第三章 社󠄃會主義および共產主義文󠄃書

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一 反動社󠄃會主義

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A 封建󠄄的社󠄃會主義
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 フランスおよびイギリスの貴族は、その歷史󠄃的地位からして、近󠄃世ブルジョア社󠄃會に反對する小册子を書くべき任務を帶びてゐた。一八三〇年七月のフランス革命において、またイギリスの改革運󠄃動において、彼らは更󠄃にこの厭ふべ き成上り者󠄃のために組み敷󠄃かれた。本氣な政治的鬪爭はもはや問題にならなくなつた。彼らに殘されたものは、ただ文󠄃筆上の爭ひであつた。しかし、その文󠄃筆の方面でも、ブルボン王朝󠄃復活時代(一八一四年から一八三〇年まで)の古い言葉ではとほらなくなつた。彼ら貴族が世間の同情󠄃を喚び起󠄃すためには、自分󠄃の利害󠄆關係を隱蔽して、ただ搾取されてゐる勞働階級の利害󠄆關係においてのみ、ブルジョアジーに對する訴狀をつくらねばならなかつた。かくて彼らは、新しい支配者󠄃を讒謗する歌を歌ひ、また多少とも不祥󠄃らしい豫言をその耳に囁いて、纔かに自ら腹いせをしてゐたのである。

 封建󠄄的社󠄃會主義はかやうにして起󠄃つた。半󠄃ばは哀歌、半󠄃ばは皮肉、半󠄃ばは過󠄃去の餘音、半󠄃ばは將來の脅威、そして時には深酷󠄃痛烈な批判󠄃をもつて、ブルジョアジーの腸を刺すことがあつても、近󠄃世史󠄃の進󠄃路を理解する能力が全󠄃く缺けてゐたので、その效果は常にただ滑𥡴であつた。

 彼らは民衆を自分󠄃らのうしろに集めるために、プロレタリヤの救恤袋を旗印として振りかざした。けれども民衆は、しばしばそのうしろに集まつたとき、彼らの背中に昔の封建󠄄的紋󠄃所󠄃を見つけだして、輕蔑の高笑ひを殘して逃󠄄げ去つた。

 フランス勤󠄇王派の一部と、靑年イングランド黨とは、この芝居の好適󠄃例である。

 封建󠄄主義者󠄃は、自分󠄃たちの搾取がブルジョアの搾取とその選󠄄を異にしてゐるといふが、それは彼らが今日とはまるで違󠄄つた、そして今日では時代おくれになつてゐる、事情󠄃と條件との下に、搾取をやつてゐたといふことを忘れてゐるのである。彼らの支配下には、近󠄃世のプロレタリヤは存在してゐなかつたといふが、それはやはり、近󠄃代のブルジョアジーが彼らの社會組織󠄂の必然の子孫だといふことを忘れてゐるのである。

 それに彼らは、自分󠄃たちの批評󠄃の反動的性質を殆んど隱してゐない。彼らのブルジョアジーに對する主なる詰責は、ブルジョアジーの支配下には、社󠄃會の舊組織󠄂を全󠄃く引つくり返󠄄さうとする一階級が、發生しかけてゐるといふに歸着する。

 彼らがブルジョアジーを責めるのは、それが一般のプロレタリヤをつくりだしたといふことよりも、むしろ革命的プロレタリヤをつくり出したといふことにある。

 故に彼らは、政治上の實際においては、勞働階級に對する壓迫󠄃的立法に加擔し、また日常の生活においては、そのあらゆる立派󠄄な口上にも似ず、黃金の林檎を拾ひ集め、眞󠄃理や正義や名譽を、羊毛や砂糖やジャガ芋酒と交󠄄易することを辭しなかつた。

〔英譯註〕この林檎のことは、主としてドイツを指したのである。ドイツでは、地方の貴族や鄕󠄂士が、その領地の大部分󠄃を番頭役の者󠄃に耕作させて、自らその利益󠄃を收め、更󠄃にまた大規模の砂糖製造󠄃をやり、ジャガ芋酒の釀造󠄃をやつてゐた。イギリスの富裕な貴族は、まだそこまでのことはやらなかつたが、それでも、怪しげな株式會社󠄃の空株券に名義を貸して地代の減少の埋め合せをすることを知つてゐた。

 僧󠄃侶がいつでも、封建󠄄貴族と手を携へてゐたと同じく、僧󠄃侶的社󠄃會主義がまた、いつでも封建󠄄的社󠄃會主義に伴󠄃つてゐた。

 キリスト敎の禁慾主義に社󠄃會主義的色彩󠄃をつけるのは、なによりも容易なことである。キリスト敎は私有財產に對し、結婚に對し、國家に對して、熱心に反對したではないか。キリスト敎はそれらの代りに、慈善と乞食と、獨身主義と禁慾主義と、僧󠄃院生活と敎會とを說敎したではないか。キリスト敎社󠄃會主義は貴族の憤怒を淨めるために、僧󠄃侶が注ぐ聖󠄃水である。
B 小ブルジョア社󠄃會主義

 ブルジョアジーのために亡󠄃ぼされた者󠄃、近󠄃世のブルジョア社󠄃會の中にその生活條件を萎微󠄄凋落させられた者󠄃は、封建󠄄貴族階級ばかりではなかつた。中世の特許市民と小農階級とは近󠄃世ブルジョアジーの先驅であつたが、工商業の發達󠄃の遲れた國々では、これらの階級がやはりまだ、新興のブルジョアジーと並んで生きながらへてゐる。

 近󠄃世的文󠄃明の發達󠄃してゐる國々では、一つの新しい小ブルジョア階級が形成されてゐる。それは、プロレタリヤ階級とブルジョア階級との間に彷徨してゐるもので、ブルジョア社󠄃會の補足的部分として、常に新しく發生してゐる。しかしその組成員たる個人は、絕えず競爭のためにプロレタリヤに突き落され、しかもそれが大產業の發達󠄃につれ、近󠄃世社󠄃會の獨立分子としては全󠄃く消󠄃滅に歸し、その代りに商工農業における勞働監督者󠄃、および番頭支配人を生ずる時節󠄄が近󠄃づきつつある。

 フランスのやうな、農民階級が人口の半󠄃ば以上を占めてゐる國々では、プロレタリヤに味方して、ブルジョアジーに反對する文󠄃人らが、小ブルジョア的および小農的の標準でブルジョアジーを批評󠄃し、またその小ブルジョア的立場から勞働黨に加擔するのは、まことに自然のことであつた。かくて小ブルジョア社󠄃會主義が起󠄃つた。シスモンヂーはフランスばかりでなく、イギリスにおいても、この學派󠄄の巨頭であつた。

 この社󠄃會主義は最も銳利に、近󠄃世の生產關係における矛盾を解剖した。經濟學者の僞善虛飾󠄃を暴露した。また最も有力に、機械と分󠄃業との破壞作用、資󠄄本と土地との集中、生產過󠄃剩、恐慌、小資󠄄本家と小農との必然的滅亡、プロレタリヤの悲慘、生產界の無政府狀態、富の分󠄃配の驚くべき不權衡、諸󠄃國民間における必死の產業戰爭、舊習󠄃慣、舊家族關係、舊國民性の解體を論證した。

 しかしこの社󠄃會主義は、その積極の目的においては、昔の生產交󠄄換方法とともに、昔の財產關係および昔の社󠄃會を復興しようとするか、さもなくば、近󠄃世の生產交󠄄換方法を、舊財產關係(近󠄃世の生產交󠄄換方法によつて刎ねとばされたところの、また刎ねとばされねばならなかつたところの、その舊財產關係)の外殼の中に、無理に再び押しこまうとするのであつた。いづれにしても、それは反動的であり、また空󠄃想的であつた。

 製造󠄃工業においては座の制度(ギルドの自治制)、農村においては族長制度、それらが彼らの結論であつた。

 この學派󠄄は、結局、あらゆる自騙陶醉が、曲げがたき歷史的事實の前に霧消󠄃して、あはれ意氣地なく終󠄃焉したのである。

C ドイツ社󠄃會主義または『眞󠄃正』社󠄃會主義
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 フランスの社󠄃會主義的および共產主義的文󠄃書は、支配階級たるブルジョアジーの壓迫󠄃の下に起󠄃り、その支配權に對する戰鬪の文󠄃學的表現をなしてゐたのであるが、その文󠄃書がドイツに輸󠄃入されたのは、ちやうどドイツのブルジョアジーが、封建󠄄的專制政治に對して戰鬪を開始した時であつた。

 ドイツの哲學者󠄃、自稱哲學者󠄃、および文󠄃藝家は熱心にこの文󠄃書を耽讀したが、ただ彼らは、その文󠄃書がフランスからドイツに移植された時、フランスの社󠄃會關係がそれとともに移植されなかつたといふことを忘れてゐた。そこでこのフランスの文󠄃書は、ドイツの社󠄃會關係に對して、全󠄃くその直接實際的の意義を失ひ、ただ單純な文󠄃學的の姿󠄄を示してゐた。從つてそれは、人間性の實現に關するのんきな學究的思辨となるよりほかはなかつた。かくて十八世紀󠄄のドイツの學者󠄃にとつては、フランス第一革命の要求は、『實踐理性』の一般的要求といふだけの意義をもつたもので、革命的フランス・ブルジョアジーの意志表現も、彼らの眼中にはただ純粹の意志、正當の意志、眞󠄃の人間の意志の法則としてのみ映じたのである。

 そこでドイツの學者󠄃たちの仕事はただ、新しいフランス思想を、自分らの古い哲學的良心と調和させるか、或ひはむしろ、自分らの哲學的立場からフランス思想を取りいれようといふのであつた。

 この結合はちやうど、飜譯によつて外國語を取りいれるのと、同じやり方で行はれた。

 昔の僧󠄅侶どもが、古代異敎國の典籍によつて、カトリックの諸聖󠄃僧󠄅の愚傳をつくつたことは、人のよく知るところである。ドイツの學者󠄃は、俗界のフランス文󠄃書に對して、まさにその反對をやつたのである。彼らはフランスの原書に基づいて、自分らの哲學的駄辯を書いた。例へば、貨幣󠄃の作用に關するフランス批評󠄃に基づいて『人間性の離反』を書き、ブルジョア國家に關するフランス批評󠄃に基づいて、『絕對普遍󠄃政治の廢止』を書いたりした。

 かういふ哲學的用語をフランスの史󠄃的發達󠄃の上に當てはめることを、彼らは行爲の哲學、眞󠄃正社󠄃會主義、社󠄃會主義のドイツ科學、社󠄃會主義の哲學的基礎などと命名した。

 フランスの社󠄃會主義文󠄃書および共產主義文󠄃書は、かやうにして明らかに去勢された。そしてそれらの文󠄃書がドイツ人の手の中で、一階級の他階級に對する鬪爭の意義を失つた時、ドイツ人はそれで『フランス的偏見』を去つたと思ひ、現實の要求でなく眞󠄃理の要求を代表したと思ひ、プロレタリヤの利益󠄃でなく人間性(すなはち一般人間)の利益󠄃を代表したと思つてゐた。しかるにその人間とは、どの階級にも屬せず、現實のものでもなく、ただ哲學的空󠄃想の雲霧の中にのみ存するものであつた。

 かやうに莊嚴な兒戲を試み、賣藥的法螺を吹き立てたドイツ社󠄃會主義も、暫くにして漸くその衒學的な無邪氣さを失つた。

 ドイツ、殊にプロシャのブルジョアジーが、封建󠄄貴族および專制王政に對する戰鬪、すなはち自由主義運󠄃動が、次󠄄第に本物になつて來た。

 これによつて、いはゆる『眞󠄃正社󠄃會主義』は、多年要望󠄅してゐた好機會をつかみえて、その政治運󠄃動に社󠄃會主義的要求を對立させ、自由主義に對し、代議政體に對し、ブルジョアの自由競爭に對し、ブルジョアの言論自由に對し、ブルジョアの立法に對し、ブルジョアの自由平󠄃等に對して、その傳統的咒詛を投げつけ、そして民衆に向つては、彼らがこのブルジョア運󠄃動のために、得るところは一つもなく、失ふところは一切のものであるべきことを說法した。ドイツ社󠄃會主義は、このとき、自分󠄃が受賣りをしてゐるところのそのフランス批評󠄃が、近󠄃世ブルジョア社󠄃會の存在を前󠄃提とし、およびそれに隨伴󠄃する物質的生活條件と、それに適󠄃應する政治組織󠄂とを前󠄃提とするものであることを、折よくも忘れてゐたのである。すなはちその前󠄃提を獲得することが、ドイツでいま漸く問題となつてゐることを忘れてゐたのである。

 故に、ドイツの專制政治およびそれに伴󠄃ふ僧󠄅官、敎授、地方貴族、官僚などにとつては、この社󠄃會主義は、ブルジョアジーの來襲󠄂に對する、まことに格好の案山子であつた。

 恰かもこの時、ドイツの專制政府は勞働階級の動亂に對して、鞭撻と銃丸のにがい藥を與へた後であつたので、この社󠄃會主義は實に甘い口直しであつた。

 この『眞󠄃正社󠄃會主義』は、かくドイツ政府のためにブルジョアジーと戰ふ武器󠄃となつたと同時に、また直接に、一つの反動的利益󠄃(すなはち特權市民階級の反動的利益󠄃)を代表してゐた。ドイツにおいては、十六世紀󠄄以來の遺󠄃物であつて、そしてその後たえず、種々の形で復活してゐる小ブルジョア階級が、現存社󠄃會狀態の特殊の基礎をつくつてゐるのであつた。

 この階級を維持することは、すなはちドイツの現存社󠄃會狀態を維持する所󠄃以であつた。しかるにブルジョアジーが產業的および政治的支配權を握れば、一方には資󠄄本の集中のために、一方には革命的プロレタリヤの發生のために、この階級が確かに沒落する恐れがあつた。そこで『眞󠄃正社󠄃會主義』は、彼らにとつて一石二鳥を仆すもののごとく見えた。從つてそれが流行病のやうに蔓延󠄅した。

 更󠄃にこのドイツ社󠄃會主義は、空󠄃想の蜘蛛の網で織󠄂られ、修辭の花で緣を取られ、濃やかな感情󠄃の露に浸された、浮󠄃世ばなれのした衣の中に、その哀れげな『永久の眞󠄃理』を包󠄃んだので、右の人々の間におけるこの商品の賣れ行きは、いよいよ盛んなものになつた。

 かくてドイツ社󠄃會主義は、次󠄄第々々に、この特許市民階級の立派󠄄な代表者として、自己の使命を認󠄃識󠄂した。

 彼らはドイツ國民をもつて模範的國民となし、ドイツの小市民をもつて模範的人間となすことを宣言した。そしてその模範的人間の醜行に對して、その眞󠄃相と正反對なる、隱微な、崇高な、社󠄃會主義的意義を附與した。要するに彼らの結論は、直接に、共產主義の『殘虐な破壞性』に反對し、一切の階級鬪爭に超越して不偏不黨の態度を宣明するにあつた。今ドイツに行はれてゐる、いはゆる社󠄃會主義文󠄃書および共產主義文󠄃書は、ごく少數の例外はあるが、みなこの醜穢な骨拔きの著󠄄作部類󠄃に屬してゐる。

〔原書註〕一八四八年の革命騷ぎは、すべてこの見苦しい傾向を掃󠄃ひ去り、その唱道󠄃者から、引續き社󠄃會主義者として立つほどの興味を奪ひ去つた。この傾向の主なる代表者であり、またその根源のタイプたる人は、カルル・グリュン氏である。

二 保守的社󠄃會主義またはブルジョア社󠄃會主義

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 ブルジョアジーの一部分󠄃は、ブルジョア社󠄃會の永續を計るために、社󠄃會の病所󠄃を匡正することを希望󠄅する。

 經濟學者󠄃、博󠄃愛家、人道󠄃家、勞働階級の狀態改善者󠄃、慈善事業者󠄃、動物虐待防止會員、禁酒會員、その他種々雜多の小改良主義者󠄃は、みなこれに屬してゐる。そしてこのブルジョア社󠄃會主義が、また一個の學說につくりあげられた。

 それの一例として、プルードンの『貧󠄃困の哲學』を擧げることが出來る。

 この社󠄃會主義的ブルジョアは、近󠄃世社󠄃會の生活條件を欲しながら、その必然の發生物たる鬪爭と危險とを免󠄄れたいのである。彼らの欲するところは、革命的および解體的要素を引去つた現存社󠄃會である。彼らはプロレタリヤのないブルジョアジーを希望󠄅してゐる。彼らはもとより、自分の支配してゐる世界を最善の世界だとしてゐる。ブルジョア社󠄃會主義者󠄃はこのおめでたい考へを、一つの(或ひは半󠄃分の)學說につくりあげた。彼らはプロレタリヤに對し、その學說を實現して、新しいエルサレムに到達󠄃せよと勸めてゐるのだが、それは實質上、現在の社󠄃會に立ち止まりながら、その現在の社󠄃會に關する忌はしい思想を取去れと要求するものに過󠄃ぎない。

 この社󠄃會主義の、一そう非學理的な、しかし一そう實際的な第二形式は、勞働階級の利益󠄃が政治的變化󠄃の中に存せず、ただ物質的生活關係、すなはち經濟關係の變化󠄃の中にのみ存することを論證して、それによつて勞働階級にあらゆる革命運󠄃動を嫌󠄃はせようとするのである。しかし、この社󠄃會主義がいふところの物質的生活關係の變化󠄃とは、決してブルジョア的生產關係の廢絕を意味するのではない。その關係の廢絕は、革命によつてのみなしとげられるものであるから、彼らはただ、その生產關係の地盤の上に行はれる行政上の改善を意味するのである。從つてそれはまた、資󠄄本と賃銀勞働との關係に何らの變化󠄃を與へるものでなく、たかだかブルジョアジーをして、その支配費用を節󠄄減せしめ、その國家財政を單純化󠄃せしめるに過󠄃ぎない。

 故にブルジョア社󠄃會主義者󠄃は、單純な修辭的形式においてのみ、初めて自分󠄃にふさはしい表現に到達󠄃する。

 勞働階級の利益󠄃のための自由貿易! 勞働階級の利益󠄃のための保護貿易! 勞働階級の利益󠄃のための監獄改良! これがブルジョア社󠄃會主義の、最後の言葉であり、ただ一つの眞󠄃面目に考へられた言葉である。

 要するに、ブルジョアの社󠄃會主義はただ、勞働階級の利益󠄃のためにブルジョアがブルジョアであるといふ主張に基づいてゐる。

三 批評󠄃的・空󠄃想的の社󠄃會主義および共產主義

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 我々がここで述󠄃べようとするのは、あらゆる近󠄃代の大革命に際して、プロレタリヤの要求を發言した(例へば、バブーフの著󠄃書などのやうな)文󠄃書についてではない。

〔譯者註〕バブーフはフランス大革命の際、一種の共產主義を唱へた人。

 一般的動亂の時代、封建󠄄社󠄃會顚覆の時代において、プロレタリヤが直接に、自分󠄃の階級的利益󠄃を樹立しようとした第一の試みは、プロレタリヤ自身の發達󠄃が幼稚なためと、彼らを解放さすべき物質的條件の缺乏のためとによつて、必然的に失敗した。もともと彼らを解放すべき物質的條件は、ブルジョア時代の產物なのである。そこでこの最初のプロレタリヤ運󠄃動に伴󠄃つた革命的文󠄃書は、その內容からいへば必然に反動的である。すなはちその敎へるところは一般的の禁慾主義であり、また素朴な平󠄃均主義である。

 眞󠄃の社󠄃會主義および共產主義學說、すなはちサン・シモン、フーリエー、オーエンらの學說が、プロレタリヤとブルジョアとの鬪爭がまだ十分󠄃發達󠄃しない初期の時代に現はれたことは、前󠄃に說いたとほりである。(『ブルジョアとプロレタリヤ』の章參照。)

 もつとも、これらの學說の發明者󠄃たちも、階級の對立と、ブルジョア社󠄃會そのものの中における解體的要素の作用とを看取した。ただ彼らは、プロレタリヤの方面において、何らの歷史󠄃的獨立性を認󠄃めず、彼らに特殊なる何らの政治運󠄃動を認󠄃めなかつた。

 階級對立の發達󠄃は、產業の發達󠄃とその步調を同じくするものであるから、彼らはまだ、幾許もプロレタリヤ解放の物質的條件を見出すことが出來ないで、ただ何らかの社󠄃會的の學問により、社󠄃會的の法則によつて、その條件をつくらうと試みた。

 そこで、社󠄃會的の活動の代りに、彼らの思ひつきによる個人的活動が起󠄃り、解放の歷史󠄃的條件の代りに、空󠄃想的條件が起󠄃り、プロレタリヤを一階級として、自然に、追󠄃々と團結させることの代りに、銘々のつくりあげた社󠄃會組織󠄂の考案が起󠄃つた。彼らにとつては、將來の世界歷史󠄃は、彼らの社󠄃會組織󠄂案の宣傳と實行とに歸着すべきものであつた。

 ただし彼らは、その組織󠄂案が、社󠄃會の最も痛ましい階級たる、勞働階級の利益󠄃を代表することをさとつてゐた。プロレタリヤはただ、最も痛ましい階級といふ意味で彼らの目に映じてゐた。

 けれども、階級鬪爭の未發達󠄃な形式と、彼ら自身の生活上の地位とのため、彼らは自然に、階級對立の上に超然たるものだと信じてゐた。彼らはすべての社󠄃會構成員のために、その最もよき地位にをる者のためにすらも、その生活狀態を改善しようとした。從つて彼らは不斷に、無差別に、社󠄃會全體に對し、いな、殊に支配階級に對して訴へた。人がいやしくも彼らの學說を理解する以上、最上可能の社󠄃會に對する最上可能の考案として、それを認󠄃めないはずがないといふのであつた。

 故に彼らは、すべての政治的、殊にすべての革命的行動を排斥した。彼らは平󠄃和の方法によつてその目的を達󠄃しようとした。そして小さな(自然、失敗に歸すべき)實驗によつて模範を世に示し、その力によつて新しい社󠄃會的福󠄃音の道󠄃に進󠄃まうとした。

 この將來社󠄃會の空󠄃想的描寫は、プロレタリヤ階級の發達󠄃がまだ極めて幼稚であり、從つて自分の地位をもただ空󠄃想的に考へる時代において、社󠄃會の一般的改造󠄃に對するその最初の豫感的渴仰から生じたものである。

 しかし、この社󠄃會主義および共產主義文󠄃書は批評󠄃的要素をも含んでゐる。彼らは現社󠄃會の一切の根本を攻擊した。故に彼らは、勞働者󠄃の啓蒙のために最も價値ある材料を供給した。將來の社󠄃會に對する彼らの積極的提案、例へば、都󠄃會と農村との對立の廢止、家族制の廢止、私的營利事業の廢止、賃銀勞働の廢止、社󠄃會調和の宣傳、國家を變じて單純なる生產管理機關となすこと、すべてこれらの提案は、全󠄃く階級對立の消󠄃滅に歸着するものである。しかし當時にあつては、その階級對立が漸く僅かに發達󠄃しかけてゐたので、彼らはまだその初期の漠然たる、不確定の姿󠄄においてのみ、それを知つてゐたのであり、從つて右の諸󠄃提案そのものも純然たる空󠄃想的意義をもつてゐた。

 この批評󠄃的空󠄃想的社󠄃會主義および共產主義は、歷史的發展と逆󠄃行する意義を有してゐる。階級鬪爭が發達󠄃し成形するに從つて、階級鬪爭に對するこの空󠄃想的な超越と、この空󠄃想的な攻擊とは、一切の實際的價値、一切の學理的妥當を失ふ。そこでこの學派󠄄の創設者󠄃らは、多くの點において革命的であつたけれども、その門弟らはみな反動的分󠄃派󠄄をつくつてゐる。彼らはプロレタリヤの歷史的發展に反對して、その師の舊說を固守してゐる。從つて彼らはひつきやう、階級鬪爭を鈍らし、階級對立を調停しようとする。彼らは今でもやはり、自分󠄃らの社󠄃會的ユートピアの試驗的實現を夢み、個々のファランステール (1)[3 1]を起󠄃すこと、『內國植民地 (2)[3 2]』を設けること、『小イカリヤ村 (3)[3 3]』をつくること、などいふ、新エルサレムの小型發行を試み、そしてそれらの空󠄃中樓閣を築くためには、ブルジョアジーの慈善心と財囊とに哀訴せざるを得ない。かくて彼らは次󠄄第々々に、上記󠄂の反動的、もしくは保守的社󠄃會主義の範疇に陷り、ただそれと異なるところは、やや組織󠄂的の學理を衒ふことと、その社󠄃會科學の奇蹟的效果に對する熱狂的迷󠄃信をもつこととである。

  1. (1) ファランステールとは、フーリエーの考案になる社󠄃會的宮殿の名稱。
  2. (2) 內國植民地とは、オーエンの共產主義的模範社󠄃會の名稱。
  3. (3) イカリヤ村とは、カベーが描き出した共產主義的理想鄕の名稱。

 故に彼らは、勞働階級が一切の政治的運󠄃動をなすことに極力反對する。彼らによれば、政治運󠄃動はただ、新福󠄃音󠄃に對する盲󠄃目的不信からのみ生ずるのである。

 イギリスのオーエン派󠄄がチャーチストに反對し、フランスのフーリエー派󠄄が改良黨に反對するのは、すなはちこの故である。