている寺かえ」
「おらあ知らねえ」
「何を云っても知らねえ知らねえじゃあ、あんまり愛嬌(あいきょう)が無さ過ぎるな」と、吉五郎は笑った。「もう少し色気のある返事をして貰おうじゃあねえか」
「色気があっても無くても、知らねえことは知らねえというよりほかはねえ。木刀をさしていても、おれは屋敷の飯を食っている人間だ。むやみにおめえたちの調べは受けねえ」
素直にここまで出て来ながら、今さら喧嘩腰になって気の強いことを云うのは、俄に一種の恐怖を感じて来たに相違ない。それがうしろ暗い証拠であると、吉五郎は多年の経験で早くも覚った。
「まったくおめえの云う通りだ。屋敷奉公のおめえたちをこんな所へ連れ込んで、むやみに調べると云うわけじゃあねえ」と、吉五郎は諭すように云った。「留吉はおれの子分だ。おめえもその留吉と心安くしている以上、おれともまんざらの他人という筋でもねえ。それだから、ここまで来て貰って、おめえの知っているだけのことを……」
「その留吉だって昨日きょうの顔なじみだ。別に心安いという仲じゃあねえ」
「どこまで行っても喧嘩腰だな」と、吉五郎はまた笑った。「それじゃあもうなんにも訊くめえが、おれの方じゃあおめえを他人と思わねえから、ただひと言云って置くことがある。おめえ、あの屋敷に長くいるのは為にならねえぜ」
「なぜだ」
「白魚河岸の吉田幸之助というのは、おめえの主人とは縁つづきで、ふだんから出入りをしているうちに、お近さんと仲よくなった、それがまた、不思議な廻(めぐ)りあわせで、近所の御賄屋敷へ養子に来るようになった。女房になる筈のお勝という娘は病気で、すぐには婚礼もできねえそのうちに、隣りの娘と出来合ってしまった。それがお近さんに知れたので、やきもち喧嘩で大騒ぎだ。まあ、それまではいいとしても、それが為に幸之助は身を隠す、お勝という娘は自害する、お北という娘は身を投げる、お近さんは殺される。これほどの騒動が出来(しゅったい)しちゃあ、ただ済むわけのものじゃあねえ。積もってみても知れたことだ。お気の毒だが、おめえの主人も係り合いで、なにかの迷惑は逃れめえと思う。そんな屋敷に長居をすりゃあ、おめえたちもどんな巻添えを喰わねえとも限らねえ。まあそうじゃあねえか」
鉄造は息を呑むように黙っていた。
「そればかりじゃあねえ。このごろ世間を騒がしている白い蝶々の種もすっかり挙がっているんだ。火の番の娘のお冬という奴が、菅糸を付けて飛ばしているに相違ねえ」
「おめえはどうしてそんなことを云うんだ」と、鉄造はあわてたように訊き返した。
「そのくらいの事を知らねえようじゃあ、上(かみ)の御用は勤まらねえ」と、吉五郎は冷笑(あざわら)った。
「もうこうなったら仕方がねえ。方ぼうに迷惑する人が出来るのだ。おめえも覚悟していてくれ」
「嚇(おど)かしちゃあいけねえ。おれはなんにも知らねえと云うのに……」と、鉄造は少しく弱い音(ね)をふき出した。「おれは別に覚悟するほどの悪いことをしやあしねえ」
「これだけ云っても、おめえに判らなけりゃあ、もういいや。そんな野暮な話はやめにして、まあゆっくりと飲むとしようぜ」
吉五郎は手をたたいて酒の代りを頼んだ。肴もあつらえた。そうして、無言で酌をしてやると、鉄造もだまって飲んだ。吉五郎も黙って飲んだ。二人はややしばらく無言で猪口のやり取りをしていた。ただ時どきに吉五郎は睨むように相手の顔を見た。鉄造も偸(ぬす)むように相手の顔色を窺った。
云うまでもなく、これは一種の精神的拷問(ごうもん)である。こうして無言の時を移しているあいだに、うしろ暗い人間はだんだんに弱って来て、果ては堪えられなくなるのである。元来が図太い人間は、更にそのあいだに度胸を据え直すという術(すべ)もあるが、大抵の人間はこの無言の責苦に堪え切れないで、結局は屈伏することになる。鉄造もこの拷問に堪えられなくなって来たらしく、手酌でむやみに飲みはじめた。
相手が思う壺(つぼ)にはまって来たらしいのを見て、吉五郎はいよいよ沈黙をつづけていると、鉄造も黙って飲んでいた。代りの徳利が三、四本も列(なら)べられた。
「どういうものか、きょうは酔わねえ」と、鉄造はひとり言のように云いながら、吉五郎の顔を見た。
吉五郎はじろりと見かえったが、やはり黙っていた。鉄造も黙ってまた飲んでいたが、やがてふたたび口を切った。
「おめえはもう飲まねえのか」
吉五郎は答えなかった。鉄造も黙ってまた飲んだが、やがてさらに云い出した。
「おい、おれ一人で飲んでいちゃあ、なんだか寂しくっていけねえ。おめえも飲まねえかよ」
吉五郎はやはり答えなかった。鉄造も黙って手酌でまた飲んだが、徳利や猪口を持つ手が次第に顫(ふる)え出した。彼は訴えるように云った。
「おい。なんとか返事をしてくれねえかよ。寂しくっていけねえ」
吉五郎はふたたびじろりと見返ったままで答えなかった。鉄造は彼自身も云う通り、きょうは全く酔わないのであろう、むしろ反対にその顔はいよいよ蒼ざめて来た。泣くようにまた訴えた。
「おい。おめえはなぜ黙っているんだよ」
「そりゃあこっちで云うことだ」と、吉五郎は初めて口を切った。「おめえはなぜ黙っているんだよ」
「黙っていやあしねえ。おめえが黙っているんだ」
「それじゃあおれの訊くことを、なぜ云わねえ」と、吉五郎は鋭く睨み付けた。
「だって、なんにも知らねえんだ」と、鉄造は吃(ども)りながら云った。
「きっと知らねえか。知らなけりゃあ訊かねえまでのことだ。おれも黙っているから、おめえも黙っていろ」
「もう黙っちゃあいられねえ」
「それじゃあ云うか」
「云うよ、云うよ」と、鉄造は悲鳴に近い声をあげた。
「嘘(うそ)をつくなよ」
「嘘はつかねえ。みんな云うよ」
「まあ、待て」
吉五郎は起って、階子の下をちょっと覗いたが、引返して来てふたたび鉄造と向い合った。
「さあ、おれの方からはいちいち訊かねえ。おめえの知っているだけのことを残らず云ってしまえ」
初めの喧嘩腰とは打ってかわって、鉄造はもろくも敵の前に兜(かぶと)をぬいだ。それでも彼はまだ未練らしく云った。
「おれがべらべら喋(しゃべ)ってしまった後で、おめえは俺をどうするんだ」
「どうもしねえ、助けてやるよ」
「助けてくれるか」
鉄造はほっとしたような顔をした。吉五郎は彼に勇気を付けるために、徳利を取って酌をしてやった。


一四

編集
姉のお北の死骸が江戸川に浮かびあがった時、弟の瓜生長三郎は向島(むかいじま)の堤下(どてした)をあるいていた。
彼はきのうも姉のゆくえを尋ねあるいて、本所まで来たのだが、日が暮れたので途中から帰った。そうして、親子相談の末、きょうも、長三郎は小松川(こまつがわ)から小梅(こうめ)、綾瀬(あやせ)、千住(せんじゅ)の方面にむかい、父の長八も非番であるので、これは山の手の方角へ向うことになった。今と違って、その時代の人びとは親類縁者の義理をかかさず、それからそれへと遠縁の者までもふだんの交遊をしているので、こういう場合には心当りがすこぶる多く、殊に交通不便の時代であるから、親類縁者を一巡さがし廻るだけでも容易でなかった。
長三郎はまず小松川と小梅の縁者をたずねると、どこにも姉のすがたは見えなかった。かえって先方では寝耳に水の家出沙汰(さた)におどろかされて、長三郎にむかって前後の事情などを詳しく詮議した。それらのために案外に暇取って、小梅を出たのは、もう七ツ(午後四時)を過ぎた頃であった。
旧暦の二月なかばであるから、春の彼岸ももう近づいて、寺の多い小梅のあたりは彼岸参りの人を待つかのように何となく賑わってた。寺門前の花屋の店先にも樒(しきみ)がたくさん積んであった。それを横眼に見ながら、長三郎は綾瀬村(あやせむら)の方角をさして堤下を急いでゆくと、堤の細路を降りてくる一人の侍に出逢った。侍は長三郎に声をかけた。
「瓜生のご子息ではないか」
呼ばれて見かえると、それは鯛(たい)の御納屋(おなや)の今井理右衛門であった。瓜生の家と今井の家とは直接の交際はなかったが、同じ御納屋の役人同士であるから、今井と白魚河岸の吉田とは無論に懇意であった。その吉田と御賄屋敷の黒沼とは親類関係であるので、瓜生の家でも自然に吉田を識り、それから惹(ひ)いて今井をも識るようになったのである。長三郎もその人を見て会釈すると、理右衛門は笑いながら訊いた。
「どこへ行かれる。ご墓参かな」
「いえ、綾瀬村まで……。親類かたへ参ります」
「それはご苦労。わしは墓参で白髯(しらひげ)の辺まで行く。屋敷を遅く出たので、帰りは日が暮れるかも知れない。寺の遠いのは少し難儀だな……」と、理右衛門はまた笑った。
綾瀬へゆく人、白髯へ行く人、勿論おなじ方角であるので、二人は列んで歩き出した。
「ゆうべの空模様では雨になるかと思ったら、思いほかにのどかな日和になった。堤の桜の咲くのももう直(じ)きだ」と、理右衛門は晴れた空を仰ぎながら云った。「して、綾瀬の親類へはなんの用で……。遊びに行くのかな」
「いえ」とは云ったが、長三郎はすこし返事に困った。
「もしや姉さんを尋ねているのではないかな」と、理右衛門は小声で訊いた。
理右衛門がどうしてそれを知っているかと、長三郎は一旦おどろいたが、彼が白魚河岸の吉田と懇意である以上、そこから幸之助や姉の家出の一件を聞き知っているのであろうと察したので、長三郎は正直に答えた。
「実は少し心配のことがありますので……」
「むむ。その件については白魚河岸でも心配しているようだ」と、理右衛門はうなずいた。
「きのうもわたしが日本橋をあるいていると、岡(おか)っ引(ぴき)の吉五郎がわたしを呼び留めて、吉田の家(うち)のことを訊いていたが、あいつも今度の一件について何かの探索をしているらしい。どうか大事になってくれなければいいが……。そこで余計なことを云うようだが、これから綾瀬まではなかなか遠い。わざわざ尋ねて行っても無駄かも知れないぞ」
「無駄でしょうか」と、長三郎は相手の顔を見あげた。
「春の日が長いと云っても、綾瀬まで往復しては、どうしても暗くなるだろう」
「暗くなるのは構いませんが、行っても無駄でしょうか」と、長三郎は念を押した。
「無駄らしいな」
「では、あなたは姉の居どころをご存じなのですか」
「いや、知らない。わたしは知らない」と、理右衛門は迷惑そうに答えた。「だが、こんな遠方まで来ていそうもない。燈台下暗(もとくら)しと世のたとえにも云う通り、尋ね物というものは案外に手近にいるものだ」
その口ぶりが何かの秘密を知っているらしいので、長三郎の胸はおどった。彼はあまえるように理右衛門に訊いた。
「いや、知らない。まったく知らない」と、理右衛門はいよいよ迷惑そうに云った。「わたしはただ燈台下暗しという世のたとえを云ったまでだ。ともかくもここまで踏み出して来たのだから、無駄と思って綾瀬まで行ってみるのもいいかも知れない。綾瀬へはこれから真っ直ぐだ。わたしはこれから右へ切れるから、ここで別れるとしよう」
理右衛門は俄に右へ切れて、田圃路(たんぼみち)を足早に立去った。
その逃げるような態度と云い、さっきからの口ぶりと云い、一種の疑念が長三郎の胸に湧(わ)いたので、彼も見えがくれに理右衛門のあとを尾(つ)けて行こうと思った。しかもすぐに歩き出しては、相手に覚られる虞(おそ)れがあるので、しばらくやり過ごしてからの事にしようと思案して、立停まってそこらを見まわすと、路ばたに小さい掛茶屋があった。
花見の時節ももう近づいたので、ここらの農家の者が急ごしらえの店を作ったらしいが、まだ商売を始めているわけではなく、ほんの型ばかりの小屋になっている。その小屋に隠れるつもりで、長三郎を何ごころなく踏み込むと、そこに立てかけてある古い葭簀のかげから人があらわれた。
不意におどろかされた長三郎は思わず立竦(たちすく)むと、人は若い女で、かのお冬であった。時も時、場所も場所、ここでお冬に出逢って、長三郎は又おどろかされた。彼は無言で屹(きっ)と睨んでいると、お冬は無遠慮に摺り寄って来た。その片眼は異様にかがやいていた。
「若旦那。又ここでお目にかかりました」
「どうしてこんな所に来ている」
「もう自分の家へ帰られませんから、ゆうべから方ぼうをうろ付いていました」
お前はゆうべ、わたしを姉さんのとこへ連れて行ってやると云ったが、本当か」
お冬はだまった。
「嘘か」と、長三郎は詰(なじ)るように云った。
「連れて行くと云ったのは嘘ですけれど……。お姉さんの居るとこは知っています」
「知っているなら教えてくれ」
お冬は男の顔を見つめながら黙っていた。
「おまえは当ても無しにここらへ来たのか」と、長三郎は訊いた。
「もし自分のからだが危くなったら向島へ行けと、お父さんに云い聞かされているので……」
「向島の……なんという所へ行くのだ」
「五兵衛(ごへえ)という植木屋の家です」
「そこに姉さんも幸之助もいるのか」
お冬は答えなかった。
「そうして、その五兵衛の家は知れたのか」
「ここらへは滅多に来たことが無いので、路に迷って四(よ)つ木(ぎ)の方へ行ってしまって、お午頃にここまで引っ返して来ましたが、くたびれたのと眠いのとで、さっきからこの小屋へはいって寝ていました」
「では、その家は見付からないのか」と、長三郎は失望したように云った。
「これからあなたと一緒に探しましょう」と、お冬はその野性を発揮したように、いよいよ無遠慮に男の手を把(と)った。
こんな女に係り合っていて、理右衛門のすがたを見失ってはならないと思ったので、長三郎は把られた手を振払って小屋の外へ出ると、ひと筋道の田圃には侍のうしろ姿が遠く見えた。それを慕って歩き出すと、田圃に沿うて小さい田川が流れている。その田川が右へまがったところに狭い板を渡して、一軒の藁葺(わらぶき)の家が見いだされた。周囲は田畑で、となりに遠い一軒である。型ばかりのあらい籬(まがき)を結いまわして、空地もないほどにたくさんの樹木が植え込んであるので、それが植木屋ではないかと長三郎は思った。門には一本の大きい桃が紅(あか)く咲いていた。
理右衛門はそこに立停まって、いったんうしろを振返ったが、やがて狭い板を渡って内へはいった。それを見とどけて、長三郎は足早にあるき出すと、お冬もあとから付いて来た。
「気をおつけなさい。あの侍はあなたを見たかも知れませんよ」と、彼女(かれ)は小声で注意した。
長三郎はそんなことに頓着していられなかった。彼はふたたびお冬をふり切って、一軒家を目ざして駈け出して、やがて門前へ行き着いて少しく躊躇した。理右衛門はともあれ、自分はここの家になんのゆかりも無いのであるから、案内も無しにつかつかと踏み込むわけには行かない。迂闊に案内を求めたらば、相手にさとられて取逃がす虞れが無いとも云えない。
彼は桃の木の下に立って、どうしたものかと思案していると、内から五十前後の女が出て来て、若い侍を不安らしくじろじろ眺めていた。長三郎も黙っていると、やがて女は怪しむように声をかけた。
「ああたはどなたでございます」
なんと云っていいかと、長三郎はまた躊躇したが、思い切って訊き返した。
「今ここの家へ武家がはいったろうな」
「いいえ」
「このあいだから若い男と女が来ているだろうな」
「いいえ」
「誰も来ていないか」
「そんな方はどなたもお出(い)でになりません」と、女は素気(そっけ)なく答えた。
「隠すな。私はその人たちに用があって、わざわざ音羽の方から尋ねて来たのだ」
この押問答のうちに、入口にむかった肱掛け窓をほそ目にあけて、竹格子のあいだから表を覗いていたらしい一人の男が、大小をさして、草履を突っかけて、門口(かどぐち)にその姿をあらわした。それが黒沼の幸之助であることを認めた時に、長三郎は尋ねる仇(かたき)にめぐり逢ったように感じた。
「長三郎、貴公は何しに来た」と、幸之助は眼を嶮(けわ)しくして云った。
「姉を探しに来ました」と、長三郎は悪びれずに答えた。
「姉はいない」
「きっと居ませんか」
「居ない。帰れ、帰れ」
「帰りません。姉を渡して下さい」
「姉はいないと云うのに……。強情な奴だな」
「ここにいなければ、どこにいるか教えてください」と、長三郎はひと足進み寄って訊いた。
「貴様……。眼の色をかえてどうしようと云うのだ」
そう云う幸之助の眼の色もかわっていた。強いて手向いをすれば斬ってしまえと、父からかねて云い付けられているので、長三郎は一寸(いっすん)も退かなかった。彼は迫るようにまた訊いた。
「姉はここにいるか、さもなければ、あなたがどこへか隠してある筈です。教えて下さい」
「知らない、知らない」と、幸之助は罵(ののし)るように云った。
双方の声がだんだん高くなったので、内から又ひとりの侍が出て来た。それは理右衛門であった。
「喧嘩をしてはいけない。双方とも待て、待て」と、彼はうしろから声をかけた。
その声を聞くと、幸之助は俄に向き直った。
「さては今井氏。貴公がこの長三郎を案内して来たのだな」
「いや、違う。長三郎は勝手に来たのだ」
「いや、そうでない。貴公らが申合せて、この幸之助を罠(わな)に掛けようとするのだ。その手は喰(く)わないぞ」
幸之助はもう亢奮(こうふん)して、誰彼(だれか)れの見さかいも無くなったらしい。誰を相手と云うことも無しに、腰の刀をすらりと抜き放した。
「これ、何をするのだ」と、理右衛門は制した。「取り逆上(のぼ)せてはいけない。まあ、鎮まれ、鎮まれ。どうも困った気ちがいだ」
「むむ、気ちがいだ」と、幸之助はいよいよ哮(たけ)った。「こうなれば誰でも相手だ。さあ、来い」
理右衛門を相手にするには、少しく距離が遠いので、彼はまず手近かの長三郎を相手にするつもりであったらしい。突然向き直って長三郎に斬ってかかった。長三郎は心得て身をかわしたが、それと同時に、きゃっという女の悲鳴がきこえた。
二挺の早駕籠が宙を飛ばせて来て、ここの家の門口に停まった。
お冬は長三郎の身代りに斬られたのである。彼女は男のあとを追って来て、門口に様子を窺っていたのであるが、幸之助との掛合いがむずかしくなって、相手が腰の物をぬき放したので、彼女も一種の不安を感じて男を庇(かば)うために進み入った時に、逆上せあがった幸之助の刃(やいば)に触れたのであろう。長三郎を撃ち損じた切っさきに、彼女は左の頸筋(くびすじ)を斬られて、男の足もとに倒れた。
それと見て、長三郎も刀をぬいて身構えする間もなく、理右衛門は駈けよって、幸之助をうしろから抱きすくめた。
「抜き合せてはならぬ。待て、待て」と、彼は長三郎に声をかけた。
半狂乱の幸之助は哮り狂って、抱かれている腕を振放そうと燥(あせ)っているところへ、二人の男がはいって来た。岡っ引の吉五郎と兼松である。
「今井の旦那様。それはわたくしどもにお渡しを願います」と、吉五郎は十手を把(と)り直しながら声をかけた。
「吉五郎か」と、理右衛門は猶も幸之助を抱きすくめながら耳に口をよせて云っつた。「幸之助、覚悟しろ。もう逃げる道はないぞ。侍らしく観念しろ。判ったか」
侍らしくと云う言葉に責められたのか、十手を持った二人が眼のまえに立塞(たちふさ)がっているのに気怯(きおく)れがしたのか、もう逃れる道はないと諦めたのか、さすがの幸之助も俄におとなしくなって、持っている血刀をからりと投げ捨てて、理右衛門に抱かれたままで土の上に坐った。
「吉田の親たちに頼まれて、因果をふくめて腹を切らせようと思って来たのだが、もう遅かった」と、理右衛門は嘆息しながら云った。「こうなっては仕方がない。幸之助、尋常に曳かれて行って、御法の通りになれ」
幸之助は疲れ切ったように、無言で頭を垂れていると、長三郎は待ちかねたように訊いた。
「姉もここに居りますか」
「いや」と、理右衛門は頭をふった。「さっきも云う通り、姉はここにいない。幸之助ばかりだ」
「もし、瓜生の若旦那」と、吉五郎は喙(くち)を入れた。「あなたの姉お姉(あね)えさまは……死骸になって江戸川から……」
「江戸川から……」と、長三郎は思わず叫んだ。
理右衛門も幸之助も思い思いの心持で、悲痛の溜息(ためいき)を洩らした。それに無関心であるのは片眼の少女ばかりで、彼女は幸之助のひと太刀に若い命を断たれて、しかも満足そうにそこに横たわっていた。故意か偶然か、彼女の片手は長三郎の袴(はかま)の裾(すそ)を摑んでいた。


一五

編集
それから四日の後、音羽の旗本佐藤孫四郎は町奉行所へ呼出された。寺の住職祐道は寺社奉行の名によって同じく呼出された。祐道は出頭したが、孫四郎はその前夜に急病頓死という届け出があった。表向きは急病と云うのであるが、その死の自殺であることは後に判った。
お近という女の死骸も江戸川に浮きあがった。吉五郎の鑑定通り、寺内で殺された女は、やはりこのお近であった。
中間の鉄造が吉五郎の罠にかかって、自分の知っている限りの秘密を口走った結果、黒沼幸之助の隠家(かくれが)が露顕したので、吉五郎は子分の兼松と共に、早駕籠を飛ばせて向島の堤下へかけ付けたことは、前に記した通りである。幸之助ももう観念したとみえて、これも自分の知っている限りの秘密をいっさい申立てた。
祐道はさすがは出家だけあって、この期(ご)に及んでは悪びれずにいっさいを自白した。その他のお近、お冬、お北らはみな死んでいるので、女の側の事情はよく判らない点もあったが、ともかくも幸之助、祐道の口供(こうきょう)を綜合して判断を下すと、この事件の真相はまずこう認めるのほかは無かった。
お近は前名をお亀といって、むかしは深川に芸妓(げいぎ)勤めをしていた女である。それが金田という旗本の隠居に請出されて、柳島の下屋敷に入り込んで、当座は何事もなく暮らしていたのであるが、お近は深川にいる頃から音羽の旗本佐藤孫四郎とも馴染をかさねていた。佐藤は二十五六の独身者(ひとりもの)で、お近の心はそちらになびいていたが、何分にも金田とくらべると佐藤は小身であり、且(かつ)は道楽者で身上も悪いので、金田と張合うだけの力はなく、お近は心ならずも柳島の屋敷へ引取られてしまったのである。しかも二人の縁は切れないで、お近は柳島へ行った後も寺参りや神詣(かみもう)でにかこつけて、ひそかに佐藤と逢曳(あいびき)を続けていた。
その秘密を金田の隠居に発見されて、事が面倒になって来たのと、一方の佐藤は長崎出役を命ぜられて西国へ旅立つことになったのとで、お近は遂に金田の隠居を殺害してその手箱から盗み出した三十両の金を路用に、佐藤のあとを追って行った。
勿論、表向きは佐藤の屋敷へ入り込むことは出来ないので、長崎の町はずれに隠まわれて外妾のように暮らしているうちに、三年の月日はいつか過ぎて、佐藤は江戸へ帰ることになった。帰府の道中も同道しては人目に立つので、お近はひと足おくれて帰って来て、そっと音羽の屋敷に忍び込んだ。
一種の治外法権とも云うべき旗本屋敷に潜伏して、無事に月日を送っていれば、容易に町方の眼にも触れなかったのであるが、お近は江戸へ帰ると、間もなくさらに新しい恋人を見つけ出した。それは白魚河岸の吉田の次男幸之助である。吉田と佐藤は母方の縁を引いている関係から双方が親しく交際していたので、お近も自然に幸之助と親しくなって、佐藤の眼をぬすんで新しい恋人と逢曳をするようになったが、男は女よりも八歳の年下でるので、若い恋人に対するお近の愛情は猛火のように燃えあがった。彼女は男を逃さない手段として、自分の秘密を幸之助に打明けて、万一変心するときは隠居殺しの共謀者としてお前を抱いてゆくと嚇した。こんにちと違って、この時代にはこういう威嚇が案外に有効であったのである。たとい自分の無実が証明されるとしても、こんな女の係り合いで奉行所の審問を受けたなどと云うことが世間に暴露すれば、長い一生を暗黒に葬らなければならない。年の若い幸之助は飛んだ者に係り合ったのを悔みながら、お近の威嚇を恐れてともかくもその意に従っていた。
そのうちに黒沼伝兵衛の横死事件が起った。かねて許嫁(いいなずけ)のような関係になっているので、幸之助は黒沼のむすめお勝の婿と定められて、音羽の御賄屋敷へ来ることになった。お近は恋人が近所へ来たのを喜んで、火の番の藤助の家をその逢曳の場所と定めて幸之助をよび出していた。一方にお近があり、一方にはまだ祝言こそしないがお勝という正式の妻もありながら、意志の弱い幸之助はさらに隣家の瓜生の娘お北とも新しい関係を結ぶようになったので、一人の男をめぐる女三人の関係が甚だ複雑になった。しょせん無事には済むまいとは知りながら、幸之助も今更どうすることも出来なかった。
ここで住職祐道に就いて語らなければならない。彼は実はお近と同じ腹の兄であった。祐道が長男で、その次に女ひとり、男ひとり、お近は末子(ばっし)の四人兄妹であったが、幼年のことに両親に死に別れて、皆それおれ艱苦(かんく)を嘗(な)めた。なかの男と女とは早く死んで、祐道とお近だけが残った。祐道は幼い頃から深川のある寺の小僧となって、一心に修業を積んだ末に、この音羽でも相当に由緒ある寺の住職となったのであるが、妹のお近は深川の芸妓に売られて、いわゆる泥水を飲む商売となった。しかも運命は不思議なもので、この寺の近所に住む佐藤孫四郎とお近とが一種の悪因縁を結ぶことになって、お近は主(しゅう)殺しの大罪を犯したのである。
祐道は妹の罪を悔み嘆いて、彼女がふたたび江戸へ帰るのを待ち受けて、いさぎよく自首するように説き聞かせたが、この世に未練の多いお近は泣いて拒(こば)んだ。いっそ召連れ訴えをしようかと思ったが、幼い時から共に苦労をして来た妹が自分の眼のまえに泣いている姿をみると、祐道のこころもさすがに弱くなった。み仏に対して済まぬ事とは万々知りながら、彼は罪ある妹をそのまま見逃して置くことにしたが、心は絶えずその呵責(かしゃく)に苦しめられていると、妹はさらに第二、第三の罪をかさねた。
寺社奉行の訊問に対して、祐道の申立てたところによると、去年の秋以来、暗夜に白い蝶を飛ばしたのはお近の仕業であると云うのである。お近はなぜそんな怪しいことを企てたか。何分にも死人に口無しで、単に祐道の片口に拠(よ)るのほかは無いのであるが、彼は左のごとくに陳述した。
「妹は長崎に居ります間に、唐人屋敷の南京人(なんきんじん)からある秘密を伝えられたそうで、暗夜に白い蝶を飛ばして千人の眼をおどろかせば、いかなる心願も成就すると云うのでござります。われわれの仏道から見ますれば、もとより一種の邪法に相違ござりませんが、妹は深くそれを信仰しまして、江戸へ帰りましてからその邪法を行なって居りました。その心願はおのれが過去の罪を人に覚られず、黒沼幸之助と末長く添い遂げらるるよう、併せてその邪魔になる佐藤孫四郎の命を縮めるよう――つまり恋に眼が眩(くら)んで、白蝶の邪法を行なうことになったのでござります。佐藤にも罪はありますが、多年の馴染と云い、殊に長崎以来、自分を隠まってくれた義理もありまするに、新しい恋人の為にその命を縮めようと企てるなど、まことに如夜叉(じょやしゃ)のたとえをその儘でござります。しかし自分は女の身でありますから、暗夜に蝶を飛ばすなどと云うことは思うようにも参りませんので、火の番の藤助に金銭をあたえまして風の吹く夜に蝶を飛ばせていたのでござります。藤助は火の番の役がありますので、夜中そこらを徘徊して居りましても、誰も怪しむ者もござりません。藤助にはお冬という片眼の娘がありまして、これが生れ付き素ばしこい人間でありますので、蝶を飛ばす役はお冬が勤め、父の藤助はその後見を致して居ったようでござります。その蝶は――秘伝と申して誰にも洩らしませんでしたが、何か唐渡(からわた)りの薄い絹のような物で作りまして、それに一種の薬を塗ってありますので、暗いなかでも白く光るのでござります。音羽の近辺ばかりでは、人に覚られる虞れがありますので、時どきは他の土地へも参ったようでござりました。右の次第で、その蝶に毒があろうとは思われません。それを見て病気に罹(かか)ったなどと申しますのは、驚きの余りに発熱でも致したのでござりますまいか。それとも、その塗り薬に何かの毒で混じてありましたか、それはわたくしも存じません。また、お近が火の番の藤助とどうして心安くなりましたか、それもわたくしは存じません。佐藤の屋敷も以前は勝手不如意でござりましたが、長崎出役以来、よほど内福になったとか申すことでござります」
黒沼伝兵衛は何者に殺されたか、わが寺門前の出来事ながら自分は一向に知らないと祐道は云った。しかしおおかたは藤助親子の仕業で、何かの毒薬を塗った針のような物で刺されたのであろうと彼は説明した。いずれにしても、自分の寺内の墓地を根城にして、世間をさわがすような事を繰返すのは甚だ迷惑であるので、祐道はお近らに対して幾たびか意見を加えたが、かれらは一向に肯かなかった。そのうちに、白い蝶の噂󠄀がいよいよ高くなって、町方からも探索の手が廻ったらしいので、祐道の心はますます苦しめられた。お近と幸之助が藤助の家から帰る途中で、町方らしい者に追われて危く逃れたなどと云う噂を聴くたびに、彼も毒針で胸を刺されるように感じた。
町方に追われて以来、気の弱い幸之助は自分の屋敷へ帰られなくなって、佐藤の屋敷に身を隠すことになったが、それを機会にお近はさらに一策を案出して、自分の恋がたきのお北を誘い出した。その使を頼まれたのは例の藤助で、彼は幸之助が佐藤の屋敷に忍んでいることをお北に告げて、本人もあなたに一度逢いたいと云っているから是非来てくれと巧みに欺いて連れ出したのである。連れ出されてお北はうかうかと佐藤の屋敷へ入り込むと、待ち受けていたお近はさらに彼女を奥の古土蔵のうちへ案内して、そこに押籠めてしまった。自分の手もとに監禁して置けば、お北と幸之助の逢う瀬は絶えると思ったからである。
こうした悪業がそれからそれへと続くので、祐道ももう決心した。彼は妹が自分の寺へ来たのを捕えて、おまえのような悪魔はしょせん救うべき道はないから、どうでも自首して出ろと厳重に云い渡した。もし、あくまでも不得心ならば、帝釈(たいしゃく)が阿修羅(あしゅら)の眷族(けんぞく)をほろぼしたと同じ意味で、兄が手ずから成敗するからそう思えと、怒りの眼に涙をうかべて云い聞かせた。その決心の色が凄まじいので、お近もいったんは得心して、あしたは兄に連れられて奉行所へ自首して出ると答えた。
それでもまだ不安であるので、祐道は妹にむかって、その覚悟が決まった以上はふたたび佐藤の屋敷へ帰るな、今夜はこの寺に泊って行けと命令すると、お近は承知して泊ったが、果して夜なかにそっと抜け出そうとしたので、おおかたそんな事であろうと内々警戒していた祐道は、すぐに追いかけて庭先で取押えようとした。たがいに世間を憚るので、なんにも口を利かなかったが、その無言の争いのうちに兄はいよいよ決心の臍(ほぞ)をかためて、阿修羅をほろぼす帝釈となった。兄は両手で妹の喉を絞めた。
それを窺っていたのは、藤助であった。彼は吉五郎らに追われて、墓場の奥に逃げ込んだが、留吉が途中で倒れた為に長追いをしないと見て、そっと庫裏(くり)へまわって、寺男に縄を解かせた。しかも迂闊に表へ出るのは危険であるので、今夜は寺内に泊めて貰うことにした。自分ばかりでなく、手先もここに泊ることになったと云うので、彼は一種の不安を感じて、夜なかに庭先へ様子を窺いに来ると、あたかもお近が最後の場所へ行き合せた。
住職に対する同情か、あるいはこれを枷(かせ)にして今後の飲代(のみしろ)をいたぶるつもりか、彼は死骸の始末を自分に任せてくれと云って、佐藤の屋敷から中間の鉄造を呼んで来た。お近の死骸は風の吹く真夜中に運び出されて、江戸川に沈められた。藤助は黒沼伝兵衛の横死以来、わが家に住むことの危険をさとって、ゆくえ不明と見せかけて、実は佐藤の屋敷に身をひそめていたのである。
祐道の陳述はこれで終った。次の問題はお北がどうして入水(じゅすい)したかと云うことである。果して自殺か、あるいは他殺か、いずれにしても、黒沼幸之助が唯一(ゆいいつ)の関係者として厳重に吟味されたが、幸之助もそれに就いては何事も知らないと云い切った。ただ、お近が殺される日の夕刻、お北は夕飯を運んで来た女中の隙(すき)をみて、土蔵を脱出したことだけは知っていると申立てた。
さらに探索すると、市川屋の職人源蔵も最初は隠していたが、その後の申立てによると、お北は佐藤の屋敷を脱出したものの、すぐに我が家へも帰られず、途中でうろうろしている時、あたかも彼(か)の源蔵に出逢って、隣家のお勝が自害のことを聞いたと云う。それに因って推察すると、お北はおのれの罪を悔いたか、あるいは、しょせん無事に済まぬと覚悟して、そこらをさまよい歩いた後、夜に入るを待って入水したのであろう。地理の関係とは云いながら、恋のかたきのお近もお北も、その死骸を同じ流れに浮かべたのは、何かの因縁であるかとも思われた。
向島の植木屋五兵衛は、親の代から佐藤と吉田の屋敷に出入りの職人である。この頃は町方の手が廻ったらしいので、白蝶の一件はしばらく中止するように幸之助は注意したが、中途で止めては心願が破れると云ってお近は承知しないばかりか、かえって幸之助に迫って、お冬らの警戒を命じた。寺門前で藤助を救った覆面の曲者は幸之助であった。しかも気の弱い彼は、夜のうちに音羽を立去って、夜ふけに白魚河岸の実家の門を叩くと、父の幸右衛門は一切の事情を聞いて、この上はこの屋敷にひと晩も泊めることはならぬ、おれにも考えがあるから、ともかくも向島の五兵衛の家へ行っていろと指図した。その指図通りに向島へゆくと、あくる日の夕方に今井理右衛門が来た。つづいて瓜生長三郎が来た。岡っ引の吉五郎と兼松が来た。お冬の死と共に、幸之助の運命もここに定まったのである。
佐藤孫四郎がなぜ自滅したか、この謎は遂に解けなかったが、それに就いて、幸之助はこんなことを洩らした。
「お近はわたくしに向って、佐藤は長崎にいるあいだにいろいろの悪いことをしている。それをわたしな皆んな知っているから、わたしがどんな我儘をしても、佐藤は何んとも云うことは出来ない筈だと申したことがございます」
佐藤は長崎に出役中、役向きのことに就いて何かの不正事件があったらしい。貧乏旗本の彼が内福になったと云うのも、その間の消息を語っている。お近はその秘密を摑んでいるので、佐藤の屋敷内では思うがままに振舞っていたらしい。今度の事件に関連して、その不正が発覚するのを恐れて、佐藤は自滅したのではないかと察せられた。
火の番の藤助はふたたび行くえ不明となった。彼を召捕ったらば、事件の真相が更に明瞭になるだろうと、吉五郎らもさまざまに手をまわして探索したが、遂になんお手がかりも無かった。それから三月ほどの後に、八王子の山のなかで彼に似たような縊死者(いししゃ)を発見したが、死体はもう腐爛しているので、その人相もはっきりと判らなかった。八王子は藤助の故郷であるが、どこへも尋ねて行ったと云う噂はきこえなかった。あるいは何かの係り合いになるのを嫌って、どこでも口を閉じていたのかも知れない。


この事件の探索に主として働いた岡っ引の吉五郎は、わたしが「半七捕物帳」でしばしば紹介した彼の半七老人の養父である。
 

この著作物は、1939年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。