出師表は、建興5年(227年)、諸葛亮が主君の劉禅に奉った上奏文。一般に「出師表」と言えばこの文章を指すが、「後出師表」と区別するために、「前出師表」と呼ばれることもある。自分を登用してくれた先帝劉備に対する恩義を述べ、あわせて若き皇帝である劉禅を我が子のように諭し、自らの報恩の決意を述べた文である。陳寿の三国志の本文にも引用されている他、『文選』、『文章軌範』等にも収められており、諸葛亮の真作と考えられている。— ウィキペディア日本語版「出師表」より。
臣亮言。先帝創業未㆑半。而中道崩殂。今天下三分。益州疲敝。此誠危急存亡之秋也。然侍衞之臣。不㆑懈㆓於內㆒。忠志之士。忘㆓身於外㆒者。蓋追㆓先帝之殊遇㆒。欲㆑報㆓之於陛下㆒也。
誠宜㆘開‐㆓張聖聽㆒。以光㆓先帝遺德㆒。恢㆗志士之氣㆖。不㆑宜㆔妄自菲薄。引㆑喩失㆑義。以塞㆓忠諫之路㆒也。宮中府中。俱爲㆓一體㆒。陟㆓罰臧否㆒。不㆑宜㆓異同㆒。若有㆘作㆑姦犯㆑科及爲㆓忠善㆒者㆖。宜㆘付㆓有司㆒。論㆓其刑賞㆒。以昭㆗陛下平明之理㆖。不㆑宜㆔偏私使㆓內外異㆒㆑法也。
侍中侍郞郭‐攸‐之。費‐禕。董‐允等此皆良實。志‐慮忠‐純。是以先帝簡拔以遺㆓陛下㆒。愚以爲宮中之事。事無㆓大小㆒。悉以咨㆑之。然後施行。必能裨‐㆓補闕‐漏㆒。有㆑所㆓廣益㆒。將軍向寵。性行淑均。曉‐㆓暢軍事㆒。試㆓用於昔日㆒。先帝稱㆑之曰㆑能。是以衆議舉㆑寵爲㆑督。愚以爲營中之事。事無㆓大小㆒。悉以咨㆑之。必能使㆓行軍和穆。優劣得㆒㆑所也。
親㆓賢臣㆒。遠㆓小人㆒。此先漢所㆓以興隆㆒也。親㆓小人㆒。遠㆓賢臣㆒。此後漢所㆓以傾頽也。先帝在時。每與㆑臣論㆓此事㆒。未五嘗不㆕歎㆓息痛㆔恨於桓靈㆒也。侍中尚書。長史參軍。此悉貞亮死㆑節之臣也。願陛下親㆑之。信㆑之。則漢室之隆。可㆓計㆑日而待㆒也。
臣本布衣。躬耕㆓南陽㆒。苟全㆓性命於亂世㆒。不㆑求㆓聞達於諸侯㆒。先帝不㆑以臣卑鄙㆒。猥自枉屈。三顧㆓臣於草廬之中㆒。諮㆑臣以㆓當世之事㆒。由㆑是感激。遂許㆓先帝㆒以㆓馳驅㆒。後値㆓傾覆㆒。受㆓任於敗軍之際㆒。奉㆓命於危難之間㆒。爾來二十有一年矣。先帝知㆓臣謹愼㆒。故臨㆑崩寄㆑臣以㆓大事㆒也。
受㆑命以來。夙夜憂慮。恐㆔付託不㆑效。以傷㆓先帝之明㆒。故五月渡㆑瀘。深入㆓不毛㆒。今南方已定。甲兵已足。當㆘獎㆓率三軍㆒。北定㆗中原㆖。庶竭㆓駑鈍㆒。攘㆓除姦凶㆒。興㆓復漢室㆒。還㆓於舊都㆒。此臣所㆘以報㆓先帝㆒而忠㆗陛下㆖之職分也。
至㆘於斟酌損益進盡㆗忠言㆖。則攸之・禕・允之任也。願陛下託㆑臣以㆓討賊興復之效。不㆑效則治㆓臣之罪㆒。以告㆓先帝之靈㆒。若無㆓興德之言㆒。則責㆓攸之・禕・允之咎。以彰㆓其慢㆒。陛下亦宜㆘自謀。以咨㆓諏善道㆒。察㆓納雅言㆒。深追㆗先帝遺詔㆖。臣不㆑勝㆓受㆑恩感激㆒。今當㆓遠離㆒。臨㆑表涕泣。不㆑知㆑所㆑云。
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