樺太千島交換條約

今般露西亞國ト千島樺太兩島交換條約別紙ノ通取結相成候條此旨布吿候事

(別紙)

天佑ヲ保有シ萬世一系ノ帝祚ヲ踐ミタル日本皇帝此書ヲ以テ宣示ス朕全露西亞皇帝陛下ト望ヲ同シ朕ハ樺太島薩哈連島ノ內朕カ所領タル部分ヲ全露西亞皇帝陛下ヘ讓與シ全露西亞皇帝陛下ハ其所領タル千島群島クリールアイランズノ全部ヲ朕ニ讓與スルヲ互ニ決シタルヲ以テ雙方ノ全權重臣明治八年五月七日彼得堡ニ會シ其條約ヲ締盟調印セリ即其條欵左ノ如シ



交換條

條約

大日本國皇帝陛下ト

全魯西亞國皇帝陛下ハ今般樺太島即薩哈嗹島是迄兩國雜領ノ地タルニ由リテ屢次其間ニ起レル紛議ノ根ヲ斷チ現下兩國間ニ存スル交誼ヲ堅牢ナラシメンカ爲メ

大日本國皇帝陛下ハ樺太島即薩哈嗹島上ニ存スル領地ノ權理

全魯西亞國皇帝陛下ハ「クリル」群島上ニ存スル領地ノ權理ヲ互ニ相交換スルノ約ヲ結ント欲シ

大日本國皇帝陛下ハ軍中將兼在魯京特命全權公使從四位榎本武揚ニ其全權ヲ任シ

全魯西亞國皇帝陛下ハ太政大臣金剛石裝飾魯帝照像金剛石裝飾魯國シント、アンドレアス褒牌シント、ウラジミル一等褒牌アレキサンドル、ネフスキー褒牌白鷲褒牌シントアンナ一等褒牌及シントスタニスラス一等褒牌佛蘭西國レジウン、ド、オノール大十字褒牌西班牙國金膜大十字褒牌澳太利國シント、ヱチーネ大十字褒牌金剛石裝飾孛露生國黑鷲褒牌及其他諸國ノ諸褒牌ヲ帶ル公爵「アレキサンドル、ゴルチヤコフ」ニ其全權ヲ任セリ

右各全權ノ左ノ條欵ヲ協議シテ相決定ス

第一欵 大日本國皇帝陛下ハ其後胤ニ至ル迄現今樺太島即薩哈嗹島ノ一部ヲ所領スルノ權理及君主ニ屬スル一切ノ權理ヲ全魯西亞國皇帝陛下ニ讓リ而今而後樺太全島ハ悉ク魯西亞帝國ニ屬シ「ラペルーズ」峽ヲ以テ兩國ノ境界トス

第二欵 全魯西亞國皇帝陛下ハ第一欵ニ記セル樺太島即薩哈嗹島ノ權理ヲ受シ代トシテ其後胤ニ至ル迄現今所領「クリル」群島即チ第一「シユムシユ」島第二「アライド」島第三「パラムシル」島第四「マカンルシ」島第五「ヲネコタン」島第六「ハリムコタン」島第七「ヱカルマ」島第八「シャスコタン」島第九「ムシル」島第十「ライコケ」島第十一「マツア」島第十二「ヲスツア」島第十三「スレドネワ」及「ウシヽル」島第十四「ケトイ」島第十五「シムシル」島第十六「ブロトン」島第十七「チヱルポイ」並ニ「プラツト、チヱルポヱフ」島第十八「ウルップ」島共計十八島ノ權理及ヒ君主ニ屬スル一切ノ權理ヲ大日本國皇帝陛下ニ讓リ而今而後「クリル」全島ハ日本帝國ニ屬シ柬察加地方「ラパツカ」岬ト「シュムシュ」島ノ間ナル峽ヲ以テ兩國ノ境界トス

第三欵 前條所載各地並ニ其地產ハ此條約批准爲取換ノ日ヨリシテ直ニ全ク新領主ニ屬スルトス但其各地受取渡ノ式ハ批准後雙方ヨリ官員一名又ハ數名ヲ撰テ受取掛トシ實地立會ノ上執行フヘシ

第四欵 前條所記交換ノ地ニハ其地ニアル公同ノ土地、人ノ下手セサル地所、一切公共ノ造築、壘壁、屯所、及ヒ人民ノ私有ニ屬セサル此種ノ建物等ヲ所領スルノ權理モ兼存ス

現下各政府ニ屬スル一切ノ建物及動產ハ第三欵ニ載スル雙方ノ受取掛役取調ノ上其代價ヲ案査シ其金額ハ其地ヲ新ニ領スル政府ヨリ出スナリ

第五欵 交換セシ各地ニ住ム各民(日本人及魯人)ハ各政府ニ於テ左ノ條件ヲ保證ス、各民並共ニ其本國籍ヲ保存スルヲ得ルコト、其本國ニ歸ラント欲スルハ常ニ其意ニ放セテ歸ルヲ得ルコト、或ハ其交換ノ地ニ留ルヲ願フハ其生計ヲ充分ニ營ムヲ得ルノ權理及其所有物ノ權理及隨意信敎ノ權理ヲ悉ク保全スルヲ得ル全ク其新領主ノ屬民(日本人及魯人)ト差異ナキ保護ヲ受ル事雖然其各民ハ並共ニ其保護ヲ受ル政府ノ支配下ヂユリスヂクシヨンニ屬スル事

第六欵 樺太島即薩哈嗹島ヲ讓ラレシ利益ニ酬ユル爲メ全魯西亞國皇帝陛下ハ次ノ條件ヲ准許ス

第一條 日本船ノ「コルサコフ」港即「クシユンコタン」ニ來ルノ爲メニ此條約批准爲取換ノ日ヨリ十ヶ年間港稅モ關稅モスル、此年限滿期ノ後ハ猶之ヲ延スモ又ハ稅ヲ收メシムルモ全魯西亞皇帝陛下ノ意ニ任ス全魯西亞國皇帝陛下ハ日本政府ヨリ「コルサコフ」港ヘ其領事官又ハ領事兼任ノ吏員ヲ置クノ權理ヲ認可ス

第二條 日本船及商人通商航ノ爲メ「ヲホツク」諸港及柬察加ノ港ニ來リ又ハ其岸ニ沿フテ漁業ヲ營ム等渾テ魯西亞最懇親ノ國民同樣ナル權理及特典ヲ得ル事

第七欵 軍中將榎本武揚全權委任狀ハ未タ到來セスト雖モ電信ヲ以テ其送致スル旨ヲ確定セラルヽニ由リ其到ルヲ待タスシテ此條約面ニ記名シ其到ルヲ待テ各全權委任狀ヲ相示スノ式ヲ行ヒ別ニ其事ヲ記シテ以テ左券トスヘシ

第八欵 此條約ハ大日本國皇帝陛下並ニ全魯西亞國皇帝陛下互ニ相許可シ而シテ批准スヘシ但各皇帝陛下ノ批准爲取換ハ各全權記名ノ日ヨリ六ヶ月間ニ東京ニ於テ行フヘシ

此條約ニ權力ヲ附スル爲メ各全權各其姓名ヲ記シ並ニ其印ヲ鈐スルナリ

明治八年五月七日即一千八百七十五年四月二十五日五月七日比特堡府ニ於テ

朕親シク右條約ヲ通覽シ其旨ヲ至當トス故ニ今此書ヲ以テ之ヲ全ク證認批准シ天地ト悠久ヲ期シ總テ條約中所載ノ條欵ハ正ニ之ヲ遵行セン事ヲ約ス右定證トシテ爰ニ朕カ名ヲ親記シ國璽ヲ鈐セシム

神武天皇即位紀元二千五百三十五年明治八年八月廿二日

御名 國璽

奉勅 外務卿寺島宗則 外務
卿印


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