エジソンの火星征服/第4章
第4章
編集エジソン氏がどのような姿勢でこの大変な仕事に取り組んだかは言うまでもないだろう。彼は六ヶ月の間ハンマーを振るい続け、公言したとおり百隻の空中船(分解器搭載)を港および再建中のニューヨーク市の空に送り出した。
見事な眺めだった。宙に浮かぶ巨船の磨き上げられた舷側が日光を反射してきらめく。空気の流れに乗った船団がゆっくりと上昇・下降し、そして軽快に反転する様はまるで見えないケーブルに吊られているかのようだった。そして各船の色鮮やかな三角旗が船首から船尾へと波打つ様子を見るとさながら巨大なハチドリの群れが羽ばたいているかのようであった。
火星の大気が地球人にとって呼吸可能であるかどうかは未知であったため、乗船者が外に出ずに周囲を調べられるようエジソン氏は電気船にガラス張りの開口部を豊富に設けた。ガラスの種類を慎重に選択することにより、分解器の振動波は船窓に損害を与えず外に発射できるようになっていた。船窓はうまく配置されているため分解器をどの方向にも(必要とあらば上や下にも)向けることができた。
何せ実験ができないため、火星人の破壊光線に対して満足のゆく防御策は考案されていなかった。破壊光線の秘密は未だ敵の手の内にあった。だがエジソン氏は、たとえそれを防げなくとも素早く避けることは可能だと信じていた。エジソン氏が指摘するところでは、火星人が地球侵略時に使用した戦闘機械は全くもって鈍重で扱いづらい装置である。いっぽう地球側の電気空中船はスピードと運用性に極めて優れている。前進、方向転換、後退、上昇、下降を水中の魚のごとく迅速かつ容易に執り行えるのである。例の謎めいた電光が船体に当たっても機動性を活かして素早く回避すれば損傷は軽減できるとエジソン氏は計算していた。
この予測は誤りかもしれず、われわれは自分たちの能力を過大評価しているのかもしれなかった。だがどちらにしても我々は手持ちの材料で勝負してみるしかなかった。
火星人を監視する
編集いま莫大な数の群衆――ワシントン大会議に集まった人数を上回る――が、いまや出港準備に余念がない火星行き船団の集合と出発を目撃せんとニューヨークや近郊の街にひしめき合っていた。六か月前に天文台が報告した奇妙な現象は、火星が再び地球侵略を計画中である証左であるとして認識されていた。もし火星人がすでに準備を完了しているのだとしたら、地球に来ないのは宇宙航行にしくじったか、あるいはひょっとすると今回は別の惑星が狙いなのだろうか。
火星遠征に科学界は強い関心を示した。あらゆる文明国から各分野の代表者が駆けつけ、科学への貢献という大義を説いて何とか乗船権を獲得しようと骨を折った。しかし残念ながら船内空間の問題から、エジソン氏は科学者枠をきっかり1000人に制限することを余儀なくされたのだった。
大ナポレオンの故事に倣い
編集ナポレオンがエジプト遠征において文学や科学に関する知識を有する随行員を随伴した故事に範をとり、エジソン氏は最も重要な天文学者、考古学者、人類学者、植物学者、細菌学者、化学者、物理学者、機械工によって構成される調査隊を編成した。調査隊には鉱業、冶金学、気象学者等、その他実用的な科学のあらゆる分野の専門家だけでなく、芸術家や写真家も含まれた。別の世界、しかも火星のように地球よりもはるかに歴史のある世界においてこれらの人々がエジプトやバビロニアの古代遺跡における発見に匹敵する発見をもたらすことは想像に難くはなかった。
別世界を征服するために
編集それは素晴らしい目論見であり、同時に奇妙な光景でもあった。船に向けられていた広大な群衆の目を驚かせた不安感があった。事業の壮大な性格を考えると、遠征はそれほど大規模であるとは言えなかった。それぞれの電気船は、約20人の乗員と共に豊富な量の圧縮された物資、圧縮空気、科学装置なども輸送した。できれば別の世界を征服しようとする人々は総勢約2,000人にも達したのだった! しかし、数は少ないものの、彼らは地球の花であり、この惑星の俊英ぞろいであった。理論的にも実用的にも、科学の偉大な指導者達がそこに存在していた。それは火星の進化に対抗する地球の進化であった。それは、全盛期を迎えた惑星と、老朽化した世界との対決であった。両者には絶望が存在した。地球にとって絶望的だったのは、まず敵を滅ぼすことができない限り、滅亡を予見していたからである。火星にとって絶望的だったのは、自然が生命を維持する手段を徐々に奪っていたので、火星は絶望的であり、その溢れんばかりの人口は、過密状態の蜂の巣の収容者のように群がって、他の場所で新しい家を見つけるように強制された。この点では、我々がよく知っているように、火星の状況は、地球上で起きていた事と類似していた。 我々がやろうとしていることの問題を予見することはできなかったものの、破壊装置が示した途方もない力と電気船の素晴らしい効率は、我々は成功するはずであるという自信をほぼ全世界に波及させるに至ったのである。
世界の頭脳
編集エジソン氏は旗艦に乗り組んだ。幸運なことに私も同じ船に乗ることになった。エジソン氏以外にも科学界の重鎮が同船した。ケルヴィン卿、レイリー卿、レントゲン教授、モアッサン博士(人造ダイヤモンドを世界で初めて成功させた人物である)ら、世界的名声の持ち主である。彼らの誰もが火星での探検と大発見の予感に胸を躍らせていた。
艦隊を動かすために通信システムが当然ながら念入りに整備された。夜間には電灯の発光による信号が使われ、長い文章や指示も確実かつ迅速に伝達される手筈であった。
新通信システム
編集日中の信号は、雲やその他の障害物に隠れて、日差しが船に当たらない時のみに使用される部分的には鮮やかな色のペノンと旗で構成された。これは自然に地球または他の惑星の表面の近くでのみ起こり得る。 いったん地球の影の外に出ると、火星に到着するまでは雲がなくなり、夜もなくなるはずである。宇宙空間では太陽は絶えず輝いているだろう。人工的な手段によって、我々は睡眠を促進する目的で自分自身に暗闇を与えたのでない限り、それは我々にとって永久の昼間になるだろう。それから、この永遠の昼の領域では、信号はまた、太陽の光線を反射する鏡からの光の閃光によっても伝達されることになっていた。
永遠の夜!
編集しかし同時にこの永遠の昼は、ある意味では永遠の夜でもあった。大気がなければ太陽光が散乱できないため、我々にはもう青空は存在しないだとう。物体は太陽に向かっている側面のみが照らされることになる。太陽の直射日光を遮るものは、その背後に絶対的な暗闇を創出する。陰影のコントラストは無く空は四方八方が墨のように真っ黒になる。
可能な限り船内に留まるようにしていたが、時折、電気船の内部から出る必要があるので、エジソン氏はこの緊急事態に備えて、船外活動用の潜水服に似た、より軽量の素材の気密性の高い服を発明していた。各船には、このような気密服が数着用意されており、これを着ていれば、地球の大気圏外にいても船外に出ることができた。
酷寒が予想される
編集大気圏を脱出した瞬間に遭遇するであろう酷寒、つまり人間が予想したことはあっても、まだ経験したことのない絶対零度というものに対応するために、気密性の高い潜水服内に、外部の寒さの影響を打ち消すのに十分な温度を作り出す簡単な装置が搭載されていた。長くて柔軟な管を使って、気密服の着用者に空気を継続的に供給することが可能で、同時に、工夫を凝らすことで、各気密服に数時間分の圧縮空気を蓄えておくことができ、必要に迫られた場合には、着用者が船内の空気タンクに接続しているチューブを外すことができるようになっていた。これらの気密服を準備する上でもう一つの目的は、月のような空気のない惑星における探査の可能性も想定されていた。
船外にいても、月のような空気のない世界にいても、地球の大気中のように音波を伝搬する媒体がないような場所では、お互いに会話ができるような工夫が必要であることは、偉大な発明家によって予見されていたことであり、この緊急事態に対応するための適切な装置を考案するのは難しいことではなかった。
電気服のヘルメット内には、電話機のマイクが備えられていた。これは、使用しないときには、着用者の腕に巻いておける有用な電線で接続されていた。耳の近くには、同様に電線で接続された電話の受信機が用意されていた。
空中電報
編集気密服を着ている二人が互いに会話をしたいと思ったときには、それらが電線によって自分自身を接続することだけが必要であり、会話はそれから容易に続けられることができた。 探検が始まった時の地球からの火星までの正確な距離の慎重な計算は、多くの数学や天文学の専門家によってなされていた。しかし、エジソン氏には火星に直行するという意図はなかった。彼の手によって完成された最初の電気船を除いて、どれもまだ長い航海が試みられたことがなかったからである。それぞれの船の品質を最初に注意深く試験することが望ましく、そしてこの理由のために遠征の主導者は月こそが艦隊の宇宙での最初の寄港地であるべきであると決定した。 それは月が地球と火星の間にほぼ一直線に並ぶ時に予定され、そして後には太陽が対向していて、そしてその結果、航海の目的のために可能な限り有利に位置していた。それで、戦隊の100隻の船のうちの99隻のために、試験旅行は同時に我々の旅の方向に得られた四百万マイル分の四の段階であると予想された。地球からの出発は正確に真夜中に実施するように手配された。満月に近い月が頭上にぶら下がっていた、そして彼らの信号灯が燃え上がって、ゆるく投げられて、そして冒険的で前例のないものにゆっくりと動き始めた、浮遊船の大隊は未知への探検が開始され、何百万人もの興奮した男女の喉から大きな歓声が上がり、夜の幕を晴らすように見え、飛行船は動いていた大気の振動で震えた。
大花火
編集瞬く間に、我々の出発を祝して、壮大な花火が打ち上げられた。何十万発もの噴進弾が天に向かって発射され、火の粉の星座になって炸裂した。このようにして生み出された突然のイルミネーションは、地球表面の何百平方マイルもの範囲に、ほとんど日の光のような光で広がっていた。彼らはその意味を正しく解釈するかもしれないし、しないかもしれないが、いずれにしても、我々は気にしなかった。我々は出発し、敵が再び我々を攻撃する前に、彼の地にて会敵可能であると確信していたからである。
そして大地は球体のごとく
編集そして今、我々がゆっくりと上昇すると、驚嘆に値する光景が眼下に出現した。最初は、夜のように埋もれていた我々の下の地球は、黒檀のような漆黒の巨大な椀の中空に似ていた。その中心には、火山の火口の底で溶けた溶岩のように、ニューヨーク周辺の摩天楼の光が輝いていた。しかし、大気圏を超え、地球がまだ眼下に後退し続けている時、その様相は一変した。巨大な球体が不思議なことに我々の下に吊り下げられ、その表面の大部分を月の微かな光で煌めかせ、その東端に向かって昇る太陽の光を見せていた。
太陽が地球の中心部の後ろに完全に隠れるように軌道を少し変更してさらに遠くに進むと、太陽の大気が完全に照らされ、その全周が円環状の巨大な虹のようなプリズムの光で照らされているのが目撃された。
急速に進路を変えて、地球の影から抜け出し、太陽の光に包まれた。すると、我々の眼下には、その美しさに言葉を忘れるほど大きな惑星が広がっていた。いくつかの大陸の輪郭がその表面にはっきりと見て取れ、様々な色の微妙な色合いの斑点があり、太陽の光が海の凸状の表面を長く照らし出していた。赤道と平行に、貿易風が吹き荒れる地域に沿って、広大な雲の帯があり、その上に太陽の光が降り注ぐと、深紅と紫の華やかな雲が広がっていた。北極点周辺の陸と海には、広大な雪と氷がきらびやかな衣のように敷き詰められていた。
愛おしい地球に暫しの別れを
編集この壮大な光景を眺めていると、我々の心が引き締まる思いがした。これが宇宙の荒野にある我々の故郷たる地球であり、我々が守るべき惑星である。そしてそれは、我々の最後の息吹を惜しむことのできない故郷のように思えたのである。どうして征服するか死ぬかという新たな決意が我々の心の中で湧き上がって来るのを抑える事はできようか? ケルビン卿が、眼鏡越しに地球が見せてくれた美しい光景を眺めた後、急にしかめっ面をして火星のある方向を覗き込んだのを見た。エジソン氏でさえも動揺を隠せなかった。
"分解装置のことを考えていてよかった"と彼は言った。"下の世界がまた破壊されるのは 見たくない。"
シルバナス・P・トンプソン教授は、電気機械の舵輪を握りながら、"そうなることはないだろう"と語った。