中岡慎太郎全集/文久3年6月27日付望月清平、小畑孫二郎、河野万寿弥宛


一翰呈上仕候。然ば先書にも申上候通り、何分今日に至り、黙々致候ては実に不相済、他より見候ても弥々いよいよ虚喝きよかつに相成、国家の為、死を以て尽力するの実意も相立間敷まじく、田所君も被着候得者、又々上国の模様も委細相分可申、尚更不止訳に至り申儀と被存候。何分にも君等首称してばくき候へ。左候得ささふらえば者僕など追々馳付はせつけ、身柄相応之所覚悟可仕心得に御座候。
何分御互者たがひは天眼よりは古役の儀にも候ひ、且是迄再三官に迫り候儀も有之、唯今之切迫に至り実に神州存亡、乍恐、天朝之衰隆すゐりゆう此時に在りと、天下之士皆死を以て尽力する時なるに、黙々之事は実に不相成に付、何分一策を施して、しかりと奉存候。僕儀無拠病人有之、急に出府も不相調残念之至に奉存候。将又はたまた田所君被着候はゞ、其儀御申越被仰付度候。用井口もちゐぐち行帰候はゞ、此儀早速御聞せ奉祈候。

一、両府并執政辺へは、両三人宛御出行可然奉存候。

政府を飽迄あくまで叩き、其上にて御目通り御願被成可然、其中大挙は不信を取るに付、不宜事と奉存候。

一、御親兵之事屹度御申立被成候儀可然、実に一大事ならずや。
一、瑞山ずいざん君は如何之訳を以て、唯今之様にくさらし置候事哉。上京も候得者、屹度天朝之御為にも相成る人に候を、止め候は如何、実に可慨之至に候事。

右、彼是かれこれ山中不間鬱、思出候まゝ相認候間、宜敷御取捨可仰付候。拝首

六月廿七日
慎太郎
望月様
小畑様
ママ野様

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