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明治以降教育制度發達史 第一巻

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序言

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明治維新以來今日に至る我國運の發展は洵に目覺ましきものがあり而してそれには幾多の原因もあるが、明治初年からの教育が其の一大原動力となつて居ることは何人も認める所であらう。されば其の教育制度の沿革を正確に記録して置くことは啻に此の前古無比の隆盛期に於て如何なる教育制度が行はれたかを明にするばかりでなく、將來の教育施設上極めて緊要の事に屬する。然るに今日迄未だ一貫したる教育史として世に現はれたるもの無く、其の資料も或は散逸し又其の間實際教育事業に當られた有力な方々も漸次世を去られるから、今の中に進で此の教育史編纂に當る人が無ければ、後日になつて其の正鵠を期することは益困難となり非常に遺憾を感ずるであらう。

服部報公會は此のことを慮り此の事業に貢獻したいと思つて居た處、幸にも多年教育の事に參畫し其の方面の權威者である松浦鎭次郎氏が自ら進で引受けて下さるといふので、本會は其の事業の一として昭和七年に教育史編纂會を組織し同氏に委囑して明治以來の教育史の編纂を煩はすこととなり、爾來年を閲すること七年、同氏の孜々不斷の努力は遂に酬いられ爰に其の上梓を見るに至つた。吾人は此の書が必ず世に裨益する所尠からざるを信ずると共に、同氏並に協力者諸氏の御盡瘁に對して衷心より感謝の意を表するものである。乃ち一言其の由來を述べて序言とする。

昭和十三年四月
財團法人服部報公會
理事長 櫻井錠二

近時學制改革を叫ぶの聲は世間に高い。勿論國運の進展に伴ひ現在の學制にも改正を要するものが多々あるであらう。然も教育制度は單に二三の人の專斷に依て作られたといふが如きものではなく、國家の必要に基き、社會の状勢に應じ、漸次發達して今日に至つたのであるから、若し現在の學制に向つて改革の斧鉞を加へんとするならば、先づ詳に現制の由て來る所を尋ね、十分に其利弊を檢討して然る後に之を爲さねばならぬ。

私共は此意味に於て正確に教育制度の沿革を説示する著述の世に出でんことを希望して止まなかつたのであるが、財團法人服部報公會に於ても亦其感を同うし、特に同會の事業の一として教育史編纂會を組織せられ、私共委囑を受けて本書の編述に從事することとなつたのである。此の如く本書の成る一に服部報公會の絶大なる好意の賜に外ならぬ。私は特に卷頭此ことを述べ、同會に對して深厚なる感謝の意を表する。

本書は我國民教育制度の起源を爲せる明治五年の「學制」頒布以後、昭和七年末に至るまでを限界として、勉めて主觀を避け、事實を事實として爲し得る丈け忠實に、法令等の正文に就き、制度變遷の迹を叙することを目的としたものである(陸海軍の學校及諸官省に於て所屬官吏吏員養成の爲にする學校の如きは特別の關係に屬するものであるから之を除く)。執筆は南北朝問題及國語問題に關する部分に就き渡部董之介君を煩はした以外は、編纂會委員諸君の助力の下に全部私自身の手に依つたものであるから、執筆者としての責任は全然私の負ふ所である。單に法令の集録に過ぎぬではないかといふが如き非難も勿論あるであらう。其他總て私の微力の爲に服部報公會の折角の好意に酬ゆる能はず、其期待に副ひ得なかつたであらうことは自ら顧みて慚愧に堪へぬ。唯本書が他日獨自の見識を以て教育史を説かんとする人の爲に、幾分か資料として役立ち得るならば私の幸之に過ぐるものはない。

私は此機會に於て編纂會委員渡部董之介、粟屋謙、盛岡常藏、西河龍治、關屋龍吉、山川建の諸君に對し、又資料の整頓其他のことに關し多大の援助を與へられたる文部省、東京文理科大學、帝國圖書館及中央氣象臺の吏僚諸君及中村健一郎、松本喜一、林繁三、高木覺、村上俊亮、上田壽、船越源一、中村金藏、森田一也、三木壽雄、渡邊誠、西孝、合田龜太郎、中川久造、鈴木龍三、西尾寛、枝廣太郎、野邊地東洋、大谷喜左治、梅田義雄、山口槌利、坂井正義、藤井爲六、難波仙衛、水橋汀介、矢谷太郎、佐多貞夫等の諸君に對して深く感謝の意を表する。尚ほ特別の好意を以て本書の出版を引受けられたる龍吟社に對しても亦感謝を禁じ能はぬ所である。

昭和十三年二月
松浦鎭次郎識

凡例

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  • 一、本書は我國民教育制度確立の時、即ち明治五年の「學制」頒布を起點とし、主として法令等の正文に依り、之に其他の資料を配し、年代的に編纂叙述して以て明治、大正、昭和の三代を通貫する我教育行政制度發達の跡を明にせんことを目的とするものであるが、序論として上代より明治維新後「學制」頒布に至るまでの我國文化及教育の概要を叙することとした。
  • 一、本書はこれを三編十八章に分類した。即ち上代より「學制」頒布に至るまでを第一編序論(四章)とし、「學制」頒布以降昭和七年末に至るまでを第二編本論とし、更に之を第一章總説、第二章「學制」頒布より明治十二年教育令制定に至るまで(第一期)、第三章教育令制定より明治十九年諸學校令整頓に至るまで(第二期)、第四章諸學校令整頓より明治二十七八年日清戰役に至るまで(第三期)、第五章日清戰役より明治三十七八年日露戰役に至るまで(第四期)、第六章日露戰役より大正八年歐洲大戰直後に至るまで(第五期)、第七章歐洲大戰直後より昭和七年末に至るまで(第六期)及第八章華族教育に分つた。
  • 一、本書に引用せる法文其他に就ては、校正の際出來得る限り諸本校合を以て正確ならんことを期した。然して、明かに原本の誤植にして校訂の根據あるものは之を訂正したが、誤植の疑あるもの及び誤植なること明瞭なれども、之を訂正するの材料無きものは、已むを得ずその文字の右側に「ママ」の振假名を附して注意を促すこととした。但し、明治初年慣用の文字は妄りに訂正すべからざるは固より、寧ろ尊重すべきものなるにより、原本のまま存置することとした。例へば、預料(豫料)、何字(何時)、通辨(通辯)、大坂(大阪)の如きである。
    尚ほ引用文中には、往々同一文中に本字俗字が混用されてゐる場合があるが、之は成るべく何れか一方に統一することとした。
  • 一、文中歐米人の姓名は、歐文名の判明せるもののみ括孤[1]内に註した。然して既出の姓名は再度註せぬことを原則とした。
  1. ママ

明治以降教育制度發達史 第一卷 目次

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  • 第一編 序論
    • 第一章 總説……三
      • 第一 幼稚園の保育……六
      • 第二 學校教育……六
        • 一、 初等普通教育……六
        • 二、 高等普通教育……七
        • 三、 職業教育……八
        • 四、 特殊教育……一四
      • 第三 社會教育……一四
      • 第四 學問藝術其ものの發達の爲にする努力……一五
    • 第二章 上代より徳川時代に至るまでの教育……一八
    • 第三章 徳川時代の教育……三二
    • 第四章 明治維新以後「學制」頒布に至るまでの教育……八五
  • 第二編 本論
    • 第一章 總説……二七三
    • 第二章 「學制」の頒布より明治十二年教育令制定に至るまで……二七五
      • 第一款 「學制」の頒布……二七五
      • 第二款 初等普通教育(小學教育)……三九七
      • 第三款 幼稚園……四八三
      • 第四款 男子高等普通教育(中學教育)……四八六
      • 第五款 女子高等普通教育(高等女學校教育)……五五四
      • 第六款 專門教育及實業專門教育……五六〇
        • 第一項 概説……五六〇
        • 第二項 綜合的專門學校……六一六
        • 第三項 法律經濟等に關する專門學校……六五四
        • 第四項 醫藥に關する專門學校……六五九
        • 第五項 語學に關する專門學校……六九七
        • 第六項 文學に關する專門學校……七一二
        • 第七項 宗教に關する專門學校……七一二
        • 第八項 美術に關する專門學校……七一三
        • 第九項 音樂に關する專門學校……七一四
        • 第十項 體育に關する專門學校……七一五
        • 第十一項 實業專門學校……七一七
          • 一、農業に關する專門學校……七一七
          • 二、工業に關する專門學校……七一九
          • 三、商業に關する專門學校……七二四
          • 四、海員養成に關する專門學校……七二八