函館なる郁雨宮崎大四郎君

同国の友文学士花明金田一京助君


この集を両君に捧ぐ。予はすでに予のすべてを両君の前に示しつくしたるものの如し。従つて両君はここに歌はれたる歌の一一につきて最も多く知るの人なるを信ずればなり。

また一本をとりて亡児真一に手向く。この集の稿本を書肆の手に渡したるは汝の生れたる朝なりき。この集の稿料は汝の薬餌となりたり。而してこの集の見本刷を予の閲したるは汝の火葬の夜なりき。

著者

〈[#改ページ]〉


明治四十一年夏以後の作一千余首中より五百五十一首を抜きてこの集に収む。集中五章、感興の来由するところ相ちかきをたづねて仮にわかてるのみ。「秋風のこころよさに」は明治四十一年秋の紀念なり。

〈[#改ページ]〉


我を愛する歌


東海とうかい小島こじまいそ白砂しらすな

われきぬれて

かにとたはむる


につたふ

なみだのごはず

一握いちあくの砂をしめしし人を忘れず


大海だいかいにむかひて一人ひとり

七八日ななやうか

泣きなむとすと家をでにき


いたくびしピストルでぬ

砂山すなやま

砂を指もてりてありしに


ひとさにあらしきたりてきづきたる

この砂山は

なにはかぞも


砂山の砂に腹這はらば

初恋の

いたみを遠くおもひづる日


砂山のすそによこたはる流木りうぼく

あたり見まはし

ものひてみる


いのちなき砂のかなしさよ

さらさらと

にぎれば指のあひだより落つ


しっとりと

なみだをへる砂の玉

なみだは重きものにしあるかな


だいという字を百あまり

砂に書き

死ぬことをやめて帰りきたれり


目さましてなほでぬ児のくせ

かなしき癖ぞ

母よとがむな


ひとくれの土によだれ

泣く母の肖顔にがほつくりぬ

かなしくもあるか


燈影ほかげなきしつに我あり

父と母

壁のなかよりつゑつきて


たはむれに母を背負せおひて

そのあまりかろきに泣きて

三歩あゆまず


飄然へうぜんと家をでては

飄然と帰りし癖よ

友はわらへど


ふるさとの父のせきするたび

咳のづるや

めばはかなし


わが泣くを少女等をとめらきかば

病犬やまいぬ

月にゆるに似たりといふらむ


何処いづくやらむかすかに虫のなくごとき

こころぼそさを

今日けふもおぼゆる


いと暗き

あなに心をはれゆくごとく思ひて

つかれて眠る


こころよく

我にはたらく仕事あれ

それを仕遂しとげて死なむと思ふ


こみへる電車のすみ

ちぢこまる

ゆふべゆふべの我のいとしさ


浅草あさくさのにぎはひに

まぎれ

まぎれしさびしき心


愛犬あいけんの耳りてみぬ

あはれこれも

物にみたる心にかあらむ


かがみとり

あたふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ

泣ききし時


なみだなみだ

不思議なるかな

それをもてあらへば心おどけたくなれり


あきれたる母の言葉に

気がつけば

茶碗ちやわんはしもてたたきてありき


草に

おもふことなし

わがぬかふんして鳥は空に遊べり


わがひげ

下向くくせがいきどほろし

このごろにくき男に似たれば


森の奥より銃声じうせい聞ゆ

あはれあはれ

みづから死ぬる音のよろしさ


大木たいぼくみきに耳あて

小半日こはんにち

かたき皮をばむしりてありき


「さばかりの事に死ぬるや」

「さばかりの事に生くるや」

せ止せ問答


まれにある

このたひらなる心には

時計の鳴るもおもしろく


ふと深き怖れを覚え

ぢっとして

やがて静かにほそをまさぐる


高山たかやまのいただきに登り

なにがなしに帽子ばうしをふりて

くだり来しかな


何処どこやらに沢山たくさんの人があらそひて

くじくごとし

われも引きたし


いかる時

かならずひとつはち

九百九十九くひやくくじふく割りて死なまし


いつもふ電車の中の小男こをとこ

かどあるまなこ

このごろ気になる


鏡屋かがみやの前に来て

ふと驚きぬ

見すぼらしげにあゆむものかも


なにとなく汽車に乗りたく思ひしのみ

汽車をりしに

ゆくところなし


空家あきや

煙草たばこのみたることありき

あはれただ一人たきばかりに


何がなしに

さびしくなればてあるく男となりて

三月みつきにもなれり


やはらかに積れる雪に

てるうづむるごとき

恋してみたし


かなしきは

くなき利己りこの一念を

持てあましたる男にありけり


手も足も

へやいっぱいに投げして

やがて静かに起きかへるかな


百年ももとせの長き眠りのめしごと

呿呻あくびしてまし

思ふことなしに


うでみて

このごろ思ふ

おほいなるてき目の前にをどでよと


手が白く

だいなりき

非凡ひぼんなる人といはるる男に会ひしに


こころよく

人をめてみたくなりにけり

利己りこの心にめるさびしさ


雨降れば

わがいへの人たれも誰も沈める顔す

れよかし


高きより飛びおりるごとき心もて

この一生を

終るすべなきか


この日頃

ひそかに胸にやどりたるくいあり

われを笑はしめざり


へつらひを聞けば

腹立はらだつわがこころ

あまりに我を知るがかなしき


知らぬいへたたき起して

るがおもしろかりし

昔の恋しさ


非凡ひぼんなる人のごとくにふるまへる

のちのさびしさは

なににかたぐへむ


おほいなる彼の身体からだ

にくかりき

その前にゆきて物を言ふ時


実務には役に立たざるうたびと

我を見る人に

金借りにけり


遠くより笛のきこゆ

うなだれてあるゆゑやらむ

なみだ流るる


それもよしこれもよしとてある人の

その気がるさを

しくなりたり


死ぬことを

持薬ぢやくをのむがごとくにも我はおもへり

心いためば


路傍みちばたに犬ながながと呿呻あくびしぬ

われも真似まねしぬ

うらやましさに


真剣になりて竹もて犬を

小児せうにの顔を

よしと思へり


ダイナモの

重きうなりのここちよさよ

あはれこのごとく物を言はまし


剽軽へうきんさがなりし友の死顔の

青き疲れが

いまも目にあり


気の変る人につかへて

つくづくと

わが世がいやになりにけるかな


りようのごとくむなしき空にをどでて

消えゆく煙

見ればかなく


こころよき疲れなるかな

息もつかず

仕事をしたるのちのこの疲れ


空寝入そらねいり生呿呻なまあくびなど

なぜするや

思ふこと人にさとらせぬため


はしめてふっと思ひぬ

やうやくに

世のならはしに慣れにけるかな


朝はやく

婚期こんきを過ぎし妹の

恋文こひぶみめけるふみを読めりけり


しっとりと

水をひたる海綿かいめん

重さに似たる心地ここちおぼゆる


死ね死ねとおのれいか

もだしたる

心の底の暗きむなしさ


けものめく顔あり口をあけたてす

とのみ見てゐぬ

人の語るを


親と子と

はなればなれの心もて静かにむか

気まづきや


かの船の

かの航海の船客せんかくの一人にてありき

死にかねたるは


目の前の菓子皿くわしざらなどを

かりかりとみてみたくなりぬ

もどかしきかな


よく笑ふ若き男の

死にたらば

すこしはこの世さびしくもなれ


何がなしに

いききれるまでしてみたくなりたり

草原くさはらなどを


あたらしき背広など着て

旅をせむ

しかく今年ことしも思ひ過ぎたる


ことさらに燈火ともしびを消して

まぢまぢと思ひてゐしは

わけもなきこと


浅草の凌雲閣りよううんかくのいただきに

腕組みし日の

長き日記にきかな


尋常じんじやうのおどけならむや

ナイフ持ち死ぬまねをする

その顔その顔


こそこその話がやがて高くなり

ピストル鳴りて

人生終る


時ありて

子供のやうにたはむれす

恋ある人のなさぬわざかな


とかくして家をづれば

日光のあたたかさあり

息ふかく吸ふ


つかれたる牛のよだれは

たらたらと

千万年も尽きざるごとし


路傍みちばた切石きりいしの上に

みて

空を見上ぐる男ありたり


何やらむ

おだやかならぬ目付めつきして

鶴嘴つるはしを打つ群を見てゐる


心より今日けふは逃げ去れり

やまひあるけもののごとき

不平逃げ去れり


おほどかの心来れり

あるくにも

腹に力のたまるがごとし


ただひとり泣かまほしさに

来て寝たる

宿屋やどや夜具やぐのこころよさかな


友よさは

乞食こじきいやしさいとふなかれ

ゑたる時は我もしかりき


新しきインクのにほひ

せんけば

餓ゑたる腹にむがかなしも


かなしきは

のどのかわきをこらへつつ

夜寒よざむの夜具にちぢこまる時


一度でも我に頭を下げさせし

人みな死ねと

いのりてしこと


我に似し友の二人ふたり

一人は死に

一人はらうでて今


あまりある才をいだきて

妻のため

おもひわづらふ友をかなしむ


打明けて語りて

何かそんをせしごとく思ひて

友とわかれぬ


どんよりと

くもれる空を見てゐしに

人を殺したくなりにけるかな


人並ひとなみさいに過ぎざる

わが友の

深き不平もあはれなるかな


たれが見てもとりどころなき男来て

威張ゐばりて帰りぬ

かなしくもあるか


はたらけど

はたらけどなほわが生活くらし楽にならざり

ぢっと手を見る


何もかも行末ゆくすゑの事みゆるごとき

このかなしみは

ぬぐひあへずも


とある日に

酒をのみたくてならぬごとく

今日けふわれせちかねりせり


水晶すゐしやうの玉をよろこびもてあそぶ

わがこの心

なにの心ぞ


事もなく

つこころよくえてゆく

わがこのごろの物足らぬかな


大いなる水晶の玉を

ひとつ

それにむかひて物を思はむ


うぬるる友に

合槌あひづちうちてゐぬ

施与ほどこしをするごとき心に


ある朝のかなしき夢のさめぎはに

鼻に

味噌みそ


こつこつと空地あきちに石をきざむ音

耳につき

いへるまで


何がなしに

あたまのなかにがけありて

日毎ひごとに土のくづるるごとし


遠方ゑんぱうに電話のりんの鳴るごとく

今日けふも耳鳴る

かなしき日かな


あかじみしあはせえり

かなしくも

ふるさとの胡桃くるみくるにほひす


死にたくてならぬ時あり

はばかりに人目をけて

こはき顔する


一隊の兵を見送りて

かなしかり

なにぞ彼等のうれひげなる


邦人くにびとの顔たへがたくいやしげに

目にうつる日なり

家にこもらむ


この次の休日やすみに一日寝てみむと

思ひすごしぬ

三年みとせこのかた


或る時のわれのこころを

焼きたての

麺麭ぱんに似たりと思ひけるかな


たんたらたらたんたらたらと

雨滴あまだれ

痛むあたまにひびくかなしさ


ある日のこと

へや障子しやうじをはりかへぬ

その日はそれにて心なごみき


かうしてはられずと思ひ

立ちにしが

戸外おもてに馬のいななきしまで


気ぬけして廊下らうかに立ちぬ

あららかにドアせしに

すぐきしかば


ぢっとして

黒はた赤のインク吸ひ

堅くかわける海綿かいめんを見る


たれが見ても

われをなつかしくなるごとき

長き手紙を書きたきゆふべ


うすみどり

飲めば身体からだが水のごときとほるてふ

薬はなきか


いつもにらむラムプにきて

三日みかばかり

蝋燭らふそくの火にしたしめるかな


人間のつかはぬ言葉

ひょっとして

われのみ知れるごとく思ふ日


あたらしき心もとめて

名も知らぬ

街など今日けふもさまよひて


友がみなわれよりえらく見ゆる日よ

花を買ひ

つまとしたしむ


なにすれば

此処ここに我ありや

時にかく打驚うちおどろきてへやを眺むる


人ありて電車のなかにつば

それにも

心いたまむとしき


夜明けまであそびてくらす場所が

いへをおもへば

こころつめたし


人みながいへを持つてふかなしみよ

墓にるごとく

かへりて眠る


何かひとつ不思議を示し

人みなのおどろくひまに

消えむと思ふ


人といふ人のこころに

一人づつ囚人しうじんがゐて

うめくかなしさ


しかられて

わっと泣きす子供心

その心にもなりてみたきかな


盗むてふことさへしと思ひえぬ

心はかなし

かくれもなし


はなたれし女のごときかなしみを

よわき男の

かんずる日なり


庭石にはいし

はたと時計をなげうてる

昔のわれのいかりいとしも


顔あかめいかりしことが

あくる日は

さほどにもなきをさびしがるかな


いらだてる心よなれはかなしかり

いざいざ

すこし呿呻あくびなどせむ


女あり

わがいひつけにそむかじと心をくだ

見ればかなしも


ふがひなき

わがもと女等をんなら

秋雨あきさめにののしりしかな


男とうまれ男とまじ

負けてをり

かるがゆゑにや秋が身に


わがいだく思想はすべて

かねなきにいんするごとし

秋の風吹く


くだらない小説を書きてよろこべる

あはれなり

初秋はつあきの風


秋の風

今日けふよりはのふやけたる男に

口をかじと思ふ


はても見えぬ

真直ますぐの街をあゆむごとき

こころを今日は持ちえたるかな


何事も思ふことなく

いそがしく

暮らせし一日ひとひを忘れじと思ふ


何事も金金かねかねとわらひ

すこし

またもにはかに不平つのり


われ

ピストルにてもてよかし

伊藤のごとく死にて見せなむ


やとばかり

かつら首相に手とられし夢みてめぬ

秋の夜の二時



やまひのごと

思郷しきやうのこころく日なり

目にあをぞらのけむりかなしも


おのが名をほのかに呼びて

涙せし

十四じふしの春にかへるすべなし


青空に消えゆく煙

さびしくも消えゆく煙

われにし似るか


かの旅の汽車の車掌しやしやう

ゆくりなくも

我が中学の友なりしかな


ほとばしる喞筒ポンプの水の

心地ここちよさよ

しばしは若きこころもて見る


師も友も知らでめにき

なぞに似る

わが学業のおこたりのもと


教室の窓よりげて

ただ一人

かの城址しろあとに寝に行きしかな


不来方こずかたのお城の草に寝ころびて

空に吸はれし

十五じふごの心


かなしみといはばいふべき

物のあぢ

我のめしはあまりに早かり


晴れし空あふげばいつも

口笛を吹きたくなりて

吹きてあそびき


夜寝ても口笛吹きぬ

口笛は

十五の我の歌にしありけり


よくしかる師ありき

ひげの似たるより山羊やぎと名づけて

口真似もしき


われととも

小鳥に石を投げて遊ぶ

後備大尉こうびたいゐの子もありしかな


城址しろあと

石に腰掛こしか

禁制のをひとりあぢはひしこと


そののちに我を捨てし友も

あの頃は共に書読ふみよ

ともに遊びき


学校の図書庫としよぐらの裏の秋の草

なる花咲きし

今も名知らず


花散れば

づ人さきに白のふくいへづる

我にてありしか


今は亡き姉の恋人のおとうとと

なかよくせしを

かなしと思ふ


夏休みててそのまま

かへり

若き英語の教師もありき


ストライキ思ひでても

今はや吾が血をどらず

ひそかにさび


盛岡もりをかの中学校の

露台バルコン

欄干てすり最一度もいちど我をらしめ


神有りと言ひ張る友を

きふせし

かの路傍みちばたくりもと


西風に

内丸大路うちまるおほぢの桜の葉

かさこそ散るをみてあそびき


そのかみの愛読のしよ

大方おほかた

今は流行はやらずなりにけるかな


石ひとつ

坂をくだるがごとくにも

我けふの日に到り着きたる


うれひある少年せうねんの眼にうらやみき

小鳥の飛ぶを

飛びてうたふを


解剖ふわけせし

蚯蚓みみずのいのちもかなしかり

かの校庭の木柵もくさくもと


かぎりなき知識のよくに燃ゆる眼を

姉はいたみき

人恋ふるかと


蘇峯そほうしよを我にすすめし友早く

かう退しりぞきぬ

まづしさのため


おどけたる手つきをかしと

我のみはいつも笑ひき

博学の師を


さいに身をあやまちし人のこと

かたりきかせし

師もありしかな


そのかみの学校一のなまけ者

今は真面目まじめ

はたらきて


田舎ゐなかめく旅の姿を

三日みかばかり都にさら

かへる友かな


茨島ばらじまの松の並木の街道を

われと行きし少女をとめ

さいをたのみき


眼を病みて黒き眼鏡めがねをかけし頃

その頃よ

一人泣くをおぼえし


わがこころ

けふもひそかに泣かむとす

友みなおのが道をあゆめり


さきんじて恋のあまさと

かなしさを知りし我なり

先んじて


きようきたれば

友なみだれ手をりて

酔漢ゑひどれのごとくなりて語りき


人ごみの中をわけ

わが友の

むかしながらのふとつゑかな


見よげなる年賀のふみを書く人と

おもひ過ぎにき

三年みとせばかりは


夢さめてふっと悲しむ

わが眠り

昔のごとく安からぬかな


そのむかし秀才しうさいの名の高かりし

らうにあり

秋のかぜ吹く


近眼ちかめにて

おどけし歌をよみでし

茂雄しげをの恋もかなしかりしか


わが妻のむかしの願ひ

音楽のことにかかりき

今はうたはず


友はみな或日あるひ四方しはうに散りきぬ

そののち八年やとせ

げしもなし


わが恋を

はじめて友にうち明けしよるのことなど

思ひづる日


糸切れし紙鳶たこのごとくに

若き日の心かろくも

とびさりしかな



ふるさとのなまりなつかし

停車場ていしやばの人ごみの中に

そをきにゆく


やまひあるけもののごとき

わがこころ

ふるさとのこと聞けばおとなし


ふと思ふ

ふるさとにゐて日毎ひごときしすずめの鳴くを

三年みとせ聴かざり


くなれる師がその昔

たまひたる

地理の本など取りいでて見る


その昔

小学校の柾屋根まさやねに我が投げしまり

いかにかなりけむ


ふるさとの

かの路傍みちばたのすて石よ

今年も草にうづもれしらむ


わかれをればいもといとしも

赤き

下駄げたなどしとわめく子なりし


二日ふつか前に山の見しが

今朝けさになりて

にはかに恋しふるさとの山


飴売あめうりのチャルメラけば

うしなひし

をさなき心ひろへるごとし


このごろは

母も時時ときどきふるさとのことを言ひ

秋にれるなり


それとなく

郷里くにのことなど語りでて

秋のに焼くもちのにほひかな


かにかくに渋民村しぶたみむらは恋しかり

おもひでの山

おもひでの川


田もはたも売りて酒のみ

ほろびゆくふるさとびと

心寄する日


あはれかの我の教へし

子等こらもまた

やがてふるさとをててづるらむ


ふるさとをし子等の

相会あいあひて

よろこぶにまさるかなしみはなし


石をもて追はるるごとく

ふるさとをでしかなしみ

消ゆる時なし


やはらかに柳あをめる

北上きたかみ岸辺きしべ目に見ゆ

泣けとごとくに


ふるさとの

村医そんいの妻のつつましき櫛巻くしまきなども

なつかしきかな


かの村の登記所とうきしよに来て

はいみて

間もなく死にし男もありき


小学の首席を我とあらそひし

友のいとなむ

木賃宿きちんやどかな


千代治等ちよぢらちやうじて恋し

子をげぬ

わが旅にしてなせしごとくに


ある年のぼんの祭に

きぬさむ踊れと言ひし

女を思ふ


うすのろの兄と

不具かたはの父もてる三太さんたはかなし

よるふみ


我と共に

栗毛くりげ仔馬こうま走らせし

母の無き子の盗癖ぬすみぐせかな


大形おほがた被布ひふの模様の赤き花

今も目に見ゆ

六歳むつの日の恋


その名さへ忘られし頃

飄然へうぜんとふるさとに来て

せきせし男


意地悪いぢわる大工だいくの子などもかなしかり

いくさでしが

生きてかへらず


肺を病む

極道地主ごくだうぢぬし総領そうりやう

よめとりの日の春のらいかな


宗次郎そうじろ

おかねが泣きて口説くど

大根だいこんの花白きゆふぐれ


小心せうしんの役場の書記の

気のれしうはさに立てる

ふるさとの秋


わが従兄いとこ

野山のかりきしのち

酒のみいへ売りみて死にしかな


我ゆきて手をとれば

泣きてしづまりき

ひてあばれしそのかみの友


酒のめば

かたなをぬきて妻を教師けうしもありき

村をはれき


年ごとに肺病はいびやうやみのえてゆく

村に迎へし

若き医者かな


ほたるがり

川にゆかむといふ我を

山路やまぢにさそふ人にてありき


馬鈴薯ばれいしよのうす紫の花に

雨を思へり

みやこの雨に


あはれ我がノスタルジヤは

きんのごと

心に照れり清くしみらに


友として遊ぶものなき

性悪しやうわるの巡査の子等こら

あはれなりけり


閑古鳥かんこどり

鳴く日となればおこるてふ

友のやまひのいかになりけむ


わが思ふこと

おほかたはただしかり

ふるさとのたよりけるあした


今日聞けば

かのさちうすきやもめびと

きたなき恋に身をるるてふ


わがために

なやめるたまをしづめよと

讃美歌うたふ人ありしかな


あはれかの男のごときたましひよ

今は何処いづこ

何を思ふや


わが庭の白き躑躅つつじ

薄月うすづき

りゆきしことな忘れそ


わが村に

初めてイエス・クリストの道をきたる

若き女かな


霧ふかき好摩かうまはら

停車場の

朝の虫こそすずろなりけれ


汽車の窓

はるかに北にふるさとの山見えれば

えりただすも


ふるさとの土をわが踏めば

何がなしに足かろくなり

おもれり


ふるさとにりてづ心いたむかな

道広くなり

橋もあたらし


見もしらぬ女教師をんなけうし

そのかみの

わが学舎まなびやの窓に立てるかな


かのいへのかの窓にこそ

春の

秀子ひでことともにかはづきけれ


そのかみの神童しんどうの名の

かなしさよ

ふるさとに来て泣くはそのこと


ふるさとの停車場路ていしやばみち

川ばたの

胡桃くるみの下に小石ひろへり


ふるさとの山に向ひて

言ふことなし

ふるさとの山はありがたきかな


秋風のこころよさに


ふるさとの空とほみかも

たかにひとりのぼりて

うれひてくだ


かうとして玉をあざむく小人せうじん

あきといふに

物を思へり


かなしきは

秋風ぞかし

まれにのみきし涙のしじに流るる


青に

かなしみの玉にまくらして

松のひびきを夜もすがら


びし七山ななやまの杉

火のごとく染めて日りぬ

静かなるかな


そを読めば

うれひ知るといふふみける

いにしへびとの心よろしも


ものなべてうらはかなげに

暮れゆきぬ

とりあつめたる悲しみの日は


水潦みづたまり

暮れゆく空とくれなゐのひもを浮べぬ

秋雨あきさめのち


秋立つは水にかも似る

あらはれて

思ひことごと新しくなる


うれひ来て

丘にのぼれば

名も知らぬ鳥ついばめり赤きばら


秋のつじ

すぢのみちの三すぢへと吹きゆく風の

あと見えずかも


秋の声まづいち早く耳に

かかるさが持つ

かなしむべかり


目になれし山にはあれど

れば

神や住まむとかしこみて見る


わがさむこと世にきて

長き日を

かくしもあはれ物を思ふか


さらさらと雨落ちきた

庭のれゆくを見て

涙わすれぬ


ふるさとの寺の御廊みらう

みにける

小櫛をぐしてふを夢にみしかな


こころみに

いとけなき日の我となり

物言ひてみむ人あれと思ふ


はたはたときびの葉鳴れる

ふるさとの軒端のきばなつかし

秋風吹けば


れあへる肩のひまより

はつかにも見きといふさへ

日記にきに残れり


風流男みやびをは今も昔も

泡雪あわゆき

玉手たまでさしにしゆらし


かりそめに忘れても見まし

石だたみ

ふる草にうもるるがごと


その昔揺籃ゆりかごに寝て

あまたたび夢にみし人か

せちになつかし


神無月かみなづき

岩手いはての山の

初雪のまゆにせまりし朝を思ひぬ


ひでり雨さらさら落ちて

前栽せんざい

はぎのすこしくみだれたるかな


秋の空廓寥くわくれうとして影もなし

あまりにさびし

からすなど飛べ


雨後うごの月

ほどよくれし屋根瓦やねがはら

そのところどころ光るかなしさ


われゑてある日に

細き尾をりて

饑ゑて我を見る犬のつらよし


いつしかに

泣くといふこと忘れたる

我泣かしむる人のあらじか


汪然わうぜんとして

ああ酒のかなしみぞ我にきたれる

立ちてひなむ


いとど

そのかたはらの石にきよ

泣き笑ひしてひとり物言ふ


力なくみしころより

口すこしきてねむるが

くせとなりにき


人ひとりるに過ぎざる事をもて

大願たいぐわんとせし

若きあやまち


ずる

そのやはらかき上目うはめをば

づとことさらつれなくせむや


かくばかりあつき涙は

初恋の日にもありきと

泣く日またなし


長く長く忘れし友に

会ふごとき

よろこびをもて水の音


秋の夜の

鋼鉄はがねの色の大空に

火をく山もあれなど思ふ


岩手山いはてやま

秋はふもとの三方さんぱう

野に満つる虫をなにと聴くらむ


父のごと秋はいかめし

母のごと秋はなつかし

いへ持たぬ


れば

ふる心のいとまなさよ

もいがてにかり多く聴く


長月ながつきなかばになりぬ

いつまでか

かくも幼く打出うちいでずあらむ


思ふてふこと言はぬ人の

おくり

忘れなぐさもいちじろかりし


秋の雨に逆反さかぞりやすきゆみのごと

このごろ

君のしたしまぬかな


松の風夜昼よひるひびきぬ

はぬ山のほこら

石馬いしうまの耳に


ほのかなる朽木くちきかを

そがなかのたけの香りに

秋やや深し


時雨しぐれ降るごとき音して

木伝こづたひぬ

人によく似し森のさるども


森の奥

遠きひびきす

のうろにうすひく侏儒しゆじゆの国にかも


世のはじめ

まづ森ありて

半神はんしんの人そが中に火や守りけむ


はてもなく砂うちつづく

戈壁ゴビの野に住みたまふ神は

秋の神かも


あめつちに

わが悲しみと月光げつくわう

あまねき秋のとなれりけり


うらがなしき

よるの物のるを

ひろふがごとくさまよひきぬ


旅の子の

ふるさとにて眠るがに

げに静かにも冬のしかな


忘れがたき人人


しほかをる北の浜辺はまべ

砂山のかの浜薔薇はまなす

今年も咲けるや


たのみつる年の若さをかぞへみて

指を見つめて

旅がいやになりき


三度みたびほど

汽車の窓よりながめたる町の名なども

したしかりけり


函館はこだて床屋とこや弟子でし

おもひでぬ

らせるがこころよかりし


わがあとを追ひ

知れる人もなき

辺土へんどに住みし母と妻かな


船にひてやさしくなれる

いもうとの見ゆ

津軽つがるの海を思へば


目をぢて

傷心しやうしんの句をしてゐし

友の手紙のおどけ悲しも


をさなき時

橋の欄干らんかんくそりし

話も友はかなしみてしき


おそらくは生涯しやうがい妻をむかへじと

わらひし友よ

今もめとらず


あはれかの

眼鏡めがねふちをさびしげに光らせてゐし

女教師よ


友われにめしを与へき

その友にそむきし我の

さがのかなしさ


函館はこだて青柳町あをやぎちやうこそかなしけれ

友の恋歌こひうた

矢ぐるまの花


ふるさとの

麦のかをりをなつかしむ

女のまゆにこころひかれき


あたらしき洋書の紙の

をかぎて

一途いちづかねしと思ひしが


しらなみの寄せてさわげる

函館の大森浜おほもりはま

思ひしことども


朝な朝な

支那しな俗歌ぞくかをうたひづる

まくら時計をでしかなしみ


漂泊へうはくうれひをじよしてらざりし

草稿さうかうの字の

読みがたさかな


いくたびか死なむとしては

死なざりし

わがしかたのをかしく悲し


函館の臥牛ぐわぎうやま半腹はんぷく

漢詩からうた

なかば忘れぬ


むやむやと

口のうちにてたふとげの事をつぶや

乞食こじきもありき


とるに足らぬ男と思へと言ふごとく

山にりにき

神のごとき友


巻煙草まきたばこ口にくはへて

なみあらき

いその夜霧に立ちし女よ


演習のひまにわざわざ

汽車に乗りて

し友とのめる酒かな


大川おほかはの水のおもてを見るごとに

郁雨いくう

君のなやみを思ふ


智慧ちゑとその深き慈悲じひとを

もちあぐみ

すこともなく友は遊べり


こころざしぬ人人の

あつまりて酒のむ場所が

我が家なりしかな


かなしめば高く笑ひき

酒をもて

もんすといふ年上の友


若くして

数人すにんの父となりし友

子なきがごとくへばうたひき


さりげなき高き笑ひが

酒とともに

我がはらわたみにけらしな


呿呻あくび

夜汽車の窓に別れたる

別れが今は物足ものたらぬかな


雨に濡れし夜汽車の窓に

うつりたる

山間やまあひの町のともしびの色


雨つよく降る夜の汽車の

たえまなくしづく流るる

窓硝子まどガラスかな


真夜中の

倶知安駅くちあんえきりゆきし

女のびんの古ききずあと


札幌さつぽろ

かの秋われの持てゆきし

しかして今も持てるかなしみ


アカシヤの街樾なみきにポプラに

秋の風

吹くがかなしと日記にきに残れり


しんとして幅広きまち

秋の夜の

玉蜀黍たうもろこしの焼くるにほひよ


わが宿の姉といもとのいさかひに

初夜しよや過ぎゆきし

札幌の雨


石狩いしかり美国びくにといへる停車場の

さくしてありし

赤き布片きれかな


かなしきは小樽をたるの町よ

歌ふことなき人人の

声の荒さよ


泣くがごと首ふるはせて

手のさうを見せよといひし

易者えきしやもありき


いささかのぜにりてゆきし

わが友の

後姿うしろすがたかたの雪かな


世わたりのつたなきことを

ひそかにも

ほこりとしたる我にやはあらぬ


せしからだはすべて

謀叛気むほんぎのかたまりなりと

いはれてしこと


かの年のかの新聞の

初雪の記事を書きしは

我なりしかな


椅子いすをもて我をたむと身構みがまへし

かの友のひも

今はめつらむ


負けたるも我にてありき

あらそひのもとも我なりしと

今は思へり


なぐらむといふに

殴れとつめよせし

昔の我のいとほしきかな


なれ三度みたび

この咽喉のどけんしたりと

かれ告別こくべつに言へりけり


あらそひて

いたくにくみて別れたる

友をなつかしく思ふ日も


あはれかのまゆひいでし少年よ

弟と呼べば

はつかにみしが


わが妻に着物はせし友ありし

冬早く

植民地かな


平手ひらてもて

吹雪ふぶきにぬれし顔を

友共産を主義とせりけり


酒のめばおにのごとくに青かりし

大いなる顔よ

かなしき顔よ


樺太からふとりて

新しき宗教をはじめむといふ

友なりしかな


をさまれる世の事無ことなさに

きたりといひし頃こそ

かなしかりけれ


共同の薬屋開き

まうけむといふ友なりき

詐欺さぎせしといふ


あをじろきほほに涙を光らせて

死をば語りき

若き商人あきびと


子をひて

雪の吹きる停車場に

われ見送りし妻のまゆかな


敵として憎みし友と

やや長く手をばにぎりき

わかれといふに


ゆるぎづる汽車の窓より

ひとさきに顔を引きしも

けざらむため


みぞれ降る

石狩いしかりの野の汽車に読みし

ツルゲエネフの物語かな


わが去れるのちうはさ

おもひやる旅出たびではかなし

死ににゆくごと


わかれてふとまたたけば

ゆくりなく

つめたきものの頬をつたへり


忘れ煙草たばこを思ふ

ゆけどゆけど

山なほ遠き雪の野の汽車


うすあかく雪に流れて

入日影いりひかげ

曠野あらのの汽車の窓をてらせり


腹すこしいたでしを

しのびつつ

長路ちやうろの汽車にのむ煙草たばこかな


乗合のりあひ砲兵士官はうへいしくわん

剣のさや

がちゃりと鳴るに思ひやぶれき


名のみ知りてえんもゆかりもなき土地の

宿屋やどや安けし

我がいへのごと


つれなりしかの代議士の

口あける青き寐顔ねがほ

かなしと思ひき


今夜こそ思ふ存分ぞんぶん泣いてみむと

とまりし宿屋の

茶のぬるさかな


水蒸気

列車の窓に花のごとてしをむる

あかつきの色


ごおと鳴るこがらしのあと

かわきたる雪舞ひ立ちて

林をつつめり


空知川そらちがは雪にうもれて

鳥も見えず

岸辺きしべの林に人ひとりゐき


寂莫せきばくを敵とし友とし

雪のなかに

長き一生を送る人もあり


いたく汽車に疲れてなほ

きれぎれに思ふは

我のいとしさなりき


うたふごと駅の名呼びし

柔和にうわなる

若き駅夫えきふの眼をも忘れず


雪のなか

処処しよしよに屋根見えて

煙突えんとつけむりうすくも空にまよへり


遠くより

ふえながながとひびかせて

汽車今とある森林に


何事も思ふことなく

日一日ひいちにち

汽車のひびきに心まかせぬ


さいはての駅にり立ち

雪あかり

さびしき町にあゆみりにき


しらしらと氷かがやき

千鳥なく

釧路くしろの海の冬の月かな


こほりたるインクのびん

火にかざ

涙ながれぬともしびのもと


顔とこゑ

それのみ昔に変らざる友にも会ひき

国のはてにて


あはれかの国のはてにて

酒のみき

かなしみのをりすするごとくに


酒のめば悲しみ一時にるを

て夢みぬを

うれしとはせし


しぬけの女の笑ひ

身にみき

くりやに酒のこほる真夜中


わがひに心いためて

うたはざる女ありしが

いかになれるや


小奴こやつこといひし女の

やはらかき

耳朶みみたぼなども忘れがたかり


よりそひて

深夜しんやの雪の中に立つ

女の右手めてのあたたかさかな


死にたくはないかと言へば

これ見よと

咽喉のんどきずを見せし女かな


芸事げいごとも顔も

かれよりすぐれたる

女あしざまに我を言へりとか


へといへば立ちて舞ひにき

おのづから

悪酒あくしゆひにたふるるまでも


死ぬばかり我がふをまちて

いろいろの

かなしきことをささやきし人


いかにせしと言へば

あをじろきひざめの

おもてひてみをつくりき


かなしきは

かの白玉しらたまのごとくなる腕に残せし

キスのあとかな


ひてわがうつむく時も

水ほしとひらく時も

呼びし名なりけり


火をしたふ虫のごとくに

ともしびの明るきいへ

かよひれにき


きしきしと寒さに踏めばいたきし

かへりの廊下の

不意のくちづけ


そのひざまくらしつつも

我がこころ

思ひしはみな我のことなり


さらさらと氷のくづ

波に鳴る

磯の月夜のゆきかへりかな


死にしとかこのごろ聞きぬ

恋がたき

さいあまりある男なりしが


十年ととせまへに作りしといふ漢詩からうた

へばとなへき

旅にいし友


吸ふごとに

鼻がぴたりとこほりつく

寒き空気を吸ひたくなりぬ


波もなき二月のわん

白塗しろぬり

外国船が低く浮かべり


三味線さみせんいとのきれしを

火事のごと騒ぐ子ありき

大雪の


神のごと

遠く姿をあらはせる

阿寒あかんの山の雪のあけぼの


郷里くににゐて

身投げせしことありといふ

女の三味さみにうたへるゆふべ


葡萄色えびいろ

古き手帳にのこりたる

かの会合あひびきの時とところかな


よごれたる足袋たび穿く時の

気味きみわるき思ひに似たる

思出おもひでもあり


わがへやに女泣きしを

小説のなかの事かと

おもひづる日


浪淘沙らうたうさ

ながくも声をふるはせて

うたふがごとき旅なりしかな



いつなりけむ

夢にふときてうれしかりし

その声もあはれ長く聴かざり


の寒き

流離りうりの旅の人として

みちふほどのこと言ひしのみ


さりげなく言ひし言葉は

さりげなく君も聴きつらむ

それだけのこと


ひややかに清き大理石なめいし

春の日の静かに照るは

かかる思ひならむ


世の中の明るさのみを吸ふごとき

黒きひとみ

今も目にあり


かの時に言ひそびれたる

大切の言葉は今も

胸にのこれど


真白ましろなるラムプのかさ

きずのごと

流離の記憶消しがたきかな


函館はこだてのかの焼跡やけあとを去りし

こころ残りを

今も残しつ


人がいふ

びんのほつれのめでたさを

物書く時の君に見たりし


馬鈴薯ばれいしよの花咲く頃と

なれりけり

君もこの花を好きたまふらむ


山の子の

山を思ふがごとくにも

かなしき時は君を思へり


忘れをれば

ひょっとした事が思ひ出のたねにまたなる

忘れかねつも


むと聞き

えしと聞きて

四百里しひやくりのこなたに我はうつつなかりし


君に似し姿をまちに見る時の

こころをどりを

あはれと思へ


かの声を最一度もいちどかば

すっきりと

胸やれむと今朝けさも思へる


いそがしき生活くらしのなかの

時折ときおりのこの物おもひ

たれのためぞも


しみじみと

物うち語る友もあれ

君のことなど語りでなむ


死ぬまでに一度会はむと

言ひやらば

君もかすかにうなづくらむか


時として

君を思へば

安かりし心にはかに騒ぐかなしさ


わかれとしを重ねて

としごとに恋しくなれる

君にしあるかな


石狩いしかりみやこの外の

君が家

林檎りんごの花の散りてやあらむ


長きふみ

三年みとせのうちに三度みたび

我の書きしは四度よたびにかあらむ


手套を脱ぐ時


手套てぶくろぐ手ふと

何やらむ

こころかすめし思ひ出のあり


いつしかに

じやうをいつはること知りぬ

ひげを立てしもその頃なりけむ


朝の湯の

湯槽ゆぶねのふちにうなじ

ゆるくいきする物思ひかな


れば

うがひ薬の

やまひある歯にむ朝のうれしかりけり


つくづくと手をながめつつ

おもひでぬ

キスが上手じやうずの女なりしが


さびしきは

色にしたしまぬ目のゆゑと

赤き花など買はせけるかな


新しき本を買ひ来て読む夜半よは

そのたのしさも

長くわすれぬ


たび七日なのか

かへりぬれば

わが窓の赤きインクのみもなつかし


古文書こもんじよのなかに見いでし

よごれたる

吸取紙すひとりがみをなつかしむかな


手にためし雪のくるが

ここちよく

わが寐飽ねあきたる心には


薄れゆく障子しやうじ日影ひかげ

そを見つつ

こころいつしか暗くなりゆく


ひやひやと

夜は薬ののにほふ

医者が住みたるあとのいへかな


窓硝子まどガラス

ちりと雨とにくもりたる窓硝子にも

かなしみはあり


六年むとせほど日毎日毎ひごとひごとにかぶりたる

古き帽子も

てられぬかな


こころよく

春のねむりをむさぼれる

目にやはらかき庭の草かな


赤煉瓦あかれんぐわ遠くつづける高塀たかべい

むらさきに見えて

春の日ながし


春の雪

銀座の裏の三階の煉瓦づくり

やはらかに降る


よごれたる煉瓦の壁に

降りてけ降りては融くる

春の雪かな


目をめる

若き女のりかかる

窓にしめやかに春の雨降る


あたらしき木のかをりなど

ただよへる

新開町しんかいまちの春の静けさ


春のまち

見よげに書ける女名をんなな

門札かどふだなどを読みありくかな


そことなく

蜜柑みかんの皮の焼くるごときにほひ残りて

ゆふべとなりぬ


にぎはしき若き女の集会あつまり

こゑみて

さびしくなりたり


何処どこやらに

若き女の死ぬごときなやましさあり

春のみぞれ降る


コニャックのひのあとなる

やはらかき

このかなしみのすずろなるかな


白きさら

きてはたなかさねゐる

酒場のすみのかなしき女


乾きたる冬の大路おほぢ

何処いづくやらむ

石炭酸せきたんさんのにほひひそめり


赤赤あかあか入日いりひうつれる

河ばたの酒場の窓の

白き顔かな


新しきサラドのさら

のかをり

こころにみてかなしきゆふべ


空色そらいろびんより

山羊やぎの乳をつぐ

手のふるひなどいとしかりけり


すがた見の

いきのくもりに消されたる

ひうるみのまみのかなしさ


ひとしきり静かになれる

ゆふぐれの

くりやにのこるハムのにほひかな


ひややかにびんのならべるたなの前

せせる女を

かなしとも見き


やや長きキスをかはして別れ

深夜の街の

遠き火事かな


病院の窓のゆふべの

ほのじろき顔にありたる

あは見覚みおぼ


何時いつなりしか

かの大川おほかは遊船いうせん

ひし女をおもひにけり


用もなきふみなど長く書きさして

ふと人こひし

街にてゆく


しめらへる煙草たばこを吸へば

おほよその

わが思ふこともかろくしめれり


するどくも

夏のきたるを感じつつ

雨後うご小庭こにはの土の


すずしげにかざり立てたる

硝子屋ガラスやの前にながめし

夏の夜の月


君来るといふにく起き

白シャツの

そでのよごれを気にする日かな


おちつかぬ我が弟の

このごろの

眼のうるみなどかなしかりけり


どこやらにくひ打つ音し

大桶おほをけをころがす音し

雪ふりいでぬ


人気ひとけなきの事務室に

けたたましく

電話のりんの鳴りて止みたり


目さまして

ややありて耳にきた

真夜中すぎの話声かな


見てをれば時計とまれり

吸はるるごと

心はまたもさびしさに


朝朝あさあさ

うがひのしろ水薬すゐやく

びんがつめたき秋となりにけり


なだらかに麦の青める

丘の根の

小径こみちに赤き小櫛をぐしひろへり


裏山の杉生すぎふのなかに

まだらなる日影ひかげ

秋のひるすぎ


港町

とろろと鳴きて輪を描くとびあつせる

しほぐもりかな


小春日こはるび曇硝子くもりガラスにうつりたる

鳥影とりかげを見て

すずろに思ふ


ひとならび泳げるごとき

家家いへいへ高低たかひくのき

冬の日の舞ふ


京橋の滝山町たきやまちやう

新聞社

ともる頃のいそがしさかな


よくいかる人にてありしわが父の

日ごろいからず

怒れと思ふ


あさ風が電車のなかに吹きれし

やなぎのひと葉

手にとりて見る


ゆゑもなく海が見たくて

海に来ぬ

こころいたみてたへがたき日に


たひらなる海につかれて

そむけたる

目をかきみだす赤きおびかな


今日ひし町の女の

どれもどれも

恋にやぶれて帰るごとき日


汽車の旅

とある野中のなかの停車場の

夏草ののなつかしかりき


朝まだき

やっとひし初秋はつあき旅出たびでの汽車の

かた麺麭ぱんかな


かの旅の夜汽車の窓に

おもひたる

我がゆくすゑのかなしかりしかな


ふと見れば

とある林の停車場の時計とまれり

雨のの汽車


わかれ

燈火あかり小暗をぐらき夜の汽車の窓にもてあそ

青き林檎りんご


いつも

この酒肆さかみせのかなしさよ

ゆふ日赤赤あかあかと酒に


白き蓮沼はすぬまに咲くごとく

かなしみが

ひのあひだにはっきりと浮く


かべごしに

若き女の泣くをきく

旅の宿屋の秋の蚊帳かやかな


取りいでし去年こぞあはせ

なつかしきにほひ身に

初秋はつあきの朝


気にしたる左のひざの痛みなど

いつかなほりて

秋の風吹く


売り売りて

手垢てあかきたなきドイツ語の辞書のみ残る

夏の末かな


ゆゑもなくにくみし友と

いつしかに親しくなりて

秋の暮れゆく


赤紙あかがみの表紙手擦てずれし

国禁こくきん

ふみ行李かうりの底にさがす日


売ることを差しめられし

本の著者に

みちにて会へる秋の朝かな


今日よりは

我も酒などあふらむと思へる日より

秋の風吹く


大海だいかい

その片隅かたすみにつらなれる島島しまじまの上に

秋の風吹く


うるみたる目と

目の下の黒子ほくろのみ

いつも目につく友の妻かな


いつ見ても

毛糸の玉をころがして

くつしたむ女なりしが


葡萄色えびいろ

長椅子ながいすの上に眠りたる猫ほのじろ

秋のゆふぐれ


ほそぼそと

其処そこ此処ここらに虫の鳴く

昼の野に来て読む手紙かな


よるおそく戸をりをれば

白きもの庭を走れり

犬にやあらむ


夜の二時の窓の硝子ガラス

うすあか

染めて音なき火事の色かな


あはれなる恋かなと

ひとりつぶやきて

夜半よは火桶ひをけすみへにけり


真白ましろなるラムプのかさ

手をあてて

寒き夜にする物思ひかな


水のごと

身体からだをひたすかなしみに

ねぎなどのまじれるゆふべ


時ありて

猫のまねなどして笑ふ

三十路みそぢの友のひとりみかな


気弱きよわなる斥候せきこうのごとく

おそれつつ

深夜の街を一人散歩す


皮膚ひふがみな耳にてありき

しんとして眠れるまち

重き靴音


よるおそく停車場に

立ちすわ

やがてでゆきぬばうなき男


気がつけば

しっとりと夜霧りて

ながくも街をさまよへるかな


しあらば煙草たばこめぐめと

寄りて

あとなしびとと深夜に語る


曠野あらのより帰るごとくに

帰り

東京のをひとりあゆみて


銀行の窓の下なる

舗石しきいししもにこぼれし

青インクかな


ちょんちょんと

とある小藪こやぶ頬白ほほじろの遊ぶを眺む

雪のみち


十月の朝の空気に

あたらしく

ひそめし赤坊あかんぼのあり


十月の産病院の

しめりたる

長き廊下のゆきかへりかな


むらさきのそでれて

空を見上げゐる支那しな人ありき

公園の午後


孩児をさなごの手ざはりのごとき

思ひあり

公園に来てひとりあゆめば


ひさしぶりに公園に来て

友に会ひ

かたく手握り口疾くちどに語る


公園の

小鳥あそべるを

ながめてしばしいこひけるかな


晴れし日の公園に来て

あゆみつつ

わがこのごろのおとろへを知る


思出のかのキスかとも

おどろきぬ

プラタヌの葉の散りてれしを


公園のすみのベンチに

二度ばかり見かけし男

このごろ見えず


公園のかなしみよ

君のとつぎてより

すでに七月ななつきしこともなし


公園のとある木蔭こかげ捨椅子すていす

思ひあまりて

身をば寄せたる


忘られぬ顔なりしかな

今日まち

捕吏ほりにひかれてめる男は


マチれば

二尺ばかりの明るさの

中をよぎれる白きのあり


目をとぢて

口笛かすかに吹きてみぬ

られぬ夜の窓にもたれて


わが友は

今日も母なき子を負ひて

かの城址しろあとにさまよへるかな


よるおそく

つとめ先よりかへり

今死にしてふけるかな


二三ふたみこゑ

いまはのきはにかすかにも泣きしといふに

なみださそはる


真白ましろなる大根の根のゆる頃

うまれて

やがて死にしのあり


おそ秋の空気を

三尺四方さんじやくしはうばかり

吸ひてわが児の死にゆきしかな


死にし児の

胸に注射の針を刺す

医者の手もとにあつまる心


底知れぬなぞむかひてあるごとし

死児しじのひたひに

またも手をやる


かなしみのつよくいたらぬ

さびしさよ

わが児のからだえてゆけども


かなしくも

くるまでは残りゐぬ

いききれし児のはだのぬくもり

 

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。