巻第六
雑歌
養老七年癸亥夏五月、芳野の離宮に幸せる時、笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌
0907 滝の上の 三船の山に 水枝さし 繁に生ひたる
樛の木の いや継ぎ継ぎに 万代に かくし知らさむ
み吉野の 秋津の宮は 神柄か 貴かるらむ
国柄か 見が欲しからむ 山川を 淳み清けみ
大宮と 諾し神代ゆ 定めけらしも
反し歌二首
0908 毎年にかくも見てしかみ吉野の清き河内の激つ白波
0909 山高み白木綿花に落ち激つ滝の河内は見れど飽かぬかも
或ル本ノ反シ歌ニ曰ク、
0910 神柄か見が欲しからむみ吉野の滝の河内は見れど飽かぬかも
0911 み吉野の秋津の川の万代に絶ゆることなくまた還り見む
0912 泊瀬女の造る木綿花み吉野の滝の水沫に咲きにけらずや
車持朝臣千年がよめる歌一首、また短歌
0913 味凝 あやに羨しき 鳴神の 音のみ聞きし
み吉野の 真木立つ山ゆ 見降せば 川の瀬ごとに
明け来れば 朝霧立ち 夕されば かはづ鳴くなり
紐解かぬ 旅にしあれば 吾のみして 清き川原を 見らくし惜しも
反し歌一首
0914 滝の上の三船の山は見つれども思ひ忘るる時も日も無し
或ル本ノ反シ歌ニ曰ク、
0915 千鳥泣くみ吉野川の川音なす止む時なしに思ほゆる君
0916 茜さす日並べなくに吾が恋は吉野の川の霧に立ちつつ
右、年月審カナラズ。但歌類ヲ以テ此ノ次
ニ載ス。或ル本ニ云ク、養老七年五月、芳野
離宮ニ幸セル時ニ作ム。
神亀元年甲子冬十月五日、紀伊国に幸せる時、山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌
0917 やすみしし 我ご大王の 外津宮と 仕へ奉れる
雑賀野ゆ 背向に見ゆる 沖つ島 清き渚に
風吹けば 白波騒き 潮干れば 玉藻刈りつつ
神代より しかぞ貴き 玉津島山
反し歌二首
0918 沖つ島荒磯の玉藻潮干満ちてい隠ろひなば思ほえむかも
0919 若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴鳴き渡る
右、年月記サズ。但称ハク玉津島ニ従駕セリキト。
因リテ今行幸ノ年月ヲ検注シ、以テ載ス。
二年乙丑夏五月、芳野の離宮に幸せる時、笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌
0920 あしひきの み山も清に 落ち激つ 吉野の川の
川の瀬の 浄きを見れば 上辺には 千鳥しば鳴き
下辺には かはづ妻呼ぶ 百敷の 大宮人も
をちこちに 繁にしあれば 見るごとに あやにともしみ
玉葛 絶ゆることなく 万代に かくしもがもと
天地の 神をぞ祈る 畏かれども
反し歌二首
0921 万代に見とも飽かめやみ吉野の滝つ河内の大宮所
0922 人皆の命も吾もみ吉野の滝の常磐の常ならぬかも
山部宿禰赤人がよめる歌二首、また短歌
0923 やすみしし 我ご大王の 高知らす 吉野の宮は
たたなづく 青垣隠り 川並の 清き河内そ
春へは 花咲き撓り 秋されば 霧立ち渡る
その山の いや益々に この川の 絶ゆること無く
百敷の 大宮人は 常に通はむ
反し歌二首
0924 み吉野の象山の際の木末にはここだも騒く鳥の声かも
0925 ぬば玉の夜の更けぬれば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く
0926 やすみしし 我ご大王は み吉野の 秋津の小野の
野の上には 跡見据ゑ置きて み山には 射目立て渡し
朝狩に 獣踏み起し 夕狩に 鳥踏み立て
馬並めて 御狩そ立たす 春の茂野に
反し歌一首
0927 あしひきの山にも野にも御狩人さつ矢手挟み騒ぎたり見ゆ
右、先後ヲ審ラカニセズ。但便ヲ以テノ故ニ此次ニ載ス。
冬十月、難波の宮に幸せる時、笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌
0928 押し照る 難波の国は 葦垣の 古りにし里と
人皆の 思ひ安みて 連れもなく ありし間に
続麻なす 長柄の宮に 真木柱 太高敷きて
食す国を 治めたまへば 沖つ鳥 味經の原に
物部の 八十伴雄は 廬りして 都と成れり 旅にはあれども
反し歌二首
0929 荒野らに里はあれども大王の敷き坐す時は都と成りぬ
0930 海未通女棚無小舟榜ぎ出らし旅の宿りに楫の音聞こゆ
車持朝臣千年がよめる歌一首、また短歌
0931 鯨魚取り 浜辺を清み 打ち靡き 生ふる玉藻に
朝凪に 千重波寄り 夕凪に 五百重波寄る
沖つ波 いや益々に 辺つ波の いやしくしくに
月に日に 日々に見がほし 今のみに 飽き足らめやも
白波の い咲き廻へる 住吉の浜
反し歌一首
0932 白波の千重に来寄する住吉の岸の黄土生ににほひて行かな
山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌
0933 天地の 遠きが如く 日月の 長きが如く
押し照る 難波の宮に 我ご大王 国知らすらし
御食つ国 日々の御調と 淡路の 野島の海人の
海の底 沖つ海石に 鮑玉 多に潜き出
船並めて 仕へ奉るか 貴し見れば
反し歌一首
0934 朝凪に楫の音聞こゆ御食つ国野島の海人の船にしあるらし
三年丙寅秋九月十五日、播磨国印南野に幸せる時、笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌
0935 名寸隅の 船瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に
朝凪に 玉藻刈りつつ 夕凪に 藻塩焼きつつ
海未通女 ありとは聞けど 見に行かむ 由のなければ
大夫の 心は無しに 手弱女の 思ひたわみて
徘徊り 吾はそ恋ふる 船楫を無み
反し歌二首
0936 玉藻刈る海未通女ども見に行かむ船楫もがも波高くとも
0937 往き還り見とも飽かめや名寸隅の船瀬の浜に頻る白波
山部宿禰赤人がよめる歌一首 、また短歌
0938 やすみしし 我が大王の 神ながら 高知らせる
印南野の 大海の原の 荒栲の 藤江の浦に
鮪釣ると 海人船騒ぎ 塩焼くと 人そ多なる
浦を吉み 諾も釣はす 浜を吉み 諾も塩焼く
あり通ひ 見さくも著し 清き白浜
反し歌三首
0939 沖つ波辺波静けみ漁りすと藤江の浦に船そ騒げる
0940 印南野の浅茅押しなべさ寝る夜の日長くしあれば家し偲はゆ
0941 明石潟潮干の道を明日よりは下笑ましけむ家近づけば
辛荷の島を過ぐる時、山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌
0942 あぢさはふ 妹が目離れて 敷細の 枕も巻かず
桜皮巻き 作れる舟に 真楫貫き 吾が榜ぎ来れば
淡路の 野島も過ぎ 印南嬬 辛荷の島の
島の際ゆ 我家を見れば 青山の そことも見えず
白雲も 千重になり来ぬ 榜ぎ廻る 浦のことごと
行き隠る 島の崎々 隈も置かず 思ひそ吾が来る 旅の日長み
反し歌三首
0943 玉藻刈る辛荷の島に島回する鵜にしもあれや家思はざらむ
0944 島隠り吾が榜ぎ来れば羨しかも大和へ上る真熊野の船
0945 風吹けば波か立たむと伺候に都太の細江に浦隠り居り
敏馬の浦を過ぐる時、山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌
0946 御食向ふ 淡路の島に 直向ふ 敏馬の浦の
沖辺には 深海松摘み 浦廻には 名告藻苅り
深海松の 見まく欲しけど 名告藻の 己が名惜しみ
間使も 遣らずて吾は 生けるともなし
反し歌一首
0947 須磨の海人の塩焼き衣の慣れなばか一日も君を忘れて思はむ
右ノ作歌、年月詳ラカナラズ。但類ヲ以テノ故ニ
此ノ次ニ載ス。
四年丁卯春正月、諸王諸臣子等に勅して、授刀寮に散禁めたまへる時によめる歌一首、また短歌
0948 真葛延ふ 春日の山は 打ち靡く 春さりゆくと
山の辺に 霞たな引き 高圓に 鴬鳴きぬ
物部の 八十伴男は 雁が音の 来継ぎこの頃
かく継ぎて 常にありせば 友並めて 遊ばむものを
馬並めて 行かまし里を 待ちがてに 吾がせし春を
かけまくも あやに畏し 言はまくも 忌々しからむと
あらかじめ かねて知りせば 千鳥鳴く その佐保川に
石に生ふる 菅の根採りて 偲ふ草 祓ひてましを
行く水に 禊ぎてましを 大王の 命畏み
百敷の 大宮人の 玉ほこの 道にも出でず 恋ふるこの頃
反し歌一首
0949 梅柳過ぐらく惜しみ佐保の内に遊びし事を宮もとどろに
右、神亀四年正月、数王子マタ諸臣子等、春日野ニ
集ヒ、打毬ノ楽ヲ作ス。其ノ日、忽チニ天陰リ、雨
フリ雷ナリ電ス。此ノ時宮中ニ侍従マタ侍衛無
シ。勅シテ刑罰ニ行ヒ、皆授刀寮ニ散禁シテ、妄リ
ニ道路ニ出ヅルコトヲ得ザラシメタマフ。時ニ悒憤
シテ、即チ斯ノ歌ヲ作ム。作者ハ詳ラカナラズ。
五年戊辰、難波の宮に幸せる時よめる歌四首
0950 大王の境ひたまふと山守据ゑ守るちふ山に入らずはやまじ
0951 見渡せば近きものから石隠り燿ふ玉を取らずはやまじ
0952 韓衣着奈良の里の君松に玉をし付けむ好き人もがも
0953 さ牡鹿の鳴くなる山を越え行かむ日だにや君にはた逢はざらむ
右、笠朝臣金村ガ歌ノ中ニ出ヅ。或ハ云ク、車持
朝臣千年作ムト。
膳王の歌一首
0954 朝には海辺に漁りし夕されば大和へ越ゆる雁し羨しも
右ノ作歌ノ年ハ審ラカナラズ。但歌類ヲ以テ便チ
此ノ次ニ載ス。
太宰少弐石川朝臣足人が歌一首
0955 刺竹の大宮人の家と住む佐保の山をば思ふやも君
帥大伴卿が和ふる歌一首
0956 やすみしし我が大王の食す国は大和もここも同じとそ思ふ
冬十一月、太宰の官人等、香椎の廟を拝み奉り、訖へて退帰れる時、馬を香椎の浦に駐めて、各懐を述べてよめる歌
帥大伴の卿の歌一首
0957 いざ子ども香椎の潟に白妙の袖さへ濡れて朝菜摘みてむ
大弐小野老朝臣が歌一首
0958 時つ風吹くべくなりぬ香椎潟潮干の浦に玉藻刈りてな
豊前守宇努首男人が歌一首
0959 往き還り常に吾が見し香椎潟明日ゆ後には見む縁もなし
帥大伴の卿の芳野の離宮を遥思ひてよみたまへる歌一首
0960 隼人の瀬戸の巌も鮎走る吉野の滝になほしかずけり
帥大伴の卿の、次田の温泉に宿りて、鶴が喧を聞きてよみたまへる歌一首
0961 湯の原に鳴く葦鶴は吾が如く妹に恋ふれや時わかず鳴く
天平二年庚午、勅して駿馬を擢ぶ使大伴道足宿禰を遣はせる時の歌一首
0962 奥山の岩に苔むし畏くも問ひ賜ふかも思ひあへなくに
右、勅使大伴道足宿禰を帥の家に饗す。此の日
衆諸を会集へ、駅使葛井連廣成を相誘ひ、歌詞
を作むべしと言ふ。登時廣成声に応へて、此の歌
を吟へりき。
冬十一月、大伴坂上郎女が帥の家より上道して、筑前国宗形郡名兒山を超ゆる時よめる歌一首
0963 大汝 少彦名の 神こそは 名付けそめけめ
名のみを 名兒山と負ひて 吾が恋の 千重の一重も 慰めなくに
同じ坂上郎女が京に向る海路にて浜の貝を見てよめる歌一首
0964 我が背子に恋ふれば苦し暇あらば拾ひて行かむ恋忘れ貝
冬十二月、太宰帥大伴の卿の京に上りたまふ時、娘子がよめる歌二首
0965 凡ならばかもかもせむを畏みと振りたき袖を忍ひてあるかも
0966 大和道は雲隠れたりしかれども吾が振る袖を無礼しと思ふな
右、太宰帥大伴の卿の大納言に兼任され、京に向らむ
として上道したまふ。此の日水城に馬駐め、府家を顧
み望む。時に卿を送る府吏の中に遊行女婦あり。其の
字を兒島と曰ふ。是に娘子、此の別れ易きを傷み、彼の
会ひ難きを嘆き、涕を拭ひて自ら袖を振る歌を吟ふ。
大納言大伴の卿の和へたまへる歌二首
0967 大和道の吉備の兒島を過ぎて行かば筑紫の子島思ほえむかも
0968 大夫と思へる吾や水茎の水城の上に涙拭はむ
三年辛未、大納言大伴の卿の、寧樂の家に在りて故郷を思ひてよみたまへる歌二首
0969 暫しくも行きて見てしか神名備の淵は浅にて瀬にか成るらむ
0970 群玉の栗栖の小野の萩が花散らむ時にし行きて手向けむ
四年壬申、藤原宇合の卿の西海道の節度使に遣はさるる時、高橋連蟲麻呂がよめる歌一首、また短歌
0971 白雲の 龍田の山の 露霜に 色づく時に
打ち越えて 旅行く君は 五百重山 い行きさくみ
賊守る 筑紫に至り 山の極 野の極見せと
伴の部を 班ち遣はし 山彦の 答へむ極み
蟾蜍の さ渡る極み 国形を 見したまひて
冬籠り 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早還り来ね
龍田道の 岡辺の道に 紅躑躅の にほはむ時の
桜花 咲きなむ時に 山釿の 迎へ参ゐ出む 君が来まさば
反し歌一首
0972 千万の軍なりとも言挙げせず討りて来ぬべき男とぞ思ふ
天皇の節度使の卿等に酒賜へる御歌一首、また短歌
0973 食す国の 遠の朝廷に 汝らし かく罷りなば
平けく 吾は遊ばむ 手抱きて 吾はいまさむ
天皇朕が 珍の御手もち 掻き撫でそ 労ぎたまふ
打ち撫でそ 労ぎたまふ 還り来む日 相飲まむ酒そ この豊御酒は
反し歌一首
0974 大夫の行くちふ道そおほろかに思ひて行くな大夫の伴
右ノ御歌ハ、或ハ云ク、太上天皇ノ御製ナリト。
中納言安倍廣庭の卿の歌一首
0975 かくしつつ在らくを好みぞ玉きはる短き命を長く欲りする
五年癸酉、草香山を超ゆる時、神社忌寸老麿がよめる歌二首
0976 難波潟潮干の名残よく見てむ家なる妹が待ち問はむため
0977 直越のこの道にして押し照るや難波の海と名付けけらしも
山上臣憶良が沈痾る時の歌一首
0978 士やも空しかるべき万代に語り継ぐべき名は立てずして
右ノ一首ハ、山上憶良臣ガ沈痾ル時、藤原朝臣八束、
河邊朝臣東人ヲシテ、疾メル状ヲ問ハシム。是ニ憶良
臣、報フル語已ニ畢リ、須ク有リテ涕ヲ拭ヒ、悲シミ
嘆キテ此ノ歌ヲ口吟ヒキ。
大伴坂上郎女が、姪家持が佐保より西の宅に還帰るときに与れる歌一首
0979 我が背子が着る衣薄し佐保風はいたくな吹きそ家に至るまで
安倍朝臣蟲麻呂が月の歌一首
0980 雨隠り三笠の山を高みかも月の出で来ぬ夜は降ちつつ
大伴坂上郎女が月の歌三首
0981 獵高の高圓山を高みかも出で来む月の遅く照るらむ
0982 ぬば玉の夜霧の立ちておほほしく照れる月夜の見れば悲しさ
0983 山の端の細愛壮士天の原門渡る光見らくしよしも
豊前国の娘子が月の歌一首 娘子字ヲ大宅ト曰フ。姓氏詳ラカナラズ。
0984 雲隠り行方を無みと吾が恋ふる月をや君が見まく欲りする
湯原王の月の歌二首
0985 天にます月読壮士幣はせむ今宵の長さ五百夜継ぎこそ
0986 愛しきやし間近き里の君来むと言ふ徴にかも月の照りたる
藤原八束朝臣が月の歌一首
0987 待ちがてに吾がする月は妹が着る三笠の山に隠りたりけり
市原王の宴に父安貴王を祷きませる歌一首
0988 春草は後は散り易し巌なす常盤にいませ貴き吾君
湯原王の打酒の歌一首
0989 焼太刀のかど打ち放ち大夫の寿く豊御酒に吾酔ひにけり
紀朝臣鹿人が跡見の茂岡の松の樹の歌一首
0990 茂岡に神さび立ちて栄えたる千代松の樹の歳の知らなく
同じ鹿人が泊瀬河の辺に至りてよめる歌一首
0991 石走り激ち流るる泊瀬川絶ゆること無くまたも来て見む
大伴坂上郎女が元興寺の里を詠める歌一首
0992 古郷の飛鳥はあれど青丹よし奈良の明日香を見らくしよしも
同じ坂上郎女が初月の歌一首
0993 月立ちてただ三日月の眉根掻き日長く恋ひし君に逢へるかも
大伴宿禰家持が初月の歌一首
0994 振り放けて三日月見れば一目見し人の眉引思ほゆるかも
大伴坂上郎女が親族と宴せる歌一首
0995 かくしつつ遊び飲みこそ草木すら春は咲きつつ秋は散りぬる
六年甲戌、海犬養宿禰岡麿が詔を応りてよめる歌一首
0996 御民吾生ける験あり天地の栄ゆる時に遭へらく思へば
春三月、難波の宮に幸せる時の歌六首
0997 住吉の粉浜の蜆開けも見ず隠りのみやも恋ひ渡りなむ
右の一首は、作者未詳。
0998 眉のごと雲居に見ゆる阿波の山懸けて榜ぐ舟泊知らずも
右の一首は、船王のよみたまへる。
0999 茅渟廻より雨そ降り来る四極の海人綱手干したり濡れあへむかも
右の一首は、住吉の浜に遊覧びて、宮に還りたまへる時
の道にて、守部王の詔を応りてよみたまへる歌。
1000 児らがあらば二人聞かむを沖つ洲に鳴くなる鶴の暁の声
右の一首は、守部王のよみたまへる。
1001 大夫は御狩に立たし娘子らは赤裳裾引く清き浜びを
右の一首は、山部宿禰赤人がよめる。
1002 馬の歩み抑へ留めよ住吉の岸の黄土ににほひて行かむ
右の一首は、安倍朝臣豊継がよめる。
筑後守外従五位下葛井連大成が海人の釣船を遥見けてよめる歌一首
1003 海女をとめ玉求むらし沖つ波恐き海に船出せり見ゆ
按作村主益人が歌一首
1004 思ほえず来ませる君を佐保川のかはづ聞かせず帰しつるかも
右、内匠大属按作村主益人、聊カ飲饌ヲ設ケ、以テ長官
佐為王ヲ饗ス。未ダ日斜ツニ及バズシテ王既ク還帰ル。
時ニ益人、厭カズシテ帰ルコトヲ怜惜ミテ、仍チ此ノ歌
ヲ作ム。
八年丙子夏六月、芳野の離宮に幸せる時、山部宿禰赤人が詔を応りてよめる歌一首、また短歌
1005 やすみしし 我が大王の 見したまふ 吉野の宮は
山高み 雲そ棚引く 川速み 瀬の音そ清き
神さびて 見れば貴く よろしなへ 見れば清けし
この山の 尽きばのみこそ この川の 絶えばのみこそ
百敷の 大宮所 止む時もあらめ
反し歌一首
1006 神代より吉野の宮にあり通ひ高知らせるは山川を吉み
市原王の独り子を悲しみたまへる歌一首
1007 言問はぬ木すら妹と兄ありちふをただ独り子にあるが苦しさ
忌部首黒麿が友の来ること遅きを恨むる歌一首
1008 山の端にいさよふ月の出でむかと吾が待つ君が夜は降ちつつ
冬十一月、左大弁葛城王等に、橘の氏を賜姓へる時、みよみませる御製歌一首
1009 橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の木
右、冬十一月九日、従三位葛城王、従四位上佐為王等、
皇族ノ高名ヲ辞シ、外家ノ橘姓ヲ賜フコト已ニ訖リヌ。
時ニ太上天皇、皇后、共ニ皇后宮ニ在シテ、肆宴ヲ為シ、
即チ橘ヲ賀ク歌ヲ御製シ、マタ御酒ヲ宿禰等ニ賜フ。
或ハ云ク、此ノ歌一首、太上天皇ノ御歌ナリ。但シ天皇
皇后ノ御歌ハ各一首有リ。其ノ歌遺落シテ探リ求ムルコ
トヲ得ズ。今案内ヲ検フルニ、八年十一月九日、葛城王
等橘宿禰ノ姓ヲ願ヒ表ヲ上ル。十七日ヲ以テ表ニ依リ乞
ヒ橘宿禰ヲ賜フト。
橘宿禰奈良麿が詔を応りてよめる歌一首
1010 奥山の真木の葉しのぎ降る雪の降りは増すとも地に落ちめやも
冬十二月の十二日、歌舞所の諸王臣子等、葛井連廣成が家に集ひて宴せる歌二首
比来古舞盛ニ興リテ、古歳漸ク晩レヌ。理、共ニ古情ヲ尽シテ、同ニ此ノ歌ヲ唄フベシ。故ニ此ノ趣ニ擬ヘテ、輙チ古曲二節ヲ献ル。風流意気ノ士、儻シ此ノ集ノ中ニ在ラバ、発念ヲ争ヒ、心々ニ古体ニ和ヘヨ。
1011 我が屋戸の梅咲きたりと告げ遣らば来ちふに似たり散りぬともよし
1012 春されば撓りに撓り鴬の鳴く吾が山斎そ止まず通はせ
九年丁丑春正月、橘少卿、また諸大夫等の、弾正尹門部王の家に集ひて宴せる歌二首
1013 あらかじめ君来まさむと知らませば門に屋戸にも玉敷かましを
右の一首は、主人門部王 後、大原真人氏ヲ賜姓フ。
1014 一昨日も昨日も今日も見つれども明日さへ見まく欲しき君かも
右の一首は、橘宿禰文成 少卿ノ子ナリ。
榎井王の後に追ひて和へたまへる歌一首
1015 玉敷きて待たえしよりはたけそかに来たる今宵し楽しく思ほゆ
春二月、諸大夫等、左少弁巨勢宿奈麻呂朝臣の家に集ひて宴せる歌一首
1016 海原の遠き渡りを遊士の遊ぶを見むとなづさひそ来し
右ノ一首ハ、白紙ニ書キテ屋ノ壁ニ懸ケ著ケタリ。
題シテ云ク、蓬莱ノ仙媛ノ作メル。謾ニ風流秀才ノ
士ノ為ナリ。斯凡客ノ望ミ見ル所ニアラズカト。
夏四月、大伴坂上郎女が賀茂の神社を拝み奉る時、相坂山を超え、近江の海を望見けて、晩頭に還り来たるときよめる歌一首
1017 木綿畳手向の山を今日越えていづれの野辺に廬りせむ吾等
十年戊寅、元興寺の僧が自ら嘆く歌一首
1018 白珠は人に知らえず知らずともよし知らずとも吾し知れらば知らずともよし
右ノ一首ハ、或ハ云ク、元興寺ノ僧、独リ覚リテ智多ケレドモ、
顕聞スルトコロ有ラズ、衆諸狎侮リキ。此ニ因リテ僧此ノ歌ヲ
作ミ、自ラ身ノ才ヲ嘆ク。
石上乙麿の卿の、土佐の国に配えし時の歌三首、また短歌
1019 石上 布留の尊は 手弱女の 惑ひによりて
馬じもの 縄取り付け 獣じもの 弓矢囲みて
大王の 命畏み 天ざかる 夷辺に罷る
古衣 真土の山ゆ 帰り来ぬかも
1020 大王の 命畏み さし並の 国に出でます
はしきやし 我が背の君を
(1021)かけまくも 忌々し畏し 住吉の 現人神
船の舳に うしはきたまひ 着きたまはむ 島の崎々
依りたまはむ 磯の崎々 荒き波 風に遇はせず
障みなく み病あらず 速けく 帰したまはね もとの国辺に
右の二首は、石上の卿の妻がよめる。
1022 父君に 吾は愛子ぞ 母刀自に 吾は愛子ぞ
参上り 八十氏人の 手向する 畏の坂に
幣奉り 吾はぞ退る 遠き土佐道を
反し歌一首
1023 大崎の神の小浜は狭けども百船人も過ぐと言はなくに
右の二首は、石上の卿のよめる。
秋八月二十日、右大臣橘の家に宴せる歌四首
1024 長門なる沖つ借島奥まへて吾が思ふ君は千年にもがも
右の一歌は、長門守巨曽倍對馬朝臣。
1025 奥まへて吾を思へる我が背子は千年五百年ありこせぬかも
右の一歌は、右大臣の和へたまへる歌。
1026 百敷の大宮人は今日もかも暇を無みと里に出でざらむ
右の一首は、右大臣の伝へ云りたまはく、
故の豊島采女が歌。
1027 橘の本に道踏み八衢に物をそ思ふ人に知らえず
右の一歌は、右大弁高橋安麿の卿語りけらく、
故の豊島采女がよめるなり。
但シ或ル本ニ云ク、三方沙彌、妻ノ苑臣ヲ恋ヒテ作メル歌ナリト。
然ラバ則チ、豊島采女、当時当所ニ此ノ歌ヲ口吟ヘルカ。
十一年己卯、天皇高圓の野に遊猟したまへる時、小さき獣堵里の中に泄で走る。是に勇士に適値ひて生きながら獲らえぬ。即ち此の獣を御在所に献上るとき副ふる歌一首 獣ノ名ハ俗ニ牟射佐妣ト曰フ
1028 大夫の高圓山に迫めたれば里に下り来るむささびそこれ
右の一歌は、大伴坂上郎女がよめる。但シ奏ヲ
逕ズシテ小獣死シ斃レヌ。此ニ因リテ献歌停ム。
十二年庚辰冬十月、太宰少弐藤原朝臣廣嗣が反謀けむとして軍を発せるに、伊勢国に幸せる時、河口の行宮にて内舎人大伴宿禰家持がよめる歌一首
1029 河口の野辺に廬りて夜の歴れば妹が手本し思ほゆるかも
天皇のみよみませる御製歌一首
1030 妹に恋ひ吾が松原よ見渡せば潮干の潟に鶴鳴き渡る
丹比屋主真人が歌一首
1031 後れにし人を思はく四泥の崎木綿取り垂でて往かむとそ思ふ
独り行宮に残て大伴宿禰家持がよめる歌二首
1032 天皇の行幸のまに我妹子が手枕巻かず月そ経にける
1033 御食つ国志摩の海人ならし真熊野の小船に乗りて沖へ榜ぐ見ゆ
美濃国多藝の行宮にて、大伴宿禰東人がよめる歌一首
1034 古よ人の言ひ来る老人の変若つちふ水そ名に負ふ滝の瀬
大伴宿禰家持がよめる歌一首
1035 田跡川の滝を清みか古ゆ宮仕へけむ多藝の野の上に
不破の行宮にて、大伴宿禰家持がよめる歌一首
1036 関なくば帰りにだにも打ち行きて妹が手枕巻きて寝ましを
十五年癸未秋八月の十六日、内舎人大伴宿禰家持が久邇の京を讃へてよめる歌一首
1037 今造る久邇の都は山河の清けき見ればうべ知らすらし
高丘河内連が歌二首
1038 故郷は遠くもあらず一重山越ゆるがからに思ひぞ吾がせし
1039 我が背子と二人し居れば山高み里には月は照らずともよし
安積親王の左少弁藤原八束朝臣が家に宴したまふ日、内舎人大伴宿禰家持がよめる歌一首
1040 久かたの雨は降りしけ思ふ子が屋戸に今夜は明かしてゆかむ
十六年甲申、春正月の五日、諸卿大夫安倍蟲麻呂朝臣が家に集ひて宴せる歌一首
1041 我が屋戸の君松の木に降る雪の行きには行かじ待ちにし待たむ
同じ月十一日、活道の岡に登り、一株松の下に集ひて飲せる歌二首
1042 一つ松幾代か経ぬる吹く風の声の清めるは年深みかも
右の一首は、市原王のよみたまへる。
1043 玉きはる命は知らず松が枝を結ぶ心は長くとそ思ふ
右の一首は、大伴宿禰家持がよめる。
寧樂の京の荒墟を傷惜みてよめる歌三首 作者不審
1044 紅に深く染みにし心かも奈良の都に年の経ぬべき
1045 世の中を常無きものと今ぞ知る奈良の都のうつろふ見れば
1046 石綱のまた変若ちかへり青丹よし奈良の都をまた見なむかも
寧樂の京の故郷を悲しみよめる歌一首、また短歌
1047 やすみしし 我が大王の 高敷かす 大和の国は
皇祖の 神の御代より 敷きませる 国にしあれば
生れまさむ 御子の継ぎ継ぎ 天の下 知ろしめさむと
八百万 千年を兼ねて 定めけむ 奈良の都は
陽炎の 春にしなれば 春日山 御笠の野辺に
桜花 木の暗隠り 貌鳥は 間なくしば鳴く
露霜の 秋さり来れば 射鉤山 飛火が岳に
萩の枝を しがらみ散らし さ牡鹿は 妻呼び響め
山見れば 山も見が欲し 里見れば 里も住みよし
物部の 八十伴の男の うちはへて 里並みしけば
天地の 寄り合ひの極み 万代に 栄えゆかむと
思ひにし 大宮すらを 頼めりし 奈良の都を
新代の 事にしあれば 大王の 引きのまにまに
春花の うつろひ変り 群鳥の 朝立ち行けば
刺竹の 大宮人の 踏み平し 通ひし道は
馬も行かず 人も行かねば 荒れにけるかも
反し歌二首
1048 建ち替り古き都となりぬれば道の芝草長く生ひにけり
1049 馴つきにし奈良の都の荒れゆけば出で立つごとに嘆きし増さる
久邇の新京を讃ふる歌二首、また短歌
1050 現つ神 我が大王の 天の下 八島の内に
国はしも 多くあれども 里はしも さはにあれども
山並の よろしき国と 川並の 立ち合ふ里と
山背の 鹿背山の際に 宮柱 太敷きまつり
高知らす 布當の宮は 川近み 瀬の音ぞ清き
山近み 鳥が音響む 秋されば 山もとどろに
さ牡鹿は 妻呼び響め 春されば 岡辺も繁に
巌には 花咲き撓り あなおもしろ 布當の原
いと貴 大宮所 諾しこそ 我が大王は
君のまに 聞かしたまひて 刺竹の 大宮ここと 定めけらしも
反し歌二首
1051 三香の原布當の野辺を清みこそ大宮所定めけらしも
1052 山高く川の瀬清し百代まで神しみゆかむ大宮所
1053 吾が大王 神の命の 高知らす 布當の宮は
百木盛る 山は木高し 落ちたぎつ 瀬の音も清し
鴬の 来鳴く春へは 巌には 山下光り
錦なす 花咲き撓り さ牡鹿の 妻呼ぶ秋は
天霧ふ 時雨をいたみ さ丹頬ふ 黄葉散りつつ
八千年に 生れ付かしつつ 天の下 知ろしめさむと
百代にも 変るべからぬ 大宮所
反し歌五首
1054 泉川行く瀬の水の絶えばこそ大宮所移ろひ行かめ
1055 布當山山並見れば百代にも変るべからぬ大宮所
1056 娘子らが続麻懸くちふ鹿背の山時しゆければ都となりぬ
1057 鹿背の山木立を繁み朝さらず来鳴き響もす鴬の声
1058 狛山に鳴く霍公鳥泉川渡りを遠みここに通はず
春日、三香原の都の荒墟を悲傷しみよめる歌一首、また短歌
1059 三香の原 久邇の都は 山高み 川の瀬清み
在りよしと 人は言へども 住みよしと 吾は思へど
古りにし 里にしあれば 国見れど 人も通はず
里見れば 家も荒れたり 愛しけやし かくありけるか
三諸つく 鹿背山の際に 咲く花の 色めづらしく
百鳥の 声なつかしき ありが欲し 住みよき里の 荒るらく惜しも
反し歌二首
1060 三香の原久邇の都は荒れにけり大宮人のうつろひぬれば
1061 咲く花の色は変らず百敷の大宮人ぞたち変りける
難波の宮にてよめる歌一首、また短歌
1062 やすみしし 我が大王の あり通ふ 難波の宮は
鯨魚取り 海片付きて 玉拾ふ 浜辺を近み
朝羽振る 波の音騒き 夕凪に 楫の音聞こゆ
暁の 寝覚に聞けば 海近み 潮干の共
浦洲には 千鳥妻呼び 葦辺には 鶴が音響む
見る人の 語りにすれば 聞く人の 見まく欲りする
御食向ふ 味経の宮は 見れど飽かぬかも
反し歌二首
1063 あり通ふ難波の宮は海近み海人娘子らが乗れる船見ゆ
1064 潮干れば葦辺に騒く白鶴の妻呼ぶ声は宮もとどろに
敏馬の浦を過ぐる時よめる歌一首、また短歌
1065 八千桙の 神の御代より 百船の 泊つる泊と
八島国 百船人の 定めてし 敏馬の浦は
朝風に 浦波騒き 夕波に 玉藻は来寄る
白沙 清き浜辺は 往き還り 見れども飽かず
諾しこそ 見る人毎に 語り継ぎ 偲ひけらしき
百代経て 偲はえゆかむ 清き白浜
反し歌二首
1066 真澄鏡敏馬の浦は百船の過ぎて行くべき浜ならなくに
1067 浜清み浦うるはしみ神代より千船の泊つる大和太の浜
右ノ二十一首ハ、田邊福麻呂ガ歌集ノ中ニ出ヅ。