中岡慎太郎全集/慶応2年7月3日付木戸孝允宛


より赤間関奉呈。先以、梅雨益御壮栄御高居奉大賀候。扨僕、明日は東行君と同船に而一応長崎迄出浮、其より宰府へ参り込候含み罷在侯。艦論及書付布告等、委細田中へ御含めの儀承知仕候。
尚此上及ぶだけ尽力仕、龍等へも出状遣す含に御座候。
○兵端之寛急未見留不相付候事故、此未必定数日を不出して、戦に及ぶと云機に至候はゞ、宰府詰黒田嘉門其外之薩人ゑ急報被下度候。其節に至り尚又考も可之、清之助の名筑前にては大山彦太郎と申候間、左様思召置被下度、いづれ薩人之内僕着之上一人に而も差越し置度と相考居候。尚此上思召之処は少も無御腹臓仰聞候はゞ、乍及力一杯相働申度微意に御座候。

○薩も上国にて断然たる建白出候由、実に愉快に御座候。
○近年人心協和せず云々、其後幕吏連署して曰く、願くは 皇妹を大樹に降嫁せば、十年を不出して必、夷戎を撰はんと。
朕甚これを悦ぶと。
○右健助より申聞候に付相認差出候。然に真之胸覚にて御座候。
戌年御尊藩に下り候秘密の御宸翰とて、一度拝見仕、涙泣仕候事に御座候。尚随分とも天下国家の為、御自重御専一奉希上候。返すも兵端之機、間髪を不容の間、御報致候処は宜奉願候。且又薩国の方には、宰府より何時にても早飛脚差出可申候間、無疑思召被下度奉存候。取急例之雑文多罪之至奉存候。匇々頓首敬白。

七月三日
 木戸盟台侍史

清之助

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