十八史略新解/太古・三皇・五帝

太古

〔天皇氏〕以木德王、歲起攝提、無爲而化、兄弟十二人、各一萬八千歲、【木德】凡色尙靑、【王】去聲、朱云、有天下者、人稱之曰王、則平聲、據其身臨天下、而言曰王、則去聲、後皆倣此、【攝提】寅也、太歲在寅曰攝提格、【無爲】上古民淳、不令而化、〔地皇氏〕以火德王、兄弟十二人、各一萬八千歲、【火德】凡色尙赤、〔人皇氏〕兄弟九人、分長九州、凡一百五十世、合四萬五千六百年、【長】張上聲、君長之也、易曰、君子體仁足以長人、【九州】冀、兗、靑、徐、揚、荊、豫、梁、雍、【世】代也、人皇以後、有曰〔有巢氏〕構木爲巢、食木實、○案、世紀、人皇以後、有曰五龍紀、攝提紀、合熊紀、連通紀、敍命紀、相繼以治、而及于有巢、今未之及、故錄之以備參考、【爲巢】禮記集說云、聚薪柴以居也、【木實】如桃李之類也、至〔燧人氏〕始鑽燧、敎人火食、在書契以前、年代國都不可攷、【燧】音遂、鑽木取火、【火食】用火烹炊、【攷】古文考、

天皇テンコウ氏、木徳モクトクを以て王たり。歳は摂提より起る。無為にして化おしう。兄弟十二人、各々一万八千歳。地皇氏、火徳を以て王たり。兄弟十二人、各々一万八千歳。人皇氏、兄弟九人、分ちて九州に長たり。凡べて一百五十世、合せて四万五千六百年。人皇以後、有巣氏と曰う者有り。木に構えて巣を為つくり、木の実を食くらう。燧人氏に至りて、始めて燧ひうちを鑚きり、人に火食にたきを教う。書契もんじ以前に在りて、年代国都、攷かんがう可からず。


太昊伏羲氏

〔太昊伏羲氏〕風姓、代燧人氏而王、蛇身人首、始畫八卦、造書契、以代結繩之政、制嫁娶、以儷皮爲禮、結網罟敎佃漁、養犧牲以庖廚、故曰庖犧、有龍瑞、以龍紀官、號龍師、木德王、都於陳、【風姓】姓者、統其祖考之所自出、氏者、別其子孫之所自分、後皆倣此、【八卦】乾、坤、艮、巽、震、離、坎、兌、孔安國曰、伏羲氏王天下、龍馬負圖出河、遂則其文、以畫八卦、【書契】陸氏曰、刻木而書其側、以約事也、【結繩】上古未有文字、大事則結大繩、小事則結小繩、以記之、【儷】音麗、儷對也、古者衣鳥獸皮、故以雙皮爲禮、【罟】音古、【佃漁】佃畋同、取禽獸也、漁捕魚、【犧牲】牛羊豕曰牲、犧色純者也、【庖犧】太昊又號曰庖犧、【龍師】官名皆有龍字、【都】邑有宗廟先君之主曰都、【陳】州屬河南、庖犧崩、〔女媧氏〕立、亦風姓、木德王、始作笙簧、【媧】音瓜、伊川先生曰、婦居尊位、或云、女媧氏伏羲妹也、【笙簧】笙中金葉曰簧、嚴氏曰、笙以匏爲之、十三管列匏中、而施簧於管端、吹笙則鼓動其簧、以發聲、諸侯有共工氏、與祝融戰、不勝而怒、乃頭觸不周山、崩、天柱折、地維缺、女媧乃鍊五色石以補天、斷鰲足以立四極、聚蘆灰以止滔水、於是地平天成、不改舊物、【共】音恭、下同、【祝融】顓頊子、【觸】充入聲、突也、【折】音舌、【五色】靑、赤、黃、白、黑、【斷】湍上聲、據物已斷而言、則音團去聲、以我斷之而言、則音湍上聲、後倣此、【鰲】當作鼇、傳曰、背負蓬萊者、【滔水】大水也、○或問、列子湯問篇云、昔者女媧氏、鍊五色石以補天、斷鼇足以立四極、其後共工氏、與顓頊、爭爲帝、怒觸不周之山、天柱折、地維絕、故天傾西北、地不滿東南、列子之說、與史不同如何、曰、三代以前、文籍未備、事跡固所難考、然據顓頊爲黃帝之孫、祝融乃顓頊之子、女媧繼伏羲而立、則列子近是、史之不同、蓋傳習之誤與、女媧氏沒、有〔共工氏〕〔太庭氏〕〔柏皇氏〕〔中央氏〕〔歷陸氏〕〔驪連氏〕〔赫胥氏〕〔尊盧氏〕〔混沌氏〕〔昊英氏〕〔朱襄氏〕〔葛天氏〕〔陰康氏〕〔無懷氏〕風姓相承者十五世、【混】音魂上聲、【沌】音豚上聲、【承】繼也、【五】當作六、年歲莫知幾何、不敢强說、

太昊コウ伏羲ギ氏、姓は風フウたり。燧人氏に代り而王たり。身は蛇にして首こうべは人、始めて八卦を画き、書契もんじを造り、以て縄結び之政に代わりぬ。嫁娶りを制さだめ、儷ついなす皮を以て礼と為す。網罟コを結いて、佃かりと漁すなどりを教う。犠牲を養い、庖厨に以もちう。故に庖犠とも曰う。竜の瑞さち有り、竜を以て官を紀しるし、竜師と号よばう。木徳の王たり。陳於に都す。

庖犠崩し、女媧氏立つ。亦た姓は風たり、木徳の王たり。始めて笙簧コウを作る。諸侯に共工氏有り。祝融与と戦いて、勝た不し而怒る。乃ち頭不周山に触れ。崩る。天柱折れ、地維欠きれたり。女媧乃ち五色の石を錬り以て天を補い、鰲の足を断ち以て四極を立て、芦の灰を聚めて以て滔水を止む。是に於て地平らかに天成りたり、旧物を改め不。

女媧氏没し、共工氏、太庭氏、柏皇氏、中央氏、歴陸氏、驪連氏、赫胥氏、尊盧氏、混沌氏、昊英氏、朱襄氏、葛天氏、陰康氏、無懐氏有り。風姓相承くる者十五世なり。

炎帝神農氏

〔炎帝神農氏〕姜姓、人身牛首、繼風姓而立、火德王、斲木爲耜、揉木爲耒、始敎畊、作蜡祭、以赭鞭鞭草木、嘗百草始有毉藥、敎人日中爲市、交易而退、都於陳、徙曲阜、傳〔帝承〕〔帝臨〕〔帝則〕〔帝百〕〔帝來〕〔帝襄〕〔帝楡〕姜姓凡八世、五百二十年、牛首頭有角、【斲】音琢、斫也、【耜】音似、所以起土、今之耜、加鐵於其首、【揉】音柔上聲、屈木也、【耒】音雷去聲、耜柄也、【蜡祭】蜡音乍、蜡祭、十二月報田之祭、夏曰淸祀、殷曰嘉平、周曰大蜡、秦曰臘、始皇復更曰嘉平也、【赭】音者、赤色、【鞭草木】鞭記其毒、【曲阜】縣屬兗州、【帝則】【帝百】世紀作帝明帝直、【襄】世紀作哀、

炎帝神農氏、姓は姜たり。身は人にして首は牛たり、風姓を継ぎ而立つ。火徳の王たり。木を斲きりて耜すきを為り、木を揉ためて耒すきを為り、始めて畊たがやしを教え、蜡サ祭を作す。赭鞭を以て草木を鞭うち、百草を嘗めて始めて医薬を有つくる。人に教えて日中市を為し、交易し而退かしむ。陳於都し、曲阜に徙る。帝承、帝臨、帝則、帝百、帝来、帝襄、帝楡に伝えて、姜姓凡すべて八世、五百二十年なり。


黃帝軒轅氏 索隱曰、有土德之瑞、土色黃、故曰黃帝、


〔黃帝〕公孫姓、又曰姫姓、名軒轅、有熊國君、少典子也、母見大電繞北斗樞星、感而生帝、炎帝世衰、諸侯相侵伐、軒轅乃習用干戈、以征不享、諸侯咸歸之、與炎帝戰于阪泉之野、克之、【少】去聲、【電】音殿、陰陽激曜曰電、【樞星】北斗第一星也、【干】盾也、主衞、【戈】戟屬、主刺、【不享】不來朝享之國、【阪泉】地在上谷、【克】勝也、蚩尤作亂、其人銅鐵額、能作大霧、軒轅作指南車、與蚩尤戰於涿鹿之野禽之、遂代炎帝爲天子、土德王、以雲紀官、爲雲師、【蚩尤】當時諸侯、蚩音齒平聲、【銅鐵額】蚩尤之顙、堅如銅鐵、【大霧】陰陽蒙冒之氣、蚩尤能爲之、以昏迷軍士、【指南車】古制不傳、至唐始定其制、車上有樓、四角刻木爲龍、又刻仙人於上、車雖回轉、手常指南、軒轅用之、以定四方示軍士、一說用子午盤針、置之於車、亦通、【涿鹿】郡屬北平、今涿州、涿音卓、【禽】擒同、【代炎帝】前云姜姓相傳八世者、據帝王世紀、及古史考之言也、此云遂代炎帝爲天子者、史記本紀之言也、二說不同、未詳孰是、或云、炎帝以火德王、故其後亦通稱曰炎帝、略通、【土德】凡色尙黃、【雲師】春官爲靑雲、夏官爲縉雲、秋官爲白雲、冬官爲黑雲、中官爲黃雲、張晏曰、因景雲之應、故以名師與官、作舟車以濟不通、得風后爲相、力牧爲將、【相】去聲、【將】去聲、後無音者竝同帥也、受河圖、案全書、黃帝夢見兩龍授圖、乃齋往河洛求之、有大魚、泝流而上、魚泛白圖、帝跪受之、圖見蔡氏書傳、見日月星辰之象、始有星官之書、師大撓占斗建作甲子、容成造曆、隷首作算數、伶倫取嶰谷之竹、制十二律筩、以聽鳳鳴、雄鳴六、雌鳴六、以黃鐘之宮生六律六呂、以候氣應、鑄十二鐘、以和五音、【撓】奴巧切、【占斗建】驗斗柄所指也、占音瞻、【嶰谷】在崑崙北、嶰音解、【十二律筩】筩音同、長短制度、詳見禮記集說、【宮】聲之長而濁者曰宮、【六律】黃鐘、太蔟、姑洗、蕤賓、夷則、無射、【六呂】太呂、夾鐘、仲呂、林鐘、南呂、應鐘、【候氣應】說見禮記集說、【十二鐘】應十二律、【五音】角、徵、宮、商、羽、嘗晝寢、夢遊華胥之國、怡然自得、其後天下大治、幾若華胥、【嘗】曾也、【治】去聲、朱子云、爲理物之義者平聲、爲已理之義者去聲、後皆倣此、【幾】音機、世傳、黃帝采銅鑄鼎、鼎成、有龍埀胡髯下迎、帝騎龍上天、羣臣後宮從者七十餘人、小臣不得上、悉持龍髯、髯拔、墮弓、抱其弓而號、後世名其處曰鼎湖、其弓曰烏號、黃帝二十五子、其得姓者十四、【上】上聲、爲行上之義者上聲、爲在上之義者去聲、後皆倣此、【從】去聲、【號】音豪、下同、【鼎湖】案全書、處州府、縉雲縣、仙都山、有鼎湖、注云、黃帝上天處、【十四】舊註未詳、不敢强說、○世紀、黃帝在位百年、


黄帝、姓は公孫、又た曰く、姓は姫と。名は軒轅。有熊国の君少典の子也。母、大電の北斗の枢星を繞るを見て、感じ而帝を生む。

炎帝の世衰え、諸侯相い侵し伐つ。軒轅乃ち干戈を用いるを習い、以て享すすめ不るを征つ。諸侯咸な之に帰す。炎帝与坂泉之野于戦い、之に克つ。蚩尤乱を作す。其人銅鉄の額、能く大霧を作おこす。軒轅指南車を作り、蚩尤与涿鹿之野於戦い、之を禽う。遂に炎帝に代りて天子と為る。

土徳の王たり。雲を以て官を紀し、雲師と為す。舟車を作りて以て通ぜ不るを済す。風后を得て相と為し、力牧、将と為す。河図を受く。日月星辰之象を見て、始めて星官之書を有つくる。

師大撓、斗の建つるを占いて甲子を作る。容成、暦を造り、隷首、算数を作る。伶倫、嶰谷之竹を取りて、十二律の筩を制つくる。鳳の鳴くを聴くを以て、雄鳴六たり、雌鳴六たり、以て黄鐘之宮たり。六律六呂を生つくり、以て気の応ずるを候うかがい、十二鐘を鋳て、以て五音を和す。

嘗て昼寝ぬ。夢に華胥之国に遊び、怡然として自ら得。其後天下大いに治まる。幾ほとんど華胥の若し。

世に伝うらく、黄帝銅を采りて鼎を鋳、鼎成りて竜有り、胡髯を垂らして下りて迎う。帝竜に騎りて天に上る。群臣後宮、従者七十余人あるも、小臣は上るを得不、悉く竜の髯を持つ。髯抜けて、弓堕つ。其の弓を抱き而号なく。後世、其の処を名づけて曰く、鼎湖、其の弓を曰く、烏号と。

黄帝の二十五子、其の姓を得る者は十四たり。

五帝

少昊金天氏 少去聲、下竝同、


〔少昊金天氏〕名玄囂、黃帝之子也、亦曰靑陽、其立也鳳鳥適至、以鳥紀官、【囂】音曉平聲、一曰名摯、音至、【鳥官】如凰鳥氏、玄鳥氏之類、詳見左昭公十七年、○世紀、少昊以金德王、在位八十四年、

顓頊高陽氏 顓音專、頊音勗、

〔顓頊高陽氏〕昌意之子、黃帝孫也、代少昊而立、少昊之衰、九黎亂德、民神雜糅、不可方物、顓頊受之、乃命南正重、司天以屬神、火正黎、司地以屬民、使無相侵瀆、始作曆、以孟春爲元、【九黎】黎氏九人、當時諸侯、【糅】音柔上聲、混處也、【不可方物】不可以類而求、漢郊祀志、方音倣、依也、物事也、【南正重】南當作木、木正春官、重名、少昊氏子句芒也、重平聲、【屬】音燭、下同、【火正黎】火正夏官、黎名、顓頊氏子祝融也、【爲元】歲首曰元、○世紀、顓頊以水德王、在位七十八年、


不可方物ハ、物事ノ類ヲ以テクラベ求ムベカラザルナリ。

屬ハ委ナリ、其事ヲ以テ之ニ委任スルナリ。

帝嚳高辛氏 嚳音酷、

〔帝嚳高辛氏〕玄囂之子、黃帝曾孫也、生而神靈、自言其名、代顓頊而立、居於亳、【子】當作孫、案世紀、黃帝生玄囂、玄囂生蟜極、蟜極生帝嚳、【曾】音層、疏云、重也、後皆倣此、【亳】音薄、在今河南府偃師縣、○世紀、帝嚳以木德王、在位七十五年、

少昊コウ金天氏、名は玄囂ゴウ、黄帝之子也。亦た青陽と曰う。其立つ也、鳳鳥適たまたま至る。鳥を以て官を紀す。

顓セン頊ギョク高陽氏は昌意之子、黄帝の孫也。少昊に代わり而立つ。少昊之衰えるや、九黎徳を乱し、民神雑り糅まじり、物を方くらぶる可から不。顓頊之を受け、乃ち南正の重に命じて天を司どらしめ、以て神を属つかしめ、火正の黎に地を司どらしめ、以て民を属かしめ、相い侵し瀆すを無から使む。始めて暦を作り、孟春を以て元と為す。

帝嚳コク高辛氏は玄囂之子、黄帝の曽孫也。生れ而神霊あり、自ら其の名を言う。顓頊に代わり而立つ。亳於居る。


〔帝堯陶唐氏〕伊祁姓、或曰、名放勛、帝嚳子也、其仁如天、其知如神、就之如日、望之如雲、都平陽、【陶唐云云】書傳、堯初爲唐侯、後爲天子都陶、故號陶唐氏、祁通作耆、放勛、放音倣、勛勳同、朱子曰、放至、勛功也、本史臣贊堯之辭、孟子因以爲堯號、【如天】言如天之涵養也、【知】智同、【如神】言如神之微妙也、【如日】言如日之照臨人、咸依就之、若葵心之傾日也、【如雲】言如雲之覆渥、人咸仰望之、若百穀之仰膏雨也、【平陽】府屬山西、茆茨不剪、土階三等、有草生庭、十五日以前、日生一葉、以後日落一葉、月小盡、則一葉厭而不落、名曰蓂莢、觀之以知旬朔、

帝堯陶唐氏は、伊祁(いき)姓なり。或いは曰く、名は放(ほうくん)と。 帝嚳(こく)の子なり。其の仁は天の如く、其の知は神の如く、之に就けば 日の如く、之を望めば雲の如し。平陽に都す。茆茨剪らず、土階三等のみ。 草有り庭に生ず。十五日以前は、日に一葉を生じ、以後は日に一葉を落とす。 月小にして盡くれば、則ち一葉厭(えん)して落ちず。名づけて蓂莢 (めいきょう)と曰う。之を観て以って旬朔(じゅんさく)を知る。


【等】級也、【厭】音淹、乾也、【蓂】音冥、【莢】音刧、【旬朔】十日曰旬、月一日曰朔、治天下五十年、不知天下治歟不治歟、億兆願戴己歟、不願戴己歟、問左右不知、問外朝不知、問在野不知、乃微服游於康衢、聞童謠、曰、立我烝民、莫匪爾極、不識不知、順帝之則、【治】平聲下鯀治同、【億兆】民也、十萬曰億、十億曰兆、【己】音紀、【在野】郊外曰野、【微服】更爲微賤之服、【康衢】路四達曰衢、五達曰康、【童謠】爾雅、徒歌曰謠、【立我云云】此贊美之辭、言立此衆民、無非帝德、我則無所識無所知、惟順帝堯之法而已矣、有老人、含哺鼓腹、擊壤而歌曰、日出而作、日入而息、鑿井而飮、畊田而食、帝力何有於我哉、【哺】食在口曰哺、【擊壤】以木爲之、狀如履、側一壤於地、去三四十步、以一壤擊之、中者爲上、【日出云云】此樂道之辭、帝堯之世、君君臣臣父父子子、聖神功化之極、無一物不得其所、此可見矣、

天下を治むること五十年。天下治まるか、治まらざるか、億兆己を戴くを 願わざるかを知らず。左右に問うに知らず。外朝に問うに知らず。 在野に問うに知らず。乃(すなわ)ち微服して康衢(こうく)に遊ぶ。 童謡を聞く。曰く、我が蒸民を立つる、爾(なんじ)の極に匪(あら)ざる なし。識(し)らず知らず、帝の則(のり)に順う、と。 老人有り、哺(ほ)を含み腹を鼓(つづみ)うち、壌(つち)を撃って歌うて 曰く、日出でて作し、日入って息(いこ)う。井を鑿(うが)って飲み、 田を畊(たがや)して食う。帝の力何ぞ我に有らんや、と。

茆茨剪らず・・茅葺の屋根を切りそろえること 土階三等のみ・・土の階段は三段のみ すなわち質素な暮らしぶり 厭して・・かわいて。 蓂莢・・草の名  旬朔・・十日と一日  微服・・お忍びで。 康衢・・大通り 蒸民・・蒸は衆、万民 爾の極・・帝の至極の徳  哺を含み・・口に食物を入れて


觀于華、華封人曰、嘻請祝聖人、使聖人壽富多男子、堯曰辭、多男子則多懼、富則多事、壽則多辱、封人曰、天生萬民、必授之職、多男子而授之職、何懼之有、富而使人分之、何事之有、天下有道、與物皆昌、天下無道、修德就閒、千歲厭世、去而上僊、乘彼白雲、至于帝鄕、何辱之有、堯立七十年、有九年之水、使鯀治之、九載弗績、堯老倦于勤、四嶽擧舜、攝行天下事、堯子丹朱不肖、乃薦舜於天、堯崩、舜卽位、【華】去聲、下同、西嶽、在華州華陰縣南、【封人】掌封疆之官、【嘻】音熹、歎辭、【授】付之、【昌】盛美貌、【閒】閑同、【僊】仙同、釋名、老而不死曰仙、【水】洪水也、【鯀】音袞、崇伯名、禹父也、【載】音宰、年也、【弗績】無績功也、【四嶽】官名、一人而總四嶽諸侯之事、【肖】音笑、賢不若父曰不肖、【舜卽位】詳見孟子、○世紀、帝堯以火德王、在位九十一年、案紀年、堯起甲辰、又甲辰終癸未、在位實一百年、

壽福にして男子多からしめんと。堯曰く、男子多ければ則ち懼れ多し、富めば則ち事多し、壽(いのちなが)ければ則ち辱め多しと。

<中途>

帝舜有虞氏 諡法曰、仁聖盛明曰舜、

〔帝舜有虞氏〕姚姓、或曰名重華、瞽瞍之子、顓頊六世孫也、父惑於後妻、愛少子象、常欲殺舜、舜盡孝悌之道、烝烝乂不格姦、【姚】音遙、【重】平聲、重重也、言堯旣有光華、而舜又有光華、可合於堯、故因以重華爲舜號也、【六世孫】顓頊生窮蟬、窮蟬生康敬、康敬生句芒、句芒生蟜牛、蟜牛生瞽瞍、瞽瞍生舜、【象】舜異母弟名、【孝悌】善父母曰孝、善兄弟曰悌、【烝烝乂不格姦】烝進、乂治、格至、姦惡也、言舜雖處人倫之變、而能盡以孝悌之道、事父母待其弟、使之進進以善自治、不致大爲姦惡也、畊歷山、民皆讓畔、漁雷澤、人皆讓居、陶河濱、器不苦窳、所居成聚、二年成邑三年成都、【歷山】鄭玄曰、在河東、【畔】田界、【雷澤】鄭玄曰、在濟陰、【陶】燒瓦器也、【河濱】皇甫謐曰、濟陰定陶西南陶丘亭是也、【苦窳】窳音愈、史注、苦麤也、窳病也、通鑒注云、不憂苦飾病、蓋言器足用也、【所居云云】史記注、聚村落也、邑與都、卽周禮所謂四井爲邑、四邑爲丘、四丘爲甸、四甸爲縣、四縣爲都是也、成聚成邑成都、言民歸舜之漸如此、孟子曰、天下之士多就之者、堯聞之聰明、擧於畎畝、妻以二女、曰娥黃女英、

帝舜有虞氏は 瞽瞍(こそう)の子、顓頊(せんぎょく)六世の孫なり、父後妻に惑い、少子象(しょう)を愛し、常に舜を殺さんと欲す。舜、孝悌の道を尽くし、蒸蒸として乂(おさ)めて姦に格(いた)らざらしむ。 歴山に畊(たがや)せば民皆畔を譲り、雷澤に漁すれば人皆居を譲り、河濱に陶すれば器、苦窳(くゆ)せず。居る所聚を成し、二年にして邑を成し、三年にして都を成す。堯之が聡明を聞き、畎畝(けんぽ)より挙げ、妻(めあ)わすに二女を以ってす。娥皇(がこう)・女英と曰う。 中略 四海の内、咸(みな)舜の功を戴く。

瞽瞍 瞽も瞍も目の見えないこと 見る目が無いことを暗示。 蒸蒸・・・ぐんぐんと善い方に導き身を修めて悪い方に行かないようにした。 苦窳 苦は粗、窳はいびつ。 畎畝 田のみぞ、畦 あぜ 民間の意

𨤲降于嬀汭、遂相堯攝政、放驩兜、流共工、殛鯀、竄三苗、【畎】音鵑上聲、【妻】音砌、以女事人曰妻、【黃】書傳作皇、【𨤲降】𨤲音里平聲、理也、降下也、【嬀汭】音龜芮、嬀水名、在今河中府河東縣、出歷山入河、爾雅、水北曰汭、亦小水入大水之名、蓋兩水合流之內也、舜居於此、堯治裝、以二女下嫁之也、【放驩兜云云】放置之此、不得佗適也、驩音歡、兜音斗平聲、驩兜臣名、流遣而遠去、如水之流也、共工官名、蓋古之世官族也、殛則拘囚困苦之、竄則驅遂禁錮之、三苗國名、在江南荊揚之閒、愚案、驩兜共工、比周相黨、鯀方命圮族、治水無功、三苗侵欲崇侈、負固不服、所謂四凶、罪所當加、舜何與焉、擧才子八元八愷、【八元】元善也、謂伯奮、仲堪、叔獻、季仲、伯虎、仲熊、叔豹、季貍也、皆高辛氏子、春秋傳曰、舜擧之使布五敎、注云、此八人、卽稷契朱虎熊羆之倫、【八愷】愷和也、謂蒼舒、隤𣪱、檮戭、大臨、龐降、庭堅、仲容、叔達也、皆高陽氏子、春秋傳曰、舜擧之使主后土、注云、此八人、卽垂益禹皐陶之倫、命九官、咨十二牧、【九官】謂禹、稷、契、皐陶、垂、益、伯夷、虁、龍之職、事見舜典、【牧】養民之官曰守、曰太守、曰尹、曰刺史同、猶今之知府也、十二牧、謂冀、兗、靑、徐、揚、荊、豫、梁、雍、幽、幷、營、十二州之牧也、舜咨之、使厚有德信仁人拒姦惡也、四海之內、咸戴舜功、五典克從、百揆時序、四門穆穆、皆其功也、彈五絃之琴、歌南風之詩、而天下治、詩曰、南風之薰兮、可以解吾民之慍兮、南風之時兮、可以阜吾民之財兮、時景星出、卿雲興、百工相和而歌曰、卿雲爛兮、禮縵縵兮、日月光華、旦復旦兮、【琴】絲屬、長三尺六寸六分、五絃、後加文武二絃乃七絃、【阜】厚也、【景星】亦曰德星、王者不私人以官、使賢者在位則見、【卿】與慶同、亦曰景雲、王者德至山陵、則慶雲出、【百工】百執事之人也、【和】去聲、【復】扶又切、兩也、後不音者、皆倣此、舜子商均不肖、乃薦禹於天、舜南巡狩、崩於蒼梧之野、禹卽位、【巡狩】孟子曰、天子適諸侯曰巡狩、巡狩者、巡所守也、詳見舜典、【蒼梧】鄒氏曰、蒼梧山名、亦曰九疑、在今道州寧遠縣南、舜陵在焉、或云、舜崩於南越蒼梧縣之野、未詳、○世紀、帝舜以土德王、在位五十載、



五弦の琴を弾じ、南風の詩を歌い、而して天下治まる。詩に曰く、 南風之薫兮、    南風の薫ぜる。 可以解吾民之慍兮。 以って吾が民の慍(いかり)を解く可し 南風之時兮、    南風の時なる 可以阜吾民之財兮  以って吾が民の財を阜(ゆたか)にす可し

と。時に景星出で、卿雲興る。百工相和して歌うて曰く、 卿雲爛兮、糺縵縵兮。 卿雲爛たり、糺(きゅう)縵縵たり 日月光華、旦復旦兮。 日月光華あり、旦復た旦。 と 卿雲 慶とおなじ、めでたい雲 糺 いりまじる 縵縵 長くつづく様 旦復旦 毎朝毎朝 兮(けい)調子をととのえるため添える助辞

舜の子商均不肖なり。乃ち禹を天に薦(すす)む。舜、南に巡狩(じゅんしゅ)し 、蒼梧の野(や)に崩ず。禹、位に即く。

	不可方物ハ、物事ノ類ヲ以テクラベ求ムベカラザルナリ。

屬ハ委ナリ、其事ヲ以テ之ニ委任スルナリ。