北「サガレン」行政ノ引渡及占領ノ終了ニ関スル細目協定


大正十四󠄂年五月一日 薩哈嗹州派󠄄遣軍司令部

北󠄂「サガレン」行政ノ引渡及占領ノ終了ニ関スル細目協定

大正十四年一月二十日即チ千九百二十五年一月二十日北󠄂京ニ於テ署名セラレタル日本國及「ソヴィエト」社會主義共和國聯邦󠄈間ノ関係ヲ律スル基本的法則ニ関スル議定書(甲)第三條ニ基キ北󠄂「サガレン」行政ノ引渡及占領ノ終了ニ関スル細目ヲ協定セムカ爲日本國政󠄂府代表者日本國占領軍司令官及「ソヴィエト」社會主義共和國聯邦󠄈中央執行委員會北󠄂「サガレン」受領全權委員會ハ「アレクサンドロウスク」市ニ於テ會合シ左ノ条項ヲ協定セリ

第一條 日本國占領軍司令官ハ左ノ區分ニ依リ日本國軍隊󠄄ヲ撤去シ行政ヲ「ソヴィエト」社會主義共和國聯邦󠄈中央執行委員會北󠄂「サガレン」受領全權委員會ニ引渡スヘシ

(イ)、北󠄂緯五十一度十分以北󠄂ノ地域ハ四󠄂月四󠄂日正午迄

(ロ)、北󠄂緯五十一度十分以南東經百四󠄂十二度三十分以東ノ地域ハ四󠄂月十四󠄂日正午迄󠄂

(ハ)、其ノ他ノ地域ハ五月十五日正午迄󠄂

前項ノ各地域ニ於ケル日本國軍隊󠄄ノ撤去ヲ終了シ行政ヲ引渡シタルトキハ其ノ都度日本國占領軍司令官及「ソヴィエト」社會主義共和國聯邦󠄈中央執行委員會北󠄂「サガレン」受領全權委員會ハ共同シテ之ヲ公表スヘシ

第二條 日本國占領軍司令官ハ行政ノ引渡ト同時ニ日本國占領軍カ保管スル日本國占領軍ノ北󠄂「サガレン」占領以前ニ関スル公用書類及北󠄂「サガレン」占領中ノ行政ニ関スル日本國占領軍ノ調製セル書類ヲ「ソヴィエト」社會主義共和國聯邦󠄈中央執行委員會北󠄂「サガレン」受領全權委員會ニ引渡スヘシ

第三條 日本國占領軍司令官ハ行政󠄂ノ引渡ト同時ニ又ハ之ニ先チ行政󠄂ノ引渡當時ノ所󠄃在及狀態ニ於テ日本國占領軍カ占領當時及占領間收得シタル北󠄂「サガレン」ニ在ル一切ノ官有及公有財產ヲ「ソヴィエト」社會主義共和國聯邦󠄈中央執行委員會北󠄂「サガレン」受領全權委員會ニ引渡スヘシ

日本國占領軍司令官ハ日本國占領軍カ買收又ハ建造󠄄シタル官有財產ニシテ北󠄂「サガレン」ニ残置スルモノヲ前項ト同様ノ條件ニ依リ「ソヴィエト」社會主義共和國聯邦󠄈中央執行委員會北󠄂「サガレン」受領全權委員會ニ引渡スヘシ

日本國占領軍司令官ハ北󠄂「サガレン」ニ於テ現ニ管理者ヲ有セス又ハ所有者判明セス或ハ占領間日本國占領軍ニ於テ領置シタル爲日本國占領軍ノ保管スル一切ノ私有財產ヲ前項官有財產同樣「ソヴィエト」社會主義共和國聯邦󠄈中央執行委員會北󠄂「サガレン」受領全權委員會ニ引渡スヘシ

第四条 本協定ハ署名ノ日ヨリ完全ニ實施セラルヘシ但シ本協定ニ本協定署名ノ日ニ先チ實施スルコトニ定メタル部分的ノ協定ニシテ既ニ署名ヲ了シタルモノハ各其ノ特ニ定メタル日時ヨリ完全ニ實施セラルルモノトス

本協定ハ日本文及露文ヲ以テ各二通ヲ作成シ日本國占領軍司令官及「ソヴィエト」社會主義共和國聯邦󠄈中央執行委員會北󠄂「サガレン」受領全權委員會之ニ署名調印セリ

大正十四年五月一日

千九百二十五年五月一日

日本國政府代表者日本國占領軍司令官井上一次(印)

「ソヴィエト」社會主義共和國聯邦󠄈中央執行委員會北󠄂「サガレン」受領全權委員會

この著作物は、日本国の旧著作権法第11条により著作権の目的とならないため、パブリックドメインの状態にあります。同条は、次のいずれかに該当する著作物は著作権の目的とならない旨定めています。

  1. 法律命令及官公󠄁文󠄁書
  2. 新聞紙及定期刊行物ニ記載シタル雜報及政事上ノ論說若ハ時事ノ記事
  3. 公󠄁開セル裁判󠄁所󠄁、議會竝政談集會ニ於󠄁テ爲シタル演述󠄁

この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。