マルコ傳福音書 (文語訳)

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w:舊新約聖書 [文語]』w:日本聖書協会、1950年

w:大正改訳聖書

マルコ傳福音書

第1章

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神の子イエス、キリストの福音の始。

預言者イザヤの書に、

『視よ、我なんぢの顏の前に、わが使を遣す、
彼なんぢの道を設くべし。

荒野に呼はる者の聲す、

「主の道を備へ、その路すぢを直くせよ」』と録されたる如く、

バプテスマのヨハネ出で、荒野にて罪の赦を得さする悔改のバプテスマを宣傳ふ。

ユダヤ全國またエルサレムの人々、みな其の許に出で來りて罪を言ひあらはし、ヨルダン川にてバプテスマを受けたり。

ヨハネは駱駝の毛織を著、腰に皮の帶して、蝗と野蜜とを食へり。

かれ宣傳へて言ふ『我よりも力ある者、わが後に來る。我は屈みてその鞋の紐をとくにも足らず、

我は水にて汝らにバプテスマを施せり。されど彼は聖靈にてバプテスマを施さん』

その頃イエス、ガリラヤのナザレより來り、ヨルダンにてヨハネよりバプテスマを受け給ふ。

かくて水より上るをりしも、天さけゆき、御靈、鴿のごとく己に降るを見給ふ。

かつ天より聲出づ『なんぢは我が愛しむ子なり、我なんぢを悦ぶ』

かくて御靈ただちにイエスを荒野に逐ひやる。

荒野にて四十日の間サタンに試みられ、獸とともに居給ふ、御使たち之に事へぬ。

ヨハネの囚はれし後、イエス、ガリラヤに到り、神の福音を宣傳へて言ひ給ふ、

『時は滿てり、神の國は近づけり、汝ら悔改めて福音を信ぜよ』

イエス、ガリラヤの海にそひて歩みゆき、シモンと其の兄弟アンデレとが、海に網うちをるを見給ふ。かれらは漁人なり。

イエス言ひ給ふ『われに從ひきたれ、汝等をして人を漁る者とならしめん』

彼ら直ちに網をすてて從へり。

少し進みゆきて、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとを見給ふ、彼らも舟にありて網を繕ひゐたり。

直ちに呼び給へば、父ゼベダイを雇人とともに舟に遺して從ひゆけり。

かくて彼らカペナウムに到る、イエス直ちに安息日に會堂にいりて教へ給ふ。

人々その教に驚きあへり。それは學者の如くならず、權威ある者のごとく教へ給ふゆゑなり。

時にその會堂に、穢れし靈に憑かれたる人あり、叫びて言ふ

『ナザレのイエスよ、我らは汝と何の關係あらんや、汝は我らを亡さんとて來給ふ。われは汝の誰なるを知る、神の聖者なり』

イエス禁めて言ひ給ふ『默せ、その人を出でよ』

穢れし靈その人を痙攣けさせ、大聲をあげて出づ。

人々みな驚き相問ひて言ふ『これ何事ぞ、權威ある新しき教なるかな、穢れし靈すら命ずれば從ふ』

ここにイエスの噂あまねくガリラヤの四方に弘りたり。

會堂をいで、直ちにヤコブとヨハネとを伴ひて、シモン及びアンデレの家に入り給ふ。

シモンの外姑、熱をやみて臥しゐたれば、人々ただちに之をイエスに告ぐ。

イエス往きて、その手をとり、起し給へば、熱さりて女かれらに事ふ。

夕となり、日いりてのち、人々すべての病ある者・惡鬼に憑かれたる者をイエスに連れ來り、

全町こぞりて門に集る。

イエスさまざまの病を患ふ多くの人をいやし、多くの惡鬼を逐ひいだし、之に物言ふことを免し給はず、惡鬼イエスを知るに因りてなり。

朝まだき暗き程に、イエス起き出でて、寂しき處にゆき、其處にて祈りゐたまふ。

シモン及び之と偕にをる者ども、その跡を慕ひゆき、

イエスに遇ひて言ふ『人みな汝を尋ぬ』

イエス言ひ給ふ『いざ最寄の村々に往かん、われ彼處にも教を宣ぶべし、我はこの爲に出で來りしなり』

遂にゆきて、徧くガリラヤの會堂にて教を宣べ、かつ惡鬼を逐ひ出し給へり。

一人の癩病人みもとに來り、跪づき請ひて言ふ『御意ならば、我を潔くなし給ふを得ん』

イエス憫みて、手をのべ彼につけて『わが意なり、潔くなれ』と言ひ給へば、

直ちに癩病さりて、その人きよまれり。

やがて彼を去らしめんとて、嚴しく戒めて言ひ給ふ

『つつしみて誰にも語るな、唯ゆきて己を祭司に見せ、モーセが命じたる物を汝の潔のために献げて、人々に證せよ』

されど彼いでて此の事を大に述べつたへ、徧く弘め始めたれば、この後イエスあらはに町に入りがたく、外の寂しき處に留りたまふ。人々四方より御許に來れり。

第2章

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數日の後、またカペナウムに入り給ひしに、その家に在することを聞きて、

多くの人あつまり來り、門口すら隙間なき程なり。イエス彼らに御言を語り給ふ。

ここに四人に擔はれたる中風の者を人々つれ來る。

群衆によりて御許にゆくこと能はざれば、在す所の屋根を穿ちあけて、中風の者を床のまま縋り下せり。

イエス彼らの信仰を見て、中風の者に言ひたまふ『子よ、汝の罪ゆるされたり』

ある學者たち其處に坐しゐたるが、心の中に、

『この人なんぞ斯く言ふか、これは神を瀆すなり、神ひとりの外は誰か罪を赦すことを得べき』と論ぜしかば、

イエス直ちに彼等がかく論ずるを心に悟りて言ひ給ふ『なにゆゑ斯かることを心に論ずるか、

中風の者に「なんぢの罪ゆるされたり」と言ふと「起きよ、床をとりて歩め」と言ふと、孰か易き。

人の子の地にて罪を赦す權威ある事を、汝らに知らせん爲に』――中風の者に言ひ給ふ――

『なんぢに告ぐ、起きよ、床をとりて家に歸れ』

彼おきて直ちに床をとりあげ、人々の眼前いで往けば、皆おどろき、かつ神を崇めて言ふ『われら斯くの如きことは斷えて見ざりき』

イエスまた海邊に出でゆき給ひしに、群衆みもとに集ひ來りたれば、之を教へ給へり。

かくて過ぎ往くとき、アルパヨの子レビの收税所に坐しをるを見て『われに從へ』と言ひ給へば、立ちて從へり。

而して其の家にて食事の席につき居給ふとき、多くの取税人・罪人ら、イエス及び弟子たちと共に席に列る、これらの者おほく居て、イエスに從へるなり。

パリサイ人の學者ら、イエスの罪人・取税人とともに食し給ふを見て、その弟子たちに言ふ『なにゆゑ取税人・罪人とともに食するか』

イエス聞きて言ひ給ふ『健かなる者は醫者を要せず、ただ病ある者これを要す。我は正しき者を招かんとにあらで、罪人を招かんとて來れり』

ヨハネの弟子とパリサイ人とは、斷食しゐたり。人々イエスに來りて言ふ『なにゆゑヨハネの弟子とパリサイ人の弟子とは斷食して、汝の弟子は斷食せぬか』

イエス言ひ給ふ『新郎の友だち、新郎と偕にをるうちは斷食し得べきか、新郎と偕にをる間は、斷食するを得ず。

されど新郎をとらるる日きたらん、その日には斷食せん。

誰も新しき布の裂を舊き衣に縫ひつくることは爲じ。もし然せば、その補ひたる新しきものは、舊き物をやぶり、破綻さらに甚だしからん。

誰も新しき葡萄酒を、ふるき革嚢に入るることは爲じ。もし然せば、葡萄酒は嚢をはりさきて、葡萄酒も嚢も廢らん。新しき葡萄酒は、新しき革嚢に入るるなり』

イエス安息日に麥畠をとほり給ひしに、弟子たち歩みつつ穗を摘み始めたれば、

パリサイ人、イエスに言ふ『視よ、彼らは何ゆゑ安息日に爲まじき事をするか』

答へ給ふ『ダビデその伴へる人々と共に乏しくして飢ゑしとき爲しし事を未だ讀まぬか。

即ち大祭司アビアタルの時、ダビデ神の家に入りて、祭司のほかは食ふまじき供のパンを取りて食ひ、おのれと偕なる者にも與へたり』

また言ひたまふ『安息日は人のために設けられて、人は安息日のために設けられず。

されば人の子は安息日にも主たるなり』

第3章

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また會堂に入り給ひしに、片手なえたる人あり。

人々イエスを訴へんと思ひて、安息日にかの人を醫すや否やと窺ふ。

イエス手なえたる人に『中に立て』といひ、

また人々に言ひたまふ『安息日に善をなすと惡をなすと、生命を救ふと殺すと、孰かよき』彼ら默然たり。

イエスその心の頑固なるを憂ひて、怒り見囘して、手なえたる人に『手を伸べよ』と言ひ給ふ。かれ手を伸べたれば癒ゆ。

パリサイ人いでて、直ちにヘロデ黨の人とともに、如何にしてイエスを亡さんと議る。

イエスその弟子とともに海邊に退き給ひしに、ガリラヤより來れる夥多しき民衆も從ふ。又ユダヤ、

エルサレム、イドマヤ、ヨルダンの向の地、およびツロ、シドンの邊より夥多しき民衆その爲し給へる事を聞きて、御許に來る。

イエス群衆のおしなやますを逃れんとて、小舟を備へ置くことを弟子に命じ給ふ。

これ多くの人を醫し給ひたれば、凡て病に苦しむもの、御體に觸らんとて押迫る故なり。

また穢れし靈イエスを見る毎に、御前に平伏し、叫びて『なんぢは神の子なり』と言ひたれば、

我を顯すなとて、嚴しく戒め給ふ。

イエス山に登り、御意に適ふ者を召し給ひしに、彼ら御許に來る。

ここに十二人を擧げたまふ。是かれらを御側におき、また教を宣べさせ、

惡鬼を逐ひ出す權威を用ひさする爲に、遣さんとてなり。

此の十二人を擧げて、シモンにペテロといふ名をつけ、

ゼベダイの子ヤコブ、その兄弟ヨハネ、此の二人にボアネルゲ、即ち雷霆の子といふ名をつけ給ふ。

又アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心黨のシモン、

及びイスカリオテのユダ、このユダはイエスを賣りしなり。かくてイエス家に入り給ひしに、

群衆また集り來りたれば、食事する暇もなかりき。

その親族の者これを聞き、イエスを取押へんとて出で來る、イエスを狂へりと謂ひてなり。

又エルサレムより下れる學者たちも『彼はベルゼブルに憑かれたり』と言ひ、かつ『惡鬼の首によりて惡鬼を逐ひ出すなり』と言ふ。

イエス彼らを呼びよせ、譬にて言ひ給ふ『サタンはいかでサタンを逐ひ出し得んや。

もし國分れ爭はば、其の國立つこと能はず。

もし家分れ爭はば、其の家立つこと能はざるべし。

もしサタン己に逆ひて分れ爭はば、立つこと能はず、反つて亡び果てん。

誰にても先づ強き者を縛らずば、強き者の家に入りて其の家財を奪ふこと能はじ、縛りて後その家を奪ふべし。

まことに汝らに告ぐ、人の子らの凡ての罪と、けがす瀆とは赦されん。

されど聖靈をけがす者は、永遠に赦されず、永遠の罪に定めらるべし』

これは彼らイエスを『穢れし靈に憑かれたり』と云へるが故なり。

ここにイエスの母と兄弟と來りて外に立ち、人を遣してイエスを呼ばしむ。

群衆イエスを環りて坐したりしが、或者いふ『視よ、なんぢの母と兄弟姉妹と外にありて汝を尋ぬ』

イエス答へて言ひ給ふ『わが母、わが兄弟とは誰ぞ』

かくて周圍に坐する人々を見囘して言ひたまふ『視よ、これは我が母、わが兄弟なり。

誰にても神の御意を行ふものは、是わが兄弟、わが姉妹、わが母なり』

第4章

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イエスまた海邊にて教へ始めたまふ。夥多しき群衆、みもとに集りたれば、舟に乘り海に泛びて坐したまひ、群衆はみな海に沿ひて陸にあり。

譬にて數多の事ををしへ、教の中に言ひたまふ、

『聽け、種播くもの、播かんとて出づ。

播くとき、路の傍らに落ちし種あり、鳥きたりて啄む。

土うすき磽地に落ちし種あり、土深からぬによりて、速かに萠え出でたれど、

日出でてやけ、根なき故に枯る。

茨の中に落ちし種あり、茨そだち塞ぎたれば、實を結ばず。

良き地に落ちし種あり、生え出でて茂り、實を結ぶこと、三十倍、六十倍、百倍せり』

また言ひ給ふ『きく耳ある者は聽くべし』

イエス人々を離れ居給ふとき、御許にをる者ども、十二弟子とともに、此等の譬を問ふ。

イエス言ひ給ふ『なんぢらには神の國の奧義を與ふれど、外の者には、凡て譬にて教ふ。

これ「見るとき見ゆとも認めず、聽くとき聞ゆとも悟らず、飜へりて赦さるる事なからん」爲なり』

また言ひ給ふ『なんぢら此の譬を知らぬか、さらば爭でもろもろの譬を知り得んや。

播く者は御言を播くなり。

御言の播かれて路の傍らにありとは、かかる人をいふ、即ち聞くとき、直ちにサタン來りて、その播かれたる御言を奪ふなり。

同じく播かれて磽地にありとは、かかる人をいふ、即ち御言をききて、直ちに喜び受くれども、

その中に根なければ、ただ暫し保つのみ、御言のために患難また迫害にあふ時は、直ちに躓くなり。

また播かれて茨の中にありとは、かかる人をいふ、

すなはち御言をきけど、世の心勞、財貨の惑、さまざまの慾いりきたり、御言を塞ぐによりて、遂に實らざるなり。

播かれて良き地にありとは、かかる人をいふ、即ち御言を聽きて受け、三十倍、六十倍、百倍の實を結ぶなり』

また言ひたまふ『升のした、寢臺の下におかんとて、燈火をもち來るか、燈臺の上におく爲ならずや。

それ顯るる爲ならで隱るるものなく、明かにせらるる爲ならで秘めらるるものなし。

聽く耳ある者は聽くべし』

また言ひ給ふ『なんぢら聽くことに心せよ、汝らが量る量にて量られ、更に増し加へらるべし。

それ有てる人は、なほ與へられ、有たぬ人は、有てる物をも取らるべし』

また言ひたまふ『神の國は、或人たねを地に播くが如し、

日夜起臥するほどに、種はえ出でて育てども、その故を知らず。

地はおのづから實を結ぶものにして、初には苗、つぎに穗、つひに穗の中に充ち足れる穀なる。

實みのれば直ちに鎌を入る、收穫時の到れるなり』

また言ひ給ふ『われら神の國を何になずらへ、如何なる譬をもて示さん。

一粒の芥種のごとし、地に播く時は、世にある萬の種よりも小けれど、

既に播きて生え出づれば、萬の野菜よりは大く、かつ大なる枝を出して、空の鳥その蔭に棲み得るほどになるなり』

かくのごとき數多の譬をもて、人々の聽きうる力に隨ひて、御言を語り、

譬ならでは語り給はず、弟子たちには、人なき時に凡ての事を釋き給へり。

その日、夕になりて言ひ給ふ『いざ彼方に往かん』

弟子たち群衆を離れ、イエスの舟にゐ給ふまま共に乘り出づ、他の舟も從ひゆく。

時に烈しき颶風おこり、浪うち込みて、舟に滿つるばかりなり。

イエスは艫の方に茵を枕として寢ねたまふ。弟子たち呼び起して言ふ『師よ、我らの亡ぶるを顧み給はぬか』

イエス起きて風をいましめ、海に言ひたまふ『默せ、鎭れ』乃ち風やみて、大なる凪となりぬ。

かくて弟子たちに言ひ給ふ『なに故かく臆するか、信仰なきは何ぞ』

かれら甚く懼れて互に言ふ『こは誰ぞ、風も海も順ふとは』

第5章

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かくて海の彼方なるゲラセネ人の地に到る。

イエスの舟より上り給ふとき、穢れし靈に憑かれたる人、墓より出でて直ちに遇ふ。

この人、墓を住處とす、鏈にてすら今は誰も繋ぎ得ず。

彼はしばしば足械と鏈とにて繋がれたれど、鏈をちぎり、足械をくだきたり、誰も之を制する力なかりしなり。

夜も晝も、絶えず墓あるひは山にて叫び、己が身を石にて傷つけゐたり。

かれ遙にイエスを見て、走りきたり、御前に平伏し、

大聲に叫びて言ふ『いと高き神の子イエスよ、我は汝と何の關係あらん、神によりて願ふ、我を苦しめ給ふな』

これはイエス『穢れし靈よ、この人より出で往け』と言ひ給ひしに因るなり。

イエスまた『なんぢの名は何か』と問ひ給へば『わが名はレギオン、我ら多きが故なり』と答へ、

また己らを此の地の外に逐ひやり給はざらんことを切に求む。

彼處の山邊に豚の大なる群、食しゐたり。

惡鬼どもイエスに求めて言ふ『われらを遣して豚に入らしめ給へ』

イエス許したまふ。穢れし靈いでて、豚に入りたれば、二千匹ばかりの群、海に向ひて崖を駈けくだり、海に溺れたり。

飼ふ者ども逃げ往きて、町にも里にも告げたれば、人々何事の起りしかを見んとて出づ。

かくてイエスに來り、惡鬼に憑かれたりし者、即ちレギオンをもちたりし者の、衣服をつけ、慥なる心にて坐しをるを見て、懼れあへり。

かの惡鬼に憑かれたる者の上にありし事と、豚の事とを見し者ども、之を具に告げたれば、

人々イエスにその境を去り給はん事を求む。

イエス舟に乘らんとし給ふとき、惡鬼に憑かれたりしもの偕に在らん事を願ひたれど、

許さずして言ひ給ふ『なんぢの家に、親しき者に歸りて、主がいかに大なる事を汝に爲し、いかに汝を憫み給ひしかを告げよ』

彼ゆきて、イエスの如何に大なる事を己になし給ひしかを、デカポリスに言ひ弘めたれば、人々みな怪しめり。

イエス舟にて復かなたに渡り給ひしに、大なる群衆みもとに集る、イエス海邊に在せり。

會堂司の一人、ヤイロという者きたり、イエスを見て、その足下に伏し、

切に願ひて言ふ『わが稚なき娘、いまはの際なり、來りて手をおき給へ、さらば救はれて活くべし』

イエス彼と共にゆき給へば、大なる群衆したがひつつ御許に押迫る。

ここに十二年血漏を患ひたる女あり。

多くの醫者に多く苦しめられ、有てる物をことごとく費したれど、何の效なく、反つて増々惡しくなりたり。

イエスの事をききて、群衆にまじり、後に來りて、御衣にさはる、

『その衣にだに觸らば救はれん』と自ら謂へり。

かくて血の泉ただちに乾き、病のいえたるを身に覺えたり。

イエス直ちに能力の己より出でたるを自ら知り、群衆の中にて、振反り言ひたまふ『誰が我の衣に觸りしぞ』

弟子たち言ふ『群衆の押迫るを見て、誰が我に觸りしぞと言ひ給ふか』

イエスこの事を爲しし者を見んとて見囘し給ふ。

女おそれ戰き、己が身になりし事を知り、來りて御前に平伏し、ありしままを告ぐ。

イエス言ひ給ふ『娘よ、なんぢの信仰なんぢを救へり、安らかに往け、病いえて健かになれ』

かく語り給ふほどに、會堂司の家より人々きたりて言ふ『なんぢの娘は早や死にたり、爭でなほ師を煩はすべき』

イエス其の告ぐる言を傍より聞きて、會堂司に言ひたまふ『懼るな、ただ信ぜよ』

かくてペテロ、ヤコブその兄弟ヨハネの他は、ともに往く事を誰にも許し給はず。

彼ら會堂司の家に來る。イエス多くの人の、甚く泣きつ叫びつする騷を見、

入りて言ひ給ふ『なんぞ騷ぎかつ泣くか、幼兒は死にたるにあらず、寐ねたるなり』

人々イエスを嘲笑ふ。イエス彼等をみな外に出し、幼兒の父と母と己に伴へる者とを率きつれて、幼兒のをる處に入り、

幼兒の手を執りて『タリタ、クミ』と言ひたまふ。少女よ、我なんぢに言ふ、起きよ、との意なり。

直ちに少女たちて歩む、その歳十二なりければなり。彼ら直ちに甚く驚きおどろけり。

イエス此の事を誰にも知れぬやうにせよと、堅く彼らを戒め、また食物を娘に與ふることを命じ給ふ。

第6章

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かくて其處をいで、己が郷に到り給ひしに、弟子たちも從へり。

安息日になりて、會堂にて教へ始め給ひしに、聞きたる多くのもの驚きて言ふ『この人は此等のことを何處より得しぞ、此の人の授けられたる智慧は何ぞ、その手にて爲すかくのごとき能力あるわざは何ぞ。

此の人は木匠にして、マリヤの子、またヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ならずや、其の姉妹も此處に我らと共にをるに非ずや』遂に彼に躓けり。

イエス彼らに言ひたまふ『預言者は、おのが郷、おのが親族、おのが家の外にて尊ばれざる事なし』

彼處にては、何の能力ある業をも行ひ給ふこと能はず、ただ少數の病める者に、手をおきて醫し給ひしのみ。

彼らの信仰なきを怪しみ給へり。かくて村々を歴巡りて教へ給ふ。

また十二弟子を召し、二人づつ遣しはじめ、穢れし靈を制する權威を與へ、

かつ旅のために、杖一つの他は、何をも持たず、糧も嚢も帶の中に錢をも持たず、

ただ草鞋ばかりをはきて、二つの下衣をも著ざることを命じ給へり。

かくて言ひたまふ『何處にても人の家に入らば、その地を去るまで其處に留れ。

何地にても汝らを受けず、汝らに聽かずば、其處を出づるとき、證のために足の裏の塵を拂へ』

ここに弟子たち出で往きて、悔改むべきことを宣傅へ、

多くの惡鬼を逐ひいだし、多くの病める者に油をぬりて醫せり。

かくてイエスの名顯れたれば、ヘロデ王ききて言ふ『バプテスマのヨハネ死人の中より甦へりたり。この故に此等の能力その中に働くなり』

或人は『エリヤなり』といひ、或人は『預言者、いにしへの預言者のごとき者なり』といふ。

ヘロデ聞きて言ふ『わが首斬りしヨハネ、かれ甦へりたるなり』

ヘロデ先にその娶りたる己が兄弟ピリポの妻ヘロデヤの爲に、みづから人を遣し、ヨハネを捕へて獄に繋げり。

ヨハネ、ヘロデに『その兄弟の妻を納るるは宣しからず』と言へるに因る。

ヘロデヤ、ヨハネを怨みて殺さんと思へど能はず。

それはヘロデ、ヨハネの義にして聖なる人たるを知りて、之を畏れ、之を護り、且つその教をききて、大に惱みつつも、なほ喜びて聽きたる故なり。

然るに機よき日來れり。ヘロデ己が誕生日に、大臣・將校・ガリラヤの貴人たちを招きて饗宴せしに、

かのヘロデヤの娘いり來りて、舞をまひ、ヘロデと其の席に列れる者とを喜ばしむ。王、少女に言ふ『何にても欲しく思ふものを求めよ、我あたへん』

また誓ひて言ふ『なんぢ求めば、我が國の半までも與へん』

娘いでて母にいふ『何を求むべきか』母いふ『バプテスマのヨハネの首を』

娘ただちに急ぎて王の許に入りきたり、求めて言ふ『ねがはくは、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて速かに賜はれ』

王いたく憂ひたれど、その誓と席に在る者とに對して拒むことを好まず、

直ちに衞兵を遣し、之にヨハネの首を持ち來ることを命ず、衞兵ゆきて、獄にてヨハネを首斬り、

その首を盆にのせ、持ち來りて少女に與ふ、少女これを母に與ふ。

ヨハネの弟子たち聞きて來り、その屍體を取りて墓に納めたり。

使徒たちイエスの許に集りて、その爲ししこと、教へし事をことごとく告ぐ。

イエス言ひ給ふ『なんぢら人を避け、寂しき處に、いざ來りて暫し息へ』これは往來の人おほくして、食する暇だになかりし故なり。

かくて人を避け、舟にて寂しき處にゆく。

其の往くを見て、多くの人それと知り、その處を指して、町々より徒歩にてともに走り、彼等よりも先に往けり。

イエス出でて大なる群衆を見、その牧ふ者なき羊の如くなるを甚く憫みて、多くの事を教へはじめ給ふ。

時すでに晩くなりたれば、弟子たち御許に來りていふ『ここは寂しき處、はや時も晩し。

人々を去らしめ、周圍の里また村に往きて、己がために食物を買はせ給へ』

答へて言ひ給ふ『なんぢら食物を與へよ』弟子たち言ふ『われら往きて二百デナリのパンを買ひ、これに與へて食はすべきか』

イエス言ひ給ふ『パン幾つあるか、往きて見よ』彼ら見ていふ『五つ、また魚二つあり』

イエス凡ての人の組々となりて、青草の上に坐することを命じ給へば、

或は百人、あるひは五十人、畝のごとく列びて坐す。

かくてイエス五つのパンと二つの魚とを取り、天を仰ぎて祝し、パンをさき、弟子たちに付して人々の前に置かしめ、二つの魚をも人毎に分け給ふ。

凡ての人食ひて飽きたれば、

パンの餘、魚の殘を集めしに、十二の筐に滿ちたり。

パンを食ひたる男は五千人なりき。

イエス直ちに、弟子たちを強ひて舟に乘らせ、自ら群衆を返す間に、彼方なるベツサイダに先に往かしむ。

群衆に別れてのち、祈らんとて山にゆき給ふ。

夕になりて、舟は海の眞中にあり、イエスはひとり陸に在す。

風逆ふに因りて、弟子たちの漕ぎ煩ふを見て、夜明の四時ごろ、海の上を歩み、その許に到りて、往き過ぎんとし給ふ。

弟子たち其の海の上を歩み給ふを見、變化の者ならんと思ひて叫ぶ。

皆これを見て心騷ぎたるに因る。イエス直ちに彼らに語りて言ひ給ふ『心安かれ、我なり、懼るな』

かくて弟子たちの許にゆき、舟に登り給へば、風やみたり。弟子たち心の中にて甚く驚く、

彼らは先のパンの事をさとらず、反つて其の心鈍くなりしなり。

遂に渡りてゲネサレの地に著き、舟がかりす。

舟より上りしに、人々ただちにイエスを認めて、

徧くあたりを馳せまはり、その在すと聞く處々に、患ふ者を床のままつれ來る。

その到りたまふ處には、村にても、町にても、里にても、病める者を市場におきて、御衣の總にだに觸らしめ給はんことを願ふ。觸りし者は、みな醫されたり。

第7章

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パリサイ人と或學者らと、エルサレムより來りてイエスの許に集る。

而して、その弟子たちの中に、潔からぬ手、即ち洗はぬ手にて食事する者のあるを見たり。

パリサイ人および凡てのユダヤ人は、古への人の言傳を固く執りて、懇ろに手を洗はねば食はず。

また市場より歸りては、まず禊がざれば食はず。このほか酒杯・鉢・銅の器を濯ぐなど、多くの傳を承けて固く執りたり。

パリサイ人および學者らイエスに問ふ『なにゆゑ汝の弟子たちは、古への人の言傳に遵ひて歩まず、潔からぬ手にて食事するか』

イエス言ひ給ふ『イザヤは汝ら僞善者につきて能く預言せり。「この民は口唇にて我を敬ふ、

されどその心は我に遠ざかる。

ただ徒らに我を拜む、

人の訓誡を教とし教へて」と録したり。

なんぢらは神の誡命を離れて、人の言傳を固く執る』

また言ひたまふ『汝等はおのれの言傳を守らんとて、能くも神の誡命を棄つ。

即ちモーセは「なんぢの父、なんぢの母を敬へ」といひ「父また母を詈る者は、必ず殺さるべし」といへり。

然るに汝らは「人もし父また母にむかひ、我が汝に對して負ふ所のものは、コルバン即ち供物なりと言はば可し」と言ひて、

そののち人をして、父また母に事ふること無からしむ。

かく汝らの傳へたる言傳によりて、神の言を空しうし、又おほく此の類の事をなしをるなり』

更に群衆を呼び寄せて言ひ給ふ『なんぢら皆われに聽きて悟れ。

外より人に入りて、人を汚し得るものなし、されど人より出づるものは、これ人を汚すなり』

[なし]

イエス群衆を離れて家に入り給ひしに、弟子たち其の譬を問ふ。

彼らに言ひ給ふ『なんぢらも然か悟なきか、外より人に入る物の、人を汚しえぬを悟らぬか、

これ心には入らず、腹に入りて厠におつるなり』かく凡ての食物を潔しとし給へり。

また言ひたまふ『人より出づるものは、これ人を汚すなり。

それ内より、人の心より、惡しき念いづ、即ち淫行・竊盜・殺人、

姦淫・慳貪・邪曲・詭計・好色・嫉妬・誹謗・傲慢・愚痴。

すべて此等の惡しき事は、内より出でて人を汚すなり』

イエス起ちて此處を去り、ツロの地方に往き、家に入りて人に知られじとし給ひたれど、隱るること能はざりき。

ここに穢れし靈に憑かれたる稚なき娘をもてる女、ただちにイエスの事をきき、來りて御足の許に平伏す。

この女はギリシヤ人にて、スロ・フェニキヤの生なり。その娘より惡鬼を逐ひ出し給はんことを請ふ。

イエス言ひ給ふ『まづ子供に飽かしむべし、子供のパンをとりて小狗に投げ與ふるは善からず』

女こたへて言ふ『然り、主よ、食卓の下の小狗も子供の食屑を食ふなり』

イエス言ひ給ふ『なんぢ此の言によりて[安んじ]往け、惡鬼は既に娘より出でたり』

をんな家に歸りて見るに、子は寢臺の上に臥し、惡鬼は既に出でたり。

イエスまたツロの地方を去りて、シドンを過ぎ、デカポリスの地方を經て、ガリラヤの海に來り給ふ。

人々、耳聾にして物言ふこと難き者を連れ來りて、之に手をおき給はんことを願ふ。

イエス群衆の中より、彼をひとり連れ出し、その兩耳に指をさし入れ、また唾して其の舌に觸り、

天を仰ぎて嘆じ、その人に對ひて『エパタ』と言ひ給ふ、ひらけよとの意なり。

かくてその耳ひらけ、舌の縺ただちに解け、正しく物いへり。

イエス誰にも告ぐなと人々を戒めたまふ。されど戒むるほど反つて愈々言ひ弘めたり。

また甚だしく打驚きて言ふ『かれの爲しし事は皆よし、聾者をも聞えしめ、唖者をも物いはしむ』

第8章

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その頃また大なる群衆にて食ふべき物なかりしかば、イエス弟子たちを召して言ひ給ふ、

『われ此の群衆を憫む、既に三日われと偕にをりて、食ふべき物なし。

飢ゑしままにて其の家に歸らしめば、途にて疲れ果てん。其の中には遠くより來れる者あり』

弟子たち答へて言ふ『この寂しき地にては、何處よりパンを得て、この人々を飽かしむべき』

イエス問ひ給ふ『パン幾つあるか』答へて『七つ』といふ。

イエス群衆に命じて地に坐せしめ、七つのパンを取り、謝して之を裂き、弟子たちに與へて群衆の前におかしむ。弟子たち乃ちその前におく。

また小き魚すこしばかりあり、祝して、之をもその前におけと言ひ給ふ。

人々食ひて飽き、裂きたる餘を拾ひしに、七つの籃に滿ちたり。

その人おほよそ四千人なりき。イエス彼らを歸し、

直ちに弟子たちと共に舟に乘りて、ダルマヌタの地方に往き給へり。

パリサイ人いで來りて、イエスと論じはじめ、之を試みて天よりの徴をもとむ。

イエス心に深く歎じて言ひ給ふ『なにゆゑ今の代は徴を求むるか、まことに汝らに告ぐ、徴は今の代に斷えて與へられじ』

かくて彼らを離れ、また舟に乘りて彼方に往き給ふ。

弟子たちパンを携ふることを忘れ、舟には唯一つの他パンなかりき。

イエス彼らを戒めて言ひたまふ『愼みて、パリサイ人のパンだねと、ヘロデのパンだねとに心せよ』

弟子たち互に、これはパン無き故ならんと語り合ふ。

イエス知りて言ひたまふ『何ぞパン無き故ならんと語り合ふか、未だ知らぬか、悟らぬか、汝らの心なほ鈍きか。

目ありて見ぬか、耳ありて聽かぬか。又なんぢら思ひ出でぬか、

五つのパンを裂きて、五千人に與へし時、その餘を幾筐ひろひしか』弟子たち言ふ『十二』

『七つのパンを裂きて四千人に與へし時、その餘を幾籃ひろひしか』弟子たち言ふ『七つ』

イエス言ひたまふ『未だ悟らぬか』

彼ら遂にベツサイダに到る。人々、盲人をイエスに連れ來りて、觸り給はんことを願ふ。

イエス盲人の手をとりて、村の外に連れ往き、その目に唾し、御手をあてて『なにか見ゆるか』と問ひ給へば、

見上げて言ふ『人を見る、それは樹の如き物の歩くが見ゆ』

また御手をその目にあて給へば、視凝めたるに、癒えて凡てのもの明かに見えたり。

かくて『村にも入るな』と言ひて、その家に歸し給へり。

イエス其の弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々に出でゆき、途にて弟子たちに問ひて言ひたまふ『人々は我を誰と言ふか』

答へて言ふ『バプテスマのヨハネ、或人はエリヤ、或人は預言者の一人』

また問ひ給ふ『なんぢらは我を誰と言ふか』ペテロ答へて言ふ『なんぢはキリストなり』

イエス己がことを誰にも告ぐなと、彼らを戒め給ふ。

かくて人の子の必ず多くの苦難をうけ、長老・祭司長・學者らに棄てられ、かつ殺され、三日の後に甦へるべき事を教へはじめ、

此の事をあらはに語り給ふ。ここにペテロ、イエスを傍にひきて戒め出でたれば、

イエス振反りて弟子たちを見、ペテロを戒めて言ひ給ふ『サタンよ、わが後に退け、汝は神のことを思はず、反つて人のことを思ふ』

かくて群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言ひたまふ『人もし我に從ひ來らんと思はば、己をすて、己が十字架を負ひて我に從へ。

己が生命を救はんと思ふ者は、これを失ひ、我が爲また福音の爲に己が生命をうしなふ者は、之を救はん。

人、全世界を贏くとも、己が生命を損せば、何の益あらん、

人その生命の代に何を與へんや。

不義なる罪深き今の代にて、我または我が言を恥づる者をば、人の子もまた、父の榮光をもて、聖なる御使たちと共に來らん時に恥づべし』

第9章

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また言ひ給ふ『まことに汝らに告ぐ、此處に立つ者のうちに、神の國の、權能をもて來るを見るまでは、死を味はぬ者どもあり』

六日の後、イエスただペテロ、ヤコブ、ヨハネのみを率きつれ、人を避けて高き山に登りたまふ。かくて彼らの前にて其の状かはり、

其の衣かがやきて甚だ白くなりぬ、世の晒布者を爲し得ぬほど白し。

エリヤ、モーセともに彼らに現れて、イエスと語りゐたり。

ペテロ差出でてイエスに言ふ『ラビ、我らの此處に居るは善し。われら三つの廬を造り、一つを汝のため、一つをモーセのため、一つをエリヤのためにせん』

彼等いたく懼れたれば、ペテロ何と言ふべきかを知らざりしなり。

かくて雲おこり、彼らを覆ふ。雲より聲出づ『これは我が愛しむ子なり、汝ら之に聽け』

弟子たち急ぎ見囘すに、イエスと己らとの他には、はや誰も見えざりき。

山をくだる時、イエス彼らに、人の子の、死人の中より甦へるまでは、見しことを誰にも語るなと戒め給ふ。

彼ら此の言を心にとめ『死人の中より甦へる』とは、如何なる事ぞと互に論じ合ふ。

かくてイエスに問ひて言ふ『學者たちは、何故エリヤまづ來るべしと言ふか』

イエス言ひ給ふ『實にエリヤ先づ來りて、萬の事をあらたむ。さらば人の子につき、多くの苦難を受け、かつ蔑せらるる事の録されたるは何ぞや。

されど我なんぢらに告ぐ、エリヤは既に來れり。然るに彼に就きて録されたる如く、人々心のままに之を待へり』

相共に弟子たちの許に來りて、大なる群衆の之を環り、學者たちの之と論じゐたるを見給ふ。

群衆みなイエスを見るや否や、いたく驚き、御許に走り往きて禮をなせり。

イエス問ひ給ふ『なんぢら何を彼らと論ずるか』

群衆のうちの一人こたふ『師よ、唖の靈に憑かれたる我が子を御許に連れ來れり。

靈いづこにても彼に憑けば、痙攣け泡をふき、齒をくひしばり、而して痩せ衰ふ。御弟子たちに之を逐ひ出すことを請ひたれど能はざりき』

ここに彼らに言ひ給ふ『ああ信なき代なるかな、我いつまで汝らと偕にをらん、何時まで汝らを忍ばん。その子を我が許に連れきたれ』

乃ち連れきたる。彼イエスを見しとき、靈ただちに之を痙攣けたれば、地に倒れ、泡をふきて轉び廻る。

イエスその父に問ひ給ふ『いつの頃より斯くなりしか』父いふ『をさなき時よりなり。

靈しばしば彼を火のなか水の中に投げ入れて亡さんとせり。されど汝なにか爲し得ば、我らを憫みて助け給へ』

イエス言ひたまふ『爲し得ばと言ふか、信ずる者には、凡ての事なし得らるるなり』

その子の父ただちに叫びて言ふ『われ信ず、信仰なき我を助け給へ』

イエス群衆の走り集るを見て、穢れし靈を禁めて言ひたまふ『唖にて耳聾なる靈よ、我なんぢに命ず、この子より出でよ、重ねて入るな』

靈さけびて甚だしく痙攣けさせて出でしに、その子、死人の如くなりたれば、多くの者これを死にたりと言ふ。

イエスその手を執りて起し給へば立てり。

イエス家に入り給ひしとき、弟子たち竊に問ふ『我等いかなれば逐ひ出し得ざりしか』

答へ給ふ『この類は祈に由らざれば、如何にすとも出でざるなり』

此處を去りてガリラヤを過ぐ。イエス人の此の事を知るを欲し給はず。

これは弟子たちに教をなし、かつ『人の子は人々の手にわたされ、人々これを殺し、殺されて三日ののち甦へるべし』と言ひ給ふが故なり。

弟子たちはその言を悟らず、また問ふ事を恐れたり。

かくてカペナウムに到る。イエス家に入りて弟子たちに問ひ給ふ『なんぢら途すがら何を論ぜしか』

弟子たち默然たり、これは途すがら、誰か大ならんと、互に爭ひたるに因る。

イエス坐して十二弟子を呼び、之に言ひたまふ『人もし頭たらんと思はば、凡ての人の後となり、凡ての人の役者となるべし』

かくてイエス幼兒をとりて彼らの中におき、之を抱きて言ひ給ふ、

『おほよそ我が名のために斯かる幼兒の一人を受くる者は、我を受くるなり。我を受くる者は、我を受くるにあらず、我を遣しし者を受くるなり』

ヨハネ言ふ『師よ、我らに從はぬ者の、御名によりて惡鬼を逐ひ出すを見しが、我らに從はぬ故に、之を止めたり』

イエス言ひたまふ『止むな、我が名のために能力ある業をおこなひ、俄に我を譏り得る者なし。

我らに逆はぬ者は、我らに附く者なり。

キリストの者たるによりて、汝らに一杯の水を飮まする者は、我まことに汝らに告ぐ、必ずその報を失はざるべし。

また我を信ずる此の小き者の一人を躓かする者は、寧ろ大なる碾臼を頸に懸けられて、海に投げ入れられんかた勝れり。

もし汝の手なんぢを躓かせば、之を切り去れ、不具にて生命に入るは、兩手ありてゲヘナの消えぬ火に往くよりも勝るなり。

[なし]

もし汝の足なんぢを躓かせば、之を切り去れ、蹇跛にて生命に入るは、兩足ありてゲヘナに投げ入れらるるよりも勝るなり。

[なし]

もし汝の眼なんぢを躓かせば、之を拔き出せ、片眼にて神の國に入るは、兩眼ありてゲヘナに投げ入れらるるよりも勝るなり。

「彼處にては、その蛆つきず、火も消えぬなり」

それ人はみな火をもて鹽つけらるべし。

鹽は善きものなり、されど鹽もし其の鹽氣を失はば、何をもて之に味つけん。汝ら心の中に鹽を保ち、かつ互に和ぐべし』

第10章

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イエス此處をたちて、ユダヤの地方およびヨルダンの彼方に來り給ひしに、群衆またも御許に集ひたれば、常のごとく教へ給ふ。

時にパリサイ人ら來り試みて問ふ『人その妻を出すはよきか』

答へて言ひ給ふ『モーセは汝らに何と命ぜしか』

彼ら言ふ『モーセは離縁状を書きて出すことを許せり』

イエス言ひ給ふ『汝らの心つれなきによりて、此の誡命を録ししなり。

されど開闢の初より「人を男と女とに造り給へり」

「かかる故に人はその父母を離れて、

二人のもの一體となるべし」さればはや二人にはあらず、一體なり。

この故に神の合せ給ふものは、人これを離すべからず』

家に入りて弟子たち復この事を問ふ。

イエス言ひ給ふ『おほよそ其の妻を出して他に娶る者は、その妻に對して姦淫を行ふなり。

また妻もし其の夫を棄てて他に嫁がば、姦淫を行ふなり』

イエスの觸り給はんことを望みて、人々幼兒らを連れ來りしに、弟子たち禁めたれば、

イエス之を見、いきどほりて言ひたまふ『幼兒らの我に來るを許せ、止むな、神の國は斯くのごとき者の國なり。

まことに汝らに告ぐ、凡そ幼兒の如くに神の國をうくる者ならずば、之に入ること能はず』

かくて幼兒を抱き、手をその上におきて祝し給へり。

イエス途に出で給ひしに、一人はしり來り、跪づきて問ふ『善き師よ、永遠の生命を嗣ぐためには、我なにを爲すべきか』

イエス言ひ給ふ『なにゆゑ我を善しと言ふか、神ひとりの他に善き者なし。

誡命は汝が知るところなり「殺すなかれ」「姦淫するなかれ」「盜むなかれ」「僞證を立つるなかれ」「欺き取るなかれ」「汝の父と母とを敬へ」』

彼いふ『師よ、われ幼き時より皆これを守れり』

イエス彼に目をとめ、愛しみて言ひ給ふ『なんぢ尚ほ一つを缺く、往きて汝の有てる物をことごとく賣りて、貧しき者に施せ、さらば財寶を天に得ん。且きたりて我に從へ』

この言によりて、彼は憂を催し、悲しみつつ去りぬ、大なる資産をもてる故なり。

イエス見囘して弟子たちに言ひたまふ『富ある者の神の國に入るは如何に難いかな』

弟子たち此の御言に驚く。イエスまた答へて言ひ給ふ『子たちよ、神の國に入るは如何に難いかな、

富める者の神の國に入るよりは、駱駝の針の孔を通るかた反つて易し』

弟子たち甚く驚きて互に言ふ『さらば誰か救はるる事を得ん』

イエス彼らに目を注めて言ひたまふ『人には能はねど、神には然らず、夫れ神は凡ての事をなし得るなり』

ペテロ、イエスに對ひて『我らは一切をすてて汝に從ひたり』と言ひ出でたれば、

イエス言ひ給ふ『まことに汝らに告ぐ、我がため、福音のために、或は兄弟、あるひは姉妹、或は父、或は母、或は子、或は田畑をすつる者は、

誰にても今、今の時に百倍を受けぬはなし。即ち家・兄弟・姉妹・母・子・田畑を迫害と共に受け、また後の世にては、永遠の生命を受けぬはなし。

されど多くの先なる者は後に、後なる者は先になるべし』

エルサレムに上る途にて、イエス先だち往き給ひしかば、弟子たち驚き、隨ひ往く者ども懼れたり。イエス再び十二弟子を近づけて、己が身に起らんとする事どもを語り出で給ふ

『視よ、我らエルサレムに上る。人の子は祭司長・學者らに付されん。彼ら死に定めて、異邦人に付さん。

異邦人は嘲弄し、唾し、鞭うち、遂に殺さん、かくて彼は三日の後に甦へるべし』

ここにゼベダイの子ヤコブ、ヨハネ御許に來りて言ふ『師よ、願はくは我らが何にても求むる所を爲したまへ』

イエス言ひ給ふ『わが汝らに何を爲さんことを望むか』

彼ら言ふ『なんぢの榮光の中にて、一人をその右に、一人をその左に坐せしめ給へ』

イエス言ひ給ふ『なんぢらは求むる所を知らず、汝等わが飮む酒杯を飮み、我が受くるバプテスマを受け得るか』

彼等いふ『得るなり』イエス言ひ給ふ『なんぢら我が飮む酒杯を飮み、また我が受くるバプテスマを受くべし。

されど我が右左に坐することは、我の與ふべきものならず、ただ備へられたる人こそ與へらるるなれ』

十人の弟子これを聞き、ヤコブとヨハネとの事により憤ほり出でたれば、

イエス彼らを呼びて言ひたまふ『異邦人の君と認めらるる者の、その民を宰どり、大なる者の、民の上に權を執ることは、汝らの知る所なり。

されど汝らの中にては然らず、反つて大ならんと思ふ者は、汝らの役者となり、

頭たらんと思ふ者は、凡ての者の僕となるべし。

人の子の來れるも、事へらるる爲にあらず、反つて事ふることをなし、又おほくの人の贖償として己が生命を與へん爲なり』

かくて彼らエリコに到る。イエスその弟子たち及び大なる群衆と共に、エリコを出でたまふ時、テマイの子バルテマイといふ盲目の乞食、路の傍に坐しをりしが、

ナザレのイエスなりと聞き、叫び出して言ふ『ダビデの子イエスよ、我を憫みたまへ』

多くの人かれを禁めて默さしめんとしたれど、ますます叫びて『ダビデの子よ、我を憫みたまへ』と言ふ。

イエス立ち止りて『かれを呼べ』と言ひ給へば、人々盲人を呼びて言ふ『心安かれ、起て、なんぢを呼びたまふ』

盲人うはぎを脱ぎ捨て、躍り上りて、イエスの許に來りしに、

イエス答へて言ひ給ふ『わが汝に何を爲さんことを望むか』盲人いふ『わが師よ、見えんことなり』

イエス彼に『ゆけ、汝の信仰なんぢを救へり』と言ひ給へば、直ちに見ることを得、イエスに從ひて途を往けり。

第11章

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彼らエルサレムに近づき、オリブ山の麓なるベテパゲ及びベタニヤに到りし時、イエス二人の弟子を遣さんとして言ひ給ふ、

『むかひの村にゆけ、其處に入らば、やがて人の未だ乘りたることなき驢馬の子の繋ぎあるを見ん、それを解きて牽き來れ。

誰かもし汝らに「なにゆゑ然するか」と言はば「主の用なり、彼ただちに返さん」といへ』

弟子たち往きて、門の外の路に驢馬の子の繋ぎあるを見て解きたれば、

其處に立つ人々のうちの或者『なんぢら驢馬の子を解きて何とするか』と言ふ。

弟子たちイエスの告げ給ひし如く言ひしに、彼ら許せり。

かくて弟子たち驢馬の子をイエスの許に牽ききたり、己が衣をその上に置きたれば、イエス之に乘り給ふ。

多くの人は己が衣を、或人は野より伐り取りたる樹の枝を途に敷く。

かつ前に往き後に從ふ者ども呼はりて言ふ『「ホサナ、讃むべきかな、主の御名によりて來る者」

讃むべきかな、今し來る我らの父ダビデの國。「いと高き處にてホサナ」』

遂にエルサレムに到りて宮に入り、凡ての物を見囘し、時はや暮に及びたれば、十二弟子と共にベタニヤに出で往きたまふ。

あくる日かれらベタニヤより出で來りし時、イエス飢ゑ給ふ。

遙に葉ある無花果の樹を見て、果をや得んと其のもとに到り給ひしに、葉のほかに何をも見出し給はず、是は無花果の時ならぬに因る。

イエスその樹に對ひて言ひたまふ『今より後いつまでも、人なんぢの果を食はざれ』弟子たち之を聞けり。

彼らエルサレムに到る。イエス宮に入り、その内にて賣買する者どもを逐ひ出し、兩替する者の臺、鴿を賣るものの腰掛を倒し、

また器物を持ちて宮の内を過ぐることを免し給はず。

かつ教へて言ひ給ふ『「わが家は、もろもろの國人の祈の家と稱へらるべし」と録されたるにあらずや、然るに汝らは之を「強盜の巣」となせり』

祭司長・學者ら之を聞き、如何にしてかイエスを亡さんと謀る、それは群衆みな其の教に驚きたれば、彼を懼れしなり。

夕になる毎に、イエス弟子たちと共に都を出でゆき給ふ。

彼ら朝早く路をすぎしに、無花果の樹の根より枯れたるを見る。

ペテロ思ひ出してイエスに言ふ『ラビ、見給へ、詛ひ給ひし無花果の樹は枯れたり』

イエス答へて言ひ給ふ『神を信ぜよ。

まことに汝らに告ぐ、人もし此の山に「移りて海に入れ」と言ふとも、其の言ふところ必ず成るべしと信じて、心に疑はずば、その如く成るべし。

この故に汝らに告ぐ、凡て祈りて願ふ事は、すでに得たりと信ぜよ、さらば得べし。

また立ちて祈るとき、人を怨む事あらば免せ、これは天に在す汝らの父の、汝らの過失を免し給はん爲なり』

[なし]

かれら又エルサレムに到る。イエス宮の内を歩み給ふとき、祭司長・學者・長老たち御許に來りて、

『何の權威をもて此等の事をなすか、誰が此等の事を爲すべき權威を授けしか』と言ふ。

イエス言ひ給ふ『われ一言なんぢらに問はん、答へよ、さらば我も何の權威をもて、此等の事を爲すかを告げん。

ヨハネのバプテスマは、天よりか、人よりか、我に答へよ』

彼ら互に論じて言ふ『もし天よりと言はば「何故かれを信ぜざりし」と言はん。

されど人よりと言はんか……』彼ら群衆を恐れたり、人みなヨハネを實に預言者と認めたればなり。

遂にイエスに答へて『知らず』と言ふ。イエス言ひ給ふ『われも何の權威をもて此等の事を爲すか、汝らに告げじ』

第12章

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イエス譬をもて彼らに語り出で給ふ『ある人、葡萄園を造り、籬を環らし、酒槽の穴を掘り、櫓をたて、農夫どもに貸して、遠く旅立せり。

時いたりて農夫より葡萄園の所得を受取らんとて、僕をその許に遣ししに、

彼ら之を執へて打ちたたき、空手にて歸らしめたり。

又ほかの僕を遣ししに、その首に傷つけ、かつ辱しめたり。

また他の者を遣ししに、之を殺したり。又ほかの多くの僕をも、或は打ち或は殺したり。

なほ一人あり、即ち其の愛しむ子なり「わが子は敬ふならん」と言ひて、最後に之を遣ししに、

かの農夫ども互に言ふ「これは世嗣なり、いざ之を殺さん、さらばその嗣業は、我らのものとなるべし」

乃ち執へて之を殺し、葡萄園の外に投げ棄てたり。

さらば葡萄園の主、なにを爲さんか、來りて農夫どもを亡し、葡萄園を他の者どもに與ふべし。

汝ら聖書に

「造家者らの棄てたる石は、
これぞ隅の首石となれる。
これ主によりて成れるにて、
我らの目には奇しきなり」

とある句をすら讀まぬか』

ここに彼等イエスを執へんと思ひたれど、群衆を恐れたり、この譬の己らを指して言ひ給へるを悟りしに因る。遂にイエスを離れて去り往けり。

かくて彼らイエスの言尾をとらへて陷入れん爲に、パリサイ人とヘロデ黨との中より、數人を御許に遣す。

その者ども來りて言ふ『師よ、我らは知る、汝は眞にして、誰をも憚りたまふ事なし、人の外貌を見ず、眞をもて神の道を教へ給へばなり。我ら貢をカイザルに納むるは、宜きか、惡しきか、納めんか、納めざらんか』

イエス其の詐僞なるを知りて『なんぞ我を試むるか、デナリを持ち來りて我に見せよ』と言ひ給へば、

彼ら持ち來る。イエス言ひ給ふ『これは誰の像、たれの號なるか』『カイザルのなり』と答ふ。

イエス言ひ給ふ『カイザルの物はカイザルに、神の物は神に納めよ』彼らイエスに就きて甚だ怪しめり。

また復活なしと云ふサドカイ人ら、イエスに來り問ひて言ふ

『師よ、モーセは、人の兄弟もし子なく妻を遺して死なば、その兄弟かれの妻を娶りて、兄弟のため嗣子を擧ぐべしと、我らに書き遺したり。

ここに七人の兄弟ありて、兄妻を娶り、嗣子なくして死に、

第二の者その女を娶り、また嗣子なくして死に、第三の者もまた然なし、

七人とも嗣子なくして死に、終には其の女も死にたり。

復活のとき彼らみな甦へらんに、この女は誰の妻たるべきか、七人これを妻としたればなり』

イエス言ひ給ふ『なんぢらの誤れるは、聖書をも神の能力をも知らぬ故ならずや。

人、死人の中より甦へる時は、娶らず、嫁がず、天に在る御使たちの如くなるなり。

死にたる者の甦へる事に就きては、モーセの書の中なる柴の條に、神モーセに「われはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神なり」と告げ給ひし事あるを、未だ讀まぬか。

神は死にたる者の神にあらず、生ける者の神なり。なんぢら大に誤れり』

學者の一人、かれらの論じをるを聞き、イエスの善く答へ給へるを知り、進み出でて問ふ『すべての誡命のうち、何か第一なる』

イエス答へたまふ『第一は是なり「イスラエルよ聽け、主なる我らの神は唯一の主なり。

なんぢ心を盡し、精神を盡し、思を盡し、力を盡して、主なる汝の神を愛すべし」

第二は是なり「おのれの如く汝の隣を愛すべし」此の二つより大なる誡命はなし』

學者いふ『善きかな師よ「神は唯一にして他に神なし」と言ひ給へるは眞なり。

「こころを盡し、知慧を盡し、力を盡して神を愛し、また己のごとく隣を愛する」は、もろもろの燔祭および犧牲に勝るなり』

イエスその聰く答へしを見て言ひ給ふ『なんぢ神の國に遠からず』此の後たれも敢へてイエスに問ふ者なかりき。

イエス宮にて教ふるとき、答へて言ひ給ふ『なにゆゑ學者らはキリストをダビデの子と言ふか。

ダビデ聖靈に感じて自らいへり

「主わが主に言ひ給ふ、
我なんぢの敵を汝の足の下に置くまでは、
我が右に坐せよ」と。

ダビデ自ら彼を主と言ふ、されば爭でその子ならんや』大なる群衆は喜びてイエスに聽きたり。

イエスその教のうちに言ひたまふ『學者らに心せよ、彼らは長き衣を著て歩むこと、市場にての敬禮、

會堂の上座、饗宴の上席を好み、

また寡婦らの家を呑み、外見をつくりて長き祈をなす。その受くる審判は更に嚴しからん』

イエス賽錢函に對ひて坐し、群衆の錢を賽錢函に投げ入るるを見給ふ。富める多くの者は、多く投げ入れしが、

一人の貧しき寡婦きたりて、レプタ二つを投げ入れたり、即ち五厘ほどなり。

イエス弟子たちを呼び寄せて言ひ給ふ『まことに汝らに告ぐ、この貧しき寡婦は、賽錢函に投げ入るる凡ての人よりも多く投げ入れたり。

凡ての者は、その豐なる内よりなげ入れ、この寡婦は其の乏しき中より、凡ての所有、即ち己が生命の料をことごとく投げ入れたればなり』

第13章

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イエス宮を出で給ふとき、弟子の一人いふ『師よ、見給へ、これらの石、これらの建造物、いかに盛ならずや』

イエス言ひ給ふ『なんぢ此等の大なる建造物を見るか、一つの石も崩されずしては石の上に殘らじ』

オリブ山にて宮の方に對ひて坐し給へるに、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレ竊に問ふ

『われらに告げ給へ、これらの事は何時あるか、又すべて此等の事の成し遂げられんとする時は、如何なる兆あるか』

イエス語り出で給ふ『なんぢら人に惑されぬやうに心せよ。

多くの者わが名を冒し來り「われは夫なり」と言ひて多くの人を惑さん。

戰爭と戰爭の噂とを聞くとき懼るな、かかる事はあるべきなり、されど未だ終にはあらず。

即ち「民は民に、國は國に逆ひて起たん」また處々に地震あり、饑饉あらん、これらは産の苦難の始なり。

汝等みづから心せよ、人々なんぢらを衆議所に付さん。なんぢら會堂に曳かれて打たれ、且わが故によりて、司たち及び王たちの前に立てられん、これは證をなさん爲なり。

かくて福音は先づもろもろの國人に宣傳へらるべし。

人々なんぢらを曳きて付さんとき、何を言はんと預じめ思ひ煩ふな、唯そのとき授けらるることを言へ、これ言ふ者は汝等にあらず、聖靈なり。

兄弟は兄弟を、父は子を死にわたし、子らは親たちに逆ひ立ちて死なしめん。

又なんぢら我が名の故に凡ての人に憎まれん、されど終まで耐へ忍ぶ者は救はるべし。

「荒す惡むべき者」の立つべからざる所に立つを見ば(讀むもの悟れ)その時ユダヤにをる者どもは、山に遁れよ。

屋の上にをる者は、内に下るな。また家の物を取り出さんとて内に入るな。

畑にをる者は上衣を取らんとて歸るな。

其の日には孕りたる女と、乳を哺まする女とは禍害なるかな。

この事の冬おこらぬやうに祈れ、

その日は患難の日なればなり。神の萬物を造り給ひし開闢より今に至るまで、かかる患難はなく、また後にもなからん。

主その日を少くし給はずば、救はるる者一人だになからん。されど其の選び給ひし選民の爲に、その日を少くし給へり。

其の時なんぢらに「視よ、キリスト此處にあり」「視よ、彼處にあり」と言ふ者ありとも信ずな。

僞キリスト・僞預言者ら起りて、徴と不思議とを行ひ、爲し得べくは、選民をも惑さんとするなり。

汝らは心せよ、あらかじめ之を皆なんぢらに告げおくなり。

其の時、その患難ののち、日は暗く、月は光を發たず。

星は空より隕ち、天にある萬象ふるひ動かん。

其のとき人々、人の子の大なる能力と榮光とをもて、雲に乘り來るを見ん。

その時かれは使者たちを遣して、地の極より天の極まで、四方より其の選民をあつめん。

無花果の樹よりの譬を學べ、その枝すでに柔かくなりて葉芽ぐめば、夏の近きを知る。

かくの如く此等のことの起るを見ば、人の子すでに近づきて門邊にいたるを知れ。

まことに汝らに告ぐ、これらの事ことごとく成るまで、今の代は過ぎ逝くことなし。

天地は過ぎゆかん、されど我が言は過ぎ逝くことなし。

その日その時を知る者なし。天にある使者たちも知らず、子も知らず、ただ父のみ知り給ふ。

心して目を覺しをれ、汝等その時の何時なるかを知らぬ故なり。

例へば家を出づる時、その僕どもに權を委ねて、各自の務を定め、更に門守に、目を覺しをれと命じ置きて、遠く旅立したる人のごとし。

この故に目を覺しをれ、家の主人の歸るは、夕か、夜半か、鷄鳴くころか、夜明か、いづれの時なるかを知らねばなり。

恐らくは俄に歸りて、汝らの眠れるを見ん。

わが汝らに告ぐるは、凡ての人に告ぐるなり。目を覺しをれ』

第14章

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さて過越と除酵との祭の二日前となりぬ。祭司長・學者ら詭計をもてイエスを捕へ、かつ殺さんと企てて言ふ

『祭の間は爲すべからず、恐らくは民の亂あるべし』

イエス、ベタニヤに在して、癩病人シモンの家にて食事の席につき居給ふとき、或女、價高き混なきナルドの香油の入りたる石膏の壺を持ち來り、その壺を毀ちてイエスの首に注ぎたり。

ある人々、憤ほりて互に言ふ『なに故かく濫に油を費すか、

この油を三百デナリ餘に賣りて、貧しき者に施すことを得たりしものを』而して甚く女を咎む。

イエス言ひ給ふ『その爲すに任せよ、何ぞこの女を惱すか、我に善き事をなせり。

貧しき者は常に汝らと偕にをれば、何時にても心のままに助け得べし、されど我は常に汝らと偕にをらず。

此の女は、なし得る限をなして、我が體に香油をそそぎ、あらかじめ葬りの備をなせり。

まことに汝らに告ぐ、全世界いづこにても、福音の宣傅へらるる處には、この女の爲しし事も記念として語らるべし』

ここに十二弟子の一人なるイスカリオテのユダ、イエスを賣らんとて祭司長の許にゆく。

彼等これを聞きて喜び、銀を與へんと約したれば、ユダ如何にしてか機好くイエスを付さんと謀る。

除酵祭の初の日、即ち過越の羔羊を屠るべき日、弟子たちイエスに言ふ『過越の食をなし給ふために、我らが何處に往きて備ふることを望み給ふか』

イエス二人の弟子を遣さんとして言ひたまふ『都に往け、然らば水をいれたる瓶を持つ人、なんぢらに遇ふべし。之に從ひ往き、

その入る所の家主に「師いふ、われ弟子らと共に過越の食をなすべき座敷は何處なるか」と言へ。

さらば調へ備へたる大なる二階座敷を見すべし。其處に我らのために備へよ』

弟子たち出で往きて都に入り、イエスの言ひ給ひし如くなるを見て、過越の設備をなせり。

日暮れてイエス十二弟子とともに往き、

みな席に就きて食するとき言ひ給ふ『まことに汝らに告ぐ、我と共に食する汝らの中の一人、われを賣らん』

弟子たち憂ひて一人一人『われなるか』と言ひ出でしに、

イエス言ひたまふ『十二のうちの一人にて、我と共にパンを鉢に浸す者は夫なり。

實に人の子は己に就きて録されたる如く逝くなり。されど人の子を賣る者は禍害なるかな、その人は生れざりし方よかりしものを』

彼ら食しをる時、イエス、パンを取り、祝してさき、弟子たちに與へて言ひたまふ『取れ、これは我が體なり』

また酒杯を取り、謝して彼らに與へ給へば、皆この酒杯より飮めり。

また言ひ給ふ『これは契約の我が血、おほくの人の爲に流す所のものなり。

まことに汝らに告ぐ、神の國にて新しきものを飮む日までは、われ葡萄の果より成るものを飮まじ』

かれら讃美をうたひて後、オリブ山に出でゆく。

イエス弟子たちに言ひ給ふ『なんぢら皆躓かん、それは「われ牧羊者を打たん、さらば羊散るべし」と録されたるなり。

されど我よみがへりて後、なんぢらに先だちてガリラヤに往かん』

時にペテロ、イエスに言ふ『假令みな躓くとも、我は然らじ』

イエス言ひ給ふ『まことに汝に告ぐ、今日この夜、鷄ふたたび鳴く前に、なんぢ三たび我を否むべし』

ペテロ力をこめて言ふ『われ汝とともに死ぬべき事ありとも、汝を否まず』弟子たち皆かく言へり。

彼らゲツセマネと名づくる處に到りし時、イエス弟子たちに言ひ給ふ『わが祈る間、ここに座せよ』

かくてペテロ、ヤコブ、ヨハネを伴ひゆき、甚く驚き、かつ悲しみ出でて言ひ給ふ

『わが心いたく憂ひて死ぬばかりなり、汝ら此處に留りて目を覺しをれ』

少し進みゆきて、地に平伏し、若しも得べくば此の時の己より過ぎ往かんことを祈りて言ひ給ふ

『アバ父よ、父には能はぬ事なし、此の酒杯を我より取り去り給へ。されど我が意のままを成さんとにあらず、御意のままを成し給へ』

來りて、その眠れるを見、ペテロに言ひ給ふ『シモンよ、なんぢ眠るか、一時も目を覺しをること能はぬか。

なんぢら誘惑に陷らぬやう、目を覺しかつ祈れ。實に心は熱すれども肉體よわきなり』

再びゆき、同じ言にて祈り給ふ。

また來りて彼らの眠れるを見たまふ、是その目いたく疲れたるなり、彼ら何と答ふべきかを知らざりき。

三度來りて言ひたまふ『今は眠りて休め、足れり、時きたれり、視よ、人の子は罪人らの手に付さるるなり。

起て、われらは往くべし。視よ、我を賣る者ちかづけり』

なほ語りゐ給ふほどに、十二弟子の一人なるユダ、やがて近づき來る、祭司長・學者・長老らより遣されたる群衆、劍と棒とを持ちて之に伴ふ。

イエスを賣るもの、あらかじめ合圖を示して言ふ『わが接吻する者はそれなり、之を捕へて確と引きゆけ』

かくて來りて直ちに御許に往き『ラビ』と言ひて接吻したれば、

人々イエスに手をかけて捕ふ。

傍らに立つ者のひとり、劍を拔き、大祭司の僕を撃ちて、耳を切り落せり。

イエス人々に對ひて言ひ給ふ『なんぢら強盜にむかふ如く、劍と棒とを持ち、我を捕へんとて出で來るか。

我は日々なんぢらと偕に宮にありて教へたりしに、我を執へざりき、されど是は聖書の言の成就せん爲なり』

其のとき弟子みなイエスを棄てて逃げ去る。

ある若者、素肌に亞麻布を纏ひて、イエスに從ひたりしに、人々これを捕へければ、

亞麻布を棄て裸にて逃げ去れり。

人々イエスを大祭司の許に曳き往きたれば、祭司長・長老・學者ら皆あつまる。

ペテロ遠く離れてイエスに從ひ、大祭司の中庭まで入り、下役どもと共に坐して火に煖まりゐたり。

さて祭司長ら及び全議會、イエスを死に定めんとて、證據を求むれども得ず。

それはイエスに對して僞證する者多くあれども、其の證據あはざりしなり。

遂に或者ども起ちて僞證して言ふ

『われら此の人の「われは手にて造りたる此の宮を毀ち、手にて造らぬ他の宮を三日にて建つべし」と云へるを聞けり』

然れど尚この證據もあはざりき。

ここに大祭司、中に立ちイエスに問ひて言ふ『なんぢ何をも答へぬか、此の人々の立つる證據は如何に』

されどイエス默して何をも答へ給はず。大祭司ふたたび問ひて言ふ『なんぢは頌むべきものの子キリストなるか』

イエス言ひ給ふ『われは夫なり、汝ら、人の子の全能者の右に坐し、天の雲の中にありて來るを見ん』

此のとき大祭司おのが衣を裂きて言ふ『なんぞ他に證人を求めん。

なんぢら此の瀆言を聞けり、如何に思ふか』かれら擧りてイエスを死に當るべきものと定む。

而して或者どもはイエスに唾し、又その顏を蔽ひ、拳にて搏ちなど爲始めて言ふ『預言せよ』下役どもイエスを受け、手掌にてうてり。

ペテロ下にて中庭にをりしに、大祭司の婢女の一人きたりて、

ペテロの火に煖まりをるを見、これに目を注めて『汝もかのナザレ人イエスと偕に居たり』と言ふ。

ペテロ肯はずして『われは汝の言ふことを知らず、又その意をも悟らず』と言ひて庭口に出でたり。

婢女かれを見て、また傍らに立つ者どもに『この人はかの黨與なり』と言ひ出でしに、

ペテロ重ねて肯はず、暫くしてまた傍らに立つ者どもペテロに言ふ『なんぢは慥にかの黨與なり、汝もガリラヤ人なり』

此の時ペテロ盟ひかつ誓ひて『われは汝らの言ふ其の人を知らず』と言ひ出づ。

その折しも、また鷄なきぬ。ペテロ『にはとり二度なく前に、なんぢ三度われを否まん』とイエスの言ひ給ひし御言を思ひいだし、思ひ反して泣きたり。

第15章

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夜明るや直ちに、祭司長・長老・學者ら、即ち全議會ともに相議りて、イエスを縛り、曳きゆきてピラトに付す。

ピラト、イエスに問ひて言ふ『なんぢはユダヤ人の王なるか』答へて言ひ給ふ『なんぢの言ふが如し』

祭司長らさまざまに訴ふれば、

ピラトまた問ひて言ふ『なにも答へぬか、視よ、如何に多くの事をもて訴ふるか』

されどピラトの怪しむばかり、イエス更に何をも答へ給はず。

さて祭の時には、ピラト民の願に任せて、囚人ひとりを赦す例なるが、

ここに一揆を起し、人を殺して繋がれをる者の中に、バラバといふ者あり。

群衆すすみ來りて、例の如くせんことを願ひ出でたれば、

ピラト答へて言ふ『ユダヤ人の王を赦さんことを願ふか』

これピラト、祭司長らのイエスを付ししは、嫉に因ると知る故なり。

されど祭司長ら群衆を唆かし、反つてバラバを赦さんことを願はしむ。

ピラトまた答へて言ふ『さらば汝らがユダヤ人の王と稱ふる者をわれ如何にすべきか』

人々また叫びて言ふ『十字架につけよ』

ピラト言ふ『そも彼は何の惡事を爲したるか』かれら烈しく叫びて『十字架につけよ』と言ふ。

ピラト群衆の望を滿さんとて、バラバを釋し、イエスを鞭うちたるのち、十字架につくる爲にわたせり。

兵卒どもイエスを官邸の中庭に連れゆき、全隊を呼び集めて、

彼に紫色の衣を著せ、茨の冠冕を編みて冠らせ、

『ユダヤ人の王、安かれ』と禮をなし始め、

また葦にて其の首をたたき、唾し、跪づきて拜せり。

かく嘲弄してのち、紫色の衣を剥ぎ、故の衣を著せ、十字架につけんとて曳き出せり。

時にアレキサンデルとルポスとの父シモンといふクレネ人、田舍より來りて通りかかりしに、強ひてイエスの十字架を負はせ、

イエスをゴルゴダ、釋けば髑髏といふ處に連れ往けり。

かくて沒藥を混ぜたる葡萄酒を與へたれど、受け給はず。

彼らイエスを十字架につけ、而して誰が何を取るべきと、鬮を引きて其の衣を分つ、

イエスを十字架につけしは、朝の九時頃なりき。

その罪標には『ユダヤ人の王』と書せり。

イエスと共に、二人の強盜を十字架につけ、一人をその右に、一人をその左に置く。

[なし]

往來の者どもイエスを譏り、首を振りて言ふ『ああ、宮を毀ちて三日のうちに建つる者よ、

十字架より下りて己を救へ』

祭司長らも亦同じく、學者らと共に嘲弄して互に言ふ『人を救ひて、己を救ふこと能はず、

イスラエルの王キリスト、いま十字架より下りよかし、さらば我ら見て信ぜん』共に十字架につけられたる者どもも、イエスを罵りたり。

晝の十二時に、地のうへ徧く暗くなりて、三時に及ぶ。

三時にイエス大聲に『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』と呼はり給ふ。之を釋けば、わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給ひし、との意なり。

傍らに立つ者のうち或人々これを聞きて言ふ『視よ、エリヤを呼ぶなり』

一人はしり往きて、海綿に酸き葡萄酒を含ませて葦につけ、イエスに飮ましめて言ふ『待て、エリヤ來りて、彼を下すや否や、我ら之を見ん』

イエス大聲を出して息絶え給ふ。

聖所の幕、上より下まで裂けて二つとなりたり。

イエスに向ひて立てる百卒長、かかる樣にて息絶え給ひしを見て言ふ『實にこの人は神の子なりき』

また遙に望み居たる女たちあり、その中にはマグダラのマリヤ、小ヤコブとヨセとの母マリヤ、及びサロメなども居たり。

彼らはイエスのガリラヤに居給ひしとき、從ひ事へし者どもなり。此の他イエスと共にエルサレムに上りし多くの女もありき。

日既に暮れて、準備日すなはち安息日の前の日となりたれば、

貴き議員にして、神の國を待ち望める、アリマタヤのヨセフ來りて、憚らずピラトの許に往き、イエスの屍體を乞ふ。

ピラト、イエスは早や死にしかと訝り、百卒長を呼びて、その死にしより時經しや否やを問ひ、

既に死にたる事を百卒長より聞き知りて、屍體をヨセフに與ふ。

ヨセフ亞麻布を買ひ、イエスを取下して之に包み、岩に鑿りたる墓に納め、墓の入口に石を轉し置く。

マグダラのマリヤとヨセの母マリヤと、イエスを納めし處を見ゐたり。

第16章

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安息日終りし時、マグダラのマリヤ、ヤコブの母マリヤ及びサロメ、往きてイエスに抹らんとて香料を買ひ、

一週の首の日、日の出でたる頃いと早く墓にゆく。

誰か我らの爲に墓の入口より石を轉すべきと語り合ひしに、

目を擧ぐれば、石の既に轉しあるを見る。この石は甚だ大なりき。

墓に入り、右の方に白き衣を著たる若者の坐するを見て甚く驚く。

若者いふ『おどろくな、汝らは十字架につけられ給ひしナザレのイエスを尋ぬれど、既に甦へりて、此處に在さず。視よ、納めし處は此處なり。

されど往きて弟子たちとペテロとに告げよ「汝らに先だちてガリラヤに往き給ふ、彼處にて謁ゆるを得ん、曾て汝らに言ひ給ひしが如し」』

女たち甚く驚きをののき、墓より逃げ出でしが、懼れたれば一言をも人に語らざりき。

[一週の首の日の拂曉、イエス甦へりて先づマグダラのマリヤに現れたまふ、前にイエスが七つの惡鬼を逐ひいだし給ひし女なり。

マリヤ往きて、イエスと偕にありし人々の、泣き悲しみ居るときに之を告ぐ。

彼らイエスの活き給へる事と、マリヤに見え給ひし事とを聞けども信ぜざりき。

此の後その中の二人、田舍に往く途を歩むほどに、イエス異なりたる姿にて現れ給ふ。

此の二人ゆきて、他の弟子たちに之を告げたれど、なほ信ぜざりき。

其ののち十一弟子の食しをる時に、イエス現れて、己が甦へりたるを見し者どもの言を信ぜざりしにより、其の信仰なきと、其の心の頑固なるとを責め給ふ。

かくて彼らに言ひたまふ『全世界を巡りて凡ての造られしものに福音を宣傳へよ。

信じてバプテスマを受くる者は救はるべし、然れど信ぜぬ者は罪に定めらるべし。

信ずる者には此等の徴ともなはん。即ち我が名によりて惡鬼を逐ひいだし、新しき言をかたり、

蛇を握るとも、毒を飮むとも、害を受けず、病める者に手をつけなば癒えん』

語り終へてのち、主イエスは天に擧げられ、神の右に坐し給ふ。

弟子たち出でて、あまねく福音を宣傳へ、主も亦ともに働き、伴ふところの徴をもて、御言を確うし給へり〕