イマーム・サッジャードの権利書

序文

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慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

あなたの上に神の御慈悲あれ。神はあなたに対して権利を有する。あなたの動作のすべて、

休止のすべて、あなたの通過場所のすべて、あなたの手足、あなたが用いる手段は、神の権利に包まれている。ある権利は別の権利よりも偉大である。あなたに対する最も偉大な神の権利は、神が定めたあなた方への神に対する義務としたものである。至大至高の神の権利はすべての権利の根源であり、そこから他の権利が派生する。そして、あなたの体内のあらゆる臓器、頭のてっぺんからつま先(全身)に課せられた義務がある。

神は、視力、聴力、舌、手、足、胃、陰部に権利を与えた。これらは善行のための七つの器官である。それから至大至高の神はあなたの行為に権利を与えた。次に義務の礼拝、断食、喜捨、生贄、善行に権利を与えた。それから権利はあなたから他者へと広がり、あなたの義務とされる他者の権利がある。

その中の最大の義務は、指導者に対する権利、従者に対する権利、近親に対する権利である。これらの権利からさらに別の権利が派生する。指導者の権利は3部から成る。

その最大の義務は、権限を介してあなたを指導する人の権利である。次に知識を介してあなたを指導する人の権利、次に財産を介してあなたを指導する人の権利である。

それぞれの指導者は先導者である。それから、非統治者の権利が3部から成る。その最大の義務は、権限によってあなたの支配下に置かれた人々の権利である。

次は知識を介してあなたの支配下に置かれた人々の権利である。無知な人は有識者の下に置かれるためである。そして財産を介してあなたの支配下に置かれた人々の権利があり、これは妻や右手の所有する者(奴隷)である。

近親の権利は複数から成る。

血縁の近さによって権利は異なる。あなたに課された最大の義務は、母親の権利である。

次は父親の権利、次は子供の権利、次は兄弟の権利、次はその次に近い血縁者、そして最も価値ある人の権利、次に価値ある人の権利。

次はあなたを優遇(奴隷から解放)する主人の権利、奴隷の権利、奴隷から解放された人の権利。

次はあなたに親切にしてくれた人の権利、礼拝を呼びかけた人の権利、礼拝先導者の権利、(礼拝で)共に座る教友の権利、それから隣人の権利、教友の権利、配偶者の権利、財産の権利、あなたに返済義務を負う借主の権利、あなたに返済義務のある貸主の権利、仲間の権利、あなたを敵対する相手の権利、あなたが敵対する相手の権利、あなたに忠告を求める人の権利、あなたが忠告を求める人の権利、あなたに相談しにくる人の権利、あなたが相談をもちかける人の権利。

それから、年長者の権利、年少者の権利、あなたに喜捨を求める人の権利、あなたが喜捨を求める相手の権利、言葉または身体であなたを侵害した人の権利、故意または無意識に言葉または身体であなたを喜ばせた人の権利、同じ宗教に従う人の権利、イスラーム庇護民の権利、そして人生の苦難や手段の有無に応じて義務とされたことの権利がある。

従って、神の祝福を受ける人というのは、神の義務とされた権利の実践で神の御助けがある人、そのことで神の成功を授かり、神に導かれた人である。

神の最も偉大な権利について

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1.神の権利
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あなたに対する神の最大の権利は、神を何かと並べて信仰しないことである。

あなたが誠実な心でそうするなら、神は現世と来世の営みを満足に御与えになり、あなたが好むこと(現世と来世の喜び)を御与えになる。

2.自身に義務付けられた権利
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あなたに義務とされた自身の権利は、神への服従に費やすことである。そのためには自身の舌、聴覚、視覚、手足、胃、陰部に定められた権利を守り、神の助けを求めなければならない。

3.舌の権利
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舌を崇高なものとみなして卑猥な言葉を発しないようにし、良い言葉を習慣づけ、礼儀正しさを身につけなさい。信仰と現世に益となり必要とする状態にのみ使う。益にならないことの干渉には慎みなさい。害から守ることができず、得られるものはほとんどないのだから。

舌は知性の証人であり証拠である。聡明な人の知性は、話し方が良いという評判を通じて示される。(舌と良い話し方は知性の装飾品である)至大至高の神のほかに偉力ある御方はない。

4.聴覚の権利
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  聴覚の権利は、気高い言葉だけが心に入ってくるように清く保つことである。気高い言葉は、心に善を浸透させ、高潔な性質を形成する。誠に、聴覚は、善でも悪でも、さまざまな概念が心に通じる入り口である。神のほかに偉力ある御方はない。〈別の伝承にはこう記録されている。「聴覚の権利は、悪口や合法でないことを聞かぬよう純粋に保つことである」〉

5.視覚の権利
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視覚の権利は、合法でないものから視線を落とすことである。洞察を深め、知識を得るために注意を払うべき状況以外で視覚を使うのは放棄されよ。誠に、視覚は学びの入口である。

6.足の権利
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足の権利は、合法でないものに歩いていかないことである。両足が運ぶ人の品位を落とさぬように歩かねばならない。両足は信仰の方角へあなたを運ぶ。進歩を助けるものである。神のほかに偉力ある御方はない。

(別の伝承ではこう記録されている。「細長い橋(地獄へのアル=シラト)に立てばそこから逃げることはできない。だから、両足を滑らせて火獄に落ちぬように」

7.手の権利
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手の権利は、非合法なことに手を伸ばさないことである。そのようなことをすれば、後に神の懲罰をうけよう。また、人々の非難から守られない。手が神に義務付けられたことを行うのを妨げてはならない。手を守り、許されない行為を回避しなさい。手は害悪にならない行為に使いなさい。知性と尊厳をもって手を使えば(禁じられたことに手をださなければ)、後に報酬を受ける。

8.胃袋の権利
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  胃袋の権利は、わずかであろうがたくさんであろうが非合法なものを保つ容器にしてはならないことにある。合法なものを食べるように心しなければならない。また、限度を超えた食べ方(または飲み方)をして凛凛(りり)しさを失うほど胃を軽んじてはいけない。ひどく空腹であったり咽喉が渇いたりしたときは自制しなさい。満腹は消化不良、脱力感、怠惰を引き起こし、善行と気高さの妨げとなるからである。飲みすぎは、酔いと目まいを引き起こし、あなたを無知にさせ、凛凛しさを奪う。

9.陰部の権利
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陰部の権利は、非合法のすべてから自身を守り、視線を低くしてそれを助けることである。確かにこれが最良の手段である。そして、死を頻繁に思い出し、神を畏怖せよ。(別の伝承では、「陰部の権利は姦通から身を守り、見られないように保護することである」)慎みを保ちなさい。神の御助けによってそうすることができる。神のほかに偉力ある御方はない。

行為の権利について

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10.礼拝の権利
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義務の礼拝の権利とはこうである。あなたは神の敷居に到達し、神の御前に立っているのだということを知れ。そのことが認識されれば、謙遜し、嘆願し、恐れおののき、行く末を案じ、畏怖し、謙る(へりくだ)者として立つであろう。静止し、視線を地に下ろし、手足はつつましやかに、また従順な翼(謙虚の意味)で、自身による最良の哀願の祈りを唱え、あなたが犯した過ちと罪により背負った義務から救いを求めることで、目の前の神が拡大されるであろう。神のほかに偉力ある御方はない。

11.断食の権利
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断食の権利とはこうである。断食は、あなたを火獄から守るために、舌、聴覚、視覚、陰部、胃袋を覆い隠すためのベールであることを知れ。このことを証明する伝承がある。「断食は火獄から身を守るための鎧(よろい)である」つまり、身体の部位が静まれば、あなたは(火獄から)守られているという希望がある。だが、断食のベールの片平を開け、身体の部位を動揺させたままにするならば、それらは合法でないものを見るので、神を畏怖する者の限界を超えて、強い欲望を駆りたてる。ベールを開けて入るのはあなたにとって安全ではない。(断食を放棄すれば、神の保護のベールを自身から引きはがすことになる)神のほかに偉力ある御方はない。

12.巡礼の権利
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巡礼の権利とは、主の敷居に到着し、罪からの逃亡であることを知れ。巡礼を通して悔悟はうけいれられ、アッラーから課せられた義務を遂行しているのである。

13.喜捨の権利
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喜捨の権利とは、立会人(証人)を必要とせずに、主に預けることである。このことを認識すれば、公然と(人目に触れての)施しよりも、密かな施しの方が、あなたにとって安心である。

(別の伝承では「喜捨は、現世では災難と病を追い払い、来世では火獄を撃退することを知れ」)あなたが今、公然と行っている施しは、隠れて行う方があなたにとってふさわしい。

いかなる状況でも、あなたとアッラーの間の秘密にしなさい。施すときは、あたかも自身を誰よりも信頼するかのように、聴覚と視覚を証人にさせてはならない。見返りを期待して施すべきではない。喜捨は自身のために行うものであり、人に好かれるために他人に思い出させてはならない。あなたが好かれるために他人に指摘するなら、他人もあなたになされた施しを指摘するであろう。このような行為は、意図が不純であることの証明となる。純粋な意図があれば、他人に自身の行為を思いださせることはしない。神のほかに偉力ある御方はない。

14.犠牲を捧げる権利
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犠牲を捧げる(巡礼のときの犠牲)権利とは、それを通じてアッラーに向けてのあなたの意思を純化させ、神より低い立会人(観察者)の目にではなく、神の御慈悲と承認に自身をさらすことである。

(別の伝承では、「あなたが求めるのは神であり、神の創造物ではない。犠牲を捧げることで、あなたの魂は神の御慈悲と神と面会する日の救出にさらすのである。」)そうであるなら、あなたは似非信者や浪費者にはならない。あなたの意図は神への奉仕のみである。神はあなたのために安心を御望みになり、困難を御望みにはならない。また被造物が安らぐことを御望みになり、困難で苦しまされることは御望みではない。同じく、謙虚さは傲慢よりよい。

なぜなら、傲慢のなかには浪費と過ちが横たえているが、慎み深さと謙虚さのなかには頑固さと過ちはないからである。それら(慎み深さと謙虚さ)は創造物であって自然に存在するものなのだから。神のほかに偉力ある御方はない。

(別の伝承ではこう続く。「犠牲を捧げることを通じて、あなたは自身の魂を至大至高の神の御慈悲のみを求め、神との面会の日の、魂の救出のみを望むのである」)

指導者の権利

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15.権力の保持者(統治者・支配者)の権利
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権力を保持する者の権利はこうである。神があなた方を統治者の試練として定めたことを知れ。神は統治者に権力を授与して試しているのである。統治者には誠実に助言しなさい。

あなたに対して完全に支配権がある間は言い争うべきではない。あなた自身の破壊と統治者の破滅を招くことになる。統治者があなたに満足するように、謙虚に、そして統治者に与えられたものに対しては礼儀正しくありなさい。そうすれば、統治者があなたの宗教を害することはない。このことでは神の御助けを求めよ。権威に抵抗したり統治者に反抗したりしないように。

そのような行為は統治者と自分自身に対しての不服従であるから、あなた自身が統治者の邪悪と遭遇するはめになり、統治者を崩壊にさらすことになる。拠って、あなたに違反行為をした統治者に自らが援助したことになり、その行為に与したとみなされても当然である。 神のほかに偉力ある御方はない。  

16.知識の指導者の権利
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 あなたに知識を指導する人の権利として、あなたは指導者を賛美し、指導者との集まりでは敬意を払い、よく耳を傾け、応答し〈注〉、あなたに必要な知識には心を開き、理解したことは指導者に示し、心を純化させ、指導者を注視しなさい。そのためには遊ぶことを放棄し、欲望を断ち切る。指導者から学んだことに関しては、あなたは指導者の使者であるから、知識のない人には教示する。従って、あなたの義務は、指導者の代わりに正しく告げ、指導者の任務に対して不正行為をせず、義務遂行に努めることである。神のほかに偉力ある御方はない。

〈注〉別の伝承では「指導者に声をあげない。誰かが質問したときは指導者に代わって答えてはならない。集まりの場では私語を慎み、指導者の悪口を言ってはならない。眼の前で指導者の悪口を聞いたときは、指導者を弁護しなさい。指導者の過ちをおおやけにするのではなく、指導者の美徳を知らせるように。指導者に敵意を抱いて同席してはならない。指導者には友好的であれ。あなたが指導者の許へ知識を学びに行ったのは人のためではなく神のためであることを神の天使たちが証言するだろう。」

17.所有者の権利 
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(奴隷の)所有者の権利は支配者の権利と似ている。〈注〉ただし、奴隷所有者には支配者にはない権利がひとつある。(奴隷のあなたには)大小のあらゆることで所有者に服従しなければならない。ただし、神の権利を放棄させること、(奴隷の)あなたと所有者と人々の間の権利を邪魔することは除く。それらを充たすことができたなら、所有者の権利に対する義務は果される。神のほかに偉力ある御方はいない。

〈注〉別の伝承ではこう続く。「所有者の権利とは、(奴隷の)あなたが所有者に服従しなければならないことである。ただし、所有者への服従が神を怒らせる場合は除く。なぜなら神に不服従なのに被造物に服従することなどできないからである」

支配下にある人の権利

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18.非統治者(支配下にある人)の権利
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支配下にある人々の権利とはこうである。

(注)あなたは彼らに対して力があるので権利を有するが、彼らは弱く謙虚なので支配下にあるのだということを知れ。あなたに支配力をもたせ、弱く謙虚であるために支配下におかれた人々が受けるに値するものは何であろうか? 彼らは自身がもたない力であなたに逆らうことはできない。彼らは神の御慈悲と御加護と忍耐以外で、あなたの力に反対する助けを得ることはできないのである。このように増大された力をあなたに与えたのは神であることの認識は支配者にとってなんとふさわしいことであろうか。神に感謝しなさい。感謝する者には神の御慈悲がある。神のほかに偉力ある御方はない。

(注)別の伝承ではこう続く。

「彼らの弱点とあなたの長所により彼らは支配下にあるのである。従って、支配者のあなたは彼らに対して公正に、また情け深い父親のようにあれ。彼らの無知は許してやりなさい。処罰に急いではならない。彼らに対しての権力は、神に与えられたものである。支配者のあなたは神に感謝せよ。」

19.知識を教わる人の権利
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 知識を教わる人の権利はこうである。  

知識の指導者は、神により知識を与えられ、また神によりその叡智の財産への権限を与えられたのだということを知れ。神に与えられた権限をうまく扱うことができれば、すなわち財務官のように、或いは奴隷の扱いにおいて主を重んじて同情しながら助言する人のように、或いは貧窮者に出会えば自身の財産から与える誠実な善行者のように神から授かった権限を扱うならば、あなたは成熟し、希望にあふれ、信心深くあることができる。そうしないなら、神を冒涜し神の創造物に不正を犯したものとみなされて、あなたから神の御慈悲は取り上げられる。

(別の伝承ではこうある。「知識を教わる人の権利はこうである。神はあなたに知識と神の叡智の財産に対しての権限を与えることで、彼ら(教えを受ける人々)の上にあなたを定めたのだということを知れ。人々を手荒く扱ったり悩ませたりせずにうまく指導するならば、神は寛大に与え給う。だが、あなたに知識を求めてやってくる人々に知識を与えなかったり、手荒く扱ったりするなら、神の権利で、あなたから知識とその素晴らしさ(輝き)を取り上げ、人々の心をあなたから離れさせる。」)

20.妻の権利
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妻の権利はこうである。

神は彼女をあなた(夫)のために安らぎと慰めとされた。伴侶を与えられたことを神に感謝し、神の恩恵として伴侶を与えられたのだということを知りなさい。神の祝福を求めて良き伴侶となり、慈愛の心で優しく妻を扱いなさい。夫には妻に対してより義務がある。〈注〉神に不服従なる行為を除いて、妻は夫の好むことと嫌うことのすべてにおいて従う。妻は平安の対象であるから優しく親密に扱われる権利を享受する。情欲の成就において妻を大切に扱いなさい。それは誠に素晴らしいことである。神のほかに偉力ある御方はない

〈注〉別の伝承ではこう続く。

「妻はあなたに養われる囚人であるから、慈愛の心で妻を扱いなさい。妻の無知は許してやれ」

21.奴隷の権利
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あなたの奴隷の権利は、彼が主の創造物であり、あなたと同じ血肉からなるということを知ることである。あなたはただの所有者にすぎず、神には全くおよばず、あなたが彼を創造したのではない。彼の聴覚と視覚を創造したのはあなたではない。彼に日々の糧を支給するのはあなたではない。満足に御与えになるのは神である。神はあなたに彼を信託し、条件付きで委ねたのである。だから、あなたは彼を保護し、あなたに対して彼が良く接するのと同じように扱いなさい。あなたが食べるのと同じものを与え、あなたが着るのと同じものを与えなさい。彼が耐えられないことで彼を苦しめてはならない。あなたが彼を好まない場合は解放し、別の人にしなさい。だが、神の創造物を苦しめてはならない。神のほかに偉力ある御方はない

近親の権利

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22.母親の権利
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母親の権利は、あなたを身ごもったのはあなたの母親以外にはいないということを知ることである。あなたの母親はその心の果実であなたを養ったのである。それは誰にも養うことのできないものである。母親はその聴覚、視覚、手、足、髪、皮膚、その他一切の諸器官を使ってあなたを保護した。それを心から喜んで行ったのである。

神の手が母親の胎内からあなたを放ち、この世に運ばれるまで、あなたの母親は喜んで苦痛に耐えた。 あなたが食べているかぎり、母親は自分が飢えてもかまわない。

あなたが衣にくるまれているかぎり、母親は自分が裸でもかまわない。あなたに飲ませることができれば母親は自分の咽喉の渇きもかまわない。あなたが日陰にいられるなら、母親は自分が太陽の下にさらされていてもかまわない。あなたが幸せなら、母親は自分が不幸でもかまわない。あなたが休息できるなら、母親は自分が睡眠不足でもかまわない。

母親の胎内はあなたの棲家、母親の膝はあなたの巣、母親の乳房はあなたの供給源、母親の魂はあなたの砦である。母親はこの世の暑さと寒さからあなたを守った。

ならば、あなたは母親にこの凡てに対して感謝しなければならない。神の御助けと授与なくして、あなたにその感謝の念を示すことはできない。

23.父親の権利
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あなたの父親の権利は、あなたの根は父親であり、あなたは父親の枝だということを知ることである。父親なくして、あなたはあなたではないのである。自身のなかに喜ばしいものを見たときは、あなたが授かった祝福の根が父親であることを知れ。このことを認識したときは神を称賛し感謝しなさい。神のほかに偉力ある御方はない。

24.子供の権利
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あなたの子供の権利は、子供があなたの中から存在しているということ、この世の子供の善行と悪行はあなたに帰せられるということを知ることにある。子供に善行を教え、神に導き神への服従を助けるのは、あなた自身と子供自身のための、あなたに委ねられた責任である。

あなたはその報酬を受けるか、失敗すれば処罰を受ける。子供の諸事に関しては、この世で子供を誇れるように行動しなさい。子供の世話においては、あなたと子供の間にあるものを主が御許しになる者のように行動せよ。そうすれば良い結果に到達する。神のほかに偉力ある御方はない。

25.兄弟の権利
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兄弟は、あなたが差し広げる手、あなたが保護(避難)を求める背、あなたが頼る力、あなたと競い合う力だということを知れ。兄弟を神への不服従の武器にしてはならず、神の権利を侵害する手段にしてはならない。自身に反した兄弟をおざなりにしないで助けてやりなさい。

彼の敵から彼を守り、彼と悪魔の仲介となり、良き忠告者となり、彼とのつきあいは神のためのものであるように。彼が主に服従し神に対して正しくあるならそれでよいが、そうでない場合は、神は彼よりあなたを御好みになり、あなたに栄誉を御授けになる。神のほかに偉力ある御方はない。

他者の権利

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26.(奴隷を解放した)奴隷主の権利
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あなたを奴隷の身から解放した主(ぬし)の権利は、彼が自分の財産を使ってあなたを解放し、屈辱と荒廃の奴隷制からあなたを救出し、社会生活を営むことのできる自由にあなたを運んでくれたのだということを知ることにある。

彼は自分の所有物だったあなたを解放し、自分の奴隷としていたあなたを放った。

あなたが尊厳の香りを嗅げるようにし、従属という監獄からあなたを外に出し、あなたから困難を追い払った。公正という舌をあなたに差し伸べて、世界を自由に動き回れるようにし、あなたが自身の主となれるようにし、囚われの身からあなたを解放し、あなたが主を信仰できるようにさせた。彼はこのために自分の富の減少という損害を受けた。

だから、彼は血縁者の次にあなたに最も親密な被造物であること、また、神のために、彼が誰よりもあなたの援助を受けるに値する被造物であるということを知れ。従って、彼が何かを必要とするならば、あなたは彼より自分を好むことがあってはならない。

27.解放された奴隷の権利
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あなたが解放した奴隷の権利とはこうである。

神があなたを彼の支援者、避難所、援助者、保護者として、また彼を神とあなたの間の媒介者として御定めになったということを知れ。彼の解放はあなたを火獄から守る。これが将来、あなたが得る報酬である。

あなたの即時の報酬は、彼に血縁者が全くいない場合、彼の財産を相続できることである。

あなたが彼のために費やしたものに対して、またあなたが自分の財産を費やした後で彼の権利を尊重することに対しては、埋め合わせがある。だが、あなたが彼の権利を尊重しない場合は、彼の財産の相続はあなたにとって純正ではないという恐れがあなたの上にのしかかる。

(別の伝承では、「神は奴隷の解放を、あなたが神に近付く手段となさり、また火獄からあなたを守るための覆いとなさった。あなたが解放のために自分の財産を費やしたことに対しての即時の報酬は、彼に血縁者が全くいない場合、彼の財産を相続できることであるが、究極の報酬は天国である」)

28.親切にしてくれる人の権利
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あなたに親切にしてくれる人の権利とはこうである。

あなたはその人の親切を受け容れて感謝しなさい。そして、良い言葉で彼のことを広め、彼のために称讃の神に誠実な心で祈りなさい。そうすることで、あなたは彼に対して公私共に感謝しているのである。実際に謝礼が可能であればそうせよ。できない場合は、後でそうしようという決意をもつこと。

29.礼拝を呼びかける人の権利
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礼拝を呼びかける人の権利はこうである。

彼があなたに主を思い出させる人で、あなたを幸運の許に呼び、あなたが神に与えられた義務を果たすための最大の援助者だということを知れ。だから、善行をうけて感謝するときのように彼に感謝しなさい。家で礼拝を呼びかけられて苛立っても、彼を責めてはならない。呼びかけた人の行為は神のためなのだから。あなたに礼拝を呼びかける人はあなたへの神の祝福のひとつであることを知れ。このことに疑いはない。だから、いかなる状況においても神の祝福を親切に扱い、彼のために神を称讃されよ。神のほかに偉力ある御方はない。

30.合同礼拝の先導者の権利
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合同礼拝の先導者の権利はこうである。

合同礼拝の指導者は、主の前で、あなたのために神とあなたの橋渡し役を務めているということを知れ。彼はあなたの代わりに話すが、あなたは彼の代わりに話さない。彼はあなたの代わりに嘆願するが、あなたは彼の代わりに嘆願しない。あなたは礼拝指導者によって、神の御前に立つ不安と礼拝に対する尋問から容赦されるが、あなたによって礼拝指導者が容赦されることはない。

先導された礼拝に欠陥があった場合、その責任はあなたではなく礼拝指導者が背負う。礼拝に過ちがあった場合、あなたに共同責任はない。礼拝先導者はあなたより優位なのではない。礼拝指導者は自身を通してあなたを守り、その礼拝によってあなたの礼拝を保護する。

従って、このことでは彼に感謝しなさい。神のほかに偉力ある御方はない。

31.(礼拝で同席する)友の権利
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同席の友(礼拝を同席する教友)の権利はこうである。

友には優しく接し、暖かく歓迎し、公正に話し、目を逸らさず、彼が理解できるように明確な言葉で話しなさい。あなたが最初に同席したのであれば、望むときに去ってよい。だが、友人が最初に同席したのであれば、彼が先に退座してもよいが、あなたは彼の許しのないまま退座してはならない。(別の伝承ではこう続く。「友人の過ちは忘れ、良い性質を思い出しなさい。友人の良いことだけを口にしなさい」)

32.隣人の権利
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隣人の権利とは、あなたが隣人のいないところでは守護者となり、隣人の前では尊重し、両者の状態で援助者になるということである。隣人の欠点を見つけようとしたり、過ちを探し出したりしてはならない。もしも無意識に見つけた場合は、あなたが知っていることに砦を囲んで、あなたは覆いを張る役目になりなさい。 槍でとことん調べても見つけられないように守りなさい。

盗み聞きをしてはならない。困難のときに隣人を見捨ててはならない。隣人が祝福を授かったときは妬んではならない。逸脱や過ちは許してあげなさい。隣人の無知による行為に腹を立ててはならない。援助者であることをやめてはならない。隣人をしかる者には対処しなさい。

隣人が偽りを忠告されたときはそのことを教えてあげなさい。隣人には公正に接しなさい。

神のほかに偉力ある御方はない。

33.教友の権利
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教友の権利は、可能な限りの高潔さで彼の教友として行動することにある。

少なくとも公正に接しなさい。教友があなたを敬うようにあなたも彼を敬い、教友があなたを守るようにあなたも教友を守りなさい。あなたの教友があなたより他の人を親切にするようではいけない。そのときは、あなたが教友のために何かしてあげなさい。わずかでも教友に対する友情をおざなりにしてはならない。教友には誠実に助言し、愛しみ、教友が主に服従するよう手助けをしてあげなさい。教友が少しでも不服従な行いをしようとしたら、それから遠ざけてあげなさい。あなたは教友にとって恵みのような存在となれ。彼にとっての懲罰となるような存在であってはならない。神のほかに偉力ある御方はない。

34.協力者(相棒)の権利
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相棒の権利は、相棒が不在のときにあなたは彼の仕事に心を配らなければならないということである。相棒の前では彼とは公正にありなさい。相棒の意見を考慮せずに自分で決定させてはならない。相棒と話し合う前に勝手に自分の意見に従って行動するな。相棒の所有物を保護し、軽視していないかどうか不正行為があれば助言してあげなさい。わたしたちはこう伝えられているのだから。「不正行為(詐欺)がない限り、神の手は相棒が握っている」

35. 所有権
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所有する権利とは、あなたは合法でない手段で財産を獲得してはならず、合法でない目的にそれを使用してはならないということである。所有物を不適切に使用してはならず、神に与えられたものは神の道以外に使ってはならない。神に近付くための手段となるように使いなさい。

自分より感謝しない者を優先して使ってはならない。神への不服従に使用する人には相続しない方がよい。あなたの財産がそれを助けたことになる。だが、財産の使用において神への服従のためにあなたをしのぐ人がいれば遺贈してよい。そうでない人はあなたの財産から益を得るが、あなたには罪が残り、不幸な結末にあなたは後悔し自責するであろう。神のほかに偉力ある御方はない。

36.債権者の権利
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あなたが返済の義務を負う相手の権利は、あなたに手段があるのであれば、それを返済しなければならないことにある。(別の伝承では「借金は返済の手段があれば返済し、苦しい状態であれば、あなたは良い言葉で、相手が満足して去ることができるようにしなさい」

債権者が豊かになるよう彼の必要に応じ、返済の先延ばしは避けなければならない。

預言者―彼とその家族の上に神の祝福あれ―はこう言われた。

「先延ばしは、富者への抑圧である」だが、あなたが困窮にあるときは、良い言葉で債権者を満足させなさい。返済期限の延長を穏やかに頼んで、立ち去ってもらいなさい。債権者は負債者の財産を取り上げたり、虐待行為をしたりしてはならない。確かに、これが手段である。神のほかに偉力ある御方はない。

37.知人の権利
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知人の権利はこうである。

あなたは知人を誤り導いたり、騙したり、嘘をついたり、欺いたりしてはならない。自分の友人をすべて遠ざけてしまう敵のように扱ってはならない。知人があなたを信頼するなら、あなたは彼のために自身に対して十分注意しなさい。親しい人を騙すのは高利貸しのようなものである。神のほかに偉力ある御方はない。

38.対抗者の権利
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あなたに対して言い分がある対抗者の権利とは、その言い分が真実であれば(注)、相手の証拠を無効にしてはならない。あなたは相手の代わりに自問し、証人がいなくても、あなたに対する相手の権利の証人とならねばならない。これが神の権利であり、あなたに課された義務である。

だが、相手の言い分が間違っている場合は、忍耐をもって接し、神への畏怖を思い出させ、信仰するよう訴えなさい。神を思い出させるために、あなたに対する相手の怒りをなだめるように努めなさい。無作法(下品)な言葉を使ったり怒鳴ったりしても、あなたへの敵対心を取り除くことはできないので避けなさい。相手があなたに対して犯した罪であなたが苦しむことになり、また、相手の敵対心という剣を鋭くさせてしまう。無作法な言葉は害悪を引き起こすが、良い言葉は害悪を根絶する。神のほかに偉力ある御方はない。

(注:別の伝承ではこう続く。「その言い分が真実であれば、あなたは自身に対しての証人になれ。相手に不正を犯してはならない。相手には正当であれ。相手の言い分が間違っている場合は、相手に対してあなたは親切に振る舞わなければならない。親切以外の行いがあってはならない。相手との件では、あなたは主を不快にしない」)

あなたの言い分の権利

言い分のある相手に対してのあなたの権利は、あなたの言い分が真実であれば、好ましい言葉で主張しなさい。相手にとってはあなたの言い分を聞くのは手厳しいことだなのだから。

情け深く、猶予しながら、明確に、穏やかな物腰で、あなたの証拠を提示しなさい。陰口(噂話)を論争してはならない。あなたの証拠を無効にさせないために。そうしなければ、あなたは証明する機会を失うことになろう。神のほかに偉力ある御方はない。

39.助言を求める人の権利
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あなたに助言を求める人の権利とは、あなたに良い意見があれば、あらゆる努力で(熱心に)忠告してやり、自分が相手の立場に立った場合にどうするかを提案してあげることにある。

あなたは優しさと慈悲の心でそうしなければならない。不作法があれば親切は立ち消える。

優しさ(慈悲)は恐怖心を取り除く。だが、あなたに良い忠告ができない場合は、あなた自身が意見を信頼できる人を紹介してあげなさい。彼を善に導くために努力を怠ってはならない。

そして、最善を尽くして忠告してあげなさい。神のほかに偉力ある御方はない。

40.相談役の権利
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あなたが相談を求めた相手の権利は、あなたの意見に反する助言をくれたときに非難してはならないということにある。当然だが、意見は様々であり、人びとの見解は一致しないものである。疑問を抱いたときは、あなたにはその助言を受けいれない自由がある。だが、あなたが相談相手として価値があるとみなす限り、助言が賢明でないからといって彼を非難することは許されない。良き助言と意見を述べてくれた相談相手には感謝を忘れてはならない。助言があなたにとって適するなら、そのことを神に感謝し、信仰の兄弟の助言を受けとめて彼に感謝しなさい。

そして、いつか彼があなたの助言を必要とするときは、同じように行為せよ。神のほかに偉力ある御方はない。

41.相談する人の権利
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あなたに相談してきた人の権利は、あなたの助言が相手の耐えられる範囲のことでなければならないということにある。相手はあなたに耳を傾けているのだから、あなたはやさしい言葉で、相手の知性で理解できるように話しなさい。知性は人によって異なる。相手が理解して行動できるような話し方がある。あなた自身の行為を決めるかのように、慈悲をもって(助言を)選びなさい。神のほかに偉力ある御方はない。

42.助言者の権利
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助言者の権利は、あなたが助言者に穏やかに接し、誠心誠意で耳を傾けて理解を努めることにある。そして、助言の内容を徹底的に検討せよ。それが正しいことであれば、神に感謝し、助言者の好意をうけいれて感謝しなさい。だが、助言内容にあなたが同意できない場合は、助言者を非難せず、親切であれ。助言者があなたのために最善の助言をしてくれたが、過ちがあったのだということを知れ。だが、助言者が非難に値するようであれば、いかなる状況においても、あなたは彼を信頼してはならない。神のほかに偉力ある御方はない。

43.年長者の権利
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年長者の権利は、その年齢を理由に尊重されねばならず、またイスラームにおいて優れた人ならば、神に服従してきたことに敬意を払われるべきだということを知れ。

年長(先輩)であることを認識し、論争をやめなさい。彼を超えようとしたり、先を歩いたり、思慮のない接し方をしてはならない。年長者があなたに愚かに接したときは、あなたは我慢し、彼が年上のムスリムであることを尊重しなければならない。年齢はムスリムとして生きてきた期間を示すからである。神のほかに偉力ある御方はない。

44.年少者の権利
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あなたより若い人の権利とは、あなたが友好的(親切)に接し、教育または訓練してやり、許し、過ちをかばい、忍耐強くあり、援助し、若さの落ち度をかばってやることにある。そうすれば悔い改めるであろう。若い人には辛抱強く接し、喧嘩してはならない。そうすれば常識のある行動をするようになる。

45.施しを請う人の権利
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あなたに施しを請う人の権利はこうである。

彼が正直者で、求められたものを与えることができると確信するならば、施しをしなければならない。(別の伝承では「その人が必要とするものを与えなければならない」)そして、彼の上に降りかかったことから彼が救出されるように神に祈ってあげなさい。だが、その人が不誠実を非難されたことがあり、正直者かどうか疑惑を抱いて確信できないでいるときは、これが悪魔の企みの一つとしてあなたの富を奪い、あなたが主に近付こうとするのを妨害しようとしているかどうかを確かに知ることはできない。そのような場合は、不誠実を許し、優しく断り、彼から離れなさい。だが、あなた自身がこのことを克服できて、施しを与えたなら、このことに関してはあなた自身が決定したことである。

46.施しを請われた人の権利
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施しを請われた人の権利とはこうである。

(あなたが施しを請うて)何を受け取っても感謝し、施してくれた人の高潔さを認識しなさい。

施しを断られても、彼に感謝して受けいれなさい。彼が断っても、それは彼自身の所有物であり、非難されてはならないということを認識しなさい。彼が不当である場合は、「誠に、これは不当な人で、信じない人」である。

47.神により幸福を授かった人の権利
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神により幸福を授かった人の権利はこうである。

あなたを幸福にしてくれた人が故意であったのなら、神を称賛してから彼に感謝し、その高潔な行為に対して報いるようにしなさい。故意でなかった場合は、神を称賛してから彼に感謝し、神が他の誰でもなくあなたに祝福を与え、あなたがそれを好んだことを認識せよ。あなたを幸福にしてくれた人は神の祝福の手段である。彼の幸せを祈りなさい。故意でなくても祝福を授かる手段自体が祝福なのだから。神のほかに偉力ある御方はない。

48.不正行為を犯した人の権利
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あなたに言葉や体で不正を犯す人の権利は、故意の行為であればその人を許してやるのがあなたにとって良いということである。(別の伝承では「許してやれ。だが、許しがその人の害となるなら、自己防衛しなさい。不当なことをされた者が、自ら守っても、これらの者に対して罪はない、と、神は仰せになった」)そうすることで悪感情が取り除かれ、ほとんどの人にとってはこれが礼儀正しいやり方である。

誠に、神はこう仰せになった。 「不当なことをされた者が、自ら守っても、これらの者に対して罪はない。他人に悪を行い、また度を越した復讐を企て地上を騒がす者たち、かれらに対する

(アッラーの)罪は痛ましい懲罰があるだけである。だが耐え忍んで許してやること、それこそ確固たる人の道というもの。(42章41-43節)」

至高の主は仰せになった。「もしあなたがたが罰するなら、あなたがたが悩まされたように罰しなさい。だがあなたがたがもし耐え忍ぶならば、それは耐え忍ぶ者にとって最も善いことである。(16章126節)」これは故意の場合である。

だが、意図的な行為でなかった場合は、あなたは故意に復讐してはならない。意図のない行為をした人に対してあなたは故意に罰してはならない。彼には好意的に、また可能な限り、優しく接しなさい。神のほかに偉力ある御方はない。

49.同じ宗教をもつ人の権利
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同じ宗教の人びとの権利とはこうである。

あなたは心から彼らに安全を与え、やさしく慈悲を示し、不正を犯す人とは忍耐強く接し、親切に扱い、彼らの幸福を求め、あなたと彼らに善行する人びとに感謝しなさい。(別の伝承では「危害から彼らを遠ざけなさい。自身が好むことを彼らのために好み、自身が嫌うことを彼らのために嫌いなさい。老人はあなたの父、若者はあなたの兄弟、老婆はあなたの母、子供はあなたの子供と同じである」)彼らが自身に善行するのは、あなたに対する善行と同じである。彼らはあなたを邪魔したり迷惑をかけたりしないからである。あなたは彼らのために祈り、支援しなさい。彼らの一人ひとりに対して敬意を示しなさい。彼らの中の老人はあなたの父、子供はあなたの子供、若者はあなたの兄弟と同じである。あなたの許にやってくる人を、優しく、思いやりをもって世話してやれ。信仰の同胞には、ふさわしいように待遇しなさい。

50.イスラームの庇護民の権利
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イスラームの庇護民の権利は、神が彼らに認めたこと、神が彼らを保護し定めたこと、彼らが実践を委ねられたことを、あなたは認めなければならないということにある。彼らの扱いにおいては神の定めによって彼らを裁きなさい。彼らが神の契約を敬い従う限りは、彼らを不当に扱ってはならない。預言者―彼とその家族の上に神の祝福あれ―の誓約は防壁である。「協定を結んだ人を抑圧する者はわたしを敵対する者である」と言われたのだから。従って、神を畏怖しなさい。神のほかに偉力ある御方はない。

イマーム・サッジャードの結びの言葉

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これがあなた方を囲む50の権利である。いかなる状況においても回避することはできない。

これらの権利を尊重し、最善の努力を尽くして守りなさい。これはあなた方が担った義務である。このことでは至大なる神の御助けを求めよ。神のほかに偉力ある御方はない。

二つの世界の主にすべての称賛あれ。