ふるさと (島崎藤村)


   はしがき


とうさんがとほ外國ぐわいこくはうからかへつたとき太郎たらう次郎じらうへの土産話みやげばなしにとおもひまして、いろ/\なたびのおはなしをまとめたのが、とうさんの『をさなきものに』でした。あのとき太郎たらうはやうやく十三さい次郎じらうは十一さいでした。

早いものですね。あのほんつくつたときから、もう三ねん月日つきひがたちます。太郎たらうは十六さい次郎じらうは十四さいにもなります。とうさんのうちには、いま太郎たらうに、次郎じらうに、末子すゑこの三にんます。末子すゑこかあさんがくなるともなく常陸ひたちはう乳母うばうちあづけられて、七ねんもその乳母うばのところにましたが、いまではとうさんのうちはうかへつてます。三郎さぶらうはもうながいこと信州しんしう木曾きそ小父をぢさんのうちやしなはれてまして、あに太郎たらう次郎じらうのところへ時々とき/″\手紙てがみなぞをよこすやうになりました。三郎さぶらうはことし十三さい末子すゑこがもう十一さいにもなりますよ。

とうさんのうちではよく三郎さぶらううはさをします。三郎さぶらう木曾きそはうはなしもよくます。あの木曾きそやまなかとうさんのうまれたところなんですから。

ひとはいくつにつても子供こども時分じぶんべたものあぢわすれないやうに、自分じぶんうまれた土地とちのことをわすれないものでね。假令たとへその土地とちが、どんなやまなかでありましても、そこで今度こんどとうさんは自分じぶん幼少ちひさ時分じぶんのことや、その子供こども時分じぶんあそまはつたやまはやしのおはなしを一さつちひさなほん〈[#「に」は底本では「こ」]〉つくらうとおもちました。あの『をさなきものに』とおなじやうに、今度こんどほん太郎たらう次郎じらうなどにはなかせるつもりできました。それがこの『ふるさと』です。



〈[#改ページ]〉




   一 すずめのおやど


みんなおいで。おはなししませう。すずめのおやどからはじめませう。

すずめすずめ、おやどはどこだ。

すずめのおうちはやしおくたけやぶにありました。このすずめにはとうさまもかあさまもありました。たのしいおうちまへたけばかりで、あをいまつすぐなたけ澤山たくさんならんでえてました。すずめ毎日まいにちのやうにたけやぶにあそびましたが、そのたけあひだからると、たのしいおうちがよけいにたのしくえました。

そのうちに、すずめきなおうちまへにはたけえてました。かあさまのお洗濯せんたくするはうつてますと、そこにもたけてゐました。

『あそこにもたけ。ここにもたけ。』

すずめはチユウチユウきながら、たけのまはりをよろこんでをどつてあるきました。

わづ一晩ひとばんばかりのうちにたけはずんずんおほきくなりました。すずめきて、またたけやぶへあそびにきますと、きのふまでえなかつたところにあたらしいたけたのがあります。きのふまでちひさなたけだとおもつたのが、わづ一晩ひとばんばかりで、びつくりするほどおほきくなつたのがあります。

すずめはおどろいて、かあさまのところへんできました。かあさまにそのはなしをして、どうしてあのちひさなたけがあんなにきふおほきくなつたのでせうとたづねました。するとかあさまは可愛かあいすずめきまして、

『おまへはじめてつたのかい、それがみなさんのよくふ「いのち」(生命)といふものですよ。おまへたちがおほきくなるのもみんなそのちからなんですよ。』

はなしてきかせました。


   二 五木ごぼくはやし  


太郎たらうよ、次郎じらうよ、お前達まへたちとうさんのうまれた山地やまちはうのおはなしを聞きたいとおもひますか。

檜木ひのきさはら明檜あすひまき𣜌ねず――それを木曾きそはうでは五木ごぼくといひまして、さういふえたもりはやしがあのふか谷間たにあひしげつてるのです。五木ごぼくとは、いつつのおもしてふのですが、まだそのほかくりすぎまつかつらけやきなぞがえてます。もみつげえてます。それからとちえてます。太郎たらう次郎じらうは一とうさんにいて、三郎さぶらう木曾きそ小父をぢさんのうちたづねたことがりましたらう。あの小父をぢさんのうちまへから、木曽川きそがはながれるところをましたらう。小父をじさんのうちのある木曾福島町きそふくしままち御嶽山おんたけさんちかいところですが、あれから木曽川きそがはについて十ばかりも川下かはしも神坂村みさかむらといふむらがあります。それがとうさんのうまれたむらです。


   三 やまなかるお正月しやうぐわつ


とうさんもむかしはお前達まへたちおなじやうに、お正月しやうぐわつるのをたのしみにした子供こどもでしたよ。

正月しやうぐわつ時分じぶんになると、とうさんのうまれたおうちでは自分じぶんのところでおもちをつきました。そのおもち爐邊ろばたにつゞいたにはでつきましたから、そこへぢいやが小屋こやからきねをかついでました。うすもころがしてました。おもちにするおこめ裏口うらぐちかまどしましたから、そこへも手傳てつだひのおばあさんがたのしいきました。

やがて蒸籠せいろといふものにれてしたおこめがやはらかくなりますとおばあさんがそれをうすなかへうつします。ぢいやはきねでもつて、それをつきはじめます。だんだんおこめがねばつてて、おもちうすなかからうまれてます。ぢいやはちから一ぱいきねげて、それをちおろすたびに、うすなかのおもちにはおほきなあながあきました。おばあさんはまたこしりながら、ぢいやがきねげたとき見計みはかつてはあなのあいたおもちをこねました。

『べつたらこ。べつたらこ。』

そのもちつきのおとくと、とうさんは子供心こどもごゝころにもお正月しやうぐわつやまなかのおうちることをりました。


   四 子供こども時分じぶん


これからとうさんはお前達まへたちに、自分じぶん子供こども時分じぶんのことをおはなし〈[#ルビの「はなし」は底本では「はな」]〉しようとおもひます。

とうさんの幼少ちひさ時分じぶんには、いまのやうに少年せうねん雜誌ざつしといふものもりませんでした。お前達まへたちのやうに面白おもしろいお伽噺とぎばなしほんや、可愛かあいらしいのついた雜誌ざつしなぞをむことも出來できませんでした。んでたくも、なんにもさういふお伽噺とぎばなしほん雜誌ざつしいんでせう、おまけに、とうさんのうまれたところはやまなか田舍ゐなかでせう、そのかはり、幼少ちひさ時分じぶんとうさんには、るものくものがみんなお伽噺とぎばなしでした。


   五 荷物にもつはこうま


『もし/\、おまへさんはいまかへるところですか。』

とうさんがおうちもんそとますとうま近所きんじよ馬方うまかたかれてとうさんのまへとほります。このうま夕方ゆふがたになると、きつとかへつてるのです。

『さうです。今日けふ荷物にもつをつけてとなりむらまでつてました。』

とそのうまとうさんにひました。

『おまへさんのくびにはおとのするすゞがついてますね。』

とうさんがいひますと、うまくびをふりながら、

『えゝ。わたしあるたびにこのすゞります。わたしはこのすゞおとながらおうちはうかへつてまゐります。うま荷物にもつをつけてときはなか/\ほねれますが、一にち仕事しごとをすまして山道やまみちかへつてるのはたのしみなものですよ。』

さううまつて、さも自慢じまんさうにくびについてすゞらしてせました。とうさんのおうちまへ木曾街道きそかいだうつて、鐵道てつだう汽車きしやもない時分じぶんにはみんなそのみちあるいてとほりました。たかやまうへでおまけに坂道さかみちおほところですから荷物にもつはこのとほうまはこびました。どうかすると五ひきも六ぴき荷物にもつをつけたうまつゞいてとうさんのおうちまへとほることもありました。をとこをんな旅人たびびとせたうま馬方うまかたかれてとほることもありました。とうさんのこゑけたのは、近所きんじよはれてうまで、毎日々々まいにち/\隣村となりむらはう荷物にもつはこぶのがこのうま役目やくめでした。

うま自分じぶんのおうちかへつた時分じぶんとうさんはよくしてつてました。

御苦勞ごくらう御苦勞ごくらう。』

馬方うまかたうまめまして、うま脊中せなかにあるくらをはづしてやつたりうまかほでゝやつたりしました。それから馬方うまかたおほきなたらひつてまして、うま行水ぎやうずゐをつかはせました。

『どうよ。どうよ。』

馬方うまかたひますと、うま片足かたあしづゝたらひなかれます。うま行水ぎやうずゐわらでもつて、びつしよりあせになつた身體からだながしてやるのです。とうさんは馬方うまかたうちまへつて、たのしさうに行水ぎやうずゐをつかつてもらつてうまながめました。そして、うま行水ぎやうずゐはじまる時分じぶんにはやまなかむら夕方ゆふがたることをりました。それにがついては、とうさんは自分じぶんのおうちはうかへりませうとおもひました。


   六 奧山おくやまえる


とうさんの田舍ゐなかでは、夕方ゆふがたになると夜鷹よたかといふとりそら〈[#ルビの「と」は底本では「とび」]〉びました。その夜鷹よたか時分じぶんには、蝙蝠かうもりまでが一しよしました。

蝙蝠かうもり――い、い。』

ひながら、とうさんは蝙蝠かうもりと一しよになつてあるいたものです。どうかすると狐火きつねびといふものがえるのも、むら夕方ゆふがたでした。

御覽ごらん狐火きつねびえてますよ。』

むらひとはれて、とうさんはおうちまへからそのチラ/\とえるあを狐火きつねびとほやまむかふのはうのぞんだこともありました。あれはきつね松明たいまつるのだともひましたし、奧山おくやまくさつてひかるのをきつねくちにくはへてるのだともひました。とうさんは子供こどもで、なんにもりませんでしたが、あのあをうつくしい不思議ふしぎ狐火きつねびゆめのやうにおもひました。とうさんのうまれたところは、それほどふかやまなかでした。


   七 みづはなし


とうさんの田舍ゐなか木曾街道きそかいだうなか馬籠峠うまかごたうげといふところで、信濃しなのくにの一ばん西にしはしにあたつてました。お正月しやうぐわつのおかざりを片付かたづける時分じぶんには、村中むらぢう門松かどまつ注連繩しめなはなどをむらのはづれへつてつて、一しよにしてきました。むらひとはめい/\おもち竿さをさきにさしてそのいてべたり、子供こどものお清書せいしよけむりなかげこんで、たかそらにあがつてかみきれながめたりしました。と、けむりとで、お清書せいしよたかくあがれば、それをいたもののがあがるとひました。まつえるけむりと一しよになつてお清書せいしよたかく、たかくあがつてくのは丁度ちやうどたこでもあげるのをるやうでした。その正月しやうぐわつのおかざりあつめてむらのはづれまできますと、そのへんにはびつくりするほどおほきないはいし田圃たんぼあひだえました。そこからはもう信濃しなの美濃みの國境くにさかひちかいのです。とうさんの田舍ゐなか信濃しなの山國やまぐにからたひら野原のはらおほ美濃みのはうおりたうげの一ばんうへのところにあつたのです。

さういふいはいしおほたうげうへ出來できたおしろのやうなむらですから、まるで梯子段はしごだんうへにおうちがあるやうに、石垣いしがきをきづいては一けんづゝおうちてゝありました。どちらをいてもさかばかりでした。とうさんがおとなり酒屋さかやはうのぼつてくにもさか、おちうばあさんといふひとうちはうりてくにもさかでした。

この田舍ゐなかみづ不自由ふじいうなところでした。たにそこはうまでけばやまあひだながれて谷川たにがはがなくもありませんが、人家じんかちかくにはそれもありませんでした。そこでたうげはうから清水しみづいて、それをめる塲所ばしよつくつてあつたのです。なんといふ清水しみづながとひとほつて、どん/\ながれてましたらう。とうさんがでもまはしながらあそびにつてますと、ながれてみづおほきなはこなかんでまつてます。そのみづはこからあふれてむらしもはうながれてきます。天秤棒てんびんぼう兩方りやうはうかた手桶てをけをかついだ近所きんじよ女達をんなたちがそこへ水汲みづくみあつまつてます。みづ不自由ふじいうなところにうまれたとうさんは特別とくべつにその清水しみづのあるところをたのしおもひました。みんなが威勢ゐせいよくみづんだりかついだりするのをるのもたのしおもひました。そればかりではありません。とうさんが子供こども時分じぶんからみづといふものを大切たいせつおもひ、ずつとおほきくなつてもみづながれてるのをるのがきで、みづおとくのもきなのは、うしてみづ不自由ふじいう田舍ゐなかうまれたからだとおもひます。

とうさんのおうちには井戸ゐどつてありました。その井戸ゐど柄杓ひしやくみづめるやうなあさ井戸ゐどではありません。いても、いても、なか/\釣瓶つるべあがつてないやうな、ふかい/\井戸ゐどでした。

とうさんの祖母おばあさんの隱居所いんきよじよになつてた二かい土藏どざうあひだとほりぬけて、うら木小屋きごやはうおり石段いしだんよこに、その井戸ゐどがありました。そこもとうさんのきなところで、うちひと手桶てをけをかついでたり、みづんだりするそばつて、それを見のをたのしおもひました。とうさんの幼少ちひさ時分じぶんにはおうちにおひなといふをんな奉公ほうこうしてまして、半分はんぶん乳母うばのやうにとうさんをおぶつたりいたりしてれたことをおぼえてます。そのおひな井戸ゐどから石段いしだんあがり、土藏どざうよことほり、桑畠くはばたけあひだとほつて、おうち臺所だいどころまでづゝみづはこびました。


   八 たこ


やまなか田舍ゐなかでは、近所きんじよ玩具おもちやみせもありません。むら子供こどもたこなぞも自分じぶんつくりました。

とうさんはまだ幼少ちひさかつたものですから、おうちぢいやに手傳てつだつてもらひまして、造作ざうさなく出來できたこつくりました。かみいととはお祖母ばあさんがくださる、ほねたけうら竹籔たけやぶからぢいやがつてれる、なにもかもおうちにあるものひました。ぢいやがあをたけほそけづつてれますと、それにとうさんが御飯粒ごはんつぶかみりつけまして、するめのかたちのたこつくりました。みんなのするやうに、たこには矢張やはりかみながつてさげました。

末子すゑこ學校がくかう先生せんせい〈[#ルビの「せんせい」は底本では「せうせい」]〉から手工しゆこうならひませう、自分じぶんかみはこなどをつくるのは、上手じやうず出來できても出來できなくても、たのしみなものでせう。とうさんが自分じぶんたこつくつたのは、丁度ちやうど前達まへたち手工しゆこうたのしみでしたよ。ほそたけかみでこしらへたものが、だん/\凧たこのかたちにつてつたときは、どんなにとうさんもうれしかつたでせう。とうさんはそのたこ絲目いとめをつけまして、田圃たんぼはうつてきました。

かぜ〈[#「風」は底本では「凧」]〉よ、い、い、たこあがれ。』

つて、近所きんじよ子供こども手造てづくりにしたたこげにます。田圃側たんぼわきれたくさなかには、木瓜ぼけなぞがかほしてまして、あそまはるにはたのし塲所ばしよでした。〈[#「。」は底本では「、」]〉

『あゝかぜ〈[#ルビの「かぜ」は底本では「たこ」]〉ました。このかぜはやげてください。』

たこひました。とうさんが大急おほいそぎでいとしますと、たこ左右さいうくびつたり、ながかみをヒラ/\させたりしながら、さも心持こゝろもちよささうにあがつてきました。

たこそらはうて、とうさんにいろ/\な注文ちうもんをします。『あゝわたしは面喰めんくらひそうになりました。もつといとをたぐつてください。』とときには、とうさんはたこ注文ちうもんするとほりにいとをたぐつてやります。『今度こんどひだりはうかしぎさうになりました。はやみぎはういといてください。』とときには、とうさんはまたたことほりにみぎはういといてやります。そのうちにたこかぜをうけて、たかたかく、のしてきました。

たこさん、よくあがりましたね。そんなにたかいところへあがつたらそこいらがよくえませう。』

とうさんがしたからたづねますと、たこたかそらからえる谷底たにそこはなしをしました。

たこさん、なにえます。ほうぼうのおうちえますか。』〈[#底本では「』」が脱字]〉

『えゝ、いしせてあるおうち屋根やねから、竹藪たけやぶまでえます。馬籠うまかごむらが一えます。荒町あらまち鎭守ちんじゆもりまでえます。』

『お祖父ぢいさんのきな惠那山ゑなやま奈何どんなでせう。』

惠那山ゑなやまもよくえます。もつとむかふのやまえます。たかやまがいくつも/\えます。そのやまむかふには、見渡みわたすかぎり廣々ひろ/″\とした野原のはらがありますよ。なにひかつてえるかはのやうなものもありますよ。』

『それはきつとおとなりくにです。』

とうさんのうまれた田舍ゐなか美濃みのはうりようとするたうげうへにありましたから、おうちのお座敷ざしきからでもおとなりくにやまむかふのはうえました。くお天氣てんきには、とほ近江あふみくに伊吹山いぶきやままで、かすかにえることがあると、祖父おぢいさんがとうさんにはなしてれたこともありました。

『おかげで、たかいところから見物けんぶつしました。』

たこひました。

とうさんもたこあげたり、たこはなしいたりして、面白おもしろあそびました。自分じぶんつくつたたこがそんなによくあがつたのをるのもたのしみでした。

たこ見物けんぶつ草臥くたびれました。もうそろ/\おろしてください。』

たこふものですから、とうさんがいとをたぐりますと、たこはフハ/\フハ/\そらふやうにして、田圃たんぼのところまでうれしさうにりてました。


   九 猿羽織さるばおり


猿羽織さるばおりつて、とうさんの田舍ゐなか子供こどもは、おさるさんのそで羽織はおりのやうなものをました。さむくなるとそれをました。その猿羽織さるばおりゆきなかんであるくのは、丁度ちやうど木曾きそやまなかのおさるさんが、ゆきなかんであるくやうなものでした。


   十 ゆきをどりつゝある


とうさんの田舍ゐなかでは、何處どこうちでもいた屋根やねいて、かぜゆきをふせぐためにおほきないしならべて屋根やねうへせてありました。なんと、あのいしせた板屋根いたやねやまなか住居すまゐらしいでせう。やまにはおほきな檜木ひのきはやしもありますから、そのあつ檜木ひのきかはいたのかはりにして、小屋こや屋根やねなぞをくこともありました。ゆきればさういふおうち屋根やねうづまつてしまひ、はたけしろくなり、竹藪やけやぶたやうになつてしまひます。

元気げんきすずめは、そんなうた〈[#ママ]〉頓着とんちやくなしで、自分じぶんのお宿やども忘わすれたやうにゆきと一しよをどつてあるきます。

坂路さかみちおほとうさんのむらでは、氷滑こほりすべりの出來でき塲所ばしよさきにありました。むら子供こどもはみな鳶口とびぐちつてこゞつた坂路さかみちすべりました。この氷滑こほりすべりがゆきたのしみの一つで、とうさんもぢいやにつくつてもらつた鳶口とびぐち持出もちだしては近所きんじよ子供こどもと一しよゆきなかあそびました。つもつたゆきこゞつたつちうへあつめて、それを下駄げたでこするうちには、しろいタヽキのやうなみち出來上できあがります。鳶口とびぐちにしながらさかうへはうからすべりますと、ツーイ/\と面白おもしろいやうに身體からだきました。もしかすべそこねて鳶口とびぐち身體からださゝそこねた塲合ばあひにはゆきなかころげこみます。さういふたび子供同志こどもどうしげるわらごゑくのもたのしみでした。自分じぶん着物きものについたゆきをはらつてまたすべりにくのもたのしみでした。どうかするとこゞつてかゞみのやうにひかつてます。そのうへしろゆきでもふりかゝると氷滑こほりすべりの塲所ばしよともわからないことがあります。むら人達ひとたちとほりかゝつて、らずにすべつてころぶことなぞもありました。

とうさんはお前達まへたちのやうに、竹馬たけうまつてあぞまはることもきでした。ゆきにはことにそれがたのしみでした。大黒屋だいこくやてつさん、問屋とひやの三らうさんなどゝといふ近所きんじよ子供こどもが、竹馬たけうまで一しよになるお友達ともだちでした。そんなでも、うま荷物にもつをつけ、合羽かつぱむら馬方うまかたかれてゆきみちとほることもありました。とうさんが竹馬たけうまうへから

今日こんにちは。』

ひますと、お馴染なじみうまはなからしろ氣息いきしてわらひながら

『やあ、今日こんにちは、おまへさんも竹馬たけうまですね。』

挨拶あいさつしました。美濃みの中津川なかつがはといふまちはうから、いろ/\なもの脊中せなかにつけてれるのも、あのうまでした。ときにはおうさんのむらなぞにいめづらしい玩具おもちやや、とうさんのきな箱入はこいり羊羹やうかんとなりくにはうから土産みやげにつけてれるのも、あのうまでした。

ゆきつてたのしみでせうね。』

うまひましたが、ゆきればうまでもうれしいかととうさんはおもひました。やまなかふゆやお正月しやうぐわつには、お前達まへたちらないやうなたのしさもありますね。氷滑こほりすべりや竹馬たけうまこゞへたをおうち爐邊ろばたにあぶるのもたのしみでした。


   一一 庄吉爺しやうきちぢいさん


前達まへたち荒神くわうじんさまをつてませう。ほら、臺所だいどころかまどうへまつかみさまのことを荒神くわうじんさまとひませう。あゝしてしづめるかみさまばかりでなく、とうさんの田舍ゐなかでは種々いろ/\なものをまつりました。

繭玉まゆだまのかたちを、しんこでつくつてそれをたけえだにさげて、お飼蠶かいこさまをまもつてくださるかみさまをもまつりました。病氣びやうきたふれたうまのためには、馬頭觀音ばとうくわんおんまつりました。あるいてとほ旅人たびびと無事ぶじいのるためには、道祖神だうそじんまつりました。

とうさんはぢいやにれられて、やまかみさまへおもちをあげにつたことおぼえてます。湯舟澤ゆぶねざはといふはうつたやまのはづれに、やまかみさまがまつつてありました。そのちひさなやしろまへに、こめつくつたおもちをあげてました。そのへんは、どつちをいてもふかやまばかりで、ぢいやにでもいてかなければ、とても幼少ちひさ時分じぶんとうさんがひとりでかれるところではありませんでした。

やまはやしとうさんの故郷ふるさとです。とうさんのやうにおほきくなつても、わすれずにるのは、その故郷ふるさとです。とうさんはぢいやにれられてふかはやしはうへもつてました。そこへくとぢいやのつたがありました。松葉まつばんだのもありました。ぢいやはその背負しよつたり、松葉まつば背負しよつたりして、おうち木小屋きごやはうかへつてるのでした。

このぢいやは庄吉しようきちといふで、とうさんのうまれないまへからおうち奉公ほうこうしてました。

『よ、どつこいしよ。』

ぢいやはやまからかついでをおろしました。木小屋きごやのなかでそれをりました。このぢいやのおほきなさむくなると、あかぎれれて、まるで膏藥かうやくだらけのザラ/\としたをしてましたが、でもそのこゝろ正直しやうぢきな、そしてやさしい老人らうじんでした。

ぢいやはやまからつて木小屋きごやにしまつていて、たきつけにする松葉まつばもしまつていて、るだけづゝおうち爐邊ろばたはこびました。赤々あか/\とした毎日まいにち爐邊ろばたえました。曾祖母ひいばあさん、祖父おぢいさん、祖母おばあさん、伯父おぢさん、伯母おばさんのかほから、奉公ほうこうするおひなかほまで、家中うちぢうのものゝかほ焚火たきびあかうつりました。そのたのし爐邊ろばたには、ながたけつゝとおさかなかたなはとで出來できすゝけた自在鍵じざいかぎるしてありまして、おほきなおなべもの塲所ばしよでもあり家中うちぢうあつまつて御飯ごはんべる塲所ばしよでもありました。とうさんの田舍ゐなかではさむくなると毎朝まいあさ芋焼餅いもやきもちといふものをいて、あさだけ御飯ごはんのかはりにべました。蕎麥そば里芋さといもをまぜてつくつたその燒餅やきもちげたところへ大根だいこんおろしをつけて焚火たきびにあたりながらホク/\べるのは、どんなにおいしいでせう。その蕎麥そばにほひのするきたてのおもちなかからおほきな里芋さといもなぞがしろときは、どんなにうれしいでせう。ぢいやは御飯ごはんときでも、なんでも、草鞋わらぢばきの土足どそくのまゝで片隅かたすみあしれましたが、夕方ゆふがた仕事しごところから草鞋わらぢをぬぎました。爐邊ろばたにあるふる屏風べうぶわきぢいやのなべをする塲所ばしよときまつてました。ぢいやはその屏風べうぶわきあたらしいわらなぞをいて、とうさんのためにちひさな草履ざうりつくつたり、自分じぶんではく草鞋わらぢつくつたりしました。ぢいやのお伽話とぎばなしはそのときはじまるのでした。

とうさんはこのきな老人らうじんから、はたけよりあらはれたたぬきむじなはなしやましたきじはなし、それから奧山おくやまはうむといふおそろしいおほかみ山犬やまいぬはなしなぞをきましたが、そのうちにねむくなつて、ぢいやのはなしきながら爐邊ろばたでよくてしまひました。


   一二 草摘くさつみに


とうさんの幼少ちひさ時分じぶんには、おあしといふものをたせられませんでしたから、それがくせになつて、おあし子供こどもつものでないとおもつてましたし、巾着きんちやくからおあしして自分じぶんきなものをふこともりませんでした。おうちからおあしもらつてつてなにふのは、むら祭禮おまつりときぐらゐのものでした。

そのかはり、おにはにあるかきなしなぞがりたてのあたらしい果物くだものとうさんに御馳走ごちそうしてれました。祖母おばあさんがほほつゝんでくださるあつ〈[#「熱」の左上が「幸」、50-3]〉握飯おむすびにほひでもいだはうが、おあししてつたお菓子くわしより餘程よほどおいしくおもひました。おうちそとあるまはつても、石垣いしがきのところには黄色きいろ木苺きいちごつてるし、竹籔たけやぶのかげのたか榎木えのきしたには、かんばしいちひさなちてました。むらのはづれには「けんぽなし」といふもあつて、たかえだうへ珊瑚珠さんごじゆのやうな時分じぶんには木曽路きそぢとほ旅人たびびとはめづらしさうに仰向あうむいてきましたが、そのればべられてうまあぢがしました。そればかりではありません、やまにある田圃たんぼにあるくさなかにも『べられるからおあがり。』とつてくれるのもありました。

「スイ」とつて、あをなまべられるものもありました。くさでは「いたどり」や「すいこぎ」がべられましたが、あの「すいこぎ」のくきつてておうち鹽漬しほづけをしてあそぶこともありました。

をおし。わたしもおいしいものをげますよ。』

とうさんが石垣いしがきそばとほたびに、蛇苺へびいちご左樣さうつてはとうさんをさそひました。蛇苺はびいちごどくだとひます。それをとうさんもいてつてました。あののさめるやうなあか蛇苺へびいちごうまいことをつてよくとうさんをさそひましたが、そればかりはさはりませんでした。

とうさんの幼少ちひさ時分じぶんいたり背負おぶつたりしてれたおひなは、ういふ山家やまがうまれたをんなでした。たけのこかはを三かくたゝんで、なか紫蘇しそけたのをれて、よくそれをとうさんにれたのもおひなでした。それをへば紫蘇しそあぢがして、チユー/\ふうちに、だん/\たけのこかはあかそまつてるのもうれしいものでした。このおひなむら髮結かみゆひむすめでした。おひなのおとうさんは數衛かずゑといふで、をとこ髮結かみゆひでしたが、村中むらぢうで一ばんきたないといふ評判ひやうばんひとでした。そのきたな髮結かみゆひいへのおひなそだてられるとつて、とうさんはひと調戯からかはれたものです。

『やあ數衛かずゑだ。』

こんなことをつて惡戯好いたづらずきな人達ひとたちとうさんまできたな髮結かみゆひにしてしまひました。しかし、おひな幼少ちひさ時分じぶんとうさんをよくれました。おひなうた子守唄こもりうたとうさんの一ばんきなうたでした。それをきながら、とうさんはおひな背中せなかてしまふこともありました。

とうさんがひとりでそこいらをあそまは時分じぶんにはおひなれられてよくよもぎみにつたこともあります。あたゝかいあたつた田圃たんぼそばで、よもぎむのはたのしみでした。それをおうちつてかへつてて、うすでつけば草餅くさもち出來できました。


   一三 つばめころ


つばめころでした。

澤山たくさんつばめとうさんのむらへもんでました。一、二、三、四――とても勘定かんぢやうすることの出來できないなんといふつばめむらいたばかりのときには、ぐに人家じんかりようとはしません。はなれさうではなれないつばめむれは、細長ほそながかたちになつたり、まるかたちになつたりして、むらそらたかいところをそろつてつてます。そのうちに一そらからりたかとおもふと、なんといふつばめが一むらりてます。そしてたがひうれしさうなこゑつて、ふる馴染なじみ軒塲のきばたづがほに、おもひ/\にわかれてんできます。とうさんのおうちんでくのもあれば、おとなり大黒屋だいこくやんでくのもあれば、そのまた一けんいておとなり八幡屋やはたやはうんでくのもあります。ずつとさかしたはうの三浦屋うらやという宿屋やどやはうんでくのもあります。むら染物そめものをする峯屋みねやへも、俵屋たはらやのおばあさんのうちへも、和泉屋いづみや和太郎わたらうさんのおうちへもんできました。とうさんが村役塲むらやくばまへとほりますと、そこへはねやすめてつばめもありました。つばめ役塲やくばまへてゝある標柱はしらながめて、さも/\とほ旅行りよかうをしてたやうなかほをしてました。

長野縣ながのけん西筑摩郡にしちくまごほり木曾神坂村きそみさかむら』とその標柱はしらにはいてあるのです。とうさんはつばめはなしいてたいとおもひまして、いろ/\にはなしかけましたが、まるでこのつばめ異人ゐじんでした。一かう言葉ことばつうじませんでした。

『もしもし、つばめさん、おまへさんは一ねんに一づゝ、このむらるではありませんか。とほくにはうつてて、日本にほん言葉ことばわすれたのですか。』ととうさんがひますと、つばめなつかしいくに言葉ことばものひたくても、それがへないといふふうで、ただ、ペチヤ、クチヤ、ペチヤ、クチヤ、異人ゐじんさんのやうなわからないことをひました。

つばめうれしさうにとうさんを尻尾しつぽはね左右さいうふりながら、とほそらからやうやくこのやまなかいたといふはなしでもするらしいのでした。それをくに言葉ことばへば、『みなさん、おかはりもありませんか、あなたのおうち祖父おぢいさんもお健者たつしやですか。』とたづねるらしいのでしたがつばめふことは早口はやぐちで、

『ペチヤ、クチヤ、ペチヤ、クチヤ。』

としかとうさんにはきこえませんでした。

うした言葉ことばつうじないつばめも、むられて、家々いへ/\のきをつくり、くちばしの黄色きいろ可愛かあい子供こどもそだてる時分じぶんには、大分だいぶ言葉ことばがわかるやうになりました。つばめとうさんのところへなにふかとおもひましたら、こんなことを言ました。

私共わたしどもとほくにはうからまゐるものですから、なか/\言葉ことばおぼえられません、でも、あなたがたが親切しんせつにしてくださるのを、なにより有難ありがたおもひます。つぐみといふとりひわといふとりは、なんんでまゐりましても、みんなあみもちかゝつてしまひますが、私共わたしどもにかぎつて軒先のきさきしてくだすつたりをかけさせたりしてくださいます。それがうれしさに、うして毎年まいねんたびをしてまゐるのです。』


   一四 永昌寺えいしやうじ


今日こんにちは。』

きつね永昌寺えいしやうじにはひました。永昌寺えいしやうじとは、とうさんのむらのおてらです。そのおてらに、桃林和尚たうりんをしやうといふとしとつた和尚をしやうさんがんでました。この僧侶ばうさんこゝろひとでした。

『おまへなにしにました。』

桃林和尚たうりんをしやうたづねますと、きつねふことには、

『わたしはおてら拜見はいけんにあがりました。』

とうさんがはじめてあがつた小學校せうがくかうも、この和尚をしやうさんのむおてらちかくにありました。小學校せうがくかう生徒せいときつねがついたとつて、一大騷おほさわぎをしたことがありました。とうさんはその時分じぶんはまだ幼少ちひさくてなんにもりませんでしたが、そのきつねのついたといふ生徒せいとくちからあわし、顏色かほいろあをざめ、ぶる/″\ふるへてしまひました。何度なんども/\も名前なまへばれて、やうやくその生徒せいと正氣しやうきかへつたことがありました。桃林和尚たうりんをしやうはそのはなしいてつてりましたから、いづれきつねがまたなに惡戯いたづらをするためにおてらたづねてたにちがひないと、すぐかんづきました。

和尚をしやうさん、和尚をしやうさん、こちらは大層たいそういお住居すまゐですね。このむら澤山たくさんうちがありましても、こちらにかなふところはありません。村中むらぢうだい一の建物たてものです。こんなお住居すまゐ被入いらしやる和尚をしやうさんは仕合しあはせなかたですね。』

きつねひました。きつね調戯からかふつもりでわざと桃林和尚たうりんをしやう機嫌きげんるやうにしましたが、かしこ和尚をしやうさんはなか/\そのりませんでした。

『ハイ、御覽ごらんとほり、むらではおほきな建物たてものです。しかしこのおてら村中むらぢう人達ひとたちめにあるのです。わたしはこゝに御奉公ごほうこうしてるのです。おまへさんはわたしがこの住居すまゐ御主人ごしゆじんのやうなことをひますがわたしたゞこゝの番人ばんにんです。』

桃林和尚たうりんをしやうこたへましたので、きつねあたまき/\うらはやしはうへこそ/\かくれてきました。

桃林和尚たうりんをしやう御奉公ごほうこうして永昌寺えいしやうじは、小高こだかやまうへにありました。そのおてらたか屋根やね村中むらぢういへの一ばんたかいところでした。きつねつたとほり、村中むらぢうばん建築物けんちくぶつでもありました。そこでかねおとたにからたにひゞけて、何處どこいへへもつたはつてきました。そのかねおとは、としとつた和尚をしやうさんのまへだいにもき、そのまたまへだいにもいてたのです。もうなんねんといふことなく、ふるかねおとやまなかつてたのです。

永昌寺えいしやうじのあるやま中途ちうとには、村中むらぢうのおはかがありました。こんもりとしげつたすぎはやしあひだからは、いしせたむら板屋根いたやねや、かきや、竹籔たけやぶや、くぼ谷間たにまはたけまで、一えました。そこにはとうさんのおいへ御先祖ごせんぞさまたちも、あか椿つばきはななぞのくところでしづかにねむつてりました。


   一五 おちやをつくるいへ


すずめとうさんのおうちのぞきにました。丁度ちやうどうちではおちやをつくる最中さいちうでしたから、すずめがめづらしさうにのぞきにたのです。

『おまへさんのおうちではおちやをつくるんですか。』

すずめひますから、

『えゝ、わたしうちではおちやつたことがりません。毎年まいねん自分じぶんうちでつくります。』

とうさんがはなしてやりました。そのときとうさんがすずめに、あのおほきなおかまはう御覽ごらんつてせました。そこではおうちはたけれたおちやひとがあります。あのむしろ〈[#ルビの「むしろ」は底本では「むろ」]〉うへ御覽ごらんつてせました。そこではおかまからしたおちやをひろげて團扇うちはであほいでひとがあります。あの焙爐ほいろはう御覽ごらんつてせました。そこではうへにかけたおちや兩手りやうてんでひとがあります。

『チユウ、チユウ。』

とめづらしいことのきなすずめきました。そしてめづらしいことでさへあれば、すずめよろこびました。

うちでは祖母おばあさんや伯母をば〈[#ルビの「をば」は底本では「おば」]〉さんやおひなまで手拭てぬぐひかぶりまして、伯父おぢさんやぢいやと一しよはたらきました。近所きんぢよから手傳てつだひにはたらひともありました。いおちやにほひがするのと、家中いへぢうでみんなはたらいてるので、とうさんもすずめと一しよにそこいらををどつてあるきました。

とうさんのおうちではこのおちやばかりでなくべるものもの自分じぶんのところでつくりました。お味噌みそうちつくり、お醤油しやうゆうちつくり、祖母おばあさんや伯母をばさんのかみにつけるあぶらまでには椿つばきしぼつてつくりました。はやしにある小梨こなしかはつてて、黄色きいろしるいとまでめました。とうさんの子供こども時分じぶんには祖母おばあさんのつてくださる着物きものぢいやのつくつてれる草履ざうりをはいて、それで學校がくかうかよひました。さうして、この手造てづくりにしたものゝたのしみをとうさんにをしへてれたのは、祖母おばあさんでした。

祖母おばあさんははたらくことがきで、みんなのさきつておちやもつくりましたし、着物きもの根氣こんきりました。祖母おばあさんは隣村となりむら妻籠つまかごといふところから、とうさんのおうちへおよめひとで、曾祖母ひいおばあ〈[#「ひいおばあ」は底本では「ひいおば」]〉さんほどの學問がくもんいとひましたが、でもみんなにかれました。林檎りんごのやうにあか祖母おばあさんのほゝぺたは、家中いへぢうのものゝこゝろをあたゝめました。

祖母おばあさんの着物きもの塲所ばしよはおうち玄關げんくわんそばいたきまつてました。そのおにはえるあかるい障子しやうじそば祖母おばあさんの腰掛こしかけはたいてありました。

『トン/\ハタリ、トンハタリ。』祖母おばあさんのをさうごたびに、さういふおとこえてます。とうさんが玄關げんくわんひろいたて、そのをさおときながらあそんでりますと、そこへもよくめづらしいものきのすずめのぞきにました。


   一六 なしかきはお友達ともだち


とうさんのおうちにはにはいろ/\なうゑてありました。とうさんはその自分じぶんのお友達ともだちのやうにおもつておほきくなりました。お前達まへたち祖父おぢいさんのお部屋へやまへにあつたふるおほきなまつも、おもてにはにあつた椿つばきもみんなとうさんのお友達ともだちでした。その椿つばきそばにはなしもあつて、毎年まいねんおほきななしがなりました。

あのあをなしのなつたしたへはとうさんもよく〈[#ルビの「い」は底本では「ゆ」]〉つたものです。

『もうべてもいゝかい。』

と父さんがなしきにきますと

『まだはやい、まだはやい。』

なしつて、なか/\べてもいゝとはひませんでした。そして、そのなしおほきくなつて、いろのつく時分じぶんには、丁度ちやうど御祝言ごしふげんばん花嫁はなよめさんのやうに、しろ紙袋かみぶくろをかぶつてしまひました。これははちなしをたべるものですから、はちをよけるために紙袋かみぶくろをかぶせるのです。お勝手かつてよこには祖父おぢいさんのゑたきりがありました。そのきりしたは一めん桑畑くはばたけでした。おとなりたか石垣いしがきしろかべなぞがそこへくとよくえました。くは時分じぶんにはとうさんはくはそばつて

べてもいゝかい。』

とたづねますと、くはかけによらないやさしいでした。

『あゝ、いゝとも。いゝとも。』

つてれました。とうさんはうれしくて、あのくは紫色むらさきいろ可愛かあいちひさなえだからちぎつてくちれました。

土藏どざうまへには、かきもありました。とうさんはよくそのかきしたつてあそびました。かきはまたなしきりとちがつて、にぎやかなで、とうさんがあそびにたびなにかしらあつめたいやうなものがしたちてました。かきはな時分じぶんくと、あのあまにほひのするちひさなはなが一ぱいちてます。時分じぶんくと、あのへたのついたあをちひさなかき澤山たくさんちてます。そろ/\ちる時分じぶんくとおほきないろのついたかきがそこにもこゝにもちてます。とうさんはそれを拾集ひろひあつめるのがたのしみでした。それにほかのおうちかきへはのぼらうとおもつてものぼれませんでしたが、自分じぶんのおうちかきばかりはわるかほもせずにのぼらせてれました。とうさんはえだからえだをつたつてのぼつて、ときにゆすつたりしてもかきおこりもしないのみか、『もつとあそんでおいで。もつとあそんでおいで。』

とうさんにひました。


   一七 鳥獸とりけものもお友達ともだち


やまなかそだつたとうさんは、いろいろなをお友達ともだちのやうにおもつておほきくなつたばかりではありません。お前達まへたちきなお伽話とぎばなしほん雜誌ざつしなかるやうな、とりけものまで幼少ちひさ時分じぶんとうさんにはお友達ともだちでした。

うちにはおいしい玉子たまご御馳走ごちそうしてれるにはとりつてありました。とうさんが裏庭うらにはて、きりしたあたりをあるまはつてますと、そのへんにはにはとりあそんでました。

『コツ、コツ、コツ。』

にはとりとうさんをかけるたび挨拶あいさつします。ときにはにはとりはお友達ともだちのしるしにとつて、しろはね茶色ちやいろはねけたのをとうさんにいてつてれることもありました。

めづらしいおきやくさまでもあるときには、とうさんのおいへ〈[#「いへ」はママ]〉ではにはとりにく御馳走ごちそうしました。山家やまがのことですから、にはとりにくへばたいした御馳走ごちそうでした。そのたびにおいへつてあるにはとりりました。あのめられたくびしろくしまして、はねをむしられるにはとりますと、とうさんはおなかなかでハラ/\しました。これはおきやくさまの御馳走ごちそうですから仕方しかたいとおもひましたが、近所きんじよのおいへでは、鬪鷄しやもにはとり締殺しめころしてふといふことをよくやりました。むらには隨分ずゐぶん惡戲いたづらきな人達ひとたちがありました。さういふ人達ひとたちきて鬪鷄しやもをむしりまして、まへまはして面白おもしろがつたものです。あのあかはだかにかれたとりがヒヨイ/\あるくのをるほど、むごいものはいとおもひました。とうさんは子供心こどもごゝろにも、そんな惡戲いたづらをするむら人達ひとたち何程なにほどにくんだかれません。

うち土藏どざうにはとしをとつたしろへびんでりました。そのへび土藏どざうの『ぬし』だから、かまはずにけとつて、いし一つげつけるものもありませんでした。不思議ふしぎにもそのとしとつたへび動物園どうぶつゑんにでもるやうに温順おとなしくしててついぞ惡戲いたづらをしたといふことをきません。とうさんはめつたにそのへびませんでしたが、どうかするとあたつた土藏どざう石垣いしがきあひだ身體からだだけしまして、あたま尻尾しつぽかくしながら日向ひなたぼつこをしてるのをかけました。

この土藏どざうについて石段いしだんりてきますと、おうち木小屋きごやがありました。木小屋きごやまへにはいけがあつて石垣いしがきよこいてゆきしたや、そこいらにあそんではちかへるなぞが、とうさんのあそびにくのをつてました。裏木戸うらきどそとますと、そこにはまたお稻荷いなりさまのあかちひさなやしろそばおほきなくりつてました。かぜでもいてくりえだれるやうなあさとうさんがおうちから馳出かけだしてつてますと『たれないうちにはやくおひろひ。』とくりつて、三つづゝ一くみになつたくりいがと一しよちたのをとうさんにひろはせてれました。たかいところをると、ワンとくちいたくりいがえだうへからとうさんのはうわらつてまして、わざとちたくり塲所ばしよをしへずに、とうさんにさがまはらせてはよろこんでりました。

『あんなところにちてるのが、あれがえないのかナア。』とはくりいががよくとうさんにふことでした。くりはなからして提灯ちやうちんをぶらさげたやうに滑稽こつけいでしたし、どうかするとあを栗虫くりむしなぞをおとしてよこして、ひとをびつくりさせることのきなでしたが、でもとうさんのきなでした。


   一八 榎木えのき


うちうらにある榎木えのきちる時分じぶんでした。とうさんはそれをひろふのをたのしみにして、まだあのあをくてべられない時分じぶんから、はやあかくなれはやあかくなれとつてつてました。

ぢいやはやまへもりにくしはたけへも野菜やさいをつくりにつて、なんでもよくつてましたから、

『まだ榎木えのきしぶくてべられません。もうすこしおちなさい。』とさうまをしました。

とうさんは榎木えのきあかくなるのがつてられませんでした。ぢいやがめるのもかずに、馳出かけだしてひろひにきますと、たかえだうへた一橿鳥かしどりおほきなこゑしまして、

早過はやすぎた。早過はやすぎた。』ときました。

とうさんは、えだつてるのをおとすつもりで、いしころやぼうひろつてはげつけました。そのたびに、榎木えのきと一しよになつて、パラ/\パラ/\ちてましたが、どれもこれも、まだあをくてべられないのばかりでした。

そのうちにとうさんは出掛でかけてきました。『大丈夫だいぢやうぶ榎木えのきはもうあかくなつてる。』と安心あんしんして、ゆつくりかまへて出掛でかけてきました。ひろひにきますと、たかえだうへ橿鳥かしどりがまたおほきなこゑしまして、 

遲過おそすぎた。遲過おそすぎた。』ときました。

とうさんは、しきりとしたさがまはりましたが、あか榎木えのきひとつもつかりませんでした。ゆつくり出掛でかけてくうちに、したちてたのをみんほか子供こどもひろはれてしまひました。とうさんがこのはなしぢいやにしましたら、ぢいやがさうまをしました。

一度いちどはあんまり早過はやすぎたし、一度いちどはあんまり遲過おそす〈[#ルビの「おそす」は底本では「はやす」]〉ぎました。丁度好ちやうどいときらなければ、榎木えのきひろはれません。わたしがその丁度好ちやうどいときをしへてあげます。』とまをしました。

あるあさぢいやがとうさんに『さあはやひろひにおいでなさい、丁度好ちやうどいときました。』とをしへました。そのあさかぜいて、榎木えのきえだれるやうなでした。とうさんがいそいでしたきますと、橿鳥かしどりたかうへからそれをまして、

丁度好ちやうどいい。丁度好ちやうどいい。』ときました。

榎木えのきしたには、あかちひさなたまのやうなが、そこにも、こゝにも、一ぱいちこぼれてました。とうさんは周圍まはりまはつて、ひろつても、ひろつても、ひろひきれないほど、それをあつめてたのしみました。

橿鳥かしどりくびかしげて、このありさまをましたが、

『なんとこの榎木えのきしたにはちてませう。澤山たくさんひろひなさい。ついでに、わたしひと御褒美ごはうびしますよ。それもひろつてつてください。』とひながらあをぶちはいつたちいさなはねたかえだうへからおとしてよこしました。

とうさんは榎木えのきばかりでなく、橿鳥かしどりうつくしいはねひろひ、おまけにそのおほきな榎木えのきしたで、『丁度好ちやうどいとき。』までおぼえてかへつてました。

 

   一九 木曾きそはい


木曾きそはいおほいところです。

木曾きそには毎年まいとし馬市うまいちつくらゐに、諸方はう/″\うまひますから、それではいおほいといひます。

はいなんにでもつてりつきます。荷物にもつをつけてとほうまにもりつけば、旅人たびびと着物きものにもりつきます。はいたれとでも懇意こんいになりますが、そのかはりたれにでもうるさがられます。こんなうるさいはいでも、道連みちづれとなればなつかしくおもはれたかして、木曾きそはいのことを發句ほつくんだむかし旅人たびゞともありましたつけ。


   二○ ぶよ


て、ちがふもの――はいぶよはいはうるさがられ、ぶよこはがられてます。ぶよひとをもうまをもします。あのながくて丈夫ぢやうぶうま尻尾しつぽ房々ふさ/\としたは、ぶよひ拂はらのにやくつのです。とうさんが幼少ちひさ時分じぶん晝寢ひるねをしてますと、どうかするとこのぶよはれることがりました。そのたびに、お前達まへたち祖父おぢいさんがおほきなてのひらで、ぶよこらしてれました。


   二一 木曾馬きそうま


木曾きそのやうに山坂やまさかおほいところには、その土地とちてきしたうまがあります。いくら體格たいかく立派りつぱうまでも、平地へいちにばかりはれた動物どうぶつでは、木曾きそのやうな土地とちにはてきしません。そこで、いしころのおほ坂路さかみちあるいてもつかれないやうなつよあしちからが、木曾生きそうまれのうまには自然しぜんそなはつてるのです。

木曾馬きそうまちひさいが、足腰あしこし丈夫ぢやうぶで、よくはたらくとつて、それをひに博勞ばくらう毎年まいねん諸國しよこくからあつまります。博勞ばくらうとはうま賣買うりかひ商賣しやうばいにするひとのことです。木曾きそ山地さんちそだつた眼付めつき可愛かあいらしい動物どうぶつがその博勞ばくらうかれながら、諸國しよこくはたらきにるのです。


   二二 御嶽參おんたけまゐ


『チリン/\。チリン/\。』

やまなつらしくなると、すゞおときこえるやうにります。御嶽山おんたけさんのぼらうとする人達ひとたち幾組いくくみとなく父さんのおうちまへとほるのです。うまるか、かごるか、さもなければあるいてたびをした以前いぜん木曾街道きそかいだう時分じぶんには、とうさんのうまれた神坂村みさかむらえき馬籠まごめひました。汽車きしや電車でんしやくところが今日こんにちのステエシヨンなら、うまかごいたとうさんのむらむかし木曾街道きそかいだう時分じぶんのステエシヨンのあつたところです。ほら、何々なに/\えきといふことをよくふではりませんか。木曾きそやまなかにあつたちひさな馬籠驛まごめえきでも、言葉ことば意味いみかはりはいのです。丁度ちやうど、おとなりで美濃みのくにはうから木曽路きそぢはひらうとする旅人たびびとのためには、一番いちばん最初さいしよ入口いりぐちのステエシヨンにあたつてたのが馬籠驛まごめえきです。

御嶽參おんたけまゐりが西にしはうから木曾きそ入口いりくちくには、六曲峠ろくきよくたうげといふたうげしてなければなりません。そこが信濃しなの美濃みの國境くにざかひで、とうさんのむらのはづれにあたつてます。馬籠まごめえきまでれば御嶽山おんたけさんはもうとほくはない、そのよろこびがみんなむねにあるのです。あのしろ着物きものに、しろ鉢巻はちまきをした山登やまのぼりの人達ひとたちが、こしにさげたりんをちりん/\らしながら多勢おほぜいそろつてとほるのは、いさましいものでした。


   二三 芭蕉翁ばせをおう石碑せきひ


前達まへたち芭蕉翁ばせをおういたことがりませう。あの芭蕉翁ばせをおう木曾きそんだ發句ほつくいしりつけてあります。そのふる石碑せきひ馬籠まごめむらはづれにてゝあります。美濃みの國境くにざかひちかいところに、それがあります。

あさおもひ、またゆふおもふべし。』

芭蕉翁ばせをおうをしへたひとです。


   二四 お百草ひやくさう


御嶽山おんたけさんはうからかへ人達ひとたちは、お百草ひやくさうといふくすりをよく土産みやげつてました。お百草ひやくさうは、あのたかやまうへれるいろ/\なくさからせいした練藥ねりぐすりで、それをたけかはうへべてあるのです。にがい/\くすりでしたが、おなかいたときなぞにそれをむとすぐなほりました。おくすりはあんなたかやまつちなかにもしまつてあるのですね。


   二五 檜木笠ひのきかさ


麥藁むぎわらでさへ帽子ばうし出來できるのに、檜木ひのきかさつくれるのは不思議ふしぎでもありません。

木曾きそ檜木ひのき〈[#「檜木」は底本では「榎木」]〉名所めいしよですから、あのうすいたけづりまして、かさんでかぶります。そのかさあたらしいのは、檜木ひのき香氣にほひがします。木曾きそ檜木ひのき〈[#「は」は底本では「を」]〉材木ざいもくとして立派りつぱなばかりでなく、赤味あかみのあるあつかは屋根板やねいたかはりにもなります。まあ、あの一トかゝへも二擁ふたかゝへもあるやうな檜木ひのきそばへ、お前達まへたちれてつてせたい。


   二六 ふるさとの言葉ことば


やまはやしとうさんのふるさとですと、お前達まへたちにおはなししましたらう。やまはやしばかりでなく、言葉ことばとうさんのふるさとです。邊鄙へんぴやまなかむらですから、言葉ことばのなまりもひなびてはますが、ひと名前なまへかたからして馬籠まごめ馬籠まごめらしいところがります。たとへば、末子すゑこのやうなちひさなをんなぶにも、

すゑさま。』

つたり、もつとしたしい間柄あひだがらときには、

すゑさ』

つたりしまして、ひなびた言葉ことばなかにも何處どこやさしいところがいでもありません。

とうさんの田舍ゐなかには『どうねき』などといふ言葉ことばもあります。もう仕末しまつにおへないやうなひとのことを『どうねき』とひます。こんな言葉ことば木曾きそにだけつて、ほか土地とちにはいのだらうかとおもひます。それから、『わやく』といふやうな言葉ことばもあります。『いたずらな子供こども』といふところを『わやくな子供こども』などゝひます。

ふるさとの言葉ことばはこひしい。それをくと、とうさんは自分じぶん子供こども時分じぶんかへつてくやうながします。お前達まへたち祖父おぢいさんでも、祖母おばあさんでも、みんなその言葉ことばなかきていらつしやるやうながします。


   二七 お百姓ひやくしやう苗字めうじ


とうさんの田舍ゐなかはうにははたらくことのきなお百姓ひやくしやうんでます。いまでこそあの人達ひとたち苗字めうじひとはありませんが、むかし庄吉しやうきちとか、春吉はるきちとかの名前なまへばかりで、苗字めうじ人達ひとたち澤山たくさんあつたさうです。明治めいぢのはじめを御維新ごゐつしんときひまして、あの御維新ごゐつしんときから、どんなお百姓ひやくしやうでも立派りつぱ苗字めうじをつけることにつたさうです。

とうさんのおうちにも出入でいりのお百姓ひやくしやうがありまして、おもちをつくとか、おちやをつくるとかいふには、屹度きつと手傳てつだひにれました。あの人達ひとたちはお前達まへたち祖父おぢいさんのことを『お師匠ししやうさま、お師匠ししやうさま』とんでました。あの人達ひとたち苗字めうじをつけるときのことをいまからおもひますと、

『お師匠ししやうさま、孫子まごこつたはることでございますから、どうかまあ私共わたしどもにもささうな苗字めうじを一つおねがまをします。』

うもあつたらうかとおもひます。そして、大脇おほわき〈[#ルビの「おほわき」は底本では「おはわき」]〉わきけてもらふとか、蜂谷はちやけてもらふとかして、いろ/\な苗字めうじむらにふえてつたらうかとおもひます。


   二八 きつね身上話みのうへばなし


稻荷いなりさまは五穀ごこくかみまつつたものですとか。五穀ごこくとはなんなんでせう。こめに、むぎに、あはに、きびに、それからまめです。あは粟餅あはもちあはきびはお前達まへたちのお馴染なじみ桃太郎もゝたらうこしにさげて黍團子きびだんごきびです。とうさんのおうちうらにも、のお百姓ひやくしやう神樣かみさままつつてありました。あか鳥居とりゐおくにあるちひさなやしろがそれです。二ぐわつ初午はつうまには、おうちぢいやがおほきな太鼓たいこ持出もちだして、そのやしろわきさくらえだけますと、そこへ近所きんじよ子供こどもあつまりました。とうさんもその太鼓たいこたゝくのをたのしみにしたものです。

前達まへたちはあの繪馬ゑまつてますか。うまをかいたちひさながく諸方はう/″\やしろけてあるのをつてますか。あのがくなかには『奉納ほうなふ』といふ文字もじと、それをげたひとうまれたとしなぞがいてあるのにがつきましたか。とうさんのおうちうらまつつてあるお稻荷いなりさまのやしろにも、あの繪馬ゑまがいくつもかゝつてました。それから、しろきつね姿すがたをあらはした置物おきものいてありました。その白狐しろぎつねはあたりまへのきつねでなくて、寶珠はうじゆたまくちにくはへてました。

『おまへさんがお稻荷いなりさまですか。』

とうさんがそのきつねにきいてました。さうしましたら白狐しろぎつねこたへるには、

『どうしまして。わたしはお稻荷いなりさまの使つかひですよ。このやしろ番人ばんにんですよ。わたしもこれでわか時分じぶんには隨分ずゐぶんいたずらなきつねでして、諸方はう/″\はたけあらしました。一たいわたし幼少ちひさ時分じぶんには、ごくよわかつたものですから、この白狐しろぎつねはこれでもそだつかしら、とみんなはれたくらゐださうです。そのわたし可哀かあいさうにおもつて、親狐おやぎつねわたしふなりにそだてゝれましたとか。わたしひとふことなぞをかないで、自分じぶんのしたいことをしました。にはとりべたければ、にはとりぬすんでました。そんな眞似まねをして、もう我儘わたまゝいつぱいに振舞ふるまつてりますうちに、だん/″\わたし〈[#「は」は底本では「ば」]〉ひとりぼつちにつてしまひました。たれわたしとは交際つきあはなくなりました。わたしめる時分じぶんには、だれわたしふことを本當ほんたうにしてれるものはありませんでした。御覽ごらんとほり、わたしいま、お稻荷いなりさまのやしろ番人ばんにんをしてます。わたしのやうなきつねでもうまかはつたやうになれば、うしてやしろ番人ばんにんをさせていたゞけるのです。わたしがもうわか時分じぶんのやうな惡戯いたづらきつねでない證據しようこには、このわたしくち御覽ごらんになつても分ります。わたしがお稻荷いなりさまのお使つかひをしてあるたびに、このくちにくはへて寶珠はうじゆたまひかります。』

とさうまをしました。


   二九 生徒せいとさん、今日こんにち


むら學校がくかう生徒せいと石垣いしがきあひだほそみちかへつてますと、こちらの石垣いしがきからむかふの石垣いしがきはうとほりぬけようとするねずみがありました。丁度ちやうどむらでは惡戯いたづらをしたねずみうはさつたはつてころでした。いかにそゝツかしい山家やまがねずみでも、そこにをんなひとはな間違まちがへて、おいもかなんかのやうにべようとしたなんて、そんなことはめつたにかない惡戯いたづらですから。

學校がくかう生徒せいとつたねずみかしこねずみでした。他所よそねずみ惡戯いたづらから、自分じぶんまでその仕返しかへしをされてはたまらないとおもひましたから、自分じぶんはな大事だいじ〈[#ルビの「だいじ」は底本では「なだいじ」]〉さうにおさへてまして、それから挨拶あいさつしました。

生徒せいとさん、今日こんにちは。』


   三○ くろ蝶蝶てふてふ


あるのことでした。とうさんはおうち裏木戸うらきどそとをさん/″\あそまはりまして、木戸きどのところまでかへつてますと、たか枳殼からたちうへはうたまごでもみつけようとしてるやうなおほきなくろ蝶々てふ/\つけました。

いろ/\な可愛かあいらしい蝶々てふ/\澤山たくさんあるなかで、あのおほきなくろ蝶々てふ/\ばかりは氣味きみわるいものです。あれは毛蟲けむし蝶々てふ/\だとひます。なんなしにとうさんはその蝶々てふ/\おとすつもりで、木戸きどうちはうからなが竹竿たけざをさがしてました。ほら、枳殼からたちといふやつは、あのとほりトゲのた、えだんだでせう。とうさんが蝶々てふ/\をめがけて竹竿たけざをたびに、それが枳殼からたちえだつて、あをがバラ/\ちました。

そのうちに蝶々てふ/\とうさんの竹竿たけざをになやまされて、手傷てきずつたやうでしたが、まだそれでもげてかうとはしませんでした。そこいらにはもうだれひとないころで、木戸きどちかいお稻荷いなりさまのちひさなやしろから、おうち裏手うらてにあるふか竹籔たけやぶはうへかけて、なにもかも、ひつそりとしてました。おほきな蝶々てふ/\だけが氣味きみわるくろはねをひろげて、枳殼からたちのまはりをんでました。それをると、とうさんはその蝶々てふ/\ころしてしまはないうちは安心あんしん出來できないやうながして、にした竹竿たけざをで、滅茶々々めちや/\枳殼からたちえだはうつていて、それから木戸きどうちみました。

いまだにとうさんはあのときのことをわすれません。母屋もや石垣いしがきしたにあるふるいけ横手よこてから、ひつそりとした木小屋きごやまへとほり、井戸ゐどわき石段いしだんのぼるやうにしまして、祖母おばあさんたちはういそいでかへつてつたときのことをわすれません。

それにつけても、とうさんはある亞米利加人あめりかじんはなしおもします。

その亞米利加人あめりかじんがまだ子供こども時分じぶんかめつたはなしおもします。うまれてはじめて『わるい』といふことをほんたうにつた、自分じぶんわるいとおもひながらぼう振上ふりあげ/\してかめつのに夢中むちうになつてしまつた、あんな心持こゝろもちはじめてだ、さう亞米利加人あめりかじんはなしなかいてあつたことをおもします。その亞米利加人あめりかじん母親はゝおやからはれた言葉ことばいて、あれが自分じぶんの『良心りやうしんざめ』だ、自分じぶんが一しやううちのどんな出來事できごとでもあんなにふか長續ながつゞきのしてのこつたものはない、とそのはなしにもつてありましたつけ。 


   三一 なしした


子供こども片足かたあしづゝげてあそぶことを、東京とうきやうでは『ちん/\まご/\』とひませう。土地とちによつては『足拳あしけん』とふところもるさうです。とうさんの田舍ゐなかほうではあのあそびのことを『ちんぐら、はんぐら』とひます。

問屋とんやの三らうさんは近所きんじよ子供こどもなかでもとうさんとおなどしでして、あそ友達ともだちでした。とうさんがおうちおもてあそんでりますと、何時いつでもさかうへはうからりてて一しよるのは、この三らうさんでした。二人ふたり片足かたあしづゝげまして、さかになつたむら往来わうらいを『ちんぐら、はんぐら』とよくあそびました。

ある夕方ゆふがたこととうさんはなにかのことで三らうさんとあらそひまして、このあそ友達ともだちかせてしまひました。三らうさんの祖母おばあさんといふひと日頃ひごろらうさんを可愛かあいがつてましたから、大層たいそう立腹りつぷくして、とうさんのおうちんでたのです。問屋とんや祖母おばあさんとへば、なか/\けてはないひとでしたからね。

とうさんはおうちかへればきつとしかられることをつてましたから、しょんぼりともんなかまでかへつてきました。おうちにはひろいた玄關げんくわんと、田舍風ゐなかふう臺所だいどころ入口いりぐちと、入口いりぐちが二つになつてましたが、その臺所だいどころ入口いりぐちからますと、爐邊ろばたではもう夕飯ゆふはんはじまつてました。ところがだれとうさんに『おはいり』とひとがありません。『はや御飯ごはんをおあがり』とつてれるものりません。とうさんは自分じぶんのしたことで、こんなにみんなおこらせてしまつたかとおもひました。そのうちに、

『おまへはそこにつておで。』

といふ伯父おぢさんのこゑきつけました。あのお前達まへたち伯父おぢさんが、とうさんには一番いちばん年長うへにいさんにあたひとです。とうさんは問屋とんやの三らうさんをかせたばつとして、にはたせられました。あか/\とえるたのしさうなも、みんなが夕飯ゆふはんべるさまも、にはなししたからよくえました。ぢいやは心配しんぱいして、とうさんをひなだめにれましたが、とうさんはだれことれずに、みんなの夕飯ゆふはんむまでそこにちつくしました。

ういう塲合ばあひに、いつでもとうさんをれにれるのはあのおひなで、おひなとうさんのために御飯ごはんまでつけてれましたが、到頭たうとうそのばんとうさんはべませんでした。

おろかなとうさんは、好いことでもわることでもそれを自分じぶんでしてうへでなければ、その意味いみをよくさとることが出來できませんでした。そのかはり、一度いちどりたことは、めつたにそれを二度にどするにならなかつたのは、あのなししたたせられたばんのことをよく/\わすれずにたからでありませう。


   三二 翫具おもちやにもはたけにも


とうさんの幼少ちひさときのやうにやまなかそだつた子供こどもは、めつたに翫具おもちやふことが出來できません。假令たとへしいとおもひましても、それをみせむらにはありませんでした。

翫具おもちやしくなりますと、とうさんはうら竹籔たけやぶたけや、麥畠むぎばたけしてある麥藁むぎわらや、それからぢいやが野菜やさいはたけはうからつて茄子なすだの南瓜たうなすだのゝなかへよくさがしにきました。

ぢいやがはたけからつて茄子なすは、とうさんにへたれました。その茄子なすへた兩足りやうあし親指おやゆびあひだにはさみまして、爪先つまさきてゝあるきますと、丁度ちやうどちひさなくつをはいたやうで、うれしくおもひました。

南瓜たうなすとうさんに、へたれました。

御覽ごらんわたしへたかたいこと。まるでたけのやうです。これをおまへさんのにいさんのところへつてつて、このうらたひらなところへなにつておもらひなさい。それが出來できたら、かみうへして御覽ごらんなさい。面白おもしろ印行いんぎやう出來できますよ。』

南瓜たうなすをしへてれました。

うら竹籔たけやぶたけとうさんにたけれました。それでたけ手桶てをけつくれ、とつて呉ました。

『こいつも、おまけだ。』

ほそたけつたのまでれてよこしました。そのほそたけけづりまして、たけ手桶てをけしますと、それでげられるやうにるのです。みづめます。とうさんは表庭おもてにはなし椿つばきしたあたりへちひさなかはのかたちをこしらへました。あつめたすなつち二列ふたれつりまして、そのなかみづながしてはあそびました。たけ手桶てをけげてつたみづがそのちひさなかはながれるのをたのしみました。

麥畠むぎばたけじゆくしたむぎは、とうさんに穗先ほさきはうほそ麥藁むぎわらと、胴中どうなかはうふと麥藁むぎわらとをれました。

これをどうするんですか。黄色きいろ麥藁むぎわらでなけりや不可いけないんですか。』

とうさんがきましたら、むぎふには、

『ナニ、あをいんでもかまひませんが、なるなら黄色きいろはうがいゝ。むぎじゆくするほど丈夫ぢやうぶですからね。このほそ麥藁むぎわら穗先ほさきはうかるつておきなさい。をつけてしないと、れて、とれてしまひますよ。それからふと麥藁むぎわらふしのあるしたのところを一すんばかりおまへさんのつめでおきなさい。これもをつけてしないと、みんなけてしまひますよ。ふと麥藁むぎわらにはかなら一方いつぱうふしのあるのがります。それが出來できましたら、ほそはう麥藁むぎわらふと麥藁むぎわらけたところへむやうになさい。』

成程なるほどむぎとほりにしましたら、子供こどもらしい翫具おもちや出來できました。ほそ麥藁むぎわらしたからたびに、むぎ穗先ほさきうごきまして、『今日こんにちは、今日こんにちは』とふやうにえました。

とうさんは、種々いろ/\翫具おもちやにもはたけにもあることりました。竹籔たけやぶからつてあをたけ麥畠むぎばたけからつて黄色きいろ麥藁むぎわらで、翫具おもちや手造てづくりにすることふにはれぬたのしい心持こゝろもちおぼえました。

はたけすみ堤燈ちやうちんをぶらさげたやうな酸醤ほゝづきが、とうさんに酸醤ほゝづきれまして、そのしんしてしまつてから、ふるふでぢくいて御覽ごらんをしへてれました。ふでぢくさきはうだけを小刀こがたななにかでいくつにもりまして、朝顏あさがほのかたちにげるといゝのです。その受口うけくちたまのやうにふくらめた酸醤ほゝづきをのせ、したからきましたら、かる酸醤ほゝづきがくる/\とひあがりました。そして朝顏あさがほなりのくだうへ面白おもしろいやうにちてました。


   三三 たび飴屋あめやさん


とうさんのむらへも、たまには飴屋あめやさんがとほりました。たび飴屋あめやさんは、天平棒てんびんぼうでかついてむら石垣いしがきわきにおろして、面白おもしろをかしくふえきました。

なんと、飴屋あめやさんの上手じやうずふえくこと。飴屋あめやさんはぼうさききつけたあめとうさんにもつてれまして、それからひました。

『さあ、おいしいあめですよ。これをべて、おとなしくしてくださると、わたしあめをかついでてあげますよ。』

けてたびをしてある飴屋あめやさんは、何處どことほいところからかついでかたけて、ふえき/\出掛でかけました。

あの飴屋あめやさんのふえは、そこいらの石垣いしがきみてくやうな音色ねいろでした。


   三四 水晶すゐしやうのお土産みや


あるとうさんはひとれられて梵天山ぼんてんやまといふはうきました。あか躑躅つゝじはななぞのいて山路やまみちとほりまして、その梵天山ぼんてんやまつてますと、そこは水晶すゐしやうやまでした。とうさんはめづらしくおもひまして、あちこちとあるいてますと、みちばたにおほきないはがありました。そのいはとうさんに、彼處あそこ御覽がらん、こゝを御覽ごらん、とひまして、半分はんぶんつちのついた水晶すゐしやうがそこいらにらばつてるのをしてせました。

『あそこにも水晶すゐしやうかたまりがありますよ。』

とまたいはとうさんにしてせました。その水晶すゐしやう千本濕地せんぼんしめぢといふきのこのかたまつてえたやうに、えだえだがさしたやうになつてまして、そのえだの一つ一つが、みんな水晶すゐしやうかたちをしてました。

『こんなところから水晶すゐしやうるんですか。』

とうさんがきましたら、

『えゝ〈[#「ゝ」は底本では「う」]〉、さうです。水晶すゐしやうはみんなうしてうまれてます。ひととほいところにばかりをつけて、足許あしもとちて寶石ほうせきらずにますよ。さういふおまへさんは、このやまはじめてゞすか。よくくださいました。やま土産みやげに、あそこにちてうつくしい水晶すゐしやうでも一つひろつてつてください。』

うそのいはこたへました。

とうさんはそこいらをさがまはりまして、についた水晶すゐしやうなかでも一番いちばんひかつたのを土産みやげつてかへりました。


   三五 雄鷄おんどり冒險ばうけん


わか雄鷄おんどりがありました。

ほかにはとりおなじやうに、この雄鷄おんどりひとうちはれておほきくなりました。ちひさなひよ時分じふんから、雄鷄おんどり自分じぶんべないものとばかりおもつてましたが、だん/″\おほきくなるうちに、自分じぶんえてはねてびつくりしました。

雄鷄おんどりはまだわかくて元氣げんきがありましたから、こんな立派りつぱはねがあるなら一つこれでんでたいとおもふやうにりました。そこではやしはう出掛でかけてきまして、ほかとりおなじやうにばうとしました。はやしには百舌もずあそんでました。百舌もず雄鷄おんどりはうてはわらひました。そこへひはつてました。ひは雄鷄おんどりはうて、百舌もずおなじやうにわらひました。何度なんど何度なんど雄鷄おんどりえだのぼりまして、そこからばうとしましたが、そのたびはねをばた/″\させてりてしまひました。

百舌もずにはわらはれる、ひはにもわらはれる、そのうちに雄鷄おんどりしくなりましたが、はやしなかにあるむしはみんなほかとりはやひろはれてしまひました。だれ雄鷄おんどりのために米粒こめつぶひとつまいてれるものもりませんでした。でも、この雄鷄おんどりわかかつたものですから、どうかしてんでたいとおもひまして、えだのぼつてつてははねをひろげました。そのたびりるばかりでした。

雄鷄おんどりはもうたかこゑときをつくるやうな勇氣ゆうきくじけまして、

『クウ/\、クウ/\。』

ひろもなくてきました。

そこへ山鳩やまばととほりかゝりました。山鳩やまばとはやしなかれないにはとり鳴聲なきごゑきつけまして、そばんでました。百舌もずひはとちがひ、山鳩やまばとらずの雄鷄おんどりをいたはりました。

『もうすこしの辛抱しんぼう――もうすこしの辛抱しんぼう――』

いて、山鳩やまばとはやしおくはうんできました。

かつえた雄鷄おんどり一生懸命いつしやうけんめいさがしはじめました。ほかとりひろはれないうちに、自分じぶんむしつけるためには、いやでもおうでもばなければりませんでした。そのときになつて、はじめて雄鷄おんどりはねうごいてました。そしてらしいにありつきました。

雄鷄おんどりはこのはやしびにて、たかがあんなたかそらつてあるくのも、自分じぶんつけにくのだといふことをりました。


   三六 たなばたさま


ぐわつ、五ぐわつのお節句せつくは、たのしい子供こどものおまつりです。五ぐわつのお節句せつくには、とうさんのおうちでもいしせた板屋根いたやね菖蒲しやうぶをかけ、ぢいやが松林まつばやしはうからつてさゝちまきをつくりました。七ぐわつになりますと、また、たなばたさまのおまつりやまなかむらへもました。

たなばたさまのおまつりかざたけは、あれは外國ぐわいこく田舍家ゐなかやかざるといふクリスマスのにもくらべてたいやうなものです。すみべにながしてめた色紙いろがみ、またはあかあを色紙いろがみ短册たんざくかたちつて、あのあをたけあひだつたのは、子供心こどもごゝろにもやさしくおもはれるものです。


   三七 巴且杏はたんきやう


巴且杏はたんきやう時分じぶんには、おうちうらのお稻荷いなりさまの横手よこてにあるふるにも、あの密集かたまつてりました。とうさんは自分じぶん子供こども時分じぶんと、あの巴且杏はたんきやう時分じぶんとを、別々べつ/\にしておもせないくらゐです。巴且杏はたんきやうすもゝよりおほきく、あぢすもゝのやうにくはありません。あのは、さきはうすことがつてつのたやうな、たばかりでもおいしさうにじゆくしたやつを毎年まいねんどつさりとうさんに御馳走ごちそうしてれましたつけ。


   三八 かじかすくひ


とうさんの兄弟きやうだいなかに三つとしうへ友伯父ともをぢさんといふひとがありました。この友伯父ともをぢさんに、隣家となり大黒屋だいこくやてつさん――この人達ひとたちについて、とうさんもよくかじかすくひと出掛でかけました。

胡桃くるみ澤胡桃さはくるみなどゝいふは、山毛欅ぶななぞとおなじやうに、ふかはやしなかにはえないで、村里むらさとつたはうえてです。うるしおほきくしたやうなあの胡桃くるみしげつたところは、かじか在所ありからせるやうなものでした。何故なぜかといひますに、胡桃くるみえてるところへつてますと、きまりでそのへんにはみづながれてましたから。とうさんたちざるつてきまして、いしあひだかくれてかじかひました。

もしかしてざるのかはりに釣竿つりざををかついで、なにかもつとほかさかなをもりたいとおもときには、ぢいやにたのんで釣竿つりざをつくつてもらひました。

ういふあそびにかけては、友伯父ともをぢさんはなか/\※心ねつしん〈[#「熱」の左上が「幸」、142-2]〉でした。なにしろとうさんのむらにはつり道具だうぐ一つみせもなかつたものですから、釣竿つりざをさきにつけるいとでもなんでもみんな友伯父ともをぢ〈[#「友伯父」は底本では「及伯父」]〉さんがぢいやに手傳てつだつてもらつてつくりました。いとくりむしからりました。そのくりむしかられたいとけて、ばしますと、木小屋きごやまへぢいやのからむかふのふるいけわき友伯父ともをぢさんのとゞくほどのながさがありました。それをして、釣竿つりざをいとつくることなどは、友伯父ともをぢさんもきでよくやりました。

つり道具だうぐげて、友伯父ともをぢさんたち一緒いつしよ胡桃くるみえる谷間たにあひ出掛でかけますと、何時いつでもとうさんはさかなられてしまふか、さもなければもう面倒臭めんだうくさくなつて釣竿つりざをいしあひだをかきまはすかしてしまひました。そしておうちはうかへつてたびに、

釣竿つりざをばかりでは、さかなれませんよ。』

ぢいやにわらはれました。


   三九 祖母おばあさんのかぎ


前達まへたち祖母おばあさんのことは、まへにもすこしおはなし〈[#ルビの「はなし」は底本では「はなた」]〉したとおもひます。祖母おばあさんは、とうさんが子供こども時分じぶん着物きものおびまで自分じぶんつたばかりでなく、べるもの――お味噌みそからお醤油しやうゆたぐひまでおうちつく祖母おばあさんが自分じぶんかみにつけるあぶらまでには椿つばきからしぼりまして、もの手造てづくりにすることのたのしみをとうさんにをしへてれました。『質素しつそ』をあいするといふことを、いろ/\なこととうさんにをしへてせてれたのも祖母おばあさんでした。祖母おばあさんはよくあつ〈[#「熱」の左上が「幸」、145-2]〉しほのおむすびをにははうにつゝみまして、とうさんにれました。にぎりたてのおむすびが彼樣あうするとにくツつきませんし、そのはう香氣にほひぎながらおむすびをべるのはたのしみでした。

この祖母おばあさんとへば、ひろ玄關げんくわんわきいたはたりながら腰掛こしかけてひとと、味噌藏みそぐらわき土藏どざうまへつておほきなかぎにしてひととが、いまでもすぐにとうさんのうかんでます。祖母おばあさんのかぎ金網かなあみつてあるおもくらけるかぎで、ひも板片いたきれをつけたかぎで、いろ/\なはこはひつた器物うつはくらから取出とりだかぎでした。祖母おばあさんがおよめにときふる長持ながもちから、お前達まへたち祖父おぢいさんのあつめた澤山たくさん本箱ほんばこまで、そのくらの二かいにしまつてりました。祖母おばあさんはあのかぎようむと、くらまへ石段いしだんりて、かきあひだとほりましたが、そこにとうさんがよくあそんでたのです。味噌藏みそぐら階上うへには住居すまゐ出來できた二かいがありました。そこがお前達まへたち曾祖母ひいおばあさんの隱居部屋ゐんきよべやになつてました。


   四○ 祖父おぢいさんのきな御幣餅ごへいもち


木曾きそ御幣餅ごへいもちとは、ひらたくにぎつたおむすびのちいさいのを二つ三つぐらゐづゝくしにさし、胡桃醤油くるみしやうゆうをかけ、いたのをひます。そのかたちるから御幣餅ごへいもちでせう。人々ひと/″\爐邊ろばたあつまりまして、きたてのおいしいところをべるのです。

前達まへたち祖父おぢいさんは、この御幣餅ごへいもちきでした。日頃ひごろむら人達ひとたちから『お師匠ししやうさま、お師匠ししやうさま。』としたしさうにばれてたのも、この御幣餅ごへいもちきな祖父おぢいさんでした。

祖父おぢいさんは學問がくもんひとでしたから、『三字文さんもじ』だの『勸學篇くわんがくへん』だのといふものを自分じぶんいて、それを少年せうねん讀本とくほんのやうにして、幼少ちひさ時分じぶんとうさんにをしへてれました。やまなかにあつたとうさんのおうちでは、なにからなにまで手製てせいでした。手習てならひのお手本てほんから讀本とくほんまで、祖父おぢいさんの手製てせいでした。


   四一 おとなりの人達ひとたち


となりの大黒屋だいこくやさけつくうちでした。そこのうちでお風呂ふろてばとうさんのおうちびにましたし、とうさんのおうちでお風呂ふろてばおとなりりからもばれてはひりにました。田舍ゐなかのことで、れてからおとなりまでお風呂ふろばれにくにも、祖母おばあさんたち提灯ちやうちんつけてかよひました。二けんうちのものは、それほどしたしくつたりたりしましたから、子供同志こどもどうしたがひしたしいあそ友達ともだちでした。それに、おとなりのてつさんでも、そのいもうとのおゆうさんでも、祖父おぢいさんのお弟子でしとしてとうさんのおうちかよつてました。とうさんのおうちはうからますと、大黒屋だいこくや一段いちだんたか石垣いしがきうへにありまして、その石垣いしがきのすぐしたのところまでとうさんのおうち桑畠くはばたけつゞいてましたから、朝日あさひでもさしてるとおとなりのうちしろかべがよくひかりました。

とうさんはこゝでお前達まへたちに、自分じぶんうま〈[#ルビの「うま」は底本では「う」]〉れたおうちのこともすこしおはなししようとおもひます。とうさんのおうちむかし本陣ほんぢんひまして、むらでもふるい/\おうちでした。とうさんの幼少ちひさ時分じぶんには、むかしのお大名だいみやう木曽路きそぢとほときまつたといふふる〈[#ルビの「ふる」は底本では「ふ」]〉部屋へやまでのこつてました。部屋々々へや/\には、いろ/\な名前なまへむかしからつけてありまして、上段じやうだんおくなかつぎ、それからくつろぎのなぞといふのがりました。祖父おぢいさんはいつでも書院しよゐんました。とうさんもその書院しよゐんましたが、曾祖母ひいおばあさんがひとりでさびしいといふときにははなれの隱居部屋ゐんきよべやへもとま〈[#ルビの「とま」は底本では「ま」]〉りにくことがりました。祖父おぢいさんの書院しよゐんまへには、しろおほきなはな牡丹ぼたんがあり、ふるまつもありました。つきのいゝばんなぞにはまつかげ部屋へや障子しやうじうつりました。この書院しよゐんからなかへつゞく廊下らうかのあたりは、とうさんのよくあそんだところです。なかはおうちのなかでも一ばんあかるい部屋へやでして、とほ美濃みのくにはうそらまでその部屋へやからえました。祖母おばあさんや伯母をばさんが針仕事はりしごとをひろげるのもその部屋へやでしたし、とうさんが武者繪むしやゑ敷寫しきうつしなどをしてあそぶのもその部屋へやでしたし、おとなりのおゆうさんが手習てならひ祖父おぢいさんのいたお手本てほんならふのもその部屋へやでした。

となりのてつさんは、とうさんのおうち友伯父ともをぢさんとおなどしぐらゐで、一緒いつしよあそぶにもとうさんのはうがいくらかおとうとのやうにおもはれるところがりました。近所きんじよ子供こどもなかで、あそんでけないのは、問屋とんやの三らうさんに、おとなりのおゆうさんでした。この人達ひとたちとうさんとおなどしでした。祖父おぢいさんはくことがきで、あか毛氈まうせんうへおほきなかみをひろげて、おそくなるまでなにかよくきましたが、そのたびねむをこすり/\蝋燭らふそくたせられるのはおゆうさんやとうさんの役目やくめでした。

末子すゑこよ。おまへは『おばこ』といふくさつてあそんだことがりますか。あのくさいとにぬいて、みんなよく真似まねをしてあそびませう。おとなりのおゆうさんもあの『おばこ』をつてることをたのしみにするやうなをさな年頃としごろでした。


   四二 屋號やがう


どこの田舍ゐなかにもあるやうに、とうさんのむらでも家毎いへごと屋號やがうがありました。大黒屋だいこくや俵屋たはらや八幡屋やはたや和泉屋いづみや笹屋さゝや、それから扇屋あふぎやといふやうに。

笹屋さゝやとはさゝのやうにしげいへ扇屋あふぎやとはあふぎのやうにすゑひろがるいへといふ意味いみからでせう。でも笹屋さゝやつてもそれを『さゝ』とおもふものもなく、扇屋あふぎやつても『あふぎ』とおもふものはありません。屋號やがうといふものは、その家々いへ/\符牒ふてふのやうにおもはれてるものでした。


   四三 お墓參はかまゐりのみち


むら人達ひとたち――ことをんな人達ひとたちとほ裏道うらみちならんだ人家じんかふてむら裏側うらがはほそくついてました。とうさんのおうち裏木戸うらきどから、竹籔たけやぶについてまはりますと、そのほそ裏道うらみちました。祖母おばあさんにれられて、とうさんはよくそのみちをおはかはうかよひました。

はかみちは、むらのものだけがとほみちです。旅人たびびとらないみちです。田畠たはたけはたら人達ひとたちえるたのしいしづかなみちです。

とうさんのおうちのおはか永昌寺えいしやうじまでのぼさか途中とちうひだりはうまがつてつたところにありました。これがだれだ、あれがだれだ、とつて祖母おばあさんのおしへてれるおはかなかには、戒名かいみやう文字もじあかくしたのがりました。そのあか戒名かいみやうはまだこのきてひとで、旦那だんなさんだけくなつた曾祖母ひいおばあさんのやうなひとのおはかでした。祖母おばあさんはふるこけえたおはかのいくつもならんだ石壇いしだんうへ綺麗きれいいたり、みづをまいたりして、

御先祖ごせんぞさま、今日こんにちは。』

ふやうにおはなげました。祖母おばあさんがおはか竹箒たけぼほぎてかけてくところはおほきなすぎキでしたが、そのすぎあひだから馬籠まごめむらえました。

はかにある御先祖ごせんぞさまは永昌院殿えいしやうゐんどんひました。永昌寺えいしやうじのおてらおなでした。あの御先祖ごせんぞさまが馬籠まごめむらひらけば、おてらてたといふことです。あれはとうさんのおうち御先祖ごせんぞさまといふばかりでなく、むら御先祖ごせんぞさまでもあるといふことです。

なんと、あの御先祖ごせんぞさまのやうに、ひらかうとおもへばこんなむらひらけてきますし、てようとおもへば永昌寺えいしやうじのやうなおてらつて、それがとうさんのだいまでつゞいてます。づ、おもへ。なにもかもそこからはじまります。御先祖ごせんぞさまがさうおもつてこんなやまなかむらひらきはじめたといふことには、おほきなちからがありますね。


   四四 はち


地蜂ぢばちといふはちは、よく/\つちのにほひがきとえまして、べたのなかをかけます。土手どてわきのやうなところへ入口いりぐちあなをつくつてきます。

蜜蜂みつばち赤蜂あかばち土蜂つちばちくまばち地蜂ぢばち――木曾きそのやうなやまなかにはいろ/\なはちをかけますが、そのなかでもおほきなをつくるのはくまばち地蜂ぢばちです。くまばちふる土塀どへい屋根やねしたのやうなところにおほきなをかけますが、地蜂ぢばちもそれにおとらないほどの堅固けんごなもので、三がいにも四かいにもなつてて、それがうるしはしらさゝへてあります。こんなに地蜂ぢばち〈[#「」は底本では「おや」]〉おほきいのですが、地蜂ぢばちおやといふものはちひさなはちで、くまばち半分はんぶんもありません。あのちひさな建築技師けんちくぎしが三がいも四かいもあるてゝ、一かいごと澤山たくさん部屋へやつくるのですから、そこには餘程よほどあはせたちからといふものがはいつてるのでせう。

とうさんの田舍ゐなかはうではあのはち佃煮つくだにのやうにして大層たいそう賞美しやうびするといたら、お前達まへたちおどろくでせうか。一口ひとくちはちひましても、木曾きそ賞美しやうびするのは地蜂ぢばちからつただけです。はちおやべませんが、どうかするとあのなかからはおやりかけたのがます。それをべます。お前達まへたちはそこいらにはちにはなぞへんではなしべたりはいつたりするのをかけるでせう。それからあの黄色きいろふたのしてあるはち見事みごと出來できたのをかけることもるでせう。はちきたないものではりません。もしお前達まへたち木曾きそでいふ『はち』をれて、あたゝかい御飯ごはんうへにのせてべるときあぢおぼえたら、

とうさん、こんなにおいしものですか。』

ふやうにるでせう。

ある友伯父ともをじさんはうら木小屋きごやちかくにあるふるいけかへるをつかまへました。土地とちのものが地蜂ぢばちつけるには、かへるにくにします。それを友伯父ともをぢさんはよくつてましたから、ほそ竿さをさきかへるにくし、んではちにつきさうな塲處ばしよに立てゝ、べつにするちひさなにくにはかみきれをしばりつけてしてきました。丁度ちやうどつりをするものがさかなつてるやうに、友伯父ともをぢさんははちるのをつてました。かへるにくべにはちをくはへてはうんできますが、そのちひさなかへるにくについたかみきれ行衛ゆくゑ見定みさだめるのです。うして友伯父ともをぢさんは近所きんじよ子供達こどもたちと一しよに、ある地蜂ぢばちつけたことがりました。地蜂ぢばちりにくものは、出入口でいりぐち火藥くわやくんで、澤山たくさん親蜂おやばちまはして獲物えものれるのだときました。そしてつてかへるのだときました。どうかすると蘇生いきかへつたはちはれてされたといふひとはなしきました。さうなると鐵砲てつぱうをかついでけものちにくもおなじやうなものです。


   四五 あをかき


『もうおまへさんはそんなにあかくなつたのですか。』

とまだあをくてかきが、おとなりのかきひました。このあをかきと、あかかきとは、お百姓ひやくしやううちにはにある二ほんかきえだつてました。

あかかきあをかきなぐさめようとおもひまして、

『さう、ちからおとすものではりません。おまへさんだつてもいまに、わたしのやうにいろがつきますよ。』

ひましたら、あをかきくびりまして、

『いえ、あのおさるさんがかににぶつけたのも、きつとわたしのやうなしぶかきで、自分じぶんつてべたといふのはおまへさんのやうなあまかきですよ。』

ちからおとしたやうにひました。

百姓ひやくしやうには見廻みまはりにまして、あかかきおほきなざるれてつてつてしまひました。そのえだたかうへはうには、たつた一つだけかきあかいのがのこつてました。のこつたあかかきたかいところからおとなりのかきますと、まだ一つもいろのついたのがりませんでしたから、

『どうしておまへさんは、そんなに愚圖々々ぐづ/\してるんですか。』

たづねました。さうはれると、あをかきはまたちからおとしたやうに、

しぶかき何時いつまでたつてもしぶいとひますよ。さういへば節分せつぶんに、ぼうつたひとて、『さあ、るとまをすか、らぬとまをすか』とつて、かきちませう。そのとき、もう一人ひとりひとかきかはつて、『ります、ります』とこたへますね。あのぼうつよたれゝばたれるほど、かきあまくなるとかききました。どうもわたし節分せつぶんに、ぼうたれかたりなかつたとおもひます。』とこたへました。

かききなお百姓ひやくしやう子供こどもあをかきましたが、つてべてたびしぶさうなかほをして、べかけのをてゝしまひました。それからおとなりのあかかきはうつて、たつたひとつだけたかいところにのこつてたのをなが竿さをおとしました。もうおとなりのえだには一つもあかかきがありません。それをると、あをかき自分じぶんひと取殘とりのこされたやうに、よけいにちからおとしました。

そのうちに、お百姓ひやくしやうには見廻みまはりにました。今度こんどあをかきつたしたまして、こゑけました。

御覽ごらんあまかきはもう一つもなくなつてしまひました。今度こんどはおまへさんのばんまはつてましたよ。どんなかきしぶいのでも、しもればあまくなります。かはをむいて軒下のきしたるしていてもあまくなります。しぶかきはもつとそこに辛抱しんばうしておいでなさい。そしてときちからといふのをおちなさい。』


   四六 小鳥ことり先達せんだつ


小鳥ことりころになりますと、いろ/\な種類しゆるゐ小鳥ことりやまとほりました。

つぐみひは獦子鳥あとり深山鳥みやま頬白ほゝじろ山雀やまがら四十雀しじふから――とてもかぞへつくすことが出來できません。あのあしいろあかくて、はねあをはいつた斑鳩いかるも、ほか小鳥ことりなかにまじつて、きな榎木えのきべにました。

木曾きそやまなか小鳥ことりとほみちだとふことでして、毎朝々々まいあさ/\のあけがたにはおどろくばかり澤山たくさん小鳥ことりむれやまとほります。そのなかでも、むれをなしておほとほるのはつぐみひはなどです。

この小鳥ことりむれには、かならず一づゝ先達せんだつとりがあります。そのとりそら案内者あんないしやです。澤山たくさんいてとりむれ案内あんないするとりはうきます。もしかして案内あんないするとり方角はうがく間違まちがへて、鳥屋とやあみにでもかゝらうものなら、いてとりなんありましてもみなおなじやうにそのあみくび突込つゝこんでしまひます。

『さあ、みなさん、お支度したく出來できましたか。』

そんなことを案内あんないする小鳥ことりつて、澤山たくさん鳥仲間とりなかまさきつて出掛でかけるのだらうとおもひます。

とりにも先達せんだつはありますね。


   四七 鳥屋とや


むら人達ひとたちれられて、やまうへはう鳥屋とやあそびにつたときのことをおはなししませう。

鳥屋とや小鳥ことりるためにつくつてある小屋こやのことです。何方どつちいてもやまばかりのやうなところに、その小屋こやてゝあります。屋根やねうへかくして、そらとほ小鳥ことりにつかないやうにしてあります。その小屋こや周圍まはりに、ほそ丈夫ぢやうぶいとんだ鳥網とりあみおほきなのが二つも三つもつてあるのです。あみつたたか竹竿たけざをには鳥籠とりかごかゝつてました。そのなかにはをとりつてありまして、小鳥ことりむれそらとほたびこゑびました。

『もし/\、つぐみさん。』

このをとりになるとり呼聲よびごゑは、春先はるさきから稽古けいこをしたこゑですから、たかそらはうまでよくとほりました。それをきつけた小鳥ことり先達せんだつこゑさそはれてりてますと、ほか小鳥ことりおなじやうにそらからりてます。

そのときりて小鳥ことりをびつくりさせるものは、きふ横合よこあひから飛出とびだ薄黒うすぐろいものと、たか羽音はおとでもあるやうなプウ/\うなつておとです。

『これはたまらん。』

小鳥ことり先達せんだつつてあるあみなかみます。ほか小鳥ことりもあはてまして、みんなあみなかみます。鳥屋とやれる小鳥ことりはこんなふうにしてあみにかゝりますが、小鳥ことりをびつくりさせたのはほかのものでもりません。横合よこあひから飛出とびだした薄黒うすくろいものは、鳥屋とやひと竹竿たけざをさきについたふる手拭てぬぐひなにかのきれでした。たか羽音はおとでもあるやうにうなつておとは、その竹竿たけざをにしたひと口端くちばたとがらせてプウ/\なに眞似まねをしてせたこゑでした。

鳥屋とやれる小鳥ことりは、一朝ひとあさに六十や七十ではきかないとひました。この小鳥ことりれるころには、むら子供こどもはそろ/\猿羽織さるばおりました。きふつてて、またきふんでしまふやうなあめも、ふかはやしとほりました。


   四八 爐邊ろばた


ぢいやがやまからきのこつてたり、くりひろつてたりするころは、おうち爐邊ろばたたのしいときでした。

ぢいやはくりいて、ともさんやとうさんにけてれるのをたのしみにしてました。あるばんぢいやがうらのお稻荷いなりさまのわきからひろつておほきなくりにくべまして、おいしさうな燒栗やきぐりのにほひをさせてますと、それを爐邊ろばたいたうへうらやましさうに澁柿しぶかきがありました。

庄吉爺しやうきちぢいさん、くりしびけてそんなにかうばしさうになるものなら、ひとわたくしいてれませんか。』

とその澁柿しぶかきひました。

ぢいやはとう〈[#ルビの「とう」は底本では「う」]〉さんのまへで、爐邊ろばたにあるふとてつ火箸ひばし取出とりだしました。それで澁柿しぶかきあなをあけました。くりくとおなじやうにその澁柿しぶかきにくべました。そのうちに、あつ〈[#「熱」の左上が「幸」、178-8]〉はひなかまつてかきあなからは、ぷう/\しぶ吹出ふきだしまして、けたかきがそこへ出來上できあがりました。

『さあ、わたくしべてください。』

とそのかきとうさんに御馳走ごちさうしてれるのをもらひまして、くろ〈[#「ルビの「や」は底本では「た」]〉けたかきかはをむきましたら、軒下のきしたるしてしたかきでもなく、しもつてあまくなつたかきでもなく、その爐邊ろばたでなければべられないやうな、おいしいかはつたあぢかきでした。


   四九 やまなかふゆ


東京とうきやうで『ネツキ』といふ子供こどもあそびのことをとうさんの田舍ゐなかでは『シヨクノ』とひます。やまなかやまなかなりに子供こどもあそびにも流行はやりがありまして、一頃ひところ『シヨクノ』が村中むらぢう流行はやりました。どこの田圃側たんぼわきつてても、どこのはたけすみつてても、子供こどもといふ子供こどもあつまつてるところでは、そのあそびがはじまつてました。

枯々かれ/″\とした裏庭うらにはて、とうさんたちは『シヨクノ』のあそびにするこまかさがしたり、それをごろのながさにつたり、べたへよくちこめるやうにさきはうとがらせたり、ときにはもう幾度いくたび勝負しやうぶ〈[#ルビの「しやうぶ」は底本では「やうぶ」]〉をした揚句あげくつちのついてのこぼれたやつをけづしたりしてあそびました。とうさんたちがそんな子供こどもらしいことをしてに、ぢいやはまた木曾風きそふう背負梯子しよひばしごかたにかけ、なたこししまして、えだをおろすためにはやしはうへと出掛でかけました。

やまなかふゆは、うしてふゆごもりの支度したくにかゝるぢいやのところへも、『シヨクノ』のあそびに夢中むちうになつてとうさんたちのところへも一しよにやつてました。

くろ枯枝かれえだくろえるおうちうら桑畠くはばたけわきで、毎朝まいあさぢいやはそこいらからあつめて落葉おちばきました。あさ焚火たきびは、さむふゆるのをたのしくおもはせました。


   五○ 木曾きそ燒米やきごめ


木曾きそ燒米やきごめといふものはあをいやわらかいいね香氣にほひがします。

『お師匠ししやうさまがきだから。』

つて、おゆうさんのうちからも、つきたての燒米やきごめをよく祖父おぢいさんのところへもらひました。とうさんのおうち祖父おぢいさんはきな燒米やきごめをかみながら、ほんんでたやうな人かとおもひます。

ゆうさんのうちでは毎年まいねんさけつくりましたから、うら酒藏さかぐらまへおほきなかまでおこめしました。それを『うむし』とつて、重箱ぢゆうばこにつめてはとうさんのおうちへもけてれました。あの『うむし』も、とうさんの子供こども時分じぶんきなものでした。


   五一 屋根やねいし水車すゐしや


屋根やねいしは、むらはづれにある水車小屋すゐしやごや板屋根いたやねうへいしでした。このいし自分じぶんつて板屋根いたやねうへから、毎日々々まいにち/\水車すゐしやまはるのをながめてました。

『おまへさんは毎日まいにちうごいてますね。』

いしひましたら、

『さういふおまへさんはまた毎日まいにちすわつたきりですね。』

水車すゐしやこたへました。この水車すゐしやものふにも、ぢつとしてないで、まはりながら返事へんじをしてました。

かぜゆき水車小屋すゐしやごやまつてしまひさうなました。いし毎日まいにちすわつてるどころか、どうかするとかぜばされて、板屋根いたやねうへからころがりちさうにりました。水車すゐしや毎日まいにちうごいてるどころか、きつけるゆきうづめられまして、まるでくるままはらなくなつてしまつたこともりました。

このおそろしいつたあとで、屋根やねいし水車すゐしやとがかほあはせました。いしはもう水車すゐしやむかつて、

『おまへさんは毎日まいにちうごいてますね。』

とははなくなりました。水車すゐしやも、もう屋根やねいしむかつて、

『おまへさんは毎日まいにちすわつたきりですね。』

とははなくなりました。


   五二 炬燵こたつ


いろ/\なはなし山家やまがのあたゝかい炬燵こたつ

とりがとまりにくところはです。子供こどもつめたいからだをあたゝめにくところは、うちのものゝかほられる炬燵こたつです。


   五三 うたきな石臼いしうす


石臼いしうすぐらゐうたきなものはりません。石臼いしうすぐらゐ、また居眠ゐねむりのきなものもりません。

ふゆ夜長よながに、粉挽こなひうたの一つもうたつてやつて御覽ごらんなさい。うたきな石臼いしうす夢中むちうになつて、いくらいても草臥くたぶれるといふことをりません。ごろ/\ごろ/\石臼いしうすふのは、あれは心持こゝろもちだからです。もつと、もつと、とうた催促さいそくしてるのです。

そのかはり、すこしでもゆるめてやつて御覽ごらんなさい。居眠ゐねむりのきな石臼いしうす何時いつにかうごかなくなつてます。そして何時いつまでゞも居眠ゐねむりをしてます。

とうさんのおうち石臼いしうす青豆あをまめくのが自慢じまんでした。それを黄粉きなこにして、家中うちぢうのものに御馳走ごちさうするのが自慢じまんでした。山家育やまがそだちの石臼いしうす爐邊ろばた夜業よなべをするのがきで、ひゞや『あかぎれ』のれたいとはずにはたらくものゝいお友達ともだちでした。


   五四 ふゆおくもの


たうげうへからむら小學校せうがくかうかよ生徒せいとがありました。ちかいところからかよほか生徒せいとちがひまして、子供こどもあし毎日まいにちたうげうへからかよふのはなか/\ほねれました。でも、この生徒せいとうちから學校がくかうまであるいてみちきで、つてもつてもかよひました。

さむい、さむに、この生徒せいと遠路とほみちかよつてきますと、途中とちうらないおばあさんにひました。

生徒せいとさん、今日こんちは。』

とそのおばあさんがこゑけました。おばあさんはとほぎてつてしまはないで、

生徒せいとさん、今日けふ學校がくかうですか。このさむいのに、よくおかよひですね。毎日々々まいにち/\さうして精出せいだしてくださると、このおばあさんも御褒美ごほうびをあげますよ。』

ひました。

らないおばあさんはかけによらないやさしい人でして、學校通がくかうかよひをする生徒せいとがかじかんだをしてましたら、それをおばあさんは自分じぶんあたゝめてれました。

『まあ、斯樣こんなかじかんだをして、よくさむくありませんね。そのかはり、おまへさんが遠路とほみちかよふものですから、丈夫ぢやうぶさうにりましたよ。御覽ごらん、おまへさんのほゝぺたのいろくなつてたこと。』

とさうひました。

生徒せいとらないひとから斯樣こんなことをはれたものですから、そのおばあさんをよくましたら、みぎにはやまからでもつてたやうなほそつえをついて、ひだりにはかごげてました。かごなかには、青々あを/\としたふきつぼみが一ぱいはひつてました。そのおばあさんは、まるでお伽話とぎばなしなかにでもさうなおばあさんでした。

『おまへさんはだれですか。』

生徒せいとたづねましたら、おばあさんはニツコリしながら、げてかごなかふきつぼみせまして

わたしは「ふゆ」といふものですよ。』

生徒せいとつてかせました。それから、こんなことひました。

『おうちかへつたら、とうさんやかあさんにておもらひなさい。おまへさんのほつぺたのあかいろもこのおばあさんのこゝろざしですよ。』


   五五 少年せうねん遊学いうがく


とうさんは九つのとしまで、祖父おぢいさんや祖母おばあさんの膝下ひざもとましたがそのとしあき祖父おぢいさんのいゝつけで、東京とうきやう學問がくもん修業しうげふることにりました。とうさんは友伯父ともをぢさんと一しよにおうち伯父をぢさんにつれられてくことにりました。

二人ふたりとも東京とうきやう修業しうげふくんだよ。』

伯父をぢさんにはれて、とうさんは子供心こどもごゝろにも東京とうきやうのやうなところへかれることをたのしみにおもひました。とうさんより三つ年長としうへ友伯父ともをぢさんが、そのときやうやく十二さいでした。

いまからおもへば祖母おばあさんもよくそんな幼少ちひさ兄弟きやうだい子供こども東京とうきやうになつたものですね。そのときとうさんはいま末子すゑこよりとしが二つもしたでしたからね。

この東京行とうきやうゆきは、とうさんがうまれてはじめてのたびでした。とうさんが荷物にもつ用意よういといへば、ちひさな翫具おもちやかばんでした。それは美濃みの中津川なかつがはといふまちはうから翫具おもちや商人あきんどときに、祖母おばあさんがつてれたものでした。

『おまへ東京とうきやうときには、このかばん金米糖こんぺいたうを一ぱいつめてあげますよ。』

祖母おばあさんはひました。とうさんもそのちひさなかばん金米糖こんぺいたうれてもらつて、それをつて東京とうきやうることをたのしみにしたやうなそんな幼少ちひさ時分じぶんでした。


   五六 祖父おぢいさんと祖母おばあさんのおせんべつ


祖母おばあさんは、おせんべつのしるしにとつて、東京とうきやうとうさんのために羽織はおりおびつてれました。

『トン/\ハタリ、トンハタリ。』

祖母おばあさんはれい玄關げんくわんわきにあるはた腰掛こしかけまして、羽織はおりにするぢやう反物たんものと、子供こどもらしい帶地おびぢとを根氣こんきつてれました。

『トン/\ハタリ、トンハタリ。』

その祖母おばあさんのおせんべつがれる時分じぶんには、とうさんがうまれてはじめてのたびときちかくなつてました。

祖父おぢいさんは、とうさんにいたものれました。きな燒米やきごめでもべながら田舍ゐなか〈[#ルビの「ゐなか」は底本では「ゐか」]〉ほんまうといふ祖父おぢいさんのことですから、とうさんが東京とうきやうつてから時々とき/″\してるやうにとひまして、少年せうねんのためになるやうな教訓をしへを七まいばかりの短冊たんざくいてれました。〈[#底本では「。」が脱字]〉それをかみつゝみまして、かみうへにもとうさんをおく言葉ことばいてれました。

『これは大事だいじにしてくがいゝ。東京とうきやうつたら、おまへ本箱ほんばこのひきだしにでもれてくがいゝ。』

つてれました。それが祖父おぢいさんのおせんべつでした。


   五七 伯父をぢさんの床屋とこや


東京とうきやうをさして學問がくもんかうといふころ友伯父ともをぢさんも、とうさんも、まだ二人ふたりとも馬籠風まごめふうかみながくしてました。友伯父ともをぢさんはもう十二さいでしたから、そんなやまなか子供こどものやうなかみをして行つて東京とうきやうわらはれてはらないと、おうち人達ひとたちひました。

そこで友伯父ともをぢさんだけはあたまを五分刈ぶがりにしてくことにりました。〈[#底本では「。」が脱字]〉ところが、むらには床屋とこやといふものがりません。仕方しかたなしに、伯父をぢさんがうらきりした友伯父ともをぢさんをれてきまして、伯父をぢさんが自分じぶん床屋とこやをつとめました。

面白おもしろ床屋とこやがそこへ出來できました。腰掛こしかけはおうち踏臺ふみだいひ、むねけるきれおほきな風呂敷ふろしきひました。床屋とこやをつとめる伯父をぢさんのはさみは、祖母おばあさんたち針仕事はりしごとをするとき平常ふだん使つかはさみでした。

この伯父をぢさんはわか時分じぶんから神坂村みさかむら村長そんちやうをつとめたくらゐのひとでしたが、なにしろ床屋とこやはう素人しろうとでしたから、友伯父ともをぢさんのかみをヂヨキ/\とやるうちに、ながいところとみじかいところが出來できて、すつかり奇麗きれいりあげるのはなか/\大變たいへん仕事しことでした。

にはとりおどろいて、きりしたあたまをさげて友伯父ともをぢさんのはうんでました。そして、かみつてもらつて友伯父ともをぢさんのわききました。ながいことお馴染なじみ友伯父ともをぢさんが東京とうきやうつてしまふので、おうちにはとりもおわかれををしんでたのでせう。


   五八 おわか


山家やまがではなにかあるたびにおきやくさまをして、たがひんだりばれたりします。〈[#底本では「。」が脱字]〉いよ/\とうさんたち東京行とうきやうゆきもきまりましたので、おとなりのおゆうさんのうちではとうさんたちをおきやくさまにしてんでれました。そのばん伯父をぢさんも友伯父ともをぢさんもばれてきましたが、『押飯おうはん』とつてとりにくのおつゆあぢをつけた御飯ごはん御馳走ごちさうがありましたつけ。

とうさんはおひなうちへもあそびにつてました。幼少ちひさ時分じぶんからとうさんをいたりおぶつたりしてれたあのおひなうちへも、もうあそびにかれないかとおもひまして、おわかれをげるつもりもなくあそびにになつたのです。おひな父親ちゝおや數衛かずゑつてむらでもきたないので評判ひやうばん髮結かみゆひですとは、まへにもおはなししていたとおもひます。日頃ひごろとうさんはそのきたない髮結かみゆひそだてられたとつてむら〈[#ルビの「むら」は底本では「む」]〉人達ひとたちにからかはれてましたから、數衛かずゑうちあそびにくところをたれかにつけられたら、ひとにからかはれるとおもひました。そこでとうさんはお墓參はかまゐりにみちはうから、るべくつたひとはない田圃たんぼわきとほりまして、こつそりと出掛でかけてきました。

數衛かずゑうちむらなかでもずつとさかしたはうにありました。とうさんの小學校せうがくかう友達ともだち扇屋あふぎや金太郎きんたらうさんといふ子供こどもがありましたが、その金太郎きんたらうさんのうちよりもまだずつとしたはうでした。とうさんがあそびにきましたら、數衛かずゑ大層たいそうよろこびまして、にかけたおなべ菜飯なめしをたいてれました。それからお茄子なす味噌汁おみおつけをもこしらへまして、おわかれに御馳走ごちさうしてれました。わらんだむしろいてある爐邊ろばたで、數衛かずゑのこしらへてれた味噌汁おみおつけはお茄子なすかはもむかずにれてありました。たゞそれが輪切わぎりにしてありました。しかしとうさんはあとにもまへにも、あんなおいしい味噌汁おみおつけべたとおもつたことはりません。


   五九 さやうなら


うちました。

そのまへに、曾祖母ひいおばあさんは友伯父ともをぢ〈[#ルビの「ともをぢ」は底本では「ともぢ」]〉さんととうさんをそばびましておうち爐邊ろばたでいろ/\なことをつてかせてれました。とうさんはこのとしとつた曾祖母ひいおばあさんがおぜんにむかひながら、おわかれのなみだながしたことをよくおぼえてます。でも曾祖母ひいおばあさんはしつかりとした氣象きしやうひとで、とうさんたちがおうちには、もうなみだせませんでした。

伯父をぢさんにいて東京とうきやうとうさんの道連みちづれには、きちさんといふ少年せうねんもありました。きちさんはおとなりの大黒屋だいこくや子息むすこさんで、てつさんやおゆうさんのにいさんにあたひとでした。このひととうさんたちちがひまして、療治れうぢ東京とうきやうまで出掛でか〈[#ルビの「でか」は底本では「でかけ」]〉けるといふことでした。なにしろとうさんはまだ九さい少年せうねんでしたから、草鞋わらぢをはくといふこと出來できません。そこでぢいやがちひさな麻裏草履あさうらざうりつけてまして、かゞとはうひもをつけてれました。

とうさんはそのあたらしい草履ざうりをはいたあしで、おうち臺所だいどころそとあそんでにはとりきました。おほきな玉子たまごをよくとうさんに御馳走ごちさうしてれたにはとりは、

『コツ、コツ、コツ、コツ。』

とお名殘なごりしむやうにきました。

そのへんにはお馴染なじみきりつてました。そのきりせいこそたかくても、まだ子供こどもでして、

『いよ/\東京とうきやうはうくんですか。わたしおほきくなつておまへさんをつてます。御覽ごらん、あそこにはおまへさんにくは御馳走ごちそうしたくはます。おまへさんのよくのぼつたかきます。あの土藏どざう横手よこて石垣いしがきあひだには、土藏どざうばんをするとしとつたへびて、いまでも居眠ゐねむりをしてます。私達わたしたちはみんなおまへさんのお友達ともだちです。〈[#底本では「。」は脱字]〉私達わたしたちをよくおぼえてくださいよ。』

ひました。

とうさんはその草履ざうり〈[#ルビの「ざうり」は底本では「ざいり」]〉で、表庭おもてにはもんうちにあるなし〈[#ルビの「なし」は底本では「なり」]〉わきへもきました。

『まあ、草履ざうりつてもらひましたね。その草履ざうりにはひもむすんでありますね。おまへさんがおほきくなつてかへつてたら、わたしもまたおほきななしをどつさり御馳走ごちさうしますよ。』

とそのなしひました。

伯父をぢさんはとうさんたち引連ひきつれまして、日頃ひごろしたしくする近所きんじよ家々うち/\挨拶あいさつりました。大黒屋だいこくやれば小母をば〈[#「小母」は底本では「小毎」]〉さんたちうちそとまで見送みおくり、俵屋たはらやればおばあさんが見送みおくつてれました。八幡屋やはたや和泉屋いづみや丸龜屋まるかめや、まだそのほかにも伯父をぢさんの挨拶あいさつつたうち澤山たくさんありましたが、そのたびとうさんたちさかになつたむらみちたうげうへはうのぼつてきました。

馬籠まごめむらはづれまでますと、そのたうげうへたかいところにもたがやしたはたけがありました。そこにも伯父をぢさんにこゑけるお百姓ひやくしやうがありました。とうさんがあそまはつた谷間たにまと、谷間たにまむかふのはやしも、そのへんからよくえました。やまやまかさなりつたむかふのはうには、祖父おぢいさんのきな惠那山ゑなざんが一ばんたかところえました。祖父おぢいさんも、祖母おばあ〈[#「祖母」は底本では「祖毎」]〉さんも、さやうなら。馬籠まごめも、さやうなら。惠那山えなざんも、さやうなら。


   六〇 たうげうま挨拶あいさつ


馬籠まごめむらはづれには、すぎえたさはさかひにしまして、べつたうげといふ名前なまへちいさなむらがあります。このたうげに、馬籠まごめに、湯舟澤ゆぶねざはと、それだけのさんそん一緒いつしよにして神坂村みさかむらひました。

名物めいぶつくりこはめし――御休處おやすみどころ。』

こんな看板かんばんけたうちが一けんしかないほどたうげちいさなむらでした。そこに人達ひとたちはいづれもやまうへたがやすお百姓ひやくしやうばかりでした。そのむらにも伯父をぢさんがつて挨拶あいさつしてうちがありましたが、入口いりぐちはしらのところにつながれてうまとうさんたちはうまして、

『おそろひで、東京とうきやうはうへお出掛でかけですか。』〈[#底本では始めと終わりの二重かぎ括弧が脱字]〉

こゑけました。このうま背中せなか荷物にもつをつけてとうさんのおうちたこともあるうまでした。

やがてとうさんは伯父をぢさんのあといて、めづらしい初旅はつたびのぼりました。とうさんがあるいてみち木曽路きそぢとも、木曾街道きそかいだうともいふみちでした。


   六一 初旅はつたび


『もし/\、おまへさんの草履ざうりひもけてますよ。』

みちばたにいて龍膽りんだうはなとうさんにこゑけてれました。龍膽りんだう桔梗ききやうちいさな草花くさばなで、よく山道やまみちなぞにいてるのをかけるものです。

とうさんがそのちいさなむらさきいろのはなまへ自分じぶん草履ざうりひもむすばうとしてりますと、伯父をぢさんはとうさんのそばて、こしこゞめて手傳てつだつてれました。れないたびですから、おまけに馬籠まごめから隣村となりむら妻籠つまごく二あひだいしころのおほ山道やまみちですから、とうさんの草履ざうりひもはよくけました。そのたび伯父をぢさんがあしをとめてはひもむすんでれました。


   六二 木曽川きそがは


隣村となりむら妻籠つまごには、お前達まへたち祖母おばあ〈[#「祖母」は底本では「祖毎」]〉さんのうまれたおうちがありました。妻籠つまご祖父おぢいさんといふ人もまだ達者たつしや時分じぶんで、とうさんたちをよろこんでむかへてれました。そこで、はじめ妻籠つまごとまりまして翌朝よくあさまた伯父をぢ〈[#ルビの「をぢ」は底本では「おぢ」]〉さんにれられて出掛でかけました。

妻籠つまご吾妻橋あづまばしといふはし手前てまへまできますと、鶺鴒せきれいんでました。その鶺鴒せきれいはあつちのおほきないはうへ〈[#ルビの「うへ」は底本では「う」]〉んだり、こつちのおほきないはうへんだりして、

『どうです。妻籠つまごにはおほきなかはがあるでせう。』

つてせました。

とうさんも、そんなおほきなかはるのははじめてでした。あをい、どろんとしたみづうづいて、おほきないはあひだながれてました。

『これが木曽川きそがはですか。』

とうさんがたづねましたら、鶺鴒せいきれ尻尾しつぽつて、

『いえ、これはあらゝぎ山奧やまおくはうからながれてかはです。木曽川きそがははいかはです。』

をしへて呉れました。

吾妻橋あづまばし手前てまへかはおほきいとおもひましたら、木曽川きそがははそれよりもおほきなかはでした。


   六三 御休處おんやすみどころ


なんといふふかやまたにとうさんのさきにありましたらう。とうさんは木曽川きそがはえる谷間たにあひについて、はやしなかあるいてくやうなものでした。どうかすると晝間ひるまでもくらいやうな檜木ひのきすぎのしん/\とえてるところをとほることもありました。あゝこれが三留野みとめのといふところか、これが須原すはらといふところか、とおもひまして、はじめて村々むら/\とうさんにはめづらしくおもはれました。なにもかもとうさんにははじめてゞした。たかやまうへはうからむらはづれの街道かいだうのところまでせてくろいはだのいしだのをるのもはじめてゞした。

とうさんが東京とうきやう時分じぶんには、鐵道てつだうのないころですから、是非ぜひとも木曽路きそぢあるかなければりませんでした。もう加減かげんあるいてつて、たにがお仕舞しまひになつたかとおも時分じぶんには、またむかふのはう谷間たにま板屋根いたやねからけむりのぼるのがえました。さういふけむりえるところにかぎつて、旅人たびびと腰掛こしかけてやすんで休茶屋やすみぢややがありました。

御休處おんやすみどころ

として、しろいところにくろふといてある看板かんばんは、とうさんたちにもつてやすんでけとふやうにえました。さういふ休茶屋やすみぢややには、きまりで『御嶽講おんたけかう』の文字もじめぬいたきれがいくつも軒下のきしたるしてありました。

たのしい御休處おんやすみどころとうさんが祖母おばあさんからもらつて金米糖こんぺいたうなぞをちひさなかばんから取出とりだすのも、その御休處おんやすみどころでした。塲處ばしよによりましては、つめた清水しみづとひをつたつて休茶屋やすみぢややのすぐわきながれてます。さういふ清水しみづはいくらでもとうさんにませてれました。


   六四 寢覺ねざめ蕎麥屋そばや


寢覺ねざめといふところには名高なだか蕎麥屋そばやがありました。

木曽路きそぢとほるもので、その蕎麥屋そばやらないものはないと、伯父をぢさんがとうさんたちはなしてれました。そこは蕎麥屋そばやともおもへないやうなうちでした。多勢おほぜい旅人たびびと腰掛こしかけて、めづらしさうにお蕎麥そばのおかはりをしてました。伯父をぢさんはとうさんたちにもやまのやうにりあげたお蕎麥そばをごりまして、草臥くたぶれてつたあしやすませてれました。


   六五〈[#「五」は底本では「七」]〉 浦島太郎うらしまたらう釣竿つりざを


寢覺ねざめには、浦島太郎うらしまたらう釣竿つりざをといふものがりました。それも伯父をぢさんのはなしてれたことですが、浦島太郎うらしまたらうつりをしたといふいはもありました。それから、あの浦島太郎うらしまたらう龍宮りうぐうからかへつてまして自分じぶん姿すがたをうつしてたといふいけもありました。

木曾きそひとむかしからお伽話とぎばなしきだつたとえますね。いはにも、いけにも、釣竿つりざをにも、こんなお伽話とぎばなしのこつて、それをむかしからつたへてます。


   六六 棧橋かけはしさる


『もし/\、おまへさんの背中せなかしよつてるのはなんですか。』

木曾きそ棧橋かけはしといふところの休茶屋やすみぢややつてあるおさるさんが、そんなことをとうさんに尋たづねました。

とうさんはちひさなかばん風呂敷包ふろしきづゝみにしまして、それを自分じぶん背中せなかしよつてましたから、

『おさるさん、これは祖母おばあさんがおせんべつにれてよこしたのです。途中とちう退屈たいくつしたときにおあがりとつて、祖母おばあさんがれてよこした金米糖こんぺいたうです。わたしはこれから東京とうきやう修業しうげふくところですが、この棧橋かけはしまでるうちに、金米糖こんぺいたう大分だいぶすくなくなりました。』

とおさるさんにはなしてかせました。

このおさるさんのつてあるところはたかがけしたでした。はししたながれる木曽川きそがはがよくえて、ふかやまなからしい、景色けしきいところでした。街道かいだうとほ旅人たびびとたれでもその休茶屋やすみぢやややすんでくとえて、おさるさんもよくひとれてました。

とうさんが東京とうきやうはなしをしましたら、おさるさんもうらやましさうに、

『わたしもひと金米糖こんぺいたうでもいたゞいて、みなさんのおともをしたいものです。御覽ごらんとほり、わたしはこの棧橋かけはし番人ばんにんでして、みなさんのおともをしたいにも、こゝをいてはかれません。まあ、このやまなか土産話みやげばなしに、そこにあるふるいしでもよくつてください。これから東京とうきやうへおいでになりましたら、そのいし發句ほつくが一つつてあつたとおはなください。その發句ほつくをつくつたのはむかし〈[#ルビの「むかし」は底本では「むか」]〉芭蕉翁ばせををうといふ人だとおはなください。』

ひました。

伯父をぢさんも、きちさんも、友伯父ともをぢさんも、みんなおさるさんのわきまして、がけしたにあるふる石碑せきひ文字もじみました。それには、

『かけはしやいのちをからむつたかづら』

としてありました


   六七 山越やまご


やがて、とうさんは伯父をぢさんにれられて、『みさやまたうげ』といふやましにかゝりました。

とうさんも馬籠まごめのやうなむらそだつた子供こどもです。山道やまみちあるくのにれてはます。それにしても、『みさやまたうげ』は見上みあげるやうなけはしい山坂やまさかでした。大人おとなあしでもなか/\ほねれるといふくらゐのところでした。何故なぜ伯父をぢさんがそんな山越やまごしにかゝつたかといふに、はやみんなを連れて馬車ばしやのあるところまでたいとかんがへたからです。木曾きそやまかこまれたふか谷間たにあひのやうなところですから、どうしてもたうげひとつだけはさなければらなかつたのです。なんつてもとうさんはまだ幼少ちひさかつたものですから、友伯父ともをぢさんやきちさんのやうにはあるけませんでした。

『さあ、金米糖こんぺいたうすから、もつとはやくおあるき。』

伯父をぢさんにはれましても、とうさんのあしはなか/\まへ〈[#「ルビの「まへ」は底本では「まい」]〉すゝまなくなりました。

伯父をぢさんの金米糖こんぺいたうはげまされて、とうさんもいしころのおほ山坂やまさかのぼつてきましたが、そのうちにれかゝりさうにつてました。伯父をぢさんはもうこまつてしまつて、とうさんのめておび手拭てぬぐひゆはひつけ、その手拭てぬぐひとうさんをいてくやうにしてれました。


   六八 沓掛くつかけ温泉宿をんせんやど


いまだにとうさんはあの『みさやまたうげ』の山越やまごしをわすれません。草臥くたぶれたあしをひきずつてきまして、日暮方ひくれがたやますそはうにチラ/\チラ/\燈火あかりのつくのをのぞんだときうれしかつた心持こゝろもちをもわすれません。

その燈火あかりのついてるところが、沓掛くつかけ温泉宿をんせんやどでした。


   六九 乘合馬車のりあひばしや


沓掛くつかけまできましたら、やうやくそのへんから中仙道なかせんだうかよ乘合馬車のりあひばしやがありました。

それからとうさんは伯父をぢさんやきちさんや友伯父ともをぢさんと一緒いつしよ東京行とうきやうゆき馬車ばしやりまして、ながなが中仙道なかせんだう街道かいだうひるよるりつゞけにつてきました。やがて馬車ばしやがあるまちとほりましたときに、とうさんははじめて消防夫ひけし梯子登はしごのぼりといふものをました。たか梯子はしごつたひとまちそら手足てあしうごかしてました。とうさんは馬車ばしやうへからそれをながめて、子供心こどもごゝろにめづらしくおもつてきました。伯父をぢさんのはなしで、そこが上州じやうしう松井田まつゐだといふまちだといふこともりました。またそれからきるほどつてくうちに、馬車ばしやはあるかはきしました。かはにかけたはしちたときとかで、伯父をぢさんでもたれでもみなその馬車ばしやからりて、みづあさところわたりました。

とうさんは馬丁べつたう背中せなかおぶさつて、かはしました。そのかは烏川からすがはといふかはだときました。

まあ、父さんも、どんなに幼少ちひさ子供こどもだつたでせう。東京行とうきやうゆき馬車ばしやなかには、一緒いつしよ乘合のりあはせた他所よそ小母をばさんもありました。そのらない小母をばさんがたびふくろからお菓子くわしなぞをしまして、それをとうさんにおあがりとつてれたこともありました。いくらつてもつても、なか/\東京とうきやうへはかないものですから、しまひにはとうさんも馬車ばしや退屈たいくつしまして、他所よそ小母をばさんにかれながらそのひざうへねむつてしまつたこともりました。


   七〇 をはりはなし


こんなふうにしてとうさんは自分じぶんうまれたふるさとを幼少ちひさ時分じぶんたものです。それからなが年月としつきあひだいては、木曾きそかへつてますと、そのたびにあのやまなかかはつてました。しかしとうさんの子供こども時分じぶんんだふるさとのおちゝあぢとうさんのなかかはらずにありますよ。

太郎たらうよ、次郎じらうよ、お前達まへたちおほきくなつたらとうさんの田舍ゐなかたづねてください。



〈[#改ページ]〉




      ふるさとののち


このほんまへした『をさなきものに』と姉妹しまいのやうにしてします。あの佛蘭西ふらんす土産みやげには、とうさんのおはなしばかりでなく、佛蘭西ふらんすほういてたいろ/\なおはなしれてきましたが、この『ふるさと』にはとうさんのおはなしばかりをあつめました。このほん出來できましたら、木曾きそ伯父をぢさんのうち勉強べんきやうしてる三らうのところへも一さつ〈[#ルビの「さつ」は底本では「さい」]〉おくりたいとおもひます〈[#「ます」は底本では「すま」]〉

とうさんはこの少年せうねん讀本とくほんかうとおもつたころに、べつにつくつていたおはなしが一つあります。それは『兄弟きやうだい』のおはなしです。それをこのほんのちへようとおもひます。

こゝにそのおはなしがあります。

はやがさめても何時いつまでもるのがいゝか、おそがさめてもむつくりきるのがいゝか、そのことで兄弟きやうだいあらそつてました。

そこへこの兄弟きやうだい祖父おぢいさんがまして、

『まあ、お前達まへたちなにをそんなにあらそつてるのです。』

たづねました。

あにふには、

祖父おぢいさん、わたしはやがさめました。そのかはり何時いつまでもました。おとうとおそがさめました。そのかはりわたしよりさききました。私達わたしたちいまそのことでつてるところです。』

わたしおそがさめても、にいさんのやうにながないで、むつくりきたはうがいゝとおもひます。』

おとうとひました。すると、あにふには、

おとうとがあんなことをつて威張ゐばつてます。そのくせ、わたしはやのさめた時分じぶんには、おとうとはまだなんにもらないでグウ/″\グウ/″\とねむつてました。わたしにはとりいたのをつてます。けたのもつてます。』

『そんなことをつてにいさんが威張ゐばつても、何時いつまでもにいさんのやうにたら、がさめないのもおなじことです。』

とまたおとうとひました。

祖父おぢいさんはこの兄弟きやうだいあらそひをいてわらしました。さうしてう言ひました。

馬鹿ばか兄弟きやうだいだ。お前達まへたちがそんなことをつてあらそつてるうちに、太陽おてんとうさまはもうてしまつたぢやないか。』

(終)

この著作物は、1943年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。