作者:阿仏尼
←作者索引: あ | 阿仏尼 (貞応元(1222)? - 弘安6(1283)) |
阿仏尼(あぶつに)は、鎌倉時代中期の女流歌人。女房名は安嘉門院四条(あんかもんいんのしじょう)または、右衛門佐(うえもんのすけ)。奥山度繁の娘(または養女)。安嘉門院に仕え、出仕中10代で初恋の失恋の失意から出家を決意し尼となったが、その後も世俗との関わりを持ち続けた。30歳頃藤原為家の側室となり、冷泉為相らを産む。為家の没後、播磨国細川荘の相続をめぐり、正妻の子二条為氏と争い、1279年(弘安2年)幕府に訴えるため鎌倉へ下った。このときの紀行文が『十六夜日記』である。歌論書に『夜の鶴』がある。また若い頃に書いた『うたたね』は失恋の顛末を記した日記である。『続古今和歌集』以下の勅撰和歌集に計48首入集している。— ウィキペディア日本語版「阿仏尼」より。 |
この作者の作品は、1929年1月1日より前に公表され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。後に出版された翻訳や版にも著作権が発生する場合があります。死後の作品は、特定の国や地域で出版された期間に応じて著作権が発生する場合があります。
|