さん◦ぺいとろの御作業
今日 ( こんにち ) さんた◦ゑけれじやより*さん◦ぺいとろ*さんぱうろ一切人間の三ツの敵に対 ( たい ) せられて御運を開き給ふ所を悦び申さるゝ者也。三ツの敵とは我身◦この世界◦天狗 ( てんぐ ) 是也。今日の祝ひはきりしたんの内の第一の祝ひ也。その故はきりしたんの第一番の大将◦御勝利を得給ふ日なれば也。この御両人の御運を開き給ふ御上をば◦各隔 ( かくかく ) に祝ひ申さるべきこと本意なりといへども◦御両人の上を一度に祝ひ申さるゝ事は◦きりしたんの悦びも信心も今日重 ( かさ ) なり◦その御 ( おん ) 鏡 ( かゞみ ) も今日より重なれば也。その因縁 ( いんえん ) の重なる時んば◦でうす を尊 ( たつと ) み奉る事も重なるべきこと尤 ( もつとも ) なり。又この御両人◦今日一度にまるちるになり給ひたる事も又 でうす のおん定め也。御 ( ご ) 存 ( ぞん ) 生 ( じやう ) のうちに御一味◦御一身に思召合ひ給ふが故に◦今日同じ日◦同じ処同じ悪王の下知 ( げち ) を以て同じひいですを育つる為に◦御 ( ご ) 一命を捧げ給ふ也。さん◦ぱうろはろうまの人にて在 ( まし ) ます也。其 ( それ ) に依て古 ( いにし ) へよりの法 ( はつ ) 度 ( と ) に任せて◦御首を打奉りたる者也。*さん◦ぺいとろはじゆでよの子孫たるに依て◦御 ( おん ) 主 ( あるじ ) ぜすきりしと の御家風に任せてくるすに懸り給ふ也。是等の道理に従て◦今日ゑけれじやより深く祝ひ給ふ者也
さればべやとに依て◦でうす の御内証に叶ひ給ふ人にて在ますといふ所ばかりを祝ひ奉るもあり。又そのゑけれじやを弘むる為にさま〴 〵 の御辛労をこらへ給ひ◦その道より死し給ふところを祝ひ申さるゝもある者也。然 ( しか ) れば今日のべやとは◦この二様 ( ふたさま ) の道理に依て祝ひ奉る也。この御両人は一切きりしたんの父母 ( ぶも ) にて在 ( まし ) ますのみならず◦又師匠にても在ます也。されば人の上には誰も骨肉の父母二人のほかはなしといへども◦すぴりつあるの上には又もあるもの也。それを指 ( さし ) 給ひて ぜすきりしと Qui facit voluntatem patris mei, qui in caelis est, ipse meus frater, mater & soror est. と宜ふ也。天に在ます我御親の思召 ( おぼしめ ) す如くする者は◦それ我父母兄弟なりといふ語也。その如くこの二人のべやとは一切きりしたんの父母となり給ふ也。父母は子に対して◦或時は泣き或時は笑ひ◦或時は折檻し◦或時は不 ( ふ ) 愍 ( びん ) を加ゆる者也。その如くこの御両人は◦一切きりしたんを育て給ふもの也。気遣ひある人の中にては共に悲しみ給ひ◦喜びある人の中にては共に喜び給ひ◦悪事ある時は折檻し給ひ◦心がけある時は御不 ( ごふ ) 愍 ( びん ) を加へ給ふ也。この御両人のおん教は清浄潔白なる泉源 ( せんげん ) にて在ます ぜすきりしと より直 ( ぢき ) に汲み給ひたる清水 ( せいすい ) なれば、一段上乗に在ます也。かるが故に百練の黄金とも申し奉る也。この*さん◦ぺいとろの御作業を書給ふ人は*しめおん◦めたふらすてすといふ人也
*さん◦ぺいとろはゑぶれあの国の人にて在ます也。がりれあのうち◦べつさいだといふ在所の住人也。御父をば*じよなすといふ也。*さん◦あんでれの御舎弟也。*ありすとぽろといふ人の女 ( むすめ ) を御妻と定め給ひ◦それより御子息一人◦御息女一人設け給ふ者也。*さん◦あんでれは◦妻子を持給はぬによつて◦まづ*さんと◦じよあん◦ばうちしたの弟子となり給ふ也。或時*さん◦じよあん指をさして ぜすきりしと を教へ給ふに依て◦則ち*さん◦あんでれは ぜすきりしと の御跡を慕ひ奉りて◦御弟子となり給ふなり
或時*さん◦あんでれ*さん◦ぺいとろを勧 ( すゝ ) め給ひて◦御主 ぜすきりしと の御前へ誘引し給へば◦其時御弟子 ( みでし ) になり給ふに依て◦ぺいとろと名付給ふ也。*ぺいとろとは石といふ言葉よりいでたる名也。石の如く信力堅固なる心を持給ふが故に◦かくの如く名付け給ふ也。かくて私宅に帰りすなどりを仕業とし給ふが故に◦或時兄弟ともに破れたる網を補ひらるゝを御覧有て◦わが跡を慕へ◦人を引く漁師となさんと宣へば◦即ち舟と網とを捨てゝ◦ぜすきりしと のあぽすとろとなり給ふ也。すなはちこの*さん◦ぺいとろには◦ぱらいぞの鍵を渡し給ふ者也。このべやとは海上を陸地の如くありき給ふ事もあり。御主 ぜすきりしと のたらんすひぐらさんを見給ひ◦その時 でうす ぱあてれの後御 ( ごご ) 名 ( みやう ) 代 ( だい ) として◦人間の科 ( とが ) を許し給ふ御力を受取給ふ也。その段はゑわんぜりよにこと〴 〵 く見へたり。又その御弟子達の司となり給ふに依て◦御弘めの為に、御辛労の鏡となり給ふ也。御 ( ご ) 談義を以て◦或時いゑるされむにて◦一度に三千人きりしたんになし給ふ也。また或時*さん◦じよあん◦ゑわんぜりしたと御同道にててむぷろに参り給ふに◦その入口に腰のぬけたる貧者のありしに*さん◦ぺいとろくるすを唱へ給へば則ち直りたる事也。その次に諸人の前にて御談義を説給へば◦その日も五千人きりしたんになりたると也
或時*あなにやす*さひらとて二人の人ありしが でうす の御奉公の為に捧げ奉りたる財宝を又盗みたるを*さん◦ぺいとろ叱り給へば頓死したると也。*さん◦ぺいとろのみかげに当る病人は快 ( くわい ) 気 ( き ) を得たるのみならず◦死人もよみがへりたると也。又御言葉を以て癩病をも数多 ( あまた ) 直し給ひたると也。じよつぺといふ所に、*たびたといふ女人 ( にょにん ) のありしが◦一段慈悲心なる人なりつるが◦死しけると聞き給ひて◦その死骸のそばに立寄給ひて起きよと宣へば◦即ちよみがへりたると也。*こるねりよといひし大名ぜんちよにて居られしが*さん◦ぺいとろの御談義を聴聞して◦あるほどの家人までもこと〴 〵 く御授けを受させ◦その身もきりしたんとなり◦すぴりつ◦さんちのがらさをみち〳 〵 て申受られし也。いゑるされむよりせざれやといふ所に御弟子 ( みでし ) を連行き給ひ◦その内より一人をびすぽになさせられて◦その所に置き給ひ◦それよりべりと◦とりぽりなどゝいふ在々所々にびすぽ一人づゝを据置かせられ◦きりしたんのうちをこと〴 〵 く御覧じまはられ◦人につきたる数多 ( あまた ) の天狗をせめいだして通り給ふ也。かくて在々所々にきりしたんの繁昌をさせられ◦又いゑるされむへ帰り給ふ也。*さん◦ぱうろきりしたんにならせられてより後三年目に当 ( あたり ) て◦御 ( ご ) 音信 ( いんしん ) としていゑるされむへ上り給ひしに◦なほ〳 〵 でうす の御事とすくりぷつらの上を教へ給へば◦さん◦ぱうろは御教を弘め給はんとていで給へば*さん◦ぺいとろもあんちおきあ以下 ( いげ ) を弘め給ひ◦又いゑるされむへ帰り給へば◦ぜすきりしと 見 ( まみ ) へ給ひて◦これより西の方へ赴き給へと宣ふ也。これ即ちろうまのあたり也
その時代に*しまん◦まごといふ博士あり。魔法を以て種々の神変 ( じんぺん ) を顕ずるが故に◦いづくにもその隠れなき者也。然 ( しか ) るをろうまのゑむぺらどる御成敗を加へられん為に追討の官人を下し給へば◦即ち搦 ( から ) めて来 ( きた ) るに依て◦牢に入れられければ◦その牢の内にても種々の奇 ( き ) 特 ( どく ) をするに依て◦牢より出さるゝのみならず◦結局人々より でうす の如くに尊敬 ( そんきやう ) せらるゝ也。後にはゑんぺらどる*くらうぢよまで信じ給ふ也。そのゑんぺらどる彼が木像を大きに作り◦ちぶれといふ河のほとりなる諸国往返の道筋に立おき給ひ◦之は*しまん◦まごといふ尊き人の御影也と額 ( がく ) を打 ( うて ) り。その時分*さん◦ぺいとろもろうまへ上り給ひ◦毎日みいさを行はせられ◦さんた◦ちりんだあでの御談義を述 ( のべ ) 給ふ也。その御談義を以てきりしたんになる人数多 ( あまた ) あり。この御談義◦御奇特を人々伝へ聞いて◦その所の人々過半きりしたんになるに依て◦かの博士をば次第に尊敬する者なき也。かの博士そねみ奉 ( たてまつ ) て諸人の前にて*さん◦ぺいとろの御相手となりたる也。かの博士の道を行くには◦我身の影を数多に見せて前後左右に随身 ( ずいじん ) するを人々あやしみ問へば◦それはわがよみがへしたる者の亡魂なり。恩のところを忘れずして、何時も我に随 ( したが ) ふと言へり。そのほか、我身も数多に見へ◦或時は両面と現じ◦又或時は羊 ( よう ) 頭 ( づ ) 牛面 ( ぎうめん ) とも現れ◦又或時は身より焰 ( ほのほ ) を出す也。これを以て愚 ( ぐ ) 人 ( にん ) をたぶらかす也。さりながら*さん◦ぺいとろの御前 ( おんまへ ) に来れば◦烟 ( けぶり ) の風に消ゆるが如く◦その神変 ( じんぺん ) おのづから果たる者也。かの博士いつも問答には負くるによつて◦大きなる武略を巧みいだす者也。その武略といふは◦合戦に運を開きたる人の頭 ( かうべ ) にいただかるゝ木の枝を以てかむりを作りていたゞき◦あるたるの上にあがり◦万民を大きに罵詈 ( めり ) して人々愚味〔ママ 〕 なる者のごとく◦奇特をば見知らずして◦かの*ぺいとろといふものを尊敬するの条◦我この所に久しく住すべからず◦天にあがり空よりその罸 ( ばつ ) を与ゆべし。これ皆わが言葉を違背しける科故 ( とがゆへ ) 也と◦手を拍て虚空に上れば◦人の影の如くなるもの数多前後に見へて◦白雲その跡を隠したり。*さん◦ぺいとろその場に去らぬ体 ( てい ) にて在まし◦高くあがりて後 ぜすきりしと へおらしよし給ひ◦かの武略人に御 ( ご ) 罸 ( ばつ ) を与へ給へ◦愚痴なる者を信ぜぬ為に◦と申させ給ひて空を見給ひ◦いかに天狗◦ぜすきりしと の御力を以て下知 ( げち ) を加ふ。かの博士を放せと宣へば◦白雲の中より大地に落ちて五 ( ご ) 体 ( たい ) 身分 ( しんぶん ) を損ひ◦大苦痛を以て二日存命して終に死す。この事を万人見物して各々声を挙げ*さん◦ぺいとろの弘め給ふ でうす より外に、別 ( べち ) に拝むべき方なしと叫びければ*さん◦ぺいとろ高き所に◦上 ( あが ) りて鎭め給ひ◦わが弘むる所の ぜすきりしと は真の でうす にて在ましながら◦人の形を受させられ◦色々の御辛労を凌ぎ給ひ◦終にくるすにかゝらせられて一切人間の御 ( お ) 扶 ( たす ) けとなり給ふといふ儀を談じ給ふ也。即ちその時数多の人々きりしたんになりたる也
其時*さん◦りのをびすぽと定め給ひ◦それよりいすぱにや◦あひりか◦ゑじつと以下 ( いげ ) ◦御 ( おん ) 弘めの為に赴給ひ、あれしあんどりあに御逗留し給へば*さんた◦まりやの御最期を でうす より告 ( つげ ) 給ふに依て◦又じゆであへ帰り給ひ◦それよりろうまへ上り給ふ道すがら◦みらむ◦ぶりたにやへ行給へば◦そこにて御身の御最期近きと知給ひ◦ろうまへ帰り給ふ也。その時の御 ( ご ) 告 ( つげ ) にくるすにかゝりてまるちるになるべしと知らせ給ふ也。これをきゝ給ひ◦ぶりたにやにて数多のびすぽを定めさせられ◦きりしたんの繁昌をなし給ひて*ねろといふゑむぺらどるの時代に◦ろうまにをひて歴々の大名高家を◦御談義を以てきりしたんになさせらるゝそのうちに◦ねろの后妃も二人きりしたんになり給ふに依て*さん◦ぺいとろに対し奉り恚 ( いか ) りをなし◦一切のきりしたんに成敗と過 ( か ) 怠 ( たい ) を定めおかれたり。その時◦数多のきりしたんをまるちるに行はれたる也。*さん◦けれめんては*ねろと外戚のよしみたるに依て◦許しおかれたる者也。勿論*さん◦ぺいとろをば搦 ( から ) め奉 ( たてまつ ) てさかさまにくるすにかけ奉りたる也。この道よりおんあにまは◦ぱらいぞに入り給ふと分別すべし。*さん◦けれめんて◦その御死骸を取給ひてよき所に納め給ふもの也
今までは*さん◦ぺいとろあぽすとろの御上を少々沙汰せし也。これよりは*さん◦ぱうろの御上を云ふべし
巻末附録「第三 欧語抄」より
○あにま Anima 「たましひ」 霊魂
○あぽすとろす Apostros 宗徒 聖徒
○ありすとぼろす Aristobolos 人名
○あれしあんでりや Alexandria 地名
○あんちおきあ Antiochia 地名
○あんでれ〔さん〕 Andre, S. 人名
○いゑるされん Hierusalem 地名
○ゑけれじや〔さんた〕Ecclesia 教会
○ゑぶれあ Hebrea 地名
○ゑんぺらどる Emperador 皇帝
○ゑわんぜりよ Evangelho 福音
○おらしよ Oratio 祈念、経
○がらさ graça 聖寵
○きりしたん Christão 基督教人
○くるす Cruz 十字架
○けれめんて〔さん〕 Clemente, S. 人名
○しめおん めたふらすてす Simeon Metaphrastes 人名
○じゆでや Judea 猶太国
○じよあん ゑわんぜりした〔さん〕 Joan Evangelista, S. 人名 約翰福音者
○じよあん ばうちした〔さん〕 Joan Baptista S. 人名 約翰洗者
○じよつぺ Joppe 地名
○すくりぷつら Scriptura 聖書
○すぴりつある Spiritual 霊の
○すぴりつ さんち Spiritus Sanctus, Espiritu Santo, Espirito Santo 聖神
○せざれや Cesarea 地名
○ぜんちよ Gentio 異教徒
○たびた Tabita 人名
○たらんすひぐらさん Transfiguração 「変化」変容
○ちべゑれ Tibre 河名
○ちりんだあで Trindade 三位一体
○でうす Deus 「真の主」「天主」「天帝」
○でうす ぱあてれ Deus Padre 天主 聖父
○てんぷろ Templo 聖堂
○ねろ Nero 人名
○ぱらいぞ Paraiso 天国
○ひいです Fides 「でうすの御教をまことに信じ奉る善」
○びすぽ Bispo 司祭
○べつさいだ Betsaida 地名
○べやと Beato 福者
○まるちる、まるちれす Martyr, Martyres 「でうすの御奉公に対して苛責をうけ命を捧げられたる善人」証拠人、証跡人、致命者
○ろうま Roma 羅馬
巻末附録「第四 聖書引用文句索引」より
5頁 1行以下 馬瓄12章50節
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原文:
この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメイン の状態にあります。
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翻訳文:
この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメイン の状態にあります。
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