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この物語と、次の『ベルと龍』とは、前の『三童兒の歌』と共に、ダニエル書への追加として取扱はるへ[べ]きものなり。
1 バビロンに住める人あり、その名をヨアキムといふ。
2 かれ妻を娶る。その名をスザンナと呼び、ヘルキアの娘にていと美しく、主を畏るる婦人なりき。
3 その兩親もまた義しき者にて、モーセの律法に從ひてその娘を教へたり。
4 ヨアキムは裕なる富を持てる者にて、その邸宅につづきて麗はしき庭園あり。ユダヤ人ら來りて彼と親しむ。そは彼は他のすべての者に優りて、敬はれ居たればなり。
5 その年、二人の民の長老、審判官に任ぜらる。それは『惡はバビロンより、民を治むるが如く見ゆる老いたる審判官より來れり』と、主の語り給へるが如き審判官なりき。
6 此等の審到官は多くヨアキムの邸宅に集ひしが、訴訟をなす者は悉く彼等に來れり。
7 さて晝の頃、人々去り行きし時、散歩せんとてスザンナは夫の庭園に出でぬ。
8 而して二人の長老は、日毎に彼の女が庭園に歩むを盗み見て、秘にかれに向ひて情慾を燃し居たり。
9 かくて彼ら、天を仰ぎ見ることをせざらんため、また正しき審判を思ひ出でざらん爲に自らの心を曲げ、眼を背けたり。
10 彼らは共に戀のために傷つきながらも、敢て各自その惱を色に現さず。
11 彼らはこの女を獲んと願ひ居たれば、自らの情慾を語るを恥ぢたるなり。
12 されど彼らは日々熱心に、彼の姿を看守りぬ。
13 一人のもの他のものを顧みていへり『いざ我ら家に歸らん、時は晝餐頃なればなり』と。
14 かくて彼ら出で行きしが、互に對手を出
し拔きて、再び同じ處に歸り來れり。程經て彼ら互に、その故を問ひ、互にその戀を語り合へり。茲に彼らは、スザンナが唯一人あるを窺ひ、互に相會ふべき時を定めたり。
15 偶々彼らが狙ひ居たる好き機は來れり。かの女は常の如く、二人の侍女を伴ひて出でしが、暑氣甚しかりしかば、かれは園にて身を洗はんことを欲へり。
16 その時、身を隱して彼の女を見つめたる二人の長老を除きて、誰もその傍に居る者なかりき。
17 時にスザンナ、侍女たちにいひぬ『我に香油と盥とを持ち來れ、また園の扉を閉せ、我浴せん』と。
18 侍女たちは命ぜらるる儘に園の扉を鎖し、委ねられたる事をなさんと、各自その室に退きたり。されど侍女らは長老たちを見ざりき。彼ら隱れ居たればなり。
19 さて侍女らの去り行くや、二人の長老は
起ち上り、彼の女に馳せかかりて云へり
20 『視よ、園の扉は鎖され、誰も我らを見る者なし、我らは汝を戀ひ慕ふ、我らの懇望を容れて、我らと寢ねよ
21 汝もし我ちに聽かずば、我ら汝に向ひて證をなし、汝年若き男と偕に居たり、故に侍女らを去らしめたるなりと訴へん。』
22 時にスザンナ嘆息きていひけるは、『我は板挾となりぬ、若し我これを爲さば、そは我にとりて死なり。もし之を爲さずば、汝らの手を脱るる能はず、
23 主の御前に罪を犯さんよりは、むしろ之をなさずして汝らの手に陷るに如かず』と。
24 かくいひて、スザンナ大聲に叫びければ、また二人の長老もかれに對して叫びぬ。
25 時にその一人馳せ來りて園の扉を開けり。
26 また僕ら園に起れる叫を聽きて、彼に何事の起れるかを見んとて裏木戸に押寄せたり。
27 然るに長老ら、彼らの話を告げたれば、召使ら甚く恥ぢたり。そは嘗てスザンナに就きて、かかる噂を聽きしことなかりしが故なり。
28 かくて翌日、人々彼の夫ヨアキムの許に.集ひ來れり。また二人の長老もスザンナを死に定めんものと、その心に姦計を滿しつつ來れり。
29 彼ら人々の前に語りていひぬ『ヘルキアの娘、ヨアキムの妻なるスザンナを召喚せよ』と。彼等かれを引き來りぬ。
30 スザンナは兩親、其の子ら、及び凡ての血族と共に出で來れり。
31 さてスザンナはいと優雅しき婦人にて、容姿美しかりき。
32 而して此等の惡漢ども『彼の女の顔覆を取れ』と命じたり。彼らその美しきを見て心を滿さんとせしなり。
33 その友とすべて彼女を見たるもの悉く泣けり。
34 時に二人の長老ら、人々の中に立ち、彼の頭に手を按きぬ。
35 彼は涙を流しつつ天を仰ぎぬ。心の中に主を信じゐたればなり。
36 長老ら語り出でぬ『我ら園を歩み居る時、此の婦人二人の侍女と偕に入り來り、園の扉を鎖し、侍女らを去らしめたり。
37 時に隱れ居たる一人の若者、この女に近より、これと寢ねたり。
38 たまたま我ら一隅にありてその惡を見たれば、彼らの處に馳せ行けり。
39 我ら彼らの偕に居るを見しも、その若者を捉ふる能はざりき。そは彼は我らよりも強く、扉を開きて、躍り去りたればなり。
40 されど我ら此の女を捉へたり。我らその若者の誰なりしかを訊ねたれど、彼は答ふるを肯はざりき。我らこれ等のことを證す』と。
41 彼らは民の長老また審判者なりしかば、民衆は彼らを信じたり。かくて彼らスザンナを死に定めたり。
42 時にスザンナ大聲に叫びていふ『ああもろもろの秘密を知り、また萬のものの成る前に之を知り給ふ永遠に在す神よ。
43 汝は汝の婢に對して虚僞の證を爲したる彼らを知り給ふ。視よ、婢は死に定められたり。されど婢は、此の人々が、われを陷れんがために、捏造せるかかることを決してなしたるに非ず。』
44 而して主、その訴の聲を聽き給へり。
45 さてスザンナは死に處せられんとて引き行かれしが、主はダニエルと呼ぶ一人の若者の聖靈を奮ひ起たしめ給ひぬ。
46 かれ大聲に叫べり『我は此の婦入の血に與らず』と。
47 時に全會衆、身を回らし、彼に向ひていふ『汝の語れる此等の言は何ぞや』と。
48 かくて彼は人々の直中に起ちていひぬ『汝ら何故にかくも愚なるか、汝らイスラエルの子らよ、問ひ糺すことなく、汝らは、また眞理の知
識に從はずして、此のイスラエルの娘を死に定めたり。
49 再び審判の座に歸れ。そは彼らは、この女に對して虚僞の證を爲したればなり。』
50 ここに於て全會衆は、再び急ぎ身をめぐらししに、長老らダニエルにいひけるは『來れ、我らの問に座し、その思ふ處を我らに示
せ、神は汝に長老たる名譽を與へ給ひしに非ずや』と。
51 時にダニエル彼らにいひけるは、『此らの二人を別ちて、互に遠く離れしめよ、我彼らに問ひ糺さん』と。
52 かく彼ら別れ別れに引き離されし時、彼はその一人を呼びていへり『ああ汝、惡のうちに年を重ねたる者よ、今や汝がさきに犯せるもろもろの罪は悉く明になれり。
53 そは汝僞の審判を宣告し、罪なき者を死に陷れ、罪ある者を赦したり。されど主は宣ふ「汝、罪なき者、また正義者を殺すべからず」と
54 汝もし、かの女を見たりとせば、我に告げよ、彼ら如何なる樹の下に偕に居りしや。』彼答ふ『乳香樹の下に』と。
55 ダニエル答へて云ふ『よし、汝は汝自身の頭に對して僞りたり。神の御使は今宣告を受けたれば、汝を眞二つに截り割|かん』と。
56 斯く彼はその一人を傍に斥け、他の一人を連れ來らしめていふ『汝ユダヤ人にあらざるカナン人の子孫よ、美しき貌汝を欺き、情慾汝の心を曲げしめたり。
57 かく汝らイスラエルの娘らを犯し、彼ら汝を懼れて從へり。されどこのユダの娘は、敢て汝らの惡に從ふを欲せず。
58 されば今我に答へよ、如何なる樹の下にて彼ら偕に在るを見しや。』彼云ふ『柊の樹の下にて。』
59 時にダニエルいふ『よし、汝もまた汝の頭に對して僞れり。神の御使劍を把り、汝を截り割かんとて待ち居るなり、彼なんぢを滅さん』と
60 ここに於て全會衆大聲に叫びて、凡て依り頼む者を救ひ給ふ神を讃めたり。
61 斯て彼ら二人の長老に對して起ち上れり。そはダニエル彼らが僞の證を爲したることを、彼ら自らの唇にて知り、告白せしめ、彼等を罪に定めたればなり。
62 かくてモーセの律法に從ひ、姦計をもて、その隣入に惡をなせる者に相應しく彼らに報い、彼らを死に處したり。而して罪なきの血はその日のうちに救はれたり。
63 故にヘルキアとその妻とは、スザンナの夫ヨアキム及びその凡ての血族とともに、その娘スザンナの爲に、神を讃めたり。そは彼の凡ての汚名は全く雪がれたればなり。
64 その日より後、ダニエルは民の前に大なる名聲を獲たり。