刑事訴訟法改正案の要旨/第九編 私訴


原文

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刑事訴訟手続に附帯して私権の保護を求むる私訴の制度は之を認むべきや否や議論の存せし所なれども私訴は公訴と同じく犯罪を原由とするものなるを以て公訴と共に之を審判するの便なること疑を容れず故に本案は現行法と同じく此制度を採用したり私訴に関する法規は之を独立の一編と為し之を三章に分ちて頗る詳細なる規定を設けたれども全体に渉りて一々之を説明するの必要を認めざるを以て改正の要点を述ぶるに止む

第一 私訴の意義

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現行法第二条は私訴を以て犯罪に因りて生じたる損害の賠償並贓物の返還を目的とするものとせり裁判例の示すところに依れば同条に所謂損害賠償中には民法上正確に損害賠償と称すべきものの外民法第七百二十三条に定めたる名誉回復の如きものを包含すべきものとし又贓物の返還中には騙取せられたる不動産の所有名義を回復する目的に於て為す登記抹消の如きものを包含すべきものとせり是れ実際の必要上文字の意義を拡張して解釈したるものにして已を得ざるに出でたるものなり本案は現行法の文言を改め犯罪に因り損害を被りたる者は其損害を回復する為め私訴を提起するを得べき旨を規定し右例示の場合は勿論苟も犯罪に因り法益を侵害せられたるときは如何なる場合に於ても之に対する救済を求むる為め私訴を提起するを得べきことを明示したり私訴は何人に対し之を提起し得べきやに付き現行法は別に規定する所なきを以て私訴の被告と為るべき者は刑事被告人に限るものと解せらるるの虞あり依て本案は現今の裁判例に従い公訴の被告人又は其他の者に対し私訴を提起するを得べきことを明にしたり(第五百十七条)

第二 私訴の審判

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私訴を公訴に附帯せしむるの便益は公訴の事実に付き為したる認定に依り直に私訴の判決を為すことを得べき点に在り故に私訴の判決と公訴判決とは同一の事実を基礎とするを要し若し私訴の判決と公訴の判決に於て別異の事実を認定するを許すこととせば私訴の制度を認めたる理由全く消滅すべし是を以て私訴に付ての事実の審理並に事実の認定を為すの資料と為るべき証拠の取捨に付ては公訴の審理に関する原則殊に職権主義を適用し事実関係に付き両者の間に矛盾を生せざることを保せざるべからず即知る私訴の審判は形式的真実を以て裁判の基礎と為す民事訴訟の審判と其基本を異にすることを本案は此観念を以て審判に関する各般の規定を設け私訴制度の便益を完うせんことを努めたり然りと雖も私訴は素と民事の訴求に外ならざるに因り右に述べたる特殊の関係を外にせば民事訴訟の本則に従わしむるを当然とすべく随て私訴の訴訟手続に関して民事訴訟の法則を準用したる点頗る多く殊に請求の目的物に付ては処分権主義を適用し当事者をして任意に之を処分するを得せしむることとせり

現行法は第二百二十一条に於て「民事原告人は被害の事実を証明し且私訴に付き其請求する所を陳述すべし」と規定し私訴に付ても民事訴訟に於けるが如く職権主義を排し必ず民事原告人に於て事実の証明を為すべきものの如く規定したるの観あり本案に於ては一面に於て原告は請求の原因たる事実を陳述し判決を受くべき事項を申立つべしと規定し(第五百三十三条第一項)他の一面に於て裁判所は私訴判決を受くべき事項の申立の範囲内に於ては請求の原因たる事実に関する原告の陳述に拘束せらるることなき旨を規定し(第五百三十六条)尚お証拠調に関しては公訴に付き取調たる証拠は当事者の援用を待たずして私訴に付きても之を取調べたるものと看做す旨を規定せり(第五百三十五条)即知る裁判所は原告の申立ざる事物を之に帰せしむるを得ざるも公訴に於て取調べたる証拠に依り認めたる公訴の事実は当事者の陳述する所如何に拘わらず之を基本として私訴の判決を為すことを得べきものにして此点に於て全く当事者の処分権を認めざるなり即ち当事者間に争なき事実と雖も職権を以て認めたる事実に符合せざれば之を認むることなく又は公訴に於て認めたる事項は当事者之を証明せざるも私訴に付ては当然之を認むべきものなり 第五百三十五条但書に裁判所は当事者の請求に因り又は職権を以て別段の証拠調を為すことを得とあり此規定は敢て私訴に付き公訴と異なりたる事実を認むるの結果を生ずるものに非ず公訴に於ける証拠調に依り公訴の判決を為すに足るも私訴に付て別段の証拠調を要することあり例えば請求の原因は公訴事実の取調に依り定まるも其数額に関する事実は公訴の取調のみを以て之を確定するを得ざることあり此の如き場合に於ては別段の証拠調を要すること勿論なるべし此の場合に於ては証拠調の結果は毫も公訴事実に影響を及ぼさざるを以て裁判所に於て必ずしも職権調査を為すの必要なく当事者の請求を待て之を取調ぶるも可なり之を要するに私訴に関する事実並に証拠にして公訴の事実に直接の連繋を有するものは職権主義を適用して調査すべきものにして私訴の判決は必ず公訴の判決に於て認めたる事実に基づき之を為すべきものなり

訴訟の目的物自体に付ては当事者の処分権を認むるを以て当事者に於て請求を抛棄認諾したるときは民事訴訟法の原則に従て判決を為さざるべからず(第五百二十一条、第五百二十二条第十一号) 私訴の判決は如何なる場合に於ても公訴の判決に先ちて之を為すを得ざるものと為す是れ前に示すところより生ずる当然の結果なり(第五百二十条) 当事者期日に在廷せず又は在廷して弁論を為さざるときは公訴判決の事実に従い私訴の判決を為すべきものにして現行刑事訴訟法及び民事訴訟法に於けるが如く闕席判決を為すべきものに非ず是れ亦前に示すところより生ずる当然の結果なり

第三 私訴の移送

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前に述ぶるが如く私訴を公訴に附帯せしむるは公訴に於て認めたる事実に基づき直に私訴判決を為し得べき実務上の便益に因るものなるを以て此事由消滅したるときは之を其本質に適合すべき民事訴訟と為すを相当とす即現行法に於ては一旦権利拘束を生じたる以上は如何なる事情の変更あるも公訴の判決を為すべき裁判所をして私訴の判決を為さしむるを原則とし止だ上告裁判所が破毀移送を為す場合に於てのみ私訴を公訴より分離して民事部に移すべきものと規定すれども此の如くなるときは公訴に附帯すべき理由を失いたる民事の争を故なく公訴に附帯せしむるの結果を生ずる場合あるべきを以て本案に於ては之を改め(一)公訴に付き無罪免訴又は公訴棄却の裁判ありたるとき(二)事件繁雑にして数多の日子を費すに非ざれば私訴の審判を終結し難きものと認むるとき(三)控訴裁判所私訴のみに付き控訴を受けたるとき又は公訴に付き控訴棄却の裁判又は控訴取下ありたるときは事件を民事部に移すべきものとなす私訴民事部に移送せらるるときは全く附帯の性質を失い民事部は純粋なる民事訴訟として之を取扱うべきものとす(第五百二十六条、第五百三十八条、第五百三十九条、第五百四十三条)

第四 私訴の時効

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現行法は私訴の時効を以て公訴の時効と期間を同うすべきものとし止だ公訴に付き既に刑の言渡ありたる場合に於てのみ民法に従うべきものと為したり即私訴を公訴に附帯せずして民事裁判所に提起したる場合に於ても私訴は公訴と其運命を共にし私訴原告人の請求権は民事裁判所に於て権利拘束中なるに拘わらず請求権の公訴時効の完成に因り当然消滅することとなるべし思うに私訴の時効を公訴の時効と同一とするは理由なき法則なり請求権自体は犯罪事実を原因とすると否とを問わず同じく民法に従うものにして其時効期間に付き区別を設くるは謂われなきことなり依て本案に於ては私訴に付き特別の時効を認めたる現行の法規を廃止することとせり

 

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