220◯教会の第五の律令の文は如何
△定められたる期日には大斎を守るべし。
期日
とあるが、期は時の事で、例へば四旬節とか四季とかを云ひ日は日、何曜日との意味であります。
(註)大斎小斎を大罪小罪と間違ってはならぬ、大罪小罪は罪の事であるに大斎小斎は斎、即ち食物を控へる事である。[1]
221◯大斎とは何であるか
△大斎は一日に唯一食する事であります。但し夕飯は控目に免され、朝も小許食べる事を免されます。
大斎の定義は、恰ど日本で行はれる通りであるが、実際を云へば大斎と小斎とを兼ねたものである。一千九百十八年から実施された公教会の改正法に略次の如く見える。
第一千二百五十條。小斎の制令は鳥獣類の肉及び其汁を食す
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る事を禁ず。然れど卵、乳汁、叉は料理用鳥獣類の脂を禁ぜず。
第一千二百五十一條。第一項、大斎の律令は一日に一遍の本食のみを爲す事を命ず、然れど朝夕に幾許か食する事を禁ぜず、但し食物の量と種類に就ては地方の正当の慣習を守るべきものである。第二項鳥獣類と魚類とを同時に混食する事も、昼の本食を夕の食事に繰替る事をも禁ぜず。
(註)(一)普通の飲物、例へば茶、コーヒー、酒等は食事外にも免されるが滋養物になるもの例へば、乳汁、ソップ[2]、ココア等は間食に免されぬ。(二)大斎の本食の時刻は凡そ正午頃であるが都合によって夕飯に繰替ても可い。(三)教会で大斎を定めたのは決して健康を害ひ職業を妨げる爲でないから無理は命けず、人によっては空腹では工合が悪くて仕事が出来なくなるから、正午まで保たせる爲に控目に食事する事を免すのである。併し乍ら身を懲す爲の大斎なれば、苦しくてこそ功績と成るのであるから少々辛いと思っても辛抱いて耐
[下段]
へるのが本当である。然りながら不都合を来さぬやうに、第二百二十四の問に見える通り大斎せぬでも可い人は幾許もあります。
222◯日本で大斎する筈の日は幾日あるか
△日本で大斎する筈の日は年に八日あります。即ち四旬節の七金曜日、御降誕祭の前日
(註)是は当分教皇より特別に免された所であって、全教会の律令を云へば、教会法第一千二百五十二條に略斯うあります、第一項小斎だけの律令は毎金曜日に守るべきものである。第に項、小斎並に大斎の律令を守るべきは灰の水曜日、四旬節の金土曜日毎、四季の水金土曜日叉聖霊降臨祭と聖母被昇天祭と主の御降誕祭との前日である。第三項、大斎だけの律令は四旬節の他の凡ての日を守るべきものである。第四項、小斎と大斎若くは大斎のみの律令は、凡ての主日叉四旬節外守るべき祝日に中止する。
223◯何歳から大斎する筈であるか
△満二十一才からであります。
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凡そ其までは体が発達しつゝある故、特に栄養を要する訳であります。
224◯如何な人が大斎を免ぜらるゝか
△病人、産前産後の婦人、荒い仕事を為る人、軍人、旅人、老人等であります。
病人。
即ち病気で臥込んだ
者ばかりでなく、回復しかゝった人も、叉弱くして一食で足らぬ人、大斎すれば大した頭通や胃痛の起る人等である。
産前産後婦人。
即ち小児の爲にも身を養はねばならぬからである。乳母、叉乳飲子を預って居る人も同様である。
荒い仕事を爲る人。
労働者、職人ばかりでない、凡て大斎すれば体力を欠き、贖業に甚へかねる人、教員、書記、医者介抱人等も此中に含まる。
軍人。
即ち陸海軍現役の人。
旅人。
凡そ四五里を歩む人。或は尚と短くても道悪く力弱
[下段]
弱き爲に歩みかねる人、配達人等である。
老人。
とは男女を問はず六十才に及ぶ時である。偖て大斎を守るべきは満二十一才からであるが、免されるのは満六十才でなく唯六十才に成る時とあるのは、恩恵は狭義でなく広義に解釈すべきものであります。
其外食物の不十分な貧窮人、乞食等も免される。
但し幾度も食する事を免されるからとて肉食をも免される訳には行かぬ、別に訳がなければ、日本の大小斎日に鳥獣類の肉を食べてはならぬ。
(註)日本で大斎日は比較的に少いから、守り得る人は、身を厭はずに努むるが本当である。訳の明かな時は、別に免が要らぬが、訳が不十分と思はれれば、罪を免れる為に、司祭に免を願ふ筈である。免なくとも済むと思ひ乍ら之を願へば、教会の律令を重んずる徴に成る。
225●教会の第六の律令の文は如何
▲金曜日及び其他定められたる期日には小斎を守るべし。
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226●小斎とは何であるか
▲小斎は鳥獣の肉を食べぬ事であります。
其で第二百二十一の問に云はれた通り鳥獣類の肉と其汁だけ禁ぜられて、魚や卵、乳汁、叉料理用鳥獣類の脂は何時でも免される。
227●日本で小斎すべき日は何時であるか
△日本で小斎すべき日は毎金曜日、四季の始の水曜日、四旬節中の毎水曜日、及び聖霊降臨祭と聖母被昇天祭と救世主の御降誕祭との前日であります。
毎金曜日
即ちイエズス、キリストが十字架に磔けられて死し給ふた日であるからである。但し四旬節外に守るべき祝日が金曜日に当る時は小斎せぬでも可い。之は全教会の掟であって次の事は教皇の当分の許による。
四季
とは、春夏秋冬の事で、其始の水、金、土曜日は、公教会一般に大斎日である。春は四旬節の第一の日曜の次、夏は聖霊降臨祭の次、秋は九月十四日の次の水曜日から、冬は
[下段]
待降節の第三の日曜日の次に之を守るが、日本で当分は大斎免されて其代に
水曜日
が小斎日と成ったのである。
四旬節中の毎水曜日。
四旬とは四十日の事で、御復活祭の予備に成る季節であって、大昔から公教会の規則では、日曜日の外の四十日は皆大斎日なるに、日本では当分許されて其間の金曜日だけ大斎し、水曜日には小斎する。
(註)小斎は大斎の如く体に障らぬから、凡七歳よりして、際限なく守るべきものである。………………(肉食をするしか無い人などは小斎を免される)
不都合の時は司祭に免を願へば、小斎の免を得られるが、…願ふ事出来ず突然人の宅で小斎日に肉を出されて断られぬ
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時は、若し願ったら免されたに相違ないと考へれば、…食べても罪に成るまいと思はれる。
228◯何の為に四旬節を定められたか
△四旬節の定められたのは、イエズス、キリストの四十日間の断食に做ひ、御受難御死去を尊び、罪を償ひ、御復活祭の準備をする為であります。
(一)
イエズス、キリストの断食に做ひ。
キリストさへ四十日の間断食し給ふたれば、我々も四旬節に身を惜まず命けられた大斎小斎を努めて守るのが肝要である。
(二)
御受難御死去を尊ぶ。
辛さを厭はず、大斎等を以て、自ら苦行を甞めてこそ、御受難御死去を尊ぶ道に成る。
(三)
罪を償ふ。
即ち罪は、多く肉身の快楽の為に犯されるので、之を償ふに大斎等を以て肉身を懲すのは至極相当で、叉煉獄の苦を減ずる道である。
[下段]
(四)
御復活祭の準備をする。
其時に当って、悔悛、聖体の秘跡を授る筈なれば、斎は其準備と成り、叉キリストと共に身を懲さば、共に生回ることに成る。
229◯何の為に四季の始の斎を定められたか
△季節毎に天主から蒙る御恩を謝し、罪を償ひ、叉斯時品級の秘跡を授けられる人の上に聖寵を求める為であります。
季節毎に天主から蒙る御恩
は実に云はれぬ程ある。殊に僅な種物を地に下して、次の季節に、百層倍も作物を取れば、之は自然の事と思はれても、天主の恵に外ならず、之こそ謝する事を忘れてはならぬ。是に反して種々の罪を犯せば、天罰を招き、天主より棄てられる筈なれば、季節の始に御恩を謝すると共に、罪を償ふのは至当である。
叉
品級の秘跡を
他の時にも
授かる
事あれど、殊に極った日は先づ四季の土曜日である。…………使徒等の時代から、断食及び祈祷を為し、
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掩手して品級を授けて居ったから、今も四季の斎は、其時に品級の秘跡を授かる人の上に、恩寵を求める為に行はれる。
230◯總て大斎小斎を守られない人は何を爲すべきか
△大斎小斎の代に、祈禱善業等を以て罪を償ふことを忘れてはなりませぬ。
大斎小斎の主なる目的は、肉身を懲して罪を償ふ事なれば、守りかねるために司祭から免されたとて、罪を償はなくても可いと云ふ訳には行かぬ事を片時も忘れてはならぬ、此世で償はぬなら、是非後の世で更に恐ろしい罰は免れまい。故に大小斎の代に、出来るだけ多分の祈祷を為し、教を研究し或は人に習はせ、貧窮人に施を為すに止らず、体を苦める代として、心を誡めて罪を犯さぬやうに、目、耳、口等を慎み、楽を減じ、本分を尽し、殊にキリストの十字架に合せて、仕事、悲、苦等を快く献げ、成らぬ堪忍を致し好な事を罷して悪しき癖や傾を改め、欠点を直し、家庭の人々を初め、他人にも親切を現し、慈善業を行ふが、大斎小斎の代
[下段]
として何より益に成るのである。
(註)第二百十の問に云はれた通、教会の費用を分担する事は道理上、叉天主の思召によって務むべき事である。何となれば、何れの会も入費を要するから、会員が之を分担するは当然である。叉旧約時代に、モイゼは天主の命を伝へて、人民一般に、歳入の十分の一を司祭の生活費、御堂及び祭式の入用の為に供給する事を命じて居った。
尚聖パウロは明かに曰く「聖職を営む人々は聖殿の物を食し、叉祭壇に事へる人々は祭壇の分配に与る。斯の如く主も亦福音を宣べる人々が福音に由って生活する事を定め給ふたのである」と(コリント前書九。十三、十四)。叉曰く「教を学ぶ人は、学ばせる人に、一切の所有物の内を分け与へよ」と(ガラチア書六。六)。其訳は霊的世話を受ける代に物質的の物を以て之に報いるは至当である。故に信者は教会、布教のみならず、司祭、伝道者養成等に要する費用迄も力に及ぶ限り快く負担すべきである。叉世事に費すことを惜まぬものならば、天主の為にも惜まず、費用を分担するやうに奮発せねばならぬ。聖パウロ曰
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く「吝んで少く蒔く人は亦少く刈り、豊に蒔く人は亦豊に刈る」と。(コリント後書九。六)
脚注
- ↑ 「貪欲は偶像礼拝にほかならない」と云う?(コロサイ信徒、3ノ5:新共同訳)
- ↑ スープのことか?[本文をわたくしの手で勝手に変えてはいませんが?但し難解な旧漢字を今日の常用漢字には変て居りますが?]