万葉集 (鹿持雅澄訓訂)/巻第二十

巻第二十はたまきにあたるまき


山村やまむら幸行いでましし時の歌二首ふたつ

先の太上天皇おほきすめらみこと陪従おほみとも王臣おほきみおみみことのりしたまはく、夫諸王卿等いましらもろもろこたへ歌をみてまをせとりたまひて、即ち御口号みうたよみしたまはく

4293 あしひきの山行きしかば山人やまびとの我に得しめし山つとそこれ

舎人親王とねりのみこ、詔をうけたまはりて和へまつれる御歌一首ひとつ

4294 あしひきの山にゆきけむ山人の心も知らず山人やたれ

     右、天平勝宝てむひやうしようはう五年いつとせといふとし五月さつき大納言おほきものまをすつかさ

     藤原朝臣ふぢはらのあそみの家にいませる時、事をまをすに依りて請ひ

     問ふほど少主鈴すなきすずのつかさ山田やまたのふみひと土麿、少納言すなきものまをすつかさ

     大伴宿禰家持に語りけらく、さきに此のことを聞けりと

     いひて、即ち此の歌をめりき。


天平勝宝五年八月はつき十二日とをかまりふつかのひ二三ふたりみたり大夫等まへつきみたちおのもおのも壺酒さかつぼひきさげて、高圓野たかまとぬに登り、聊か所心おもひを述べてめる歌三首みつ

4295 高圓の尾花をばな吹きこす秋風に紐ときあけなただならずとも

     右の一首ひとうたは、左京少進ひだりのみさとつかさのすなきまつりごとひと大伴宿禰池主。

4296 天雲に雁そ鳴くなる高圓の萩の下葉はもみちへむかも

     右の一首は、左中弁ひだりのなかのおほともひ中臣清麿朝臣。

4297 をみなへし秋萩しぬぎさ牡鹿の露分け鳴かむ高圓の野そ

     右の一首は、少納言大伴宿禰家持。


六年むとせといふとし正月むつき四日よかのひ氏族人等やからどち、少納言大伴宿禰家持がいへ賀集つどひて、宴飲うたげする歌三首

4298 霜のあられ飛走たばしりいや益しにあれまゐ来む年の緒長く 古今未詳

     右の一首は、左兵衛督ひだりのつはもののとねりのかみ大伴宿禰千室ちむろ

4299 年月は新た新たに相見れどふ君は飽き足らぬかも 古今未詳

     右の一首は、民部少丞たみのつかさのすなきまつりごとひと大伴宿禰村上。

4300 霞立つ春の初めを今日のごと見むと思へば楽しとそ

     右の一首は、左京少進大伴宿禰池主。


七日なぬかのひ天皇すめらみこと太上天皇おほきすめらみこと皇太后おほみおやひむかし常宮みやの南の大殿にいまして、肆宴とよのあかりきこしめす歌一首

4301 印南野いなみぬの赤ら柏は時はあれど君をふ時はさねなし

     右の一首は、播磨はりまの国のかみ安宿王あすかべのおほきみまをしたまへり。古今未詳。


三月やよひ十九日とをかまりここのかのひ、家持がなりところの門のつきの樹のもとにて宴飲うたげする歌二首

4302 山吹は撫でつつ生ほさむありつつも君来ましつつ挿頭かざしたりけり

     右の一首は、置始連長谷おきそめのむらじはつせ

4303 我が背子が屋戸の山吹咲きてあらば止まず通はむいや年の端に

     右の一首は、長谷花を攀ぢ、壺をひきさげて到来きたれり。因是かれ

     大伴宿禰家持、此の歌をよみてこたふ。


おやじ月の二十五日はつかまりいつかのひ左大臣ひだりのおほまへつきみ橘のまへつきみ山田御母やまだのみおもの宅に宴したまへる歌一首

4304 山吹の花の盛りにかくのごと君を見まくは千年ちとせにもがも

     右の一首は、少納言大伴宿禰家持、時の花を

     よめる。但し未だいださざりしほど大臣おほまへつきみ宴を

     めたまへるによりて、詠み挙げせざりき。


霍公鳥ほととぎすめる歌一首

4305 くれのしげきをほととぎす鳴きて越ゆなり今し来らしも

     右の一首は、四月うつき、大伴宿禰家持がよめる。


七夕なぬかのよひの歌八首やつ

4306 初秋風すずしき夕へ解かむとそ紐は結びし妹に逢はむため

4307 秋と言へば心そ痛きうたてに花になそへて見まく欲りかも

4308 初尾花をばな花に見むとし天の川へなりにけらし年の緒長く

4309 秋風になびく川和草にこぐさのにこよかにしも思ほゆるかも

4310 秋されば霧たちわたる天の川石み置かば継ぎて見むかも

4311 秋風に今か今かと紐解きてうら待ち居るに月かたぶきぬ

4312 秋草に置く白露の飽かずのみ相見るものを月をし待たむ

4313 青波にそてさへ濡れて榜ぐ舟のかし振るほとにさ夜更けなむか

     右、七月ふみつきの七日のよひ、大伴宿禰家持、独り天漢あまのがは

     てよめる。

4314 八千種やちくさに草木を植ゑて時ごとに咲かむ花をし見つつしぬはな

     右の一首は、同じ月の二十八日はつかまりやかのひ、大伴宿禰家持がよめる。

4315 宮人の袖付け衣秋萩ににほひよろしき高圓たかまとの宮

4316 高圓の宮の裾廻すそみの野つかさに今咲けるらむ女郎花をみなへしはも

4317 秋野には今こそ行かめもののふの男女をとこをみなの花にほひ見に

4318 秋の野に露負へる萩を手折らずてあたら盛りを過ぐしてむとか

4319 高圓の秋野の上の朝霧に妻呼ぶ壮鹿をしか出で立つらむか

4320 ますらをの呼び立てませばさ牡鹿のむな分けゆかむ秋野萩原

     右の歌六首むつは、兵部少輔つはもののつかさのすなきすけ大伴宿禰家持、独り

     秋の野をしぬひて、聊か拙懐おもひを述べてよめる。


天平勝宝七歳ななとせといふとし乙未きのとひつじ二月きさらき、相替へて筑紫の諸国くにぐにに遣はさるる防人さきもり等が歌

4321 畏きやみことかがふり明日ゆりや加曳かえ斎田嶺いむたねいむ無しにして

     右の一首は、国造くにのみやつこよほろ長下郡ながのしものこほり物部秋持もののべのあきもち

4322 我が妻はいたく恋ひらし飲む水にかごへ見えて世に忘られず

     右の一首は、主帳ふみひとの丁、麁玉郡あらたまのこほり若倭部身麿わかやまとべのむまろ

4323 時々の花は咲けども何すれそ母とふ花の咲き出来でこずけむ

     右の一首は、防人、山名郡やまなのこほり丈部はせつかべの眞麿ままろ

4324 遠江とへたほみ白羽しるはの磯とにへの浦と合ひてしあらば言もかゆはむ

     右の一首は、同じ郡の丈部川相かはひ

4325 父母も花にもがもや草枕旅は行くとも捧ごてゆかむ

     右の一首は、佐野さやのこほり、丈部黒當。

4326 父母が殿のしりへ百代草ももよぐさ百代いでませ我が来たるまで

     右の一首は、同じ郡生玉部いくたまべの足國たりくに

4327 我が妻も絵に描き取らむいつまもか旅ゆくあれは見つつ偲はむ

     右の一首は、長下郡、物部古麿ふるまろ

     二月きさらき六日むかのひ、防人部領使ことりつかひ遠江とほつあふみの国の史生ふみひと坂本

     朝臣人上ひとかみが、たてまつれる歌の数十八首とをまりやつ。但し拙劣つたな

     歌十一首とをまりひとうた有るは取載げず。


4328 大王の命かしこみ磯に触り海原うのはら渡る父母を置きて

     右の一首は、某郡助丁すけのよほろ、丈部みやつこ人麿。

4329 八十やそ国は難波に集ひふな飾りがせむ日ろを見も人もがも

     右の一首は、足下郡あしからのしものこほり上丁かみつよほろ丹比部たぢひべの國人くにひと

4330 難波津に装ひ装ひて今日の日や出でてまからむ見る母なしに

     右の一首は、鎌倉郡かまくらのこほりの上丁、丸子連まるこのむらじ多麿おほまろ

     二月の七日、相模さがむの国の防人部領使、かみ従五位ひろきいつつのくらゐの

     しもつしな藤原朝臣宿奈麿すくなまろが進れる歌の数八首。但し拙劣つたな

     き歌五首いつつは、取載げず。


防人の悲別わかれの心を追痛いたみてよめる歌一首、また短歌みじかうた

4331 天皇すめろきの 遠の朝廷みかどと しらぬひ 筑紫の国は

   あたまもる おさへのそと 聞こしす 四方の国には

   人さはに 満ちてはあれど とりが鳴く 東男あづまをのこ

   出で向かひ かへり見せずて 勇みたる たけ軍卒いくさ

   ぎたまひ まけのまにまに たらちねの 母が目れて

   若草の 妻をもかず あらたまの 月日みつつ

   葦が散る 難波の御津に 大船に 真櫂しじぬき

   朝凪に 水手かこととのへ 夕潮に 楫引き

   あどもひて 漕ぎゆく君は 波の間を い行きさぐくみ

   真幸まさきくも 早く到りて 大王おほきみの みことのまにま

   大夫ますらをの 心をもちて ありめぐり 事し終はらば

   つつまはず 還り来ませと 斎瓮いはひへを 床辺とこへに据ゑて

   白妙の 袖折りかへし ぬば玉の 黒髪しきて

   長きを 待ちかも恋ひむ しき妻らは

かへし歌

4332 大夫のゆき取り負ひて出でてけば別れを惜しみ嘆きけむ妻

4333 鶏が鳴く東男あづまをとこの妻別れ悲しくありけむ年の緒長み

     右、二月の八日、兵部少輔大伴宿禰家持。

4334 海原うなはらを遠く渡りて年とも子らが結べる紐解くなゆめ

4335 今替るにひ防人が船出する海原の上に波なきそね

4336 防人の堀江榜ぎる伊豆手船楫取る間なく恋は繁けむ

     右の三首は、九日、大伴宿禰家持がよめる。


4337 水鳥みづとりの立ちの急ぎに父母に物にて今ぞ悔しき

     右の一首は、上丁かみつよほろ有度部うとべの牛麿。

4338 畳薦たたみけめ牟良自むらじが磯の離磯はなりその母を離れて行くが悲しさ

     右の一首は、助丁すけのよほろ生部いくべの道麿。

4339 国めぐるあとりけり行き巡りかひり来までにいはひて待たね

     右の一首は、刑部おさかべの虫麿。

4340 父母え斎ひて待たね筑紫なる水漬みづく白玉取りて来までに

     右の一首は、川原虫麿。

4341 橘の美衣利みえりの里に父を置きて道の長道ながちは行きかてぬかも

     右の一首は、丈部足麿たりまろ

4342 真木柱まけばしら讃めて造れる殿のごといませ母刀自とじおめ変はりせず

     右の一首は、坂田部さかたべの首麿おびとまろ

4343 ろ旅は旅とおめほど恋にして顔持こめち痩すらむ我が身悲しも

     右の一首は、玉作部たまつくりべの廣目ひろめ

4344 忘らむと野ゆき山ゆき我来れど我が父母は忘れせぬかも

     右の一首は、商長あきをさの首麿おびとまろ

4345 我妹子わぎめこと二人我が見し打ちする駿河のらはくふしくめあるか

     右の一首は、春日部かすかべの麿。

4346 父母がかしら掻き撫でさきくあれて言ひし言葉そ忘れかねつる

     右の一首は、丈部稲麿いなまろ

     二月の七日、駿河の国の防人部領使、守従五位下布勢ふせの朝臣

     人主ひとぬしまことたてまつるは九日。歌の数二十首はたち。但し拙劣つたなき歌

     十首とをは、取載げず。


4347 家にして恋ひつつあらずはける大刀たちになりてもいはひてしかも

     右の一首は、国造のよほろ日下部くさかべの使主おみ三中みなかが父の歌。

4348 たらちねの母を別れてまこと我旅の仮廬かりほに安く寝むかも

     右の一首は、国造の丁、日下部使主三中。

4349 百隈ももくまの道は来にしを又更に八十やそ島過ぎて別れか行かむ

     右の一首は、助丁すけのよほろ刑部おさかべのあたへ三野みぬ

4350 庭中の阿須波あすはの神に小柴さしあれは斎はむ還り来までに

     右の一首は、主帳ふみひとよほろ若麻續部わかをみべの諸人もろひと

4351 旅衣八つ着重ねていぬれどもなほ肌寒し妹にしあらねば

     右の一首は、望陀郡うまぐたのこほり上丁かみつよほろ、玉作部國忍くにおし

4352 道のうまらうれほ豆のからまる君をはかれか行かむ

     右の一首は、天羽郡あまはのこほりの上丁、丈部鳥。

4353 家風は日に日に吹けど我妹子が家言いへごと持ちて来る人も無し

     右の一首は、朝夷郡あさひなのこほりの上丁、丸子連大歳おほとし

4354 立ちこもの立ちの騒きに相見てし妹が心は忘れせぬかも

     右の一首は、長狭郡ながさのこほりの上丁、丈部與呂麿よろまろ

4355 よそにのみ見てや渡らも難波潟雲居に見ゆる島ならなくに

     右の一首は、武射郡むざのこほりの上丁、丈部山代やましろ

4356 我が母のそて持ち撫でて我がからに泣きし心を忘らえぬかも

     右の一首は、山邊郡やまのべのこほりの上丁、物部乎刀良をとら

4357 葦垣の隈所くまとに立ちて我妹子がそてもしほほに泣きしそはゆ

     右の一首は、市原郡の上丁、刑部直千國ちくに

4358 大王の命かしこみ出で来ればぬ取り付きて言ひし子なはも

     右の一首は、種淮郡すゑのこほりの上丁、物部たつ

4359 筑紫向かる船のいつしかも仕へまつりて国に舳向へむかも

     右の一首は、長柄郡ながらのこほりの上丁、若麻續部ひつじ

     二月の九日、上総かみつふさの国の防人部領使、少目すなきふみひと

     従七位下ひろきななつのくらゐのしもつしな茨田まむたのむらじ沙彌麿さみまろが進る歌の

     数十九首とをまりここのつ。但し拙劣つたなき歌六首は、取載げず。


私拙懐おもひぶる一首、また短歌

4360 天皇すめろきの 遠き御代にも 押し照る 難波の国に

   天の下 知らしめしきと 今の緒に 絶えず言ひつつ

   かけまくも あやに畏し かむながら 我ご大王の

   打ち靡く 春の初めは 八千種に 花咲きにほひ

   山見れば 見のともしく 川見れば 見のさやけく

   ものごとに 栄ゆる時と し賜ひ 明らめ賜ひ

   敷きませる 難波の宮は 聞こしす 四方の国より

   奉る 御調みつきの船は 堀江より 水脈みを引きしつつ

   朝凪に 楫引きのぼり 夕潮に 棹さし下り

   あぢ群の 騒ききほひて 浜に出でて 海原見れば

   白波の 八重折るが上に 海人小船をぶね はららに浮きて

   大御食おほみけに 仕へまつると をちこちに いざり釣りけり

   そきだくも おぎろなきかも こきばくも ゆたけきかも

   ここ見れば うべし神代ゆ 始めけらしも

反し歌

4361 桜花今盛りなり難波の海押し照る宮に聞こしめすなべ

4362 海原のゆたけき見つつ葦が散る難波に年は経ぬべく思ほゆ

     右、二月の十三日、兵部少輔大伴宿禰家持。


4363 難波津に御船下ろ据ゑ八十楫やそかき今は榜ぎぬと妹に告げこそ

4364 防人さきむりに立たむ騒きに家の妹がるべきことを言はずぬかも

     右の二首は、茨城郡うばらきのこほり若舎人部わかとねりべの廣足ひろたり

4365 押し照るや難波の津より船装ふなよそあれは榜ぎぬと妹に告ぎこそ

4366 常陸ひたち指し行かむ雁もがが恋を記して付けて妹に知らせむ

     右の二首は、信太郡しだのこほり、物部道足みちたり

4367 もての忘れもしだは筑波嶺つくはねを振り放け見つつ妹はしぬはね

     右の一首は、茨城郡、占部うらべの小龍をたつ

4368 久慈川はさけくあり待て潮船に真楫しじは還り来む

     右の一首は、久慈郡、丸子部まろこべの佐壯すけを

4369 筑波嶺の早百合さゆるの花の夜床ゆとこにもかなしけ妹そ昼も愛しけ

4370 霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍すめらみいくさに我は来にしを

     右の二首は、那賀郡なかのこほり上丁かみつよほろ大舎人部おほとねりべの千文ちふみ

4371 橘の下吹く風のかぐはしき筑波つくはの山を恋ひずあらめかも

     右の一首は、助丁すけのよほろ、占部廣方ひろかた

4372 足柄あしがらの 御坂たまはり 顧みず あれえ行く

   荒しも 立しや憚る 不破の関 えては行く

   むまの爪 筑紫の崎に まり居て あれいははむ

   諸々は さけくと申す 還り来まてに

     右の一首は、倭文部しつりべの可良麿からまろ

     二月の十四日、常陸の国の部領防人使ことりさきもりつかひ大目おほきふみひと

     正七位上おほきななつのくらゐのかみつしな息長おきながの真人まひと國島くにしまが進れる歌

     の数十七首。但し拙劣つたなき歌七首は、取載げず。


4373 今日よりは顧みなくて大王おほきみしこ御楯みたてと出で立つ我は

     右の一首は、火長、今奉部いままつりべの與曽布よそふ

4374 天地あめつちの神を祈りて幸矢さつやき筑紫の島を指してく我は

     右の一首は、火長、大田部荒耳あらみみ

4375 松のみたる見れば家人いはびとの我を見送ると立たりしもころ

     右の一首は、火長、物部眞島ましま

4376 旅ゆきに行くと知らずて母父あもししに言申さずて今ぞ悔しけ

     右の一首は、寒川郡の上丁、川上巨老おほおゆ

4377 母刀自あもとじも玉にもがもや戴きて角髪みづらの中に合へ巻かまくも

     右の一首は、津守つもり宿禰小黒栖をくるす

4378 月日つくひやは過ぐは行けども母父あもししが玉の姿は忘れせなふも

     右の一首は、都賀郡つがのこほりの上丁、中臣部足國たりくに

4379 白波の寄そる浜辺に別れなばいともすべなみ八度やたびそて振る

     右の一首は、足利郡の上丁、大舎人部禰麿ねまろ

4380 難波門なにはとを榜ぎ出て見ればかみさぶる生駒高嶺に雲そたなびく

     右の一首は、梁田郡やなたのこほりの上丁、大田部三成みなり

4381 国々の防人集ひ船乗りて別るを見ればいともすべなし

     右の一首は、河内郡の上丁、神麻續部かむをみべの島麿。

4382 太小腹ふたほがみ悪しけ人なり疝病あたゆまひ我がする時に防人に差す

     右の一首は、那須郡の上丁、大伴部廣成。

4383 津の国の海の渚に船装ひし出も時にあもが目もがも

     右の一首は、塩屋郡の上丁、丈部足人たりひと

     二月の十四日、下野しもつけぬの国の防人部領使、正六位おほきむつのくらゐの

     かみつしな田口朝臣大戸おほとが進れる歌の数十八首。但し拙劣つたな

     き歌七首は、取載げず。

4384 あかときのかはたれ時に島かぎを榜ぎにし船のたづき知らずも

     右の一首は、助丁すけのよほろ海上郡うなかみのこほり海上の国造、池田

     日奉直ひまつりのあたへ得大理とこたり

4385 こ先に波なゑら後方しるへには子をと妻をと置きてとも来ぬ

     右の一首は、葛餝郡かづしかのこほり私部きさきべの石島いそしま

4386 我がかづ五本いつもと柳いつもいつもおもが恋すななりましつつも

     右の一首は、結城郡、矢作部やはきべの眞長まなが

4387 千葉ちはの野の児手柏このてかしはほほまれどあやにかなしみ置きて発ち来ぬ

     右の一首は、千葉郡ちはのこほり、大田部足人。

4388 旅とへど真旅になりぬ家のが着せし衣に垢付きにかり

     右の一首は、占部うらべの虫麿。

4389 潮舟の越そ白波にはしくも負ふせたまほか思はへなくに

     右の一首は、印波郡いにはのこほり丈部直はせつかべのあたへ大歳おほとし

4390 群玉むらたまくるに釘刺し堅めとし妹が心はあよくなめかも

     右の一首は、サ島郡、刑部おさかべの志加麿しかまろ

4391 国々のやしろの神にぬさまつあが乞ひすなむ妹がかなしさ

     右の一首は、結城郡、忍海部おしぬみべの五百麿いほまろ

4392 天地あめつしのいづれの神を祈らばかうつくし母にまた言問はむ

     右の一首は、埴生郡はにふのこほり、大伴部麻與佐まよさ

4393 大王の命にされば父母を斎瓮いはひへと置きてまゐ出来にしを

     右の一首は、結城郡、雀部きさきべの廣島。

4394 大王の命かしこみゆみのみにさ寝か渡らむ長けこの夜を

     右の一首は、相馬郡、大伴部子羊こひつじ

     二月の十六日、下総の国の防人部領使、少目従七位下

     縣犬養宿禰あがたのいぬかひのすくね浄人きよひとが進れる歌の数二十二首はたちまりふたつ。但し

     拙劣つたなき歌十一首は、取載げず。


独り龍田山の桜の花を惜しめる歌一首

4395 龍田山見つつ越え来し桜花散りか過ぎなむ我が帰るとに

独り江水浮漂うかべるこつみを見て、貝玉の依らざるを怨恨うらみてよめる歌一首

4396 堀江より朝潮満ちに寄る木糞こつみ貝にありせばつとにせましを

たちかどにて、江南美女をとめを見てよめる歌一首

4397 見渡せば向つの花にほひ照りて立てるはしき誰が妻

     右の三首は、二月の十七日とをかまりなぬかのひ、兵部少輔大伴宿禰

     家持がよめる。


防人のこころに為りて思を陳べてよめる歌一首、また短歌

4398 大王の 命かしこみ 妻別れ 悲しくはあれど

   大夫の 心振り起し 取りよそひ 門出をすれば

   たらちねの 母掻き撫で 若草の 妻は取りつき

   平らけく 我はいははむ 好去まさきくて 早還り

   真袖もち 涙をのごひ むせびつつ 言問ことどひすれば

   群鳥むらとりの 出で立ちかてに とどこほり かへり見しつつ

   いや遠に 国を来離れ いや高に 山を越え過ぎ

   葦が散る 難波に来居て 夕潮に 船を浮けすゑ

   朝凪に 向け漕がむと さもらふと 我がる時に

   春霞 島に立ちて たづが音の 悲しく鳴けば

   はろばろに 家を思ひ出 負征矢おひそやの そよと鳴るまで 嘆きつるかも

反し歌

4399 海原に霞たなびきたづが音の悲しき宵は国方くにへし思ほゆ

4400 家思ふとを寝ず居ればたづが鳴く葦辺も見えず春の霞に

     右、十九日、兵部少輔大伴宿禰家持がよめる。


4401 唐衣からころも裾に取りつき泣く子らを置きてそ来ぬやおもなしにして

     右の一首は、国造、小縣郡ちひさがたのこほり他田舎人をさだのとねり大島。

4402 ちはやぶる神の御坂に幣まつり斎ふ命は母父おもちちがため

     右の一首は、主帳、埴科郡はにしなのこほり神人部かむとべの子忍男こおしを

4403 大王の命かしこみ青雲あをくむのとのびく山を越よて来ぬかむ

     右の一首は、小長谷部をはつせべの笠麿。

     二月の二十二日はつかまりふつかのひ、信濃の国の防人部領使、道にて

     病を得て来たらず。進れる歌の数十二首。但し拙劣つたな

     歌九首は取載げず。


4404 難波道を行きてまてと我妹子が付けし紐が緒絶えにけるかも

     右の一首は、助丁すけのよほろ上毛野かみつけぬの牛甘うしかひ

4405 我が妹子いもこが偲ひにせよと付けし紐糸になるともは解かじとよ

     右の一首は、朝倉益人ますひと

4406 我がいはろにかも人もが草枕旅は苦しと告げやらまくも

     右の一首は、大伴部節麿ふしまろ

4407 ひな曇り碓日うすひの坂を越えしだに妹が恋しく忘らえぬかも

     右の一首は、他田部をさだべの子磐前こいはさき

     二月の二十三日、上野かみつけぬの国の防人部領使、大目

     正六位下おほきむつのくらゐのしもつしな上毛野君駿河が進れる歌の数十

     二首。但し拙劣つたなき歌八首は取載げず。


防人の悲別わかれこころを陳ぶる歌一首、また短歌

4408 大王の まけのまにまに 島守さきもりに 我が発ち来れば

   ははそ葉の 母の命は 御裳みもの裾 摘み上げ掻き撫で

   ちちの実の 父の命は 栲綱たくづぬの 白髭の上ゆ

   涙垂り 嘆きのたばく 鹿子かこじもの ただ独りして

   朝戸出の かなしきが子 あら玉の 年の緒長く

   相見ずは 恋しくあるべし 今日だにも 言問ことどひせむと

   惜しみつつ 悲しびいませ 若草の 妻も子どもも

   をちこちに さはに囲み居 春鳥の 声のさまよひ

   白妙の 袖泣き濡らし たづさはり 別れかてにと

   引き留め 慕ひしものを 天皇おほきみの 命かしこみ

   玉ほこの 道に出で立ち 岡の崎 いたむむるごとに

   よろづたび かへり見しつつ はろばろに 別れし来れば

   思ふそら 安くもあらず 恋ふるそら 苦しきものを

   うつせみの 世の人なれば 玉きはる 命も知らず

   海原の かしこき道を 島伝ひ い榜ぎ渡りて

   あり巡り 我が来るまでに 平らけく 親はいまさね

   つつみなく 妻は待たせと 住吉すみのえの 統神すめかみ

   ぬさまつり 祈りまうして 難波津に 船を浮け据ゑ

   八十楫やそかき 水手かこととのへて 朝開き は榜ぎ出ぬと

   家に告げこそ

反し歌

4409 家人いへびとの斎へにかあらむ平らけく船出はしぬと親にまうさね

4410 み空行く雲も使と人は言へど家苞いへづと遣らむたづき知らずも

4411 家苞に貝そひりへる浜波はいやしくしくに高く寄すれど

4412 島陰に我が船泊てて告げやらむ使を無みや恋ひつつ行かむ

     二月の二十三日、兵部少輔大伴宿禰家持。


4413 枕太刀腰に取り佩き真憐まかなしきろがき来む月の知らなく

     右の一首は、上丁かみつよほろ、那珂郡、檜前舎人ひのくまのとねり石前いはさき

     大伴眞足女またりめ

4414 大王の命かしこみうつくしけ真子が手離れ島伝ひ行く

     右の一首は、助丁すけのよほろ、秩父郡、大伴部小歳をとし

4415 白玉を手に取りして見るのすも家なる妹をまた見てもやも

     右の一首は、主帳ふみひと荏原郡えはらのこほり、物部歳徳としとこ

4416 草枕旅ゆく夫汝せな丸寝まるねせば家なる我は紐解かず寝む

     右の一首は、椋椅部くらはしべの刀自賣とじめ

4417 赤駒を山野にはかし捕りかにて多摩の横山徒歩かしゆか遣らむ

     右の一首は、豊島郡の上丁、椋椅部荒虫あらむし

     宇遲部うぢべの黒女くろめ

4418 我が門の片山椿まことなれ我が手触れなな土に落ちもかも

     右の一首は、荏原郡の上丁、物部廣足ひろたり

4419 いはろには葦火あしふ焚けども住みよけを筑紫に至りて恋しけはも

     右の一首は、橘樹郡たちばなのこほりの上丁、物部眞根まね

4420 草枕旅の丸寝の紐絶えばが手と付けろこれのはる

     右の一首は、、椋椅部弟女おとめ

4421 我が行きの息づくしかば足柄の峰ほ雲を見ととしぬはね

     右の一首は、都筑郡つつきのこほりの上丁、服部はとりべの於由おゆ

4422 我が夫汝せなを筑紫へ遣りてうつくしみ帯は解かななあやにかも寝も

     右の一首は、服部呰女あため

4423 足柄の御坂にして袖振らばいはなる妹はさやに見もかも

     右の一首は、埼玉郡さきたまのこほりの上丁、藤原部等母麿ともまろ

4424 色ぶか夫汝せなが衣は染めましを御坂たばらばまさやかに見む

     右の一首は、物部刀自賣。

     二月の二十幾日はつかまりいくかのひ武藏むざしの国の部領防人使、

     まつりごとひと正六位上安曇あづみ宿禰三國が進れる歌の数

     二十首。但し拙劣つたなき歌八首は取載げず。


4425 防人にゆくは誰がと問ふ人を見るがともしさ物ひもせず

4426 天地あめつしの神にぬさ置き斎ひつついませ我が夫汝せなあれをしはば

4427 いはの妹ろしのふらし真ゆすびにゆすびし紐の解くらくへば

4428 我が夫汝せなを筑紫は遣りてうつくしみえびは解かななあやにかも寝む

4429 馬屋なる縄断つ駒のおくるがへ妹が言ひしを置きて悲しも

4430 荒しのい小箭をさ手挟だはさみ向ひ立ちかなるましづみ出でてとが来る

4431 笹が葉のさやく霜夜に七重ななへる衣に増せる子ろが肌はも

4432 へなへぬみことにあればかなし妹が手枕離れあやに悲しも

     右の八首は、昔年さきつとしの防人の歌なり。主典ふみひと刑部うたへのつかさの

     少録すなきふみひと正七位上おほきななつのくらゐのかみつしな磐余いはれの伊美吉いみき諸君もろきみが、

     抄写かきつけて兵部少輔大伴宿禰家持に贈れり。


三月やよひ三日みかのひ、防人を検校かむがふる勅使みかどつかひ、また兵部つはもののつかさ使人等つかひどもともに集ひて飲宴うたげするときよめる歌三首

4433 朝なな上がる雲雀になりてしか都に行きて早還り来む

     右の一首は、勅使、紫微しび大弼おほきすけ安倍沙美麿さみまろの朝臣。

4434 雲雀あがる春へとさやになりぬれば都も見えず霞たなびく

4435 ふふめりし花の初めにし我や散りなむ後に都へ行かむ

     右の二首は、兵部少輔大伴宿禰家持。


昔年さきつとし相替はれる防人が歌一首

4436 闇の夜の行く先知らず行く我をいつ来まさむと問ひし子らはも


先の太上天皇おほきすめらみことの霍公鳥を御製みよみませるおほみうた一首

4437 霍公鳥なほも鳴かなむ本つ人かけつつもとなし泣くも

薩妙觀さつめうくわむが詔をうけたまはりて和へ奉れる歌一首

4438 霍公鳥ここに近くを来鳴きてよ過ぎなむ後にしるしあらめやも


冬の日、靱負ゆけひ御井みゐいでましし時、内命婦うちのひめとね石川朝臣 諱曰邑婆 詔をうけたまはりて雪をめる歌一首

4439 松が枝の土に着くまで降る雪を見ずてや妹が籠り居るらむ

     その時、水主内親王みぬしのひめみこ、寝膳安からず。累日参りたまはず。

     かれ此の日太上天皇、侍嬬みやをみな等にりたまはく、水主内親王

     の為に、雪を賦みて奉献たてまつれとのりたまへり。是にもろもろ

     命婦ひめとね等、作歌うたよみねたれば、此の石川命婦、独り此の歌

     をみてまをせりき。

     右の件の四首ようたは、上総の国の大掾おほきまつりごとひと正六位上おほきむつのくらゐのかみつしな

     大原真人今城いまき伝へめりき。年月未詳。


上総の国の朝集使まゐうごなはるつかひ大掾大原真人今城がみやこに向かへる時、郡司こほりのつかさ妻女等めらうまのはなむけせる歌二首

4440 足柄の八重山越えていましなば誰をか君と見つつ偲はむ

4441 立ちしなふ君が姿を忘れずば世の限りにや恋ひ渡りなむ


五月さつき九日ここのかのひ、兵部少輔大伴宿禰家持がいへにて集飲うたげせる歌四首

4442 我が背子が屋戸の撫子日並べて雨は降れども色も変らず

     右の一首は、大原真人今城。

4443 久かたの雨は降りしく撫子がいや初花に恋しき我が

     右の一首は、大伴宿禰家持。

4444 我が背子が屋戸なる萩の花咲かむ秋の夕へは我を偲はせ

     右の一首は、大原真人今城。

4445 鴬の声は過ぎぬと思へどもみにし心なほ恋ひにけり

     右の一首は、即ち鴬のくを聞きてよめる。大伴宿禰家持。


同じ月の十一日とをかまりひとひのひ左大臣ひだりのおほまへつきみ橘のまへつきみの、右大弁みぎのおほきおほともひ丹比國人真人が宅に宴したまふ歌三首

4446 我が屋戸に咲ける撫子まひはせむゆめ花散るないやをちに咲け

     右の一首は、丹比國人真人が左大臣を寿ことほく歌。

4447 幣しつつ君がほせる撫子が花のみ問はむ君ならなくに

     右の一首は、左大臣の和へたまふ歌。

4448 あぢさゐの八重咲くごとくつ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ

     右の一首は、左大臣の、味狭藍あぢさゐの花に寄せて詠みたまへる。


十八日とをかまりやかのひ、左大臣の、兵部卿つはもののつかさのかみたちばなの奈良麿ならまろの朝臣あそみが宅に宴したまふ歌一首

4449 撫子が花取り持ちてうつらうつら見まくの欲しき君にもあるかも

     右の一首は、治部卿をさむるつかさのかみ船王ふねのおほきみ

4450 我が背子が屋戸の撫子散らめやもいや初花に咲きは増すとも

4451 うるはしみふ君は撫子が花になそへて見れど飽かぬかも

     右の二首は、兵部少輔大伴宿禰家持が追ひてよめる。


八月はつき十三日とをかまりみかのひ、内の南の安殿やすみとのにて、肆宴とよのあかりしたまへるときの歌二首

4452 官女をとめらが玉裳たまも裾曳くこの庭に秋風吹きて花は散りつつ

     右の一首は、内匠頭うちのたくみのかみ播磨守はりまのかみけたる正四位下おほきよつのくらゐのしもつしな

     安宿王あすかべのおほきみまをしたまへり。

4453 秋風の吹きき敷ける花の庭清き月夜つくよに見れど飽かぬかも

     右の一首は、兵部少輔従五位上ひろきいつつのくらゐのかみつしな大伴宿禰家持。未奏。


十一月しもつき二十八日はつかまりやかのひ、左大臣、兵部卿橘奈良麿朝臣が宅に集ひて、宴したまふ歌三首

4454 高山のいはほに生ふるすがの根のねもころごろに降り置く白雪

     右の一首は、左大臣のよみたまへる。


天平てむひやう元年はじめのとし班田たあがつ時の使葛城王かづらきのおほきみの、山背の国より、薩妙觀さつめうくわむ命婦ひめとね等がもとに贈りたまへる歌一首 芹子セリツトニ副ヘタリ

4455 あかねさす昼は田びてぬば玉の夜のいとまに摘める芹これ

薩妙觀の命婦が報贈こたふる歌一首

4456 大夫と思へるものを大刀佩きて可尓波かにはの田居に芹そ摘みける

     右の二首は、左大臣読みあげたまへり。


〔天平勝宝〕八歳やとせといふとし丙申ひのえさる、二月のつきたち乙酉きのととり二十四日はつかまりよかのひ戊申つちのえさる天皇すめらみこと太上天皇おほきすめらみこと、〔太〕皇太后おほみおや河内かふち離宮とつみや幸行いでまして、信信よよを経て、壬子みづのえねに難波の宮に伝幸うつりいでまし、三月おやじつき七日はつかまりなぬかのひ、河内の国の仗人くれのさと馬史國人うまのふひとくにひとが家にて、宴したまへるときの歌三首

4457 住吉の浜松が根の下へて我が見る小野の草な刈りそね

     右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持。

4458 にほ鳥の息長川おきながかはは絶えぬとも君に語らむこと尽きめやも

     右の一首は、主人あろじ散位寮とねのつかさ散位とね馬史國人。

4459 葦刈ると堀江榜ぐなる楫の音は大宮人の皆聞くまでに

     右の一首は、式部少丞のりのつかさのすなきまつりごとひと大伴宿禰池主

     読みあぐ。即ち云へらく、兵部大丞つはもののつかさのおほきまつりごとひと

     大原真人今城、先つ日他所あだしところにて読みあげし歌な

     りといへり。

4460 堀江榜ぐ伊豆の船の楫つくめ音しば立ちぬ水脈みを速みかも

4461 堀江より水脈さかのぼる楫のの間なくそ奈良ば恋しかりける

4462 舟競ふなぎほふ堀江の川の水際みなきはに来居つつ鳴くは都鳥かも

     右の三首は、にてよめる。

4463 霍公鳥まづ鳴く朝明あさけいかにせば我が門過ぎじ語り継ぐまで

4464 霍公鳥懸けつつ君を松陰に紐解き放くる月近づきぬ

     右の二首は、二十日、大伴宿禰家持ことけてよめる。


やがらさとす歌一首、また短歌

4465 久かたの あま開き 高千穂の たけ天降あもりし

   天孫すめろきの 神の御代より 梔弓はじゆみを 握り持たし

   真鹿児矢まかこやを 手挟たはさみ添へて 大久米の ますら健男たけを

   先に立て ゆき取り負ほせ 山川を 岩根さくみて

   踏み通り 国ぎしつつ ちはやぶる 神を言向け

   まつろはぬ 人をもやはし 掃き清め 仕へまつりて

   蜻蛉島あきづしま 大和の国の 橿原かしばらの 畝傍うねびの宮に

   宮柱 太知り立てて あめの下 知らしめしける

   天皇すめろきの あま日嗣ひつぎと 次第つぎて来る 君の御代御代

   隠さはぬ 赤き心を 皇辺すめらへに 極め尽して

   仕へくる おや職業つかさと 事立ことたてて 授け賜へる

   子孫うみのこの いや継ぎ継ぎに 見る人の 語り継ぎてて

   聞く人の かがみにせむを あたらしき 清きその名そ

   おほろかに 心思ひて 虚言むなことも 遠祖おやの名絶つな

   大伴の 氏と名に負へる 健男ますらをの伴

反し歌

4466 磯城島しきしまの大和の国に明らけき名に負ふ伴の心つとめよ

4467 剣大刀つるぎたちいよよ磨ぐべし古ゆさやけく負ひて来にしその名そ

     右、淡海真人三船あふみのまひとみふね讒言よこせしに縁りて、出雲守大伴古慈悲こじひの宿禰

     つかさ解けぬ。是以かれ家持此の歌をよめり。


臥病みて常無きを悲しみ、修道おこなひせまくしてよめる歌二首

4468 現身うつせみは数なき身なり山川のさやけき見つつ道を尋ねな

4469 渡る日の影にきほひて尋ねてな清きその道またも会はむため


寿いのちを願ひてよめる歌一首

4470 水泡みつぼなす仮れる身そとは知れれどもなほし願ひつ千年ちとせの命を

     以前かみ歌六首むうたは、六月みなつき十七日とをかまりなぬかのひ、大伴宿禰家持がよめる。


冬十一月しもつきの五日の夜、少雷起鳴かみなり雪散覆庭ゆきふれり忽懐感憐かなしみてよめる短歌みじかうた一首

4471 残りの雪にあへ照るあしひきの山橘をつとに摘み来な

     右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持。


八日、讃岐守さぬきのかみ安宿王あすかべのおほきみたち出雲掾いずものまつりごとひと安宿奈杼麿あすかべのなどまろが家に集ひて、宴したまふ歌二首

4472 大王の命かしこみ於保おほの浦を背向そがひに見つつ都へのぼる

     右の一首は、掾安宿奈杼麿。

4473 うち日さす都の人に告げまくは見し日のごとくありと告げこそ

     右の一首は、かみ山背王やましろのおほきみの歌なり。主人あろじ安宿奈杼麿あすかべのなどまろ

     語りけらく、奈杼麿朝集使まゐうごなはるつかひに差され、京師みやこまゐ

     むとす。此に因りてうまのはなむけする日、おのもおのも歌をよみて、

     聊か所心おもひぶ。

4474 群鳥むらとりの朝立ちにし君が上はさやかに聞きつ思ひしごとく

     右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持、後日のちに出雲守山背王

     の歌に追ひて和ふるうた


二十三日はつかまりみかのひ式部少丞のりのつかさのすなきまつりごとひと大伴宿禰池主が宅に集ひて、飲宴うたげする歌二首

4475 初雪は千重に降りしけ恋ひしくの多かる我は見つつ偲はむ

4476 奥山のしきみが花の名のごとやしくしく君に恋ひ渡りなむ

     右の二首は、兵部大丞つはもののつかさのおほきまつりごとひと大原真人今城。


智努女王ちぬのおほきみみうせたまへる後、圓方女王まとかたのおほきみ悲傷かなしみてよみたまへる歌一首

4477 夕霧に千鳥の鳴きし佐保路をば荒しやしてむ見るよしをなみ


大原櫻井さくらゐの真人が、佐保川のほとりを行く時、よめる歌一首

4478 佐保川に凍りわたれる薄氷うすらびの薄き心を我が思はなくに


藤原の夫人おほとじの歌一首 浄御原ノ宮ニ御宇アメノシタシロシメシシ天皇ノ夫人ナリ。字ヲ氷上大刀自ヒガミオホトジト曰ヘリ

4479 朝宵にのみし泣けば焼き大刀の利心とごころあれは思ひかねつも

4480 かしこきやあめ朝廷みかどを懸けつれば音のみし泣かゆ朝宵にして

     右の件の四首、伝へ読むは兵部大丞大原今城。


〔勝宝〕九歳ここのせといふとし三月の四日、兵部大丞大原真人今城が宅にて、宴する歌二首

4481 あしひきの八峯やつをの椿つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君

     右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持が植椿つばきてよめる。

4482 堀江越え遠き里まて送りる君が心は忘らゆまじも

     右の一首は、播磨介藤原朝臣執弓とりゆみまけところくときの

     別悲わかれの歌なり。主人大原今城伝へ読めりき。


〔勝宝九歳〕六月の二十三日、大監物おほきおろしもののつかさ三形王みかたのおほきみの宅にて、宴する歌一首

4483 移りゆく時見るごとに心痛く昔の人し思ほゆるかも

     右、兵部大輔つはもののつかさのおほきすけ大伴宿禰家持がよめる。


4484 咲く花は移ろふ時ありあしひきの山菅やますがの根し長くはありけり

     右の一首は、大伴宿禰家持が、物色もの変化うつろへるを悲伶かなしみてよめる。


4485 時の花いやづらしもかくしこそし明らめめ秋立つごとに

     右の一首は、大伴宿禰家持がよめる。


天平てむひやう宝字はうじ元年はじめのとし十一月しもつきの十八日、内裏おほうちにて肆宴とよのあかりきこしめす歌二首

4486 天地を照らす日月の極みなくあるべきものを何をか思はむ

     右の一首は、皇太子ひつぎのみこの御歌。

4487 いざ子ども狂行たはわざなせそ天地の堅めし国そ大和島根は

     右の一首は、内相藤原朝臣まをしたまふ。


十二月しはすの十八日、大監物三形王の宅にて、宴する歌三首

4488 み雪降る冬は今日のみ鴬の鳴かむ春へは明日にしあるらし

     右の一首は、主人三形王。

4489 打ち靡く春を近みかぬば玉の今宵の月夜霞みたるらむ

     右の一首は、大蔵大輔おほくらのつかさのおほきすけ甘南備かむなびの伊香いかごの真人。

4490 あら玉の年往き還り春立たばまづ我が屋戸に鴬は鳴け

     右の一首は、右中弁みぎのなかのおほともひ大伴宿禰家持。

4491 大き海の水底みなそこ深く思ひつつ裳引きならしし菅原の里

     右の一首は、藤原宿奈麿朝臣が石川女郎いしかはのいらつめが、

     薄愛離別したしみおとろへてのち悲恨かなしみてよめる歌なり。年月未詳。


二十三日、治部少輔大原今城真人が宅にて、宴する歌一首

4492 月めばいまだ冬なりしかすがに霞たなびく春立ちぬとか

     右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。


二年ふたとせといふとし春正月むつきの三日、侍従おもとひと堅子ちひさわらは王臣等おほきみたちおみたちを召して、内裏おほうちひむかしの屋の垣下みかきもとさもらはしめ、玉箒たまばはきを賜ひて肆宴きこしめす。時に内相藤原朝臣みことのりうけたまはりて、のりたまはく、諸王卿等おほきみたちまへつきみたち随堪任意こころのまにま歌よみふみつくれとのりたまへり。かれ詔旨みことのりのまにま、おのもおのも心緒おもひべて歌よみふみつくれり。諸人ノ賦レル詩マタ作メル歌ヲ得ズ。

4493 初春の初子はつねの今日の玉箒たまばはき手に取るからに揺らく玉の緒

     右の一首は、右中弁みぎのなかのおほともひ大伴宿禰家持がよめる。

     但し大蔵おほくらのつかさまつりごとに依りて、えまをさざりき。

4494 水鳥の鴨のの色の青馬を今日見る人は限りなしといふ

     右の一首は、七日の侍宴とよのあかりの為に、右中弁大伴宿禰

     家持、此の歌をあらかじめよめり。但し仁王おがみの事に

     依り、六日むかのひ内裏おほうち諸王もろもろのおほきみたち卿等まへつきみたちを召し

     て、酒を賜ひ肆宴とよのあかりきこしめし、もの給へるに因りて

     奏さざりき。


六日、内庭おほにはに仮に樹木を植ゑて、林帷かきしろて、肆宴きこしめす歌一首

4495 打ち靡く春ともしるく鴬は植木の木間こまを鳴き渡らなむ

     右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。未奏。


二月の某日それのひ式部大輔のりのつかさのおほきすけ中臣清麿朝臣が宅にて、宴する歌十首とを

4496 恨めしく君はもあるか屋戸の梅の散り過ぐるまで見しめずありける

     右の一首は、治部少輔大原今城真人。

4497 見むと言はばいなと言はめや梅の花散り過ぐるまて君が来まさぬ

     右の一首は、主人中臣清麿朝臣。

4498 しきよし今日の主人あろじは磯松の常にいまさね今も見るごと

     右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。

4499 我が背子しかくし聞こさば天地の神をみ長くとそ思ふ

     右の一首は、主人あろじ中臣清麿朝臣。

4500 梅の花香をかぐはしみ遠けども心もしぬに君をしそ思ふ

     右の一首は、治部大輔をさむるつかさのおほきすけ市原王いちはらのおほきみ

4501 八千種の花は移ろふ常盤ときはなる松のさ枝を我は結ばな

     右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。

4502 梅の花咲き散る春の長き日を見れども飽かぬ磯にもあるかも

     右の一首は、大蔵大輔甘南備伊香真人。

4503 君が家の池の白波磯に寄せしばしば見とも飽かむ君かも

     右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。

4504 うるはしとふ君はいや日日ひけに来ませ我が背子絶ゆる日なしに

     右の一首は、主人中臣清麿朝臣。

4505 磯の裏に常呼び来棲む鴛鴦をしどりの惜しきが身は君がまにまに

     右の一首は、治部少輔大原今城真人。


ときけて、おのもおのも高圓たかまと離宮処とつみやところしぬひてよめる歌五首

4506 高圓の野のうへの宮は荒れにけり立たしし君の御代遠そけば

     右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。

4507 高圓のうへの宮は荒れぬとも立たしし君の御名忘れめや

     右の一首は、治部少輔大原今城真人。

4508 高圓の野辺はふくずの末つひに千代に忘れむ我が大王かも

     右の一首は、主人中臣清麿朝臣。

4509 ふ葛の絶えず偲はむ大王のしし野辺にはしめ結ふべしも

     右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。

4510 大王の継ぎてすらし高圓の野辺見るごとにのみし泣かゆ

     右の一首は、大蔵大輔甘南備伊香真人。


山斎しまのいへ属目てよめる歌三首

4511 鴛鴦をしの棲む君がこの山斎しま今日見れば馬酔木あしびの花も咲きにけるかも

     右の一首は、大監物御方王みかたのおほきみ

4512 池水に影さへ見えて咲きにほふ馬酔木の花をそて扱入こきれな

     右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。

4513 磯影の見ゆる池水照るまでに咲ける馬酔木の散らまく惜しも

     右の一首は、大蔵大輔甘南備伊香真人。


二月の十日、内相の宅にて、渤海ぼかいに大使つかはすつかひのかみ小野田守たもりの朝臣うまのはなむけする宴の歌一首

4514 青海原あをうなはら風波なびき往くさつつむことなく船は速けむ

     右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。未誦之。


七月の五日、治部少輔大原今城真人が宅にて、因幡守いなばのかみ大伴宿禰家持をうまのはなむけする宴の歌一首

4515 秋風の末吹き靡く萩の花ともに挿頭かざさず相か別れむ

     右の一首は、大伴宿禰家持がよめる。


三年みとせといふとし春正月むつき一日つきたちのひ、因幡の国のまつりごととのにて、国郡司等つかさびとら賜饗あへする宴の歌一首

4516 あらたしき年の初めの初春の今日降る雪のいや吉事よごと

     右の一首は、かみ大伴宿禰家持がよめる。