再婚について
ことしの秋は、柳ちゃんを連れて
さて、きょうは珍しい報告を送る思いでこのおたよりいたします。ことしの夏の初めあたりから、とうさんは自分の生活を変えようと思い立ったからです。
今までのとうさんの生活が変則で、多少不自然であることは自分でも知っていましたが、おまえたち
幸い
このことはまだ
この話が川越の加藤大一郎さんととうさんとの間にまとまり先方の承諾を得たのは、ことしの七月のころでした。大一郎さんはそのために一度東京へ出て来てくれました。いろいろ打ち合わせも順調に運び、わざとばかりの
期日は十一月の三日ということに先方とも打ち合わせました。当日は星が岡の茶寮でも借り受け、先方の親戚二、三人と西丸さん、吉村さんとを招き、簡素な茶室で式を済ましたい考えです。
とうさんがこの新しい方針を選んで進もうとするのは、いろいろ前途を熟考した上での結果です。とうさんもこのまま老い朽ちてしまいたくないからです。何とか自分の生活を立て直し、適当な内助者を得て、今よりも自然に静かな晩年に達したいと思うからです。
この手紙はおまえばかりでなく、鶏ちゃんにも柳ちゃんにも読んでもらうつもりで書きました。いずれ
最初この話を加藤大一郎さんにしましたとき、それはとうさんのためにもよかろうと言ってたいへん喜んでくれました。おまえたちもそう思ってくれるならとうさんも幸いに思います。
何事も寛大に考えてください。おまえたちの力になろうとするとうさんの心に変わりはないのですから。
それから、とうさんが生活を変えると言ったら、事あれかしの新聞記者なぞに
きょうは実に書きにくい手紙を書きました。
十月二十三日
楠雄
この著作物は、1943年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。