誰か慌ただしく門前を馳けて行く足音がした時、代助の頭の中には、大きな俎下駄が空から、ぶら下っていた。けれども、その俎下駄は、足音の遠退くに従って、すうと頭から抜け出して消えてしまった。そうして眼が覚めた。
枕元を見ると、八重の椿が一輪畳の上に落ちている。代助は昨夕床の中で慥かにこの花の落ちる音を聞いた。彼の耳には、それが護謨毬を天井裏から投げ付けた程に響いた。夜が更けて、四隣が静かな所為かとも思ったが、念のため、右の手を心臓の上に載せて、肋のはずれに正しく中る血の音を確かめながら眠に就いた。
ぼんやりして、少時、赤ん坊の頭程もある大きな花の色を見詰めていた彼は、急に思い出した様に、寐ながら胸の上に手を当てて、又心臓の鼓動を検し始めた。寐ながら胸の脈を聴いてみるのは彼の近来の癖になっている。動悸は相変らず落ち付いて確に打っていた。彼は胸に手を当てたまま、この鼓動の下に、温かい紅の血潮の緩く流れる様を想像してみた。これが命であると考えた。自分は今流れる命を掌で抑えているんだと考えた。それから、この掌に応える、時計の針に似た響は、自分を死に誘う警鐘の様なものであると考えた。この警鐘を聞くことなしに生きていられたなら、――血を盛る袋が、時を盛る袋の用を兼ねなかったなら、如何に自分は気楽だろう。如何に自分は絶対に生を味わい得るだろう。けれども――代助は覚えずぞっとした。彼は血潮によって打たるる掛念のない、静かな心臓を想像するに堪えぬ程に、生きたがる男である。彼は時々寐ながら、左の乳の下に手を置いて、もし、此所を鉄槌で一つ撲されたならと思う事がある。彼は健全に生きていながら、この生きているという大丈夫な事実を、殆んど奇蹟の如き僥倖とのみ自覚し出す事さえある。
彼は心臓から手を放して、枕元の新聞を取り上げた。夜具の中から両手を出して、大きく左右に開くと、左側に男が女を斬っている絵があった。彼はすぐ外の頁へ眼を移した。其所には学校騒動が大きな活字で出ている。代助は、しばらく、それを読んでいたが、やがて、惓怠そうな手から、はたりと新聞を夜具の上に落した。それから烟草を一本吹かしながら、五寸ばかり布団を摺り出して、畳の上の椿を取って、引っ繰り返して、鼻の先へ持って来た。口と口髭と鼻の大部分が全く隠れた。烟りは椿の弁と蕊に絡まって漂う程濃く出た。それを白い敷布の上に置くと、立ち上がって風呂場へ行った。
其所で叮嚀に歯を磨いた。彼は歯並の好いのを常に嬉しく思っている。肌を脱いで綺麗に胸と脊を摩擦した。彼の皮膚には濃かな一種の光沢がある。香油を塗り込んだあとを、よく拭き取った様に、肩を揺かしたり、腕を上げたりする度に、局所の脂肪が薄く漲って見える。かれはそれにも満足である。次に黒い髪を分けた。油を塗けないでも面白い程自由になる。髭も髪同様に細くかつ初々しく、口の上を品よく蔽うている。代助はそのふっくらした頬を、両手で両三度撫でながら、鏡の前にわが顔を映していた。まるで女が御白粉を付ける時の手付と一般であった。実際彼は必要があれば、御白粉さえ付けかねぬ程に、肉体に誇を置く人である。彼の尤も嫌うのは羅漢の様な骨骼と相好で、鏡に向うたんびに、あんな顔に生れなくって、まあ可かったと思う位である。その代り人から御洒落と云われても、何の苦痛も感じ得ない。それ程彼は旧時代の日本を乗り超えている。
約三十分の後彼は食卓に就いた。熱い紅茶を啜りながら焼麺麭に牛酪を付けていると、門野と云う書生が座敷から新聞を畳んで持って来た。四つ折りにしたのを座布団の傍へ置きながら、
「先生、大変な事が始まりましたな」と仰山な声で話しかけた。この書生は代助を捕まえては、先生々々と敬語を使う。代助も、はじめ一二度は苦笑して抗議を申し込んだが、えへへへ、だって先生と、すぐ先生にしてしまうので、已を得ずそのままにして置いたのが、いつか習慣になって、今では、この男に限って、平気に先生として通している。実際書生が代助の様な主人を呼ぶには、先生以外に別段適当な名称がないと云うことを、書生を置いてみて、代助も始めて悟ったのである。
「学校騒動の事じゃないか」と代助は落付いた顔をして麺麭を食っていた。
「だって痛快じゃありませんか」
「校長排斥がですか」
「ええ、到底辞職もんでしょう」と嬉しがっている。
「校長が辞職でもすれば、君は何か儲かる事でもあるんですか」
「冗談云っちゃ不可ません。そう損得ずくで、痛快がられやしません」
代助はやっぱり麺麭を食っていた。
「君、あれは本当に校長が悪らしくって排斥するのか、他に損得問題があって排斥するのか知ってますか」と云いながら鉄瓶の湯を紅茶茶碗の中へ注した。
「知りませんな。何ですか、先生は御存じなんですか」
「僕も知らないさ。知らないけれども、今の人間が、得にならないと思って、あんな騒動をやるもんかね。ありゃ方便だよ、君」
「へえ、そんなもんですかな」と門野は稍真面目な顔をした。代助はそれぎり黙ってしまった。門野はこれより以上通じない男である。これより以上は、いくら行っても、へえそんなもんですかなで押し通して澄ましている。此方の云うことが応えるのだか、応えないのだかまるで要領を得ない。代助は、其所が漠然として、刺激が要らなくって好いと思って書生に使っているのである。その代り、学校へも行かず、勉強もせず、一日ごろごろしている。君、ちっと、外国語でも研究しちゃどうだなどと云う事がある。すると門野は何時でも、そうでしょうか、とか、そんなもんでしょうか、とか答えるだけである。決して為ましょうという事は口にしない。又こう、怠惰ものでは、そう判然した答が出来ないのである。代助の方でも、門野を教育しに生れて来た訳でもないから、好加減にして放って置く。幸い頭と違って、身体の方は善く動くので、代助はそこを大いに重宝がっている。代助ばかりではない、従来からいる婆さんも門野の御蔭でこの頃は大変助かる様になった。その原因で婆さんと門野とは頗る仲が好い。主人の留守などには、よく二人で話をする。
「先生は一体何を為る気なんだろうね。小母さん」
「あの位になっていらっしゃれば、何でも出来ますよ。心配するがものはない」
「心配はせんがね。何か為たら好さそうなもんだと思うんだが」
「まあ奥様でも御貰いになってから、緩っくり、御役でも御探しなさる御積りなんでしょうよ」
「いい積りだなあ。僕も、あんな風に一日本を読んだり、音楽を聞きに行ったりして暮していたいな」
「御前さんが?」
「本は読まんでも好いがね。ああ云う具合に遊んでいたいね」
「それはみんな、前世からの約束だから仕方がない」
「そんなものかな」
まずこう云う調子である。門野が代助の所へ引き移る二週間前には、この若い独身の主人と、この食客との間に下の様な会話があった。
「君は何方の学校へ行ってるんですか」
「もとは行きましたがな。今は廃めちまいました」
「もと、何処へ行ったんです」
「何処って方々行きました。然しどうも厭きっぽいもんだから」
「じき厭になるんですか」
「まあ、そうですな」
「で、大して勉強する考えもないんですか」
「ええ、一寸有りませんな。それに近頃家の都合が、あんまり好くないもんですから」
「家の婆さんは、あなたの御母さんを知ってるんだってね」
「ええ、もと、直近所に居たもんですから」
「御母さんはやっぱり……」
「やっぱりつまらない内職をしているんですが、どうも近頃は不景気で、余まり好くない様です」
「好くない様ですって、君、一所に居るんじゃないですか」
「一所に居ることは居ますが、つい面倒だから聞いた事もありません。何でも能くこぼしてる様です」
「兄さんは」
「兄は郵便局の方へ出ています」
「家はそれだけですか」
「まだ弟がいます。これは銀行の――まあ小使に少し毛の生えた位な所なんでしょう」
「すると遊んでるのは、君ばかりじゃないか」
「まあ、そんなもんですな」
「それで、家にいるときは、何をしているんです」
「まあ、大抵寐ていますな。でなければ散歩でも為ますかな」
「外のものが、みんな稼いでるのに、君ばかり寐ているのは苦痛じゃないですか」
「いえ、そうでもありませんな」
「家庭が余っ程円満なんですか」
「別段喧嘩もしませんがな。妙なもんで」
「だって、御母さんや兄さんから云ったら、一日も早く君に独立して貰いたいでしょうがね」
「そうかも知れませんな」
「君は余っ程気楽な性分と見える。それが本当の所なんですか」
「ええ、別に嘘を吐く料簡もありませんな」
「じゃ全くの呑気屋なんだね」
「ええ、まあ呑気屋って云うもんでしょうか」
「兄さんは何歳になるんです」
「こうっと、取って六になりますか」
「すると、もう細君でも貰わなくちゃならないでしょう。兄さんの細君が出来ても、やっぱり今の様にしている積りですか」
「その時に為ってみなくっちゃ、自分でも見当が付きませんが、何しろ、どうか為るだろうと思ってます」
「その外に親類はないんですか」
「叔母が一人ありますがな。こいつは今、浜で運漕業をやってます」
「叔母さんが?」
「叔母が遣ってる訳でもないんでしょうが、まあ叔父ですな」
「其所へでも頼んで使って貰っちゃ、どうです。運漕業なら大分人が要るでしょう」
「根が怠惰もんですからな。大方断わるだろうと思ってるんです」
「そう自任していちゃ困る。実は君の御母さんが、家の婆さんに頼んで、君を僕の宅へ置いてくれまいかという相談があるんですよ」
「ええ、何だかそんな事を云ってました」
「君自身は、一体どう云う気なんです」
「ええ、なるべく怠けない様にして……」
「家へ来る方が好いんですか」
「まあ、そうですな」
「然し寐て散歩するだけじゃ困る」
「そりゃ大丈夫です。身体の方は達者ですから。風呂でも何でも汲みます」
「風呂は水道があるから汲まないでも可い」
「じゃ、掃除でもしましょう」
門野はこう云う条件で代助の書生になったのである。
代助はやがて食事を済まして、烟草を吹かし出した。今まで茶箪笥の陰に、ぽつねんと膝を抱えて柱に倚り懸っていた門野は、もう好い時分だと思って、又主人に質問を掛けた。
「先生、今朝は心臓の具合はどうですか」
この間から代助の癖を知っているので、幾分か茶化した調子である。
「今日はまだ大丈夫だ」
「何だか明日にも危しくなりそうですな。どうも先生みた様に身体を気にしちゃ、――仕舞には本当の病気に取っ付かれるかも知れませんよ」
「もう病気ですよ」
門野は只へええと云ったぎり、代助の光沢の好い顔色や肉の豊かな肩のあたりを羽織の上から眺めている。代助はこんな場合になると何時でもこの青年を気の毒に思う。代助から見ると、この青年の頭は、牛の脳味噌で一杯詰っているとしか考えられないのである。話をすると、平民の通る大通りを半町位しか付いて来ない。たまに横町へでも曲ると、すぐ迷児になってしまう。論理の地盤を竪に切り下げた坑道などへは、てんから足も踏み込めない。彼の神経系に至っては猶更粗末である。あたかも荒縄で組み立てられたるかの感が起る。代助はこの青年の生活状態を観察して、彼は必竟何の為に呼吸を敢てして存在するかを怪しむ事さえある。それでいて彼は平気にのらくらしている。しかもこののらくらを以て、暗に自分の態度と同一型に属するものと心得て、中々得意に振舞たがる。その上頑強一点張りの肉体を笠に着て、却って主人の神経的な局所へ肉薄して来る。自分の神経は、自分に特有なる細緻な思索力と、鋭敏な感応性に対して払う租税である。高尚な教育の彼岸に起る反響の苦痛である。天爵的に貴族となった報に受ける不文の刑罰である。これ等の犠牲に甘んずればこそ、自分は今の自分に為れた。否、ある時はこれ等の犠牲そのものに、人生の意義をまともに認める場合さえある。門野にはそんな事はまるで分らない。
「門野さん、郵便は来ていなかったかね」
「郵便ですか。こうっと。来ていました。端書と封書が。机の上に置きました。持って来ますか」
「いや、僕が彼方へ行っても可い」
歯切れのわるい返事なので、門野はもう立ってしまった。そうして端書と郵便を持って来た。端書は、今日二時東京着、ただちに表面へ投宿、取敢えず御報、明日午前会いたし、と薄墨の走り書の簡単極るもので、表に裏神保町の宿屋の名と平岡常次郎という差出人の姓名が、表と同じ乱暴さ加減で書いてある。
「もう来たのか、昨日着いたんだな」と独り言の様に云いながら、封書の方を取り上げると、これは親爺の手蹟である。二三日前帰って来た。急ぐ用事でもないが、色々話しがあるから、この手紙が着いたら来てくれろと書いて、あとには京都の花がまだ早かったの、急行列車が一杯で窮屈だったなどという閑文字が数行列ねてある。代助は封書を巻きながら、妙な顔をして、両方見較べていた。
「君、電話を掛けてくれませんか。家へ」
「はあ、御宅へ。何て掛けます」
「今日は約束があって、待ち合せる人があるから上がれないって。明日か明後日きっと伺いますからって」
「はあ。何方に」
「親爺が旅行から帰って来て、話があるから一寸来いって云うんだが、――何親爺を呼び出さないでも可いから、誰にでもそう云ってくれ給え」
「はあ」
門野は無雑作に出て行った。代助は茶の間から、座敷を通って書斎へ帰った。見ると、奇麗に掃除が出来ている。落椿も何所かへ掃き出されてしまった。代助は花瓶の右手にある組み重ねの書棚の前へ行って、上に載せた重い写真帖を取り上げて、立ちながら、金の留金を外して、一枚二枚と繰り始めたが、中頃まで来てぴたりと手を留めた。其所には二十歳位の女の半身がある。代助は眼を俯せて凝と女の顔を見詰めていた。
着物でも着換えて、此方から平岡の宿を訪ね様かと思っている所へ、折よく先方から遣って来た。車をがらがらと門前まで乗り付けて、此所だ此所だと梶棒を下さした声は慥かに三年前分れた時そっくりである。玄関で、取次の婆さんを捕まえて、宿へ蟇口を忘れて来たから、一寸二十銭貸してくれと云った所などは、どうしても学校時代の平岡を思い出さずにはいられない。代助は玄関まで馳け出して行って、手を執らぬばかりに旧友を座敷へ上げた。
「どうした。まあ緩くりするが好い」
「おや、椅子だね」と云いながら平岡は安楽椅子へ、どさりと身体を投げ掛けた。十五貫目以上もあろうと云うわが肉に、三文の価値を置いていない様な扱かい方に見えた。それから椅子の脊に坊主頭を靠たして、一寸部屋の中を見廻しながら、
「中々、好い家だね。思ったより好い」と賞めた。代助は黙って巻莨入の蓋を開けた。
「それから、以後どうだい」
「どうの、こうのって、――まあ色々話すがね」
「もとは、よく手紙が来たから、様子が分ったが、近頃じゃ些とも寄さないもんだから」
「いや何所も彼所も御無沙汰で」と平岡は突然眼鏡を外して、脊広の胸から皺だらけの手帛を出して、眼をぱちぱちさせながら拭き始めた。学校時代からの近眼である。代助は凝とその様子を眺めていた。
「僕より君はどうだい」と云いながら、細い蔓を耳の後へ絡みつけに、両手で持って行った。
「僕は相変らずだよ」
「相変らずが一番好いな。あんまり相変るものだから」
そこで平岡は八の字を寄せて、庭の模様を眺め出したが、不意に語調を更えて、
「やあ、桜がある。今漸やく咲き掛けた所だね。余程気候が違う」と云った。話の具合が何だか故の様にしんみりしない。代助も少し気の抜けた風に、
「向うは大分暖かいだろう」と序同然の挨拶をした。すると、今度は寧ろ法外に熱した具合で、
「うん、大分暖かい」と力の這入った返事があった。あたかも自己の存在を急に意識して、はっと思った調子である。代助は又平岡の顔を眺めた。平岡は巻莨に火を点けた。その時婆さんが漸く急須に茶を淹れて持って出た。今しがた鉄瓶に水を注してしまったので、煮立るのに暇が入って、つい遅くなって済みませんと言訳をしながら、洋卓の上へ盆を載せた。二人は婆さんの喋舌てる間、紫檀の盆を見て黙っていた。婆さんは相手にされないので、独りで愛想笑いをして座敷を出た。
「ありゃ何だい」
「婆さんさ。雇ったんだ。飯を食わなくっちゃならないから」
「御世辞が好いね」
代助は赤い唇の両端を、少し弓なりに下の方へ彎げて蔑む様に笑った。
「今までこんな所へ奉公した事がないんだから仕方がない」
「君の家から誰か連れて来れば好のに。大勢いるだろう」
「みんな若いのばかりでね」と代助は真面目に答えた。平岡はこの時始めて声を出して笑った。
「若けりゃ猶結構じゃないか」
「とにかく家の奴は好くないよ」
「あの婆さんの外に誰かいるのかい」
「書生が一人いる」
門野は何時の間にか帰って、台所の方で婆さんと話をしていた。
「それぎりかい」
「それぎりだ。何故」
「細君はまだ貰わないのかい」
代助は心持赤い顔をしたが、すぐ尋常一般の極めて平凡な調子になった。
「妻を貰ったら、君の所へ通知位する筈じゃないか。それよりか君の」と云いかけて、ぴたりと已めた。
代助と平岡とは中学時代からの知り合で、殊に学校を卒業して後、一年間というものは、殆んど兄弟の様に親しく往来した。その時分は互に凡てを打ち明けて、互に力に為り合う様なことを云うのが、互に娯楽の尤もなるものであった。この娯楽が変じて実行となった事も少なくないので、彼等は双互の為めに口にした凡ての言葉には、娯楽どころか、常に一種の犠牲を含んでいると確信していた。そうしてその犠牲を即座に払えば、娯楽の性質が、忽然苦痛に変ずるものであると云う陳腐な事実にさえ気が付かずにいた。一年の後平岡は結婚した。同時に、自分の勤めている銀行の、京坂地方のある支店詰になった。代助は、出立の当時、新夫婦を新橋の停車場に送って、愉快そうに、直帰って来給えと平岡の手を握った。平岡は、仕方がない、当分辛抱するさと打遣る様に云ったが、その眼鏡の裏には得意の色が羨ましい位動いた。それを見た時、代助は急にこの友達を憎らしく思った。家へ帰って、一日部屋へ這入ったなり考え込んでいた。嫂を連れて音楽会へ行く筈の所を断わって、大いに嫂に気を揉ました位である。
平岡からは断えず音便があった。安着の端書、向うで世帯を持った報知、それが済むと、支店勤務の模様、自己将来の希望、色々あった。手紙の来るたびに、代助は何時も丁寧な返事を出した。不思議な事に、代助が返事を書くときは、何時でも一種の不安に襲われる。たまには我慢するのが厭になって、途中で返事を已めてしまう事がある。ただ平岡の方から、自分の過去の行為に対して、幾分か感謝の意を表して来る場合に限って、安々と筆が動いて、比較的なだらかな返事が書けた。
そのうち段々手紙の遣り取りが疎遠になって、月に二遍が、一遍になり、一遍が又二月、三月に跨がる様に間を置いて来ると、今度は手紙を書かない方が、却って不安になって、何の意味もないのに、只この感じを駆逐する為に封筒の糊を湿す事があった。それが半年ばかり続くうちに、代助の頭も胸も段々組織が変って来る様に感ぜられて来た。この変化に伴って、平岡へは手紙を書いても書かなくっても、まるで苦痛を覚えない様になってしまった。現に代助が一戸を構えて以来、約一年余と云うものは、この春年賀状の交換のとき、序を以て、今の住所を知らしただけである。
それでも、ある事情があって、平岡の事はまるで忘れる訳には行かなかった。時々思い出す。そうして今頃はどうして暮しているだろうと、色々に想像してみる事がある。然しただ思い出すだけで、別段問い合せたり聞き合せたりする程に、気を揉む勇気も必要もなく、今日まで過して来た所へ、二週間前に突然平岡からの書信が届いたのである。その手紙には近々当地を引き上げて、御地へまかり越す積りである。但し本店からの命令で、栄転の意味を含んだ他動的の進退と思ってくれては困る。少し考があって、急に職業替をする気になったから、着京の上は何分宜しく頼むとあった。この何分宜しく頼むの頼むは本当の意味の頼むか、又は単に辞令上の頼むか不明だけれども、平岡の一身上に急劇な変化のあったのは争うべからざる事実である。代助はその時はっと思った。
それで、逢うや否やこの変動の一部始終を聞こうと待設けていたのだが、不幸にして話が外れて容易に其所へ戻って来ない。折を見て此方から持ち掛けると、まあ緩っくり話すとか何とか云って、中々埒を開けない。代助は仕方なしに、仕舞に、
「久し振りだから、其所いらで飯でも食おう」と云い出した。平岡は、それでも、まだ、何れ緩くりを繰返したがるのを、無理に引張って、近所の西洋料理へ上った。
両人は其所で大分飲んだ。飲む事と食う事は昔の通りだねと言ったのが始りで、硬い舌が段々弛んで来た。代助は面白そうに、二三日前自分の観に行った、ニコライの復活祭の話をした。御祭が夜の十二時を相図に、世の中の寐鎮まる頃を見計って始る。参詣人が長い廊下を廻って本堂へ帰って来ると、何時の間にか幾千本の蝋燭が一度に点いている。法衣を着た坊主が行列して向うを通るときに、黒い影が、無地の壁へ非常に大きく映る。――平岡は頬杖を突いて、眼鏡の奥の二重瞼を赤くしながら聞いていた。代助はそれから夜の二時頃広い御成街道を通って、深夜の鉄軌が、暗い中を真直に渡っている上を、たった一人上野の森まで来て、そうして電燈に照らされた花の中に這入った。
「人気のない夜桜は好いもんだよ」と云った。平岡は黙って盃を干したが、一寸気の毒そうに口元を動かして、
「好いだろう、僕はまだ見た事がないが。――然し、そんな真似が出来る間はまだ気楽なんだよ。世の中へ出ると、中々それどころじゃない」と暗に相手の無経験を上から見た様な事を云った。代助にはその調子よりもその返事の内容が不合理に感ぜられた。彼は生活上世渡りの経験よりも、復活祭当夜の経験の方が、人生に於て有意義なものと考えている。其所でこんな答をした。
「僕は所謂処世上の経験程愚なものはないと思っている。苦痛があるだけじゃないか」
平岡は酔った眼を心持大きくした。
「大分考えが違って来た様だね。――けれどもその苦痛が後から薬になるんだって、もとは君の持説じゃなかったか」
「そりゃ不見識な青年が、流俗の諺に降参して、好加減な事を云っていた時分の持説だ。もう、とっくに撤回しちまった」
「だって、君だって、もう大抵世の中へ出なくっちゃなるまい。その時それじゃ困るよ」
「世の中へは昔から出ているさ。ことに君と分れてから、大変世の中が広くなった様な気がする。ただ君の出ている世の中とは種類が違うだけだ」
「そんな事を云って威張ったって、今に降参するだけだよ」
「無論食うに困る様になれば、何時でも降参するさ。然し今日に不自由のないものが、何を苦しんで劣等な経験を甞めるものか。印度人が外套を着て、冬の来た時の用心をすると同じ事だもの」
平岡の眉の間に、一寸不快の色が閃めいた。赤い眼を据えてぷかぷか烟草を吹かしている。代助は、ちと云い過ぎたと思って、少し調子を穏やかにした。――
「僕の知ったものに、まるで音楽の解らないものがある。学校の教師をして、一軒じゃ飯が食えないもんだから、三軒も四軒も懸け持をやっているが、そりゃ気の毒なもんで、下読をするのと、教場へ出て器械的に口を動かしているより外に全く暇がない。たまの日曜などは骨休めとか号して一日ぐうぐう寐ている。だから何所に音楽会があろうと、どんな名人が外国から来ようと聞きに行く機会がない。つまり楽という一種の美くしい世界にはまるで足を踏み込まないで死んでしまわなくっちゃならない。僕から云わせると、これ程憐れな無経験はないと思う。麺麭に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麺麭を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくっちゃ人間の甲斐はない。君は僕をまだ坊っちゃんだと考えてるらしいが、僕の住んでいる贅沢な世界では、君よりずっと年長者の積りだ」
平岡は巻莨の灰を、皿の上にはたきながら、沈んだ暗い調子で、
「うん、何時までもそう云う世界に住んでいられれば結構さ」と云った。その重い言葉の足が、富に対する一種の呪詛を引き摺っている様に聴えた。
両人は酔って、戸外へ出た。酒の勢で変な議論をしたものだから、肝心の一身上の話はまだ少しも発展せずにいる。
「少し歩かないか」と代助が誘った。平岡も口程忙がしくはないと見えて、生返事をしながら、一所に歩を運んで来た。通を曲って横町へ出て、なるべく、話の為好い閑な場所を選んで行くうちに、何時か緒口が付いて、思うあたりへ談柄が落ちた。
平岡の云う所によると、赴任の当時彼は事務見習のため、地方の経済状況取調のため、大分忙がしく働らいてみた。出来得るならば、学理的に実地の応用を研究しようと思った位であったが、地位がそれ程高くないので、已を得ず、自分の計画は計画として未来の試験用に頭の中に入れて置いた。尤も始めのうちは色々支店長に建策した事もあるが、支店長は冷然として、何時も取り合わなかった。むずかしい理窟などを持ち出すと甚だ御機嫌が悪い。青二才に何が分るものかと云う様な風をする。その癖自分は実際何も分っていないらしい。平岡から見ると、その相手にしない所が、相手にするに足らないからではなくって、寧ろ相手にするのが怖いからの様に思われた。其所に平岡の癪はあった。衝突しかけた事も一度や二度ではない。
けれども、時日を経過するに従って、肝癪が何時となく薄らいできて、次第に自分の頭が、周囲の空気と融和する様になった。又なるべくは、融和する様に力めた。それにつれて、支店長の自分に対する態度も段々変って来た。時々は向うから相談をかける事さえある。すると学校を出たての平岡でないから、先方に解らない、かつ都合のわるいことはなるべく云わない様にして置く。
「無暗に御世辞を使ったり、胡麻を摺るのとは違うが」と平岡はわざわざ断った。代助は真面目な顔をして、「そりゃ無論そうだろう」と答えた。
支店長は平岡の未来の事に就て、色々心配してくれた。近いうちに本店に帰る番に中っているから、その時は一所に来給えなどと冗談半分に約束までした。その頃は事務にも慣れるし、信用も厚くなるし、交際も殖えるし、勉強をする暇が自然となくなって、又勉強が却って実務の妨をする様に感ぜられて来た。
支店長が、自分に万事を打ち明ける如く、自分は自分の部下の関という男を信任して、色々と相談相手にしておった。ところがこの男がある芸妓と関係って、何時の間にか会計に穴を明けた。それが曝露したので、本人は無論解雇しなければならないが、ある事情からして、放って置くと、支店長にまで多少の煩が及んで来そうだったから、其所で自分が責を引いて辞職を申し出た。
平岡の語る所は、ざっとこうであるが、代助には彼が支店長から因果を含められて、所決を促がされた様にも聞えた。それは平岡の話しの末に「会社員なんてものは、上になればなる程旨い事が出来るものでね。実は関なんて、あれっばかりの金を使い込んで、すぐ免職になるのは気の毒な位なものさ」という句があったのから推したのである。
「じゃ支店長は一番旨い事をしている訳だね」と代助が聞いた。
「或はそんなものかも知れない」と平岡は言葉を濁してしまった。
「それでその男の使い込んだ金はどうした」
「千に足らない金だったから、僕が出して置いた」
「よく有ったね。君も大分旨い事をしたと見える」
平岡は苦い顔をして、じろりと代助を見た。
「旨い事をしたと仮定しても、皆使ってしまっている。生活にさえ足りない位だ。その金は借りたんだよ」
「そうか」と代助は落ち付き払って受けた。代助はどんな時でも平生の調子を失わない男である。そうしてその調子には低く明らかなうちに一種の丸味が出ている。
「支店長から借りて埋めて置いた」
「何故支店長がじかにその関とか何とか云う男に貸して遣らないのかな」
平岡は何とも答えなかった。代助も押しては聞かなかった。二人は無言のまましばらくの間並んで歩いて行った。
代助は平岡が語ったより外に、まだ何かあるに違ないと鑑定した。けれども彼はもう一歩進んで飽までその真相を研究する程の権利を有っていないことを自覚している。又そんな好奇心を引き起すには、実際あまり都会化し過ぎていた。二十世紀の日本に生息する彼は、三十になるか、ならないのに既に nil admirari の域に達してしまった。彼の思想は、人間の暗黒面に出逢って喫驚する程の山出ではなかった。彼の神経は斯様に陳腐な秘密を嗅いで嬉しがる様に退屈を感じてはいなかった。否、これより幾倍か快よい刺激でさえ、感受するを甘んぜざる位、一面から云えば、困憊していた。
代助は平岡のそれとは殆んど縁故のない自家特有の世界の中で、もうこれ程に進化――進化の裏面を見ると、何時でも退化であるのは、古今を通じて悲しむべき現象だが――していたのである。それを平岡は全く知らない。代助をもって、依然として旧態を改めざる三年前の初心と見ているらしい。こう云う御坊っちゃんに、洗い浚い自分の弱点を打ち明けては、徒らに馬糞を投げて、御嬢さまを驚ろかせると同結果に陥いり易い。余計な事をして愛想を尽かされるよりは黙っている方が安全だ。――代助には平岡の腹がこう取れた。それで平岡が自分に返事もせずに無言で歩いて行くのが、何となく馬鹿らしく見えた。平岡が代助を子供視する程度に於て、あるいはそれ以上の程度に於て、代助は平岡を子供視し始めたのである。けれども両人が十五六間過ぎて、又話を遣り出した時は、どちらにも、そんな痕迹は更になかった。最初に口を切ったのは代助であった。
「それで、これから先どうする積りかね」
「さあ」
「やっぱり今までの経験もあるんだから、同じ職業が可いかも知れないね」
「さあ。事情次第だが。実は緩くり君に相談してみようと思っていたんだが。どうだろう、君の兄さんの会社の方に口はあるまいか」
「うん、頼んでみよう、二三日内に家へ行く用があるから。然しどうかな」
「もし、実業の方が駄目なら、どっか新聞へでも這入ろうかと思う」
「それも好いだろう」
両人は又電車の通る通へ出た。平岡は向うから来た電車の軒を見ていたが、突然これに乗って帰ると云い出した。代助はそうかと答えたまま、留めもしない、と云って直分れもしなかった。赤い棒の立っている停留所まで歩いて来た。そこで、
「三千代さんはどうした」と聞いた。
「難有う、まあ相変らずだ。君に宜しく云っていた。実は今日連れて来ようと思ったんだけれども、何だか汽車に揺れたんで頭が悪いというから宿屋へ置いて来た」
電車が二人の前で留まった。平岡は二三歩早足に行きかけたが、代助から注意されて已めた。彼の乗るべき車はまだ着かなかったのである。
「子供は惜しい事をしたね」
「うん。可哀想な事をした。その節は又御叮嚀に難有う。どうせ死ぬ位なら生れない方が好かった」
「その後はどうだい。まだ後は出来ないか」
「うん、未だにも何にも、もう駄目だろう。身体があんまり好くないものだからね」
「こんなに動く時は子供のない方が却って便利で可いかも知れない」
「それもそうさ。一層君の様に一人身なら、猶の事、気楽で可いかも知れない」
「一人身になるさ」
「冗談云ってら――それよりか、妻が頻りに、君はもう奥さんを持ったろうか、未だだろうかって気にしていたぜ」
ところへ電車が来た。
代助の父は長井得といって、御維新のとき、戦争に出た経験のある位な老人であるが、今でも至極達者に生きている。役人を已めてから、実業界に這入って、何かかにかしているうちに、自然と金が貯って、この十四五年来は大分の財産家になった。
誠吾と云う兄がある。学校を卒業してすぐ、父の関係している会社へ出たので、今では其所で重要な地位を占める様になった。梅子という夫人に、二人の子供が出来た。兄は誠太郎と云って十五になる。妹は縫といって三つ違である。
誠吾の外に姉がまだ一人あるが、これはある外交官に嫁いで、今は夫と共に西洋にいる。誠吾とこの姉の間にもう一人、それからこの姉と代助の間にも、まだ一人兄弟があったけれども、それは二人とも早く死んでしまった。母も死んでしまった。
代助の一家はこれだけの人数から出来上っている。そのうちで外へ出ているものは、西洋に行った姉と、近頃一戸を構えた代助ばかりだから、本家には大小合せて五人残る訳になる。
代助は月に一度は必ず本家へ金を貰いに行く。代助は親の金とも、兄の金ともつかぬものを使って生きている。月に一度の外にも、退屈になれば出掛けて行く。そうして子供に調戯ったり、書生と五目並べをしたり、嫂と芝居の評をしたりして帰って来る。
代助はこの嫂を好いている。この嫂は、天保調と明治の現代調を、容赦なく継ぎ合せた様な一種の人物である。わざわざ仏蘭西にいる義妹に注文して、むずかしい名のつく、頗る高価な織物を取寄せて、それを四五人で裁って、帯に仕立てて着てみたり何かする。後で、それは日本から輸出したものだと云う事が分って大笑いになった。三越陳列所へ行って、それを調べて来たものは代助である。それから西洋の音楽が好きで、よく代助に誘い出されて聞に行く。そうかと思うと易断に非常な興味を有っている。石龍子と尾島某を大いに崇拝する。代助も二三度御相伴に、俥で易者の許まで食付いて行った事がある。
誠太郎と云う子は近頃ベースボールに熱中している。代助が行って時々球を投げてやる事がある。彼は妙な希望を持った子供である。毎年夏の初めに、多くの焼芋屋が俄然として氷水屋に変化するとき、第一番に馳けつけて、汗も出ないのに、氷菓を食うものは誠太郎である。氷菓がないときには、氷水で我慢する。そうして得意になって帰って来る。近頃では、もし相撲の常設館が出来たら、一番先へ這入ってみたいと云っている。叔父さん誰か相撲を知りませんかと代助に聞いた事がある。
縫という娘は、何か云うと、好くってよ、知らないわと答える。そうして日に何遍となくリボンを掛け易える。近頃はヴァイオリンの稽古に行く。帰って来ると、鋸の目立ての様な声を出して御浚いをする。ただし人が見ていると決して遣らない。室を締め切って、きいきい云わせるのだから、親は可なり上手だと思っている。代助だけが時々そっと戸を明けるので、好くってよ、知らないわと叱られる。
兄は大抵不在勝である。ことに忙がしい時になると、家で食うのは朝食位なもので、あとは、どうして暮しているのか、二人の子供には全く分らない。同程度に於て代助にも分らない。これは分らない方が好ましいので、必要のない限りは、兄の日々の戸外生活に就て決して研究しないのである。
代助は二人の子供に大変人望がある。嫂にも可なりある。兄には、あるんだか、ないんだか分らない。たまに兄と弟が顔を合せると、ただ浮世話をする。双方とも普通の顔で、大いに平気で遣っている。陳腐に慣れ抜いた様子である。
代助の尤も応えるのは親爺である。好い年をして、若い妾を持っているが、それは構わない。代助から云うと寧ろ賛成な位なもので、彼は妾を置く余裕のないものに限って、蓄妾の攻撃をするんだと考えている。親爺は又大分のやかまし屋である。子供のうちは心魂に徹して困却した事がある。しかし成人の今日では、それにも別段辟易する必要を認めない。ただ応えるのは、自分の青年時代と、代助の現今とを混同して、両方共大した変りはないと信じている事である。それだから、自分の昔し世に処した時の心掛けでもって、代助も遣らなくっては、嘘だという論理になる。尤も代助の方では、何が嘘ですかと聞き返した事がない。だから決して喧嘩にはならない。代助は子供の頃非常な肝癪持で、十八九の時分親爺と組打をした事が一二返ある位だが、成長して学校を卒業して、しばらくすると、この肝癪がぱたりと已んでしまった。それから以後ついぞ怒った試しがない。親爺はこれを自分の薫育の効果と信じてひそかに誇っている。
実際を云うと親爺の所謂薫育は、この父子の間に纏綿する暖かい情味を次第に冷却せしめただけである。少なくとも代助はそう思っている。ところが親爺の腹のなかでは、それが全く反対に解釈されてしまった。何をしようと血肉の親子である。子が親に対する天賦の情合が、子を取扱う方法の如何に因って変る筈がない。教育の為め、少しの無理はしようとも、その結果は決して骨肉の恩愛に影響を及ぼすものではない。儒教の感化を受けた親爺は、固くこう信じていた。自分が代助に存在を与えたという単純な事実が、あらゆる不快苦痛に対して、永久愛情の保証になると考えた親爺は、その信念をもって、ぐんぐん押して行った。そうして自分に冷淡な一個の息子を作り上げた。尤も代助の卒業前後からはその待遇法も大分変って来て、ある点から云えば、驚ろく程寛大になった所もある。然しそれは代助が生れ落ちるや否や、この親爺が代助に向って作ったプログラムの一部分の遂行に過ぎないので、代助の心意の変移を見抜いた適宜の処置ではなかったのである。自分の教育が代助に及ぼした悪結果に至っては、今に至って全く気が付かずにいる。
親爺は戦争に出たのを頗る自慢にする。稍もすると、御前などはまだ戦争をした事がないから、度胸が据らなくって不可んと一概にけなしてしまう。あたかも度胸が人間至上な能力であるかの如き言草である。代助はこれを聞かせられるたんびに厭な心持がする。胆力は命の遣り取りの劇しい、親爺の若い頃の様な野蛮時代にあってこそ、生存に必要な資格かも知れないが、文明の今日から云えば、古風な弓術撃剣の類と大差はない道具と、代助は心得ている。否、胆力とは両立し得ないで、しかも胆力以上に難有がって然るべき能力が沢山ある様に考えられる。御父さんから又胆力の講釈を聞いた。御父さんの様に云うと、世の中で石地蔵が一番偉いことになってしまう様だねと云って、嫂と笑った事がある。
こう云う代助は無論臆病である。又臆病で耻ずかしいという気は心から起らない。ある場合には臆病を以て自任したくなる位である。子供の時、親爺の使嗾で、夜中にわざわざ青山の墓地まで出掛けた事がある。気味のわるいのを我慢して一時間も居たら、たまらなくなって、蒼青な顔をして家へ帰って来た。その折は自分でも残念に思った。あくる朝親爺に笑われたときは、親爺が憎らしかった。親爺の云う所によると、彼と同時代の少年は、胆力修養の為め、夜半に結束して、たった一人、御城の北一里にある剣が峯の天頂まで登って、其所の辻堂で夜明をして、日の出を拝んで帰ってくる習慣であったそうだ。今の若いものとは心得方からして違うと親爺が批評した。
こんな事を真面目に口にした、又今でも口にしかねまじき親爺は気の毒なものだと、代助は考える。彼は地震が嫌である。瞬間の動揺でも胸に波が打つ。あるときは書斎で凝と坐っていて、何かの拍子に、ああ地震が遠くから寄せて来るなと感ずる事がある。すると、尻の下に敷いている坐蒲団も、畳も、乃至床板も明らかに震える様に思われる。彼はこれが自分の本来だと信じている。親爺の如きは、神経未熟の野人か、然らずんば己れを偽わる愚者としか代助には受け取れないのである。
代助は今この親爺と対坐している。廂の長い小さな部屋なので、居ながら庭を見ると、廂の先で庭が仕切られた様な感がある。少なくとも空は広く見えない。その代り静かで、落ち付いて、尻の据り具合が好い。
親爺は刻み烟草を吹かすので、手のある長い烟草盆を前へ引き付けて、時々灰吹をぽんぽんと叩く。それが静かな庭へ響いて好い音がする。代助の方は金の吸口を四五本手焙の中へ並べた。もう鼻から烟を出すのが厭になったので、腕組をして親爺の顔を眺めている。その顔には年の割に肉が多い。それでいて頬は痩けている。濃い眉の下に眼の皮が弛んで見える。髭は真白と云わんよりは、寧ろ黄色である。そうして、話をするときに相手の膝頭と顔とを半々に見較べる癖がある。その時の眼の動かし方で、白眼が一寸ちらついて、相手に妙な心持をさせる。
老人は今こんな事を云っている。――
「そう人間は自分だけを考えるべきではない。世の中もある。国家もある。少しは人の為に何かしなくっては心持のわるいものだ。御前だって、そう、ぶらぶらしていて心持の好い筈はなかろう。そりゃ、下等社会の無教育のものなら格別だが、最高の教育を受けたものが、決して遊んでいて面白い理由がない。学んだものは、実地に応用して始めて趣味が出るものだからな」
「そうです」と代助は答えている。親爺から説法されるたんびに、代助は返答に窮するから好加減な事を云う習慣になっている。代助に云わせると、親爺の考えは、万事中途半端に、或物を独り勝手に断定してから出立するんだから、毫も根本的の意義を有していない。しかのみならず、今利他本位でやってるかと思うと、何時の間にか利己本位に変っている。言葉だけは滾々として、勿体らしく出るが、要するに端倪すべからざる空談である。それを基礎から打ち崩して懸かるのは大変な難事業だし、又必竟出来ない相談だから、始めよりなるべく触らない様にしている。ところが親爺の方では代助を以て無論自己の太陽系に属すべきものと心得ているので、自己は飽までも代助の軌道を支配する権利があると信じて押して来る。そこで代助も已を得ず親爺という老太陽の周囲を、行儀よく回転する様に見せている。
「それは実業が厭なら厭で好い。何も金を儲けるだけが日本の為になるとも限るまいから。金は取らんでも構わない。金の為にとやかく云うとなると、御前も心持がわるかろう。金は今まで通り己が補助して遣る。おれも、もう何時死ぬか分らないし、死にゃ金を持って行く訳にも行かないし。月々御前の生計位どうでもしてやる。だから奮発して何か為るが好い。国民の義務としてするが好い。もう三十だろう」
「そうです」
「三十になって遊民として、のらくらしているのは、如何にも不体裁だな」
代助は決してのらくらしているとは思わない。ただ職業の為に汚されない内容の多い時間を有する、上等人種と自分を考えているだけである。親爺がこんな事を云うたびに、実は気の毒になる。親爺の幼稚な頭脳には、かく有意義に月日を利用しつつある結果が、自己の思想情操の上に、結晶して吹き出しているのが、全く映らないのである。仕方がないから、真面目な顔をして、
「ええ、困ります」と答えた。老人は頭から代助を小僧視している上に、その返事が何時でも幼気を失わない、簡単な、世帯離れをした文句だものだから、馬鹿にするうちにも、どうも坊ちゃんは成人しても仕様がない、困ったものだと云う気になる。そうかと思うと、代助の口調が如何にも平気で、冷静で、はにかまず、もじ付かず、尋常極まっているので、此奴は手の付け様がないという気にもなる。
「身体は丈夫だね」
「二三年このかた風邪を引いた事もありません」
「頭も悪い方じゃないだろう。学校の成蹟も可なりだったんじゃないか」
「まあそうです」
「それで遊んでいるのは勿体ない。あの何とか云ったね、そら御前の所へ善く話しに来た男があるだろう。己も一二度逢ったことがある」
「平岡ですか」
「そう平岡。あの人なぞは、あまり出来の可い方じゃなかったそうだが、卒業すると、すぐ何処かへ行ったじゃないか」
「その代り失敗て、もう帰って来ました」
老人は苦笑を禁じ得なかった。
「どうして」と聞いた。
「つまり食う為に働らくからでしょう」
老人にはこの意味が善く解らなかった。
「何か面白くない事でも遣ったのかな」と聞き返した。
「その場合々々で当然の事を遣るんでしょうけれども、その当然がやっぱり失敗になるんでしょう」
「はああ」と気の乗らない返事をしたが、やがて調子を易えて、説き出した。
「若い人がよく失敗というが、全く誠実と熱心が足りないからだ。己も多年の経験で、この年になるまで遣って来たが、どうしてもこの二つがないと成功しないね」
「誠実と熱心があるために、却って遣り損うこともあるでしょう」
「いや、先ないな」
親爺の頭の上に、誠者天之道也と云う額が麗々と掛けてある。先代の旧藩主に書いて貰ったとか云って、親爺は尤も珍重している。代助はこの額が甚だ嫌である。第一字が嫌だ。その上文句が気に喰わない。誠は天の道なりの後へ、人の道にあらずと附け加えたい様な心持がする。
その昔し藩の財政が疲弊して、始末が付かなくなった時、整理の任に当った長井は、藩侯に縁故のある町人を二三人呼び集めて、刀を脱いでその前に頭を下げて、彼等に一時の融通を頼んだ事がある。固より返せるか、返せないか、分らなかったんだから、分らないと真直に自白して、それがためにその時成功した。その因縁でこの額を藩主に書いて貰ったんである。爾来長井は何時でも、これを自分の居間に掛けて朝夕眺めている。代助はこの額の由来を何遍聞かされたか知れない。
今から十五六年前に、旧藩主の家で、月々の支出が嵩んできて、折角持ち直した経済が又崩れ出した時にも、長井は前年の手腕によって、再度の整理を委託された。その時長井は自分で風呂の薪を焚いてみて、実際の消費高と帳面づらの消費高との差違から調べにかかったが、終日終夜この事だけに精魂を打ち込んだ結果は、約一カ月内に立派な方法を立て得るに至った。それより以後藩主の家では比較的豊かな生計をしている。
こう云う過去の歴史を持っていて、この過去の歴史以外には、一歩も踏み出して考える事を敢てしない長井は、何によらず、誠実と熱心へ持って行きたがる。
「御前は、どう云うものか、誠実と熱心が欠けている様だ。それじゃ不可ん。だから何にも出来ないんだ」
「誠実も熱心もあるんですが、ただ人事上に応用出来ないんです」
「どう云う訳で」
代助は又返答に窮した。代助の考えによると、誠実だろうが、熱心だろうが、自分が出来合の奴を胸に蓄わえているんじゃなくって、石と鉄と触れて火花の出る様に、相手次第で摩擦の具合がうまく行けば、当事者二人の間に起るべき現象である。自分の有する性質と云うよりは寧ろ精神の交換作用である。だから相手が悪くっては起り様がない。
「御父さんは論語だの、王陽明だのという、金の延金を呑んでいらっしゃるから、そういう事を仰しゃるんでしょう」
「金の延金とは」
代助はしばらく黙っていたが、漸やく、
「延金のまま出て来るんです」と云った。長井は、書物癖のある、偏屈な、世慣れない若輩のいいたがる不得要領の警句として、好奇心のあるにも拘わらず、取り合う事を敢てしなかった。
それから約四十分程して、老人は着物を着換えて、袴を穿いて、俥に乗って、何処かへ出て行った。代助も玄関まで送って出たが、又引き返して客間の戸を開けて中へ這入った。これは近頃になって建て増した西洋作りで、内部の装飾その他の大部分は、代助の意匠に本づいて、専門家へ注文して出来上ったものである。ことに欄間の周囲に張った模様画は、自分の知り合いのさる画家に頼んで、色々相談の揚句に成ったものだから、特更興味が深い。代助は立ちながら、画巻物を展開した様な、横長の色彩を眺めていたが、どう云うものか、この前来て見た時よりは、痛く見劣りがする。これでは頼もしくないと思いながら、猶局部々々に眼を付けて吟味していると、突然嫂が這入って来た。
「おや、此所にいらっしゃるの」と云ったが、「一寸其所らに私の櫛が落ちていなくって」と聞いた。櫛は長椅子の足の所にあった。昨日縫子に貸して遣ったら、何所かへ失なしてしまったんで、探しに来たんだそうである。両手で頭を抑える様にして、櫛を束髪の根方へ押し付けて、上眼で代助を見ながら、
「相変らず茫乎してるじゃありませんか」と調戯った。
「御父さんから御談義を聞かされちまった」
「また? 能く叱られるのね。御帰り匇々、随分気が利かないわね。然し貴方もあんまり、好かないわ。些とも御父さんの云う通りになさらないんだもの」
「御父さんの前で議論なんかしやしませんよ。万事控え目に大人しくしているんです」
「だから猶始末が悪いのよ。何か云うと、へいへいって、そうして、些とも云う事を聞かないんだもの」
代助は苦笑して黙ってしまった。梅子は代助の方へ向いて、椅子へ腰を卸した。脊のすらりとした、色の浅黒い、眉の濃い、唇の薄い女である。
「まあ、御掛けなさい。少し話し相手になって上げるから」
代助はやっぱり立ったまま、嫂の姿を見守っていた。
「今日は妙な半襟を掛けてますね」
「これ?」
梅子は顎を縮めて、八の字を寄せて、自分の襦袢の襟を見ようとした。
「此間買ったの」
「好い色だ」
「まあ、そんな事は、どうでも可いから、其所へ御掛けなさいよ」
代助は嫂の真正面へ腰を卸した。
「へえ掛けました」
「一体今日は何を叱られたんです」
「何を叱られたんだか、あんまり要領を得ない。然し御父さんの国家社会の為に尽すには驚ろいた。何でも十八の年から今日までのべつに尽してるんだってね」
「それだから、あの位に御成りになったんじゃありませんか」
「国家社会の為に尽して、金が御父さん位儲かるなら、僕も尽しても好い」
「だから遊んでないで、御尽しなさいな。貴方は寐ていて御金を取ろうとするから狡猾よ」
「御金を取ろうとした事は、まだ有りません」
「取ろうとしなくっても、使うから同じじゃありませんか」
「兄さんが何とか云ってましたか」
「兄さんは呆れてるから、何とも云やしません」
「随分猛烈だな。然し御父さんより兄さんの方が偉いですね」
「どうして。――あら悪らしい、又あんな御世辞を使って。貴方はそれが悪いのよ。真面目な顔をして他を茶化すから」
「そんなもんでしょうか」
「そんなもんでしょうかって、他の事じゃあるまいし。少しゃ考えて御覧なさいな」
「どうも此所へ来ると、まるで門野と同じ様になっちまうから困る」
「門野って何です」
「なに宅にいる書生ですがね。人に何か云われると、きっとそんなもんでしょうか、とか、そうでしょうか、とか答えるんです」
「あの人が? 余っ程妙なのね」
代助は一寸話を已めて、梅子の肩越に、窓掛の間から、奇麗な空を透かす様に見ていた。遠くに大きな樹が一本ある。薄茶色の芽を全体に吹いて、柔らかい梢の端が天に接く所は、糠雨で暈されたかの如くに霞んでいる。
「好い気候になりましたね。何所か御花見にでも行きましょうか」
「行きましょう。行くから仰しゃい」
「何を」
「御父さまから云われた事を」
「云われた事は色々あるんですが、秩序立てて繰り返すのは困るですよ。頭が悪いんだから」
「まだ空っとぼけていらっしゃる。ちゃんと知ってますよ」
「じゃ、伺いましょうか」
梅子は少しつんとした。
「貴方は近頃余っ程減らず口が達者におなりね」
「何、姉さんが辟易する程じゃない。――時に今日は大変静かですね。どうしました、子供達は」
「子供は学校です」
十六七の小間使が戸を開けて顔を出した。あの、旦那様が、奥様に一寸電話口までと取り次いだなり、黙って梅子の返事を待っている。梅子はすぐ立った。代助も立った。つづいて客間を出ようとすると、梅子は振り向いた。
「あなたは、其所に居らっしゃい。少し話しがあるから」
代助には嫂のこう云う命令的の言葉が何時でも面白く感ぜられる。御緩と見送ったまま、又腰を掛けて、再び例の画を眺め出した。しばらくすると、その色が壁の上に塗り付けてあるのでなくって、自分の眼球の中から飛び出して、壁の上へ行って、べたべた喰っ付く様に見えて来た。仕舞には眼球から色を出す具合一つで、向うにある人物樹木が、此方の思い通りに変化出来る様になった。代助はかくして、下手な個所々々を悉く塗り更えて、とうとう自分の想像し得る限りの尤も美くしい色彩に包囲されて、恍惚と坐っていた。所へ梅子が帰って来たので、忽ち当り前の自分に戻ってしまった。
梅子の用事と云うのを改まって聞いてみると、又例の縁談の事であった。代助は学校を卒業する前から、梅子の御蔭で写真実物色々な細君の候補者に接した。けれども、何ずれも不合格者ばかりであった。始めのうちは体裁の好い逃口上で断わっていたが、二年程前からは、急に図迂々々しくなって、きっと相手にけちを付ける。口と顎の角度が悪いとか、眼の長さが顔の幅に比例しないとか、耳の位置が間違ってるとか、必ず妙な非難を持って来る。それが悉く尋常な言草でないので、仕舞には梅子も少々考え出した。これは必竟世話を焼き過ぎるから、付け上って、人を困らせるのだろう。当分打遣って置いて、向うから頼み出させるに若くはない。と決心して、それからは縁談の事をついぞ口にしなくなった。ところが本人は一向困った様子もなく、依然として海のものとも、山のものとも見当が付かない態度で今日まで暮して来た。
其所へ親爺が甚だ因縁の深いある候補者を見付けて、旅行先から帰った。梅子は代助の来る二三日前に、その話を親爺から聞かされたので、今日の会談は必ずそれだろうと推したのである。然し代助は実際老人から結婚問題に付いては、この日何にも聞かなかったのである。老人は或はそれを披露する気で、呼んだのかも知れないが、代助の態度を見て、もう少し控えて置く方が得策だという料簡を起した結果、故意と話題を避けたとも取れる。
この候補者に対して代助は一種特殊な関係を有っていた。候補者の姓は知っている。けれども名は知らない。年齢、容貌、教育、性質に至っては全く知らない。何故その女が候補者に立ったと云う因縁になると又能く知っている。
代助の父には一人の兄があった。直記と云って、父とはたった一つ違いの年上だが、父よりは小柄なうえに、顔付眼鼻立が非常に似ていたものだから、知らない人には往々双子と間違えられた。その折は父も得とは云わなかった。誠之進という幼名で通っていた。
直記と誠之進とは外貌のよく似ていた如く、気質も本当の兄弟であった。両方に差支のあるときは特別、都合さえ付けば、同じ所に食っ付き合って、同じ事をして暮していた。稽古も同時同刻に往き返りをする。読書にも一つ燈火を分った位親しかった。
丁度直記の十八の秋であった。ある時二人は城下外の等覚寺という寺へ親の使に行った。これは藩主の菩提寺で、そこにいる楚水という坊さんが、二人の親とは昵近なので、用の手紙を、この楚水さんに渡しに行ったのである。用は囲碁の招待か何かで返事にも及ばない程簡略なものであったが、楚水さんに留められて、色々話しているうちに遅くなって、日の暮れる一時間程前に漸く寺を出た。その日は何か祭のある折で、市中は大分雑沓していた。二人は群集のなかを急いで帰る拍子に、ある横町を曲ろうとする角で、川向いの方限りの某というものに突き当った。この某と二人とは、かねてから仲が悪かった。その時某は大分酒気を帯びていたと見えて、二言三言いい争ううちに刀を抜いて、いきなり斬り付けた。斬り付けられた方は兄であった。已を得ずこれも腰の物を抜いて立向ったが、相手は平生から極めて評判のわるい乱暴ものだけあって、酩酊しているにも拘わらず、強かった。黙っていれば兄の方が負ける。そこで弟も刀を抜いた。そうして二人で滅茶苦茶に相手を斬り殺してしまった。
その頃の習慣として、侍が侍を殺せば、殺した方が切腹をしなければならない。兄弟はその覚悟で家へ帰って来た。父も二人を並べて置いて順々に自分で介錯をする気であった。ところが母が生憎祭で知己の家へ呼ばれて留守である。父は二人に切腹をさせる前、もう一遍母に逢わしてやりたいと云う人情から、すぐ母を迎にやった。そうして母の来る間、二人に訓戒を加えたり、或は切腹する座敷の用意をさせたりなるべく愚図々々していた。
母の客に行っていた所は、その遠縁にあたる高木という勢力家であったので、大変都合が好かった。と云うのは、その頃は世の中の動き掛けた当時で、侍の掟も昔の様には厳重に行われなかった。殊更殺された相手は評判の悪い無頼の青年であった。ので高木は母とともに長井の家へ来て、何分の沙汰が公向からあるまでは、当分そのままにして、手を着けずに置くようにと、父を諭した。
高木はそれから奔走を始めた。そうして第一に家老を説き付けた。それから家老を通して藩主を説き付けた。殺された某の親は又、存外訳の解った人で、平生から倅の行跡の良くないのを苦に病んでいたのみならず、斬り付けた当時も、此方から狼藉をしかけたと同然であるという事が明瞭になったので、兄弟を寛大に処分する運動に就ては別段の苦情を持ち出さなかった。兄弟はしばらく一間の内に閉じ籠って、謹慎の意を表して後、二人とも人知れず家を捨てた。
三年の後兄は京都で浪士に殺された。四年目に天下が明治となった。又五六年してから、誠之進は両親を国元から東京へ呼び寄せた。そうして妻を迎えて、得という一字名になった。その時は自分の命を助けてくれた高木はもう死んで、養子の代になっていた。東京へ出て仕官の方法でも講じたらと思って色々勧めてみたが応じなかった。この養子に子供が二人あって、男の方は京都へ出て同志社へ這入た。其所を卒業してから、長らく亜米利加に居ったそうだが、今では神戸で実業に従事して、相当の資産家になっている。女の方は県下の多額納税者の所へ嫁に行った。代助の細君の候補者というのはこの多額納税者の娘である。
「大変込み入ってるのね。私驚いちまった」と嫂が代助に云った。
「御父さんから何返も聞いてるじゃありませんか」
「だって、何時もは御嫁の話が出ないから、好い加減に聞いてるのよ」
「佐川にそんな娘があったのかな。僕も些っとも知らなかった」
「御貰なさいよ」
「賛成なんですか」
「賛成ですとも。因縁つきじゃありませんか」
「先祖の拵らえた因縁よりも、まだ自分の拵えた因縁で貰う方が貰い好い様だな」
「おや、そんなものがあるの」
代助は苦笑して答えなかった。
代助は今読み切ったばかりの薄い洋書を机の上に開けたまま、両肱を突いて茫乎考えた。代助の頭は最後の幕で一杯になっている。――遠くの向うに寒そうな樹が立っている後に、二つの小さな角燈が音もなく揺めいて見えた。絞首台は其所にある。刑人は暗い所に立った。木履を片足失くなした、寒いと一人が云うと、何を? と一人が聞き直した。木履を失くなして寒いと前のものが同じ事を繰り返した。Mは何処にいると誰か聞いた。此所にいると誰か答えた。樹の間に大きな、白い様な、平たいものが見える。湿っぽい風が其所から吹いて来る。海だとGが云った。しばらくすると、宣告文を書いた紙と、宣告文を持った、白い手――手套を穿めない――を角燈が照らした。読上げんでも可かろうという声がした。その声は顫えていた。やがて角燈が消えた。……もう只一人になったとKが云った。そうして溜息を吐いた。Sも死んでしまった。Wも死んでしまった。Mも死んでしまった。只一人になってしまった。……
海から日が上った。彼等は死骸を一つの車に積み込んだ。そうして引き出した。長くなった頸、飛び出した眼、唇の上に咲いた、怖ろしい花の様な血の泡に濡れた舌を積み込んで元の路へ引き返した。……
代助はアンドレーフの「七刑人」の最後の模様を、此所まで頭の中で繰り返してみて、ぞっと肩を縮めた。こう云う時に、彼が尤も痛切に感ずるのは、万一自分がこんな場に臨んだら、どうしたら宜かろうという心配である。考えると到底死ねそうもない。と云って、無理にも殺されるんだから、如何にも残酷である。彼は生の慾望と死の圧迫の間に、わが身を想像して、未練に両方に往ったり来たりする苦悶を心に描き出しながら凝と坐っていると、脊中一面の皮が毛穴ごとにむずむずして殆ど堪らなくなる。
彼の父は十七のとき、家中の一人を斬り殺して、それが為め切腹をする覚悟をしたと自分で常に人に語っている。父の考では伯父の介錯を自分がして、自分の介錯を祖父に頼む筈であったそうだが、能くそんな真似が出来るものである。父が過去を語る度に、代助は父をえらいと思うより、不愉快な人間だと思う。そうでなければ嘘吐だと思う。嘘吐の方がまだ余っ程父らしい気がする。
父ばかりではない。祖父に就ても、こんな話がある。祖父が若い時分、撃剣の同門の何とかいう男が、あまり技芸に達していた所から、他の嫉妬を受けて、ある夜縄手道を城下へ帰る途中で、誰かに斬り殺された。その時第一に馳け付けたものは祖父であった。左の手に提灯を翳して、右の手に抜身を持って、その抜身で死骸を叩きながら、軍平確かりしろ、創は浅いぞと云ったそうである。
伯父が京都で殺された時は、頭巾を着た人間にどやどやと、旅宿へ踏み込まれて、伯父は二階の廂から飛び下りる途端、庭石に爪付いて倒れる所を上から、容赦なく遣られた為に、顔が膾の様になったそうである。殺される十日程前、夜中、合羽を着て、傘に雪を除けながら、足駄がけで、四条から三条へ帰った事がある。その時旅宿の二丁程手前で、突然後から長井直記どのと呼び懸けられた。伯父は振り向きもせず、やはり傘を差したまま、旅宿の戸口まで来て、格子を開けて中へ這入た。そうして格子をぴしゃりと締めて、中から、長井直記は拙者だ。何御用か。と聞いたそうである。
代助はこんな話を聞く度に、勇ましいと云う気持よりも、まず怖い方が先に立つ。度胸を買ってやる前に、腥ぐさい臭が鼻柱を抜ける様に応える。
もし死が可能であるならば、それは発作の絶高頂に達した一瞬にあるだろうとは、代助のかねて期待する所であった。ところが、彼は決して発作性の男でない。手も顫える、足も顫える。声の顫える事や、心臓の飛び上がる事は始終ある。けれども、激する事は近来殆んどない。激すると云う心的状態は、死に近づき得る自然の階段で、激するたびに死に易くなるのは眼に見えているから、時には好奇心で、せめて、その近所まで押し寄せてみたいと思う事もあるが、全く駄目である。代助はこの頃の自己を解剖するたびに、五六年前の自己と、まるで違っているのに驚ろかずにはいられなかった。
代助は机の上の書物を伏せると立ち上がった。縁側の硝子戸を細目に開けた間から暖かい陽気な風が吹き込んで来た。そうして鉢植のアマランスの赤い弁をふらふらと揺かした。日は大きな花の上に落ちている。代助は曲んで、花の中を覗き込んだ。やがて、ひょろ長い雄蕊の頂きから、花粉を取って、雌蕊の先へ持って来て、丹念に塗り付けた。
「蟻でも付きましたか」と門野が玄関の方から出て来た。袴を穿いている。代助は曲んだまま顔を上げた。
「もう行って来たの」
「ええ、行って来ました。何だそうです。明日御引移りになるそうです。今日これから上がろうと思ってた所だと仰しゃいました」
「誰が? 平岡が?」
「ええ。――どうも何ですな。大分御忙がしい様ですな。先生た余っ程違ってますね。――蟻なら種油を御注ぎなさい。そうして苦しがって、穴から出て来る所を一々殺すんです。何なら殺しましょうか」
「蟻じゃない。こうして、天気の好い時に、花粉を取って、雌蕊へ塗り付けて置くと、今に実が結るんです。暇だから植木屋から聞いた通り、遣ってる所だ」
「なある程。どうも重宝な世の中になりましたね。――然し盆栽は好いもんだ。奇麗で、楽しみになって」
代助は面倒臭いから返事をせずに黙っていた。やがて、
「悪戯も好加減に休すかな」と云いながら立ち上がって、縁側へ据付の、籐の安楽椅子に腰を掛けた。それぎりぽかんと何か考え込んでいる。門野はつまらなくなったから、自分の玄関傍の三畳敷へ引き取った。障子を開けて這入ろうとすると、又縁側へ呼び返された。
「平岡が今日来ると云ったって」
「ええ、来る様な御話しでした」
「じゃ待っていよう」
代助は外出を見合せた。実は平岡の事がこの間から大分気に掛っている。
平岡はこの前、代助を訪問した当時、既に落ち付いていられない身分であった。彼自身の代助に語った所によると、地位の心当りが二三カ所あるから、差し当りその方面へ運動してみる積りなんだそうだが、その二三カ所が今どうなっているか、代助は殆んど知らない。代助の方から神保町の宿を訪ねた事が二返あるが、一度は留守であった。一度は居ったには居った。が、洋服を着たまま、部屋の敷居の上に立って、何か急しい調子で、細君を極め付けていた。――案内なしに廊下を伝って、平岡の部屋の横へ出た代助には、突然ながら、たしかにそう取れた。その時平岡は一寸振り向いて、やあ君かと云った。その顔にも容子にも、少しも快よさそうな所は見えなかった。部屋の内から顔を出した細君は代助を見て、蒼白い頬をぽっと赤くした。代助は何となく席に就き悪くなった。まあ這入れと申し訳に云うのを聞き流して、いや別段用じゃない。どうしているかと思って一寸来てみただけだ。出掛けるなら一所に出ようと、此方から誘う様にして表へ出てしまった。
その時平岡は、早く家を探して落ち付きたいが、あんまり忙しいんで、どうする事も出来ない、たまに宿のものが教えてくれるかと思うと、まだ人が立ち退かなかったり、あるいは今壁を塗ってる最中だったりする。などと、電車へ乗って分れるまで諸事苦情ずくめであった。代助も気の毒になって、そんなら家は、宅の書生に探させよう。なに不景気だから、大分空いてるのがある筈だ。と請合って帰った。
それから約束通り門野を探しに出した。出すや否や、門野はすぐ恰好なのを見付けて来た。門野に案内をさせて平岡夫婦に見せると、大抵可かろうと云う事で分れたそうだが、家主の方へ責任もあるし、又其所が気に入らなければ外を探す考もあるからと云うので、借りるか借りないか判然した所を、門野に、もう一遍確かめさしたのである。
「君、家主の方へは借りるって、断わって来たんだろうね」
「ええ、帰りに寄って、明日引越すからって、云って来ました」
代助は椅子に腰を掛けたまま、新らしく二度の世帯を東京に持つ、夫婦の未来を考えた。平岡は三年前新橋で分れた時とは、もう大分変っている。彼の経歴は処世の階子段を一二段で踏み外したと同じ事である。まだ高い所へ上っていなかっただけが、幸と云えば云う様なものの、世間の眼に映ずる程、身体に打撲を受けていないのみで、その実精神状態には既に狂いが出来ている。始めて逢った時、代助はすぐそう思った。けれども、三年間に起った自分の方の変化を打算してみて、或は此方の心が向うに反響を起したのではなかろうかと訂正した。が、その後平岡の旅宿へ尋ねて行って、座敷へも這入らないで一所に外へ出た時の、容子から言語動作を眼の前に浮べてみると、どうしても又最初の判断に戻らなければならなくなった。平岡はその時顔の中心に一種の神経を寄せていた。風が吹いても、砂が飛んでも、強い刺激を受けそうな眉と眉の継目を、憚ず、ぴくつかせていた。そうして、口にする事が、内容の如何に関わらず、如何にも急しなく、かつ切なそうに、代助の耳に響いた。代助には、平岡の凡てが、あたかも肺の強くない人の、重苦しい葛湯の中を片息で泳いでいる様に取れた。
「あんなに、焦って」と、電車へ乗って飛んで行く平岡の姿を見送った代助は、口の内でつぶやいた。そうして旅宿に残されている細君の事を考えた。
代助はこの細君を捕まえて、かつて奥さんと云った事がない。何時でも三千代さん三千代さんと、結婚しない前の通りに、本名を呼んでいる。代助は平岡に分れてから又引き返して、旅宿へ行って、三千代さんに逢って話しをしようかと思った。けれども、何だか行けなかった。足を停めて思案しても、今の自分には、行くのが悪いと云う意味はちっとも見出せなかった。けれども、気が咎めて行かれなかった。勇気を出せば行かれると思った。ただ代助にはこれだけの勇気を出すのが苦痛であった。それで家へ帰った。その代り帰っても、落ち付かない様な、物足らない様な、妙な心持がした。ので、又外へ出て酒を飲んだ。代助は酒をいくらでも飲む男である。ことにその晩はしたたかに飲んだ。
「あの時は、どうかしていたんだ」と代助は椅子に倚りながら、比較的冷やかな自己で、自己の影を批判した。
「何か御用ですか」と門野が又出て来た。袴を脱いで、足袋を脱いで、団子の様な素足を出している。代助は黙って門野の顔を見た。門野も代助の顔を見て、一寸の間突立っていた。
「おや、御呼になったんじゃないのですか。おや、おや」と云って引込んで行った。代助は別段可笑しいとも思わなかった。
「小母さん、御呼びになったんじゃないとさ。どうも変だと思った。だから手も何も鳴らないって云うのに」という言葉が茶の間の方で聞えた。それから門野と婆さんの笑う声がした。
その時、待ち設けている御客が来た。取次に出た門野は意外な顔をして這入って来た。そうして、その顔を代助の傍まで持って来て、先生、奥さんですと囁やく様に云った。代助は黙って椅子を離れて座敷へ這入った。
平岡の細君は、色の白い割に髪の黒い、細面に眉毛の判然映る女である。一寸見ると何所となく淋しい感じの起る所が、古版の浮世絵に似ている。帰京後は色光沢がことに可くないようだ。始めて旅宿で逢った時、代助は少し驚いた位である。汽車で長く揺られた疲れが、まだ回復しないのかと思って、聞いてみたら、そうじゃない、始終こうなんだと云われた時は、気の毒になった。
三千代は東京を出て一年目に産をした。生れた子供はじき死んだが、それから心臓を痛めたと見えて、とかく具合がわるい。始めのうちは、ただ、ぶらぶらしていたが、どうしても、はかばかしく癒らないので、仕舞に医者に見て貰ったら、能くは分らないが、ことに依ると何とかいうむずかしい名の心臓病かも知れないと云った。もしそうだとすれば、心臓から動脈へ出る血が、少しずつ、後戻りをする難症だから、根治は覚束ないと宣告されたので、平岡も驚ろいて、出来るだけ養生に手を尽した所為か、一年ばかりするうちに、好い案排に、元気がめっきりよくなった。色光沢も殆んど元の様に冴々して見える日が多いので、当人も喜こんでいると、帰る一カ月ばかり前から、又血色が悪くなり出した。然し医者の話によると、今度のは心臓の為ではない。心臓は、それ程丈夫にもならないが、決して前よりは悪くなっていない。弁の作用に故障があるものとは、今は決して認められないという診断であった。――これは三千代が直に代助に話した所である。代助はその時三千代の顔を見て、やっぱり何か心配の為じゃないかしらと思った。
三千代は美くしい線を奇麗に重ねた鮮かな二重瞼を持っている。眼の恰好は細長い方であるが、瞳を据えて凝と物を見るときに、それが何かの具合で大変大きく見える。代助はこれを黒眼の働らきと判断していた。三千代が細君にならない前、代助はよく、三千代のこう云う眼遣を見た。そうして今でも善く覚えている。三千代の顔を頭の中に浮べようとすると、顔の輪廓が、まだ出来上らないうちに、この黒い、湿んだ様に暈された眼が、ぽっと出て来る。
廊下伝いに座敷へ案内された三千代は今代助の前に腰を掛けた。そうして奇麗な手を膝の上に畳ねた。下にした手にも指輪を穿めている。上にした手にも指輪を穿めている。上のは細い金の枠に比較的大きな真珠を盛った当世風のもので、三年前結婚の御祝として代助から贈られたものである。
三千代は顔を上げた。代助は、突然例の眼を認めて、思わず瞬を一つした。
汽車で着いた明日平岡と一所に来る筈であったけれども、つい気分が悪いので、来損なってしまって、それからは一人でなくっては来る機会がないので、つい出ずにいたが、今日は丁度、と云いかけて、句を切って、それから急に思い出した様に、この間来てくれた時は、平岡が出掛際だったものだから、大変失礼して済まなかったという様な詫をして、
「待っていらっしゃれば可かったのに」と女らしく愛想をつけ加えた。けれどもその調子は沈んでいた。尤もこれはこの女の持調子で、代助は却ってその昔を憶い出した。
「だって、大変忙しそうだったから」
「ええ、忙しい事は忙しいんですけれども――好いじゃありませんか。居らしったって。あんまり他人行儀ですわ」
代助は、あの時、夫婦の間に何があったか聞いてみようと思ったけれども、まず已めにした。例なら調戯半分に、あなたは何か叱られて、顔を赤くしていましたね、どんな悪い事をしたんですか位言いかねない間柄なのであるが、代助には三千代の愛嬌が、後からその場を取り繕う様に、いたましく聞えたので、冗談を云い募る元気も一寸出なかった。
代助は烟草へ火を点けて、吸口を啣えたまま、椅子の脊に頭を持たせて、寛ろいだ様に、
「久し振りだから、何か御馳走しましょうか」と聞いた。そうして心のうちで、自分のこう云う態度が、幾分かこの女の慰藉になる様に感じた。三千代は、
「今日は沢山。そう緩りしちゃいられないの」と云って、昔の金歯を一寸見せた。
「まあ、可いでしょう」
代助は両手を頭の後へ持って行って、指と指を組み合せて三千代を見た。三千代はこごんで帯の間から小さな時計を出した。代助が真珠の指輪をこの女に贈ものにする時、平岡はこの時計を妻に買って遣ったのである。代助は、一つ店で別々の品物を買った後、平岡と連れ立って其所の敷居を跨ぎながら互に顔を見合せて笑った事を記憶している。
「おや、もう三時過ぎね。まだ二時位かと思ってたら。――少し寄り道をしていたものだから」と独り言の様に説明を加えた。
「そんなに急ぐんですか」
「ええ、なりたけ早く帰りたいの」
代助は頭から手を放して、烟草の灰をはたき落した。
「三年のうちに大分世帯染ちまった。仕方がない」
代助は笑ってこう云った。けれどもその調子には何処かに苦い所があった。
「あら、だって、明日引越すんじゃありませんか」
三千代の声は、この時急に生々と聞えた。代助は引越の事をまるで忘れていたが、相手の快よさそうな調子に釣り込まれて、此方からも他愛なく追窮した。
「じゃ引越してから緩くり来れば可いのに」
「でも」と云った三千代は少し挨拶に困った色を、額の所へあらわして、一寸下を見たが、やがて頬を上げた。それが薄赤く染まっていた。
「実は私少し御願があって上がったの」
疳の鋭どい代助は、三千代の言葉を聞くや否や、すぐその用事の何であるかを悟った。実は平岡が東京へ着いた時から、いつかこの問題に出逢う事だろうと思って、半意識の下で覚悟していたのである。
「何ですか、遠慮なく仰しゃい」
「少し御金の工面が出来なくって?」
三千代の言葉はまるで子供の様に無邪気であるけれども、両方の頬はやっぱり赤くなっている。代助は、この女にこんな気耻ずかしい思いをさせる、平岡の今の境遇を、甚だ気の毒に思った。
段々聞いてみると、明日引越をする費用や、新しく世帯を持つ為めの金が入用なのではなかった。支店の方を引き上げる時、向うへ置き去りにして来た借金が三口とかあるうちで、その一口を是非片付けなくてはならないのだそうである。東京へ着いたら一週間うちに、どうでもすると云う堅い約束をして来た上に、少し訳があって、他の様に放って置けない性質のものだから、平岡も着いた明日から心配して、所々奔走しているけれども、まだ出来そうな様子が見えないので、已を得ず三千代に云い付けて代助の所に頼みに寄したと云う事が分った。
「支店長から借りたと云う奴ですか」
「いいえ。その方は何時まで延ばして置いても構わないんですが、此方の方をどうかしないと困るのよ。東京で運動する方に響いて来るんだから」
代助はなるほどそんな事があるのかと思った。金高を聞くと五百円と少しばかりである。代助はなんだその位と腹の中で考えたが、実際自分は一文もない。代助は、自分が金に不自由しない様でいて、その実大いに不自由している男だと気が付いた。
「何でまた、そんなに借金をしたんですか」
「だから私考えると厭になるのよ。私も病気をしたので、悪いには悪いけれども」
「病気の時の費用なんですか」
「じゃないのよ。薬代なんか知れたもんですわ」
三千代はそれ以上を語らなかった。代助もそれ以上を聞く勇気がなかった。ただ蒼白い三千代の顔を眺めて、その中に、漠然たる未来の不安を感じた。
翌日朝早く門野は荷車を三台雇って、新橋の停車場まで平岡の荷物を受取りに行った。実は疾うから着いていたのだけれども、宅がまだ極らないので、今日までそのままにしてあったのである。往復の時間と、向うで荷物を積み込む時間を勘定してみると、どうしても半日仕事である。早く行かなけりゃ、間に合わないよと代助は寐床を出るとすぐ注意した。門野は例の調子で、なに訳はありませんと答えた。この男は、時間の考などは、あまりない方だから、こう簡便な返事が出来たんだが、代助から説明を聞いて始めてなるほどと云う顔をした。それから荷物を平岡の宅へ届けた上に、万事奇麗に片付くまで手伝をするんだと云われた時は、ええ承知しました、なに大丈夫ですと気軽に引き受けて出て行った。
それから十一時過まで代助は読書していた。が不図ダヌンチオと云う人が、自分の家の部屋を、青色と赤色に分って装飾していると云う話を思い出した。ダヌンチオの主意は、生活の二大情調の発現は、この二色に外ならんと云う点に存するらしい。だから何でも興奮を要する部屋、即ち音楽室とか書斎とか云うものは、なるべく赤く塗り立てる。又寝室とか、休息室とか、凡て精神の安静を要する所は青に近い色で飾り付をする。と云うのが、心理学者の説を応用した、詩人の好奇心の満足と見える。
代助は何故ダヌンチオの様な刺激を受け易い人に、奮興色とも見傚し得べき程強烈な赤の必要があるだろうと不思議に感じた。代助自身は稲荷の鳥居を見ても余り好い心持はしない。出来得るならば、自分の頭だけでも可いから、緑のなかに漂わして安らかに眠りたい位である。いつかの展覧会に青木と云う人が海の底に立っている脊の高い女を画いた。代助は多くの出品のうちで、あれだけが好い気持に出来ていると思った。つまり、自分もああ云う沈んだ落ち付いた情調に居りたかったからである。
代助は縁側へ出て、庭から先にはびこる一面の青いものを見た。花はいつしか散って、今は新芽若葉の初期である。はなやかな緑がぱっと顔に吹き付けた様な心持ちがした。眼を醒す刺激の底に何所か沈んだ調子のあるのを嬉しく思いながら、鳥打帽を被って、銘仙の不断着のまま門を出た。
平岡の新宅へ来て見ると、門が開いて、がらんとしているだけで、荷物の着いた様子もなければ、平岡夫婦の来ている気色も見えない。ただ車夫体の男が一人縁側に腰を懸けて烟草を呑んでいた。聞いてみると、先刻一返御出になりましたが、この案排じゃ、どうせ午過だろうって又御帰りになりましたという答である。
「旦那と奥さんと一所に来たかい」
「ええ御一所です」
「そうして一所に帰ったかい」
「ええ御一所に御帰りになりました」
「荷物もそのうち着くだろう。御苦労さま」と云って、又通りへ出た。
神田へ来たが、平岡の旅宿へ寄る気はしなかった。けれども二人の事が何だか気に掛る。ことに細君の事が気に掛る。ので一寸顔を出した。夫婦は膳を並べて飯を食っていた。下女が盆を持って、敷居に尻を向けている。その後から、声を懸けた。
平岡は驚ろいた様に代助を見た。その眼が血ばしっている。二三日能く眠らない所為だと云う。三千代は仰山なものの云い方だと云って笑った。代助は気の毒にも思ったが、又安心もした。留めるのを外へ出て、飯を食って、髪を刈って、九段の上へ一寸寄って、又帰りに新宅へ行ってみた。三千代は手拭を姉さん被りにして、友禅の長襦袢をさらりと出して、襷がけで荷物の世話を焼いていた。旅宿で世話をしてくれたと云う下女も来ている。平岡は縁側で行李の紐を解いていたが、代助を見て、笑いながら、少し手伝わないかと云った。門野は袴を脱いで、尻を端折って、重ね箪笥を車夫と一所に座敷へ抱え込みながら、先生どうです、この服装は、笑っちゃ不可ませんよと云った。
翌日、代助が朝食の膳に向って、例の如く紅茶を呑んでいると、門野が、洗い立ての顔を光らして茶の間へ這入って来た。
「昨夕は何時御帰りでした。つい疲れちまって、仮寐をしていたものだから、些とも気が付きませんでした。――寐ている所を御覧になったんですか、先生も随分人が悪いな。全体何時頃なんです、御帰りになったのは。それまで何所へ行っていらしった」と平生の調子で苦もなく饒舌立てた。代助は真面目で、
「君、すっかり片付まで居てくれたんでしょうね」と聞いた。
「ええ、すっかり片付けちまいました。その代り、どうも骨が折れましたぜ。何しろ、我々の引越と違って、大きな物が色々あるんだから。奥さんが座敷の真中へ立って、茫然、こう周囲を見回していた様子ったら、――随分可笑なもんでした」
「少し身体の具合が悪いんだからね」
「どうもそうらしいですね。色が何だか可くないと思った。平岡さんとは大違いだ。あの人の体格は好いですね。昨夕一所に湯に入って驚ろいた」
代助はやがて書斎へ帰って、手紙を二三本書いた。一本は朝鮮の統監府に居る友人宛で、先達て送ってくれた高麗焼の礼状である。一本は仏蘭西に居る姉婿宛で、タナグラの安いのを見付けてくれという依頼である。
昼過散歩の出掛けに、門野の室を覗いたら又引繰り返って、ぐうぐう寐ていた。代助は門野の無邪気な鼻の穴を見て羨ましくなった。実を云うと、自分は昨夕寐つかれないで大変難義したのである。例に依って、枕の傍へ置いた袂時計が、大変大きな音を出す。それが気になったので、手を延ばして、時計を枕の下へ押し込んだ。けれども音は依然として頭の中へ響いて来る。その音を聞きながら、つい、うとうとする間に、凡ての外の意識は、全く暗窖の裡に降下した。が、ただ独り夜を縫うミシンの針だけが刻み足に頭の中を断えず通っていた事を自覚していた。ところがその音が何時かりんりんという虫の音に変って、奇麗な玄関の傍の植込みの奥で鳴いている様になった。――代助は昨夕の夢を此所まで辿って来て、睡眠と覚醒との間を繋ぐ一種の糸を発見した様な心持がした。
代助は、何事によらず一度気にかかり出すと、何処までも気にかかる男であった。しかも自分でその馬鹿気さ加減の程度を明らかに見積るだけの脳力があるので、自分の気にかかり方が猶眼に付いてならない事があった。三四年前、平生の自分が如何にして夢に入るかと云う問題を解決しようと試みた事があった。夜、蒲団へ這入って、好い案排にうとうとし掛けると、ああ此所だ、こうして眠るんだなと思ってはっとする。すると、その瞬間に眼が冴えてしまう。しばらくして、又眠りかけると、又、そら此所だと思う。代助は殆んど毎晩の様にこの好奇心に苦しめられて、同じ事を二遍も三遍も繰り返した。仕舞には自分ながら辟易した。どうかして、この苦痛を逃れようと思った。のみならず、つくづく自分は愚物であると考えた。自分の不明瞭な意識を、自分の明瞭な意識に訴えて、同時に回顧しようとするのは、ジェームスの云った通り、暗闇を検査する為に蝋燭を点したり、独楽の運動を吟味する為に独楽を抑える様なもので、生涯寐られっこない訳になる。と解っているが晩になると又はっと思う。
この困難は約一年ばかりで何時の間にか漸く遠退いた。代助は昨夕の夢とこの困難とを比較してみて、妙に感じた。正気の自己の一部分を切り放して、そのままの姿として、知らぬ間に夢の中へ譲り渡す方が趣があると思ったからである。同時に、この作用は気狂になる時の状態と似ていはせぬかと考え付いた。代助は今まで、自分は激昂しないから気狂にはなれないと信じていたのである。
それから二三日は、代助も門野も平岡の消息を聞かずに過ごした。四日目の午過に代助は麻布のある家へ園遊会に呼ばれて行った。御客は男女を合せて、大分来たが、正賓と云うのは、英国の国会議員とか実業家とかいう、無暗に脊の高い男と、それから鼻眼鏡をかけたその細君とであった。これは中々の美人で、日本などへ来るには勿体ない位な容色だが、何処で買ったものか、岐阜出来の絵日傘を得意に差していた。
尤もその日は大変な好い天気で、広い芝生の上にフロックで立っていると、もう夏が来たという感じが、肩から脊中へ掛けて著るしく起った位、空が真蒼に透き通っていた。英国の紳士は顔をしかめて空を見て、実に美くしいと云った。すると細君がすぐ、ラッヴレイと答えた。非常に疳の高い声で尤も力を入れた挨拶の仕様であったので、代助は英国の御世辞は、また格別のものだと思った。
代助も二言三言この細君から話しかけられた。が三分と経たないうちに、遣り切れなくなって、すぐ退却した。あとは、日本服を着て、わざと島田に結った令嬢と、長らく紐育で商業に従事していたと云う某が引き受けた。この某は英語を喋舌る天才を以て自から任ずる男で、欠かさず英語会へ出席して、日本人と英語の会話を遣って、それから英語で卓上演説をするのを、何よりの楽みにしている。何か云っては、あとでさも可笑しそうに、げらげら笑う癖がある。英国人が時によると怪訝な顔をしている。代助はあれだけは已めたら可かろうと思った。令嬢も中々旨い。これは米国婦人を家庭教師に雇って、英語を使う事を研究した、ある物持ちの娘である。代助は、顔より言葉の方が達者だと考えながら、つくづく感心して聞いていた。
代助が此所へ呼ばれたのは、個人的に此所の主人や、この英国人夫婦に関係があるからではない。全く自分の父と兄との社交的勢力の余波で、招待状が廻って来たのである。だから、万遍なく方々へ行って、好い加減に頭を下げて、ぶらぶらしていた。その中に兄も居た。
「やあ、来たな」と云ったまま、帽子に手も掛けない。
「どうも、好い天気ですね」
「ああ。結構だ」
代助も脊の低い方ではないが、兄は一層高く出来ている。その上この五六年来次第に肥満して来たので、中々立派に見える。
「どうです、彼方へ行って、ちと外国人と話でもしちゃ」
「いや、真平だ」と云って兄は苦笑いをした。そうして大きな腹にぶら下がっている金鎖を指の先で弄った。
「どうも外国人は調子が可いですね。少し可すぎる位だ。ああ賞められると、天気の方でも是非好くならなくっちゃならなくなる」
「そんなに天気を賞めていたのかい。へえ。少し暑過ぎるじゃないか」
「私にも暑過ぎる」
誠吾と代助は申し合せた様に、白い手巾を出して額を拭いた。両人共重い絹帽を被っている。
兄弟は芝生の外れの木蔭まで来て留った。近所には誰もいない。向うの方で余興か何か始まっている。それを、誠吾は、宅にいると同じ様な顔をして、遠くから眺めた。
「兄の様になると、宅にいても、客に来ても同じ心持ちなんだろう。こう世の中に慣れ切ってしまっても、楽しみがなくって、つまらないものだろう」と思いながら代助は誠吾の様子を見ていた。
「今日は御父さんはどうしました」
「御父さんは詩の会だ」
誠吾は相変らず普通の顔で答えたが、代助の方は多少可笑しかった。
「姉さんは」
「御客の接待掛りだ」
また嫂が後で不平を云う事だろうと考えると、代助は又可笑しくなった。
代助は、誠吾の始終忙しがっている様子を知っている。又その忙しさの過半は、こう云う会合から出来上がっているという事実も心得ている。そうして、別に厭な顔もせず、一口の不平も零さず、不規則に酒を飲んだり、物を食ったり、女を相手にしたり、していながら、何時見ても疲れた態もなく、噪ぐ気色もなく、物外に平然として、年々肥満してくる技倆に敬服している。
誠吾が待合へ這入ったり、料理茶屋へ上ったり、晩餐に出たり、午餐に呼ばれたり、倶楽部に行ったり、新橋に人を送ったり、横浜に人を迎えたり、大磯へ御機嫌伺いに行ったり、朝から晩まで多勢の集まる所へ顔を出して、得意にも見えなければ、失意にも思われない様子は、こう云う生活に慣れ抜いて、海月が海に漂いながら、塩水を辛く感じ得ない様なものだろうと代助は考えている。
其所が代助には難有い。と云うのは、誠吾は父と異って、甞て小むずかしい説法などを代助に向って遣った事がない。主義だとか、主張だとか、人生観だとか云う窮屈なものは、てんで、これっぱかりも口にしないんだから、有んだか、無いんだか、殆んど要領を得ない。その代り、この窮屈な主義だとか、主張だとか、人生観だとかいうものを積極的に打ち壊して懸った試もない。実に平凡で好い。
だが面白くはない。話し相手としては、兄よりも嫂の方が、代助に取って遥かに興味がある。兄に逢うときっとどうだいと云う。以太利に地震があったじゃないかと云う。土耳其の天子が廃されたじゃないかと云う。その外、向う島の花はもう駄目になった、横浜にある外国船の船底に大蛇が飼ってあった、誰が鉄道で轢かれた、じゃないかと云う。みんな新聞に出た事ばかりである。その代り、当らず障らずの材料はいくらでも持っている。いつまで経っても種が尽きる様子が見えない。
そうかと思うと。時にトルストイと云う人は、もう死んだのかねなどと妙な事を聞く事がある。今日本の小説家では誰が一番偉いのかねと聞く事もある。要するに文芸にはまるで無頓着でかつ驚ろくべき無識であるが、尊敬と軽蔑以上に立って平気で聞くんだから、代助も返事がし易い。
こう云う兄と差し向いで話をしていると、刺激の乏しい代りには、灰汁がなくって、気楽で好い。ただ朝から晩まで出歩いているから滅多に捕まえる事が出来ない。嫂でも、誠太郎でも、縫子でも、兄が終日宅に居て、三度の食事を家族と共に欠かさず食うと、却って珍らしがる位である。
だから木蔭に立って、兄と肩を比べた時、代助は丁度好い機会だと思った。
「兄さん、貴方に少し話があるんだが。何時か暇はありませんか」
「暇」と繰り返した誠吾は、何にも説明せずに笑って見せた。
「明日の朝はどうです」
「明日の朝は浜まで行って来なくっちゃならない」
「午からは」
「午からは、会社の方に居る事はいるが、少し相談があるから、来ても緩くり話しちゃいられない」
「じゃ晩なら宜かろう」
「晩は帝国ホテルだ。あの西洋人夫婦を明日の晩帝国ホテルへ呼ぶ事になってるから駄目だ」
代助は口を尖がらかして、兄を凝と見た。そうして二人で笑い出した。
「そんなに急ぐなら、今日じゃ、どうだ。今日なら可い。久し振りで一所に飯でも食おうか」
代助は賛成した。ところが倶楽部へでも行くかと思いの外、誠吾は鰻が可かろうと云い出した。
「絹帽で鰻屋へ行くのは始めてだな」と代助は逡巡した。
「何構うものか」
二人は園遊会を辞して、車に乗って、金杉橋の袂にある鰻屋へ上った。
其所は河が流れて、柳があって、古風な家であった。黒くなった床柱の傍の違い棚に、絹帽を引繰返しに、二つ並べて置いて見て、代助は妙だなと云った。然し明け放した二階の間に、たった二人で胡坐をかいているのは、園遊会より却て楽であった。
二人は好い心持に酒を飲んだ。兄は飲んで、食って、世間話をすればその外に用はないと云う態度であった。代助も、うっかりすると、肝心の事件を忘れそうな勢であった。が下女が三本目の銚子を置いて行った時に、始めて用談に取り掛った。代助の用談と云うのは、言うまでもなく、この間三千代から頼まれた金策の件である。
実を云うと、代助は今日までまだ誠吾に無心を云った事がない。尤も学校を出た時少々芸者買をし過ぎて、その尻を兄になすり付けた覚はある。その時兄は叱るかと思いの外、そうか、困り者だな、親爺には内々で置けと云って嫂を通して、奇麗に借金を払ってくれた。そうして代助には一口の小言も云わなかった。代助はその時から、兄に恐縮してしまった。その後小遣に困る事はよくあるが、困るたんびに嫂を痛めて事を済ましていた。従ってこう云う事件に関して兄との交渉は、まあ初対面の様なものである。
代助から見ると、誠吾は蔓のない薬缶と同じことで、何処から手を出して好いか分らない。然しそこが代助には興味があった。
代助は世間話の体にして、平岡夫婦の経歴をそろそろ話し始めた。誠吾は面倒な顔色もせず、へえへえと拍子を取る様に、飲みながら、聞いている。段々進んで三千代が金を借りに来た一段になっても、やっぱりへえへえと合槌を打つだけである。代助は、仕方なしに、
「で、私も気の毒だから、どうにか心配してみようって受合ったんですがね」と云った。
「へえ。そうかい」
「どうでしょう」
「御前金が出来るのかい」
「私ゃ一文も出来やしません。借りるんです」
「誰から」
代助は始めから此所へ落す積りだったんだから、判然した調子で、
「貴方から借りて置こうと思うんです」と云って、改めて誠吾の顔を見た。兄はやっぱり普通の顔をしていた。そうして、平気に、
「そりゃ、御廃しよ」と答えた。
誠吾の理由を聞いてみると、義理や人情に関係がないばかりではない、返す返さないと云う損得にも関係がなかった。ただ、そんな場合には放って置けば自からどうかなるもんだと云う単純な断定であった。
誠吾はこの断定を証明する為めに、色々な例を挙げた。誠吾の門内に藤野と云う男が長屋を借りて住んでいる。その藤野が近頃遠縁のものの息子を頼まれて宅へ置いた。ところがその子が徴兵検査で急に国へ帰らなければならなくなったが、前以て国から送ってある学資も旅費も藤野が使い込んでいると云うので、一時の繰り合せを頼みに来た事がある。無論誠吾が直に逢ったのではないが、妻に云い付けて断らした。それでもその子は期日までに国へ帰って差支なく検査を済ましている。それからこの藤野の親類の何とか云う男は、自分の持っている貸家の敷金を、つい使ってしまって、借家人が明日引越すという間際になっても、まだ調達が出来ないとか云って、やっぱり藤野から泣き付いて来た事がある。然しこれも断らした。それでも別に不都合はなく敷金は返せている。――まだその外にもあったが、まあこんな種類の例ばかりであった。
「そりゃ、姉さんが蔭へ廻って恵んでいるに違ない。ハハハハ。兄さんも余っ程呑気だなあ」と代助は大きな声を出して笑った。
「何、そんな事があるものか」
誠吾はやはり当り前の顔をしていた。そうして前にある猪口を取って口へ持って行った。
その日誠吾は中々金を貸して遣ろうと云わなかった。代助も三千代が気の毒だとか、可哀想だとか云う泣言は、なるべく避ける様にした。自分が三千代に対してこそ、そう云う心持もあるが、何も知らない兄を、其所まで連れて行くのには一通りでは駄目だと思うし、と云って、無暗にセンチメンタルな文句を口にすれば、兄には馬鹿にされる、ばかりではない、かねて自分を愚弄する様な気がするので、やっぱり平生の代助の通り、のらくらした所を、彼方へ行ったり此方へ来たりして、飲んでいた。飲みながらも、親爺の所謂熱誠が足りないとは、此所の事だなと考えた。けれども、代助は泣いて人を動かそうとする程、低級趣味のものではないと自信している。凡そ何が気障だって、思わせ振りの、涙や、煩悶や、真面目や、熱誠ほど気障なものはないと自覚している。兄にはその辺の消息がよく解っている。だからこの手で遣り損ないでもしようものなら、生涯自分の価値を落す事になる。と気が付いていた。
代助は飲むに従って、段々金を遠ざかって来た。ただ互が差し向いであるが為めに、旨く飲めたと云う自覚を、互に持ち得る様な話をした。が茶漬を食う段になって、思い出した様に、金は借りなくっても好いから、平岡を何処か使って遣ってくれないかと頼んだ。
「いや、そう云う人間は御免蒙る。のみならずこの不景気じゃ仕様がない」と云って誠吾はさくさく飯を掻き込んでいた。
明日眼が覚めた時、代助は床の中でまず第一番にこう考えた。
「兄を動かすのは、同じ仲間の実業家でなくっちゃ駄目だ。単に兄弟の好だけではどうする事も出来ない」
こう考えた様なものの、別に兄を不人情と思う気は起らなかった。寧ろその方が当然であると悟った。この兄が自分の放蕩費を苦情も云わずに弁償してくれた事があるんだから可笑しい。そんなら自分が今ここで平岡の為に判を押して、連借でもしたら、どうするだろう。やっぱりあの時の様に奇麗に片付けてくれるだろうか。兄は其所まで考えていて、断わったんだろうか。或は自分がそんな無理な事はしないものと初から安心して貸さないのかしらん。
代助自身の今の傾向から云うと、到底人の為に判なぞを押しそうにもない。自分もそう思っている。けれども、兄が其所を見抜いて金を貸さないとすると、一寸意外な連帯をして、兄がどんな態度に変るか、試験してみたくもある。――其所まで来て、代助は自分ながら、あんまり性質が能くないなと心のうちで苦笑した。
けれども、唯一つ慥な事がある。平岡は早晩借用証書を携えて、自分の判を取りにくるに違ない。
こう考えながら、代助は床を出た。門野は茶の間で、胡坐をかいて新聞を読んでいたが、髪を濡らして湯殿から帰って来る代助を見るや否や、急に坐三昧を直して、新聞を畳んで坐蒲団の傍へ押し遣りながら、
「どうも『煤烟』は大変な事になりましたな」と大きな声で云った。
「君読んでるんですか」
「ええ、毎朝読んでます」
「面白いですか」
「面白い様ですな。どうも」
「どんな所が」
「どんな所がって、そう改たまって聞かれちゃ困りますが。何じゃありませんか、一体に、こう、現代的の不安が出ている様じゃありませんか」
「そうして、肉の臭いがしやしないか」
「しますな。大いに」
代助は黙ってしまった。
紅茶茶碗を持った儘、書斎へ引き取って、椅子へ腰を懸けて、茫然庭を眺めていると、瘤だらけの柘榴の枯枝と、灰色の幹の根方に、暗緑と暗紅を混ぜ合わした様な若い芽が、一面に吹き出している。代助の眼にはそれがぱっと映じただけで、すぐ刺激を失ってしまった。
代助の頭には今具体的な何物をも留めていなかった。あたかも戸外の天気の様に、それが静かに凝と働らいていた。が、その底には微塵の如き本体の分らぬものが無数に押し合っていた。乾酪の中で、いくら虫が動いても、乾酪が元の位置にある間は、気が付かないと同じ事で、代助もこの微震には殆んど自覚を有していなかった。ただ、それが生理的に反射して来る度に、椅子の上で、少しずつ身体の位置を変えなければならなかった。
代助は近頃流行語の様に人が使う、現代的とか不安とか云う言葉を、あまり口にした事がない。それは、自分が現代的であるのは、云わずと知れていると考えたのと、もう一つは、現代的であるがために、必ずしも、不安になる必要がないと、自分だけで信じていたからである。
代助は露西亜文学に出て来る不安を、天候の具合と、政治の圧迫で解釈していた。仏蘭西文学に出てくる不安を、有夫姦の多いためと見ていた。ダヌンチオによって代表される以太利文学の不安を、無制限の堕落から出る自己欠損の感と判断していた。だから日本の文学者が、好んで不安と云う側からのみ社会を描き出すのを、舶来の唐物の様に見傚した。
理智的に物を疑う方の不安は、学校時代に、有ったにはあったが、ある所まで進行して、ぴたりと留って、それから逆戻りをしてしまった。丁度天へ向って石を抛げた様なものである。代助は今では、なまじい石などを抛げなければ可かったと思っている。禅坊さんの所謂大疑現前などと云う境界は、代助のまだ踏み込んだ事のない未知国であった。代助は、そう真率性急に万事を疑うには、あまりに利口に生れ過ぎた男であった。
代助は門野の賞めた「煤烟」を読んでいる。今日は紅茶茶碗の傍に新聞を置いたなり、開けて見る気にならない。ダヌンチオの主人公は、みんな金に不自由のない男だから、贅沢の結果ああ云う悪戯をしても無理とは思えないが、「煤烟」の主人公に至っては、そんな余地のない程に貧しい人である。それを彼所まで押して行くには、全く情愛の力でなくっちゃ出来る筈のものでない。ところが、要吉という人物にも、朋子という女にも、誠の愛で、已むなく社会の外に押し流されて行く様子が見えない。彼等を動かす内面の力は何であろうと考えると、代助は不審である。ああいう境遇に居て、ああ云う事を断行し得る主人公は、恐らく不安じゃあるまい。これを断行するに躊躇する自分の方にこそ寧ろ不安の分子があって然るべき筈だ。代助は独りで考えるたびに、自分は特殊人だと思う。けれども要吉の特殊人たるに至っては、自分より遥かに上手であると承認した。それでこの間までは好奇心に駆られて「煤烟」を読んでいたが、昨今になって、あまりに、自分と要吉の間に懸隔がある様に思われ出したので、眼を通さない事がよくある。
代助は椅子の上で、時々身を動かした。そうして、自分では飽くまで落ち付いていると思っていた。やがて、紅茶を呑んでしまって、例の通り読書に取りかかった。約二時間ばかりは故障なく進行したが、ある頁の中頃まで来て急に休めて頬杖を突いた。そうして、傍にあった新聞を取って、「煤烟」を読んだ。呼吸の合わない事は同じ事である。それから外の雑報を読んだ。大隈伯が高等商業の紛擾に関して、大いに騒動しつつある生徒側の味方をしている。それが中々強い言葉で出ている。代助はこう云う記事を読むと、これは大隈伯が早稲田へ生徒を呼び寄せる為の方便だと解釈する。代助は新聞を放り出した。
午過になってから、代助は自分が落ち付いていないと云う事を、漸く自覚し出した。腹のなかに小さな皺が無数に出来て、その皺が絶えず、相互の位地と、形状とを変えて、一面に揺いている様な気持がする。代助は時々こう云う情調の支配を受ける事がある。そうして、この種の経験を、今日まで、単なる生理上の現象としてのみ取り扱っておった。代助は昨日兄と一所に鰻を食ったのを少し後悔した。散歩がてらに、平岡の所へ行ってみようかと思い出したが、散歩が目的か、平岡が目的か、自分には判然たる区別がなかった。婆さんに着物を出さして、着換えようとしている所へ、甥の誠太郎が来た。帽子を手に持ったまま、恰好の好い円い頭を、代助の前へ出して、腰を掛けた。
「もう学校は引けたのかい。早過ぎるじゃないか」
「ちっとも早かない」と云って、笑いながら、代助の顔を見ている。代助は手を敲いて婆さんを呼んで、
「誠太郎、チョコレートを飲むかい」と聞いた。
「飲む」
代助はチョコレートを二杯命じて置いて誠太郎に調戯だした。
「誠太郎、御前はベースボールばかり遣るもんだから、この頃手が大変大きくなったよ。頭より手の方が大きいよ」
誠太郎はにこにこして、右の手で、円い頭をぐるぐる撫でた。実際大きな手を持っている。
「叔父さんは、昨日御父さんから奢って貰ったんですってね」
「ああ、御馳走になったよ。御蔭で今日は腹具合が悪くって不可ない」
「又神経だ」
「神経じゃない本当だよ。全たく兄さんの所為だ」
「だって御父さんはそう云ってましたよ」
「何て」
「明日学校の帰りに代助の所へ廻って何か御馳走して貰えって」
「へええ、昨日の御礼にかい」
「ええ、今日は己が奢ったから、明日は向うの番だって」
「それで、わざわざ遣って来たのかい」
「ええ」
「兄の子だけあって、中々抜けないな。だから今チョコレートを飲まして遣るから好いじゃないか」
「チョコレートなんぞ」
「飲まないかい」
「飲む事は飲むけれども」
誠太郎の注文を能く聞いてみると、相撲が始まったら、回向院へ連れて行って、正面の最上等の所で見物させろというのであった。代助は快よく引き受けた。すると誠太郎は嬉しそうな顔をして、突然、
「叔父さんはのらくらしているけれども実際偉いんですってね」と云った。代助もこれには一寸呆れた。仕方なしに、
「偉いのは知れ切ってるじゃないか」と答えた。
「だって、僕は昨夕始めて御父さんから聞いたんですもの」と云う弁解があった。
誠太郎の云う所によると、昨夕兄が宅へ帰ってから、父と嫂と三人して、代助の合評をしたらしい。子供のいう事だから、能く分らないが、比較的頭が可いので、能く断片的にその時の言葉を覚えている。父は代助を、どうも見込がなさそうだと評したのだそうだ。兄はこれに対して、ああ遣っていても、あれで中々解った所がある。当分放って置くが可い。放って置いても大丈夫だ、間違はない。いずれその内に何か遣るだろうと弁護したのだそうだ。すると嫂がそれに賛成して、一週間ばかり前占者に見てもらったら、この人はきっと人の上に立つに違ないと判断したから大丈夫だと主張したのだそうだ。
代助はうん、それから、と云って、始終面白そうに聞いていたが、占者の所へ来たら、本当に可笑しくなった。やがて着物を着換えて、誠太郎を送りながら表へ出て、自分は平岡の家を訪ねた。
平岡の家は、この十数年来の物価騰貴に伴れて、中流社会が次第々々に切り詰められて行く有様を、住宅の上に善く代表した、尤も粗悪な見苦しき構えであった。とくに代助にはそう見えた。
門と玄関の間が一間位しかない。勝手口もその通りである。そうして裏にも、横にも同じ様な窮屈な家が建てられていた。東京市の貧弱なる膨脹に付け込んで、最低度の資本家が、なけなしの元手を二割及至三割の高利に廻そうと目論で、あたじけなく拵え上げた、生存競争の記念であった。
今日の東京市、ことに場末の東京市には、至る所にこの種の家が散点している、のみならず、梅雨に入った蚤の如く、日毎に、格外の増加律を以て殖えつつある。代助はかつて、これを敗亡の発展と名づけた。そうして、これを目下の日本を代表する最好の象徴とした。
彼等のあるものは、石油缶の底を継ぎ合わせた四角な鱗で蔽われている。彼等の一つを借りて、夜中に柱の割れる音で眼を醒まさないものは一人もない。彼等の戸には必ず節穴がある。彼等の襖は必ず狂いが出ると極っている。資本を頭の中へ注ぎ込んで、月々その頭から利息を取って生活しようと云う人間は、みんなこういう所を借りて立て籠っている。平岡もその一人であった。
代助は垣根の前を通るとき、先ずその屋根に眼が付いた。そうして、どす黒い瓦の色が妙に彼の心を刺激した。代助にはこの光のない土の板が、いくらでも水を吸い込む様に思われた。玄関前に、この間引越のときに解いた菰包の藁屑がまだ零れていた。座敷へ通ると、平岡は机の前へ坐って、長い手紙を書き掛けている所であった。三千代は次の部屋で箪笥の環をかたかた鳴らしていた。傍に大きな行李が開けてあって、中から奇麗な長襦袢の袖が半分出かかっていた。
平岡が、失敬だがちょっと待ってくれと云った間に、代助は行李と長襦袢と、時々行李の中へ落ちる繊い手とを見ていた。襖は明けたまま閉て切る様子もなかった。が三千代の顔は陰になって見えなかった。
やがて、平岡は筆を机の上へ抛げ付ける様にして、座を直した。何だか込み入った事を懸命に書いていたと見えて、耳を赤くしていた。眼も赤くしていた。
「どうだい。この間は色々難有う。その後一寸礼に行こうと思って、まだ行かない」
平岡の言葉は言訳と云わんより寧ろ挑戦の調子を帯びている様に聞こえた。襯衣も股引も着けずにすぐ胡坐をかいた。襟を正しく合せないので、胸毛が少し出ている。
「まだ落ち付かないだろう」と代助が聞いた。
「落ち付くどころか、この分じゃ生涯落ち付きそうもない」と、いそがしそうに烟草を吹かし出した。
代助は平岡が何故こんな態度で自分に応接するか能く心得ていた。決して自分に中るのじゃない、つまり世間に中るんである、否己れに中っているんだと思って、却って気の毒になった。けれども代助の様な神経には、この調子が甚だ不愉快に響いた。ただ腹が立たないだけである。
「宅の都合は、どうだい。間取の具合は可さそうじゃないか」
「うん、まあ、悪くっても仕方がない。気に入った家へ這入ろうと思えば、株でも遣るより外に仕様がなかろう。この頃東京に出来る立派な家はみんな株屋が拵えるんだって云うじゃないか」
「そうかも知れない。その代り、ああ云う立派な家が一軒立つと、その蔭に、どの位沢山な家が潰れているか知れやしない」
「だから猶住み好いだろう」
平岡はこう云って大いに笑った。其所へ三千代が出て来た。先達てはと、軽く代助に挨拶をして、手に持った赤いフランネルのくるくると巻いたのを、坐ると共に、前へ置いて、代助に見せた。
「何ですか、それは」
「赤ん坊の着物なの。拵えたまま、つい、まだ、解かずにあったのを、今行李の底を見たら有ったから、出して来たんです」と云いながら、附紐を解いて筒袖を左右に開いた。
「こら」
「まだ、そんなものを仕舞っといたのか。早く壊して雑巾にでもしてしまえ」
三千代は小供の着物を膝の上に乗せたまま、返事もせずしばらく俯向いて眺めていたが、
「貴方のと同じに拵えたのよ」と云って夫の方を見た。
「これか」
平岡は絣の袷の下へ、ネルを重ねて、素肌に着ていた。
「これはもう不可ん。暑くて駄目だ」
代助は始めて、昔の平岡を当面に見た。
「袷の下にネルを重ねちゃもう暑い。襦袢にすると可い」
「うん、面倒だから着ているが」
「洗濯をするから御脱ぎなさいと云っても、中々脱がないのよ」
「いや、もう脱ぐ、己も少々厭になった」
話は死んだ小供の事をとうとう離れてしまった。そうして、来た時よりは幾分か空気に暖味が出来た。平岡は久し振りに一杯飲もうと云い出した。三千代も支度をするから、緩りして行ってくれと頼む様に留めて、次の間へ立った。代助はその後姿を見て、どうかして金を拵えてやりたいと思った。
「君何所か奉公口の見当は付いたか」と聞いた。
「うん、まあ、ある様な無い様なもんだ。無ければ当分遊ぶだけの事だ。緩くり探しているうちにはどうかなるだろう」
云う事は落ち付いているが、代助が聞くと却って焦って探している様にしか取れない。代助は、昨日兄と自分の間に起った問答の結果を、平岡に知らせようと思っていたのだが、この一言を聞いて、しばらく見合せる事にした。何だか、構えている向うの体面を、わざと此方から毀損する様な気がしたからである。その上金の事に付いては平岡からはまだ一言の相談も受けた事もない。だから表向挨拶をする必要もないのである。ただ、こうして黙っていれば、平岡からは、内心で、冷淡な奴だと悪く思われるに極っている。けれども今の代助はそう云う非難に対して、殆んど無感覚である。又実際自分はそう熱烈な人間じゃないと考えている。三四年前の自分になって、今の自分を批判してみれば、自分は、堕落しているかも知れない。けれども今の自分から三四年前の自分を回顧してみると、慥かに、自己の道念を誇張して、得意に使い回していた。鍍金を金に通用させようとする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽である。と今は考えている。
代助が真鍮を以て甘んずる様になったのは、不意に大きな狂瀾に捲き込まれて、驚ろきの余り、心機一転の結果を来たしたという様な、小説じみた歴史を有っている為ではない。全く彼れ自身に特有な思索と観察の力によって、次第々々に鍍金を自分で剥がして来たに過ぎない。代助はこの鍍金の大半をもって、親爺が捺摺り付けたものと信じている。その時分は親爺が金に見えた。多くの先輩が金に見えた。相当の教育を受けたものは、みな金に見えた。だから自分の鍍金が辛かった。早く金になりたいと焦ってみた。ところが、他のものの地金へ、自分の眼光がじかに打つかる様になって以後は、それが急に馬鹿な尽力の様に思われ出した。
代助は同時にこう考えた。自分が三四年の間に、これまで変化したんだから、同じ三四年の間に、平岡も、かれ自身の経験の範囲内で大分変化しているだろう。昔しの自分なら、なるべく平岡によく思われたい心から、こんな場合には兄と喧嘩をしても、父と口論をしても、平岡の為に計ったろう、又その計った通りを平岡の所へ来て事々しく吹聴したろうが、それを予期するのは、やっぱり昔の平岡で、今の彼はさ程に友達を重くは見ていまい。
それで肝心の話は一二言で已めて、あとは色々な雑談に時を過ごすうちに酒が出た。三千代が徳利の尻を持って御酌をした。
平岡は酔うに従って、段々口が多くなって来た。この男はいくら酔っても、中々平生を離れない事がある。かと思うと、大変に元気づいて、調子に一種の悦楽を帯びて来る。そうなると、普通の酒家以上に、能く弁ずる上に、時としては比較的真面目な問題を持ち出して、相手と議論を上下して楽し気に見える。代助はその昔し、麦酒の壜を互の間に并べて、よく平岡と戦った事を覚えている。代助に取って不思議とも思われるのは、平岡がこう云う状態に陥った時が、一番平岡と議論がしやすいと云う自覚であった。又酒を呑んで本音を吐こうか、と平岡の方からよく云ったものだ。今日の二人の境界はその時分とは、大分離れて来た。そうして、その離れて、近づく路を見出し悪い事実を、双方共に腹の中で心得ている。東京へ着いた翌日、三年振りで邂逅した二人は、その時既に、二人ともに何時か互の傍を立退いていたことを発見した。
ところが今日は妙である。酒に親しめば親しむ程、平岡が昔の調子を出して来た。旨い局所へ酒が回って、刻下の経済や、目前の生活や、又それに伴う苦痛やら、不平やら、心の底の騒がしさやらを全然痳痺してしまった様に見える。平岡の談話は一躍して高い平面に飛び上がった。
「僕は失敗したさ。けれども失敗しても働らいている。又これからも働らく積りだ。君は僕の失敗したのを見て笑っている。――笑わないたって、要するに笑ってると同じ事に帰着するんだから構わない。いいか、君は笑っている。笑っているが、その君は何も為ないじゃないか。君は世の中を、有のままで受け取る男だ。言葉を換えて云うと、意志を発展させる事の出来ない男だろう。意志がないと云うのは嘘だ。人間だもの。その証拠には、始終物足りないに違ない。僕は僕の意志を現実社会に働き掛けて、その現実社会が、僕の意志の為に、幾分でも、僕の思い通りになったと云う確証を握らなくっちゃ、生きていられないね。そこに僕と云うものの存在の価値を認めるんだ。君はただ考えている。考えてるだけだから、頭の中の世界と、頭の外の世界を別々に建立して生きている。この大不調和を忍んでいる所が、既に無形の大失敗じゃないか。何故と云って見給え。僕のはその不調和を外へ出したまでで、君のは内に押し込んで置くだけの話だから、外面に押し掛けただけ、僕の方が本当の失敗の度は少ないかも知れない。でも僕は君に笑われている。そうして僕は君を笑う事が出来ない。いや笑いたいんだが、世間から見ると、笑っちゃ不可ないんだろう」
「何笑っても構わない。君が僕を笑う前に、僕は既に自分を笑っているんだから」
「そりゃ、嘘だ。ねえ三千代」
三千代は先刻から黙って坐っていたが、夫から不意に相談を受けた時、にこりと笑って、代助を見た。
「本当でしょう、三千代さん」と云いながら、代助は盃を出して、酒を受けた。
「そりゃ嘘だ。おれの細君が、いくら弁護したって、嘘だ。尤も君は人を笑っても、自分を笑っても、両方共頭の中で遣る人だから、嘘か本当かその辺はしかと分らないが……」
「冗談云っちゃ不可ない」
「冗談じゃない。全く本気の沙汰であります。そりゃ昔の君はそうじゃ無かった。昔の君はそうじゃ無かったが、今の君は大分違ってるよ。ねえ三千代。長井は誰が見たって、大得意じゃないか」
「何だか先刻から、傍で伺がってると、貴方の方が余っ程御得意の様よ」
平岡は大きな声を出してハハハと笑った。三千代は燗徳利を持って次の間へ立った。
平岡は膳の上の肴を二口三口、箸で突っついて、下を向いたまま、むしゃむしゃ云わしていたが、やがて、どろんとした眼を上げて、云った。――
「今日は久し振りに好い心持に酔った。なあ君。――君はあんまり好い心持にならないね。どうも怪しからん。僕が昔の平岡常次郎になってるのに、君が昔の長井代助にならないのは怪しからん。是非なり給え。そうして、大いに遣ってくれ給え。僕もこれから遣る。から君も遣ってくれ給え」
代助はこの言葉のうちに、今の自己を昔に返そうとする真率な又無邪気な一種の努力を認めた。そうして、それに動かされた。けれども一方では、一昨日、食った麺麭を今返せと強請られる様な気がした。
「君は酒を呑むと、言葉だけ酔払っても、頭は大抵確かな男だから、僕も云うがね」
「それだ。それでこそ長井君だ」
代助は急に云うのが厭になった。
「君、頭は確かい」と聞いた。
「確だとも。君さえ確なら此方は何時でも確だ」と云って、ちゃんと代助の顔を見た。実際自分の云う通りの男である。そこで代助が云った。――
「君はさっきから、働らかない働らかないと云って、大分僕を攻撃したが、僕は黙っていた。攻撃される通り僕は働らかない積りだから黙っていた」
「何故働かない」
「何故働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと、大袈裟に云うと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本程借金を拵らえて、貧乏震いをしている国はありゃしない。この借金が君、何時になったら返せると思うか。そりゃ外債位は返せるだろう。けれども、そればかりが借金じゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入をしようとする。だから、あらゆる方面に向って、奥行を削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。その影響はみんな我々個人の上に反射しているから見給え。こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使われるから、揃って神経衰弱になっちまう。話をして見給え大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない。考えられない程疲労しているんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴なっている。のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。日本国中何所を見渡したって、輝いてる断面は一寸四方も無いじゃないか。悉く暗黒だ。その間に立って僕一人が、何と云ったって、何を為たって、仕様がないさ。僕は元来怠けものだ。いや、君と一所に往来している時分から怠けものだ。あの時は強いて景気をつけていたから、君には有為多望の様に見えたんだろう。そりゃ今だって、日本の社会が精神的、徳義的、身体的に、大体の上に於て健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。そうなれば遣る事はいくらでもあるからね。そうして僕の怠惰性に打ち勝つだけの刺激もまたいくらでも出来て来るだろうと思う。然しこれじゃ駄目だ。今の様なら僕は寧ろ自分だけになっている。そうして、君の所謂有のままの世界を、有のままで受取って、その中僕に尤も適したものに接触を保って満足する。進んで外の人を、此方の考え通りにするなんて、到底出来た話じゃありゃしないもの――」
代助は一寸息を継いだ。そうして、一寸窮屈そうに控えている三千代の方を見て、御世辞を遣った。
「三千代さん。どうです、私の考は。随分呑気で宜いでしょう。賛成しませんか」
「何だか厭世の様な呑気の様な妙なのね。私よく分らないわ。けれども、少し胡麻化していらっしゃる様よ」
「へええ。何処ん所を」
「何処ん所って、ねえ貴方」と三千代は夫を見た。平岡は股の上へ肱を乗せて、肱の上へ顎を載せて黙っていたが、何にも云わずに盃を代助の前に出した。代助も黙って受けた。三千代は又酌をした。
代助は盃へ唇を付けながら、これから先はもう云う必要がないと感じた。元来が平岡を自分の様に考え直させる為の弁論でもなし、又平岡から意見されに来た訪問でもない。二人はいつまで立っても、二人として離れていなければならない運命を有っているんだと、始めから心付ているから、議論は能い加減に引き上げて、三千代の仲間入りの出来る様な、普通の社交上の題目に談話を持って来ようと試みた。
けれども、平岡は酔うとしつこくなる男であった。胸毛の奥まで赤くなった胸を突き出して、こう云った。
「そいつは面白い。大いに面白い。僕みた様に局部に当って、現実と悪闘しているものは、そんな事を考える余地がない。日本が貧弱だって、弱虫だって、働らいてるうちは、忘れているからね。世の中が堕落したって、世の中の堕落に気が付かないで、その中に活動するんだからね。君の様な暇人から見れば日本の貧乏や、僕等の堕落が気になるかも知れないが、それはこの社会に用のない傍観者にして始めて口にすべき事だ。つまり自分の顔を鏡で見る余裕があるから、そうなるんだ。忙がしい時は、自分の顔の事なんか、誰だって忘れているじゃないか」
平岡は饒舌ってるうち、自然とこの比喩に打つかって、大いなる味方を得た様な心持がしたので、其所で得意に一段落をつけた。代助は仕方なしに薄笑いをした。すると平岡はすぐ後を附加えた。
「君は金に不自由しないから不可ない。生活に困らないから、働らく気にならないんだ。要するに坊ちゃんだから、品の好い様なことばっかり云っていて、――」
代助は少々平岡が小憎らしくなったので、突然中途で相手を遮ぎった。
「働らくのも可いが、働らくなら、生活以上の働でなくっちゃ名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんな麺麭を離れている」
平岡は不思議に不愉快な眼をして、代助の顔を窺った。そうして、
「何故」と聞いた。
「何故って、生活の為めの労力は、労力の為めの労力でないもの」
「そんな論理学の命題みた様なものは分らないな。もう少し実際的の人間に通じる様な言葉で云ってくれ」
「つまり食う為めの職業は、誠実にゃ出来悪いと云う意味さ」
「僕の考えとはまるで反対だね。食う為めだから、猛烈に働らく気になるんだろう」
「猛烈には働らけるかも知れないが誠実には働らき悪いよ。食う為の働らきと云うと、つまり食うのと、働らくのと何方が目的だと思う」
「無論食う方さ」
「それ見給え。食う方が目的で働らく方が方便なら、食い易い様に、働らき方を合せて行くのが当然だろう。そうすりゃ、何を働らいたって、又どう働らいたって、構わない、只麺麭が得られれば好いと云う事に帰着してしまうじゃないか。労力の内容も方向も乃至順序も悉く他から制肘される以上は、その労力は堕落の労力だ」
「まだ理論的だね、どうも。それで一向差支ないじゃないか」
「では極上品な例で説明してやろう。古臭い話だが、ある本でこんな事を読んだ覚えがある。織田信長が、ある有名な料理人を抱えたところが、始めて、その料理人の拵えたものを食ってみると頗る不味かったんで、大変小言を云ったそうだ。料理人の方では最上の料理を食わして、叱られたものだから、その次からは二流もしくは三流の料理を主人にあてがって、始終褒められたそうだ。この料理人を見給え。生活の為に働らく事は抜目のない男だろうが、自分の技芸たる料理その物のために働らく点から云えば、頗る不誠実じゃないか、堕落料理人じゃないか」
「だってそうしなければ解雇されるんだから仕方があるまい」
「だからさ。衣食に不自由のない人が、云わば、物数奇にやる働らきでなくっちゃ、真面目な仕事は出来るものじゃないんだよ」
「そうすると、君の様な身分のものでなくっちゃ、神聖の労力は出来ない訳だ。じゃ益遣る義務がある。なあ三千代」
「本当ですわ」
「何だか話が、元へ戻っちまった。これだから議論は不可ないよ」と云って、代助は頭を掻いた。議論はそれで、とうとう御仕舞になった。
代助は風呂へ這入た。
「先生、どうです、御燗は。もう少し燃させましょうか」と門野が突然入り口から顔を出した。門野はこう云う事には能く気の付く男である。代助は、凝と湯に浸ったまま、
「結構」と答えた。すると、門野が、
「ですか」と云い棄てて、茶の間の方へ引き返した。代助は門野の返事のし具合に、いたく興味を有って、独りにやにやと笑った。代助には人の感じ得ない事を感じる神経がある。それが為時々苦しい思もする。ある時、友達の御親爺さんが死んで、葬式の供に立ったが、不図その友達が装束を着て、青竹を突いて、柩のあとへ付いて行く姿を見て可笑しくなって困った事がある。又ある時は、自分の父から御談義を聞いている最中に、何の気もなく父の顔を見たら、急に吹き出したくなって弱り抜いた事がある。自宅に風呂を買わない時分には、つい近所の銭湯に行ったが、其所に一人の骨骼の逞ましい三助がいた。これが行くたんびに、奥から飛び出して来て、流しましょうと云っては脊中を擦る。代助は其奴に体をごしごし遣られる度に、どうしても、埃及人に遣られている様な気がした。いくら思い返しても日本人とは思えなかった。
まだ不思議な事がある。この間、ある書物を読んだら、ウエバーと云う生理学者は自分の心臓の鼓動を、増したり、減したり、随意に変化さしたと書いてあったので、平生から鼓動を試験する癖のある代助は、ためしに遣ってみたくなって、一日に二三回位怖々ながら試しているうちに、どうやら、ウエバーと同じ様になりそうなので、急に驚ろいて已めにした。
湯のなかに、静かに浸っていた代助は、何の気なしに右の手を左の胸の上へ持って行ったが、どんどんと云う命の音を二三度聞くや否や、忽ちウエバーを思い出して、すぐ流しへ下りた。そうして、其所に胡坐をかいたまま、茫然と、自分の足を見詰めていた。するとその足が変になり始めた。どうも自分の胴から生えているんでなくて、自分とは全く無関係のものが、其所に無作法に横わっている様に思われて来た。そうなると、今までは気が付かなかったが、実に見るに堪えない程醜くいものである。毛が不揃に延びて、青い筋が所々に蔓って、如何にも不思議な動物である。
代助は又湯に這入って、平岡の云った通り、全く暇があり過ぎるので、こんな事まで考えるのかと思った。湯から出て、鏡に自分の姿を写した時、又平岡の言葉を思い出した。幅の厚い西洋髪剃で、顎と頬を剃る段になって、その鋭どい刃が、鏡の裏で閃く色が、一種むず痒い様な気持を起さした。これが烈しくなると、高い塔の上から、遥かの下を見下すのと同じになるのだと意識しながら、漸く剃り終った。
茶の間を抜けようとする拍子に、
「どうも先生は旨いよ」と門野が婆さんに話していた。
「何が旨いんだ」と代助は立ちながら、門野を見た。門野は、
「やあ、もう御上りですか。早いですな」と答えた。この挨拶では、もう一遍、何が旨いんだと聞かれもしなくなったので、そのまま書斎へ帰って、椅子に腰を掛けて休息していた。
休息しながら、こう頭が妙な方面に鋭どく働き出しちゃ、身体の毒だから、些と旅行でもしようかと思ってみた。一つは近来持ち上った結婚問題を避けるに都合が好いとも考えた。すると又平岡の事が妙に気に掛って、転地する計画をすぐ打ち消してしまった。それを能く煎じ詰めてみると、平岡の事が気に掛るのではない、やっぱり三千代の事が気にかかるのである。代助は其所まで押して来ても、別段不徳義とは感じなかった。寧ろ愉快な心持がした。
代助が三千代と知り合になったのは、今から四五年前の事で、代助がまだ学生の頃であった。代助は長井家の関係から、当時交際社会の表面にあらわれて出た、若い女の顔も名も、沢山に知っていた。けれども三千代はその方面の婦人ではなかった。色合から云うと、もっと地味で、気持から云うと、もう少し沈んでいた。その頃、代助の学友に菅沼と云うのがあって、代助とも平岡とも、親しく附合っていた。三千代はその妹である。
この菅沼は東京近県のもので、学生になった二年目の春、修業の為と号して、国から妹を連れて来ると同時に、今までの下宿を引き払って、二人して家を持った。その時妹は国の高等女学校を卒業したばかりで、年は慥十八とか云う話であったが、派手な半襟を掛けて、肩上をしていた。そうして程なくある女学校へ通い始めた。
菅沼の家は谷中の清水町で、庭のない代りに、縁側へ出ると、上野の森の古い杉が高く見えた。それがまた、錆た鉄の様に、頗る異しい色をしていた。その一本は殆ど枯れ掛かって、上の方には丸裸の骨ばかり残った所に、夕方になると烏が沢山集まって鳴いていた。隣には若い画家が住んでいた。車もあまり通らない細い横町で、至極閑静な住居であった。
代助は其所へ能く遊びに行った。始めて三千代に逢った時、三千代はただ御辞儀をしただけで引込んでしまった。代助は上野の森を評して帰って来た。二返行っても、三返行っても、三千代はただ御茶を持って出るだけであった。その癖狭い家だから、隣の室にいるより外はなかった。代助は菅沼と話しながら、隣の室に三千代がいて、自分の話を聴いているという自覚を去る訳に行かなかった。
三千代と口を利き出したのは、どんな機会であったか、今では代助の記憶に残っていない。残っていない程、瑣末な尋常の出来事から起ったのだろう。詩や小説に厭いた代助には、それが却って面白かった。けれども一旦口を利き出してからは、やっぱり詩や小説と同じ様に、二人はすぐ心安くなってしまった。
平岡も、代助の様に、よく菅沼の家へ遊びに来た。あるときは二人連れ立って、来た事もある。そうして、代助と前後して、三千代と懇意になった。三千代は兄とこの二人に食付いて、時々池の端などを散歩した事がある。
四人はこの関係で約二年足らず過ごした。すると菅沼の卒業する年の春、菅沼の母と云うのが、田舎から遊びに出て来て、しばらく清水町に泊っていた。この母は年に一二度ずつは上京して、子供の家に五六日寐起する例になっていたんだが、その時は帰る前日から熱が出だして、全く動けなくなった。それが一週間の後窒扶斯と判明したので、すぐ大学病院へ入れた。三千代は看護の為附添として一所に病院に移った。病人の経過は、一時稍佳良であったが、中途からぶり返して、とうとう死んでしまった。そればかりではない。窒扶斯が、見舞に来た兄に伝染して、これも程なく亡くなった。国にはただ父親が一人残った。
それが母の死んだ時も、菅沼の死んだ時も出て来て、始末をしたので、生前に関係の深かった代助とも平岡とも知り合になった。三千代を連れて国へ帰る時は、娘とともに二人の下宿を別々に訪ねて、暇乞旁礼を述べた。
その年の秋、平岡は三千代と結婚した。そうしてその間に立ったものは代助であった。尤も表向きは郷里の先輩を頼んで、媒酌人として式に連なって貰ったのだが、身体を動かして、三千代の方を纏めたものは代助であった。
結婚して間もなく二人は東京を去った。国に居た父は思わざるある事情の為に余儀なくされて、これもまた北海道へ行ってしまった。三千代は何方かと云えば、今心細い境遇に居る。どうかして、この東京に落付いていられる様にして遣りたい気がする。代助はもう一返嫂に相談して、この間の金を調達する工面をしてみようかと思った。又三千代に逢って、もう少し立ち入った事情を委しく聞いてみようかと思った。
けれども、平岡へ行ったところで、三千代が無暗に洗い浚い饒舌り散らす女ではなし、よしんばどうして、そんな金が要る様になったかの事情を、詳しく聞き得たにしたところで、夫婦の腹の中なんぞは容易に探られる訳のものではない。――代助の心の底を能く見詰めていると、彼の本当に知りたい点は、却って此所に在ると、自から承認しなければならなくなる。だから正直を云うと、何故に金が入用であるかと研究する必要は、もう既に通り越していたのである。実は外面の事情は聞いても聞かなくっても、三千代に金を貸して満足させたい方であった。けれども三千代の歓心を買う目的を以て、その手段として金を拵える気はまるでなかった。代助は三千代に対して、それ程政略的な料簡を起す余裕を有っていなかったのである。
その上平岡の留守へ行き中てて、今日までの事情を、特に経済の点に関してだけでも、充分聞き出すのは困難である。平岡が家にいる以上は、詳しい話の出来ないのは知れ切っている。出来ても、それを一から十まで真に受ける訳には行かない。平岡は世間的な色々の動機から、代助に見栄を張っている。見栄のいらない所でも一種の考から沈黙を守っている。
代助は、ともかくもまず嫂に相談してみようと決心した。そうして、自分ながら甚だ覚束ないとは思った。今まで嫂にちびちび、無心を吹き掛けた事は何度もあるが、こう短兵急に痛め付けるのは始めてである。然し梅子は自分の自由になる資産をいくらか持っているから、或は出来ないとも限らない。それで駄目なら、又高利でも借りるのだが、代助はまだ其所までには気が進んでいなかった。ただ早晩平岡から表向きに、連帯責任を強いられて、それを断わり切れない位なら、一層此方から進んで、直接に三千代を喜ばしてやる方が遥かに愉快だという取捨の念だけは殆んど理窟を離れて、頭の中に潜んでいた。
生暖かい風の吹く日であった。曇った天気が何時までも無精に空に引掛って、中々暮れそうにない四時過から家を出て、兄の宅まで電車で行った。青山御所の少し手前まで来ると、電車の左側を父と兄が綱曳で急がして通った。挨拶をする暇もないうちに擦れ違ったから、向うは元より気が付かずに過ぎ去った。代助は次の停留所で下りた。
兄の家の門を這入ると、客間でピヤノの音がした。代助は一寸砂利の上に立ち留ったが、すぐ左へ切れて勝手口の方へ廻った。其所には格子の外に、ヘクターと云う英国産の大きな犬が、大きな口を革紐で縛られて臥ていた。代助の足音を聞くや否や、ヘクターは毛の長い耳を振って、斑な顔を急に上げた。そうして尾を揺かした。
入口の書生部屋を覗き込んで、敷居の上に立ちながら、二言三言愛嬌を云った後、すぐ西洋間の方へ来て、戸を開けると、嫂がピヤノの前に腰を掛けて両手を動かしていた。その傍に縫子が袖の長い着物を着て、例の髪を肩まで掛けて立っていた。代助は縫子の髪を見るたんびに、ブランコに乗った縫子の姿を思い出す。黒い髪と、淡紅色のリボンと、それから黄色い縮緬の帯が、一時に風に吹かれて空に流れる様を、鮮かに頭の中に刻み込んでいる。
母子は同時に振り向いた。
「おや」
縫子の方は、黙って馳けて来た。そうして、代助の手をぐいぐい引張った。代助はピヤノの傍まで来た。
「如何なる名人が鳴らしているのかと思った」
梅子は何にも云わずに、額に八の字を寄せて、笑いながら手を振り振り、代助の言葉を遮ぎった。そうして、向うからこう云った。
「代さん、此所ん所を一寸遣って見せて下さい」
代助は黙って嫂と入れ替った。譜を見ながら、両方の指をしばらく奇麗に働かした後、
「こうだろう」と云って、すぐ席を離れた。
それから三十分程の間、母子して交る交る楽器の前に坐っては、一つ所を復習していたが、やがて梅子が、
「もう廃しましょう。彼方へ行って、御飯でも食ましょう。叔父さんもいらっしゃい」と云いながら立った。部屋のなかはもう薄暗くなっていた。代助は先刻から、ピヤノの音を聞いて、嫂や姪の白い手の動く様子を見て、そうして時々は例の欄間の画を眺めて、三千代の事も、金を借りる事も殆んど忘れていた。部屋を出る時、振り返ったら、紺青の波が摧けて、白く吹き返す所だけが、暗い中に判然見えた。代助はこの大濤の上に黄金色の雲の峰を一面に描かした。そうして、その雲の峰をよく見ると、真裸な女性の巨人が、髪を乱し、身を躍らして、一団となって、暴れ狂っている様に、旨く輪廓を取らした。代助はヴァルキイルを雲に見立てた積りでこの図を注文したのである。彼はこの雲の峰だか、又巨大な女性だか、殆んど見分けの付かない、偉な塊を脳中に髣髴して、ひそかに嬉しがっていた。がさて出来上って、壁の中へ嵌め込んでみると、想像したよりは不味かった。梅子と共に部屋を出た時は、このヴァルキイルは殆んど見えなかった。紺青の波は固より見えなかった。ただ白い泡の大きな塊が薄白く見えた。
居間にはもう電燈が点いていた。代助は其所で、梅子と共に晩食を済ました。子供二人も卓を共にした。誠太郎に兄の部屋からマニラを一本取って来さして、それを吹かしながら、雑談をした。やがて、子供は明日の下読をする時間だと云うので、母から注意を受けて、自分の部屋へ引き取ったので、後は差し向になった。
代助は突然例の話を持ち出すのも、変なものだと思って、関係のない所からそろそろ進行を始めた。先ず父と兄が綱曳で車を急がして何所へ行ったのだとか、この間は兄さんに御馳走になったとか、あなたは何故麻布の園遊会へ来なかったのだとか、御父さんの漢詩は大抵法螺だとか、色々聞いたり答えたりしているうちに、一つ新しい事実を発見した。それは外でもない。父と兄が、近来目に立つ様に、忙しそうに奔走し始めて、この四五日は碌々寐るひまもない位だと云う報知である。全体何が始ったんですと、代助は平気な顔で聞いてみた。すると、嫂も普通の調子で、そうですね、何か始ったんでしょう。御父さんも、兄さんも私には何にも仰しゃらないから、知らないけれどもと答えて、代さんは、それよりかこの間の御嫁さんをと云い掛けている所へ、書生が這入って来た。
今夜も遅くなる、もし、誰と誰が来たら何とか屋へ来る様に云ってくれと云う電話を伝えたまま、書生は再び出て行った。代助は又結婚問題に話が戻ると面倒だから、時に姉さん、些御願があって来たんだが、とすぐ切り出してしまった。
梅子は代助の云う事を素直に聞いていた。代助は凡てを話すに約十分ばかり費やした。最後に、
「だから思い切って貸して下さい」と云った。すると梅子は真面目な顔をして、
「そうね。けれども全体何時返す気なの」と思いも寄らぬ事を問い返した。代助は顎の先を指で撮んだまま、じっと嫂の気色を窺った。梅子は益真面目な顔をして、又こう云った。
「皮肉じゃないのよ。怒っちゃ不可ませんよ」
代助は無論怒ってはいなかった。ただ姉弟からこういう質問を受けようと予期していなかっただけである。今更返す気だの、貰う積りだのと布衍すればする程馬鹿になるばかりだから、甘んじて打撃を受けていただけである。梅子は漸やく手に余る弟を取って抑えた様な気がしたので、後が大変云い易かった。――
「代さん、あなたは不断から私を馬鹿にして御出なさる。――いいえ、厭味を云うんじゃない、本当の事なんですもの、仕方がない。そうでしょう」
「困りますね、そう真剣に詰問されちゃ」
「善ござんすよ。胡魔化さないでも。ちゃんと分ってるんだから。だから正直にそうだと云って御しまいなさい。そうでないと、後が話せないから」
代助は黙ってにやにや笑っていた。
「でしょう。そら御覧なさい。けれども、それが当り前よ。ちっとも構やしません。いくら私が威張ったって、貴方に敵いっこないのは無論ですもの。私と貴方とは今まで通りの関係で、御互いに満足なんだから、文句はありゃしません。そりゃそれで好いとして、貴方は御父さんも馬鹿にしていらっしゃるのね」
代助は嫂の態度の真率な所が気に入った。それで、
「ええ、少しは馬鹿にしています」と答えた。すると梅子はさも愉快そうにハハハハと笑った。そうして云った。
「兄さんも馬鹿にしていらっしゃる」
「兄さんですか。兄さんは大いに尊敬している」
「嘘を仰しゃい。序だから、みんな打ち散けて御しまいなさい」
「そりゃ、或点では馬鹿にしない事もない」
「それ御覧なさい。あなたは一家族中悉く馬鹿にしていらっしゃる」
「どうも恐れ入りました」
「そんな言訳はどうでも好いんですよ。貴方から見れば、みんな馬鹿にされる資格があるんだから」
「もう、廃そうじゃありませんか。今日は中々きびしいですね」
「本当なのよ。それで差支ないんですよ。喧嘩も何も起らないんだから。けれどもね、そんなに偉い貴方が、何故私なんぞから、御金を借りる必要があるの。可笑しいじゃありませんか。いえ、揚足を取ると思うと、腹が立つでしょう。そんなんじゃありません。それ程偉い貴方でも、御金がないと、私みた様なものに頭を下げなけりゃならなくなる」
「だから先きから頭を下げているんです」
「まだ本気で聞いていらっしゃらないのね」
「これが私の本気な所なんです」
「じゃ、それも貴方の偉い所かも知れない。然し誰も御金を貸し手がなくって、今の御友達を救って上げる事が出来なかったら、どうなさる。いくら偉くっても駄目じゃありませんか。無能力な事は車屋と同なしですもの」
代助は今まで嫂がこれ程適切な異見を自分に向って加え得ようとは思わなかった。実は金の工面を思い立ってから、自分でもこの弱点を冥々の裡に感じていたのである。
「全く車屋ですね。だから姉さんに頼むんです」
「仕方がないのね、貴方は。あんまり、偉過ぎて。一人で御金を御取んなさいな。本当の車屋なら貸して上げない事もないけれども、貴方には厭よ。だって余りじゃありませんか。月々兄さんや御父さんの厄介になった上に、人の分まで自分に引受けて、貸してやろうって云うんだから。誰も出したくはないじゃありませんか」
梅子の云う所は実に尤もである。然し代助はこの尤を通り越して、気が付かずにいた。振り返ってみると、後の方に姉と兄と父がかたまっていた。自分も後戻りをして、世間並にならなければならないと感じた。家を出る時、嫂から無心を断わられるだろうとは気遣った。けれどもそれが為めに、大いに働らいて、自から金を取らねばならぬという決心は決して起し得なかった。代助はこの事件をそれ程重くは見ていなかったのである。
梅子は、この機会を利用して、色々の方面から代助を刺激しようと力めた。ところが代助には梅子の腹がよく解っていた。解れば解る程激する気にならなかった。そのうち話題は金を離れて、再び結婚に戻って来た。代助は最近の候補者に就て、この間から親爺に二度程悩まされている。親爺の論理は何時聞いても昔し風に甚だ義理堅いものであったが、その代り今度はさ程権柄ずくでもなかった。自分の命の親に当る人の血統を受けたものと縁組をするのは結構な事であるから、貰ってくれと云うんである。そうすれば幾分か恩が返せると云うんである。要するに代助から見ると、何が結構なのか、何が恩返しに当るのか、まるで筋の立たない主張であった。尤も候補者自身に就ては、代助も格別の苦情は持っていなかった。だから父の云う事の当否は論弁の限にあらずとして、貰えば貰っても構わなかった。代助はこの二三年来、凡ての物に対して重きを置かない習慣になった如く、結婚に対しても、あまり重きを置く必要を認めていなかった。佐川の娘というのは只写真で知っているばかりであるが、それだけでも沢山な様な気がした。――尤も写真は大分美くしかった。――従って、貰うとなれば、そう面倒な条件を持ち出す考も何もなかった。ただ、貰いましょうと云う確答が出なかっただけである。
その不明晰な態度を、父に評させると、まるで要領を得ていない鈍物同様の挨拶振になる。結婚を生死の間に横わる一大要件と見傚して、あるゆる他の出来事を、これに従属させる考えの嫂から云わせると、不可思議になる。
「だって、貴方だって、生涯一人でいる気でもないんでしょう。そう我儘を云わないで、好い加減な所で極めてしまったらどうです」と梅子は少し焦れったそうに云った。
生涯一人でいるか、或は妾を置いて暮すか、或は芸者と関係をつけるか、代助自身にも明瞭な計画はまるでなかった。只、今の彼は結婚というものに対して、他の独身者の様に、あまり興味を持てなかった事は慥である。これは、彼の性情が、一図に物に向って集注し得ないのと、彼の頭が普通以上に鋭どくって、しかもその鋭さが、日本現代の社会状況のために、幻像打破の方面に向って、今日まで多く費やされたのと、それから最後には、比較的金銭に不自由がないので、ある種類の女を大分多く知っているのとの三カ条に、帰着するのである。が代助は其所まで解剖して考える必要は認めていなかった。ただ結婚に興味がないと云う、自己に明かな事実を握って、それに応じて未来を自然に延ばして行く気でいた。だから、結婚を必要事件と、初手から断定して、何時かこれを成立させようと喘る努力を、不自然であり、不合理であり、かつあまりに俗臭を帯びたものと解釈した。
代助は固よりこんな哲理を嫂に向って講釈する気はなかった。が、段々押し詰られると、苦し紛れに、
「だが、姉さん、僕はどうしても嫁を貰わなければならないのかね」と聞く事がある。代助は無論真面目に聞く積りだけれども、嫂の方では呆れてしまう。そうして、自分を茶にするのだと取る。梅子はその晩代助に向って、平生の手続を繰り返した後で、こんな事を云った。
「妙なのね、そんなに厭がるのは。――厭なんじゃないって、口では仰しゃるけれども、貰わなければ、厭なのと同なしじゃありませんか。それじゃ誰か好きなのがあるんでしょう。その方の名を仰ゃい」
代助は今まで嫁の候補者としては、ただの一人も好いた女を頭の中に指名していた覚がなかった。が、今こう云われた時、どう云う訳か、不意に三千代という名が心に浮かんだ。つづいて、だから先刻云った金を貸して下さい、という文句が自から頭の中で出来上った。――けれども代助はただ苦笑して嫂の前に坐っていた。
代助が嫂に失敗して帰った夜は、大分更けていた。彼は辛うじて青山の通りで、最後の電車を捕まえた位である。それにも拘わらず彼の話している間には、父も兄も帰って来なかった。尤もその間に梅子は電話口へ二返呼ばれた。然し、嫂の様子に別段変った所もないので、代助は此方から進んで何にも聞かなかった。
その夜は雨催の空が、地面と同じ様な色に見えた。停留所の赤い柱の傍に、たった一人立って電車を待ち合わしていると、遠い向うから小さい火の玉があらわれて、それが一直線に暗い中を上下に揺れつつ代助の方に近いて来るのが非常に淋しく感ぜられた。乗り込んで見ると、誰も居なかった。黒い着物を着た車掌と運転手の間に挟まれて、一種の音に埋まって動いて行くと、動いている車の外は真暗である。代助は一人明るい中に腰を掛けて、どこまでも電車に乗って、終に下りる機会が来ないまで引っ張り廻される様な気がした。
神楽坂へかかると、寂りとした路が左右の二階家に挟まれて、細長く前を塞いでいた。中途まで上って来たら、それが急に鳴り出した。代助は風が家の棟に当る事と思って、立ち留まって暗い軒を見上げながら、屋根から空をぐるりと見廻すうちに、忽ち一種の恐怖に襲われた。戸と障子と硝子の打ち合う音が、見る見る烈しくなって、ああ地震だと気が付いた時は、代助の足は立ちながら半ば竦んでいた。その時代助は左右の二階家が坂を埋むべく、双方から倒れて来る様に感じた。すると、突然右側の潜り戸をがらりと開けて、小供を抱いた一人の男が、地震だ地震だ、大きな地震だと云って出て来た。代助はその男の声を聞いて漸く安心した。
家へ着いたら、婆さんも門野も大いに地震の噂をした。けれども、代助は、二人とも自分程には感じなかったろうと考えた。寐てから、又三千代の依頼をどう所置しようかと思案してみた。然し分別を凝らすまでには至らなかった。父と兄の近来の多忙は何事だろうと推してみた。結婚は愚図々々にして置こうと了簡を極めた。そうして眠に入った。
その明日の新聞に始めて日糖事件なるものがあらわれた。砂糖を製造する会社の重役が、会社の金を使用して代議士の何名かを買収したと云う報知である。門野は例の如く重役や代議士の拘引されるのを痛快だ痛快だと評していたが、代助にはそれ程痛快にも思えなかった。が、二三日するうちに取り調べを受けるものの数が大分多くなって来て、世間ではこれを大疑獄の様に囃し立てる様になった。ある新聞ではこれを英国に対する検挙と称した。その説明には、英国大使が日糖株を買い込んで、損をして、苦情を鳴らし出したので、日本政府も英国へ対する申訳に手を下したのだとあった。
日糖事件の起る少し前、東洋汽船という会社は、一割二分の配当をした後の半期に、八十万円の欠損を報告した事があった。それを代助は記憶していた。その時の新聞がこの報告を評して信を置くに足らんと云った事も記憶していた。
代助は自分の父と兄の関係している会社に就ては何事も知らなかった。けれども、いつどんな事が起るまいものでもないとは常から考えていた。そうして、父も兄もあらゆる点に於て神聖であるとは信じていなかった。もしやかましい吟味をされたなら、両方共拘引に価する資格が出来はしまいかとまで疑っていた。それ程でなくっても、父と兄の財産が、彼等の脳力と手腕だけで、誰が見ても尤と認める様に、作り上げられたとは肯わなかった。明治の初年に横浜へ移住奨励のため、政府が移住者に土地を与えた事がある。その時ただ貰った地面の御蔭で、今は非常な金満家になったものがある。けれどもこれは寧ろ天の与えた偶然である。父と兄の如きは、この自己にのみ幸福なる偶然を、人為的にかつ政略的に、暖室を造って、拵え上げたんだろうと代助は鑑定していた。
代助はこう云う考で、新聞記事に対しては別に驚ろきもしなかった。父と兄の会社に就ても心配をする程正直ではなかった。ただ三千代の事だけが多少気に掛った。けれども、徒手で行くのが面白くないんで、そのうちの事と腹の中で料簡を定めて、日々読書に耽って四五日過した。不思議な事にその後例の金の件に就いては、平岡からも三千代からも何とも云って来なかった。代助は心のうちに、あるいは三千代が又一人で返事を聞きに来る事もあるだろうと、実は心待に待っていたのだが、その甲斐はなかった。
仕舞にアンニュイを感じ出した。何処か遊びに行く所はあるまいかと、娯楽案内を捜して、芝居でも見ようと云う気を起した。神楽坂から外濠線へ乗って、御茶の水まで来るうちに気が変って、森川町にいる寺尾という同窓の友達を尋ねる事にした。この男は学校を出ると、教師は厭だから文学を職業とすると云い出して、他のものの留めるにも拘らず、危険な商売をやり始めた。やり始めてから三年になるが、未だに名声も上らず、窮々云って原稿生活を持続している。自分の関係のある雑誌に、何でも好いから書けと逼るので、代助は一度面白いものを寄草した事がある。それは一カ月の間雑誌屋の店頭に曝されたぎり、永久人間世界から何処かへ、運命の為めに持って行かれてしまった。それぎり代助は筆を執る事を御免蒙った。寺尾は逢うたんびに、もっと書け書けと勧める。そうして、己を見ろと云うのが口癖であった。けれども外の人に聞くと、寺尾ももう陥落するだろうと云う評判であった。大変露西亜ものが好で、ことに人が名前を知らない作家が好で、なけなしの銭を工面しては新刊物を買うのが道楽であった。あまり気燄が高かった時、代助が、文学者も恐露病に罹ってるうちはまだ駄目だ。一旦日露戦争を経過したものでないと話せないと冷評返した事がある。すると寺尾は真面目な顔をして、戦争は何時でもするが、日露戦争後の日本の様に往生しちゃつまらんじゃないか。やっぱり恐露病に罹ってる方が、卑怯でも安全だ、と答えてやっぱり露西亜文学を鼓吹していた。
玄関から座敷へ通って見ると、寺尾は真中へ一閑張の机を据えて、頭痛がすると云って鉢巻をして、腕まくりで、帝国文学の原稿を書いていた。邪魔ならまた来ると云うと、帰らんでもいい、もう今朝から五五、二円五十銭だけ稼いだからと云う挨拶であった。やがて鉢巻を外して、話を始めた。始めるが早いか、今の日本の作家と評家を眼の玉の飛び出る程痛快に罵倒し始めた。代助はそれを面白く聞いていた。然し腹の中では、寺尾の事を誰も賞めないので、その対抗運動として、自分の方では他を貶すんだろうと思った。ちと、そう云う意見を発表したら好いじゃないかと勧めると、そうは行かないよと笑っている。何故と聞き返しても答えない。しばらくして、そりゃ君の様に気楽に暮せる身分なら随分云ってみせるが――何しろ食うんだからね。どうせ真面目な商売じゃないさ。と云った。代助は、それで結構だ、確かり遣りたまえと奨励した。すると寺尾は、いや些とも結構じゃない。どうかして、真面目になりたいと思っている。どうだ、君ちっと金を貸して僕を真面目にする了見はないかと聞いた。いや、君が今の様な事をして、それで真面目だと思う様になったら、その時貸してやろうと調戯って、代助は表へ出た。
本郷の通りまで来たが倦怠の感は依然として故の通りである。何処をどう歩いても物足りない。と云って、人の宅を訪ねる気はもう出ない。自分を検査してみると、身体全体が、大きな胃病の様な心持がした。四丁目から又電車へ乗って、今度は伝通院前まで来た。車中で揺られるたびに、五尺何寸かある大きな胃嚢の中で、腐ったものが、波を打つ感じがあった。三時過ぎにぼんやり宅へ帰った。玄関で門野が、
「先刻御宅から御使でした。手紙は書斎の机の上に載せて置きました。受取は一寸私が書いて渡して置きました」と云った。
手紙は古風な状箱の中にあった。その赤塗の表には名宛も何も書かないで、真鍮の環に通した観世撚の封じ目に黒い墨を着けてあった。代助は机の上を一目見て、この手紙の主は嫂だとすぐ悟った。嫂にはこう云う旧式な趣味があって、それが時々思わぬ方角へ出てくる。代助は鋏の先で観世撚の結目を突っつきながら、面倒な手数だと思った。
けれども中にあった手紙は、状箱とは正反対に簡単な、言文一致で用を済していた。この間わざわざ来てくれた時は、御依頼通り取り計いかねて、御気の毒をした。後から考えてみると、その時色々無遠慮な失礼を云った事が気にかかる。どうか悪く取って下さるな。その代り御金を上げる。尤もみんなと云う訳には行かない。二百円だけ都合して上げる。からそれをすぐ御友達の所へ届けて御上げなさい。これは兄さんには内所だからその積りでいなくっては不可ない。奥さんの事も宿題にするという約束だから、よく考えて返事をなさい。
手紙の中に巻き込めて、二百円の小切手が這入っていた。代助は、しばらく、それを眺めているうちに、梅子に済まない様な気がして来た。この間の晩、帰りがけに、向うから、じゃ御金は要らないのと聞いた。貸してくれと切り込んで頼んだ時は、ああ手痛く跳ね付けて置きながら、いざ断念して帰る段になると、却って断わった方から、掛念がって駄目を押して出た。代助はそこに女性の美くしさと弱さとを見た。そうしてその弱さに付け入る勇気を失った。この美しい弱点を弄ぶに堪えなかったからである。ええ要りません、どうかなるでしょうと云って分れた。それを梅子は冷かな挨拶と思ったに違ない。その冷かな言葉が、梅子の平生の思い切った動作の裏に、何処にか引っ掛っていて、とうとうこの手紙になったのだろうと代助は判断した。
代助はすぐ返事を書いた。そうして出来るだけ暖かい言葉を使って感謝の意を表した。代助がこう云う気分になる事は兄に対してもない。父に対してもない。世間一般に対しては固よりない。近来は梅子に対してもあまり起らなかったのである。
代助はすぐ三千代の所へ出掛けようかと考えた。実を云うと、二百円は代助に取って中途半端な額であった。これだけくれるなら、一層思い切って、此方の強請った通りにして、満足を買えばいいにと云う気も出た。が、それは代助の頭が梅子を離れて三千代の方へ向いた時の事であった。その上、女は如何に思い切った女でも、感情上中途半端なものであると信じている代助には、それが別段不平にも思えなかった。否女のこう云う態度の方が、却って男性の断然たる処置よりも、同情の弾力性を示している点に於て、快よいものと考えていた。だから、もし二百円を自分に贈ったものが、梅子でなくって、父であったとすれば、代助は、それを経済的中途半端と解釈して、却って不愉快な感に打たれたかも知れないのである。
代助は晩食も食わずに、すぐ又表へ出た。五軒町から江戸川の縁を伝って、河を向うへ越した時は、先刻散歩からの帰りの様に精神の困憊を感じていなかった。坂を上って伝通院の横へ出ると、細く高い烟突が、寺と寺の間から、汚ない烟を、雲の多い空に吐いていた。代助はそれを見て、貧弱な工業が、生存の為に無理に吐く呼吸を見苦しいものと思った。そうしてその近くに住む平岡と、この烟突とを暗々の裏に連想せずにはいられなかった。こう云う場合には、同情の念より美醜の念が先に立つのが、代助の常であった。代助はこの瞬間に、三千代の事を殆んど忘れてしまった位、空に散る憐れな石炭の烟に刺激された。
平岡の玄関の沓脱には女の穿く重ね草履が脱ぎ棄ててあった。格子を開けると、奥の方から三千代が裾を鳴らして出て来た。その時上り口の二畳は殆んど暗かった。三千代はその暗い中に坐って挨拶をした。始めは誰が来たのか、よく分らなかったらしかったが、代助の声を聞くや否や、何方かと思ったら……と寧ろ低い声で云った。代助は判然見えない三千代の姿を、常よりは美しく眺めた。
平岡は不在であった。それを聞いた時、代助は話してい易い様な、又話してい悪い様な変な気がした。けれども三千代の方は常の通り落ち付いていた。洋燈も点けないで、暗い室を閉て切ったまま二人で坐っていた。三千代は下女も留守だと云った。自分も先刻其所まで用達に出て、今帰って夕食を済ましたばかりだと云った。やがて平岡の話が出た。
予期した通り、平岡は相変らず奔走している。が、この一週間程は、あんまり外へ出なくなった。疲れたと云って、よく宅に寐ている。でなければ酒を飲む。人が尋ねて来れば猶飲む。そうして善く怒る。さかんに人を罵倒する。のだそうである。
「昔と違って気が荒くなって困るわ」と云って、三千代は暗に同情を求める様子であった。代助は黙っていた。下女が帰って来て、勝手口でがたがた音をさせた。しばらくすると、胡摩竹の台の着いた洋燈を持って出た。襖を締める時、代助の顔を偸む様に見て行った。
代助は懐から例の小切手を出した。二つに折れたのをそのまま三千代の前に置いて、奥さん、と呼び掛けた。代助が三千代を奥さんと呼んだのは始めてであった。
「先達て御頼の金ですがね」
三千代は何にも答えなかった。ただ眼を挙げて代助を見た。
「実は、直にもと思ったんだけれども、此方の都合が付かなかったものだから、遂遅くなったんだが、どうですか、もう始末は付きましたか」と聞いた。
その時三千代は急に心細そうな低い声になった。そうして怨ずる様に、
「未ですわ。だって、片付く訳が無いじゃありませんか」と云ったまま、眼を睜って凝と代助を見ていた。代助は折れた小切手を取り上げて二つに開いた。
「これだけじゃ駄目ですか」
三千代は手を伸ばして小切手を受取った。
「難有う。平岡が喜びますわ」と静かに小切手を畳の上に置いた。
代助は金を借りて来た由来を、極ざっと説明して、自分はこういう呑気な身分の様に見えるけれども、何か必要があって、自分以外の事に、手を出そうとすると、まるで無能力になるんだから、そこは悪く思ってくれない様にと言訳を付け加えた。
「それは、私も承知していますわ。けれども、困って、どうする事も出来ないものだから、つい無理を御願して」と三千代は気の毒そうに詫を述べた。代助はそこで念を押した。
「それだけで、どうか始末が付きますか。もしどうしても付かなければ、もう一遍工面してみるんだが」
「もう一遍工面するって」
「判を押して高い利のつく御金を借りるんです」
「あら、そんな事を」と三千代はすぐ打ち消す様に云った。「それこそ大変よ。貴方」
代助は平岡の今苦しめられているのも、その起りは、性質の悪い金を借り始めたのが転々して祟っているんだと云う事を聞いた。平岡は、あの地で、最初のうちは、非常な勤勉家として通っていたのだが、三千代が産後心臓が悪くなって、ぶらぶらし出すと、遊び始めたのである。それも初めのうちは、それ程烈しくもなかったので、三千代はただ交際上已を得ないんだろうと諦めていたが、仕舞にはそれが段々高じて、程度が無くなるばかりなので三千代も心配をする。すれば身体が悪くなる。なれば放蕩が猶募る。不親切なんじゃない。私が悪いんですと三千代はわざわざ断わった。けれども又淋しい顔をして、せめて小供でも生きていてくれたらさぞ可かったろうと、つくづく考えた事もありましたと自白した。
代助は経済問題の裏面に潜んでいる、夫婦の関係をあらまし推察し得た様な気がしたので、あまり多く此方から問うのを控えた。帰りがけに、
「そんなに弱っちゃ不可ない。昔の様に元気に御成んなさい。そうして些と遊びに御出なさい」と勇気をつけた。
「本当ね」と三千代は笑った。彼等は互の昔を互の顔の上に認めた。平岡はとうとう帰って来なかった。
中二日置いて、突然平岡が来た。その日は乾いた風が朗らかな天を吹いて、蒼いものが眼に映る、常よりは暑い天気であった。朝の新聞に菖蒲の案内が出ていた。代助の買った大きな鉢植の君子蘭はとうとう縁側で散ってしまった。その代り脇差程も幅のある緑の葉が、茎を押し分けて長く延びて来た。古い葉は黒ずんだまま、日に光っている。その一枚が何かの拍子に半分から折れて、茎を去る五寸ばかりの所で、急に鋭く下ったのが、代助には見苦しく見えた。代助は鋏を持って縁に出た。そうしてその葉を折れ込んだ手前から、剪って棄てた。時に厚い切り口が、急に煮染む様に見えて、しばらく眺めているうちに、ぽたりと縁に音がした。切口に集ったのは緑色の濃い重い汁であった。代助はその香を嗅ごうと思って、乱れる葉の中に鼻を突っ込んだ。縁側の滴はそのままにして置いた。立ち上がって、袂から手帛を出して、鋏の刃を拭いている所へ、門野が平岡さんが御出ですと報せて来たのである。代助はその時平岡の事も三千代の事も、まるで頭の中に考えていなかった。只不思議な緑色の液体に支配されて、比較的世間に関係のない情調の下に動いていた。それが平岡の名を聞くや否や、すぐ消えてしまった。そうして、何だか逢いたくない様な気持がした。
「此方へ御通し申しましょうか」と門野から催促された時、代助はうんと云って、座敷へ這入った。あとから席に導かれた平岡を見ると、もう夏の洋服を着ていた。襟も白襯衣も新らしい上に、流行の編襟飾を掛けて、浪人とは誰にも受け取れない位、ハイカラに取り繕ろっていた。
話してみると、平岡の事情は、依然として発展していなかった。もう近頃は運動しても当分駄目だから、毎日こうして遊んで歩く。それでなければ、宅に寐ているんだと云って、大きな声を出して笑ってみせた。代助もそれが可かろうと答えたなり、後は当らず障らずの世間話に時間を潰していた。けれども自然に出る世間話というよりも、寧ろある問題を回避する為の世間話だから、両方共に緊張を腹の底に感じていた。
平岡は三千代の事も、金の事も口へ出さなかった。従って三日前代助が彼の留守宅を訪問した事に就ても何も語らなかった。代助も始めのうちは、わざと、その点に触れないで澄していたが、何時まで経っても、平岡の方で余所々々しく構えているので、却って不安になった。
「実は二三日前君の所へ行ったが、君は留守だったね」と云い出した。
「うん。そうだったそうだね。その節は又難有う。御蔭さまで。――なに、君を煩わさないでもどうかなったんだが、彼奴があまり心配し過ぎて、つい君に迷惑を掛けて済まない」と冷淡な礼を云った。それから、
「僕も実は御礼に来た様なものだが、本当の御礼には、いずれ当人が出るだろうから」とまるで三千代と自分を別物にした言分であった。代助はただ、
「そんな面倒な事をする必要があるものか」と答えた。話はこれで切れた。が又両方に共通で、しかも、両方のあまり興味を持たない方面に摺り滑って行った。すると、平岡が突然、
「僕はことによると、もう実業は已めるかも知れない。実際内幕を知れば知る程厭になる。その上此方へ来て、少し運動をしてみて、つくづく勇気がなくなった」と心底かららしい告白をした。代助は、一口、
「それは、そうだろう」と答えた。平岡はあまりこの返事の冷淡なのに驚ろいた様子であった。が、又あとを付けた。
「先達ても一寸話したんだが、新聞へでも這入ろうかと思ってる」
「口があるのかい」と代助が聞き返した。
「今、一つある。多分出来そうだ」
来た時は、運動しても駄目だから遊んでいると云うし、今は新聞に口があるから出ようと云うし、少し要領を欠いでいるが、追窮するのも面倒だと思って、代助は、
「それも面白かろう」と賛成の意を表して置いた。
平岡の帰りを玄関まで見送った時、代助はしばらく、障子に身を寄せて、敷居の上に立っていた。門野も御附合に平岡の後姿を眺めていた。が、すぐ口を出した。
「平岡さんは思ったよりハイカラですな。あの服装じゃ、少し宅の方が御粗末過ぎる様です」
「そうでもないさ。近頃はみんな、あんなものだろう」と代助は立ちながら答えた。
「全たく、服装だけじゃ分らない世の中になりましたからね。何処の紳士かと思うと、どうも変ちきりんな家へ這入てますからね」と門野はすぐあとを付けた。
代助は返事も為ずに書斎へ引き返した。縁側に垂れた君子蘭の緑の滴がどろどろになって、干上り掛っていた。代助はわざと、書斎と座敷の仕切を立て切って、一人室のうちへ這入った。来客に接した後しばらくは、独坐に耽るが代助の癖であった。ことに今日の様に調子の狂う時は、格別その必要を感じた。
平岡はとうとう自分と離れてしまった。逢うたんびに、遠くにいて応対する様な気がする。実を云うと、平岡ばかりではない。誰に逢ってもそんな気がする。現代の社会は孤立した人間の集合体に過ぎなかった。大地は自然に続いているけれども、その上に家を建てたら、忽ち切れ切れになってしまった。家の中にいる人間もまた切れ切れになってしまった。文明は我等をして孤立せしむるものだと、代助は解釈した。
代助と接近していた時分の平岡は、人に泣いて貰う事を喜こぶ人であった。今でもそうかも知れない。が、些ともそんな顔をしないから、解らない。否、力めて、人の同情を斥ける様に振舞っている。孤立しても世は渡ってみせるという我慢か、又はこれが現代社会に本来の面目だと云う悟りか、何方かに帰着する。
平岡に接近していた時分の代助は、人の為に泣く事の好きな男であった。それが次第々々に泣けなくなった。泣かない方が現代的だからと云うのではなかった。事実は寧ろこれを逆にして、泣かないから現代的だと言いたかった。泰西の文明の圧迫を受けて、その重荷の下に唸る、劇烈な生存競争場裏に立つ人で、真によく人の為に泣き得るものに、代助は未だ曾て出逢わなかった。
代助は今の平岡に対して、隔離の感よりも寧ろ嫌悪の念を催うした。そうして向うにも自己同様の念が萌していると判じた。昔しの代助も、時々わが胸のうちに、こう云う影を認めて驚ろいた事があった。その時は非常に悲しかった。今はその悲しみも殆んど薄く剥がれてしまった。だから自分で黒い影を凝と見詰めてみる。そうして、これが真だと思う。已を得ないと思う。ただそれだけになった。
こう云う意味の孤独の底に陥って煩悶するには、代助の頭はあまりに判然し過ぎていた。彼はこの境遇を以て、現代人の踏むべき必然の運命と考えたからである。従って、自分と平岡の隔離は、今の自分の眼に訴えてみて、尋常一般の経路を、ある点まで進行した結果に過ぎないと見傚した。けれども、同時に、両人の間に横たわる一種の特別な事情の為、この隔離が世間並よりも早く到着したと云う事を自覚せずにはいられなかった。それは三千代の結婚であった。三千代を平岡に周旋したものは元来が自分であった。それを当時に悔る様な薄弱な頭脳ではなかった。今日に至って振り返ってみても、自分の所作は、過去を照らす鮮かな名誉であった。けれども三年経過するうちに自然は自然に特有な結果を、彼等二人の前に突き付けた。彼等は自己の満足と光輝を棄てて、その前に頭を下げなければならなかった。そうして平岡は、ちらりちらりと何故三千代を貰ったかと思うようになった。代助は何処かしらで、何故三千代を周旋したかと云う声を聞いた。
代助は書斎に閉じ籠って一日考えに沈んでいた。晩食の時、門野が、
「先生今日は一日御勉強ですな。どうです、些と御散歩になりませんか。今夜は寅毘沙ですぜ。演芸館で支那人の留学生が芝居を演ってます。どんな事を演る積りですか、行って御覧なすったらどうです。支那人てえ奴は、臆面がないから、何でも遣る気だから呑気なものだ。……」と一人で喋舌った。
代助は又父から呼ばれた。代助にはその用事が大抵分っていた。代助は不断からなるべく父を避けて会わない様にしていた。この頃になっては猶更奥へ寄り付かなかった。逢うと、叮寧な言葉を使って応対しているにも拘わらず、腹の中では、父を侮辱している様な気がしてならなかったからである。
代助は人類の一人として、互を腹の中で侮辱する事なしには、互に接触を敢てし得ぬ、現代の社会を、二十世紀の堕落と呼んでいた。そうして、これを、近来急に膨張した生活慾の高圧力が道義慾の崩壊を促がしたものと解釈していた。又これをこれ等新旧両慾の衝突と見傚していた。最後に、この生活慾の目醒しい発展を、欧洲から押し寄せた海嘯と心得ていた。
この二つの因数は、何処かで平衡を得なければならない。けれども、貧弱な日本が、欧洲の最強国と、財力に於て肩を較べる日の来るまでは、この平衡は日本に於て得られないものと代助は信じていた。そうして、かかる日は、到底日本の上を照らさないものと諦めていた。だからこの窮地に陥った日本紳士の多数は、日毎に法律に触れない程度に於て、もしくはただ頭の中に於て、罪悪を犯さなければならない。そうして、相手が今如何なる罪悪を犯しつつあるかを、互に黙知しつつ、談笑しなければならない。代助は人類の一人として、かかる侮辱を加うるにも、又加えらるるにも堪えなかった。
代助の父の場合は、一般に比べると、稍特殊的傾向を帯びるだけに複雑であった。彼は維新前の武士に固有な道義本位の教育を受けた。この教育は情意行為の標準を、自己以外の遠い所に据えて、事実の発展によって証明せらるべき手近な真を、眼中に置かない無理なものであった。にも拘わらず、父は習慣に囚えられて、未だにこの教育に執着している。そうして、一方には、劇烈な生活慾に冒され易い実業に従事した。父は実際に於て年々この生活慾の為に腐蝕されつつ今日に至った。だから昔の自分と、今の自分の間には、大きな相違のあるべき筈である。それを父は自認していなかった。昔の自分が、昔通りの心得で、今の事業をこれまでに成し遂げたとばかり公言する。けれども封建時代にのみ通用すべき教育の範囲を狭める事なしに、現代の生活慾を時々刻々に充たして行ける訳がないと代助は考えた。もし双方をそのままに存在させようとすれば、これを敢てする個人は、矛盾の為に大苦痛を受けなければならない。もし内心にこの苦痛を受けながら、ただ苦痛の自覚だけ明らかで、何の為の苦痛だか分別が付かないならば、それは頭脳の鈍い劣等な人種である。代助は父に対する毎に、父は自己を隠蔽する偽君子か、もしくは分別の足らない愚物か、何方かでなくてはならない様な気がした。そうして、そう云う気がするのが厭でならなかった。
と云って、父は代助の手際で、どうする事も出来ない男であった。代助には明らかに、それが分っていた。だから代助は未だ曾て父を矛盾の極端まで追い詰めた事がなかった。
代助は凡ての道徳の出立点は社会的事実より外にないと信じていた。始めから頭の中に硬張った道徳を据え付けて、その道徳から逆に社会的事実を発展させようとする程、本末を誤った話はないと信じていた。従って日本の学校でやる、講釈の倫理教育は、無意義のものだと考えた。彼等は学校で昔し風の道徳を教授している。それでなければ一般欧洲人に適切な道徳を呑み込ましている。この劇烈なる生活慾に襲われた不幸な国民から見れば、迂遠の空談に過ぎない。この迂遠な教育を受けたものは、他日社会を眼前に見る時、昔の講釈を思い出して笑ってしまう。でなければ馬鹿にされた様な気がする。代助に至っては、学校のみならず、現に自分の父から、尤も厳格で、尤も通用しない徳義上の教育を受けた。それがため、一時非常な矛盾の苦痛を、頭の中に起した。代助はそれを恨めしく思っている位であった。
代助はこの前梅子に礼を云いに行った時、梅子から一寸奥へ行って、挨拶をしていらっしゃいと注意された。代助は笑いながら御父さんはいるんですかと空とぼけた。いらっしゃるわと云う確答を得た時でも、今日はちと急ぐから廃そうと帰って来た。
今日はわざわざその為に来たのだから、否でも応でも父に逢わなければならない。相変らず、内玄関の方から廻って座敷へ来ると、珍らしく兄の誠吾が胡坐をかいて、酒を呑んでいた。梅子も傍に坐っていた。兄は代助を見て、
「どうだ、一盃遣らないか」と、前にあった葡萄酒の壜を持って振って見せた。中にはまだ余程這入っていた。梅子は手を敲いて洋盞を取り寄せた。
「当てて御覧なさい。どの位古いんだか」と一杯注いだ。
「代助に分るものか」と云って、誠吾は弟の唇のあたりを眺めていた。代助は一口飲んで盃を下へ下した。肴の代りに薄いウエーファーが菓子皿にあった。
「旨いですね」と云った。
「だから時代を当てて御覧なさいよ」
「時代があるんですか。偉いものを買い込んだもんだね。帰りに一本貰って行こう」
「御生憎様、もうこれぎりなの。到来物よ」と云って梅子は縁側へ出て、膝の上に落ちたウエーファーの粉を払いた。
「兄さん、今日はどうしたんです。大変気楽そうですね」と代助が聞いた。
「今日は休養だ。この間中はどうも忙し過ぎて降参したから」と誠吾は火の消えた葉巻を口に啣えた。代助は自分の傍にあった燐寸を擦って遣った。
「代さん貴方こそ気楽じゃありませんか」と云いながら梅子が縁側から帰って来た。
「姉さん歌舞伎座へ行きましたか。まだなら、行って御覧なさい。面白いから」
「貴方もう行ったの、驚ろいた。貴方も余っ程怠けものね」
「怠けものは可くない。勉強の方向が違うんだから」
「押の強い事ばかり云って。人の気も知らないで」と梅子は誠吾の方を見た。誠吾は赤い瞼をして、ぽかんと葉巻の烟を吹いていた。
「ねえ、貴方」と梅子が催促した。誠吾はうるさそうに葉巻を指の股へ移して、
「今のうち沢山勉強して貰って置いて、今に此方が貧乏したら、救って貰う方が好いじゃないか」と云った。梅子は、
「代さん、あなた役者になれて」と聞いた、代助は何にも云わずに、洋盞を姉の前に出した。梅子も黙って葡萄酒の壜を取り上げた。
「兄さん、この間中は何だか大変忙しかったんだってね」と代助は前へ戻って聞いた。
「いや、もう大弱りだ」と云いながら、誠吾は寐転んでしまった。
「何か日糖事件に関係でもあったんですか」と代助が聞いた。
「日糖事件に関係はないが、忙しかった」
兄の答は何時でもこの程度以上に明瞭になった事がない。実は明瞭に話したくないんだろうけれども、代助の耳には、それが本来の無頓着で、話すのが臆怯なためと聞える。だから代助はいつでも楽にその返事の中に這入ていた。
「日糖もつまらない事になったが、ああなる前にどうか方法はないんでしょうかね」
「そうさなあ。実際世の中の事は、何がどうなるんだか分らないからな。――梅、今日は直木に云い付けて、ヘクターを少し運動させなくっちゃ不可いよ。ああ大食をして寐てばかりいちゃ毒だ」と誠吾は眠そうな瞼を指でしきりに擦った。代助は、
「愈奥へ行って御父さんに叱られて来るかな」と云いながら又洋盞を嫂の前へ出した。梅子は笑って酒を注いだ。
「嫁の事か」と誠吾が聞いた。
「まあ、そうだろうと思うんです」
「貰って置くがいい。そう老人に心配さしたって仕様があるものか」と云ったが、今度はもっと判然した語勢で、
「気を付けないと不可よ。少し低気圧が来ているから」と注意した。代助は立ち掛けながら、
「まさかこの間中の奔走からきた低気圧じゃありますまいね」と念を押した。兄は寐転んだまま、
「何とも云えないよ。こう見えて、我々も日糖の重役と同じ様に、何時拘引されるか分らない身体なんだから」と云った。
「馬鹿な事を仰しゃるなよ」と梅子が窘めた。
「やっぱり僕ののらくらが持ち来たした低気圧なんだろう」と代助は笑いながら立った。
廊下伝いに中庭を越して、奥へ来て見ると、父は唐机の前へ坐って、唐本を見ていた。父は詩が好きで、閑があると折々支那人の詩集を読んでいる。然し時によると、それが尤も機嫌のわるい索引になる事があった。そう云うときは、いかに神経のふっくら出来上った兄でも、なるべく近寄らない事にしていた。是非顔を合せなければならない場合には、誠太郎か、縫子か、何方か引張て父の前へ出る手段を取っていた。代助も縁側まで来て、そこに気が付いたが、それ程の必要もあるまいと思って、座敷を一つ通り越して、父の居間に這入った。
父はまず眼鏡を外した。それを読み掛けた書物の上に置くと、代助の方に向き直った。そうして、ただ一言、
「来たか」と云った。その語調は平常よりも却って穏な位であった。代助は膝の上に手を置きながら、兄が真面目な顔をして、自分を担いだんじゃなかろうかと考えた。代助はそこで又苦い茶を飲ませられて、しばらく雑談に時を移した。今年は芍薬の出が早いとか、茶摘歌を聞いていると眠くなる時候だとか、何所とかに、大きな藤があって、その花の長さが四尺足らずあるとか、話は好加減な方角へ大分長く延びて行った。代助は又その方が勝手なので、いつまでも延ばす様にと、後から後を付けて行った。父も仕舞には持て余して、とうとう、時に今日御前を呼んだのはと云い出した。
代助はそれから後は、一言も口を利かなくなった。只謹んで親爺の云うことを聴いていた。父も代助からこう云う態度に出られると、長い間自分一人で、講義でもする様に、述べて行かなくてはならなかった。然しその半分以上は、過去を繰返すだけであった。が代助はそれを、始めて聞くと同程度の注意を払って聞いていた。
父の長談義のうちに、代助は二三の新しい点も認めた。その一つは、御前は一体これからさきどうする料簡なんだと云う真面目な質問であった。代助は今まで父からの注文ばかり受けていた。だから、その注文を曖昧に外す事に慣れていた。けれども、こう云う大質問になると、そう口から出任せに答えられない。無暗な事を云えば、すぐ父を怒らしてしまうからである。と云って正直を自白すると、二三年間父の頭を教育した上でなくっては、通じない理窟になる。代助はこの大質問に応じて、自分の未来を明瞭に道破るだけの考も何も有っていなかった。彼はそれが自分に取って尤もな所だと思っていた。けれども父に、その通りを話して、なるほどと納得させるまでには、大変な時間がかかる。或は生涯通じっこないかも知れない。父の気に入る様にするのは、何でも、国家の為とか、天下の為とか、景気の好い事を、しかも結婚と両立しない様な事を、述べて置けば済むのであるが、代助は如何に、自己を侮辱する気になっても、こればかりは馬鹿気ていて、口へ出す勇気がなかった。そこで已を得ないから、実は色々計画もあるが、いずれ秩序立てて来て、御相談をする積りであると答えた。答えた後で、実に滑稽だと思ったが仕方がなかった。
代助は次に、独立の出来るだけの財産が欲しくはないかと聞かれた。代助は無論欲しいと答えた。すると、父が、では佐川の娘を貰ったら好かろうと云う条件を付けた。その財産は佐川の娘が持って来るのか、又は父がくれるのか甚だ曖昧であった。代助は少しその点に向って進んでみたが、遂に要領を得なかった。けれども、それを突き留める必要がないと考えて已めた。
次に、一層洋行する気はないかと云われた。代助は好いでしょうと云って賛成した。けれども、これにも、やっぱり結婚が先決問題として出て来た。
「そんなに佐川の娘を貰う必要があるんですか」と代助が仕舞に聞いた。すると父の顔が赤くなった。
代助は父を怒らせる気は少しもなかったのである。彼の近頃の主義として、人と喧嘩をするのは、人間の堕落の一範疇になっていた。喧嘩の一部分として、人を怒らせるのは、怒らせる事自身よりは、怒った人の顔色が、如何に不愉快にわが眼に映ずるかと云う点に於て、大切なわが生命を傷ける打撃に外ならぬと心得ていた。彼は罪悪に就ても彼れ自身に特有な考を有っていた。けれども、それが為に、自然のままに振舞いさえすれば、罰を免かれ得るとは信じていなかった。人を斬ったものの受くる罰は、斬られた人の肉から出る血潮であると固く信じていた。迸しる血の色を見て、清い心の迷乱を引き起さないものはあるまいと感ずるからである。代助はそれ程神経の鋭どい男であった。だから顔の色を赤くした父を見た時、妙に不快になった。けれどもこの罪を二重に償うために、父の云う通りにしようと云う気は些とも起らなかった。彼は、一方に於て、自己の脳力に、非常な尊敬を払う男であったからである。
その時父は頗る熱した語気で、先ず自分の年を取っている事、子供の未来が心配になる事、子供に嫁を持たせるのは親の義務であると云う事、嫁の資格その他に就ては、本人よりも親の方が遥かに周到な注意を払っていると云う事、他の親切は、その当時にこそ余計な御世話に見えるが、後になると、もう一遍うるさく干渉して貰いたい時機が来るものであるという事を、非常に叮嚀に説いた。代助は慎重な態度で、聴いていた。けれども、父の言葉が切れた時も、依然として許諾の意を表さなかった。すると父はわざと抑えた調子で、
「じゃ、佐川は已めるさ。そうして誰でも御前の好きなのを貰ったら好いだろう。誰か貰いたいのがあるのか」と云った。これは嫂の質問と同様であるが、代助は梅子に対する様に、ただ苦笑ばかりしてはいられなかった。
「別にそんな貰いたいのもありません」と明らかな返事をした。すると父は急に肝の発した様な声で、
「じゃ、少しは此方の事を考えてくれたら好かろう。何もそう自分の事ばかり思っていないでも」と急調子に云った。代助は、突然父が代助を離れて、彼自身の利害に飛び移ったのに驚ろかされた。けれどもその驚ろきは、論理なき急劇の変化の上に注がれただけであった。
「貴方にそれ程御都合が好い事があるなら、もう一遍考えてみましょう」と答えた。
父は益機嫌をわるくした。代助は人と応対している時、どうしても論理を離れる事の出来ない場合がある。それが為め、よく人から、相手を遣り込めるのを目的とする様に受取られる。実際を云うと、彼程人を遣り込める事の嫌いな男はないのである。
「何も己の都合ばかりで、嫁を貰えと云ってやしない」と父は前の言葉を訂正した。「そんなに理窟を云うなら、参考の為、云って聞かせるが、御前はもう三十だろう、三十になって、普通のものが結婚をしなければ、世間では何と思うか大抵分るだろう。そりゃ今は昔と違うから、独身も本人の随意だけれども、独身の為に親や兄弟が迷惑したり、果は自分の名誉に関係する様な事が出来したりしたらどうする気だ」
代助はただ茫然として父の顔を見ていた。父はどの点に向って、自分を刺した積りだか、代助には殆んど分らなかったからである。しばらくして、
「そりゃ私のことだから少しは道楽もしますが……」と云いかけた。父はすぐそれを遮ぎった。
「そんな事じゃない」
二人はそれぎりしばらく口を利かずにいた。父はこの沈黙を以て代助に向って与えた打撃の結果と信じた。やがて、言葉を和らげて、
「まあ、よく考えて御覧」と云った。代助ははあと答えて、父の室を退ぞいた。座敷へ来て兄を探したが見えなかった。嫂はと尋ねたら、客間だと下女が教えたので、行って戸を明けて見ると、縫子のピヤノの先生が来ていた。代助は先生に一寸挨拶をして、梅子を戸口まで呼び出した。
「あなたは僕の事を何か御父さんに讒訴しやしないか」
梅子はハハハハと笑った。そうして、
「まあ御這入んなさいよ。丁度好い所だから」と云って、代助を楽器の傍まで引張って行った。
蟻の座敷へ上がる時候になった。代助は大きな鉢へ水を張って、その中に真白な鈴蘭を茎ごと漬けた。簇がる細かい花が、濃い模様の縁を隠した。鉢を動かすと、花が零れる。代助はそれを大きな字引の上に載せた。そうして、その傍に枕を置いて仰向けに倒れた。黒い頭が丁度鉢の陰になって、花から出る香が、好い具合に鼻に通った。代助はその香を嗅ぎながら仮寐をした。
代助は時々尋常な外界から法外に痛烈な刺激を受ける。それが劇しくなると、晴天から来る日光の反射にさえ堪え難くなることがあった。そう云う時には、なるべく世間との交渉を稀薄にして、朝でも午でも構わず寐る工夫をした。その手段には、極めて淡い、甘味の軽い、花の香をよく用いた。瞼を閉じて、瞳に落ちる光線を謝絶して、静かに鼻の穴だけで呼吸しているうちに、枕元の花が、次第に夢の方へ、躁ぐ意識を吹いて行く。これが成功すると、代助の神経が生れ代った様に落ち付いて、世間との連絡が、前よりは比較的楽に取れる。
代助は父に呼ばれてから二三日の間、庭の隅に咲いた薔薇の花の赤いのを見るたびに、それが点々として眼を刺してならなかった。その時は、いつでも、手水鉢の傍にある、擬宝珠の葉に眼を移した。その葉には、放肆な白い縞が、三筋か四筋、長く乱れていた。代助が見るたびに、擬宝珠の葉は延びて行く様に思われた。そうして、それと共に白い縞も、自由に拘束なく、延びる様な気がした。柘榴の花は、薔薇よりも派手にかつ重苦しく見えた。緑の間にちらりちらりと光って見える位、強い色を出していた。従ってこれも代助の今の気分には相応らなかった。
彼の今の気分は、彼に時々起る如く、総体の上に一種の暗調を帯びていた。だから余りに明る過ぎるものに接すると、その矛盾に堪えがたかった。擬宝珠の葉も長く見詰めていると、すぐ厭になる位であった。
その上彼は、現代の日本に特有なる一種の不安に襲われ出した。その不安は人と人との間に信仰がない源因から起る野蛮程度の現象であった。彼はこの心的現象のために甚しき動揺を感じた。彼は神に信仰を置く事を喜ばぬ人であった。又頭脳の人として、神に信仰を置く事の出来ぬ性質であった。けれども、相互に信仰を有するものは、神に依頼するの必要がないと信じていた。相互が疑い合うときの苦しみを解脱する為めに、神は始めて存在の権利を有するものと解釈していた。だから、神のある国では、人が嘘を吐くものと極めた。然し今の日本は、神にも人にも信仰のない国柄であるという事を発見した。そうして、彼はこれを一に日本の経済事情に帰着せしめた。
四五日前、彼は掏摸と結託して悪事を働らいた刑事巡査の話を新聞で読んだ。それが一人や二人ではなかった。他の新聞の記す所によれば、もし厳重に、それからそれへと、手を延ばしたら、東京は一時殆んど無警察の有様に陥るかも知れないそうである。代助はその記事を読んだとき、ただ苦笑しただけであった。そうして、生活の大難に対抗せねばならぬ薄給の刑事が、悪い事をするのは、実際尤もだと思った。
代助が父に逢って、結婚の相談を受けた時も、少しこれと同様の気がした。が、これはただ父に信仰がない所から起る、代助に取って不幸な暗示に過ぎなかった。そうして代助は自分の心のうちに、かかる忌わしい暗示を受けたのを、不徳義とは感じ得なかった。それが事実となって眼前にあらわれても、やはり父を尤もだと肯う積りだったからである。
代助は平岡に対しても同様の感じを抱いていた。然し平岡に取っては、それが当然の事であると許していた。ただ平岡を好く気になれないだけであった。代助は兄を愛していた。けれどもその兄に対してもやはり信仰は有ち得なかった。嫂は実意のある女であった。然し嫂は、直接生活の難関に当らないだけ、それだけ兄よりも近付き易いのだと考えていた。
代助は平生から、この位に世の中を打遣っていた。だから、非常な神経質であるにも拘わらず、不安の念に襲われる事は少なかった。そうして、自分でもそれを自覚していた。それが、どう云う具合か急に揺き出した。代助はこれを生理上の変化から起るのだろうと察した。そこである人が北海道から採って来たと云ってくれた鈴蘭の束を解いて、それを悉く水の中に浸して、その下に寐たのである。
一時間の後、代助は大きな黒い眼を開いた。その眼は、しばらくの間一つ所に留まって全く動かなかった。手も足も寐ていた時の姿勢を少しも崩さずに、まるで死人のそれの様であった。その時一匹の黒い蟻が、ネルの襟を伝わって、代助の咽喉に落ちた。代助はすぐ右の手を動かして咽喉を抑えた。そうして、額に皺を寄せて、指の股に挟んだ小さな動物を、鼻の上まで持って来て眺めた。その時蟻はもう死んでいた。代助は人指指の先に着いた黒いものを、親指の爪で向うへ弾いた。そうして起き上がった。
膝の周囲に、まだ三四匹這っていたのを、薄い象牙の紙小刀で打ち殺した。それから手を叩いて人を呼んだ。
「御目醒ですか」と云って、門野が出て来た。
「御茶でも入れて来ましょうか」と聞いた。代助は、はだかった胸を掻き合せながら、
「君、僕の寐ていたうちに、誰か来やしなかったかね」と、静かな調子で尋ねた。
「ええ、御出でした。平岡の奥さんが。よく御存じですな」と門野は平気に答えた。
「何故起さなかったんだ」
「余まり能く御休でしたからな」
「だって御客なら仕方がないじゃないか」
代助の語勢は少し強くなった。
「ですがな。平岡の奥さんの方で、起さない方が好いって、仰しゃったもんですからな」
「それで、奥さんは帰ってしまったのか」
「なに帰ってしまったと云う訳でもないんです。一寸神楽坂に買物があるから、それを済まして又来るからって、云われるもんですからな」
「じゃ又来るんだね」
「そうです。実は御目覚になるまで待っていようかって、この座敷まで上って来られたんですが、先生の顔を見て、あんまり善く寐ているもんだから、こいつは、容易に起きそうもないと思ったんでしょう」
「また出て行ったのかい」
「ええ、まあそうです」
代助は笑いながら、両手で寐起の顔を撫でた。そうして風呂場へ顔を洗いに行った。頭を濡らして、縁側まで帰って来て、庭を眺めていると、前よりは気分が大分晴々した。曇った空を燕が二羽飛んでいる様が大いに愉快に見えた。
代助はこの前平岡の訪問を受けてから、心待に後から三千代の来るのを待っていた。けれども、平岡の言葉は遂に事実として現れて来なかった。特別の事情があって、三千代がわざと来ないのか、又は平岡が始めから御世辞を使ったのか、疑問であるが、それがため、代助は心の何処かに空虚を感じていた。然し彼はこの空虚な感じを、一つの経験として日常生活中に見出したまでで、その原因をどうするの、こうするのと云う気はあまりなかった。この経験自身の奥を覗き込むと、それ以上に暗い影がちらついている様に思ったからである。
それで彼は進んで平岡を訪問するのを避けていた。散歩のとき彼の足は多く江戸川の方角に向いた。桜の散る時分には、夕暮の風に吹かれて、四つの橋を此方から向うへ渡り、向うから又此方へ渡り返して、長い堤を縫う様に歩いた。がその桜はとくに散てしまって、今は緑蔭の時節になった。代助は時々橋の真中に立って、欄干に頬杖を突いて、茂る葉の中を、真直に通っている、水の光を眺め尽して見る。それからその光の細くなった先の方に、高く聳える目白台の森を見上てみる。けれども橋を向うへ渡って、小石川の坂を上る事はやめにして帰る様になった。ある時彼は大曲の所で、電車を下る平岡の影を半町程手前から認めた。彼は慥にそうに違ないと思った。そうして、すぐ揚場の方へ引き返した。
彼は平岡の安否を気にかけていた。まだ坐食の不安な境遇に居るに違ないとは思うけれども、或はどの方面かへ、生活の行路を切り開く手掛りが出来たかも知れないとも想像してみた。けれども、それを確める為に、平岡の後を追う気にはなれなかった。彼は平岡に面するときの、原因不明な一種の不快を予想する様になった。と云って、ただ三千代の為にのみ、平岡の位地を心配する程、平岡を悪んでもいなかった。平岡の為にも、やはり平岡の成功を祈る心はあったのである。
こんな風に、代助は空虚なるわが心の一角を抱いて今日に至った。いま先方門野を呼んで括り枕を取り寄せて、午寐を貪ぼった時は、あまりに溌溂たる宇宙の刺激に堪えなくなった頭を、出来るならば、蒼い色の付いた、深い水の中に沈めたい位に思った。それ程彼は命を鋭く感じ過ぎた。従って熱い頭を枕へ着けた時は、平岡も三千代も、彼に取って殆んど存在していなかった。彼は幸にして涼しい心持に寐た。けれどもその穏やかな眠のうちに、誰かすうと来て、又すうと出て行った様な心持がした。眼を醒まして起き上がってもその感じがまだ残っていて、頭から拭い去る事が出来なかった。それで門野を呼んで、寐ている間に誰か来はしないかと聞いたのである。
代助は両手を額に当てて、高い空を面白そうに切って廻る燕の運動を縁側から眺めていたが、やがて、それが眼ま苦しくなったので、室の中に這入った。けれども、三千代が又訪ねて来ると云う目前の予期が、既に気分の平調を冒しているので、思索も読書も殆んど手に着かなかった。代助は仕舞に本棚の中から、大きな画帖を出して来て、膝の上に広げて、繰り始めた。けれども、それも、只指の先で順々に開けて行くだけであった。一つ画を半分とは味わっていられなかった。やがてブランギンの所へ来た。代助は平生からこの装飾画家に多大の趣味を有っていた。彼の眼は常の如く輝を帯びて、一度はその上に落ちた。それは何処かの港の図であった。背景に船と檣と帆を大きく描いて、その余った所に、際立って花やかな空の雲と、蒼黒い水の色をあらわした前に、裸体の労働者が四五人いた。代助はこれ等の男性の、山の如くに怒らした筋肉の張り具合や、彼等の肩から脊へかけて、肉塊と肉塊が落ち合って、その間に渦の様な谷を作っている模様を見て、其所にしばらく肉の力の快感を認めたが、やがて、画帖を開けたまま、眼を放して耳を立てた。すると勝手の方で婆さんの声がした。それから牛乳配達が空罎を鳴らして急ぎ足に出て行った。宅のうちが静かなので、鋭どい代助の聴神経には善く応えた。
代助はぼんやり壁を見詰めていた。門野をもう一返呼んで、三千代が又くる時間を、云い置いて行ったかどうか尋ねようと思ったが、あまり愚だから憚かった。そればかりではない、人の細君が訪ねて来るのを、それ程待ち受ける趣意がないと考えた。又それ程待ち受ける位なら、此方から何時でも行って話をすべきであると考えた。この矛盾の両面を双対に見た時、代助は急に自己の没論理に耻じざるを得なかった。彼の腰は半ば椅子を離れた。けれども彼はこの没論理の根底に横わる色々の因数を自分で善く承知していた。そうして、今の自分に取っては、この没論理の状態が、唯一の事実であるから仕方ないと思った。かつ、この事実と衝突する論理は、自己に無関係な命題を繋ぎ合わして出来上った、自己の本体を蔑視する、形式に過ぎないと思った。そう思って又椅子へ腰を卸した。
それから三千代の来るまで、代助はどんな風に時を過したか、殆んど知らなかった。表に女の声がした時、彼は胸に一鼓動を感じた。彼は論理に於て尤も強い代りに、心臓の作用に於て尤も弱い男であった。彼が近来怒れなくなったのは、全く頭の御蔭で、腹を立てる程自分を馬鹿にすることを、理智が許さなくなったからである。がその他の点に於ては、尋常以上に情緒の支配を受けるべく余儀なくされていた。取次に出た門野が足音を立てて、書斎の入口にあらわれた時、血色のいい代助の頬は微かに光沢を失っていた。門野は、
「此方にしますか」と甚だ簡単に代助の意向を確めた。座敷へ案内するか、書斎で逢うかと聞くのが面倒だから、こう詰めてしまったのである。代助はうんと云って、入口に返事を待っていた門野を追い払う様に、自分で立って行って、縁側へ首を出した。三千代は縁側と玄関の継目の所に、此方を向いてためらっていた。
三千代の顔はこの前逢った時よりは寧ろ蒼白かった。代助に眼と顎で招かれて書斎の入口へ近寄った時、代助は三千代の息を喘ましていることに気が付いた。
「どうかしましたか」と聞いた。
三千代は何にも答えずに室の中に這入て来た。セルの単衣の下に襦袢を重ねて、手に大きな白い百合の花を三本ばかり提げていた。その百合をいきなり洋卓の上に投げる様に置いて、その横にある椅子へ腰を卸した。そうして、結ったばかりの銀杏返を、構わず、椅子の脊に押し付けて、
「ああ苦しかった」と云いながら、代助の方を見て笑った。代助は手を叩いて水を取り寄せようとした。三千代は黙って洋卓の上を指した。其所には代助の食後の嗽をする硝子の洋盃があった。中に水が二口ばかり残っていた。
「奇麗なんでしょう」と三千代が聞いた。
「此奴は先刻僕が飲んだんだから」と云って、洋盃を取り上げたが、躊躇した。代助の坐っている所から、水を棄てようとすると、障子の外に硝子戸が一枚邪魔をしている。門野は毎朝縁側の硝子戸を一二枚宛開けないで、元の通りに放って置く癖があった。代助は席を立って、縁へ出て、水を庭へ空けながら、門野を呼んだ。今いた門野は何処へ行ったか、容易に返事をしなかった。代助は少しまごついて、又三千代の所へ帰って来て、
「今すぐ持って来て上げる」と云いながら、折角空けた洋盃をそのまま洋卓の上に置いたなり、勝手の方へ出て行った。茶の間を通ると、門野は無細工な手をして錫の茶壺から玉露を撮み出していた。代助の姿を見て、
「先生、今直です」と言訳をした。
「茶は後でも好い。水が要るんだ」と云って、代助は自分で台所へ出た。
「はあ、そうですか。上がるんですか」と茶壺を放り出して門野も付いて来た。二人で洋盃を探したが一寸見付からなかった。婆さんはと聞くと、今御客さんの菓子を買いに行ったという答であった。
「菓子がなければ、早く買って置けば可いのに」と代助は水道の栓を捩って湯呑に水を溢らせながら云った。
「つい、小母さんに、御客さんの来る事を云って置かなかったものですからな」と門野は気の毒そうに頭を掻いた。
「じゃ、君が菓子を買に行けば可いのに」と代助は勝手を出ながら、門野に当った。門野はそれでも、まだ、返事をした。
「なに菓子の外にも、まだ色々買物があるって云うもんですからな。足は悪し天気は好くないし、廃せば好いんですのに」
代助は振り向きもせず、書斎へ戻った。敷居を跨いで、中へ這入るや否や三千代の顔を見ると、三千代は先刻代助の置いて行った洋盃を膝の上に両手で持っていた。その洋盃の中には、代助が庭へ空けたと同じ位に水が這入っていた。代助は湯呑を持ったまま、茫然として、三千代の前に立った。
「どうしたんです」と聞いた。三千代は例の通り落ち付いた調子で、
「難有う。もう沢山。今あれを飲んだの。あんまり奇麗だったから」と答えて、鈴蘭の漬けてある鉢を顧みた。代助はこの大鉢の中に水を八分目程張って置いた。妻楊枝位な細い茎の薄青い色が、水の中に揃っている間から、陶器の模様が仄かに浮いて見えた。
「何故あんなものを飲んだんですか」と代助は呆れて聞いた。
「だって毒じゃないでしょう」と三千代は手に持った洋盃を代助の前へ出して、透かして見せた。
「毒でないったって、もし二日も三日も経った水だったらどうするんです」
「いえ、先刻来た時、あの傍まで顔を持って行って嗅いでみたの。その時、たった今その鉢へ水を入れて、桶から移したばかりだって、あの方が云ったんですもの。大丈夫だわ。好い香ね」
代助は黙って椅子へ腰を卸した。果して詩の為に鉢の水を呑んだのか、又は生理上の作用に促がされて飲んだのか、追窮する勇気も出なかった。よし前者とした所で、詩を衒って、小説の真似なぞをした受売の所作とは認められなかったからである。そこで、ただ、
「気分はもう好くなりましたか」と聞いた。
三千代の頬に漸やく色が出て来た。袂から手帛を取り出して、口の辺を拭きながら話を始めた。――大抵は伝通院前から電車へ乗って本郷まで買物に出るんだが、人に聞いてみると、本郷の方は神楽坂に比べて、どうしても一割か二割物が高いと云うので、この間から一二度此方の方へ出て来てみた。この前も寄る筈であったが、つい遅くなったので急いで帰った。今日はその積りで早く宅を出た。が、御息み中だったので、又通りまで行って買物を済まして帰り掛けに寄る事にした。ところが天気模様が悪くなって、藁店を上がり掛けるとぽつぽつ降り出した。傘を持って来なかったので、濡れまいと思って、つい急ぎ過ぎたものだから、すぐ身体に障って、息が苦しくなって困った。――
「けれども、慣れっこに為てるんだから、驚ろきゃしません」と云って、代助を見て淋しい笑い方をした。
「心臓の方は、まだすっかり善くないんですか」と代助は気の毒そうな顔で尋ねた。
「すっかり善くなるなんて、生涯駄目ですわ」
意味の絶望な程、三千代の言葉は沈んでいなかった。繊い指を反して穿めている指環を見た。それから、手帛を丸めて、又袂へ入れた。代助は眼を俯せた女の額の、髪に連なる所を眺めていた。
すると、三千代は急に思い出した様に、この間の小切手の礼を述べ出した。その時何だか少し頬を赤くした様に思われた。視感の鋭敏な代助にはそれが善く分った。彼はそれを、貸借に関した羞耻の血潮とのみ解釈した。そこで話をすぐ他所へ外した。
先刻三千代が提げて這入て来た百合の花が、依然として洋卓の上に載っている。甘たるい強い香が二人の間に立ちつつあった。代助はこの重苦しい刺激を鼻の先に置くに堪えなかった。けれども無断で、取り除ける程、三千代に対して思い切った振舞が出来なかった。
「この花はどうしたんです。買て来たんですか」と聞いた。三千代は黙って首肯いた。そうして、
「好い香でしょう」と云って、自分の鼻を、弁の傍まで持って来て、ふんと嗅いで見せた。代助は思わず足を真直に踏ん張って、身を後の方へ反らした。
「そう傍で嗅いじゃ不可ない」
「あら何故」
「何故って理由もないんだが、不可ない」
代助は少し眉をひそめた。三千代は顔をもとの位地に戻した。
「貴方、この花、御嫌なの?」
代助は椅子の足を斜に立てて、身体を後へ伸したまま、答えをせずに、微笑して見せた。
「じゃ、買って来なくっても好かったのに。つまらないわ、回り路をして。御負に雨に降られ損なって、息を切らして」
雨は本当に降って来た。雨滴が樋に集まって、流れる音がざあと聞えた。代助は椅子から立ち上がった。眼の前にある百合の束を取り上げて、根元を括った濡藁を挘り切った。
「僕にくれたのか。そんなら早く活けよう」と云いながら、すぐ先刻の大鉢の中に投げ込んだ。茎が長すぎるので、根が水を跳ねて、飛び出しそうになる。代助は滴る茎を又鉢から抜いた。そうして洋卓の引出から西洋鋏を出して、ぷつりぷつりと半分程の長さに剪り詰めた。そうして、大きな花を、鈴蘭の簇がる上に浮かした。
「さあこれで好い」と代助は鋏を洋卓の上に置いた。三千代はこの不思議に無作法に活けられた百合を、しばらく見ていたが、突然、
「あなた、何時からこの花が御嫌になったの」と妙な質問をかけた。
昔し三千代の兄がまだ生きていた時分、ある日何かのはずみに、長い百合を買って、代助が谷中の家を訪ねた事があった。その時彼は三千代に危しげな花瓶の掃除をさして、自分で、大事そうに買って来た花を活けて、三千代にも、三千代の兄にも、床へ向直って眺めさした事があった。三千代はそれを覚えていたのである。
「貴方だって、鼻を着けて嗅いでいらしったじゃありませんか」と云った。代助はそんな事があった様にも思って、仕方なしに苦笑した。
そのうち雨は益深くなった。家を包んで遠い音が聴えた。門野が出て来て、少し寒い様ですな、硝子戸を閉めましょうかと聞いた。硝子戸を引く間、二人は顔を揃えて庭の方を見ていた。青い木の葉が悉く濡れて、静かな湿り気が、硝子越に代助の頭に吹き込んで来た。世の中の浮いているものは残らず大地の上に落ち付いた様に見えた。代助は久し振りで吾に返った心持がした。
「好い雨ですね」と云った。
「些とも好かないわ、私、草履を穿いて来たんですもの」
三千代は寧ろ恨めしそうに樋から洩る雨点を眺めた。
「帰りには車を云い付けて上げるから可いでしょう。緩りなさい」
三千代はあまり緩り出来そうな様子も見えなかった。まともに、代助の方を見て、
「貴方も相変らず呑気な事を仰しゃるのね」と窘めた。けれどもその眼元には笑の影が泛んでいた。
今まで三千代の陰に隠れてぼんやりしていた平岡の顔が、この時明らかに代助の心の瞳に映った。代助は急に薄暗がりから物に襲われた様な気がした。三千代はやはり、離れ難い黒い影を引き摺って歩いている女であった。
「平岡君はどうしました」とわざと何気なく聞いた。すると三千代の口元が心持締って見えた。
「相変らずですわ」
「まだ何にも見付らないんですか」
「その方はまあ安心なの。来月から新聞の方が大抵出来るらしいんです」
「そりゃ好かった。些とも知らなかった。そんなら当分それで好いじゃありませんか」
「ええ、まあ難有いわ」と三千代は低い声で真面目に云った。代助は、その時三千代を大変可愛く感じた。引続いて、
「彼方の方は差当り責められる様な事もないんですか」と聞いた。
「彼方の方って――」と少し逡巡っていた三千代は、急に顔を赧らめた。
「私、実は今日それで御詫に上ったのよ」と云いながら、一度俯向いた顔を又上げた。
代助は少しでも気不味い様子を見せて、この上にも、女の優しい血潮を動かすに堪えなかった。同時に、わざと向うの意を迎える様な言葉を掛けて、相手を殊更に気の毒がらせる結果を避けた。それで静かに三千代の云う所を聴いた。
先達ての二百円は、代助から受取るとすぐ借銭の方へ回す筈であったが、新らしく家を持った為、色々入費が掛ったので、ついその方の用を、あのうちで幾分か弁じたのが始りであった。あとはと思っていると、今度は毎日の活計に追われ出した。自分ながら好い心持はしなかったけれども、仕方なしに困るとは使い、困るとは使いして、とうとうあらまし亡くしてしまった。尤もそうでもしなければ、夫婦は今日までこうして暮らしては行けなかったのである。今から考えてみると、一層の事無ければ無いなりに、どうかこうか工面も付いたかも知れないが、なまじい、手元に有ったものだから、苦し紛れに、急場の間に合わしてしまったので、肝心の証書を入れた借銭の方は、いまだにそのままにしてある。これは寧ろ平岡の悪いのではない。全く自分の過である。
「私、本当に済まない事をしたと思って、後悔しているのよ。けれども拝借するときは、決して貴方を瞞して嘘を吐く積りじゃなかったんだから、堪忍して頂戴」と三千代は甚だ苦しそうに言訳をした。
「どうせ貴方に上げたんだから、どう使ったって、誰も何とも云う訳はないでしょう。役にさえ立てばそれで好いじゃありませんか」と代助は慰めた。そうして貴方という字をことさらに重くかつ緩く響かせた。三千代はただ、
「私、それで漸く安心したわ」と云っただけであった。
雨が頻なので、帰るときには約束通り車を雇った。寒いので、セルの上へ男の羽織を着せようとしたら、三千代は笑って着なかった。
何時の間にか、人が絽の羽織を着て歩く様になった。二三日、宅で調物をして庭先より外に眺めなかった代助は、冬帽を被って表へ出てみて、急に暑さを感じた。自分もセルを脱がなければならないと思って、五六町歩くうちに、袷を着た人に二人出逢った。そうかと思うと新らしい氷屋で書生が洋盃を手にして、冷たそうなものを飲んでいた。代助はその時誠太郎を思い出した。
近頃代助は前よりも誠太郎が好きになった。外の人間と話していると、人間の皮と話す様で歯痒くってならなかった。けれども、顧みて自分を見ると、自分は人間中で、尤も相手を歯痒がらせる様に拵えられていた。これも長年生存競争の因果に曝された罰かと思うと、余り難有い心持はしなかった。
この頃誠太郎はしきりに玉乗りの稽古をしたがっているが、それは、全くこの間浅草の奥山へ一所に連れて行った結果である。あの一図な所はよく、嫂の気性を受け継いでいる。然し兄の子だけあって、一図なうちに、何処か逼らない鷹揚な気象がある。誠太郎の相手をしていると、向うの魂が遠慮なく此方へ流れ込んで来るから愉快である。実際代助は、昼夜の区別なく、武装を解いた事のない精神に、包囲されるのが苦痛であった。
誠太郎はこの春から中学校へ行き出した。すると急に脊丈が延びて来る様に思われた。もう一二年すると声が変る。それから先どんな径路を取って、生長するか分らないが、到底人間として、生存する為には、人間から嫌われると云う運命に到着するに違ない。その時、彼は穏やかに人の目に着かない服装をして、乞食の如く、何物をか求めつつ、人の市をうろついて歩くだろう。
代助は堀端へ出た。この間まで向うの土手にむら躑躅が、団々と紅白の模様を青い中に印していたのが、まるで跡形もなくなって、のべつに草が生い茂っている高い傾斜の上に、大きな松が何十本となく並んで、何処までもつづいている。空は奇麗に晴れた。代助は電車に乗って、宅へ行って、嫂に調戯って、誠太郎と遊ぼうと思ったが、急に厭になって、この松を見ながら、草臥る所まで堀端を伝って行く気になった。
新見付へ来ると、向うから来たり、此方から行ったりする電車が苦になり出したので、堀を横切って、招魂社の横から番町へ出た。そこをぐるぐる回って歩いているうちに、かく目的なしに歩いている事が、不意に馬鹿らしく思われた。目的があって歩くものは賤民だと、彼は平生から信じていたのであるけれども、この場合に限って、その賤民の方が偉い様な気がした。全たく、又アンニュイに襲われたと悟って、帰りだした。神楽坂へかかると、ある商店で大きな蓄音器を吹かしていた。その音が甚しく金属性の刺激を帯びていて、大いに代助の頭に応えた。
家の門を這入ると、今度は門野が、主人の留守を幸いと、大きな声で琵琶歌をうたっていた。それでも代助の足音を聞いて、ぴたりと已めた。
「いや、御早うがしたな」と云って玄関へ出て来た。代助は何にも答えずに、帽子を其所へ掛けたまま、縁側から書斎へ這入った。そうして、わざわざ障子を締め切った。つづいて湯呑に茶を注いで持って来た門野が、
「締めときますか。暑かありませんか」と聞いた。代助は袂から手帛を出して額を拭いていたが、やっぱり、
「締めて置いてくれ」と命令した。門野は妙な顔をして障子を締めて出て行った。代助は暗くした室のなかに、十分ばかりぽかんとしていた。
彼は人の羨やむ程光沢の好い皮膚と、労働者に見出しがたい様に柔かな筋肉を有った男であった。彼は生れて以来、まだ大病と名のつくものを経験しなかった位、健康に於て幸福を享けていた。彼はこれでこそ、生甲斐があると信じていたのだから、彼の健康は、彼に取って、他人の倍以上に価値を有っていた。彼の頭は、彼の肉体と同じく確であった。ただ始終論理に苦しめられていたのは事実である。それから時々、頭の中心が、大弓の的の様に、二重もしくは三重にかさなる様に感ずる事があった。ことに、今日は朝からそんな心持がした。
代助が黙然として、自己は何の為にこの世の中に生れて来たかを考えるのはこう云う時であった。彼は今まで何遍もこの大問題を捕えて、彼の眼前に据え付けて見た。その動機は、単に哲学上の好奇心から来た事もあるし、又世間の現象が、余りに複雑な色彩を以て、彼の頭を染め付けようと焦るから来る事もあるし、又最後には今日の如くアンニュイの結果として来る事もあるが、その都度彼は同じ結論に到着した。然しその結論は、この問題の解決ではなくって、寧ろその否定と異ならなかった。彼の考によると、人間はある目的を以て、生れたものではなかった。これと反対に、生れた人間に、始めてある目的が出来て来るのであった。最初から客観的にある目的を拵らえて、それを人間に附着するのは、その人間の自由な活動を、既に生れる時に奪ったと同じ事になる。だから人間の目的は、生れた本人が、本人自身に作ったものでなければならない。けれども、如何な本人でも、これを随意に作る事は出来ない。自己存在の目的は、自己存在の経験が、既にこれを天下に向って発表したと同様だからである。
この根本義から出立した代助は、自己本来の活動を、自己本来の目的としていた。歩きたいから歩く。すると歩くのが目的になる。考えたいから考える。すると考えるのが目的になる。それ以外の目的を以て、歩いたり、考えたりするのは、歩行と思考の堕落になる如く、自己の活動以外に一種の目的を立てて、活動するのは活動の堕落になる。従って自己全体の活動を挙げて、これを方便の具に使用するものは、自ら自己存在の目的を破壊したも同然である。
だから、代助は今日まで、自分の脳裏に願望、嗜欲が起るたび毎に、これ等の願望嗜欲を遂行するのを自己の目的として存在していた。二個の相容れざる願望嗜欲が胸に闘う場合も同じ事であった。ただ矛盾から出る一目的の消耗と解釈していた。これを煎じ詰めると、彼は普通に所謂無目的な行為を目的として活動していたのである。そうして、他を偽らざる点に於てそれを尤も道徳的なものと心得ていた。
この主義を出来るだけ遂行する彼は、その遂行の途中で、われ知らず、自分のとうに棄却した問題に襲われて、自分は今何の為に、こんな事をしているかと考え出す事がある。彼が番町を散歩しながら、何故散歩しつつあるかと疑ったのは正にこれである。
その時彼は自分ながら、自分の活力に充実していない事に気がつく。餓えたる行動は、一気に遂行する勇気と、興味に乏しいから、自らその行動の意義を中途で疑う様になる。彼はこれをアンニュイと名けていた。アンニュイに罹ると、彼は論理の迷乱を引き起すものと信じていた。彼の行為の中途に於て、何の為と云う、冠履顛倒の疑を起させるのは、アンニュイに外ならなかったからである。
彼は立て切った室の中で、一二度頭を抑えて振り動かしてみた。彼は昔から今日までの思索家の、屡繰り返した無意義な疑義を、又脳裏に拈定するに堪えなかった。その姿のちらりと眼前に起った時、またかと云う具合に、すぐ切り棄ててしまった。同時に彼は自己の生活力の不足を劇しく感じた。従って行為その物を目的として、円満に遂行する興味も有たなかった。彼はただ一人荒野の中に立った。茫然としていた。
彼は高尚な生活欲の満足を冀う男であった。又ある意味に於て道義欲の満足を買おうとする男であった。そうして、ある点へ来ると、この二つのものが火花を散らして切り結ぶ関門があると予想していた。それで生活欲を低い程度に留めて我慢していた。彼の室は普通の日本間であった。これと云う程の大した装飾もなかった。彼に云わせると、額さえ気の利いたものは掛けてなかった。色彩として眼を惹く程に美しいのは、本棚に並べてある洋書に集められたと云う位であった。彼は今この書物の中に、茫然として坐った。良あって、これほど寐入った自分の意識を強烈にするには、もう少し周囲の物をどうかしなければならぬと、思いながら、室の中をぐるぐる見廻した。それから、又ぽかんとして壁を眺めた。が、最後に、自分をこの薄弱な生活から救い得る方法は、ただ一つあると考えた。そうして口の内で云った。
「やっぱり、三千代さんに逢わなくちゃ不可ん」
彼は足の進まない方角へ散歩に出たのを悔いた。もう一遍出直して、平岡の許まで行こうかと思っている所へ、森川町から寺尾が来た。新らしい麦藁帽を被って、閑静な薄い羽織を着て、暑い暑いと云って赤い顔を拭いた。
「何だって、今時分来たんだ」と代助は愛想もなく云い放った。彼は寺尾とは平生でも、この位な言葉で交際していたのである。
「今時分が丁度訪問に好い刻限だろう。君、又昼寐をしたな。どうも職業のない人間は、惰弱で不可ん。君は一体何の為に生れて来たのだったかね」と云って、寺尾は麦藁帽で、しきりに胸のあたりへ風を送った。時候はまだそれ程暑くないのだから、この所作は頗る愛嬌を添えた。
「何の為に生れて来ようと、余計な御世話だ。それより君こそ何しに来たんだ。又『此所十日ばかりの間』じゃないか、金の相談ならもう御免だよ」と代助は遠慮なく先へ断った。
「君も随分礼義を知らない男だね」と寺尾は已を得ず答えた。けれども別段感情を害した様子も見えなかった。実を云うと、この位な言葉は寺尾に取って、少しも無礼とは思えなかったのである。代助は黙って、寺尾の顔を見ていた。それは、空しい壁を見ているより以上の何等の感動をも、代助に与えなかった。
寺尾は懐から汚ない仮綴の書物を出した。
「これを訳さなけりゃならないんだ」と云った。代助は依然として黙っていた。
「食うに困らないと思って、そう無精な顔をしなくっても好かろう。もう少し判然としてくれ。此方は生死の戦だ」と云って、寺尾は小形の本を、とんとんと椅子の角で二返敲いた。
「何時までに」
寺尾は、書物の頁をさらさらと繰って見せたが、断然たる調子で、
「二週間」と答えた後で、「どうでもこうでも、それまでに片付なけりゃ、食えないんだから仕方がない」と説明した。
「偉い勢だね」と代助は冷かした。
「だから、本郷からわざわざ遣って来たんだ。なに、金は借りなくても好い。――貸せば猶好いが――それより少し分らない所があるから、相談しようと思って」
「面倒だな。僕は今日は頭が悪くって、そんな事は遣っていられないよ。好い加減に訳して置けば構わないじゃないか。どうせ原稿料は頁でくれるんだろう」
「なんぼ、僕だって、そう無責任な翻訳は出来ないだろうじゃないか。誤訳でも指摘されると後から面倒だあね」
「仕様がないな」と云って、代助はやっぱり横着な態度を維持していた。すると、寺尾は、
「おい」と云った。「冗談じゃない、君の様に、のらくら遊んでる人は、たまにはその位な事でも、しなくっちゃ退屈で仕方がないだろう。なに、僕だって、本の善く読める人の所へ行く気なら、わざわざ君の所まで来やしない。けれども、そんな人は君と違って、みんな忙しいんだからな」と少しも辟易した様子を見せなかった。代助は喧嘩をするか、相談に応ずるか何方かだと覚悟を極めた。彼の性質として、こう云う相手を軽蔑する事は出来るが、怒り付ける気は出せなかった。
「じゃなるべく少しにしようじゃないか」と断って置いて、符号の附けてある所だけを見た。代助はその書物の梗概さえ聞く勇気がなかった。相談を受けた部分にも曖昧な所は沢山あった。寺尾は、やがて、
「やあ、難有う」と云って本を伏せた。
「分らない所はどうする」と代助が聞いた。
「なにどうかする。――誰に聞いたって、そう善く分りゃしまい。第一時間がないから已を得ない」と、寺尾は、誤訳よりも生活費の方が大事件である如くに天から極めていた。
相談が済むと、寺尾は例によって、文学談を持ち出した。不思議な事に、そうなると、自己の翻訳とは違って、いつもの通り非常に熱心になった。代助は現今の文学者の公けにする創作のうちにも、寺尾の翻訳と同じ意味のものが沢山あるだろうと考えて、寺尾の矛盾を可笑しく思った。けれども面倒だから、口へは出さなかった。
寺尾の御蔭で代助はその日とうとう平岡へ行きはぐれてしまった。
晩食の時、丸善から小包が届いた。箸を措いて開けて見ると、余程前に外国へ注文した二三の新刊書であった。代助はそれを腋の下に抱え込んで、書斎へ帰った。一冊ずつ順々に取り上げて、暗いながら二三頁、捲る様に眼を通したが何処も彼の注意を惹く様な所はなかった。最後の一冊に至っては、その名前さえ既に忘れていた。何れその中読む事にしようと云う考で、一所に纏めたまま、立って、本棚の上に重ねて置いた。縁側から外を窺うと、奇麗な空が、高い色を失いかけて、隣の梧桐の一際濃く見える上に、薄い月が出ていた。
そこへ門野が大きな洋燈を持って這入って来た。それには絹縮の様に、竪に溝の入った青い笠が掛けてあった。門野はそれを洋卓の上に置いて、又縁側へ出たが、出掛に、
「もう、そろそろ蛍が出る時分ですな」と云った。代助は可笑な顔をして、
「まだ出やしまい」と答えた。すると門野は例の如く、
「そうでしょうか」と云う返事をしたが、すぐ真面目な調子で、「蛍てえものは、昔は大分流行たもんだが、近来は余り文士方が騒がない様になりましたな。どう云うもんでしょう。蛍だの烏だのって、この頃じゃついぞ見た事がない位なもんだ」と云った。
「そうさ。どう云う訳だろう」と代助も空っとぼけて、真面目な挨拶をした。すると門野は、
「やっぱり、電気燈に圧倒されて、段々退却するんでしょう」と云い終って、自から、えへへへと、洒落の結末をつけて、書生部屋へ帰って行った。代助もつづいて玄関まで出た。門野は振返た。
「また御出掛ですか。よござんす。洋燈は私が気を付けますから。――小母さんが先刻から腹が痛いって寐たんですが、何大した事はないでしょう。御緩り」
代助は門を出た。江戸川まで来ると、河の水がもう暗くなっていた。彼は固より平岡を訪ねる気であった。から何時もの様に川辺を伝わないで、すぐ橋を渡って、金剛寺坂を上った。
実を云うと、代助はそれから三千代にも平岡にも二三遍逢っていた。一遍は平岡から比較的長い手紙を受取った時であった。それには、第一に着京以来御世話になって難有いと云う礼が述べてあった。それから、――その後色々朋友や先輩の尽力を辱うしたが、近頃ある知人の周旋で、某新聞の経済部の主任記者にならぬかとの勧誘を受けた。自分も遣ってみたい様な気がする。然し着京の当時君に御依頼をした事もあるから、無断では宜しくあるまいと思って、一応御相談をすると云う意味が後に書いてあった。代助は、その当時平岡から、兄の会社に周旋してくれと依頼されたのを、そのままにして、断わりもせず今日まで放って置いた。ので、その返事を促されたのだと受取った。一通の手紙で謝絶するのも、あまり冷淡過ぎると云う考もあったので、翌日出向いて行って、色々兄の方の事情を話して当分、此方は断念してくれる様に頼んだ。平岡はその時、僕も大方そうだろうと思っていたと云って、妙な眼をして三千代の方を見た。
いま一遍は、愈新聞の方が極まったから、一晩緩り君と飲みたい。何日に来てくれという平岡の端書が着いた時、折悪く差支が出来たからと云って散歩の序に断わりに寄ったのである。その時平岡は座敷の真中に引繰り返って寐ていた。昨夕どこかの会へ出て、飲み過ごした結果だと云って、赤い眼をしきりに摩った。代助を見て、突然、人間はどうしても君の様に独身でなけりゃ仕事は出来ない。僕も一人なら満洲へでも亜米利加へでも行くんだがと大いに妻帯の不便を鳴らした。三千代は次の間で、こっそり仕事をしていた。
三遍目には、平岡の社へ出た留守を訪ねた。その時は用事も何もなかった。約三十分ばかり縁へ腰を掛けて話した。
それから以後はなるべく小石川の方面へ立ち回らない事にして今夜に至ったのである。代助は竹早町へ上って、それを向うへ突き抜けて、二三町行くと、平岡と云う軒燈のすぐ前へ来た。格子の外から声を掛けると、洋燈を持って下女が出た。が平岡は夫婦とも留守であった。代助は出先も尋ねずに、すぐ引返して、電車へ乗って、本郷まで来て、本郷から又神田へ乗り換えて、そこで降りて、あるビヤー、ホールへ這入って、麦酒をぐいぐい飲んだ。
翌日眼が覚めると、依然として脳の中心から、半径の違った円が、頭を二重に仕切っている様な心持がした。こう云う時に代助は、頭の内側と外側が、質の異なった切り組み細工で出来上っているとしか感じ得られない癖になっていた。それで能く自分で自分の頭を振ってみて、二つのものを混ぜようと力めたものである。彼は今枕の上へ髪を着けたなり、右の手を固めて、耳の上を二三度敲いた。
代助はかかる脳髄の異状を以て、かつて酒の咎に帰した事はなかった。彼は小供の時から酒に量を得た男であった。いくら飲んでも、さ程平常を離れなかった。のみならず、一度熟睡さえすれば、あとは身体に何の故障も認める事が出来なかった。甞て何かのはずみに、兄と競り飲みをやって、三合入の徳利を十三本倒した事がある。その翌日代助は平気な顔をして学校へ出た。兄は二日も頭が痛いと云って苦り切っていた。そうして、これを年齢の違だと云った。
昨夕飲んだ麦酒はこれに比べると愚なものだと、代助は頭を敲きながら考えた。幸に、代助はいくら頭が二重になっても、脳の活動に狂を受けた事がなかった。時としては、ただ頭を使うのが臆劫になった。けれども努力さえすれば、充分複雑な仕事に堪えるという自信があった。だから、こんな異状を感じても、脳の組織の変化から、精神に悪い影響を与えるものとしては、悲観する余地がなかった。始めて、こんな感覚があった時は驚ろいた。二遍目は寧ろ新奇な経験として喜んだ。この頃は、この経験が、多くの場合に、精神気力の低落に伴う様になった。内容の充実しない行為を敢てして、生活する時の徴候になった。代助にはそこが不愉快だった。
床の上に起き上がって、彼は又頭を振った。朝食の時、門野は今朝の新聞に出ていた蛇と鷲の戦の事を話し掛けたが、代助は応じなかった。門野は又始まったなと思って、茶の間を出た。勝手の方で、
「小母さん、そう働らいちゃ悪いだろう。先生の膳は僕が洗って置くから、彼方へ行って休んで御出」と婆さんを労っていた。代助は始めて婆さんの病気の事を思い出した。何か優しい言葉でも掛ける所であったが、面倒だと思って已めにした。
食刀を置くや否や、代助はすぐ紅茶茶碗を持って書斎へ這入った。時計を見るともう九時過であった。しばらく、庭を眺めながら、茶を啜り延ばしていると、門野が来て、
「御宅から御迎が参りました」と云った。代助は宅から迎を受ける覚がなかった。聞き返してみても、門野は車夫がとか何とか要領を得ない事を云うので、代助は頭を振り振り玄関へ出てみた。すると、そこに兄の車を引く勝と云うのがいた。ちゃんと、護謨輪の車を玄関へ横付にして、叮嚀に御辞義をした。
「勝、御迎って何だい」と聞くと、勝は恐縮の態度で、
「奥様が車を持って、迎に行って来いって、御仰いました」
「何か急用でも出来たのかい」
勝は固より何事も知らなかった。
「御出になれば分るからって――」と簡潔に答えて、言葉の尻を結ばなかった。
代助は奥へ這入った。婆さんを呼んで着物を出させようと思ったが、腹の痛むものを使うのが厭なので、自分で箪笥の抽出を掻き回して、急いで身支度をして、勝の車に乗って出た。
その日は風が強く吹いた。勝は苦しそうに、前の方に曲んで馳けた。乗っていた代助は、二重の頭がぐるぐる回転するほど、風に吹かれた。けれども、音も響もない車輪が美くしく動いて、意識に乏しい自分を、半睡の状態で宙に運んで行く有様が愉快であった。青山の家へ着く時分には、起きた頃とは違って、気色が余程晴々して来た。
何か事が起ったのかと思って、上り掛けに、書生部屋を覗いてみたら、直木と誠太郎がたった二人で、白砂糖を振り掛けた苺を食っていた。
「やあ、御馳走だな」と云うと、直木は、すぐ居ずまいを直して、挨拶をした。誠太郎は唇の縁を濡らしたまま、突然、
「叔父さん、奥さんは何時貰うんですか」と聞いた。直木はにやにやしている。代助は一寸返答に窮した。已を得ず、
「今日は何故学校へ行かないんだ。そうして朝っ腹から苺なんぞを食って」と調戯う様に、叱る様に云った。
「だって今日は日曜じゃありませんか」と誠太郎は真面目になった。
「おや、日曜か」と代助は驚ろいた。
直木は代助の顔を見てとうとう笑い出した。代助も笑って、座敷へ来た。そこには誰も居なかった。替え立ての畳の上に、丸い紫檀の刳抜盆が一つ出ていて、中に置いた湯呑には、京都の浅井黙語の模様画が染め付けてあった。からんとした広い座敷へ朝の緑が庭から射し込んで、凡てが静かに見えた。戸外の風は急に落ちた様に思われた。
座敷を通り抜けて、兄の部屋の方へ来たら、人の影がした。
「あら、だって、それじゃ余まりだわ」と云う嫂の声が聞えた。代助は中へ這入った。中には兄と嫂と縫子がいた。兄は角帯に金鎖を巻き付けて、近頃流行る妙な絽の羽織を着て、此方を向いて立っていた。代助の姿を見て、
「そら来た。ね。だから一所に連れて行って御貰よ」と梅子に話しかけた。代助には何の意味だか固より分らなかった。すると、梅子が代助の方に向き直った。
「代さん、今日貴方、無論暇でしょう」と云った。
「ええ、まあ暇です」と代助は答えた。
「じゃ、一所に歌舞伎座へ行って頂戴」
代助は嫂のこの言葉を聞いて、頭の中に、忽ち一種の滑稽を感じた。けれども今日は平常の様に、嫂に調戯う勇気がなかった。面倒だから、平気な顔をして、
「ええ宜しい、行きましょう」と機嫌よく答えた。すると梅子は、
「だって、貴方は、最早、一遍観たって云うんじゃありませんか」と聞き返した。
「一遍だろうが、二遍だろうが、些とも構わない。行きましょう」と代助は梅子を見て微笑した。
「貴方も余っ程道楽ものね」と梅子が評した。代助は益滑稽を感じた。
兄は用があると云って、すぐ出て行った。四時頃用が済んだら芝居の方へ回る約束なんだそうである。それまで自分と縫子だけで見ていたら好さそうなものだが、梅子はそれが厭だと云った。そんなら直木を連れて行けと兄から注意された時、直木は紺絣を着て、袴を穿いて、むずかしく坐っていて不可ないと答えた。それで仕方がないから代助を迎いに遣ったのだ、と、これは兄が出掛の説明であった。代助は少々理窟に合わないと思ったが、ただ、そうですかと答えた。そうして、嫂は幕の合間に話し相手が欲いのと、それからいざと云う時に、色々用を云い付けたいものだから、わざわざ自分を呼び寄せたに違ないと解釈した。
梅子と縫子は長い時間を御化粧に費やした。代助は懇よく御化粧の監督者になって、両人の傍に附いていた。そうして時々は、面白半分の冷かしも云った。縫子からは叔父さん随分だわを二三度繰り返された。
父は今朝早くから出て、家にいなかった。何処へ行ったのだか、嫂は知らないと云った。代助は別に知りたい気もなかった。ただ父のいないのが難有かった。この間の会見以後、代助は父とはたった二度程しか顔を合せなかった。それも、ほんの十分か十五分に過ぎなかった。話が込み入りそうになると、急に叮嚀な御辞義をして立つのを例にしていた。父は座敷の方へ出て来て、どうも代助は近頃少しも尻が落ち付かなくなった。おれの顔さえ見れば逃げ仕度をすると云って怒った。と嫂は鏡の前で夏帯の尻を撫でながら代助に話した。
「ひどく、信用を落したもんだな」
代助はこう云って、嫂と縫子の蝙蝠傘を提げて一足先へ玄関へ出た。車はそこに三挺并んでいた。
代助は風を恐れて鳥打帽を被っていた。風は漸く歇んで、強い日が雲の隙間から頭の上を照らした。先へ行く梅子と縫子は傘を広げた。代助は時々手の甲を額の前に翳した。
芝居の中では、嫂も縫子も非常に熱心な観客であった。代助は二返目の所為といい、この三四日来の脳の状態からと云い、そう一図に舞台ばかりに気を取られている訳にも行かなかった。絶えず精神に重苦しい暑を感ずるので、屡団扇を手にして、風を襟から頭へ送っていた。
幕の合間に縫子が代助の方を向いて時々妙な事を聞いた。何故あの人は盥で酒を飲むんだとか、何故坊さんが急に大将になれるんだとか、大抵説明の出来ない質問のみであった。梅子はそれを聞くたんびに笑っていた。代助は不図二三日前新聞で見た、ある文学者の劇評を思い出した。それには、日本の脚本が、あまりに突飛な筋に富んでいるので、楽に見物が出来ないと書いてあった。代助はその時、役者の立場から考えて、何もそんな人に見て貰う必要はあるまいと思った。作者に云うべき小言を、役者の方へ持ってくるのは、近松の作を知るために、越路の浄瑠璃が聴きたいと云う愚物と同じ事だと云って門野に話した。門野は依然として、そんなもんでしょうかなと云っていた。
小供のうちから日本在来の芝居を見慣れた代助は、無論梅子と同じ様に、単純なる芸術の鑑賞家であった。そうして舞台に於ける芸術の意味を、役者の手腕に就てのみ用いべきものと狭義に解釈していた。だから梅子とは大いに話が合った。時々顔を見合して、黒人の様な批評を加えて、互に感心していた。けれども、大体に於て、舞台にはもう厭が来ていた。幕の途中でも、双眼鏡で、彼方を見たり、此方を見たりしていた。双眼鏡の向う所には芸者が沢山いた。そのあるものは、先方でも眼鏡の先を此方へ向けていた。
代助の右隣には自分と同年輩の男が丸髷に結った美くしい細君を連れて来ていた。代助はその細君の横顔を見て、自分の近付のある芸者によく似ていると思った。左隣には男連が四人ばかりいた。そうして、それが、悉く博士であった。代助はその顔を一々覚えていた。その又隣に、広い所をたった二人で専領しているものがあった。その一人は、兄と同じ位な年恰好で、正しい洋服を着ていた。そうして金縁の眼鏡を掛けて、物を見るときには、顎を前へ出して、心持仰向く癖があった。代助はこの男を見たとき、何所か見覚のある様な気がした。が、ついに思い出そうと力めてもみなかった。その伴侶は若い女であった。代助はまだ二十になるまいと判定した。羽織を着ないで、普通よりは大きく廂を出して、多くは顎を襟元へぴたりと着けて坐っていた。
代助は苦しいので、何返も席を立って、後の廊下へ出て、狭い空を仰いだ。兄が来たら、嫂と縫子を引き渡して早く帰りたい位に思った。一遍は縫子を連れて、其所等をぐるぐる運動して歩いた。仕舞には些と酒でも取り寄せて飲もうかと思った。
兄は日暮とすれすれに来た。大変遅かったじゃありませんかと云った時、帯の間から、金時計を出して見せた。実際六時少し回ったばかりであった。兄は例の如く、平気な顔をして、方々見回していた。が、飯を食う時、立って廊下へ出たぎり、中々帰って来なかった。しばらくして、代助が不図振り返ったら、一軒置いて隣りの金縁の眼鏡を掛けた男の所へ這入って、話をしていた。若い女にも時々話しかける様であった。然し女の方では笑い顔を一寸見せるだけで、すぐ舞台の方へ真面目に向き直った。代助は嫂にその人の名を聞こうと思ったが、兄は人の集る所へさえ出れば、何所へでも斯の如く平気に這入り込む程、世間の広い、又世間を自分の家の様に心得ている男であるから、気にも掛けずに黙っていた。
すると幕の切れ目に、兄が入口まで帰って来て、代助一寸来いと云いながら、代助をその金縁の男の席へ連れて行って、愚弟だと紹介した。それから代助には、これが神戸の高木さんだと云って引合した。金縁の紳士は、若い女を顧みて、私の姪ですと云った。女はしとやかに御辞義をした。その時兄が、佐川さんの令嬢だと口を添えた。代助は女の名を聞いたとき、旨く掛けられたと腹の中で思った。が何事も知らぬものの如く装って、好加減に話していた。すると嫂が一寸自分の方を振り向いた。
五六分して、代助は兄と共に自分の席に返った。佐川の娘を紹介されるまでは、兄の見え次第逃げる気であったが、今ではそう不可なくなった。余り現金に見えては、却って好くない結果を引き起しそうな気がしたので、苦しいのを我慢して坐っていた。兄も芝居に就ては全たく興味がなさそうだったけれども、例の如く鷹揚に構えて、黒い頭を燻す程、葉巻をくゆらした。時々評をすると、縫子あの幕は綺麗だろう位の所であった。梅子は平生の好奇心にも似ず、高木に就ても、佐川の娘に就ても、何等の質問を掛けず、一言の批評も加えなかった。代助にはその澄した様子が却って滑稽に思われた。彼は今日まで嫂の策略にかかった事が時々あった。けれども、只の一返も腹を立てた事はなかった。今度の狂言も、平生ならば、退屈紛らしの遊戯程度に解釈して、笑ってしまったかも知れない。そればかりではない。もし自分が結婚する気なら、却って、この狂言を利用して、自ら人巧的に、御目出度喜劇を作り上げて、生涯自分を嘲けって満足する事も出来た。然しこの姉までが、今の自分を、父や兄と共謀して、漸々窮地に誘なって行くかと思うと、さすがにこの所作をただの滑稽として、観察する訳には行かなかった。代助はこの先、嫂がこの事件をどう発展させる気だろうと考えて、少々弱った。家のものの中で、嫂が一番こんな計画に興味をもっていたからである。もし嫂がこの方面に向って代助に肉薄すればする程、代助は漸々家族のものと疎遠にならなければならぬと云う恐れが、代助の頭の何処かに潜んでいた。
芝居の仕舞になったのは十一時近くであった。外へ出て見ると、風は全く歇んだが、月も星も見えない静かな晩を、電燈が少しばかり照らしていた。時間が遅いので茶屋では話をする暇もなかった。三人の迎は来ていたが、代助はつい車を誂えて置くのを忘れた。面倒だと思って、嫂の勧を斥けて、茶屋の前から電車に乗った。数寄屋橋で乗り易え様と思って、黒い路の中に、待ち合わしていると、小供を負った神さんが、退儀そうに向うから近寄って来た。電車は向う側を二三度通った。代助と軌道の間には、土か石の積んだものが、高い土手の様に挟まっていた。代助は始めて間違った所に立っている事を悟った。
「御神さん、電車へ乗るなら、此所じゃ不可ない。向側だ」と教えながら歩き出した。神さんは礼を云って跟いて来た。代助は手探でもする様に、暗い所を好加減に歩いた。十四五間左の方へ濠際を目標に出たら、漸く停留所の柱が見付った。神さんは其所で、神田橋の方へ向いて乗った。代助はたった一人反対の赤坂行へ這入った。
車の中では、眠くて寐られない様な気がした。揺られながらも今夜の睡眠が苦になった。彼は大いに疲労して、白昼の凡てに、惰気を催おすにも拘わらず、知られざる何物かの興奮の為に、静かな夜を恣にする事が出来ない事がよくあった。彼の脳裏には、今日の日中に、交る交る痕を残した色彩が、時の前後と形の差別を忘れて、一度に散らついていた。そうして、それが何の色彩であるか、何の運動であるか慥かに解らなかった。彼は眼を眠って、家へ帰ったら、又ウイスキーの力を借りようと覚悟した。
彼はこの取り留めのない花やかな色調の反照として、三千代の事を思い出さざるを得なかった。そうして其所にわが安住の地を見出した様な気がした。けれどもその安住の地は、明らかには、彼の眼に映じて出なかった。ただ、かれの心の調子全体で、それを認めただけであった。従って彼は三千代の顔や、容子や、言葉や、夫婦の関係や、病気や、身分を一纏にしたものを、わが情調にしっくり合う対象として、発見したに過ぎなかった。
翌日代助は但馬にいる友人から長い手紙を受取った。この友人は学校を卒業すると、すぐ国へ帰ったぎり、今日までついぞ東京へ出た事のない男であった。当人は無論山の中で暮す気はなかったんだが、親の命令で已を得ず、故郷に封じ込められてしまったのである。それでも一年ばかりの間は、もう一返親父を説き付けて、東京へ出る出ると云って、うるさい程手紙を寄こしたが、この頃は漸く断念したと見えて、大した不平がましい訴もしない様になった。家は所の旧家で、先祖から持ち伝えた山林を年々伐り出すのが、重な用事になっているよしであった。今度の手紙には、彼の日常生活の模様が委しく書いてあった。それから、一カ月前町長に挙げられて、年俸を三百円頂戴する身分になった事を、面白半分、殊更に真面目な句調で吹聴して来た。卒業してすぐ中学の教師になっても、この三倍は貰えると、自分と他の友人との比較がしてあった。
この友人は国へ帰ってから、約一年ばかりして、京都在のある財産家から嫁を貰った。それは無論親の云い付であった。すると、少時して、直子供が生れた。女房の事は貰った時より外に何も云って来ないが、子供の生長には興味があると見えて、時々代助が可笑くなる様な報知をした。代助はそれを読むたびに、この子供に対して、満足しつつある友人の生活を想像した。そうして、この子供の為に、彼の細君に対する感想が、貰った当時に比べて、どの位変化したかを疑った。
友人は時々鮎の乾したのや、柿の乾したのを送ってくれた。代助はその返礼に大概は新らしい西洋の文学書を遣った。するとその返事には、それを面白く読んだ証拠になる様な批評がきっとあった。けれども、それが長くは続かなかった。仕舞には受取ったと云う礼状さえ寄こさなかった。此方からわざわざ問い合せると、書物は難有く頂戴した。読んでから礼を云おうと思って、つい遅くなった。実はまだ読まない。白状すると、読む閑がないと云うより、読む気がしないのである。もう一層露骨に云えば、読んでも解らなくなったのである。という返事が来た。代助はそれから書物を廃めて、その代りに新らしい玩具を買って送る事にした。
代助は友人の手紙を封筒に入れて、自分と同じ傾向を有っていたこの旧友が、当時とはまるで反対の思想と行動とに支配されて、生活の音色を出していると云う事実を、切に感じた。そうして、命の絃の震動から出る二人の響を審かに比較した。
彼は理論家として、友人の結婚を肯った。山の中に住んで、樹や谷を相手にしているものは、親の取り極めた通りの妻を迎えて、安全な結果を得るのが自然の通則と心得たからである。彼は同じ論法で、あらゆる意味の結婚が、都会人士には、不幸を持ち来すものと断定した。その原因を云えば、都会は人間の展覧会に過ぎないからであった。彼はこの前提からこの結論に達する為にこう云う径路を辿った。
彼は肉体と精神に於て美の類別を認める男であった。そうして、あらゆる美の種類に接触する機会を得るのが、都会人士の権能であると考えた。あらゆる美の種類に接触して、そのたび毎に、甲から乙に気を移し、乙から丙に心を動かさぬものは、感受性に乏しい無鑑賞家であると断定した。彼はこれを自家の経験に徴して争うべからざる真理と信じた。その真理から出立して、都会的生活を送る凡ての男女は、両性間の引力に於て、悉く随縁臨機に、測りがたき変化を受けつつあるとの結論に到着した。それを引き延ばすと、既婚の一対は、双方ともに、流俗に所謂不義の念に冒されて、過去から生じた不幸を、始終甞めなければならない事になった。代助は、感受性の尤も発達した、又接触点の尤も自由な、都会人士の代表者として、芸妓を選んだ。彼等のあるものは、生涯に情夫を何人取り替えるか分らないではないか。普通の都会人は、より少なき程度に於て、みんな芸妓ではないか。代助は渝らざる愛を、今の世に口にするものを偽善家の第一位に置いた。
此所まで考えた時、代助の頭の中に、突然三千代の姿が浮んだ。その時代助はこの論理中に、或因数は数え込むのを忘れたのではなかろうかと疑った。けれども、その因数はどうしても発見する事が出来なかった。すると、自分が三千代に対する情合も、この論理によって、ただ現在的のものに過ぎなくなった。彼の頭は正にこれを承認した。然し彼の心は、慥かにそうだと感ずる勇気がなかった。
代助は嫂の肉薄を恐れた。又三千代の引力を恐れた。避暑にはまだ間があった。凡ての娯楽には興味を失った。読書をしても、自己の影を黒い文字の上に認める事が出来なくなった。落付いて考えれば、考えは蓮の糸を引く如くに出るが、出たものを纏めて見ると、人の恐ろしがるものばかりであった。仕舞には、斯様に考えなければならない自分が怖くなった。代助は蒼白く見える自分の脳髄を、ミルクセークの如く廻転させる為に、しばらく旅行しようと決心した。始めは父の別荘に行く積りであった。然し、これは東京から襲われる点に於て、牛込に居ると大した変りはないと思った。代助は旅行案内を買って来て、自分の行くべき先を調べてみた。が、自分の行くべき先は天下中何処にも無い様な気がした。しかし、無理にも何処かへ行こうとした。それには、支度を調えるに若くはないと極めた。代助は電車に乗って、銀座まで来た。朗かに風の往来を渡る午後であった。新橋の勧工場を一回して、広い通りをぶらぶらと京橋の方へ下った。その時代助の眼には、向う側の家が、芝居の書割の様に平たく見えた。青い空は、屋根の上にすぐ塗り付けられていた。
代助は二三の唐物屋を冷かして、入用の品を調えた。その中に、比較的高い香水があった。資生堂で練歯磨を買おうとしたら、若いものが、欲しくないと云うのに自製のものを出して、頻に勧めた。代助は顔をしかめて店を出た。紙包を腋の下に抱えたまま、銀座の外れまで遣って来て、其所から大根河岸を回って、鍛冶橋を丸の内へ志した。当もなく西の方へ歩きながら、これも簡便な旅行と云えるかも知れないと考えた揚句、草臥れて車をと思ったが、何処にも見当らなかったので又電車へ乗って帰った。
家の門を這入ると、玄関に誠太郎のらしい履が叮嚀に并べてあった。門野に聞いたら、へえそうです、先方から待って御出ですという答であった。代助はすぐ書斎へ来て見た。誠太郎は、代助の坐る大きな椅子に腰を掛けて、洋卓の前で、アラスカ探険記を読んでいた。洋卓の上には、蕎麦饅頭と茶盆が一所に乗っていた。
「誠太郎、何だい、人のいない留守に来て、御馳走だね」と云うと、誠太郎は、笑いながら、先ずアラスカ探険記をポッケットへ押し込んで、席を立った。
「其所にいるなら、いても構わないよ」と云っても、聞かなかった。
代助は誠太郎を捕まえて、例の様に調戯い出した。誠太郎はこの間代助が歌舞伎座でした欠伸の数を知っていた。そうして、
「叔父さんは何時奥さんを貰うの」と、又先達てと同じ様な質問を掛けた。
この日誠太郎は、父の使に来たのであった。その口上は、明日の十一時までに一寸来てくれと云うのであった。代助はそうそう父や兄に呼び付けられるのが面倒であった。誠太郎に向って、半分怒った様に、
「何だい、苛いじゃないか。用も云わないで、無暗に人を呼びつけるなんて」と云った。誠太郎はやっぱりにやにやしていた。代助はそれぎり話を外へそらしてしまった。新聞に出ている相撲の勝負が、二人の題目の重なるものであった。
晩食を食って行けと云うのを学校の下調があると云って辞退して誠太郎は帰った。帰る前に、
「それじゃ、叔父さん、明日は来ないんですか」と聞いた。代助は已を得ず、
「うむ。どうだか分らない。叔父さんは旅行するかも知れないからって、帰ってそう云ってくれ」と云った。
「何時」と誠太郎が聞き返したとき、代助は今日明日のうちと答えた。誠太郎はそれで納得して、玄関まで出て行ったが、沓脱へ下りながら振り返って、突然、
「何処へいらっしゃるの」と代助を見上げた。代助は、
「何処って、まだ分るもんか。ぐるぐる回るんだ」と云ったので、誠太郎は又にやにやしながら、格子を出た。
代助はその夜すぐ立とうと思って、グラッドストーンの中を門野に掃除さして、携帯品を少し詰め込んだ。門野は少なからざる好奇心を以て、代助の革鞄を眺めていたが、
「少し手伝いましょうか」と突立ったまま聞いた。代助は、
「なに、訳はない」と断わりながら、一旦詰め込んだ香水の壜を取り出して、封被を剥いで、栓を抜いて、鼻に当てて嗅いでみた。門野は少し愛想を尽した様な具合で、自分の部屋へ引取った。二三分すると又出て来て、
「先生、車をそう云っときますかな」と注意した。代助はグラッドストーンを前へ置いて、顔を上げた。
「そう、少し待ってくれ給え」
庭を見ると、生垣の要目の頂に、まだ薄明るい日足がうろついていた。代助は外を覗きながら、これから三十分のうちに行く先を極めようと考えた。何でも都合のよさそうな時間に出る汽車に乗って、その汽車の持って行く所へ降りて、其所で明日まで暮らして、暮らしているうちに、又新らしい運命が、自分を攫いに来るのを待つ積りであった。旅費は無論充分でなかった。代助の旅装に適した程の宿泊を続けるとすれば、一週間も保たない位であった。けれども、そう云う点になると、代助は無頓着であった。愈となれば、家から金を取り寄せる気でいた。それから、本来が四辺の風気を換えるのを目的とする移動だから、贅沢の方面へは重きを置かない決心であった。興に乗れば、荷持を雇って、一日歩いても可いと覚悟した。
彼は又旅行案内を開いて、細かい数字を丹念に調べ出したが、少しも決定の運に近寄らないうちに、又三千代の方に頭が滑って行った。立つ前にもう一遍様子を見て、それから東京を出ようと云う気が起った。グラッドストーンは今夜中に始末を付けて、明日の朝早く提げて行かれる様にして置けば構わない事になった。代助は急ぎ足で玄関まで出た。その音を聞き付けて、門野も飛び出した。代助は不断着のまま、掛釘から帽子を取っていた。
「又御出掛ですか。何か御買物じゃありませんか。私で可ければ買って来ましょう」と門野が驚ろいた様に云った。
「今夜は已めだ」と云い放したまま、代助は外へ出た。外はもう暗かった。美くしい空に星がぽつぽつ影を増して行く様に見えた。心持の好い風が袂を吹いた。けれども長い足を大きく動かした代助は、二三町も歩かないうちに額際に汗を覚えた。彼は頭から鳥打を脱った。黒い髪を夜露に打たして、時々帽子をわざと振って歩いた。
平岡の家の近所へ来ると、暗い人影が蝙蝠の如く静かに其所、此所に動いた。粗末な板塀の隙間から、洋燈の灯が往来へ映った。三千代はその光の下で新聞を読んでいた。今頃新聞を読むのかと聞いたら、二返目だと答えた。
「そんなに閑なんですか」と代助は座蒲団を敷居の上に移して、縁側へ半分身体を出しながら、障子へ倚りかかった。
平岡は居なかった。三千代は今湯から帰った所だと云って、団扇さえ膝の傍に置いていた。平生の頬に、心持暖い色を出して、もう帰るでしょうから緩くりしていらっしゃいと、茶の間へ茶を入れに立った。髪は西洋風に結っていた。
平岡は三千代の云った通りには中々帰らなかった。何時でもこんなに遅いのかと尋ねたら、笑いながら、まあそんな所でしょうと答えた。代助はその笑の中に一種の淋しさを認めて、眼を正して、三千代の顔を凝と見た。三千代は急に団扇を取って袖の下を煽いだ。
代助は平岡の経済の事が気に掛った。正面から、この頃は生活費には不自由はあるまいと尋ねてみた。三千代はそうですねと云って、又前の様な笑い方をした。代助がすぐ返事をしなかったものだから、
「貴方には、そう見えて」と今度は向うから聞き直した。そうして、手に持った団扇を放り出して、湯から出たての奇麗な繊い指を、代助の前に広げて見せた。その指には代助の贈った指環も、他の指環も穿めていなかった。自分の記念を何時でも胸に描いていた代助には、三千代の意味がよく分った。三千代は手を引き込めると同時に、ぽっと赤い顔をした。
「仕方がないんだから、堪忍して頂戴」と云った。代助は憐れな心持がした。
代助はその夜九時頃平岡の家を辞した。辞する前、自分の紙入の中に有るものを出して、三千代に渡した。その時は、腹の中で多少の工夫を費やした。彼は先ず何気なく懐中物を胸の所で開けて、中にある紙幣を、勘定もせずに攫んで、これを上げるから御使なさいと無雑作に三千代の前へ出した。三千代は、下女を憚かる様な低い声で、
「そんな事を」と、却って両手をぴたりと身体へ付けてしまった。代助は然し自分の手を引き込めなかった。
「指環を受取るなら、これを受取っても、同じ事でしょう。紙の指環だと思って御貰いなさい」
代助は笑いながら、こう云った。三千代はでも、余りだからとまだ躊躇した。代助は、平岡に知れると叱られるのかと聞いた。三千代は叱られるか、賞められるか、明らかに分らなかったので、やはり愚図々々していた。代助は、叱られるなら、平岡に黙っていたら可かろうと注意した。三千代はまだ手を出さなかった。代助は無論出したものを引き込める訳に行かなかった。已を得ず、少し及び腰になって、掌を三千代の胸の側まで持って行った。同時に自分の顔も一尺ばかりの距離に近寄せて、
「大丈夫だから、御取んなさい」と確りした低い調子で云った。三千代は顎を襟の中へ埋める様に後へ引いて、無言のまま右の手を前へ出した。紙幣はその上に落ちた。その時三千代は長い睫毛を二三度打ち合わした。そうして、掌に落ちたものを帯の間に挟んだ。
「又来る。平岡君によろしく」と云って、代助は表へ出た。町を横断して小路へ下ると、あたりは暗くなった。代助は美くしい夢を見た様に、暗い夜を切って歩いた。彼は三十分と立たないうちに、吾家の門前に来た。けれども門を潜る気がしなかった。彼は高い星を戴いて、静かな屋敷町をぐるぐる徘徊した。自分では、夜半まで歩きつづけても疲れる事はなかろうと思った。とかくするうち、又自分の家の前へ出た。中は静かであった。門野と婆さんは茶の間で世間話をしていたらしい。
「大変遅うがしたな。明日は何時の汽車で御立ちですか」と玄関へ上るや否や問を掛けた。代助は、微笑しながら、
「明日も御已めだ」と答えて、自分の室へ這入った。そこには床がもう敷いてあった。代助は先刻栓を抜いた香水を取って、括枕の上に一滴垂らした。それでは何だか物足りなかった。壜を持ったまま、立って室の四隅へ行って、そこに一二滴ずつ振りかけた。斯様に打ち興じた後、白地の浴衣に着換えて、新らしい小掻巻の下に安かな手足を横たえた。そうして、薔薇の香のする眠に就いた。
眼が覚めた時は、高い日が縁に黄金色の震動を射込んでいた。枕元には新聞が二枚揃えてあった。代助は、門野が何時、雨戸を引いて、何時新聞を持って来たか、まるで知らなかった。代助は長い伸を一つして起き上った。風呂場で身体を拭いていると、門野が少し狼狽えた容子で遣って来て、
「青山から御兄いさんが御見えになりました」と云った。代助は今直行く旨を答えて、奇麗に身体を拭き取った。座敷はまだ掃除が出来ているか、いないかであったが、自分で飛び出す必要もないと思ったから、急ぎもせずに、いつもの通り、髪を分けて剃を中て、悠々と茶の間へ帰った。そこではさすがにゆっくりと膳につく気も出なかった。立ちながら紅茶を一杯啜って、タオルで一寸口髭を摩って、それを、其所へ放り出すと、すぐ客間へ出て、
「やあ兄さん」と挨拶をした。兄は例の如く、色の濃い葉巻の、火の消えたのを、指の股に挟んで、平然として代助の新聞を読んでいた。代助の顔を見るや否や、
「この室は大変好い香がする様だが、御前の頭かい」と聞いた。
「僕の頭の見える前からでしょう」と答えて、昨夜の香水の事を話した。兄は、落ち付いて、
「ははあ、大分洒落た事をやるな」と云った。
兄は滅多に代助の所へ来た事のない男であった。たまに来れば必ず来なくってならない用事を持っていた。そうして、用を済ますとさっさと帰って行った。今日も何事か起ったに違ないと代助は考えた。そうして、それは昨日誠太郎を好加減に胡魔化して返した反響だろうと想像した。五六分雑談をしているうちに、兄はとうとうこう云い出した。
「昨夕誠太郎が帰って来て、叔父さんは明日から旅行するって云う話だから、出て来た」
「ええ、実は今朝六時頃から出ようと思ってね」と代助は嘘の様な事を、至極冷静に答えた。兄も真面目な顔をして、
「六時に立てる位な早起の男なら、今時分わざわざ青山から遣って来やしない」と云った。改めて用事を聞いてみると、やはり予想の通り肉薄の遂行に過ぎなかった。即ち今日高木と佐川の娘を呼んで午餐を振舞う筈だから、代助にも列席しろと云う父の命令であった。兄の語る所によると、昨夕誠太郎の返事を聞いて、父は大いに機嫌を悪くした。梅子は気を揉んで、代助の立たない前に逢って、旅行を延ばさせると云い出した。兄はそれを留めたそうである。
「なに彼奴が今夜中に立つものか、今頃は革鞄の前へ坐って考え込んでいる位のものだ。明日になってみろ、放って置いても遣って来るからって、己が姉さんを安心させたのだよ」と誠吾は落付払っていた。代助は少し忌々しくなったので、
「じゃ、放って置いて御覧なされば好いのに」と云った。
「ところが女と云うものは、気の短かいもので、御父さんに悪いからって、今朝起きるや否や、己をせびるんだからね」と誠吾は可笑い様な顔もしなかった。寧ろ迷惑そうに代助を眺めていた。代助は行くとも、行かないとも決答を与えなかった。けれども兄に対しては、誠太郎同様に、要領を握らせないで返してしまう勇気も出なかった。その上午餐を断って、旅行するにしても、もう自分の懐中を当にする訳には行かなかった。やはり、兄とか嫂とか、もしくは父とか、いずれ反対派の誰かを痛めなければ、身動が取れない位地にいた。そこで、即かず離れずに、高木と佐川の娘の評判をした。高木には十年程前に一遍逢ったぎりであったが、妙なもので、何処かに見覚があって、この間歌舞伎座で眼に着いた時は、はてなと思った。これに反して、佐川の娘の方は、つい先達て、写真を手にしたばかりであるのに、実物に接しても、まるで聯想が浮ばなかった。写真は奇体なもので、先ず人間を知っていて、その方から、写真の誰彼を極めるのは容易であるが、その逆の、写真から人間を定める方は中々むずかしい。これを哲学にすると、死から生を出すのは不可能だが、生から死に移るのは自然の順序であると云う真理に帰着する。
「私はそう考えた」と代助が云った。兄はなるほどと答えたが別段感心した様子もなかった。葉巻の短かくなって、口髭に火が付きそうなのを無暗に啣え易えて、
「それで、必ずしも今日旅行する必要もないんだろう」と聞いた。
代助はないと答えざるを得なかった。
「じゃ、今日餐を食いに来ても好いんだろう」
代助は又好いと答えない訳に行かなかった。
「じゃ、己はこれから、一寸他所へ廻るから、間違のない様に来てくれ」と相変らず多忙に見えた。代助はもう度胸を据えたから、どうでも構わないという気で、先方に都合の好い返事を与えた。すると兄が突然、
「一体どうなんだ。あの女を貰う気はないのか。好いじゃないか貰ったって。そう撰り好みをする程女房に重きを置くと、何だか元禄時代の色男の様で可笑しいな。凡てあの時代の人間は男女に限らず非常に窮屈な恋をした様だが、そうでもなかったのかい。――まあ、どうでも好いから、なるべく年寄を怒らせない様に遣ってくれ」と云って帰った。
代助は座敷へ戻って、しばらく、兄の警句を咀嚼していた。自分も結婚に対しては、実際兄と同意見であるとしか考えられない。だから、結婚を勧める方でも、怒らないで放って置くべきものだと、兄とは反対に、自分に都合の好い結論を得た。
兄の云う所によると、佐川の娘は、今度久し振に叔父に連れられて、見物旁上京したので、叔父の商用が済み次第又連れられて国へ帰るのだそうである。父がその機会を利用して、相互の関係に、永遠の利害を結び付けようと企てたのか、又は先達ての旅行先で、この機会をも自発的に拵えて帰って来たのか、どっちにしても代助はあまり研究の余地を認めなかった。自分はただこれ等の人と同じ食卓で、旨そうに午餐を味わって見せれば、社交上の義務は其所に終るものと考えた。もしそれより以上に、何等かの発展が必要になった場合には、その時に至って、始めて処置を付けるより外に道はないと思案した。
代助は婆さんを呼んで着物を出さした。面倒だと思ったが、敬意を表するために、紋付の夏羽織を着た。袴は一重のがなかったから、家に行って、父か兄かのを穿く事に極めた。代助は神経質な割に、子供の時からの習慣で、人中へ出るのを余り苦にしなかった。宴会とか、招待とか、送別とかいう機会があると、大抵は都合して出席した。だから、ある方面に知名な人の顔は大分覚えていた。その中には伯爵とか子爵とかいう貴公子も交っていた。彼はこんな人の仲間入をして、その仲間なりの交際に、損も得も感じなかった。言語動作は何処へ出ても同じであった。外部から見ると、其所が大変能く兄の誠吾に似ていた。だから、よく知らない人は、この兄弟の性質を、全く同一型に属するものと信じていた。
代助が青山に着いた時は、十一時五分前であったが、御客はまだ来ていなかった。兄もまだ帰らなかった。嫂だけがちゃんと支度をして、座敷に坐っていた。代助の顔を見て、
「あなたも、随分乱暴ね。人を出し抜いて旅行するなんて」と、いきなり遣り込めた。梅子は場合によると、論理を有ち得ない女であった。この場合にも、自分が代助を出し抜いた事にはまるで気が付いていない挨拶の仕方であった。それが代助には愛嬌に見えた。で、直そこへ坐り込んで梅子の服装の品評を始めた。父は奥にいると聞いたが、わざと行かなかった。強いられたとき、
「今に御客さんが来たら、僕が奥へ知らせに行く。その時挨拶をすれば好かろう」と云って、やっぱり平常の様な無駄口を叩いていた。けれども佐川の娘に関しては、一言も口を切らなかった。梅子は何とかして、話を其所へ持って行こうとした。代助には、それが明らかに見えた。だから、猶空とぼけて讎を取った。
そのうち待ち設けた御客が来たので、代助は約束通りすぐ父の所へ知らせに行った。父は、案のじょう、
「そうか」とすぐ立ち上がっただけであった。代助に小言を云う暇も何も無かった。代助は座敷へ引き返して来て、袴を穿いて、それから応接間へ出た。客と主人とはそこで悉とく顔を合わせた。父と高木とが第一に話を始めた。梅子は重に佐川の令嬢の相手になった。そこへ兄が今朝の通りの服装で、のっそりと這入って来た。
「いや、どうも遅くなりまして」と客の方に挨拶をしたが、席に就いたとき、代助を振り返って、
「大分早かったね」と小さな声を掛けた。
食堂には応接室の次の間を使った。代助は戸の開いた間から、白い卓布の角の際立った色を認めて、午餐は洋食だと心づいた。梅子は一寸席を立って、次の入口を覗きに行った。それは父に、食卓の準備が出来上った旨を知らせる為であった。
「ではどうぞ」と父は立ち上がった。高木も会釈して立ち上がった。佐川の令嬢も叔父に継いで立ち上がった。代助はその時、女の腰から下の、比較的に細く長い事を発見した。食卓では、父と高木が、真中に向き合った。高木の右に梅子が坐って、父の左に令嬢が席を占めた。女同志が向き合った如く、誠吾と代助も向き合った。代助は五味台を中に、少し斜に反れた位地から令嬢の顔を眺める事になった。代助はその頬の肉と色が、著じるしく後の窓から射す光線の影響を受けて、鼻の境に暗過ぎる影を作った様に思った。その代り耳に接した方は、明らかに薄紅であった。殊に小さい耳が、日の光を透しているかの如くデリケートに見えた。皮膚とは反対に、令嬢は黒い鳶色の大きな眼を有していた。この二つの対照から華やかな特長を生ずる令嬢の顔の形は、寧ろ丸い方であった。
食卓は、人数が人数だけに、さ程大きくはなかった。部屋の広さに比例して、寧ろ小さ過ぎる位であったが、純白な卓布を、取り集めた花で綴って、その中に肉刀と肉匙の色が冴えて輝いた。
卓上の談話は重に平凡な世間話であった。始のうちは、それさえ余り興味が乗らない様に見えた。父はこう云う場合には、よく自分の好きな書画骨董の話を持ち出すのを常としていた。そうして気が向けば、いくらでも、蔵から出して来て、客の前に陳べたものである。父の御蔭で、代助は多少この道に好悪を有てる様になっていた。兄も同様の原因から、画家の名前位は心得ていた。ただし、この方は掛物の前に立って、はあ仇英だね、はあ応挙だねと云うだけであった。面白い顔もしないから、面白い様にも見えなかった。それから真偽の鑑定の為に、虫眼鏡などを振り舞わさない所は、誠吾も代助も同じ事であった。父の様に、こんな波は昔の人は描かないものだから、法にかなっていないなどという批評は、双方共に、未だ甞て如何なる画に対しても加えた事はなかった。
父は乾いた会話に色彩を添えるため、やがて好きな方面の問題に触れてみた。ところが一二言で、高木はそう云う事にまるで無頓着な男であるという事が分った。父は老巧の人だから、すぐ退却した。けれども双方に安全な領分に帰ると、双方共に談話の意味を感じなかった。父は已を得ず、高木にどんな娯楽があるかを確めた。高木は特別に娯楽を持たない由を答えた。父は万事休すという体裁で、高木を誠吾と代助に託して、しばらく談話の圏外に出た。誠吾は、何の苦もなく、神戸の宿屋から、楠公神社やら、手当り次第に話題を開拓して行った。そうして、その中に自然令嬢の演ずべき役割を拵えた。令嬢はただ簡単に、必要な言葉だけを点じては逃げた。代助と高木とは、始め同志社を問題にした。それから亜米利加の大学の状況に移った。最後にエマーソンやホーソーンの名が出た。代助は、高木にこう云う種類の知識があるという事を確めたけれども、ただ確めただけで、それより以上に深入もしなかった。従って文学談は単に二三の人名と書名に終って、少しも発展しなかった。
梅子は固より初から断えず口を動かしていた。その努力の重なるものは、無論自分の前にいる令嬢の遠慮と沈黙を打ち崩すにあった。令嬢は礼義上から云っても、梅子の間断なき質問に応じない訳に行かなかった。けれども積極的に自分から梅子の心を動かそうと力めた形迹は殆んどなかった。ただ物を云うときに、少し首を横に曲げる癖があった。それすら代助には媚を売るとは解釈出来なかった。
令嬢は京都で教育を受けた。音楽は、始めは琴を習ったが、後にはピヤノに易えた。ヴァイオリンも少し稽古したが、この方は手の使い方がむずかしいので、まあ遣らないと同じである。芝居は滅多に行った事がなかった。
「先達ての歌舞伎座は如何でした」と梅子が聞いた時、令嬢は何とも答えなかった。代助にはそれが劇を解しないと云うより、劇を軽蔑している様に取れた。それだのに、梅子はつづけて、同じ問題に就いて、甲の役者はどうだの、乙の役者は何だのと評し出した。代助は又嫂が論理を踏み外したと思った。仕方がないから、横合から、
「芝居は御嫌いでも、小説は御読みになるでしょう」と聞いて芝居の話を已めさした。令嬢はその時始めて、一寸代助の方を見た。けれども答は案外に判然していた。
「いえ小説も」
令嬢の答を待ち受けていた、主客はみんな声を出して笑った。高木は令嬢の為に説明の労を取った。その云う所によると、令嬢の教育を受けたミス何とか云う婦人の影響で、令嬢はある点では殆んど清教徒の様に仕込まれているのだそうであった。だから余程時代後れだと、高木は説明のあとから批評さえ付け加えた。その時は無論誰も笑わなかった。耶蘇教に対して、あまり好意を有っていない父は、
「それは結構だ」と賞めた。梅子は、そう云う教育の価値を全く解する事が出来なかった。にも拘わらず、
「本当にね」と趣味に適わない不得要領の言葉を使った。誠吾は梅子の言葉が、あまり重い印象を先方に与えない様に、すぐ問題を易えた。
「じゃ英語は御上手でしょう」
令嬢はいいえと云って、心持顔を赤くした。
食事が済んでから、主客は又応接間に戻って、話を始めたが、蝋燭を継ぎ足した様に、新らしい方へは急に火が移りそうにも見えなかった。梅子は立って、ピヤノの蓋を開けて、
「何か一つ如何ですか」と云いながら令嬢を顧みた。令嬢は固より席を動かなかった。
「じゃ、代さん、皮切に何か御遣り」と今度は代助に云った。代助は人に聞かせる程の上手でないのを自覚していた。けれども、そんな弁解をすると、問答が理窟臭く、しつこくなるばかりだから、
「まあ、蓋を開けて御置なさい。今に遣るから」と答えたなり、何かなしに、無関係の事を話しつづけていた。
一時間程して客は帰った。四人は肩を揃えて玄関まで出た。奥へ這入る時、
「代助はまだ帰るんじゃなかろうな」と父が云った。代助はみんなから一足後れて、鴨居の上に両手が届く様な伸を一つした。それから、人のいない応接間と食堂を少しうろうろして座敷へ来て見ると、兄と嫂が向き合って何か話をしていた。
「おい、すぐ帰っちゃ不可ない。御父さんが何か用があるそうだ。奥へ御出」と兄はわざとらしい真面目な調子で云った。梅子は薄笑いをしている。代助は黙って頭を掻いた。
代助は一人で父の室へ行く勇気がなかった。何とかかとか云って、兄夫婦を引張って行こうとした。それが旨く成功しないので、とうとう其所へ坐り込んでしまった。所へ小間使が来て、
「あの、若旦那様に一寸、奥までいらっしゃる様に」と催促した。
「うん、今行く」と返事をして、それから、兄夫婦にこういう理窟を述べた。――自分一人で父に逢うと、父がああ云う気象の所へ持って来て、自分がこんな図法螺だから、殊によると大いに老人を怒らしてしまうかも知れない。そうすると、兄夫婦だって、後から面倒くさい調停をしたり何かしなければならない。その方が却て迷惑になる訳だから、骨惜をせずに今一寸一所に行ってくれたら宜かろう。
兄は議論が嫌な男なので、何んだ下らないと云わぬばかりの顔をしたが、
「じゃ、さあ行こう」と立ち上がった。梅子も笑いながらすぐに立った。三人して廊下を渡って父の室に行って、何事も起らなかったかの如く着坐した。
そこでは、梅子が如才なく、代助の過去に父の小言が飛ばない様な手加減をした。そうして談話の潮流を、なるべく今帰った来客の品評の方へ持って行った。梅子は佐川の令嬢を大変大人しそうな可い子だと賞めた。これには父も兄も代助も同意を表した。けれども、兄は、もし亜米利加のミスの教育を受けたというのが本当なら、もう少しは西洋流にはきはきしそうなものだと云う疑を立てた。代助はその疑にも賛成した。父と嫂は黙っていた。そこで代助は、あの大人しさは、羞耻む性質の大人さだから、ミスの教育とは独立に、日本の男女の社交的関係から来たものだろうと説明した。父はそれもそうだと云った。梅子は令嬢の教育地が京都だから、ああなんじゃないかと推察した。兄は東京だって、御前みた様なのばかりはいないと云った。この時父は厳正な顔をして灰吹を叩いた。次に、容色だって十人並より可いじゃありませんかと梅子が云った。これには父も兄も異議はなかった。代助も賛成の旨を告白した。四人はそれから高木の品評に移った。温健の好人物と云う事で、その方はすぐ片付いてしまった。不幸にして誰も令嬢の父母を知らなかった。けれども、物堅い地味な人だと云うだけは、父が三人の前で保証した。父はそれを同県下の多額納税議員の某から確めたのだそうである。最後に、佐川家の財産に就ても話が出た。その時父は、ああ云うのは、普通の実業家より基礎が確りしていて安全だと云った。
令嬢の資格が略定まった時、父は代助に向って、
「大した異存もないだろう」と尋ねた。その語調と云い、意味と云い、どうするかね位の程度ではなかった。代助は、
「そうですな」とやっぱり煑え切らない答をした。父はじっと代助を見ていたが、段々皺の多い額を曇らした。兄は仕方なしに、
「まあ、もう少し善く考えてみるが可い」と云って、代助の為に余裕を付けてくれた。
四日程してから、代助は又父の命令で、高木の出立を新橋まで見送った。その日は眠い所を無理に早く起されて、寐足らない頭を風に吹かした所為か、停車場に着く頃、髪の毛の中に風邪を引いた様な気がした。待合所に這入るや否や、梅子から顔色が可くないと云う注意を受けた。代助は何にも答えずに、帽子を脱いで、時々濡れた頭を抑えた。仕舞には朝奇麗に分けた髪がもじゃもじゃになった。
プラットフォームで高木は突然代助に向って、
「どうですこの汽車で、神戸まで遊びに行きませんか」と勧めた。代助はただ難有うと答えただけであった。愈汽車の出る間際に、梅子はわざと、窓際に近寄って、とくに令嬢の名を呼んで、
「近い内に又是非いらっしゃい」と云った。令嬢は窓のなかで、叮嚀に会釈したが、窓の外へは別段の言葉も聞えなかった。汽車を見送って、又改札場を出た四人りは、それぎり離れ離れになった。梅子は代助を誘って青山へ連れて行こうとしたが、代助は頭を抑えて応じなかった。
車に乗ってすぐ牛込へ帰って、それなり書斎へ這入って、仰向に倒れた。門野は一寸その様子を覗きに来たが、代助の平生を知っているので、言葉も掛けず、椅子に引っ掛けてある羽織だけを抱えて出て行った。
代助は寐ながら、自分の近き未来をどうなるものだろうと考えた。こうして打遣って置けば、是非共嫁を貰わなければならなくなる。嫁はもう今までに大分断っている。この上断れば、愛想を尽かされるか、本当に怒り出されるか、何方かになるらしい。もし愛想を尽かされて、結婚勧誘をこれ限り断念して貰えれば、それに越した事はないが、怒られるのは甚だ迷惑である。と云って、進まぬものを貰いましょうと云うのは今代人として馬鹿気ている。代助はこのジレンマの間に彽徊した。
彼は父と違って、当初からある計画を拵らえて、自然をその計画通りに強いる古風な人ではなかった。彼は自然を以て人間の拵えた凡ての計画よりも偉大なものと信じていたからである。だから父が、自分の自然に逆らって、父の計画通りを強いるならば、それは、去られた妻が、離縁状を楯に夫婦の関係を証拠立てようとすると一般であると考えた。けれども、そんな理窟を、父に向って述べる気は、まるでなかった。父を理攻にする事は困難中の困難であった。その困難を冒したところで、代助に取っては何等の利益もなかった。その結果は父の不興を招くだけで、理由を云わずに結婚を拒絶するのと撰む所はなかった。
彼は父と兄と嫂の三人の中で、父の人格に尤も疑を置いた。今度の結婚にしても、結婚その物が必ずしも父の唯一の目的ではあるまいとまで推察した。けれども父の本意が何処にあるかは、固より明かに知る機会を与えられていなかった。彼は子として、父の心意を斯様に揣摩する事を、不徳義とは考えなかった。従って自分だけが、多くの親子のうちで、尤も不幸なものであると云う様な考は少しも起さなかった。ただこれがため、今日までの程度より以上に、父と自分の間が隔って来そうなのを不快に感じた。
彼は隔離の極端として、父子絶縁の状態を想像してみた。そうして其所に一種の苦痛を認めた。けれども、その苦痛は堪え得られない程度のものではなかった。寧ろそれから生ずる財源の杜絶の方が恐ろしかった。
もし馬鈴薯が金剛石より大切になったら、人間はもう駄目であると、代助は平生から考えていた。向後父の怒に触れて、万一金銭上の関係が絶えるとすれば、彼は厭でも金剛石を放り出して、馬鈴薯に噛り付かなければならない。そうしてその償には自然の愛が残るだけである。その愛の対象は他人の細君であった。
彼は寐ながら、何時までも考えた。けれども、彼の頭は何時までも何処へも到着する事が出来なかった。彼は自分の寿命を極める権利を持たぬ如く、自分の未来をも極め得なかった。同時に、自分の寿命に、大抵の見当を付け得る如く、自分の未来にも多少の影を認めた。そうして、徒らにその影を捕捉しようと企てた。
その時代助の脳の活動は、夕闇を驚ろかす蝙蝠の様な幻像をちらりちらりと産み出すに過ぎなかった。その羽搏の光を追い掛けて寐ているうちに、頭が床から浮き上がって、ふわふわする様に思われて来た。そうして、何時の間にか軽い眠に陥った。
すると突然誰か耳の傍で半鐘を打った。代助は火事と云う意識さえまだ起らない先に眼を醒ました。けれども跳ね起きもせずに寐ていた。彼の夢にこんな音の出るのは殆んど普通であった。ある時はそれが正気に返った後までも響いていた。五六日前彼は、彼の家の大いに揺れる自覚と共に眠を破った。その時彼は明らかに、彼の下に動く畳の様を、肩と腰と脊の一部に感じた。彼は又夢に得た心臓の鼓動を、覚めた後まで持ち伝える事が屡あった。そんな場合には聖徒の如く、胸に手を当てて、眼を開けたまま、じっと天井を見詰めていた。
代助はこの時も半鐘の音が、じいんと耳の底で鳴り尽してしまうまで横になって待っていた。それから起きた。茶の間へ来て見ると、自分の膳の上に簀垂が掛けて、火鉢の傍に据えてあった。柱時計はもう十二時廻っていた。婆さんは、飯を済ました後と見えて、下女部屋で御櫃の上に肱を突いて居眠りをしていた。門野は何処へ行ったか影さえ見えなかった。
代助は風呂場へ行って、頭を濡らしたあと、独り茶の間の膳に就いた。そこで、淋しい食事を済して、再び書斎に戻ったが、久し振りに今日は少し書見をしようと云う心組であった。
かねて読み掛けてある洋書を、栞の挟んである所で開けて見ると、前後の関係をまるで忘れていた。代助の記憶に取ってこう云う現象は寧ろ珍らしかった。彼は学校生活の時代から一種の読書家であった。卒業の後も、衣食の煩なしに、購読の利益を適意に収め得る身分を誇りにしていた。一頁も眼を通さないで、日を送ることがあると、習慣上何となく荒廃の感を催おした。だから大抵な事故があっても、なるべく都合して、活字に親しんだ。ある時は読書そのものが、唯一なる自己の本領の様な気がした。
代助は今茫然として、烟草を燻らしながら、読み掛けた頁を二三枚あとへ繰ってみた。そこにどんな議論があって、それがどう続くのか、頭を拵える為に一寸骨を折った。その努力は艀から桟橋へ移る程楽ではなかった。食い違った断面の甲に迷付いているものが、急に乙に移るべく余儀なくされた様であった。代助はそれでも辛抱して、約二時間程眼を頁の上に曝していた。が仕舞にとうとう堪え切れなくなった。彼の読んでいるものは、活字の集合として、ある意味を以て、彼の頭に映ずるには違ないが、彼の肉や血に廻る気色は一向見えなかった。彼は氷嚢を隔てて、氷に食い付いた時の様に物足らなく思った。
彼は書物を伏せた。そうして、こんな時に書物を読むのは無理だと考えた。同時にもう安息する事も出来なくなったと考えた。彼の苦痛は何時ものアンニュイではなかった。何も為るのが慵いと云うのとは違って、何か為なくてはいられない頭の状態であった。
彼は立ち上がって、茶の間へ来て、畳んである羽織を又引掛た。そうして玄関に脱ぎ棄てた下駄を穿いて馳け出す様に門を出た。時は四時頃であった。神楽坂を下りて、当もなく、眼に付いた第一の電車に乗った。車掌に行先を問われたとき、口から出任せの返事をした。紙入を開けたら、三千代に遣った旅行費の余りが、三折の深底の方にまだ這入っていた。代助は乗車券を買った後で、札の数を調べてみた。
彼はその晩を赤坂のある待合で暮らした。其所で面白い話を聞いた。ある若くて美くしい女が、さる男と関係して、その種を宿した所が、愈子を生む段になって、涙を零して悲しがった。後からその訳を聞いたら、こんな年で子供を生ませられるのは情ないからだと答えた。この女は愛を専らにする時機が余り短か過ぎて、親子の関係が容赦もなく、若い頭の上を襲って来たのに、一種の無定を感じたのであった。それは無論堅気の女ではなかった。代助は肉の美と、霊の愛にのみ己れを捧げて、その他を顧みぬ女の心理状態として、この話を甚だ興味あるものと思った。
翌日になって、代助はとうとう又三千代に逢いに行った。その時彼は腹の中で、先達て置いて来た金の事を、三千代が平岡に話したろうか、話さなかったろうか、もし話したとすればどんな結果を夫婦の上に生じたろうか、それが気掛りだからと云う口実を拵らえた。彼はこの気掛が、自分を駆って、凝と落ち付かれない様に、東西を引張回した揚句、遂に三千代の方に吹き付けるのだと解釈した。
代助は家を出る前に、昨夕着た肌着も単衣も悉く改めて気を新にした。外は寒暖計の度盛の日を逐うて騰る頃であった。歩いていると、湿っぽい梅雨が却って待ち遠しい程熾んに日が照った。代助は昨夕の反動で、この陽気な空気の中に落ちる自分の黒い影が苦になった。広い鍔の夏帽を被りながら、早く雨季に入れば好いと云う心持があった。その雨季はもう二三日の眼前に逼っていた。彼の頭はそれを予報するかの様に、どんよりと重かった。
平岡の家の前へ来た時は、曇った頭を厚く掩う髪の根元が息切れていた。代助は家に入る前に先ず帽子を脱いだ。格子には締りがしてあった。物音を目的に裏へ回ると、三千代は下女と張物をしていた。物置の横へ立て掛けた張板の中途から、細い首を前へ出して、曲みながら、苦茶苦茶になったものを丹念に引き伸ばしつつあった手を留めて、代助を見た。一寸は何とも云わなかった。代助も、しばらくは唯立っていた。漸くにして、
「又来ました」と云った時、三千代は濡れた手を振って、馳け込む様に勝手から上がった。同時に表へ回れと眼で合図をした。三千代は自分で沓脱へ下りて、格子の締を外しながら、
「無用心だから」と云った。今まで日の透る澄んだ空気の下で、手を動かしていた所為で、頬の所が熱って見えた。それが額際へ来て何時もの様に蒼白く変っている辺に、汗が少し煮染み出した。代助は格子の外から、三千代の極めて薄手な皮膚を眺めて、戸の開くのを静かに待った。三千代は、
「御待遠さま」と云って、代助を誘う様に、一足横へ退いた。代助は三千代とすれすれになって内へ這入った。座敷へ来て見ると、平岡の机の前に、紫の座蒲団がちゃんと据えてあった。代助はそれを見た時一寸厭な心持がした。土の和れない庭の色が黄色に光る所に、長い草が見苦しく生えた。
代助は又忙がしい所を、邪魔に来て済まないという様な尋常な云訳を述べながら、この無趣味な庭を眺めた。その時三千代をこんな家へ入れて置くのは実際気の毒だという気が起った。三千代は水いじりで爪先の少しふやけた手を膝の上に重ねて、あまり退屈だから張物をしていた所だと云った。三千代の退屈という意味は、夫が始終外へ出ていて、単調な留守居の時間を無聊に苦しむと云う事であった。代助はわざと、
「結構な身分ですね」と冷かした。三千代は自分の荒涼な胸の中を代助に訴える様子もなかった。黙って、次の間へ立って行った。用箪笥の環を響かして、赤い天鵞絨で張った小さい箱を持って出て来た。代助の前へ坐って、それを開けた。中には昔し代助の遣った指環がちゃんと這入っていた。三千代は、ただ
「可いでしょう、ね」と代助に謝罪する様に云って、すぐ又立って次の間へ行った。そうして、世の中を憚かる様に、記念の指環をそこそこに用箪笥に仕舞って元の座に戻った。代助は指環に就ては何事も語らなかった。庭の方を見て、
「そんなに閑なら、庭の草でも取ったら、どうです」と云った。すると今度は三千代の方が黙ってしまった。それが、少時続いた後で代助は又改ためて聞いた。
「この間の事を平岡君に話したんですか」
三千代は低い声で、
「いいえ」と答えた。
「じゃ、未だ知らないんですか」と聞き返した。
その時三千代の説明には、話そうと思ったけれども、この頃平岡はついぞ落ち付いて宅にいた事がないので、つい話しそびれて未だ知らせずにいると云う事であった。代助は固より三千代の説明を嘘とは思わなかった。けれども、五分の閑さえあれば夫に話される事を、今日までそれなりに為てあるのは、三千代の腹の中に、何だか話し悪い或蟠まりがあるからだと思わずにはいられなかった。自分は三千代を、平岡に対して、それだけ罪のある人にしてしまったと代助は考えた。けれどもそれはさ程に代助の良心を螫すには至らなかった。法律の制裁はいざ知らず、自然の制裁として、平岡もこの結果に対して明かに責を分たなければならないと思ったからである。
代助は三千代に平岡の近来の模様を尋ねてみた。三千代は例によって多くを語る事を好まなかった。然し平岡の妻に対する仕打が結婚当時と変っているのは明かであった。代助は夫婦が東京へ帰った当時既にそれを見抜いた。それから以後改まって両人の腹の中を聞いた事はないが、それが日毎に好くない方に、速度を加えて進行しつつあるのは殆んど争うべからざる事実と見えた。夫婦の間に、代助と云う第三者が点ぜられたがために、この疎隔が起ったとすれば、代助はこの方面に向って、もっと注意深く働らいたかも知れなかった。けれども代助は自己の悟性に訴えて、そうは信ずる事が出来なかった。彼はこの結果の一部分を三千代の病気に帰した。そうして、肉体上の関係が、夫の精神に反響を与えたものと断定した。又その一部分を子供の死亡に帰した。それから、他の一部分を平岡の遊蕩に帰した。又他の一部分を会社員としての平岡の失敗に帰した。最後に、残りの一部分を、平岡の放埒から生じた経済事状に帰した。凡てを概括した上で、平岡は貰うべからざる人を貰い、三千代は嫁ぐ可からざる人に嫁いだのだと解決した。代助は心の中で痛く自分が平岡の依頼に応じて、三千代を彼の為に周旋した事を後悔した。けれども自分が三千代の心を動かすが為に、平岡が妻から離れたとは、どうしても思い得なかった。
同時に代助の三千代に対する愛情は、この夫婦の現在の関係を、必須条件として募りつつある事もまた一方では否み切れなかった。三千代が平岡に嫁ぐ前、代助と三千代の間柄は、どの位の程度まで進んでいたかは、しばらく措くとしても、彼は現在の三千代には決して無頓着でいる訳には行かなかった。彼は病気に冒された三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。彼は小供を亡くなした三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。彼は夫の愛を失いつつある三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。彼は生活難に苦しみつつある三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。但し、代助はこの夫婦の間を、正面から永久に引き放そうと試みる程大胆ではなかった。彼の愛はそう逆上してはいなかった。
三千代の眼のあたり、苦しんでいるのは経済問題であった。平岡が自力で給し得るだけの生活費を勝手の方へ回さない事は、三千代の口吻で慥であった。代助はこの点だけでもまずどうかしなければなるまいと考えた。それで、
「一つ私が平岡君に逢って、能く話してみよう」と云った。三千代は淋しい顔をして代助を見た。旨く行けば結構だが、遣り損なえば益三千代の迷惑になるばかりだとは代助も承知していたので、強いてそうしようとも主張しかねた。三千代は又立って次の間から一封の書状を持って来た。書状は薄青い状袋へ這入っていた。北海道にいる父から三千代へ宛たものであった。三千代は状袋の中から長い手紙を出して、代助に見せた。
手紙には向うの思わしくない事や、物価の高くて活計にくい事や、親類も縁者もなくて心細い事や、東京の方へ出たいが都合はつくまいかと云う事や、――凡て憐れな事ばかり書いてあった。代助は叮嚀に手紙を巻き返して、三千代に渡した。その時三千代は眼の中に涙を溜めていた。
三千代の父はかつて多少の財産と称えらるべき田畠の所有者であった。日露戦争の当時、人の勧に応じて、株に手を出して全く遣り損なってから、潔よく祖先の地を売り払って、北海道へ渡ったのである。その後の消息は、代助も今この手紙を見せられるまで一向知らなかった。親類はあれども無きが如しだとは三千代の兄が生きている時分よく代助に語った言葉であった。果して三千代は、父と平岡ばかりを便に生きていた。
「貴方は羨ましいのね」と瞬きながら云った。代助はそれを否定する勇気に乏しかった。しばらくしてから又、
「何だって、まだ奥さんを御貰いなさらないの」と聞いた。代助はこの問にも答える事が出来なかった。
しばらく黙然として三千代の顔を見ているうちに、女の頬から血の色が次第に退ぞいて行って、普通よりは眼に付く程蒼白くなった。その時代助は三千代と差向で、より長く坐っている事の危険に、始めて気が付いた。自然の情合から流れる相互の言葉が、無意識のうちに彼等を駆って、準縄の埒を踏み超えさせるのは、今二三分の裡にあった。代助は固よりそれより先へ進んでも、猶素知らぬ顔で引返し得る、会話の方を心得ていた。彼は西洋の小説を読むたびに、そのうちに出て来る男女の情話が、あまりに露骨で、あまりに放肆で、かつあまりに直線的に濃厚なのを平生から怪んでいた。原語で読めばとにかく、日本には訳し得ぬ趣味のものと考えていた。従って彼は自分と三千代との関係を発展させる為に、舶来の台詞を用いる意志は毫もなかった。少なくとも二人の間では、尋常の言葉で充分用が足りたのである。が、其所に、甲の位地から、知らぬ間に乙の位置に滑り込む危険が潜んでいた。代助は辛うじて、今一歩と云う際どい所で、踏み留まった。帰る時、三千代は玄関まで送って来て、
「淋しくって不可ないから、又来て頂戴」と云った。下女はまだ裏で張物をしていた。
表へ出た代助は、ふらふらと一丁程歩いた。好い所で切り上げたという意識があるべき筈であるのに、彼の心にはそう云う満足が些とも無かった。と云って、もっと三千代と対坐していて、自然の命ずるがままに、話し尽して帰れば可かったという後悔もなかった。彼は、彼所で切り上げても、五分十分の後切り上げても、必竟は同じ事であったと思い出した。自分と三千代との現在の関係は、この前逢った時、既に発展していたのだと思い出した。否、その前逢った時既に、と思い出した。代助は二人の過去を順次に遡ぼってみて、いずれの断面にも、二人の間に燃る愛の炎を見出さない事はなかった。必竟は、三千代が平岡に嫁ぐ前、既に自分に嫁いでいたのも同じ事だと考え詰めた時、彼は堪えがたき重いものを、胸の中に投げ込まれた。彼はその重量の為に、足がふらついた。家に帰った時、門野が、
「大変顔の色が悪い様ですね、どうかなさいましたか」と聞いた。代助は風呂場へ行って、蒼い額から奇麗に汗を拭き取った。そうして、長く延び過ぎた髪を冷水に浸した。
それから二日程代助は全く外出しなかった。三日目の午後、電車に乗って、平岡を新聞社に尋ねた。彼は平岡に逢って、三千代の為に充分話をする決心であった。給仕に名刺を渡して、埃だらけの受付に待っている間、彼はしばしば袂から手帛を出して、鼻を掩うた。やがて、二階の応接間へ案内された。其所は風通しの悪い、蒸し暑い、陰気な狭い部屋であった。代助は此所で烟草を一本吹かした。編輯室と書いた戸口が始終開いて、人が出たり這入たりした。代助の逢いに来た平岡もその戸口から現われた。先達て見た夏服を着て、相変らず奇麗な襟とカフスを掛けていた。忙しそうに、
「やあ、暫く」と云って代助の前に立った。代助も相手に唆かされた様に立ち上がった。二人は立ちながら一寸話をした。丁度編輯のいそがしい時で緩くりどうする事も出来なかった。代助は改めて平岡の都合を聞いた。平岡はポッケットから時計を出して見て、
「失敬だが、もう一時間程して来てくれないか」と云った。代助は帽子を取って、又暗い埃だらけの階段を下りた。表へ出ると、それでも涼しい風が吹いた。
代助はあてもなく、其所いらを逍遥いた。そうして、愈平岡と逢ったら、どんな風に話を切り出そうかと工夫した。代助の意は、三千代に刻下の安慰を、少しでも与えたい為に外ならなかった。けれども、それが為に、却って平岡の感情を害する事があるかも知れないと思った。代助はその悪結果の極端として、平岡と自分の間に起り得る破裂をさえ予想した。然し、その時はどんな具合にして、三千代を救おうかと云う成案はなかった。代助は三千代と相対ずくで、自分等二人の間をあれ以上にどうかする勇気を有たなかったと同時に、三千代のために、何かしなくてはいられなくなったのである。だから、今日の会見は、理知の作用から出た安全の策と云うよりも、寧ろ情の旋風に捲き込まれた冒険の働きであった。其所に平生の代助と異なる点があらわれていた。けれども、代助自身はそれに気が付いていなかった。一時間の後彼は又編輯室の入口に立った。そうして、平岡と一所に新聞社の門を出た。
裏通りを三四丁来た所で、平岡が先へ立って或家に這入った。座敷の軒に釣荵が懸って、狭い庭が水で一面に濡れていた。平岡は上衣を脱いで、すぐ胡坐をかいた。代助はさ程暑いとも思わなかった。団扇は手にしただけで済んだ。
会話は新聞社内の有様から始まった。平岡は忙しい様で却って楽な商売で好いと云った。その語気には別に負惜みの様子も見えなかった。代助は、それは無責任だからだろうと調戯った。平岡は真面目になって、弁解をした。そうして、今日の新聞事業程競争の烈しくて、機敏な頭を要するものはないと云う理由を説明した。
「なるほどただ筆が達者なだけじゃ仕様があるまいよ」と代助は別に感服した様子を見せなかった。すると、平岡はこう云った。
「僕は経済方面の係りだが、単にそれだけでも中々面白い事実が挙がっている。ちと、君の家の会社の内幕でも書いて御覧に入れようか」
代助は自分の平生の観察から、こんな事を云われて、驚ろく程ぼんやりしてはいなかった。
「書くのも面白いだろう。その代り公平に願いたいな」と云った。
「無論嘘は書かない積りだ」
「いえ、僕の兄の会社ばかりでなく、一列一体に筆誅して貰いたいと云う意味だ」
平岡はこの時邪気のある笑い方をした。そうして、
「日糖事件だけじゃ物足りないからね」と奥歯に物の挟まった様に云った。代助は黙って酒を飲んだ。話はこの調子で段々はずみを失う様に見えた。すると平岡は、実業界の内状に関聯するとでも思ったものか、何かの拍子に、ふと、日清戦争の当時、大倉組に起った逸話を代助に吹聴した。その時、大倉組は広島で、軍隊用の食料品として、何百頭かの牛を陸軍に納める筈になっていた。それを毎日何頭かずつ、納めて置いては、夜になると、そっと行って偸み出して来た。そうして、知らぬ顔をして、翌日同じ牛を又納めた。役人は毎日々々同じ牛を何遍も買っていた。が仕舞に気が付いて、一遍受取った牛には焼印を押した。ところがそれを知らずに、又偸み出した。のみならず、それを平気に翌日連れて行ったので、とうとう露見してしまったのだそうである。
代助はこの話を聞いた時、その実社会に触れている点に於て、現代的滑稽の標本だと思った。平岡はそれから、幸徳秋水と云う社会主義の人を、政府がどんなに恐れているかと云う事を話した。幸徳秋水の家の前と後に巡査が二三人ずつ昼夜張番をしている。一時は天幕を張って、その中から覗っていた。秋水が外出すると、巡査が後を付ける。万一見失いでもしようものなら非常な事件になる。今本郷に現われた、今神田へ来たと、それからそれへと電話が掛って東京市中大騒ぎである。新宿警察署では秋水一人の為に月々百円使っている。同じ仲間の飴屋が、大道で飴細工を拵えていると、白服の巡査が、飴の前へ鼻を出して、邪魔になって仕方がない。
これも代助の耳には、真面目な響を与えなかった。
「やっぱり現代的滑稽の標本じゃないか」と平岡は先刻の批評を繰り返しながら、代助を挑んだ。代助はそうさと笑ったが、この方面にはあまり興味がないのみならず、今日は平生の様に普通の世間話をする気でないので、社会主義の事はそれなりにして置いた。先刻平岡の呼ぼうと云う芸者を無理に已めさしたのもこれが為であった。
「実は君に話したい事があるんだが」と代助は遂に云い出した。すると、平岡は急に様子を変えて、落ち付かない眼を代助の上に注いだが、卒然として、
「そりゃ、僕も疾うから、どうかする積りなんだけれども、今の所じゃ仕方がない。もう少し待ってくれたまえ。その代り君の兄さんや御父さんの事も、こうして書かずにいるんだから」と代助には意表な返事をした。代助は馬鹿々々しいと云うより、寧ろ一種の憎悪を感じた。
「君も大分変ったね」と冷かに云った。
「君の変った如く変っちまった。こう摺れちゃ仕方がない。だから、もう少し待ってくれ給え」と答えて、平岡はわざとらしい笑い方をした。
代助は平岡の言語の如何に拘わらず、自分の云う事だけは云おうと極めた。なまじい、借金の催促に来たんじゃないなどと弁明すると、又平岡がその裏を行くのが癪だから、向うの疳違は、疳違で構わないとして置いて、此方は此方の歩を進める態度に出た。けれども第一に困ったのは、平岡の勝手元の都合を、三千代の訴えによって知ったと切り出しては、三千代に迷惑が掛るかも知れない。と云って、問題が其所に触れなければ、忠告も助言も全く無益である。代助は仕方なしに迂回した。
「君は近来こう云う所へ大分頻繁に出はいりをすると見えて、家のものとは、みんな御馴染だね」
「君の様に金回りが好くないから、そう豪遊も出来ないが、交際だから仕方がないよ」と云って、平岡は器用な手付をして猪口を口へ着けた。
「余計な事だが、それで家の方の経済は、収支償なうのかい」と代助は思い切って猛進した。
「うん。まあ、好い加減にやってるさ」
こう云った平岡は、急に調子を落して、極めて気のない返事をした。代助はそれぎり食い込めなくなった。已を得ず、
「不断は今頃もう家へ帰っているんだろう。この間僕が訪ねた時は大分遅かった様だが」と聞いた。すると、平岡はやはり問題を回避する様な語気で、
「まあ帰ったり、帰らなかったりだ。職業がこういう不規則な性質だから、仕方がないさ」と、半ば自分を弁護するためらしく、曖昧に云った。
「三千代さんは淋しいだろう」
「なに大丈夫だ。彼奴も大分変ったからね」と云って、平岡は代助を見た。代助はその眸の内に危しい恐れを感じた。ことによると、この夫婦の関係は元に戻せないなと思った。もしこの夫婦が自然の斧で割ききりに割かれるとすると、自分の運命は取り帰しの付かない未来を眼の前に控えている。夫婦が離れれば離れる程、自分と三千代はそれだけ接近しなければならないからである。代助は即座の衝動の如くに云った。――
「そんな事が、あろう筈がない。いくら、変ったって、そりゃ唯年を取っただけの変化だ。なるべく帰って三千代さんに安慰を与えて遣れ」
「君はそう思うか」と云いさま平岡はぐいと飲んだ。代助は、ただ、
「思うかって、誰だってそう思わざるを得んじゃないか」と半ば口から出任せに答えた。
「君は三千代を三年前の三千代と思ってるか。大分変ったよ。ああ、大分変ったよ」と平岡は又ぐいと飲んだ。代助は覚えず胸の動悸を感じた。
「同なじだ、僕の見る所では全く同じだ。少しも変っていやしない」
「だって、僕は家へ帰っても面白くないから仕方がないじゃないか」
「そんな筈はない」
平岡は眼を丸くして又代助を見た。代助は少し呼吸が逼った。けれども、罪あるものが雷火に打たれた様な気は全たくなかった。彼は平生にも似ず論理に合わない事をただ衝動的に云った。然しそれは眼の前にいる平岡のためだと固く信じて疑わなかった。彼は平岡夫婦を三年前の夫婦にして、それを便に、自分を三千代から永く振り放そうとする最後の試みを、半ば無意識的に遣っただけであった。自分と三千代の関係を、平岡から隠す為の、糊塗策とは毫も考えていなかった。代助は平岡に対して、さ程に不信な言動を敢てするには、余りに高尚であると、優に自己を評価していた。しばらくしてから、代助は又平生の調子に帰った。
「だって、君がそう外へばかり出ていれば、自然金も要る。従って家の経済も旨く行かなくなる。段々家庭が面白くなくなるだけじゃないか」
平岡は、白襯衣の袖を腕の中途まで捲り上げて、
「家庭か。家庭もあまり下さったものじゃない。家庭を重く見るのは、君の様な独身者に限る様だね」と云った。
この言葉を聞いたとき、代助は平岡が悪くなった。あからさまに自分の腹の中を云うと、そんなに家庭が嫌なら、嫌でよし、その代り細君を奪っちまうぞと判然知らせたかった。けれども二人の問答は、其所まで行くには、まだ中々間があった。代助はもう一遍外の方面から平岡の内部に触れて見た。
「君が東京へ来たてに、僕は君から説法されたね。何か遣れって」
「うん。そうして君の消極な哲学を聞かされて驚ろいた」
代助は実際平岡が驚ろいたろうと思った。その時の平岡は、熱病に罹った人間の如く行為に渇いていた。彼は行為の結果として、富を冀っていたか、もしくは名誉、もしくは権勢を冀っていたか。それでなければ、活動としての行為その物を求めていたか。それは代助にも分らなかった。
「僕の様に精神的に敗残した人間は、已を得ず、ああ云う消極な意見も出すが。――元来意見があって、人がそれに則るのじゃない。人があって、その人に適した様な意見が出て来るのだから、僕の説は僕に通用するだけだ。決して君の身の上を、あの説で、どうしようのこうしようのと云う訳じゃない。僕はあの時の君の意気に敬服している。君はあの時自分で云った如く、全く活動の人だ。是非とも活動して貰いたい」
「無論大いに遣る積りだ」
平岡の答はただこの一句ぎりであった。代助は腹の中で首を傾けた。
「新聞で遣る積りかね」
平岡は一寸躊躇した。が、やがて、判然云い放った。――
「新聞にいるうちは、新聞で遣る積りだ」
「大いに要領を得ている。僕だって君の一生涯の事を聞いているんじゃないから、返事はそれで沢山だ。然し新聞で君に面白い活動が出来るかね」
「出来る積りだ」と平岡は簡明な挨拶をした。
話は此所まで来ても、ただ抽象的に進んだだけであった。代助は言葉の上でこそ、要領を得たが、平岡の本体を見届ける事は些とも出来なかった。代助は何となく責任のある政府委員か弁護士を相手にしている様な気がした。代助はこの時思い切った政略的な御世辞を云った。それには軍神広瀬中佐の例が出て来た。広瀬中佐は日露戦争のときに、閉塞隊に加わって斃れたため、当時の人から偶像視されて、とうとう軍神とまで崇められた。けれども、四五年後の今日に至って見ると、もう軍神広瀬中佐の名を口にするものも殆んどなくなってしまった。英雄の流行廃はこれ程急劇なものである。と云うのは、多くの場合に於て、英雄とはその時代に極めて大切な人という事で、名前だけは偉そうだけれども、本来は甚だ実際的なものである。だからその大切な時機を通り越すと、世間はその資格を段々奪いにかかる。露西亜と戦争の最中こそ、閉塞隊は大事だろうが、平和克復の暁には、百の広瀬中佐も全くの凡人に過ぎない。世間は隣人に対して現金である如く、英雄に対しても現金である。だから、こう云う偶像にもまた常に新陳代謝や生存競争が行われている。そう云う訳で、代助は英雄なぞに担がれたい了見は更にない。が、もしここに野心があり覇気のある快男子があるとすれば、一時的の剣の力よりも、永久的の筆の力で、英雄になった方が長持がする。新聞はその方面の代表的事業である。
代助は此所まで述べてみたが、元来が御世辞の上に、云う事があまり書生らしいので、自分の内心には多少滑稽に取れる位、気が乗らなかった。平岡はその返事に、
「いや難有う」と云っただけであった。別段腹を立てた様子も見えなかったが、些とも感激していないのは、この返事でも明かであった。
代助は少々平岡を低く見過ぎたのに耻じ入った。実はこの側から、彼の心を動かして、旨く油の乗った所を、中途から転がして、元の家庭へ滑り込ませるのが、代助の計画であった。代助はこの迂遠で、又尤も困難の方法の出立点から、程遠からぬ所で、蹉跌してしまった。
その夜代助は平岡と遂に愚図々々で分れた。会見の結果から云うと、何の為に平岡を新聞社に訪ねたのだか、自分にも分らなかった。平岡の方から見れば、猶更そうであった。代助は必竟何しに新聞社まで出掛て来たのか、帰るまでついに問い詰めずに済んでしまった。
代助は翌日になって独り書斎で、昨夕の有様を何遍となく頭の中で繰り返した。二時間も一所に話しているうちに、自分が平岡に対して、比較的真面目であったのは、三千代を弁護した時だけであった。けれどもその真面目は、単に動機の真面目で、口にした言葉はやはり好加減な出任せに過ぎなかった。厳酷に云えば、嘘ばかりと云っても可かった。自分で真面目だと信じていた動機でさえ、必竟は自分の未来を救う手段である。平岡から見れば、固より真摯なものとは云えなかった。まして、その他の談話に至ると、始めから、平岡を現在の立場から、自分の望む所へ落し込もうと、たくらんで掛った、打算的のものであった。従って平岡をどうする事も出来なかった。
もし思い切って、三千代を引合に出して、自分の考え通りを、遠慮なく正面から述べ立てたら、もっと強い事が云えた。もっと平岡を動揺る事が出来た。もっと彼の肺腑に入る事が出来た。に違ない。その代り遣り損えば、三千代に迷惑がかかって来る。平岡と喧嘩になる。かも知れない。
代助は知らず知らずの間に、安全にして無能力な方針を取って、平岡に接していた事を腑甲斐なく思った。もしこう云う態度で平岡に当りながら、一方では、三千代の運命を、全然平岡に委ねて置けない程の不安があるならば、それは論理の許さぬ矛盾を、厚顔に犯していたと云わなければならない。
代助は昔の人が、頭脳の不明瞭な所から、実は利己本位の立場に居りながら、自らは固く人の為と信じて、泣いたり、感じたり、激したり、して、その結果遂に相手を、自分の思う通りに動かし得たのを羨ましく思った。自分の頭が、その位のぼんやりさ加減であったら、昨夕の会談にも、もう少し感激して、都合のいい効果を収める事が出来たかも知れない。彼は人から、ことに自分の父から、熱誠の足りない男だと云われていた。彼の解剖によると、事実はこうであった。――人間は熱誠を以て当って然るべき程に、高尚な、真摯な、純粋な、動機や行為を常住に有するものではない。それよりも、ずっと下等なものである。その下等な動機や行為を、熱誠に取り扱うのは、無分別な幼稚な頭脳の所有者か、然らざれば、熱誠を衒って、己れを高くする山師に過ぎない。だから彼の冷淡は、人間としての進歩とは云えまいが、よりよく人間を解剖した結果には外ならなかった。彼は普通自分の動機や行為を、よく吟味してみて、そのあまりに、狡黠くって、不真面目で、大抵は虚偽を含んでいるのを知っているから、遂に熱誠な勢力を以てそれを遂行する気になれなかったのである。と、彼は断然信じていた。
此所で彼は一のジレンマに達した。彼は自分と三千代との関係を、直線的に自然の命ずる通り発展させるか、又は全然その反対に出でて、何も知らぬ昔に返るか。何方かにしなければ生活の意義を失ったものと等しいと考えた。その他のあらゆる中途半端の方法は、偽に始って、偽に終るより外に道はない。悉く社会的に安全であって、悉く自己に対して無能無力である。と考えた。
彼は三千代と自分の関係を、天意によって、――彼はそれを天意としか考え得られなかった。――醗酵させる事の社会的危険を承知していた。天意には叶うが、人の掟に背く恋は、その恋の主の死によって、始めて社会から認められるのが常であった。彼は万一の悲劇を二人の間に描いて、覚えず慄然とした。
彼は又反対に、三千代と永遠の隔離を想像してみた。その時は天意に従う代りに、自己の意志に殉ずる人にならなければ済まなかった。彼はその手段として、父や嫂から勧められていた結婚に思い至った。そうして、この結婚を肯う事が、凡ての関係を新にするものと考えた。
自然の児になろうか、又意志の人になろうかと代助は迷った。彼は彼の主義として、弾力性のない硬張った方針の下に、寒暑にさえすぐ反応を呈する自己を、器械の様に束縛するの愚を忌んだ。同時に彼は、彼の生活が、一大断案を受くべき危機に達している事を切に自覚した。
彼は結婚問題に就て、まあ能く考えてみろと云われて帰ったぎり、未だに、それを本気に考える閑を作らなかった。帰った時、まあ今日も虎口を逃れて難有かったと感謝したぎり、放り出してしまった。父からはまだ何とも催促されないが、この二三日は又青山へ呼び出されそうな気がしてならなかった。代助は固より呼び出されるまで何も考えずに居る気であった。呼び出されたら、父の顔色と相談の上、又何とか即席に返事を拵らえる心組であった。代助はあながち父を馬鹿にする了見ではなかった。あらゆる返事は、こう云う具合に、相手と自分を商量して、臨機に湧いて来るのが本当だと思っていた。
もし、三千代に対する自分の態度が、最後の一歩前まで押し詰められた様な気持がなかったなら、代助は父に対して無論そう云う所置を取ったろう。けれども、代助は今相手の顔色如何に拘わらず、手に持った賽を投げなければならなかった。上になった目が、平岡に都合が悪かろうと、父の気に入らなかろうと、賽を投げる以上は、天の法則通りになるより外に仕方はなかった。賽を手に持つ以上は、又賽が投げられ可く作られたる以上は、賽の目を極めるものは自分以外にあろう筈はなかった。代助は、最後の権威は自己にあるものと、腹のうちで定めた。父も兄も嫂も平岡も、決断の地平線上には出て来なかった。
彼はただ彼の運命に対してのみ卑怯であった。この四五日は掌に載せた賽を眺め暮らした。今日もまだ握っていた。早く運命が戸外から来て、その手を軽く敲いてくれれば好いと思った。が、一方では、まだ握っていられると云う意識が大層嬉しかった。
門野は時々書斎へ来た。来る度に代助は洋卓の前に凝としていた。
「些と散歩にでも御出になったら如何です。そう御勉強じゃ身体に悪いでしょう」と云った事が一二度あった。なるほど顔色が好くなかった。夏向になったので、門野が湯を毎日沸かしてくれた。代助は風呂場に行くたびに、長い間鏡を見た。髯の濃い男なので、少し延びると、自分には大層見苦しく見えた。触って、ざらざらすると猶不愉快だった。
飯は依然として、普通の如く食った。けれども運動の不足と、睡眠の不規則と、それから、脳の屈託とで、排泄機能に変化を起した。然し代助はそれを何とも思わなかった。生理状態は殆んど苦にする暇のない位、一つ事をぐるぐる回って考えた。それが習慣になると、終局なく、ぐるぐる回っている方が、埒の外へ飛び出す努力よりも却って楽になった。
代助は最後の不決断の自己嫌悪に陥った。已を得ないから、三千代と自分の関係を発展させる手段として、佐川の縁談を断ろうかとまで考えて、覚えず驚ろいた。然し三千代と自分の関係を絶つ手段として、結婚を許諾してみようかという気は、ぐるぐる回転しているうちに一度も出て来なかった。
縁談を断る方は単独にも何遍となく決定が出来た。ただ断った後、その反動として、自分をまともに三千代の上に浴せかけねば已まぬ必然の勢力が来るに違ないと考えると、其所に至って、又恐ろしくなった。
代助は父からの催促を心待に待っていた。しかし父からは何の便もなかった。三千代にもう一遍逢おうかと思った。けれども、それ程の勇気も出なかった。
一番仕舞に、結婚は道徳の形式に於て、自分と三千代を遮断するが、道徳の内容に於て、何等の影響を二人の上に及ぼしそうもないと云う考が、段々代助の脳裏に勢力を得て来た。既に平岡に嫁いだ三千代に対して、こんな関係が起り得るならば、この上自分に既婚者の資格を与えたからと云って、同様の関係が続かない訳には行かない。それを続かないと見るのはただ表向の沙汰で、心を束縛する事の出来ない形式は、いくら重ねても苦痛を増すばかりである。と云うのが代助の論法であった。代助は縁談を断るより外に道はなくなった。
こう決心した翌日、代助は久し振りに髪を刈って髯を剃った。梅雨に入って二三日凄まじく降った揚句なので、地面にも、木の枝にも、埃らしいものは悉くしっとりと静まっていた。日の色は以前より薄かった。雲の切れ間から、落ちて来る光線は、下界の湿り気のために、半ば反射力を失った様に柔らかに見えた。代助は床屋の鏡で、わが姿を映しながら、例の如くふっくらした頬を撫でて、今日から愈積極的生活に入るのだと思った。
青山へ来て見ると、玄関に車が二台程あった。供待の車夫は蹴込に倚り懸って眠ったまま、代助の通り過ぎるのを知らなかった。座敷には梅子が新聞を膝の上へ乗せて、込み入った庭の緑をぼんやり眺めていた。これもぽかんと眠むそうであった。代助はいきなり梅子の前へ坐った。
「御父さんは居ますか」
嫂は返事をする前に、一応代助の様子を、試験官の眼で見た。
「代さん、少し瘠せた様じゃありませんか」と云った。代助は又頬を撫でて、
「そんな事も無いだろう」と打ち消した。
「だって、色沢が悪いのよ」と梅子は眼を寄せて代助の顔を覗き込んだ。
「庭の所為だ。青葉が映るんだ」と庭の植込の方を見たが、「だから貴方だって、やっぱり蒼いですよ」と続けた。
「私、この二三日具合が好くないんですもの」
「道理でぽかんとしていると思った。どうかしたんですか。風邪ですか」
「何だか知らないけれど生欠ばかり出て」
梅子はこう答えて、すぐ新聞を膝から卸すと、手を鳴らして、小間使を呼んだ。代助は再び父の在、不在を確めた。梅子はその問をもう忘れていた。聞いてみると、玄関にあった車は、父の客の乗って来たものであった。代助は長く懸からなければ、客の帰るまで待とうと思った。嫂は判然しないから、風呂場へ行って、水で顔を拭いて来ると云って立った。下女が好い香のする葛の粽を、深い皿に入れて持って来た。代助は粽の尾をぶら下げて、頻りに嗅いでみた。
梅子が涼しい眼付になって風呂場から帰った時、代助は粽の一つを振子の様に振りながら、今度は、
「兄さんはどうしました」と聞いた。梅子はすぐこの陳腐な質問に答える義務がないかの如く、しばらく縁鼻に立って、庭を眺めていたが、
「二三日の雨で、苔の色がすっかり出た事」と平生に似合わぬ観察をして、故の席に返った。そうして、
「兄さんがどうしましたって」と聞き直した。代助が先の質問を繰り返した時、嫂は尤も無頓着な調子で、
「どうしましたって、例の如くですわ」と答えた。
「相変らず、留守勝ですか」
「ええ、ええ、朝も晩も滅多に宅に居た事はありません」
「姉さんはそれで淋しくはないですか」
「今更改まって、そんな事を聞いたって仕方がないじゃありませんか」と梅子は笑い出した。調戯うんだと思ったのか、あんまり小供染みていると思ったのか殆んど取り合う気色はなかった。代助も平生の自分を振り返ってみて、真面目にこんな質問を掛けた今の自分を、寧ろ奇体に思った。今日まで兄と嫂の関係を長い間目撃していながら、ついぞ其所には気が付かなかった。嫂もまた代助の気が付く程物足りない素振は見せた事がなかった。
「世間の夫婦はそれで済んで行くものかな」と独言の様に云ったが、別に梅子の返事を予期する気でもなかったので、代助は向うの顔も見ず、ただ畳の上に置いてある新聞に眼を落した。すると梅子は忽ち、
「何ですって」と切り込む様に云った。代助の眼が、その調子に驚ろいて、ふと自分の方に視線を移した時、
「だから、貴方が奥さんを御貰いなすったら、始終宅にばかりいて、たんと可愛がって御上げなさいな」と云った。代助は始めて相手が梅子であって、自分が平生の代助でなかった事を自覚した。それでなるべく不断の調子を出そうと力めた。
けれども、代助の精神は、結婚謝絶と、その謝絶に次いで起るべき、三千代と自分の関係にばかり注がれていた。従って、いくら平生の自分に帰って、梅子の相手になる積りでも、梅子の予期していない、変った音色が、時々会話の中に、思わず知らず出て来た。
「代さん、貴方今日はどうかしているのね」と仕舞に梅子が云った。代助は固より嫂の言葉を側面へ摺らして受ける法をいくらでも心得ていた。然るに、それを遣るのが、軽薄の様で、又面倒な様で、今日は厭になった。却って真面目に、何処が変か教えてくれと頼んだ。梅子は代助の問が馬鹿気ているので妙な顔をした。が、代助が益頼むので、では云って上げましょうと前置をして、代助のどうかしている例を挙げ出した。梅子は勿論わざと真面目を装っているものと代助を解釈した。その中に、
「だって、兄さんが留守勝で、さぞ御淋しいでしょうなんて、あんまり思遣りが好過ぎる事を仰しゃるからさ」と云う言葉があった。代助は其所へ自分を挟んだ。
「いや、僕の知った女に、そう云うのが一人あって、実は甚だ気の毒だから、つい他の女の心持も聞いてみたくなって、伺ったんで、決して冷かした積りじゃないんです」
「本当に? そりゃ一寸何てえ方なの」
「名前は云い悪いんです」
「じゃ、貴方がその旦那に忠告をして、奥さんをもっと可愛がるようにして御上になれば可いのに」
代助は微笑した。
「姉さんも、そう思いますか」
「当り前ですわ」
「もしその夫が僕の忠告を聞かなかったら、どうします」
「そりゃ、どうも仕様がないわ」
「放って置くんですか」
「放って置かなけりゃ、どうなさるの」
「じゃ、その細君は夫に対して細君の道を守る義務があるでしょうか」
「大変理責めなのね。そりゃ旦那の不親切の度合にも因るでしょう」
「もし、その細君に好きな人があったらどうです」
「知らないわ。馬鹿らしい。好きな人がある位なら、始めっから其方へ行ったら好いじゃありませんか」
代助は黙って考えた。しばらくしてから、姉さんと云った。梅子はその深い調子に驚ろかされて、改ためて代助の顔を見た。代助は同じ調子で猶云った。
「僕は今度の縁談を断ろうと思う」
代助の巻烟草を持った手が少し顫えた。梅子は寧ろ表情を失った顔付をして、謝絶の言葉を聞いた。代助は相手の様子に頓着なく進行した。
「僕は今まで結婚問題に就いて、貴方に何返となく迷惑を掛けた上に、今度もまた心配して貰っている。僕ももう三十だから、貴方の云う通り、大抵な所で、御勧め次第になって好いのですが、少し考があるから、この縁談もまあ已めにしたい希望です。御父さんにも、兄さんにも済まないが、仕方がない。何も当人が気に入らないと云う訳ではないが、断るんです。この間御父さんによく考えてみろと云われて、大分考えてみたが、やっぱり断る方が好い様だから断ります。実は今日はその用で御父さんに逢いに来たんですが、今御客の様だから、序と云っては失礼だが、貴方にも御話をして置きます」
梅子は代助の様子が真面目なので、何時もの如く無駄口も入れずに聞いていたが、聞き終った時、始めて自分の意見を述べた。それが極めて簡単なかつ極めて実際的な短かい句であった。
「でも、御父さんはきっと御困りですよ」
「御父さんには僕が直に話すから構いません」
「でも、話がもう此所まで進んでいるんだから」
「話が何所まで進んでいようと、僕はまだ貰いますと云った事はありません」
「けれども判然貰わないとも仰しゃらなかったでしょう」
「それを今云いに来た所です」
代助と梅子は向い合ったなり、しばらく黙った。
代助の方では、もう云う可き事を云い尽くした様な気がした。少なくとも、これより進んで、梅子に自分を説明しようという考えはまるで無かった。梅子は語るべき事、聞くべき事を沢山持っていた。ただそれが咄嗟の間に、前の問答に繋がり好く、口へ出て来なかったのである。
「貴方の知らない間に、縁談がどれ程進んだのか、私にも能く分らないけれど、誰にしたって、貴方が、そうきっぱり御断りなさろうとは思い掛けないんですもの」と梅子は漸くにして云った。
「何故です」と代助は冷かに落ち付いて聞いた。梅子は眉を動かした。
「何故ですって聞いたって、理窟じゃありませんよ」
「理窟でなくっても構わないから話して下さい」
「貴方の様にそう何遍断ったって、つまり同じ事じゃありませんか」と梅子は説明した。けれども、その意味がすぐ代助の頭には響かなかった。不可解の眼を挙げて梅子を見た。梅子は始めて自分の本意を布衍しに掛かった。
「つまり、貴方だって、何時か一度は、御奥さんを貰う積りなんでしょう。厭だって、仕方がないじゃありませんか。そう何時までも我儘を云った日には、御父さんに済まないだけですわ。だからね。どうせ誰を持って行っても気に入らない貴方なんだから、つまり誰を持たしたって同じだろうって云う訳なんです。貴方にはどんな人を見せても駄目なんですよ。世の中に一人も気に入る様なものは生きてやしませんよ。だから、奥さんと云うものは、始めから気に入らないものと、諦らめて貰うより外に仕方がないじゃありませんか。だから私達が一番好いと思うのを、黙って貰えば、それで何所も彼所も丸く治まっちまうから、――だから、御父さんが、殊によると、今度は、貴方に一から十まで相談して、何か為さらないかも知れませんよ。御父さんから見ればそれが当り前ですもの。そうでも、為なくっちゃ、生きてる内に、貴方の奥さんの顔を見る事は出来ないじゃありませんか」
代助は落ち付いて嫂の云う事を聴いていた。梅子の言葉が切れても、容易に口を動かさなかった。若し反駁をする日には、話が段々込み入るばかりで、此方の思う所は決して、梅子の耳へ通らないと考えた。けれども向うの云い分を肯う気はまるでなかった。実際問題として、双方が困る様になるばかりと信じたからである。それで、嫂に向って、
「貴方の仰しゃる所も、一理あるが、私にも私の考があるから、また打遣って置いて下さい」と云った。その調子には梅子の干渉を面倒がる気色が自然と見えた。すると梅子は黙っていなかった。
「そりゃ代さんだって、小供じゃないから、一人前の考の御有な事は勿論ですわ。私なんぞの要らない差出口は御迷惑でしょうから、もう何にも申しますまい。然し御父さんの身になって御覧なさい。月々の生活費は貴方の要ると云うだけ今でも出していらっしゃるんだから、つまり貴方は書生時代よりも余計御父さんの厄介になってる訳でしょう。そうして置いて、世話になる事は、元より世話になるが、年を取って一人前になったから、云う事は元の通りには聞かれないって威張ったって通用しないじゃありませんか」
梅子は少し激したと見えて猶も云い募ろうとしたのを、代助が遮った。
「だって、女房を持てばこの上猶御父さんの厄介に為らなくっちゃ為らないでしょう」
「宜いじゃありませんか、御父さんが、その方が好いと仰しゃるんだから」
「じゃ、御父さんは、いくら僕の気に入らない女房でも、是非持たせる決心なんですね」
「だって、貴方に好いたのがあればですけれども、そんなのは日本中探して歩いたって無いんじゃありませんか」
「どうして、それが分ります」
梅子は張の強い眼を据えて、代助を見た。そうして、
「貴方はまるで代言人の様な事を仰しゃるのね」と云った。代助は蒼白くなった額を嫂の傍へ寄せた。
「姉さん、私は好いた女があるんです」と低い声で云い切った。
代助は今まで冗談にこんな事を梅子に向って云った事が能くあった。梅子も始めはそれを本気に受けた。そっと手を廻して真相を探ってみたなどという滑稽もあった。事実が分って以後は、代助の所謂好いた女は、梅子に対して一向利目がなくなった。代助がそれを云い出しても、まるで取り合わなかった。でなければ、茶化していた。代助の方でもそれで平気であった。然しこの場合だけは彼に取って、全く特別であった。顔付と云い、眼付と云い、声の低い底に籠る力と云い、此所まで押し逼って来た前後の関係と云い、凡ての点から云って、梅子をはっと思わせない訳に行かなかった。嫂はこの短い句を、閃めく懐剣の如くに感じた。
代助は帯の間から時計を出して見た。父の所へ来ている客は中々帰りそうにもなかった。空は又曇って来た。代助は一旦引き上げて又改ためて、父と話を付けに出直す方が便宜だと考えた。
「僕は又来ます。出直して来て御父さんに御目に掛る方が好いでしょう」と立ちにかかった。梅子はその間に回復した。梅子は飽くまで人の世話を焼く実意のあるだけに、物を中途で投げる事の出来ない女であった。抑える様に代助を引き留めて、女の名を聞いた。代助は固より答えなかった。梅子は是非にと逼った。代助はそれでも応じなかった。すると梅子は何故その女を貰わないのかと聞き出した。代助は単純に貰えないから、貰わないのだと答えた。梅子は仕舞に涙を流した。他の尽力を出し抜いたと云って恨んだ。何故始から打ち明けて話さないかと云って責めた。かと思うと、気の毒だと云って同情してくれた。けれども代助は三千代に就ては、遂に何事も語らなかった。梅子はとうとう我を折った。代助の愈帰ると云う間際になって、
「じゃ、貴方から直に御父さんに御話なさるんですね。それまでは私は黙っていた方が好いでしょう」と聞いた。代助は黙っていて貰う方が好いか、話して貰う方が好いか、自分にも分らなかった。
「そうですね」と躊躇したが、「どうせ、断りに来るんだから」と云って嫂の顔を見た。
「じゃ、若し話す方が都合が好さそうだったら話しましょう。もし又悪るい様だったら、何にも云わずに置くから、貴方が始から御話なさい。それが宜いでしょう」と梅子は親切に云ってくれた。代助は、
「何分宜しく」と頼んで外へ出た。角へ来て、四谷から歩く積りで、わざと、塩町行の電車に乗った。練兵場の横を通るとき、重い雲が西で切れて、梅雨には珍らしい夕陽が、真赤になって広い原一面を照らしていた。それが向うを行く車の輪に中って、輪が回る度に鋼鉄の如く光った。車は遠い原の中に小さく見えた。原は車の小さく見える程、広かった。日は血の様に毒々しく照った。代助はこの光景を斜めに見ながら、風を切って電車に持って行かれた。重い頭の中がふらふらした。終点まで来た時は、精神が身体を冒したのか、精神の方が身体に冒されたのか、厭な心持がして早く電車を降りたかった。代助は雨の用心に持った蝙蝠傘を、杖の如く引き摺って歩いた。
歩きながら、自分は今日、自ら進んで、自分の運命の半分を破壊したのも同じ事だと、心のうちに囁いた。今までは父や嫂を相手に、好い加減な間隔を取って、柔らかに自我を通して来た。今度は愈本性を露わさなければ、それを通し切れなくなった。同時に、この方面に向って、在来の満足を求め得る希望は少なくなった。けれども、まだ逆戻りをする余地はあった。ただ、それには又父を胡魔化す必要が出て来るに違なかった。代助は腹の中で今までの我を冷笑した。彼はどうしても、今日の告白を以て、自己の運命の半分を破壊したものと認めたかった。そうして、それから受ける打撃の反動として、思い切って三千代の上に、掩っ被さる様に烈しく働き掛けたかった。
彼はこの次父に逢うときは、もう一歩も後へ引けない様に、自分の方を拵えて置きたかった。それで三千代と会見する前に、又父から呼び出される事を深く恐れた。彼は今日嫂に、自分の意思を父に話す話さないの自由を与えたのを悔いた。今夜にも話されれば、明日の朝呼ばれるかも知れない。すると今夜中に三千代に逢って己れを語って置く必要が出来る。然し夜だから都合がよくないと思った。
津守を下りた時、日は暮れ掛かった。士官学校の前を真直に濠端へ出て、二三町来ると砂土原町へ曲がるべき所を、代助はわざと電車路に付いて歩いた。彼は例の如くに宅へ帰って、一夜を安閑と、書斎の中で暮すに堪えなかったのである。濠を隔てて高い土手の松が、眼のつづく限り黒く並んでいる底の方を、電車がしきりに通った。代助は軽い箱が、軌道の上を、苦もなく滑って行っては、又滑って帰る迅速な手際に、軽快の感じを得た。その代り自分と同じ路を容赦なく往来する外濠線の車を、常よりは騒々しく悪んだ。牛込見附まで来た時、遠くの小石川の森に数点の灯影を認めた。代助は夕飯を食う考もなく、三千代のいる方角へ向いて歩いて行った。
約二十分の後、彼は安藤坂を上って、伝通院の焼跡の前へ出た。大きな木が、左右から被さっている間を左りへ抜けて、平岡の家の傍まで来ると、板塀から例の如く灯が射していた。代助は塀の本に身を寄せて、凝と様子を窺った。しばらくは、何の音もなく、家のうちは全く静であった。代助は門を潜って、格子の外から、頼むと声を掛けてみようかと思った。すると、縁側に近く、ぴしゃりと脛を叩く音がした。それから、人が立って、奥へ這入って行く気色であった。やがて話声が聞えた。何の事か善く聴き取れなかったが、声は慥に、平岡と三千代であった。話声はしばらくで歇んでしまった。すると又足音が縁側まで近付いて、どさりと尻を卸す音が手に取る様に聞えた。代助はそれなり塀の傍を退いた。そうして元来た道とは反対の方角に歩き出した。
しばらくは、何処をどう歩いているか夢中であった。その間代助の頭には今見た光景ばかりが煎り付く様に踴っていた。それが、少し衰えると、今度は自己の行為に対して、云うべからざる汚辱の意味を感じた。彼は何の故に、斯かる下劣な真似をして、あたかも驚ろかされたかの如くに退却したのかを怪しんだ。彼は暗い小路に立って、世界が今夜に支配されつつある事を私かに喜んだ。しかも五月雨の重い空気に鎖されて、歩けば歩く程、窒息する様な心持がした。神楽坂上へ出た時、急に眼がぎらぎらした。身を包む無数の人と、無数の光が頭を遠慮なく焼いた。代助は逃げる様に藁店を上った。
家へ帰ると、門野が例の如く慢然たる顔をして、
「大分遅うがしたな。御飯はもう御済みになりましたか」と聞いた。
代助は飯が欲しくなかったので、要らない由を答えて、門野を追い帰す様に、書斎から退ぞけた。が、二三分立たない内に、又手を鳴らして呼び出した。
「宅から使は来やしなかったかね」
「いいえ」
代助は、
「じゃ、宜しい」と云ったぎりであった。門野は物足りなそうに入口に立っていたが、
「先生は、何ですか、御宅へ御出になったんじゃ無かったんですか」
「何故」と代助はむずかしい顔をした。
「だって、御出掛になるとき、そんな御話でしたから」
代助は門野を相手にするのが面倒になった。
「宅へは行ったさ。――宅から使が来なければそれで、好いじゃないか」
門野は不得要領に、
「はあそうですか」と云い放して出て行った。代助は、父があらゆる世界に対してよりも、自分に対して、性急であるという事を知っているので、ことによると、帰った後から直使でも寄こしはしまいかと恐れて聞き糺したのであった。門野が書生部屋へ引き取ったあとで、明日は是非とも三千代に逢わなければならないと決心した。
その夜代助は寐ながら、どう云う手段で三千代に逢おうかと云う問題を考えた。手紙を車夫に持たせて宅へ呼びに遣れば、来る事は来るだろうが、既に今日嫂との会談が済んだ以上は、明日にも、兄か嫂の為に、向うから襲われないとも限らない。又平岡のうちへ行って逢う事は代助に取って一種の苦痛があった。代助は已を得ず、自分にも三千代にも関係のない所で逢うより外に道はないと思った。
夜半から強く雨が降り出した。釣ってある蚊帳が、却って寒く見える位な音がどうどうと家を包んだ。代助はその音の中に夜の明けるのを待った。
雨は翌日まで晴れなかった。代助は湿っぽい縁側に立って、暗い空模様を眺めて、昨夕の計画を又変えた。彼は三千代を普通の待合などへ呼んで、話をするのが不愉快であった。已むなくんば、蒼い空の下と思っていたが、この天気ではそれも覚束なかった。と云って、平岡の家へ出向く気は始めから無かった。彼はどうしても、三千代を自分の宅へ連れて来るより外に道はないと極めた。門野が少し邪魔になるが、話のし具合では書生部屋に洩れない様にも出来ると考えた。
午少し前までは、ぼんやり雨を眺めていた。午飯を済ますや否や、護謨の合羽を引き掛けて表へ出た。降る中を神楽坂下まで来て青山の宅へ電話を掛けた。明日此方から行く積りであるからと、機先を制して置いた。電話口へは嫂が現れた。先達ての事は、まだ父に話さないでいるから、もう一遍よく考え直して御覧なさらないかと云われた。代助は感謝の辞と共に号鈴を鳴らして談話を切った。次に平岡の新聞社の番号を呼んで、彼の出社の有無を確めた。平岡は社に出ていると云う返事を得た。代助は雨を衝いて又坂を上った。花屋へ這入って、大きな白百合の花を沢山買って、それを提げて、宅へ帰った。花は濡れたまま、二つの花瓶に分けて挿した。まだ余っているのを、この間の鉢に水を張って置いて、茎を短かく切って、すぱすぱ放り込んだ。それから、机に向って、三千代へ手紙を書いた。文句は極めて短かいものであった。ただ至急御目に掛って、御話ししたい事があるから来てくれろと云うだけであった。
代助は手を打って、門野を呼んだ。門野は鼻を鳴らして現れた。手紙を受取りながら、
「大変好い香ですな」と云った。代助は、
「車を持って行って、乗せて来るんだよ」と念を押した。門野は雨の中を乗りつけの帳場まで出て行った。
代助は、百合の花を眺めながら、部屋を掩う強い香の中に、残りなく自己を放擲した。彼はこの嗅覚の刺激のうちに、三千代の過去を分明に認めた。その過去には離すべからざる、わが昔の影が烟の如く這い纏わっていた。彼はしばらくして、
「今日始めて自然の昔に帰るんだ」と胸の中で云った。こう云い得た時、彼は年頃にない安慰を総身に覚えた。何故もっと早く帰る事が出来なかったのかと思った。始から何故自然に抵抗したのかと思った。彼は雨の中に、百合の中に、再現の昔のなかに、純一無雑に平和な生命を見出した。その生命の裏にも表にも、慾得はなかった、利害はなかった、自己を圧迫する道徳はなかった。雲の様な自由と、水の如き自然とがあった。そうして凡てが幸であった。だから凡てが美しかった。
やがて、夢から覚めた。この一刻の幸から生ずる永久の苦痛がその時卒然として、代助の頭を冒して来た。彼の唇は色を失った。彼は黙然として、我と吾手を眺めた。爪の甲の底に流れている血潮が、ぶるぶる顫える様に思われた。彼は立って百合の花の傍へ行った。唇が弁に着く程近く寄って、強い香を眼の眩うまで嗅いだ。彼は花から花へ唇を移して、甘い香に咽せて、失心して室の中に倒れたかった。彼はやがて、腕を組んで、書斎と座敷の間を往ったり来たりした。彼の胸は始終鼓動を感じていた。彼は時々椅子の角や、洋卓の前へ来て留まった。それから又歩き出した。彼の心の動揺は、彼をして長く一所に留まる事を許さなかった。同時に彼は何物をか考える為に、無暗な所に立ち留まらざるを得なかった。
そのうちに時は段々移った。代助は断えず置時計の針を見た。又覗く様に、軒から外の雨を見た。雨は依然として、空から真直に降っていた。空は前よりも稍暗くなった。重なる雲が一つ所で渦を捲いて、次第に地面の上へ押し寄せるかと怪しまれた。その時雨に光る車を門から中へ引き込んだ。輪の音が、雨を圧して代助の耳に響いた時、彼は蒼白い頬に微笑を洩しながら、右の手を胸に当てた。
三千代は玄関から、門野に連れられて、廊下伝いに這入って来た。銘仙の紺絣に、唐草模様の一重帯を締めて、この前とはまるで違った服装をしているので、一目見た代助には、新らしい感じがした。色は不断の通り好くなかったが、座敷の入口で、代助と顔を合せた時、眼も眉も口もぴたりと活動を中止した様に固くなった。敷居に立っている間は、足も動けなくなったとしか受取れなかった。三千代は固より手紙を見た時から、何事をか予期して来た。その予期のうちには恐れと、喜と、心配とがあった。車から降りて、座敷へ案内されるまで、三千代の顔はその予期の色をもって漲っていた。三千代の表情はそこで、はたと留まった。代助の様子は三千代にそれだけの打衝を与える程に強烈であった。
代助は椅子の一つを指さした。三千代は命ぜられた通りに腰を掛けた。代助はその向うに席を占めた。二人は始めて相対した。然し良少時は二人とも、口を開かなかった。
「何か御用なの」と三千代は漸くにして問うた。代助は、ただ、
「ええ」と云った。二人はそれぎりで、又しばらく雨の音を聴いた。
「何か急な御用なの」と三千代が又尋ねた。代助は又、
「ええ」と云った。双方共何時もの様に軽くは話し得なかった。代助は酒の力を借りて、己れを語らなければならない様な自分を耻じた。彼は打ち明けるときは、必ず平生の自分でなければならないものと兼て覚悟をしていた。けれども、改たまって、三千代に対してみると、始めて、一滴の酒精が恋しくなった。ひそかに次の間へ立って、例のウィスキーを洋盃で傾けようかと思ったが、遂にその決心に堪えなかった。彼は青天白日の下に、尋常の態度で、相手に公言し得る事でなければ自己の誠でないと信じたからである。酔と云う牆壁を築いて、その掩護に乗じて、自己を大胆にするのは、卑怯で、残酷で、相手に汚辱を与える様な気がしてならなかったからである。彼は社会の習慣に対しては、徳義的な態度を取る事が出来なくなった。その代り三千代に対しては一点も不徳義な動機を蓄えぬ積りであった。否、彼をして卑吝に陥らしむる余地がまるでない程に、代助は三千代を愛した。けれども、彼は三千代から何の用かを聞かれた時に、すぐ己れを傾ける事が出来なかった。二度聞かれた時に猶躊躇した。三度目には、已を得ず、
「まあ、緩くり話しましょう」と云って、巻烟草に火を点けた。三千代の顔は返事を延ばされる度に悪くなった。
雨は依然として、長く、密に、物に音を立てて降った。二人は雨の為に、雨の持ち来す音の為に、世間から切り離された。同じ家に住む門野からも婆さんからも切り離された。二人は孤立のまま、白百合の香の中に封じ込められた。
「先刻表へ出て、あの花を買って来ました」と代助は自分の周囲を顧みた。三千代の眼は代助に随いて室の中を一回した。その後で三千代は鼻から強く息を吸い込んだ。
「兄さんと貴方と清水町にいた時分の事を思い出そうと思って、なるべく沢山買って来ました」と代助が云った。
「好い香ですこと」と三千代は翻がえる様に綻びた大きな花弁を眺めていたが、それから眼を放して代助に移した時、ぽうと頬を薄赤くした。
「あの時分の事を考えると」と半分云って已めた。
「覚えていますか」
「覚えていますわ」
「貴方は派手な半襟を掛けて、銀杏返しに結っていましたね」
「だって、東京へ来立だったんですもの。じき已めてしまったわ」
「この間百合の花を持って来て下さった時も、銀杏返しじゃなかったですか」
「あら、気が付いて。あれは、あの時ぎりなのよ」
「あの時はあんな髷に結いたくなったんですか」
「ええ、気迷れに一寸結ってみたかったの」
「僕はあの髷を見て、昔を思い出した」
「そう」と三千代は耻ずかしそうに肯った。
三千代が清水町にいた頃、代助と心安く口を聞く様になってからの事だが、始めて国から出て来た当時の髪の風を代助から賞められた事があった。その時三千代は笑っていたが、それを聞いた後でも、決して銀杏返しには結わなかった。二人は今もこの事をよく記憶していた。けれども双方共口へ出しては何も語らなかった。
三千代の兄と云うのは寧ろ豁達な気性で、懸隔てのない交際振から、友達には甚く愛されていた。ことに代助はその親友であった。この兄は自分が豁達であるだけに、妹の大人しいのを可愛がっていた。国から連れて来て、一所に家を持ったのも、妹を教育しなければならないと云う義務の念からではなくて、全く妹の未来に対する情合と、現在自分の傍に引き着けて置きたい欲望とからであった。彼は三千代を呼ぶ前、既に代助に向ってその旨を打ち明けた事があった。その時代助は普通の青年の様に、多大の好奇心を以てこの計画を迎えた。
三千代が来てから後、兄と代助とは益親しくなった。何方が友情の歩を進めたかは、代助自身にも分らなかった。兄が死んだ後で、当時を振り返ってみる毎に、代助はこの親密の裡に一種の意味を認めない訳に行かなかった。兄は死ぬ時までそれを明言しなかった。代助も敢て何事をも語らなかった。かくして、相互の思わくは、相互の間の秘密として葬られてしまった。兄は存生中にこの意味を私に三千代に洩らした事があるかどうか、其所は代助も知らなかった。代助はただ三千代の挙止動作と言語談話からある特別な感じを得ただけであった。
代助はその頃から趣味の人として、三千代の兄に臨んでいた。三千代の兄はその方面に於て、普通以上の感受性を持っていなかった。深い話になると、正直に分らないと自白して、余計な議論を避けた。何処からか arbiter elegantiarum と云う字を見付出して来て、それを代助の異名の様に濫用したのは、その頃の事であった。三千代は隣りの部屋で黙って兄と代助の話を聞いていた。仕舞にはとうとう arbiter elegantiarum と云う字を覚えた。ある時その意味を兄に尋ねて、驚ろかれた事があった。
兄は趣味に関する妹の教育を、凡て代助に委任した如くに見えた。代助を待って啓発されべき妹の頭脳に、接触の機会を出来るだけ与える様に力めた。代助も辞退はしなかった。後から顧みると、自ら進んでその任に当ったと思われる痕迹もあった。三千代は固より喜んで彼の指導を受けた。三人はかくして、巴の如くに回転しつつ、月から月へと進んで行った。有意識か無意識か、巴の輪は回るに従って次第に狭まって来た。遂に三巴が一所に寄って、丸い円になろうとする少し前の所で、忽然その一つが欠けたため、残る二つは平衡を失った。
代助と三千代は五年の昔を心置なく語り始めた。語るに従って、現在の自己が遠退いて、段々と当時の学生時代に返って来た。二人の距離は又元の様に近くなった。
「あの時兄さんが亡くならないで、未だ達者でいたら、今頃私はどうしているでしょう」と三千代は、その時を恋しがる様に云った。
「兄さんが達者でいたら、別の人になっている訳ですか」
「別な人にはなりませんわ。貴方は?」
「僕も同じ事です」
三千代はその時、少し窘める様な調子で、
「あら嘘」と云った。代助は深い眼を三千代の上に据えて、
「僕は、あの時も今も、少しも違っていやしないのです」と答えたまま、猶しばらくは眼を相手から離さなかった。三千代は忽ち視線を外らした。そうして、半ば独り言の様に、
「だって、あの時から、もう違っていらしったんですもの」と云った。
三千代の言葉は普通の談話としては余りに声が低過ぎた。代助は消えて行く影を踏まえる如くに、すぐその尾を捕えた。
「違やしません。貴方にはただそう見えるだけです。そう見えたって仕方がないが、それは僻目だ」
代助の方は通例よりも熱心に判然した声で自己を弁護する如くに云った。三千代の声は益低かった。
「僻目でも何でも可くってよ」
代助は黙って三千代の様子を窺った。三千代は始めから、眼を伏せていた。代助にはその長い睫毛の顫える様が能く見えた。
「僕の存在には貴方が必要だ。どうしても必要だ。僕はそれだけの事を貴方に話したい為にわざわざ貴方を呼んだのです」
代助の言葉には、普通の愛人の用いる様な甘い文彩を含んでいなかった。彼の調子はその言葉と共に簡単で素朴であった。寧ろ厳粛の域に逼っていた。但、それだけの事を語る為に、急用として、わざわざ三千代を呼んだ所が、玩具の詩歌に類していた。けれども、三千代は固より、こう云う意味での俗を離れた急用を理解し得る女であった。その上世間の小説に出て来る青春時代の修辞には、多くの興味を持っていなかった。代助の言葉が、三千代の官能に華やかな何物をも与えなかったのは、事実であった。三千代がそれに渇いていなかったのも事実であった。代助の言葉は官能を通り越して、すぐ三千代の心に達した。三千代は顫える睫毛の間から、涙を頬の上に流した。
「僕はそれを貴方に承知して貰いたいのです。承知して下さい」
三千代は猶泣いた。代助に返事をするどころではなかった。袂から手帛を出して顔へ当てた。濃い眉の一部分と、額と生際だけが代助の眼に残った。代助は椅子を三千代の方へ摺り寄せた。
「承知して下さるでしょう」と耳の傍で云った。三千代は、まだ顔を蔽っていた。しゃくり上げながら、
「余りだわ」と云う声が手帛の中で聞えた。それが代助の聴覚を電流の如くに冒した。代助は自分の告白が遅過ぎたと云う事を切に自覚した。打ち明けるならば三千代が平岡へ嫁ぐ前に打ち明けなければならない筈であった。彼は涙と涙の間をぼつぼつ綴る三千代のこの一語を聞くに堪えなかった。
「僕は三四年前に、貴方にそう打ち明けなければならなかったのです」と云って、憮然として口を閉じた。三千代は急に手帛から顔を離した。瞼の赤くなった眼を突然代助の上に睜って、
「打ち明けて下さらなくっても可いから、何故」と云い掛けて、一寸蹰躇したが、思い切って、「何故棄ててしまったんです」と云うや否や、又手帛を顔に当てて又泣いた。
「僕が悪い。勘忍して下さい」
代助は三千代の手頸を執って、手帛を顔から離そうとした。三千代は逆おうともしなかった。手帛は膝の上に落ちた。三千代はその膝の上を見たまま、微かな声で、
「残酷だわ」と云った。小さい口元の肉が顫う様に動いた。
「残酷と云われても仕方がありません。その代り僕はそれだけの罰を受けています」
三千代は不思議な眼をして顔を上げたが、
「どうして」と聞いた。
「貴方が結婚して三年以上になるが、僕はまだ独身でいます」
「だって、それは貴方の御勝手じゃありませんか」
「勝手じゃありません。貰おうと思っても、貰えないのです。それから以後、宅のものから何遍結婚を勧められたか分りません。けれども、みんな断ってしまいました。今度もまた一人断りました。その結果僕と僕の父との間がどうなるか分りません。然しどうなっても構わない、断るんです。貴方が僕に復讎している間は断らなければならないんです」
「復讎」と三千代は云った。この二字を恐るるものの如くに眼を働かした。「私はこれでも、嫁に行ってから、今日まで一日も早く、貴方が御結婚なされば可いと思わないで暮らした事はありません」と稍改たまった物の言い振であった。然し代助はそれに耳を貸さなかった。
「いや僕は貴方に何処までも復讎して貰いたいのです。それが本望なのです。今日こうやって、貴方を呼んで、わざわざ自分の胸を打ち明けるのも、実は貴方から復讎されている一部分としか思やしません。僕はこれで社会的に罪を犯したも同じ事です。然し僕はそう生れて来た人間なのだから、罪を犯す方が、僕には自然なのです。世間に罪を得ても、貴方の前に懺悔する事が出来れば、それで沢山なんです。これ程嬉しい事はないと思っているんです」
三千代は涙の中で始て笑った。けれども一言も口へは出さなかった。代助は猶己れを語る隙を得た。――
「僕は今更こんな事を貴方に云うのは、残酷だと承知しています。それが貴方に残酷に聞こえれば聞こえる程僕は貴方に対して成功したも同様になるんだから仕方がない。その上僕はこんな残酷な事を打ち明けなければ、もう生きている事が出来なくなった。つまり我儘です。だから詫るんです」
「残酷では御座いません。だから詫まるのはもう廃して頂戴」
三千代の調子は、この時急に判然した。沈んではいたが、前に比べると非常に落ち着いた。然ししばらくしてから、又
「ただ、もう少し早く云って下さると」と云い掛けて涙ぐんだ。代助はその時こう聞いた。――
「じゃ僕が生涯黙っていた方が、貴方には幸福だったんですか」
「そうじゃないのよ」と三千代は力を籠めて打ち消した。「私だって、貴方がそう云って下さらなければ、生きていられなくなったかも知れませんわ」
今度は代助の方が微笑した。
「それじゃ構わないでしょう」
「構わないより難有いわ。ただ――」
「ただ平岡に済まないと云うんでしょう」
三千代は不安らしく首肯いた。代助はこう聞いた。――
「三千代さん、正直に云って御覧。貴方は平岡を愛しているんですか」
三千代は答えなかった。見るうちに、顔の色が蒼くなった。眼も口も固くなった。凡てが苦痛の表情であった。代助は又聞いた。
「では、平岡は貴方を愛しているんですか」
三千代はやはり俯つ向いていた。代助は思い切った判断を、自分の質問の上に与えようとして、既にその言葉が口まで出掛った時、三千代は不意に顔を上げた。その顔には今見た不安も苦痛も殆んど消えていた。涙さえ大抵は乾いた。頬の色は固より蒼かったが、唇は確として、動く気色はなかった。その間から、低く重い言葉が、繋がらない様に、一字ずつ出た。
「仕様がない。覚悟を極めましょう」
代助は背中から水を被った様に顫えた。社会から逐い放たるべき二人の魂は、ただ二人対い合って、互を穴の明く程眺めていた。そうして、凡てに逆って、互を一所に持ち来たした力を互と怖れ戦いた。
しばらくすると、三千代は急に物に襲われた様に、手を顔に当てて泣き出した。代助は三千代の泣く様を見るに忍びなかった。肱を突いて額を五指の裏に隠した。二人はこの態度を崩さずに、恋愛の彫刻の如く、凝としていた。
二人はこう凝としている中に、五十年を眼のあたりに縮めた程の精神の緊張を感じた。そうしてその緊張と共に、二人が相並んで存在しておると云う自覚を失わなかった。彼等は愛の刑と愛の賚とを同時に享けて、同時に双方を切実に味わった。
しばらくして、三千代は手帛を取って、涙を奇麗に拭いたが、静かに、
「私もう帰ってよ」と云った。代助は、
「御帰りなさい」と答えた。
雨は小降になったが、代助は固より三千代を独り返す気はなかった。わざと車を雇わずに、自分で送って出た。平岡の家まで附いて行く所を、江戸川の橋の上で別れた。代助は橋の上に立って、三千代が横町を曲るまで見送っていた。それから緩くり歩を回らしながら、腹の中で、
「万事終る」と宣告した。
雨は夕方歇んで、夜に入ったら、雲がしきりに飛んだ。その中洗った様な月が出た。代助は光を浴びる庭の濡葉を長い間縁側から眺めていたが、仕舞に下駄を穿いて下へ降りた。固より広い庭でない上に立木の数が存外多いので、代助の歩く積はたんと無かった。代助はその真中に立って、大きな空を仰いだ。やがて、座敷から、昼間買った百合の花を取って来て、自分の周囲に蒔き散らした。白い花弁が点々として月の光に冴えた。あるものは、木下闇に仄めいた。代助は何をするともなくその間に曲んでいた。
寐る時になって始めて再び座敷へ上がった。室の中は花の香がまだ全く抜けていなかった。
三千代に逢って、云うべき事を云ってしまった代助は、逢わない前に比べると、余程心の平和に接近し易くなった。然しこれは彼の予期する通りに行ったまでで、別に意外の結果と云う程のものではなかった。
会見の翌日彼は永らく手に持っていた賽を思い切って投げた人の決心を以て起きた。彼は自分と三千代の運命に対して、昨日から一種の責任を帯びねば済まぬ身になったと自覚した。しかもそれは自ら進んで求めた責任に違いなかった。従って、それを自分の脊に負うて、苦しいとは思えなかった。その重みに押されるがため、却って自然と足が前に出る様な気がした。彼は自ら切り開いたこの運命の断片を頭に乗せて、父と決戦すべき準備を整えた。父の後には兄がいた、嫂がいた。これ等と戦った後には平岡がいた。これ等を切り抜けても大きな社会があった。個人の自由と情実を毫も斟酌してくれない器械の様な社会があった。代助にはこの社会が今全然暗黒に見えた。代助は凡てと戦う覚悟をした。
彼は自分で自分の勇気と胆力に驚ろいた。彼は今日まで、熱烈を厭う、危きに近寄り得ぬ、勝負事を好まぬ、用心深い、太平の好紳士と自分を見傚していた。徳義上重大な意味の卑怯はまだ犯した事がないけれども、臆病と云う自覚はどうしても彼の心から取り去る事が出来なかった。
彼は通俗なある外国雑誌の購読者であった。その中のある号で、Mountain Accidents と題する一篇に遭って、かつて心を駭かした。それには高山を攀じ上る冒険者の、怪我過が沢山に並べてあった。登山の途中雪崩れに圧されて、行き方知れずになったものの骨が、四十年後に氷河の先へ引懸って出た話や、四人の冒険者が懸崖の半腹にある、真直に立った大きな平岩を越すとき、肩から肩の上へ猿の様に重なり合って、最上の一人の手が岩の鼻へ掛かるや否や、岩が崩れて、腰の縄が切れて、上の三人が折り重なって、真逆様に四番目の男の傍を遥かの下に落ちて行った話などが、幾何となく載せてあった間に、煉瓦の壁程急な山腹に蝙蝠の様に吸い付いた人間を二三カ所点綴した挿画があった。その時代助はその絶壁の横にある白い空間のあなたに、広い空や、遥かの谷を想像して、怖ろしさから来る眩暈を、頭の中に再現せずにはいられなかった。
代助は今道徳界に於て、これ等の登攀者と同一な地位に立っていると云う事を知った。けれども自らその場に臨んでみると、怯む気は少しもなかった。怯んで猶予する方が彼に取っては幾倍の苦痛であった。
彼は一日も早く父に逢って話をしたかった。万一の差支を恐れて、三千代が来た翌日、又電話を掛けて都合を聞き合せた。父は留守だと云う返事を得た。次の日又問い合せたら、今度は差支があると云って断られた。その次には此方から知らせるまでは来るに及ばんという挨拶であった。代助は命令通り控えていた。その間嫂からも兄からも便は一向なかった。代助は始めは家のものが、自分に出来るだけ長い、反省再考の時間を与える為の策略ではあるまいかと推察して、平気に構えていた。三度の食事も旨く食った。夜も比較的安らかな夢を見た。雨の晴間には門野を連れて散歩を一二度した。然し宅からは使も手紙も来なかった。代助は絶壁の途中で休息する時間の長過ぎるのに安からずなった。仕舞に思い切って、自分の方から青山へ出掛けて行った。兄は例の如く留守であった。嫂は代助を見て気の毒そうな顔をした。が、例の事件に就ては何にも語らなかった。代助の来意を聞いて、では私が一寸奥へ行って御父さんの御都合を伺って来ましょうと云って立った。梅子の態度は、父の怒りから代助を庇う様にも見えた。又彼を疎外する様にも取れた。代助は両方の何れだろうかと煩って待っていた。待ちながらも、どうせ覚悟の前だと何遍も口のうちで繰り返した。
奥から梅子が出て来るまでには、大分暇が掛った。代助を見て、又気の毒そうに、今日は御都合が悪いそうですよと云った。代助は仕方なしに、何時来たら宜かろうかと尋ねた。固より例の様な元気はなく悄然とした問い振りであった。梅子は代助の様子に同情の念を起した調子で、二三日中にきっと自分が責任を以て都合の好い時日を知らせるから今日は帰れと云った。代助が内玄関を出る時、梅子はわざと送って来て、
「今度こそ能く考えていらっしゃいよ」と注意した。代助は返事もせずに門を出た。
帰る途中も不愉快で堪らなかった。この間三千代に逢って以後、味わう事を知った心の平和を、父や嫂の態度で幾分か破壊されたと云う心持が路々募った。自分は自分の思う通りを父に告げる、父は父の考えを遠慮なく自分に洩らす、それで衝突する、衝突の結果はどうあろうとも潔よく自分で受ける。これが代助の予期であった。父の仕打は彼の予期以外に面白くないものであった。その仕打は父の人格を反射するだけそれだけ多く代助を不愉快にした。
代助は途すがら、何を苦んで、父との会見をさまでに急いだものかと思い出した。元来が父の要求に対する自分の返事に過ぎないのだから、便宜は寧ろ、これを待ち受ける父の方にあるべき筈であった。その父がわざとらしく自分を避ける様にして、面会を延ばすならば、それは自己の問題を解決する時間が遅くなると云う不結果を生ずる外に何も起り様がない。代助は自分の未来に関する主要な部分は、もう既に片付けてしまった積りでいた。彼は父から時日を指定して呼び出されるまでは、宅の方の所置をそのままにして放って置く事に極めた。
彼は家に帰った。父に対しては只薄暗い不愉快の影が頭に残っていた。けれどもこの影は近き未来に於て必ずその暗さを増してくるべき性質のものであった。その他には眼前に運命の二つの潮流を認めた。一つは三千代と自分がこれから流れて行くべき方向を示していた。一つは平岡と自分を是非とも一所に捲き込むべき凄じいものであった。代助はこの間三千代に逢ったなりで、片片の方は捨ててある。よしこれから三千代の顔を見るにしたところで、――また長い間見ずにいる気はなかったが、――二人の向後取るべき方針に就て云えば、当分は一歩も現在状態より踏み出す了見は持たなかった。この点に関して、代助は我ながら明瞭な計画を拵えていなかった。平岡と自分とを運び去るべき将来に就ても、彼はただ何時、何事にでも用意ありと云うだけであった。無論彼は機を見て、積極的に働らき掛ける心組はあった。けれども具体的な案は一つも準備しなかった。あらゆる場合に於て、彼の決して仕損じまいと誓ったのは、凡てを平岡に打ち明けると云う事であった。従って平岡と自分とで構成すべき運命の流は黒く恐ろしいものであった。一つの心配はこの恐ろしい暴風の中から、如何にして三千代を救い得べきかの問題であった。
最後に彼の周囲を人間のあらん限り包む社会に対しては、彼は何の考も纏めなかった。事実として、社会は制裁の権を有していた。けれども動機行為の権は全く自己の天分から湧いて出るより外に道はないと信じた。かれはこの点に於て、社会と自分との間には全く交渉のないものと認めて進行する気であった。
代助は彼の小さな世界の中心に立って、彼の世界を斯様に観て、一順その関係比例を頭の中で調べた上、
「善かろう」と云って、又家を出た。そうして一二丁歩いて、乗り付けの帳場まで来て、奇麗で早そうな奴を択んで飛び乗った。何処へ行く当もないのを好加減な町を名指して二時間程ぐるぐる乗り廻して帰った。
翌日も書斎の中で前日同様、自分の世界の中心に立って、左右前後を一応隈なく見渡した後、
「宜しい」と云って外へ出て、用もない所を今度は足に任せてぶらぶら歩いて帰った。
三日目にも同じ事を繰り返した。が、今度は表へ出るや否や、すぐ江戸川を渡って、三千代の所へ来た。三千代は二人の間に何事も起らなかったかの様に、
「何故それからいらっしゃらなかったの」と聞いた。代助は寧ろその落ち付き払った態度に驚ろかされた。三千代はわざと平岡の机の前に据えてあった蒲団を代助の前へ押し遣って、
「何でそんなに、そわそわしていらっしゃるの」と無理にその上に坐らした。
一時間ばかり話しているうちに、代助の頭は次第に穏やかになった。車へ乗って、当もなく乗り回すより、三十分でも好いから、早く此所へ遊びに来れば可かったと思い出した。帰るとき代助は、
「又来ます。大丈夫だから安心していらっしゃい」と三千代を慰める様に云った。三千代はただ微笑しただけであった。
その夕方始めて父からの報知に接した。その時代助は婆さんの給仕で飯を食っていた。茶碗を膳の上へ置いて、門野から手紙を受取って読むと、明朝何時までに御出の事という文句があった。代助は、
「御役所風だね」と云いながら、わざと端書を門野に見せた。門野は、
「青山の御宅からですか」と叮嚀に眺めていたが、別に云う事がないものだから、表を引っ繰り返して、
「どうも何ですな。昔の人はやっぱり手蹟が好い様ですな」と御世辞を置き去りにして出て行った。婆さんは先刻から暦の話をしきりに為ていた。みずのえだのかのとだの、八朔だの友引だの、爪を切る日だの普請をする日だのと頗る煩いものであった。代助は固より上の空で聞いていた。婆さんは又門野の職の事を頼んだ。拾五円でも宜いから何方へ出して遣ってくれないかと云った。代助は自分ながら、どんな返事をしたか分らない位気にも留めなかった。ただ心のうちでは、門野どころか、この己が危しい位だと思った。
食事を終るや否や、本郷から寺尾が来た。代助は門野の顔を見て暫らく考えていた。門野は無雑作に、
「断りますか」と聞いた。代助はこの間から珍らしくある会を一二回欠席した。来客も逢わないで済むと思う分は両度程謝絶した。
代助は思い切って寺尾に逢った。寺尾は何時もの様に、血眼になって、何か探していた。代助はその様子を見て、例の如く皮肉で持ち切る気にもなれなかった。翻訳だろうが焼き直しだろうが、生きているうちは何処までも遣る覚悟だから、寺尾の方がまだ自分より社会の児らしく見えた。自分がもし失脚して、彼と同様の地位に置かれたら、果してどの位の仕事に堪えるだろうと思うと、代助は自分に対して気の毒になった。そうして、自分が遠からず、彼よりも甚く失脚するのは、殆んど未発の事実の如く確だと諦めていたから、彼は侮蔑の眼を以て寺尾を迎える訳には行かなかった。
寺尾は、この間の翻訳を漸くの事で月末までに片付けたら、本屋の方で、都合が悪いから秋まで出版を見合わせると云い出したので、すぐ労力を金に換算する事が出来ずに、困った結果遣って来たのであった。では書肆と契約なしに手を着けたのかと聞くと、全くそうでもないらしい。と云って、本屋の方がまるで約束を無視した様にも云わない。要するに曖昧であった。ただ困っている事だけは事実らしかった。けれどもこう云う手違に慣れ抜いた寺尾は、別に徳義問題として誰にも不満を抱いている様にも見えなかった。失敬だとか怪しからんと云うのは、ただ口の先ばかりで、腹の中の屈托は、全然飯と肉に集注しているらしかった。
代助は気の毒になって、当座の経済に幾分の補助を与えた。寺尾は感謝の意を表して帰った。帰る前に、実は本屋からも少しは前借はしたんだが、それは疾の昔に使ってしまったんだと自白した。寺尾の帰ったあとで、代助はああ云うのも一種の人格だと思った。ただこう楽に活計ていたって決して為れる訳のものじゃない。今の所謂文壇が、ああ云う人格を必要と認めて、自然に産み出した程、今の文壇は悲しむべき状況の下に呻吟しているんではなかろうかと考えて茫乎した。
代助はその晩自分の前途をひどく気に掛けた。もし父から物質的に供給の道を鎖された時、彼は果して第二の寺尾になり得る決心があるだろうかを疑った。もし筆を執って寺尾の真似さえ出来なかったなら、彼は当然餓死すべきである。もし筆を執らなかったら、彼は何をする能力があるだろう。
彼は眼を開けて時々蚊張の外に置いてある洋燈を眺めた。夜中に燐寸を擦って烟草を吹かした。寐返りを何遍も打った。固より寐苦しい程暑い晩ではなかった。雨が又ざあざあと降った。代助はこの雨の音で寐付くかと思うと、又雨の音で不意に眼を覚ました。夜は半醒半睡のうちに明け離れた。
定刻になって、代助は出掛けた。足駄穿で雨傘を提げて電車に乗ったが、一方の窓が締め切ってある上に、革紐にぶら下がっている人が一杯なので、しばらくすると胸がむかついて、頭が重くなった。睡眠不足が影響したらしく思われるので、手を窮屈に伸ばして、自分の後だけを開け放った。雨は容赦なく襟から帽子に吹き付けた。二三分の後隣の人の迷惑そうな顔に気が付いて、又元の通りに硝子窓を上げた。硝子の表側には、弾けた雨の珠が溜って、往来が多少歪んで見えた。代助は首から上を捩じ曲げて眼を外面に着けながら、幾たびか自分の眼を擦すった。然し何遍擦っても、世界の恰好が少し変って来たと云う自覚が取れなかった。硝子を通して斜に遠方を透かして見るときは猶そういう感じがした。
弁慶橋で乗り換えてからは、人もまばらに、雨も小降りになった。頭も楽に濡れた世の中を眺める事が出来た。けれども機嫌の悪い父の顔が、色々な表情を以て彼の脳髄を刺戟した。想像の談話さえ明かに耳に響いた。
玄関を上って、奥へ通る前に、例の如く一応嫂に逢った。嫂は、
「鬱陶しい御天気じゃありませんか」と愛想よく自分で茶を汲んでくれた。然し代助は飲む気にもならなかった。
「御父さんが待って御出でしょうから、一寸行って話をして来ましょう」と立ち掛けた。嫂は不安らしい顔をして、
「代さん、成ろう事なら、年寄に心配を掛けない様になさいよ。御父さんだって、もう長い事はありませんから」と云った。代助は梅子の口から、こんな陰気な言葉を聞くのは始めてであった。不意に穴倉へ落ちた様な心持がした。
父は烟草盆を前に控えて、俯向いていた。代助の足音を聞いても顔を上げなかった。代助は父の前へ出て、叮嚀に御辞儀をした。定めてむずかしい眼付をされると思いの外、父は存外穏かなもので、
「降るのに御苦労だった」と労わってくれた。
その時始めて気が付いて見ると、父の頬が何時の間にかぐっと瘠けていた。元来が肉の多い方だったので、この変化が代助には余計目立って見えた。代助は覚えず、
「どうか為さいましたか」と聞いた。
父は親らしい色を一寸顔に動かしただけで、別に代助の心配を物にする様子もなかったが、少時話しているうちに、
「己も大分年を取ってな」と云い出した。その調子が何時もの父とは全く違っていたので、代助は最前嫂の云った事を愈重く見なければならなくなった。
父は年の所為で健康の衰えたのを理由として、近々実業界を退く意志のある事を代助に洩らした。けれども今は日露戦争後の商工業膨張の反動を受けて、自分の経営にかかる事業が不景気の極端に達している最中だから、この難関を漕ぎ抜けた上でなくては、無責任の非難を免かれる事が出来ないので、当分已を得ずに辛抱しているより外に仕方がないのだと云う事情を委しく話した。代助は父の言葉を至極尤もだと思った。
父は普通の実業なるものの困難と危険と繁劇と、それ等から生ずる当事者の心の苦痛及び緊張の恐るべきを説いた。最後に地方の大地主の、一見地味であって、その実自分等よりはずっと鞏固の基礎を有している事を述べた。そうして、この比較を論拠として、新たに今度の結婚を成立させようと力めた。
「そう云う親類が一軒位あるのは、大変な便利で、かつこの際甚だ必要じゃないか」と云った。代助は、父としては寧ろ露骨過ぎるこの政略的結婚の申し出に対して、今更驚ろく程、始めから父を買い被ってはいなかった。最後の会見に、父が従来の仮面を脱いで掛かったのを、寧ろ快よく感じた。彼自身も、こんな意味の結婚を敢てし得る程度の人間だと自ら見積ていた。
その上父に対して何時にない同情があった。その顔、その声、その代助を動かそうとする努力、凡てに老後の憐れを認める事が出来た。代助はこれをも、父の策略とは受取り得なかった。私はどうでも宜う御座いますから、貴方の御都合の好い様に御極めなさいと云いたかった。
けれども三千代と最後の会見を遂げた今更、父の意に叶う様な当座の孝行は代助には出来かねた。彼は元来が何方付かずの男であった。誰の命令も文字通りに拝承した事のない代りには、誰の意見にも露に抵抗した試がなかった。解釈のしようでは、策士の態度とも取れ、優柔の生れ付とも思われる遣口であった。彼自身さえ、この二つの非難の何れかを聞いた時、そうかも知れないと、腹の中で首を捩らぬ訳には行かなかった。然しその原因の大部分は策略でもなく、優柔でもなく、寧ろ彼に融通の利く両つの眼が付いていて、双方を一時に見る便宜を有していたからであった。かれはこの能力の為に、今日まで一図に物に向って突進する勇気を挫かれた。即かず離れず現状に立ち竦んでいる事が屡あった。この現状維持の外観が、思慮の欠之から生ずるのでなくて、却って明白な判断に本いて起ると云う事実は、彼が犯すべからざる敢為の気象を以て、彼の信ずる所を断行した時に、彼自身にも始めて解ったのである。三千代の場合は、即ちその適例であった。
彼は三千代の前に告白した己れを、父の前で白紙にしようとは想い到らなかった。同時に父に対しては、心から気の毒であった。平生の代助がこの際に執るべき方針は云わずして明らかであった。三千代との関係を撤回する不便なしに、父に満足を与える為の結婚を承諾するに外ならなかった。代助はかくして双方を調和する事が出来た。何方付かずに真中へ立って、煮え切らずに前進する事は容易であった。けれども、今の彼は、不断の彼とは趣を異にしていた。再び半身を埒外に挺でて、余人と握手するのは既に遅かった。彼は三千代に対する自己の責任をそれ程深く重いものと信じていた。彼の信念は半ば頭の判断から来た。半ば心の憧憬から来た。二つのものが大きな濤の如くに彼を支配した。彼は平生の自分から生れ変った様に父の前に立った。
彼は平生の代助の如く、なるべく口数を利かずに控えていた。父から見れば何時もの代助と異なる所はなかった。代助の方では却って父の変っているのに驚ろいた。実はこの間から幾度も会見を謝絶されたのも、自分が父の意志に背く恐があるから父の方でわざと、延ばしたものと推していた。今日逢ったら、定めて苦い顔をされる事と覚悟を極めていた。ことによれば、頭から叱り飛ばされるかも知れないと思った。代助には寧ろその方が都合が好かった。三分の一は、父の暴怒に対する自己の反動を、心理的に利用して、きっぱり断ろうと云う下心さえあった。代助は父の様子、父の言葉遣、父の主意、凡てが予期に反して、自分の決心を鈍らせる傾向に出たのを心苦しく思った。けれども彼はこの心苦しさにさえ打ち勝つべき決心を蓄えた。
「貴方の仰しゃる所は一々御尤もだと思いますが、私には結婚を承諾する程の勇気がありませんから、断るより外に仕方がなかろうと思います」ととうとう云ってしまった。その時父はただ代助の顔を見ていた。良あって、
「勇気が要るのかい」と手に持っていた烟管を畳の上に放り出した。代助は膝頭を見詰めて黙っていた。
「当人が気に入らないのかい」と父が又聞いた。代助は猶返事をしなかった。彼は今まで父に対して己れの四半分も打ち明けてはいなかった。その御蔭で父と平和の関係を漸く持続して来た。けれども三千代の事だけは始めから決して隠す気はなかった。自分の頭の上に当然落ちかかるべき結果を、策で避ける卑怯が面白くなかったからである。彼はただ自白の期に達していないと考えた。従って三千代の名はまるで口へは出さなかった。父は最後に、
「じゃ何でも御前の勝手にするさ」と云って苦い顔をした。
代助も不愉快であった。然し仕方がないから、礼をして父の前を退がろうとした。ときに父は呼び留めて、
「己の方でも、もう御前の世話はせんから」と云った。座敷へ帰った時、梅子は待ち構えた様に、
「どうなすって」と聞いた。代助は答え様もなかった。
翌日眼が覚めても代助の耳の底には父の最後の言葉が鳴っていた。彼は前後の事情から、平生以上の重みをその内容に附着しなければならなかった。少なくとも、自分だけでは、父から受ける物質的の供給がもう絶えたものと覚悟する必要があった。代助の尤も恐るる時期は近づいた。父の機嫌を取り戻すには、今度の結婚を断るにしても、あらゆる結婚に反対してはならなかった。あらゆる結婚に反対しても、父を首肯かせるに足る程の理由を、明白に述べなければならなかった。代助に取っては二つのうち何れも不可能であった。人生に対する自家の哲学の根本に触れる問題に就いて、父を欺くのは猶更不可能であった。代助は昨日の会見を回顧して、凡てが進むべき方向に進んだとしか考え得なかった。けれども恐ろしかった。自己が自己に自然な因果を発展させながら、その因果の重みを脊中に負って、高い絶壁の端まで押し出された様な心持であった。
彼は第一の手段として、何か職業を求めなければならないと思った。けれども彼の頭の中には職業と云う文字があるだけで、職業その物は体を具えて現われて来なかった。彼は今日まで如何なる職業にも興味を有っていなかった結果として、如何なる職業を想い浮べてみても、ただその上を上滑りに滑って行くだけで、中に踏み込んで内部から考える事は到底出来なかった。彼には世間が平たい複雑な色分の如くに見えた。そうして彼自身は何等の色を帯びていないとしか考えられなかった。
凡ての職業を見渡した後、彼の眼は漂泊者の上に来て、そこで留まった。彼は明らかに自分の影を、犬と人の境を迷う乞食の群の中に見出した。生活の堕落は精神の自由を殺す点に於て彼の尤も苦痛とする所であった。彼は自分の肉体に、あらゆる醜穢を塗り付けた後、自分の心の状態が如何に落魄するだろうと考えて、ぞっと身振をした。
この落魄のうちに、彼は三千代を引張り廻さなければならなかった。三千代は精神的に云って、既に平岡の所有ではなかった。代助は死に至るまで彼女に対して責任を負う積りであった。けれども相当の地位を有っている人の不実と、零落の極に達した人の親切とは、結果に於て大した差違はないと今更ながら思われた。死ぬまで三千代に対して責任を負うと云うのは、負う目的があるというまでで、負った事実には決してなれなかった。代助は惘然として黒内障に罹った人の如くに自失した。
彼は又三千代を訪ねた。三千代は前日の如く静に落ち着いていた。微笑と光輝とに満ちていた。春風はゆたかに彼女の眉を吹いた。代助は三千代が己を挙げて自分に信頼している事を知った。その証拠を又眼のあたりに見た時、彼は愛憐の情と気の毒の念に堪えなかった。そうして自己を悪漢の如くに呵責した。思う事は全く云いそびれてしまった。帰るとき、
「又都合して宅へ来ませんか」と云った。三千代はええと首肯いて微笑した。代助は身を切られる程酷かった。
代助はこの間から三千代を訪問する毎に、不愉快ながら平岡の居ない時を択まなければならなかった。始めはそれをさ程にも思わなかったが、近頃では不愉快と云うよりも寧ろ、行き悪い度が日毎に強くなって来た。その上留守の訪問が重なれば、下女に不審を起させる恐れがあった。気の所為か、茶を運ぶ時にも、妙に疑ぐり深い眼付をして、見られる様でならなかった。然し三千代は全く知らぬ顔をしていた。少なくとも上部だけは平気であった。
平岡との関係に就ては、無論詳しく尋ねる機会もなかった。たまに一言二言それとなく問を掛けてみても、三千代は寧ろ応じなかった。ただ代助の顔を見れば、見ているその間だけの嬉しさに溺れ尽すのが自然の傾向であるかの如くに思われた。前後を取り囲む黒い雲が、今にも逼って来はしまいかと云う心配は、陰ではいざ知らず、代助の前には影さえ見せなかった。三千代は元来神経質の女であった。昨今の態度は、どうしてもこの女の手際ではないと思うと、三千代の周囲の事情が、まだそれ程険悪に近づかない証拠になるよりも、自分の責任が一層重くなったのだと解釈せざるを得なかった。
「すこし又話したい事があるから来て下さい」と前よりは稍真面目に云って代助は三千代と別れた。
中二日置いて三千代が来るまで、代助の頭は何等の新しい路を開拓し得なかった。彼の頭の中には職業の二字が大きな楷書で焼き付けられていた。それを押し退けると、物質的供給の杜絶がしきりに踴り狂った。それが影を隠すと、三千代の未来が凄じく荒れた。彼の頭には不安の旋風が吹き込んだ。三つのものが巴の如く瞬時の休みなく回転した。その結果として、彼の周囲が悉く回転しだした。彼は船に乗った人と一般であった。回転する頭と、回転する世界の中に、依然として落ち付いていた。
青山の宅からは何の消息もなかった。代助は固よりそれを予期していなかった。彼は力めて門野を相手にして他愛ない雑談に耽った。門野はこの暑さに自分の身体を持ち扱っている位、用のない男であったから、頗る得意に代助の思う通り口を動かした。それでも話し草臥れると、
「先生、将棋はどうです」などと持ち掛けた。夕方には庭に水を打った。二人共跣足になって、手桶を一杯ずつ持って、無分別に其所等を濡らして歩いた。門野が隣の梧桐の天辺まで水にして御目にかけると云って、手桶の底を振り上げる拍子に、滑って尻持を突いた。白粉草が垣根の傍で花を着けた。手水鉢の蔭に生えた秋海棠の葉が著るしく大きくなった。梅雨は漸く晴れて、昼は雲の峰の世界となった。強い日は大きな空を透き通す程焼いて、空一杯の熱を地上に射り付ける天気となった。
代助は夜に入って頭の上の星ばかり眺めていた。朝は書斎に這入った。二三日は朝から蝉の声が聞える様になった。風呂場へ行って、度々頭を冷した。すると門野がもう好い時分だと思って、
「どうも非常な暑さですな」と云って、這入って来た。代助はこう云う上の空の生活を二日程送った。三日目の日盛に、彼は書斎の中から、ぎらぎらする空の色を見詰めて、上から吐き下す燄の息を嗅いだ時に、非常に恐ろしくなった。それは彼の精神がこの猛烈なる気候から永久の変化を受けつつあると考えた為であった。
三千代はこの暑を冒して前日の約を履んだ。代助は女の声を聞き付けた時、自分で玄関まで飛び出した。三千代は傘をつぼめて、風呂敷包を抱えて、格子の外に立っていた。不断着のまま宅を出たと見えて、質素な白地の浴衣の袂から手帛を出し掛けた所であった。代助はその姿を一目見た時、運命が三千代の未来を切り抜いて、意地悪く自分の眼の前に持って来た様に感じた。われ知らず、笑いながら、
「馳落でもしそうな風じゃありませんか」と云った。三千代は穏かに、
「でも買物をした序でないと上り悪いから」と真面目な答をして、代助の後に跟いて奥まで這入って来た。代助はすぐ団扇を出した。照り付けられた所為で三千代の頬が心持よく輝やいた。何時もの疲れた色は何処にも見えなかった。眼の中にも若い沢が宿っていた。代助は生々したこの美くしさに、自己の感覚を溺らして、しばらくは何事も忘れてしまった。が、やがて、この美くしさを冥々の裡に打ち崩しつつあるものは自分であると考え出したら悲しくなった。彼は今日もこの美くしさの一部分を曇らす為に三千代を呼んだに違なかった。
代助は幾度か己れを語る事を躊躇した。自分の前に、これ程幸福に見える若い女を、眉一筋にしろ心配の為に動かさせるのは、代助から云うと非常な不徳義であった。もし三千代に対する義務の心が、彼の胸のうちに鋭どく働らいていなかったなら、彼はそれから以後の事情を打ち明ける事の代りに、先達ての告白を再び同じ室のうちに繰り返して、単純なる愛の快感の下に、一切を放擲してしまったかも知れなかった。
代助は漸くにして思い切った。
「その後貴方と平岡との関係は別に変りはありませんか」
三千代はこの問を受けた時でも、依然として幸福であった。
「あったって、構わないわ」
「貴方はそれ程僕を信用しているんですか」
「信用していなくっちゃ、こうしていられないじゃありませんか」
代助は目映しそうに、熱い鏡の様な遠い空を眺めた。
「僕にはそれ程信用される資格がなさそうだ」と苦笑しながら答えたが、頭の中は焙炉の如く火照っていた。然し三千代は気にも掛からなかったと見えて、何故とも聞き返さなかった。ただ簡単に、
「まあ」とわざとらしく驚ろいて見せた。代助は真面目になった。
「僕は白状するが、実を云うと、平岡君より頼にならない男なんですよ。買い被っていられると困るから、みんな話してしまうが」と前置をして、それから自分と父との今日までの関係を詳しく述べた上、
「僕の身分はこれから先どうなるか分らない。少なくとも当分は一人前じゃない。半人前にもなれない。だから」と云い淀んだ。
「だから、どうなさるんです」
「だから、僕の思う通り、貴方に対して責任が尽せないだろうと心配しているんです」
「責任って、どんな責任なの。もっと判然仰しゃらなくっちゃ解らないわ」
代助は平生から物質的状況に重きを置くの結果、ただ貧苦が愛人の満足に価しないと云う事だけを知っていた。だから富が三千代に対する責任の一つと考えたのみで、それより外に明らかな観念はまるで持っていなかった。
「徳義上の責任じゃない、物質上の責任です」
「そんなものは欲しくないわ」
「欲しくないと云ったって、是非必要になるんです。これから先僕が貴方とどんな新らしい関係に移って行くにしても、物質上の供給が半分は解決者ですよ」
「解決者でも何でも、今更そんな事を気にしたって仕方がないわ」
「口ではそうも云えるが、いざと云う場合になると困るのは眼に見えています」
三千代は少し色を変えた。
「今貴方の御父様の御話を伺ってみると、こうなるのは始めから解ってるじゃありませんか。貴方だって、その位な事は疾うから気が付いていらっしゃる筈だと思いますわ」
代助は返事が出来なかった。頭を抑えて、
「少し脳がどうかしているんだ」と独り言の様に云った。三千代は少し涙ぐんだ。
「もし、それが気になるなら、私の方はどうでも宜う御座んすから、御父様と仲直りをなすって、今まで通り御交際になったら好いじゃありませんか」
代助は急に三千代の手頸を握ってそれを振る様に力を入れて云った。――
「そんな事を為る気なら始めから心配をしやしない。ただ気の毒だから貴方に詫るんです」
「詫まるなんて」と三千代は声を顫わしながら遮った。「私が源因でそうなったのに、貴方に詫まらしちゃ済まないじゃありませんか」
三千代は声を立てて泣いた。代助は慰撫める様に、
「じゃ我慢しますか」と聞いた。
「我慢はしません。当り前ですもの」
「これから先まだ変化がありますよ」
「ある事は承知しています。どんな変化があったって構やしません。私はこの間から、――この間から私は、もしもの事があれば、死ぬ積りで覚悟を極めているんですもの」
代助は慄然として戦いた。
「貴方はこれから先どうしたら好いと云う希望はありませんか」と聞いた。
「希望なんか無いわ。何でも貴方の云う通りになるわ」
「漂泊――」
「漂泊でも好いわ。死ねと仰しゃれば死ぬわ」
代助は又ぞっとした。
「このままでは」
「このままでも構わないわ」
「平岡君は全く気が付いていない様ですか」
「気が付いているかも知れません。けれども私もう度胸を据えているから大丈夫なのよ。だって何時殺されたって好いんですもの」
「そう死ぬの殺されるのと安っぽく云うものじゃない」
「だって、放って置いたって、永く生きられる身体じゃないじゃありませんか」
代助は硬くなって、竦むが如く三千代を見詰めた。三千代は歇私的里の発作に襲われた様に思い切って泣いた。
一仕切経つと、発作は次第に収まった。後は例の通り静かな、しとやかな、奥行のある、美くしい女になった。眉のあたりが殊に晴々しく見えた。その時代助は、
「僕が自分で平岡君に逢って解決を付けても宜う御座んすか」と聞いた。
「そんな事が出来て」と三千代は驚ろいた様であった。代助は、
「出来る積りです」と確り答えた。
「じゃ、どうでも」と三千代が云った。
「そうしましょう。二人が平岡君を欺いて事をするのは可くない様だ。無論事実を能く納得出来る様に話すだけです。そうして、僕の悪い所はちゃんと詫まる覚悟です。その結果は僕の思う様に行かないかも知れない。けれどもどう間違ったって、そんな無暗な事は起らない様にする積りです。こう中途半端にしていては、御互も苦痛だし、平岡君に対しても悪い。ただ僕が思い切ってそうすると、あなたが、さぞ平岡君に面目なかろうと思ってね。其所が御気の毒なんだが、然し面目ないと云えば、僕だって面目ないんだから。自分の所為に対しては、如何に面目なくっても、徳義上の責任を負うのが当然だとすれば、外に何等の利益がないとしても、御互の間に有た事だけは平岡君に話さなければならないでしょう。その上今の場合ではこれからの所置を付ける大事の自白なんだから、猶更必要になると思います」
「能く解りましたわ。どうせ間違えば死ぬ積りなんですから」
「死ぬなんて。――よし死ぬにしたって、これから先どの位間があるか――又そんな危険がある位なら、なんで平岡君に僕から話すもんですか」
三千代は又泣き出した。
「じゃ能く詫ります」
代助は日の傾くのを待って三千代を帰した。然しこの前の時の様に送っては行かなかった。一時間程書斎の中で蝉の声を聞いて暮した。三千代に逢って自分の未来を打ち明けてから、気分がさっぱりした。平岡へ手紙を書いて、会見の都合を聞き合せ様として、筆を持ってみたが、急に責任の重いのが苦になって、拝啓以後を書き続ける勇気が出なかった。卒然、襯衣一枚になって素足で庭へ飛び出した。三千代が帰る時は正体なく午睡をしていた門野が、
「まだ早いじゃありませんか。日が当っていますぜ」と云いながら、坊主頭を両手で抑えて縁端にあらわれた。代助は返事もせずに、庭の隅へ潜り込んで竹の落葉を前の方へ掃き出した。門野も已を得ず着物を脱いで下りて来た。
狭い庭だけれども、土が乾いているので、たっぷり濡らすには大分骨が折れた。代助は腕が痛いと云って、好加減にして足を拭いて上った。烟草を吹いて、縁側に休んでいると、門野がその姿を見て、
「先生心臓の鼓動が少々狂やしませんか」と下から調戯った。
晩には門野を連れて、神楽坂の縁日へ出掛けて、秋草を二鉢三鉢買って来て、露の下りる軒の外へ並べて置いた。夜は深く空は高かった。星の色は濃く繁く光った。
代助はその晩わざと雨戸を引かずに寐た。無用心と云う恐れが彼の頭には全く無かった。彼は洋燈を消して、蚊帳の中に独り寐転びながら、暗い所から暗い空を透かして見た。頭の中には昼の事が鮮かに輝いた。もう二三日のうちには最後の解決が出来ると思って幾度か胸を躍らせた。が、そのうち大いなる空と、大いなる夢のうちに、吾知らず吸収された。
翌日の朝彼は思い切って平岡に手紙を出した。ただ、内々で少し話したい事があるが、君の都合を知らせて貰いたい。此方は何時でも差支ない。と書いただけだが、彼はわざとそれを封書にした。状袋の糊を湿めして、赤い切手をとんと張った時には、愈クライシスに証券を与えた様な気がした。彼は門野に云い付けて、この運命の使を郵便函に投げ込ました。手渡しにする時、少し手先が顫えたが、渡したあとでは却って茫然として自失した。三年前三千代と平岡の間に立って斡旋の労を取った事を追想するとまるで夢の様であった。
翌日は平岡の返事を心待に待ち暮らした。その明る日も当にして終日宅にいた。三日四日と経った。が、平岡からは何の便もなかった。その中例月の通り、青山へ金を貰いに行くべき日が来た。代助の懐中は甚だ手薄になった。代助はこの前父に逢った時以後、もう宅からは補助を受けられないものと覚悟を極めていた。今更平気な顔をして、のそのそ出掛て行く了見はまるでなかった。何二カ月や三カ月は、書物か衣類を売り払ってもどうかなると腹の中で高を括って落ち付いていた。事の落着次第緩くり職業を探すと云う分別もあった。彼は平生から人のよく口癖にする、人間は容易な事で餓死するものじゃない、どうにかなって行くものだと云う半諺の真理を、経験しない前から信じ出した。
五日目に暑を冒して、電車へ乗って、平岡の社まで出掛けて行ってみて、平岡は二三日出社しないと云う事が分った。代助は表へ出て薄汚ない編輯局の窓を見上げながら、足を運ぶ前に、一応電話で聞き合すべき筈だったと思った。先達ての手紙は、果して平岡の手に渡ったかどうか、それさえ疑わしくなった。代助はわざと新聞社宛でそれを出したからである。帰りに神田へ廻って、買いつけの古本屋に、売払いたい不用の書物があるから、見に来てくれろと頼んだ。
その晩は水を打つ勇気も失せて、ぼんやり、白い網襯衣を着た門野の姿を眺めていた。
「先生今日は御疲ですか」と門野がバケツを鳴らしながら云った。代助の胸は不安に圧されて、明らかな返事も出なかった。夕食のとき、飯の味は殆んどなかった。呑み込む様に咽喉を通して、箸を投げた。門野を呼んで、
「君、平岡の所へ行ってね、先達ての手紙は御覧になりましたか。御覧になったら、御返事を願いますって、返事を聞いて来てくれたまえ」と頼んだ。猶要領を得ぬ恐がありそうなので、先達てこれこれの手紙を新聞社の方へ出して置いたのだと云う事まで説明して聞かした。
門野を出した後で、代助は縁側に出て、椅子に腰を掛けた。門野の帰った時は、洋燈を吹き消して、暗い中に凝としていた。門野は暗がりで、
「行って参りました」と挨拶をした。「平岡さんは御居ででした。手紙は御覧になったそうです。明日の朝行くからという事です」
「そうかい、御苦労さま」と代助は答えた。
「実はもっと早く出るんだったが、うちに病人が出来たんで遅くなったから、宜しく云ってくれろと云われました」
「病人?」と代助は思わず問い返した。門野は暗い中で、
「ええ、何でも奥さんが御悪い様です」と答えた。門野の着ている白地の浴衣だけがぼんやり代助の眼に入った。夜の明りは二人の顔を照らすには余り不充分であった。代助は掛けている籐椅子の肱掛を両手で握った。
「余程悪いのか」と強く聞いた。
「どうですか、能く分りませんが。何でもそう軽そうでもない様でした。然し平岡さんが明日御出になられる位なんだから、大した事じゃないでしょう」
代助は少し安心した。
「何だい。病気は」
「つい聞き落しましたがな」
二人の問答はそれで絶えた。門野は暗い廊下を引き返して、自分の部屋へ這入った。静かに聞いていると、しばらくして、洋燈の蓋をホヤに打つける音がした。門野は灯火を点けたと見えた。
代助は夜の中に猶凝としていた。凝としていながら、胸がわくわくした。握っている肱掛に、手から膏が出た。代助は又手を鳴らして門野を呼び出した。門野のぼんやりした白地が又廊下のはずれに現われた。
「まだ暗闇ですな。洋燈を点けますか」と聞いた。代助は洋燈を断って、もう一度、三千代の病気を尋ねた。看護婦の有無やら、平岡の様子やら、新聞社を休んだのは、細君の病気の為だか、どうだか、と云う点に至るまで、考えられるだけ問い尽した。けれども門野の答は必竟前と同じ事を繰り返すのみであった。でなければ、好加減な当ずっぽうに過ぎなかった。それでも、代助には一人で黙っているよりも堪え易かった。
寐る前に門野が夜中投函から手紙を一本出して来た。代助は暗い中でそれを受取ったまま、別に見ようともしなかった。門野は、
「御宅からの様です、灯火を持って来ましょうか」と促がす如くに注意した。
代助は始めて洋燈を書斎に入れさして、その下で、状袋の封を切った。手紙は梅子から自分に宛てた可なり長いものであった。――
「この間から奥さんの事で貴方もさぞ御迷惑なすったろう。此方でも御父様始め兄さんや、私は随分心配をしました。けれどもその甲斐もなく先達て御出の時、とうとう御父さんに断然御断りなすった御様子、甚だ残念ながら、今では仕方がないと諦らめています。けれどもその節御父様は、もう御前の事は構わないから、その積りでいろと御怒りなされた由、後で承りました。その後あなたが御出にならないのも、全くその為じゃなかろうかと思っています。例月のものを上げる日にはどうかとも思いましたが、やはり御出にならないので、心配しています。御父さんは打遣って置けと仰います。兄さんは例の通り呑気で、困ったらその内来るだろう。その時親爺によく詫らせるが可い。もし来ない様だったら、おれの方から行ってよく異見してやると云っています。けれども、結婚の事は三人とももう断念しているんですから、その点では御迷惑になる様な事はありますまい。尤も御父さんは未だ怒って御出の様子です。私の考では当分昔の通りになる事は、むずかしいと思います。それを考えると、貴方がいらっしゃらない方が却って貴方の為に宜いかも知れません。ただ心配になるのは月々上げる御金の事です。貴方の事だから、そう急に自分で御金を取る気遣はなかろうと思うと、差し当り御困りになるのが眼の前に見える様で、御気の毒で堪りません。で、私の取計らいで例月分を送って上げるから、御受取の上はこれで来月まで持ち応えていらっしゃい。その内には御父さんの御機嫌も直るでしょう。又兄さんからも、そう云って頂く積りです。私も好い折があれば、御詫をして上げます。それまでは今まで通り遠慮していらっしゃる方が宜う御座います。……」
まだ後が大分あったが、女の事だから、大抵は重複に過ぎなかった。代助は中に這入っていた小切手を引き抜いて、手紙だけをもう一遍よく読み直した上、丁寧に元の如くに巻き収めて、無言の感謝を改めて嫂に致した。梅子よりと書いた字は寧ろ拙であった。手紙の体の言文一致なのは、かねて代助の勧めた通りを用いたのであった。
代助は洋燈の前にある封筒を、猶つくづくと眺めた。古い寿命が又一カ月延びた。晩かれ早かれ、自己を新たにする必要のある代助には、嫂の志は難有いにもせよ、却って毒になるばかりであった。ただ平岡と事を決する前は、麺麭の為に働らく事を肯わぬ心を持っていたから、嫂の贈物が、この際糧食としてことに彼には貴とかった。
その晩も蚊帳へ這入る前にふっと、洋燈を消した。雨戸は門野が立てに来たから、故障も云わずに、そのままにして置いた。硝子戸だから、戸越しにも空は見えた。ただ昨夕より暗かった。曇ったのかと思って、わざわざ縁側まで出て、透かす様にして軒を仰ぐと、光るものが筋を引いて斜めに空を流れた。代助は又蚊帳を捲って這入った。寐付かれないので団扇をはたはた云わせた。
家の事はさのみ気に掛からなかった。職業もなるがままになれと度胸を据えた。ただ三千代の病気と、その源因とその結果が、ひどく代助の頭を悩ました。それから平岡との会見の様子も、様々に想像してみた。それも一方ならず彼の脳髄を刺激した。平岡は明日の朝九時頃あんまり暑くならないうちに来るという伝言であった。代助は固より、平岡に向ってどう切り出そうなどと形式的の文句を考える男ではなかった。話す事は始めから極っていて、話す順序はその時の模様次第だから、決して心配にはならなかったが、ただなるべく穏かに自分の思う事が向うに徹する様にしたかった。それで過度の興奮を忌んで、一夜の安静を切に冀った。なるべく熟睡したいと心掛けて瞼を合せたが、生憎眼が冴えて昨夕よりは却って寐苦しかった。その内夏の夜がぽうと白み渡って来た。代助は堪りかねて跳ね起きた。跣足で庭先へ飛び下りて冷たい露を存分に踏んだ。それから又縁側の籐椅子に倚って、日の出を待っているうちに、うとうとした。
門野が寐惚け眼を擦りながら、雨戸を開けに出た時、代助ははっとして、この仮睡から覚めた。世界の半面はもう赤い日に洗われていた。
「大変御早うがすな」と門野が驚ろいて云った。代助はすぐ風呂場へ行って水を浴びた。朝飯は食わずに只紅茶を一杯飲んだ。新聞を見たが、殆んど何が書いてあるか解らなかった。読むに従って、読んだ事が群がって消えて行った。ただ時計の針ばかりが気になった。平岡が来るまでにはまだ二時間あまりあった。代助はその間をどうして暮らそうかと思った。凝としてはいられなかった。けれども何をしても手に付かなかった。せめてこの二時間をぐっと寐込んで、眼を開けて見ると、自分の前に平岡が来ている様にしたかった。
仕舞に何か用事を考え出そうとした。不図机の上に乗せてあった梅子の封筒が眼に付いた。代助はこれだと思って、強いて机の前に坐って、嫂へ謝状を書いた。なるべく叮嚀に書く積りであったが、状袋へ入れて宛名まで認めてしまって、時計を眺めると、たった十五分程しか経っていなかった。代助は席に着いたまま、安からぬ眼を空に据えて、頭の中で何か捜す様に見えた。が、急に起った。
「平岡が来たら、すぐ帰るからって、少し待たして置いてくれ」と門野に云い置いて表へ出た。強い日が正面から射竦める様な勢で、代助の顔を打った。代助は歩きながら絶えず眼と眉を動かした。牛込見附を這入って、飯田町を抜けて、九段坂下へ出て、昨日寄った古本屋まで来て、
「昨日不要の本を取りに来てくれと頼んで置いたが、少し都合があって見合せる事にしたから、その積りで」と断った。帰りには、暑さが余り酷かったので、電車で飯田橋へ回って、それから揚場を筋違に毘沙門前へ出た。
家の前には車が一台下りていた。玄関には靴が揃えてあった。代助は門野の注意を待たないで、平岡の来ている事を悟った。汗を拭いて、着物を洗い立ての浴衣に改めて、座敷へ出た。
「いや、御使で」と平岡が云った。やはり洋服を着て、蒸される様に扇を使った。
「どうも暑い所を」と代助も自から表立た言葉遣をしなければならなかった。
二人はしばらく時候の話をした。代助はすぐ三千代の様子を聞いてみたかった。然しそれがどう云うものか聞き悪かった。その内通例の挨拶も済んでしまった。話は呼び寄せた方から、切り出すのが順当であった。
「三千代さんは病気だってね」
「うん。それで社の方も二三日休ませられた様な訳で。つい君の所へ返事を出すのも忘れてしまった」
「そりゃどうでも構わないが、三千代さんはそれ程悪いのかい」
平岡は断然たる答を一言葉でなし得なかった。そう急にどうのこうのという心配もない様だが、決して軽い方ではないという意味を手短かに述べた。
この前暑い盛りに、神楽坂へ買物に出た序に、代助の所へ寄った明日の朝、三千代は平岡の社へ出掛ける世話をしていながら、突然夫の襟飾を持ったまま卒倒した。平岡も驚ろいて、自分の支度はそのままに三千代を介抱した。十分の後三千代はもう大丈夫だから社へ出てくれと云い出した。口元には微笑の影さえ見えた。横にはなっていたが、心配する程の様子もないので、もし悪い様だったら医者を呼ぶ様に、必要があったら社へ電話を掛ける様に云い置いて平岡は出勤した。その晩は遅く帰った。三千代は心持が悪いといって先へ寐ていた。どんな具合かと聞いても、判然した返事をしなかった。翌日朝起きて見ると三千代の色沢が非常に可くなかった。平岡は寧ろ驚ろいて医者を迎えた。医者は三千代の心臓を診察して眉をひそめた。卒倒は貧血の為だと云った。随分強い神経衰弱に罹っていると注意した。平岡はそれから社を休んだ。本人は大丈夫だから出てくれろと頼む様に云ったが、平岡は聞かなかった。看護をしてから二日目の晩に、三千代が涙を流して、是非詫まらなければならない事があるから、代助の所へ行ってその訳を聞いてくれろと夫に告げた。平岡は始めてそれを聞いた時には、本当にしなかった。脳の加減が悪いのだろうと思って、好し好しと気休めを云って慰めていた。三日目にも同じ願が繰り返された。その時平岡は漸やく三千代の言葉に一種の意味を認めた。すると夕方になって、門野が代助から出した手紙の返事を聞きにわざわざ小石川まで遣って来た。
「君の用事と三千代の云う事と何か関係があるのかい」と平岡は不思議そうに代助を見た。
平岡の話は先刻から深い感動を代助に与えていたが、突然この思わざる問に来た時、代助はぐっと詰った。平岡の問は実に意表に、無邪気に、代助の胸に応えた。彼は何時になく少し赤面して俯向いた。然し再顔を上げた時は、平生の通り静かな悪びれない態度を回復していた。
「三千代さんの君に詫まる事と、僕の君に話したい事とは、恐らく大いなる関係があるだろう。或は同じ事かも知れない。僕はどうしても、それを君に話さなければならない。話す義務があると思うから話すんだから、今日までの友誼に免じて、快よく僕に僕の義務を果さしてくれ給え」
「何だい。改たまって」と平岡は始めて眉を正した。
「いや前置をすると言訳らしくなって不可ないから、僕もなるべくなら率直に云ってしまいたいのだが、少し重大な事件だし、それに習慣に反した嫌もあるので、若し中途で君に激されてしまうと、甚だ困るから、是非仕舞まで君に聞いて貰いたいと思って」
「まあ何だい。その話と云うのは」
好奇心と共に平岡の顔が益真面目になった。
「その代り、みんな話した後で、僕はどんな事を君から云われても、やはり大人しく仕舞まで聞く積りだ」
平岡は何にも云わなかった。ただ眼鏡の奥から大きな眼を代助の上に据えた。外はぎらぎらする日が照り付けて、縁側まで射返したが、二人は殆んど暑さを度外に置いた。
代助は一段声を潜めた。そうして、平岡夫婦が東京へ来てから以来、自分と三千代との関係がどんな変化を受けて、今日に至ったかを、詳しく語り出した。平岡は堅く唇を結んで代助の一語一句に耳を傾けた。代助は凡てを語るに約一時間余を費やした。その間に平岡から四遍程極めて単簡な質問を受けた。
「ざっとこう云う経過だ」と説明の結末を付けた時、平岡はただ唸る様に深い溜息を以て代助に答えた。代助は非常に酷かった。
「君の立場から見れば、僕は君を裏切りした様に当る。怪しからん友達だと思うだろう。そう思われても一言もない。済まない事になった」
「すると君は自分のした事を悪いと思ってるんだね」
「無論」
「悪いと思いながら今日まで歩を進めて来たんだね」と平岡は重ねて聞いた。語気は前よりも稍切迫していた。
「そうだ。だから、この事に対して、君の僕等に与えようとする制裁は潔よく受ける覚悟だ。今のはただ事実をそのままに話しただけで、君の処分の材料にする考だ」
平岡は答えなかった。しばらくしてから、代助の前へ顔を寄せて云った。
「僕の毀損された名誉が、回復出来る様な手段が、世の中にあり得ると、君は思っているのか」
今度は代助の方が答えなかった。
「法律や社会の制裁は僕には何にもならない」と平岡は又云った。
「すると君は当時者だけのうちで、名誉を回復する手段があるかと聞くんだね」
「そうさ」
「三千代さんの心機を一転して、君を元よりも倍以上に愛させる様にして、その上僕を蛇蝎の様に悪ませさえすれば幾分か償にはなる」
「それが君の手際で出来るかい」
「出来ない」と代助は云い切った。
「すると君は悪いと思ってる事を今日まで発展さして置いて、猶その悪いと思う方針によって、極端まで押して行こうとするのじゃないか」
「矛盾かも知れない。然しそれは世間の掟と定めてある夫婦関係と、自然の事実として成り上がった夫婦関係とが一致しなかったと云う矛盾なのだから仕方がない。僕は世間の掟として、三千代さんの夫たる君に詫まる。然し僕の行為その物に対しては矛盾も何も犯していない積りだ」
「じゃ」と平岡は稍声を高めた。「じゃ、僕等二人は世間の掟に叶う様な夫婦関係は結べないと云う意見だね」
代助は同情のある気の毒そうな眼をして平岡を見た。平岡の険しい眉が少し解けた。
「平岡君。世間から云えば、これは男子の面目に関わる大事件だ。だから君が自己の権利を維持する為に、――故意に維持しようと思わないでも、暗にその心が働らいて、自然と激して来るのは已を得ないが、――けれども、こんな関係の起らない学校時代の君になって、もう一遍僕の云う事をよく聞いてくれないか」
平岡は何とも云わなかった。代助も一寸控えていた。烟草を一吹吹いた後で、思い切って、
「君は三千代さんを愛していなかった」と静かに云った。
「そりゃ」
「そりゃ余計な事だけれども、僕は云わなければならない。今度の事件に就て凡ての解決者はそれだろうと思う」
「君には責任がないのか」
「僕は三千代さんを愛している」
「他の妻を愛する権利が君にあるか」
「仕方がない。三千代さんは公然君の所有だ。けれども物件じゃない人間だから、心まで所有する事は誰にも出来ない。本人以外にどんなものが出て来たって、愛情の増減や方向を命令する訳には行かない。夫の権利は其所までは届きやしない。だから細君の愛を他へ移さない様にするのが、却って夫の義務だろう」
「よし僕が君の期待する通り三千代を愛していなかった事が事実だとしても」と平岡は強いて己を抑える様に云った。拳を握っていた。代助は相手の言葉の尽きるのを待った。
「君は三年前の事を覚えているだろう」と平岡は又句を更えた。
「三年前は君が三千代さんと結婚した時だ」
「そうだ。その時の記憶が君の頭の中に残っているか」
代助の頭は急に三年前に飛び返った。当時の記憶が、闇を回る松明の如く輝いた。
「三千代を僕に周旋しようと云い出したものは君だ」
「貰いたいと云う意志を僕に打ち明けたものは君だ」
「それは僕だって忘れやしない。今に至るまで君の厚意を感謝している」
平岡はこう云って、しばらく冥想していた。
「二人で、夜上野を抜けて谷中へ下りる時だった。雨上りで谷中の下は道が悪かった。博物館の前から話しつづけて、あの橋の所まで来た時、君は僕の為に泣いてくれた」
代助は黙然としていた。
「僕はその時程朋友を難有いと思った事はない。嬉しくってその晩は少しも寐られなかった。月のある晩だったので、月の消えるまで起きていた」
「僕もあの時は愉快だった」と代助が夢の様に云った。それを平岡は打ち切る勢で遮った。――
「君は何だって、あの時僕の為に泣いてくれたのだ。なんだって、僕の為に三千代を周旋しようと盟ったのだ。今日の様な事を引き起す位なら、何故あの時、ふんと云ったなり放って置いてくれなかったのだ。僕は君からこれ程深刻な復讎を取られる程、君に向って悪い事をした覚がないじゃないか」
平岡は声を顫わした。代助の蒼い額に汗の珠が溜った。そうして訴える如くに云った。
「平岡、僕は君より前から三千代さんを愛していたのだよ」
平岡は茫然として、代助の苦痛の色を眺めた。
「その時の僕は、今の僕でなかった。君から話を聞いた時、僕の未来を犠牲にしても、君の望みを叶えるのが、友達の本分だと思った。それが悪かった。今位頭が熟していれば、まだ考え様があったのだが、惜しい事に若かったものだから、余りに自然を軽蔑し過ぎた。僕はあの時の事を思っては、非常な後悔の念に襲われている。自分の為ばかりじゃない。実際君の為に後悔している。僕が君に対して真に済まないと思うのは、今度の事件より寧ろあの時僕がなまじいに遣り遂げた義侠心だ。君、どうぞ勘弁してくれ。僕はこの通り自然に復讎を取られて、君の前に手を突いて詫まっている」
代助は涙を膝の上に零した。平岡の眼鏡が曇った。
「どうも運命だから仕方がない」
平岡は呻吟く様な声を出した。二人は漸く顔を見合せた。
「善後策に就て君の考があるなら聞こう」
「僕は君の前に詫まっている人間だ。此方から先へそんな事を云い出す権利はない。君の考えから聞くのが順だ」と代助が云った。
「僕には何にもない」と平岡は頭を抑えていた。
「では云う。三千代さんをくれないか」と思い切った調子に出た。
平岡は頭から手を離して、肱を棒の様に洋卓の上に倒した。同時に、
「うん遣ろう」と云った。そうして代助が返事をし得ないうちに、又繰り返した。
「遣る。遣るが、今は遣れない。僕は君の推察通りそれ程三千代を愛していなかったかも知れない。けれども悪んじゃいなかった。三千代は今病気だ。しかも余り軽い方じゃない。寐ている病人を君に遣るのは厭だ。病気が癒るまで君に遣れないとすれば、それまでは僕が夫だから、夫として看護する責任がある」
「僕は君に詫った。三千代さんも君に詫まっている。君から云えば二人とも、不埒な奴には相違ないが、――幾何詫まっても勘弁出来んかも知れないが、――何しろ病気をして寐ているんだから」
「それは分っている。本人の病気に付け込んで僕が意趣晴らしに、虐待するとでも思ってるんだろうが、僕だって、まさか」
代助は平岡の言葉を信じた。そうして腹の中で平岡に感謝した。平岡は次にこう云った。
「僕は今日の事がある以上は、世間的の夫の立場からして、もう君と交際する訳には行かない。今日限り絶交するからそう思ってくれたまえ」
「仕方がない」と代助は首を垂れた。
「三千代の病気は今云う通り軽い方じゃない。この先どんな変化がないとも限らない。君も心配だろう。然し絶交した以上は已を得ない。僕の在不在に係わらず、宅へ出入りする事だけは遠慮して貰いたい」
「承知した」と代助はよろめく様に云った。その頬は益蒼かった。平岡は立ち上がった。
「君、もう五分ばかり坐ってくれ」と代助が頼んだ。平岡は席に着いたまま無言でいた。
「三千代さんの病気は、急に危険な虞でもありそうなのかい」
「さあ」
「それだけ教えてくれないか」
「まあ、そう心配しないでも可いだろう」
平岡は暗い調子で、地に息を吐く様に答えた。代助は堪えられない思いがした。
「もしだね。もし万一の事がありそうだったら、その前にたった一遍だけで可いから、逢わしてくれないか。外には決して何も頼まない。ただそれだけだ。それだけをどうか承知してくれたまえ」
平岡は口を結んだなり、容易に返事をしなかった。代助は苦痛の遣り所がなくて、両手の掌を、垢の綯れる程揉んだ。
「それはまあその時の場合にしよう」と平岡が重そうに答えた。
「じゃ、時々病人の様子を聞きに遣っても可いかね」
「それは困るよ。君と僕とは何にも関係がないんだから。僕はこれから先、君と交渉があれば、三千代を引き渡す時だけだと思ってるんだから」
代助は電流に感じた如く椅子の上で飛び上がった。
「あっ。解った。三千代さんの死骸だけを僕に見せる積りなんだ。それは苛い。それは残酷だ」
代助は洋卓の縁を回って、平岡に近づいた。右の手で平岡の脊広の肩を抑えて、前後に揺りながら、
「苛い、苛い」と云った。
平岡は代助の眼のうちに狂える恐ろしい光を見出した。肩を揺られながら、立ち上がった。
「そんな事があるものか」と云って代助の手を抑えた。二人は魔に憑かれた様な顔をして互を見た。
「落ち付かなくっちゃ不可ない」と平岡が云った。
「落ち付いている」と代助が答えた。けれどもその言葉は喘ぐ息の間を苦しそうに洩れて出た。
暫らくして発作の反動が来た。代助は己れを支うる力を用い尽した人の様に、又椅子に腰を卸した。そうして両手で顔を抑えた。
代助は夜の十時過になって、こっそり家を出た。
「今から何方へ」と驚ろいた門野に、
「何一寸」と曖昧な答をして、寺町の通りまで来た。暑い時分の事なので、町はまだ宵の口であった。浴衣を着た人が幾人となく代助の前後を通った。代助にはそれが唯動くものとしか見えなかった。左右の店は悉く明るかった。代助は眩しそうに、電気燈の少ない横町へ曲った。江戸川の縁へ出た時、暗い風が微かに吹いた。黒い桜の葉が少し動いた。橋の上に立って、欄干から下を見下していたものが二人あった。金剛寺坂でも誰にも逢わなかった。岩崎家の高い石垣が左右から細い坂道を塞いでいた。
平岡の住んでいる町は、猶静かであった。大抵な家は灯影を洩らさなかった。向うから来た一台の空車の輪の音が胸を躍らす様に響いた。代助は平岡の家の塀際まで来て留った。身を寄せて中を窺うと、中は暗かった。立て切った門の上に、軒燈が空しく標札を照らしていた。軒燈の硝子に守宮の影が斜めに映った。
代助は今朝も此所へ来た。午からも町内を彷徨いた。下女が買物にでも出る所を捕まえて、三千代の容体を聞こうかと思った。然し下女は遂に出て来なかった。平岡の影も見えなかった。塀の傍に寄って耳を澄ましても、それらしい人声は聞えなかった。医者を突き留めて、詳しい様子を探ろうと思ったが、医者らしい車は平岡の門前には留らなかった。そのうち、強い日に射付けられた頭が、海の様に動き始めた。立ち留まっていると、倒れそうになった。歩き出すと、大地が大きな波紋を描いた。代助は苦しさを忍んで這う様に家へ帰った。夕食も食わずに倒れたなり動かずにいた。その時恐るべき日は漸く落ちて、夜が次第に星の色を濃くした。代助は暗さと涼しさのうちに始めて蘇生った。そうして頭を露に打たせながら、又三千代のいる所まで遣って来たのである。
代助は三千代の門前を二三度行ったり来たりした。軒燈の下へ来るたびに立ち留まって、耳を澄ました。五分乃至十分は凝としていた。しかし家の中の様子はまるで分らなかった。凡てが寂としていた。
代助が軒燈の下へ来て立ち留まるたびに、守宮が軒燈の硝子にぴたりと身体を貼り付けていた。黒い影は斜に映ったまま何時でも動かなかった。
代助は守宮に気が付く毎に厭な心持がした。その動かない姿が妙に気に掛った。彼の精神は鋭さの余りから来る迷信に陥った。三千代は危険だと想像した。三千代は今苦しみつつあると想像した。三千代は今死につつあると想像した。三千代は死ぬ前に、もう一遍自分に逢いたがって、死に切れずに息を偸んで生きていると想像した。代助は拳を固めて、割れる程平岡の門を敲かずにはいられなくなった。忽ち自分は平岡のものに指さえ触れる権利がない人間だと云う事に気が付いた。代助は恐ろしさの余り馳け出した。静かな小路の中に、自分の足音だけが高く響いた。代助は馳けながら猶恐ろしくなった。足を緩めた時は、非常に呼息が苦しくなった。
道端に石段があった。代助は半ば夢中で其所へ腰を掛けたなり、額を手で抑えて、固くなった。しばらくして、閉さいだ眼を開けて見ると、大きな黒い門があった。門の上から太い松が生垣の外まで枝を張っていた。代助は寺の這入り口に休んでいた。
彼は立ち上がった。惘然として又歩き出した。少し来て、再び平岡の小路へ這入った。夢の様に軒燈の前で立留まった。守宮はまだ一つ所に映っていた。代助は深い溜息を洩らして遂に小石川を南側へ降りた。
その晩は火の様に、熱くて赤い旋風の中に、頭が永久に回転した。代助は死力を尽して、旋風の中から逃れ出ようと争った。けれども彼の頭は毫も彼の命令に応じなかった。木の葉の如く、遅疑する様子もなく、くるりくるりと燄の風に巻かれて行った。
翌日は又燬け付く様に日が高く出た。外は猛烈な光で一面にいらいらし始めた。代助は我慢して八時過に漸く起きた。起きるや否や眼がぐらついた。平生の如く水を浴びて、書斎へ這入って凝と竦んだ。
所へ門野が来て、御客さまですと知らせたなり、入口に立って、驚ろいた様に代助を見た。代助は返事をするのも退儀であった。客は誰だと聞き返しもせずに手で支えたままの顔を、半分ばかり門野の方へ向き易えた。その時客の足音が縁側にして、案内も待たずに兄の誠吾が這入って来た。
「やあ、此方へ」と席を勧めたのが代助にはようようであった。誠吾は席に着くや否や、扇子を出して、上布の襟を開く様に、風を送った。この暑さに脂肪が焼けて苦しいと見えて、荒い息遣をした。
「暑いな」と云った。
「御宅でも別に御変りもありませんか」と代助は、さも疲れ果てた人の如くに尋ねた。
二人は少時例の通りの世間話をした。代助の調子態度は固より尋常ではなかった。けれども兄は決してどうしたとも聞かなかった。話の切れ目へ来た時、
「今日は実は」と云いながら、懐へ手を入れて、一通の手紙を取り出した。
「実は御前に少し聞きたい事があって来たんだがね」と封筒の裏を代助の方へ向けて、
「この男を知ってるかい」と聞いた。其所には平岡の宿所姓名が自筆で書いてあった。
「知ってます」と代助は殆んど器械的に答えた。
「元、御前の同級生だって云うが、本当か」
「そうです」
「この男の細君も知ってるのかい」
「知っています」
兄は又扇を取り上げて、二三度ぱちぱちと鳴らした。それから、少し前へ乗り出す様に、声を一段落した。
「この男の細君と、御前が何か関係があるのかい」
代助は始めから万事を隠す気はなかった。けれどもこう単簡に聞かれたときに、どうしてこの複雑な経過を、一言で答え得るだろうと思うと、返事は容易に口へは出なかった。兄は封筒の中から、手紙を取り出した。それを四五寸ばかり捲き返して、
「実は平岡と云う人が、こう云う手紙を御父さんの所へ宛て寄こしたんだがね。――読んでみるか」と云って、代助に渡した。代助は黙って手紙を受取って、読み始めた。兄は凝と代助の額の所を見詰めていた。
手紙は細かい字で書いてあった。一行二行と読むうちに、読み終った分が、代助の手先から長く垂れた。それが二尺余になっても、まだ尽きる気色はなかった。代助の眼はちらちらした。頭が鉄の様に重かった。代助は強いても仕舞まで読み通さなければならないと考えた。総身が名状しがたい圧迫を受けて、腋の下から汗が流れた。漸く結末へ来た時は、手に持った手紙を巻き納める勇気もなかった。手紙は広げられたまま洋卓の上に横わった。
「其所に書いてある事は本当なのかい」と兄が低い声で聞いた。代助はただ、
「本当です」と答えた。兄は打衝を受けた人の様に一寸扇の音を留めた。しばらくは二人とも口を聞き得なかった。良あって兄が、
「まあ、どう云う了見で、そんな馬鹿な事をしたのだ」と呆れた調子で云った。代助は依然として、口を開かなかった。
「どんな女だって、貰おうと思えば、いくらでも貰えるじゃないか」と兄がまた云った。代助はそれでも猶黙っていた。三度目に兄がこう云った。――
「御前だって満更道楽をした事のない人間でもあるまい。こんな不始末を仕出かす位なら、今まで折角金を使った甲斐がないじゃないか」
代助は今更兄に向って、自分の立場を説明する勇気もなかった。彼はついこの間まで全く兄と同意見であったのである。
「姉さんは泣いているぜ」と兄が云った。
「そうですか」と代助は夢の様に答えた。
「御父さんは怒っている」
代助は答をしなかった。ただ遠い所を見る眼をして、兄を眺めていた。
「御前は平生から能く分らない男だった。それでも、いつか分る時機が来るだろうと思って今日まで交際っていた。然し今度と云う今度は、全く分らない人間だと、おれも諦らめてしまった。世の中に分らない人間程危険なものはない。何を為るんだか、何を考えているんだか安心が出来ない。御前はそれが自分の勝手だから可かろうが、御父さんやおれの、社会上の地位を思ってみろ。御前だって家族の名誉と云う観念は有っているだろう」
兄の言葉は、代助の耳を掠めて外へ零れた。彼はただ全身に苦痛を感じた。けれども兄の前に良心の鞭撻を蒙る程動揺してはいなかった。凡てを都合よく弁解して、世間的の兄から、今更同情を得ようと云う芝居気は固より起らなかった。彼は彼の頭の中に、彼自身に正当な道を歩んだという自信があった。彼はそれで満足であった。その満足を理解してくれるものは三千代だけであった。三千代以外には、父も兄も社会も人間も悉く敵であった。彼等は赫々たる炎火の裡に、二人を包んで焼き殺そうとしている。代助は無言のまま、三千代と抱き合って、この燄の風に早く己れを焼き尽すのを、この上もない本望とした。彼は兄には何の答もしなかった。重い頭を支えて石の様に動かなかった。
「代助」と兄が呼んだ。「今日はおれは御父さんの使に来たのだ。御前はこの間から家へ寄り付かない様になっている。平生なら御父さんが呼び付けて聞き糺す所だけれども、今日は顔を見るのが厭だから、此方から行って実否を確めて来いと云う訳で来たのだ。それで――もし本人に弁解があるなら弁解を聞くし。又弁解も何もない、平岡の云う所が一々根拠のある事実なら、――御父さんはこう云われるのだ。――もう生涯代助には逢わない。何処へ行って、何をしようと当人の勝手だ。その代り、以来子としても取り扱わない。又親とも思ってくれるな。――尤もの事だ。そこで今御前の話を聞いてみると、平岡の手紙には嘘は一つも書いてないんだから仕方がない。その上御前は、この事に就て後悔もしなければ、謝罪もしない様に見受けられる。それじゃ、おれだって、帰って御父さんに取り成し様がない。御父さんから云われた通りをそのまま御前に伝えて帰るだけの事だ。好いか。御父さんの云われる事は分ったか」
「よく分りました」と代助は簡明に答えた。
「貴様は馬鹿だ」と兄が大きな声を出した。代助は俯向いたまま顔を上げなかった。
「愚図だ」と兄が又云った。「不断は人並以上に減らず口を敲く癖に、いざと云う場合には、まるで唖の様に黙っている。そうして、陰で親の名誉に関わる様な悪戯をしている。今日まで何の為に教育を受けたのだ」
兄は洋卓の上の手紙を取って自分で巻き始めた。静かな部屋の中に、半切の音がかさかさ鳴った。兄はそれを元の如くに封筒に納めて懐中した。
「じゃ帰るよ」と今度は普通の調子で云った。代助は叮嚀に挨拶をした。兄は、
「おれも、もう逢わんから」と云い捨てて玄関に出た。
兄の去った後、代助はしばらく元のままじっと動かずにいた。門野が茶器を取り片付けに来た時、急に立ち上がって、
「門野さん。僕は一寸職業を探して来る」と云うや否や、鳥打帽を被って、傘も指さずに日盛りの表へ飛び出した。
代助は暑い中を馳けないばかりに、急ぎ足に歩いた。日は代助の頭の上から真直に射下した。乾いた埃が、火の粉の様に彼の素足を包んだ。彼はじりじりと焦る心持がした。
「焦る焦る」と歩きながら口の内で云った。
飯田橋へ来て電車に乗った。電車は真直に走り出した。代助は車のなかで、
「ああ動く。世の中が動く」と傍の人に聞える様に云った。彼の頭は電車の速力を以て回転し出した。回転するに従って火の様に焙って来た。これで半日乗り続けたら焼き尽す事が出来るだろうと思った。
忽ち赤い郵便筒が眼に付いた。するとその赤い色が忽ち代助の頭の中に飛び込んで、くるくると回転し始めた。傘屋の看板に、赤い蝙蝠傘を四つ重ねて高く釣るしてあった。傘の色が、又代助の頭に飛び込んで、くるくると渦を捲いた。四つ角に、大きい真赤な風船玉を売ってるものがあった。電車が急に角を曲るとき、風船玉は追懸て来て、代助の頭に飛び付いた。小包郵便を載せた赤い車がはっと電車と摺れ違うとき、又代助の頭の中に吸い込まれた。烟草屋の暖簾が赤かった。売出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと燄の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行こうと決心した。
この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
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