佐久間軍記/玄蕃允被生捕


玄蕃允被生捕

佐久間玄蕃允盛政ハ。廿一日。合戰ニハケンソヲヘタテ。勝家ニ通スルコトヲ得ス。藏王ノ社ヲ出。北庄城ノ後卷ノタメニ赴加州所ニ。中村ノ鄕民(起カ)テ。盛政ヲトリコムル。盛政見之。我已に運命ツキ。又戰トモ利アラシ。彼藤吉猿面郎カ方ヘ。我ヲツレ行。一言可云事アリト。彼等ニトラハレ。則北庄淺野彌兵衞長政見之曰。君ハ鬼玄蕃トイワレシ人ニアラスヤ。何ヲ以カ死スルコトヲ不用ト。盛政咲[1]テ云。汝ヲロカヤ。源賴朝ハ大場景親ニマケテ。フシ木ノ中ニカクレ。義昭將軍ハ細川政元ニトラハレテ。ソノカコミヲウクトイヘトモ。終ニマヌカレテ大功ヲ立タリ。將タル者。何カ容易ク敵ニ死ヲ免スコトアランヤト。聞者ミナ鳴舌ト云々。佐佐源六勝之ハ。從勝家到北庄。盛政ノ事ヲ聞テ赴加州尾山。北庄ノ後詰セント。然トモ兵不集。越中ニ歸ト云々。

脚注

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  1. 「咲」とした字は異体字であり、偏は「口」、旁は「眹」の旁。 →