<< 夜間儆醒の行ひの愉快により神に接近し人に顕然たる者の行路の事、及び此の当事者はその生活の凡ての日を蜜にて養はるる事。 >>
人よ、すべて修道士の為す所に於て夜間の儆醒より重要なる何らの務めかありとと思ふなかれ。実に兄弟よ、儆醒は節制者の為に重要にして最も欠く可らざるなり。もし苦行者は身体に属する事と暫時に過ぎ去るものとを慮るが為に分心擾乱することあらずして、己を世より守り、儆醒を以て己を護するならばその智力は暫時に飛揚すること羽翼を生ずる如くにして、高く神を楽しむに至り、神を栄するに速やかに達すべくして、動かし易きと軽きとにより人間の理解に超越する知識に入らん。もし修道士は思慮を以て儆醒を務むるならば、己を見ること肉体を有せざる者の如くなるべし。けだしこれ実に天使の品位の行為なり。此の務めに全生を送る者はその覚醒と心の不眠とその意思を神に専ら向はしむるとにより、大なる賜なくして神に棄てらるる能はざるなり。この儆醒を務むるに自から労し之を以て卓越する霊魂はヘルウィムの如き目を有し、視力を不断高めて、天の観場を直覚せん。
予は思ふ知識と思慮とを以て此の大なる神聖の労を選び此の重きを己に任はんと決心したる者は、此の選べる頌讃すべき行為に於て格闘して、昼は集会の擾乱と事物の懸念とより己を護せざること能はざるべし、然らずんば之により受けんを希ふ奇異なる果と大なる楽みとを失ふの畏れあるによる。此の事を等閑にする者につきては、予は敢て言はん、彼は労すると、眠りを禁ずると、讃美の歌を続くると、舌を苦しむると、徹夜の叩拝とを以て己を疲らすの何故なるを知らずして、反つてその心は聖詠を唱ふにも祈祷にも関はるなく、恰も習慣により導かるるものの如く、無思慮に労するものなりと。若し此は予の言ひし如くならずんば彼が毎々労して種を播くに拘はらず、大なる恩恵と果実を穫るの力とを奪はるるは、何故なるか。けだしもし此れらの懸念に易えて神聖なる書の誦読に黽勉し、之を以て智を堅め、特に祈祷の為に灌漑となりて祈祷に密着合同すると共に智に光明を與ふる儆醒に助くるならば、この誦読により正しき路に向つて教導者を得べく、祈祷的直覚を存養するすべての為に種子となるべきものと、意思を高超より遮止すべきものとを得て、旋回して無益なるものに養はるるをゆるさざるべく、神を念ふ記憶を不断霊中に捲き、神意を悦ばしめたる諸聖者の路を指示して、智は鋭敏と聡慧とを得るに至らん、一言にてこれを言へばかくの如き行為の成熟なる果実を得ん。
人よ、何故にかく無思慮に己を処するか。夜は徹夜の拝を行ひ、詩章、歌頌、祈願を以て自から労すれども、昼に至り暫時の勉励により人と共に苦しむが為に神の恩寵を賜はるを汝には難渋にして容易ならざるものの如く意ふか。何故汝は自から労して夜間に播くも、昼に至りその労を滅ぼして無結果なる者となり、その得たる所の不眠と惺々たる心と熱愛とを浪費し、人と物とに接するの煩はしきを以て徒らに己の労を滅ぼして、之が為に何等の確たる弁解もあるなきか。けだし汝の為に日中為す所と心的談話の熱愛とは夜間の練習に相応するものとなりて、彼此の間に間歇あるなくんば、汝はイイススの懐に投ずるを得ん。
さりながら汝が無思慮に生活すると、修道士の徹夜せざるべからざるは何故なるを知らざるとは此により明了なり。汝は此事を定められしはただ汝を困しめんが為にて之より生ずる他の何の故にもあらずと思ふ。しかれども苦行者らが何の希望を以て睡眠に抗し、天性を強ひてその身体と意思の不眠なる状態により毎夜その願ひを献ぐるの何故なるを恩寵に依り確知するを賜はりし者は、日中保護の力を知るべく、こは夜間の黙想により智に如何なる助を與へ、思想の上に如何なる権を執りて如何なる浄潔に達すると、強ふるなく、戦ふなくして智に徳行の群を如何に與へらるるとを知り、思想の貴きを自由に認識せん。然して予は之に加へて言はん、もし身体は無力の為に弱りて禁食する能はざらんときは、智は一の警醒を以て霊魂を尊貴にみちびき、心に開悟を與へて霊神上の力を確知するを得ん。ただ願はくは日中反抗する事故の増加するが為に滅されざらんことを。
ゆえに神の前に惺々たる心と新生命の認識とを得んと欲する汝に願ふ、汝は畢生儆醒を務めて怠るなからんことを。けだし之により汝の目は開かれて、此生涯のすべての栄と正義の路の力とを見んとすればなり。然れどももし〔願くは之れあらざんことを〕汝に怠惰の念の再び生ずるあらば、恐らくは彼は汝に巣を作らん、何となればすべて此の如きを常に汝に許す汝の扶助者は汝を試みんと欲するによる、何の理由により汝は或は熱愛に或は冷淡に変ずるか、或は身体の薄弱によるか、或は常に汝が執行する聖詠を歌い続くることと、心を込むる祈祷と、汝が行ふに慣れたる無数の跪拝の労を忍耐するが為に力の乏しきによるか、之を試みんと欲するによる、ゆえに愛を以て汝に願ふ、もし汝に此力足らずして、之を遂ぐる能はずんば、座すといへども警醒し、心にて祈祷せよ、眠に就くなかれ、すべての方法を用い、座して善良なる思想を練りつつ、不眠を以て夜を送るべし。その心を頑にするなかれ、睡眠を以て之を昏ますなかれ、然らば恩寵に依り以前の熱愛と軽快と能力とは再び汝に来りて踊躍し、神を感謝しつつ大に悦懌せん、何となれば此冷淡と如此の悒鬱[1]とは人を試験し且探知するが為に許さるるものなればなり。もし人は己を奮起し、熱愛と少しく己を強ふるとを以て之を己より振落とすならば、恩寵は彼に近づくこと以前の如くなるべくして、すべての幸福と種々の助けの隠るる他の能力の来るあらん。さらば人は以前の悒鬱とその変ぜし軽快と能力とを想起し、此差異と、動かし易きと、かくの如き変化を俄に己に受けたることを想像し、愕然として驚かん。さらば此時より聡慧なる者となるべくして、もし此の如くなる悒鬱の人に起るあらば、先の経験により之を知らん。然れども人は初度に奮闘せずんば、此経験を得る能はざるべし。人は身体の性の衰弱せざる限りは、少しく己を奮起して戦時に忍耐するならば、幾ばくか智慧付けらるるを見るか。しかれども此は最早争闘には有らず、薄弱の為に已むを得ざるなり。けだし此の場合に天性と闘ふは益なきなり。さりながら他のすべての場合に於てはすべての人に有益なるものに己を強ふるは人の為に甚だ善なりとす。
不断の黙想と併せて読経すると、節制して食を甞むると、儆醒とは、その黙想を破るべき何らの事故もあらずんば、速やかに意思を鼓舞して愕然たらしめん。黙想する者らに予め力むるなくして自然に生ずる意思は、その流るる涙とその瞼を洗ふ富とにより両眼を洗盤の如くならしめん。
しかれども汝の身体は節制と儆醒と黙想に専らなるとにより鎮めらるれど、汝の身体に天然の感動にあらずして放蕩なる慾念の起るあらば、知るべし汝は驕傲の意思を以て試みらるるを。その食に灰を和し、その腹を地に貼け、汝の何を思念したるを探求して、その性の変化とその天然に悖る作用とを審知せよ。その時は思ふに神は汝を憐れみ汝に光を遣はして、汝に謙遜を学ばしめ、汝の罪は汝に成長せざるべし。ゆえに自から悔改を認めず謙遜を見付けずして、我らの心が神に安んずるに至らざる間は、奮闘して尽力するを止めざらん。彼に光栄と権柄は世々に。「アミン」。