さん◦ふらんしすこの御作業
世は堯季 ( ぎようき ) 〔澆季〕に及ぶといへども◦御 ( おん ) 扶 ( たすけ ) 手 ( て ) の御 ( ご ) 被 ( ひ ) 官 ( くわん ) なる*ふらんしすこの上に◦でうす のがらさ輝き給ふと見へたり。おん慈悲の御親にて在 ( まし ) ます でうす 莫太 ( ばくたい ) の御恩を以てかのさんとを世界の暗 ( やみ ) より実 ( まこと ) の光に導き給ふのみならず◦諸善を以て高位に掲げ給ふ者也。この傑出の*ふらんしすこは◦いたりやの国のあつしすといふ所の住人也。御出世より千百八十二年目に生れ給ふ者也。父は富 ( ぶ ) 限 ( げん ) なる商人 ( あきんど ) 也。然れども筋目ある人也。母は高家にて信心なる人也。ばうちいずもを授かり給ふ時◦母の下知 ( げち ) として*じよあんと名付け給ふ也。さりながらおん父きりしまのさからめんとを授け給ふ時*ふらんしすこと改易 ( かいえき ) し給ふと也。人に依 ( より ) て◦ふらんさの言葉をたやすく習ひえ給ふに依 ( より ) て*ふらんしすこと名付られ給ふとも言へり。この母さんとを産 ( さん ) せらるゝに臨 ( のぞ ) うで◦難産の腹痛折角 ( せつかく ) なるところに◦門に修行者一人来 ( きたり ) て物を乞ふに◦下女出で与 ( あた ) へしに◦その修行者の曰く◦只今難産し給ふ人◦厩 ( うまや ) にいで給はば安かるべしと言て去りしと下女語りければ◦その分せらるゝと共に◦たやすく産せられしと也。このお恩を思ひいだされんが為に◦その跡にかぺらを一ツ建立して今にありとぞ。これ ぜすきりしと の御 ( おん ) 親 ( したし ) みのしるし也。御身厩 ( うまや ) にて生れ給ふが故に◦かくの如く計ひ給ふと見へたり。然ればこのさんとは惣領 ( そうりやう ) たるによつて◦一跡 ( いつせき ) 相続 ( さうぞく ) の為に育てられ◦人となり給ひてより◦先ふらんさの言葉を習はせられ◦次にらちんをも大方学 ( がく ) し給ふなり。それより後は◦父の商売に従 ( したがひ ) て◦こゝかしこに往返し給ふ也。然れども世界の貪欲わいだあでの中にても◦でうす の心 ( しん ) 中 ( ぢゆう ) に教へ給ふ望みの種 ( たね ) をば損 ( そん ) ざず事は◦天狗 ( てんぐ ) も叶はぬ者也。其故は若輩の時より◦知人傍輩のたはむれ◦身の楽しみに対し給ひても、無価 ( むげ ) の至宝 ( しいほう ) なるかすちだあでをば*ぱちりあるか◦じよせふの如く確かにたしなみ給ふ也。諸あきんどと交り給へども◦非道非法なる利慾をも構へ給はず◦ぜすきりしと の貧者に対して◦慈悲をやめ給ふ事もなき也。生得の憐愍 ( れんびん ) を曽 ( かつ ) て曲げ給ふ事なき也。この慈悲心幼少の時より心にありしが◦次第に重なり給ふに依て◦でうす に対し奉りて人より物を乞ひかけ申すに◦否と宣ふ事叶ひ給はぬと也。或時商売に取まぎれて◦でうす に対し御 ( おん ) 慈悲 ( じひ ) を乞ひたる非人を閣 ( さしお ) き給ひしが◦その者去りて後◦その所作を打おき◦非人を只かへし給ふ事を悲しませられ◦我と我身を深くかこち◦さても我は慳貪 ( けんどん ) なる者哉。誰なりとも我 ( わが ) 知人より物を乞ひに来 ( きた ) らば◦万事をやめて使者にもあひ◦又つかはさずといふ事あるまじきに◦でうす の御使を空しく返しけるとて非人をたづねいださせられ◦赦免を乞ひ物を与へて遣はされ◦今よりしてこの油断あるまじき為に◦でうす に対して物を乞はん者に辞退する事あるべからずと入願し給ふもの也。未だ出家し給はぬ時も◦でうす の御 ( ご ) 大切 ( たいせつ ) の言葉を聞き給ふ度に◦心を動かし給はずといふ事なき也
然 ( しか ) るにさんとの在所と隣短 ( りんたん ) の人々と公事 ( くじ ) 変 ( へん ) 出来 ( しつらい ) し◦さんとの在所の者とさんとをも共に生捕り奉りて◦一年ほどを籠舎 ( ろうしや ) させられまつる也。その籠内に居給ふ間も◦その難儀をこらへ給ふに◦深き御心底の御悦びを持給ふ事をば◦人々いづれも驚き申す也。その内にも又◦この難にあふて喜ぶは愚鈍の印 ( しる ) しなりと誹 ( そし ) られ給ひて宣はく◦何に依てかこの難を悲まんや。その故は我 ( わが ) 誉れ世界にその隠れあるべからずと宣ひ◦残りの籠舎にねんごろに使はれ給ひ◦心を添給ふもの也。この籠 ( ろう ) より異儀なく出給ひ◦天然◦人愛よく在 ( まし ) ますによつて◦人々愛し奉る故◦実 ( み ) もなき事に二十五年の春秋を送り給ふ者也。御心中には でうす の御大切の火 ( ほ ) の粉少しあれども◦わいだあでと財宝の取紛れに支へられ給ひて◦でうす の御秘密と◦でうす のおん事を案じ給はん為の御召 ( おんめし ) をも未だ知給はぬ也
それに依て御慈悲の御親 でうす より御折檻と身に覚へさせ給はん為◦長き大病を与へ給ふ也。是 ( これ ) を以て大 ( おほ ) きに驚き◦この病に快気を得ば御奉公に我 ( わが ) 全体を捧げ奉らんと深く思入り給ふ者也。されば でうす この世界にをひて取分 ( とりわけ ) 御大切に思召 ( おぼしめ ) す者に対しての◦ぷるがとうりよを与へさせられ◦御丁寧を加へ給ふと見へたり。よく堪忍せばその分なり。されば病ほどの学問教化 ( きやうげ ) はあるべからず。
この尊き*ふらんしすこ◦でうす より与へ給ふ病を至宝 ( しいほう ) と思召すによつて◦これより御主へ帰参し給ふ題目となりたる者也。さればさんと御病気に快気を得給へば◦おんあにまつより給ふもの也。あるさむらひの貧なる者◦衣裳の破れたるを着て恥しく思ふに行 ( ゆき ) あひ給ひて◦傍 ( かたはら ) に呼び給ひ◦御身の着給ふ新しき衣裳を与へ給ひて◦かの人の古き衣裳をとりて◦御身にまとひ給ふ也。其あくる夜の夢に◦大 ( おほ ) きなる座敷を見給へば◦その中に色々の結構なる武具を飾りたてゝ◦それ〴 〵 の上にくるすのしるしのあるに◦ぜすきりしと 立給ひ◦これ皆汝と汝が武者に与ゆべし。さりながらくるすの旗を強き心をもて受取り◦我跡 ( わがあと ) を慕はゞ皆与 ( みなあた ) へんと宣ふなり。その時よりさんと甚しく信心に立帰り◦人なき所に度々 ( どど ) 出 ( いで ) ておらしよし給ひ◦おん息をつき給ふ事限りなし。おらしよに届き◦達したる善の道を見せ給ふ様にと御 ( おん ) 主 ( あるじ ) を常に頼み申さるゝ也。或時おらしよの折節 ( おりふし ) ◦御主 ぜすきりしと くるすに懸 ( かゝ ) り給ふ御姿にて見へ給へば◦即 ( すなは ) ち我身をすて御主のくるすをかゝげ◦御跡を慕ひ給はんと◦大きに心中を改め給ふが故に◦でうす の御 ( ご ) 大切 ( たいせつ ) の火を以ておんあにまは燃立ち給ふ也。又御 ( ご ) ぱしよんを思ひ出す事も◦同じく心底に深くそみ給ふが故に◦心願を以て常に ぜすきりしと の五ツの御傷を見奉り◦それよりしてほかにも涙を止 ( とゞ ) めかね給ふ者也。或時*さん◦だみやんのゑけれじやに参詣あつて◦くるしひしよの御 ( み ) 前 ( まへ ) にて謹んでおらしよし給ふ折節◦いかに*ふらんしすこ◦わがゑけれじやの破壊 ( はゑ ) するを修理せよとの御声を三度聞給ひ◦そのゑけれじやの星霜 ( せいざう ) 古 ( ふ ) りたるを建立せよと宣ふと思召す也。されども此御言葉の心は◦尊 ( たつと ) き御血を以て買給ふ一切のきりしたんの事也。去 ( さ ) ればさんと持給ふほどのことを沽 ( こ ) 却 ( きやく ) して◦その価 ( あたひ ) を住 ( ぢゆう ) 持 ( ぢ ) に進ぜらるれども◦父の儀を省みて請取 ( うけとり ) 給はねば◦ぱあてれの足許になげうつて去 ( さり ) 給ひぬ。父此儀を聞き給ひ◦びすぽの御前にて惣領 ( そうりやう ) 職 ( しき ) を改易するとの弘めをせんまではとて◦さんとを搦 ( から ) め籠舎 ( ろうしや ) させおかるゝ也。面じてびすぽのおん前にてその批判をとげらるれば◦さんとは惣領職を返すと宣ふのみならず◦肌に着給ふかたびらまでもぬひで父に返し給ふ也。その時はだへにしりしよを帯 ( たい ) し給ふことも現れたり。さんと父に向て◦今まではこの世にて父と呼びたり。今よりは天に在 ( まし ) ます御親を達して頼み奉るに相極まる也。この御親にわが持ちたるほどのものを捧げ奉り◦わが頼 ( たの ) 母 ( も ) 敷 ( しき ) を悉くこのおん親に懸け奉るぞと宣ふ也。びすぽ◦その比類なき でうす の御被官のへるうるを御覧じて座し給ふ曲録 ( きよくろく ) よりおり◦さんとに懐 ( いだき ) 付 ( つ ) かせられ◦着 ( ちやく ) し給ふおん衣裳を以て肌を隠し給ひ・御被官にこの人の為に衣裳を持来れと宣へば◦百姓の衣裳を持来るに◦さんとは至宝 ( しいほう ) を受取るやうに懐付き給ひ◦大歓喜を以て拝領あり。くるすのなりにたち給ひて着給ふ也
去れば世を厭ひ世界の慾より斥 ( しりぞ ) き給へば◦在所を捨て人倫絶えたる山林に分入給ふ也。これ◦そこにて でうす の御音信 ( いんしん ) を◦なほ心中に覚へ給はんため也。さんと山路を御歌を歌ひ通り給ふに◦山賊に行 ( ゆき ) あひ給へば◦いかにも情 ( なさけ ) なき体 ( てい ) にて◦汝は何者ぞと問ひ奉るに◦大きなる頼 ( たの ) 母 ( も ) 敷 ( しき ) を以て◦ぽろへたの如くに◦我こそ大 ( たい ) 地 ( ぢ ) の帝王の御先駆 ( さきばし ) りなりとのたまへば◦山賊等大きに怒り◦さんとをさん〴 〵 に仕 ( つかまつ ) り◦雪のつみたる穴に投込み◦愚痴なる先駆 ( さきばし ) りのごとくそこに居よとて去りぬ。さんと彼等が帰ると見たまひてその所より出させられ大きに喜び◦高声 ( かうしやう ) に でうす のおん歌を歌ひゆき給ふ也。即ちそのあたりなる山寺に入りて食を乞ひ給へども◦誰も見知り奉らぬ也。それよりゑうぐびよといふ所へ行き給へば◦知音 ( ちいん ) の人より見知られ給ひ◦その人より非人の古き衣裳を得させられ◦御身を隠し給ふ也。その衣裳を二年の間換へ給はず◦道心者の如く常に杖をつき◦靴とゑるみたんの帯までにておはします也
でうす の御被官◦ゑすぴりつの婚姻に◦深甚 ( じんじん ) 宏大なる礎にすわりたく望み給へば◦びた◦あくちわとぷろしもの大切行体 ( ぎやうたい ) のみにて身をこなし給ふ者也。その故は少しものこさずわがあもる◦ぷろぴよをこなし給ひ◦その身の大切を御主 ぜすきりしと の御大切と◦ぷろしもの大切に飜 ( ひるがへ ) し給ふもの也。されば俗間の時◦一段癩病人を厭ひ給へば◦ぜすきりしと の御大切より力を受給ひてよりは◦あるほどの癩病人に使はれんと思立ち給ふ也。その所に度々行 ( ゆき ) 給ひ◦入るほどの物をとゝのへ与へ◦ぜすきりしと の御大切に対せられ◦手足面相を吸ひ給ふ也。瘡 ( かさ ) をも洗ひ膿 ( うみ ) をものごひ給ふ也。是を以て ぜすきりしと より◦すぴりとと色身 ( しきしん ) の病 ( やまひ ) をも直す力を持給ふほどの善人となし給ふ也。或時さんと寒天の時分に破れたる御衣裳の◦しかもうすきを着 ( ちやく ) し◦ゑけれじやにまゐり◦みいさを拝み給へば◦同じく直 ( ぢき ) の兄弟ありあひて嘲 ( あざけ ) り奉り◦御 ( おん ) 身 ( み ) の汗をば売 ( う ) り給はんや否やと人を以て申さるれば◦さんと喜び給ひ◦わが萬 ( よろ ) づの汗をば価 ( あたひ ) 高くわが でうす へ売 ( うり ) 奉りたりと宣ふ也。ある時さんと◦御主に何事を仕 ( つかまつ ) らば御奉公となり奉らんやと問ひ奉り給ひければ◦御主答へ給はく◦苦 ( にが ) きを甘きと思ひ我と身をいやしめよ。これわが奉公たるべしと也
ある時あぽすとろすに対して、みいさを行はるゝを◦深き信心を以て聴聞し給へば◦ぜすきりしと あぽすとろすに◦進退 ( しんだい ) について定めおき給ふゑわんぜりよを読み給ふを聴かせらるれば◦その理 ( ことは ) りに談義をしにゆかるべき時は金銀大囊を随身 ( ずゐじん ) せず◦二ツと衣裳を着ず◦靴をもはかず◦杖をもつく事勿れ。いづれの宿になりとも宿せんには◦でうす のおん無事あれと言はれよとの金言を聴き給ひ◦あぽすとりかの御貧を深く親み給ふ人なれば◦心中にわが尋ぬるは之なりと大音を挙げ叫び給ふ也。すぴりと◦さんとより大きなる力を受け給ふに依て◦そのあぽすとりか御進退を望み給ふ事は申すに及ばず◦御 ( おん ) 身 ( み ) の御衣裳にも現し給ふ者也。その故はやがて靴をもぬぎ◦杖をもすて◦衣裳をも一ツばかりも持ち◦帯をも改めて縄をさせられ◦囊 ( ふくろ ) をも携へ給はず◦すこし持給ひしをも捨て給ひしとなり。心にかゝる程の万事を捨て喜び給ふ也。ぺにてんしやを達してさせられ◦憲法 ( けんばう ) を保つやうにと各々に御談義し給ふ也。その御誉 ( おんほま ) れと御 ( おん ) 企 ( くはだ ) ていづくにも聞 ( きこ ) うれば◦あまたのよき人々さんとに近づき奉り◦在所世界を厭ひて◦へりくだりの御衣裳を着 ( ちやく ) し給ふさんとの御弟子 ( おでし ) とならるゝ也。このさんとみさまの門派を建立し給ふ也。一ツにはふらです◦めのれすといふ。こんてむぷらちわやとあくちわの所作を以て談義せらるゝ也。二ツにはさんた◦くららの比丘尼の門派◦三つにはぺにてんしやの門派也
この尊きふらんしすこ方々へ赴かせられ◦大きなる催しと深き御大切を以て御 ( お ) 教 ( をしへ ) を談 ( だん ) じ給ふ也。度々我 ( わが ) 弟子なる出家達に◦いかに兄弟◦我とともに でうす の御奉公を新しく始め給へと宣ふ御家風也。ある人に雇はれたる者共◦互ひに物語りのみしけるを◦雇ひたる主 ( ぬし ) 聞いて◦はてはて Non parlate 談 ( かた ) らず辛労せよといふを聞き給ひ◦御門下の出家達に◦いかに兄弟◦只今人を雇ひたる人の言ひけるを聴かるゝや否や。でうす も我等にかくの如く仰せらるゝと見へたり。その故は◦我等も所作をせずして言葉ばかりを言へば也と宣ふなり。このさんとはおらしよの度 ( たび ) ごとに Deus Meus et omnia と宣ふ也。是いかに でうす わが万事はおん身なりといふ事也
或時伴 ( とも ) の出家只一人を召連れられ◦談義しに行かんと宣ひ◦ある在所にて人々を集めさせられ◦みいさを聴聞せよ◦こんひさんを申せ◦空 ( そら ) 誓文 ( せいもん ) するな◦父母 ( ぶも ) に孝を尽 ( つく ) せ◦少しなりともおらしよをせよと宣ひて帰り給ふと也。又別の所に行給ひても、右の如く宣ひて御寺 ( おんてら ) に帰り給へば◦伴の出家◦いかにぱあてれ◦おん談義はし給はぬかと申さるれば◦はや三度談義したり。その故は高座に上り◦或は曲録 ( きよくろく ) に座して談義するのみに限らず◦何時 ( いつ ) なりとも でうす のおん事をぷろしもに聞かせ◦でうす ひいりよの授け給ふ事を人に談 ( かた ) る事◦即ち談義なりと宣ふ也。この尊き人◦御門派の出家達に御下知 ( げち ) なさるゝは◦後生の苦楽善悪の事を、言葉少なに万人に知らせられよと。或時道を行き給ふに◦くたびれ給ひて驢馬 ( ろば ) に騎 ( の ) り給へば◦御 ( おん ) 供の出家のうちに*ふれい◦れおなるどとて◦あつしすの侍 ( さむらひ ) の筋目なるおん友のふらあで一人ありしが◦徒步 ( かち ) よりゆき◦心中にさんとを嘲 ( あざけ ) り◦我父は高家の子孫なり◦この*ふらんしすこは商人の子なりと思ひゐるを◦さんとぽろへしあのすぴりつを以てこれを見知り給ひ◦驢馬 ( ろば ) よりおり◦いかに*れおなるど◦御辺は徒步より步まるゝ事にあはず◦その故は御身は高家也我は下賤也と宣へば◦その人大きに驚き◦御 ( おん ) 足下 ( あしもと ) にひれふしおん許しを乞はるゝ也
ある時◦さんと御門派の寺にぱすこあの日居 ( ゐ ) 給ひ◦食堂 ( じきどう ) を見給へば◦美食を調 ( とゝの ) へ飯台の上に奇麗なる手のごひ◦結構なる水晶の器物 ( うつはもの ) 以下 ( いげ ) を据へおきたるを御覧じて◦その所よりしりぞき給ひ◦非人の衣裳を着 ( ちやく ) し◦面 ( おもて ) をつゝみ杖をつき◦その食堂の口に居て物を乞ひ給へば◦ある出家うちに入れと言はるれば即ち入り◦土の上に居給ひて人よりあたゆるものを取らせられ◦鉢をも灰の上におき給ひ食し給へば◦さんとにてましますことを見知り◦大きに驚き申さるれば◦その時さんと現れ給ひ◦さても各々は門に立つて慈悲を乞ふ非人の如くなることをば曽 ( か ) つて見ず◦萬 ( よろ ) づの宝 ( たから ) を充満して持ちたる人の如くなる事のみを見て◦こゝより出 ( いで ) たりと宣ふ也。わが身にも人の上にも貧 ( ひん ) を大切に思召し◦貧 ( ひん ) を女帝 ( じよてい ) とよび給ふ也。御身よりも貧なる者を見給ふ時は◦それを羨 ( うらや ) み◦我はこの人に負けたりと宣ふ也
或時道にて至極の非人に遇 ( あ ) ひ給ひ◦我 ( われ ) ◦貧を主人か至宝かと選びとれどもこの非人は我よりも勝れたれば◦我は負けたりと御伴の衆に宣ふを聞いて◦御伴の人◦衣裳はその分 ( ぶん ) なれども、心事はいかさま富限者の望みたるべしと申さるれば◦さんと大きに怒り給ひ◦その人の衣裳をぬひでかの者に与へ◦その足許にひれふし◦あしき推量をゆるされよといへと仰せ付けらるゝ也。その人仰せの如くにせしとぞ。或時◦衣裳も面相も万端同じ如くなる女人三人ありしに行合せらるれば◦その女人達一同音に◦いかに尊き主なる貧◦無事に暮し給へと言ひて見へざると也
さんとの御弟子に*しるゑすとろといふ人あり。この人未だ門下に入られぬ前に◦ある夜縱 ( たて ) は天◦橫は一天四海を挾みたる金銀のおほきなるくるすの◦さんとの御口 ( おんくち ) より出でたまふを夢に見られ◦それより世をいとひ◦さんとにつき従はるゝ也。天狗三度さんとを呼びかけて◦ぢしりさんなきぺにてんしやをして◦身にあたを為すものをば でうす よりその科 ( とが ) を許し給はずと言へり。これを以て◦さんとすのぺにてんしやをゆるがせになし奉らんといふてんたさん也。この道を以ても忖 ( たばか ) り奉ること叶はぬと心得て◦その後また淫乱のてんたさんを切 ( しき ) りに起させ奉る也。さんと心にこれを覚へ給へば◦裸になり身を御折檻あり。我と身に宣ふは◦いかに驢馬 ( ろば ) ◦汝は折檻に似合せたるもの也と。然れどもなほ妄念やまぬに依て◦これは霜雪 ( さうせつ ) の時分なるに◦雪をまるがせ大小七ツ丸かし◦大きなるを御 ( ご ) 妻女 ( さいじよ ) と名 ( な ) 付 ( づけ ) られ◦小さき二ツをば御息男両人◦今二ツをば御 ( おん ) 息女二人◦今二ツをば下女と奴僕なりと名付られ◦そのうちに裸になりて在まし◦時節は寒天にて雪深し◦妻女眷属 ( けんぞく ) こゝにて凍へ死すべし◦衣裳を与へよと大きなるに抱付かせられ◦汝若 ( もし ) その養育叶ふまじきと思はゞ◦たゞ御一体の御主に仕へよとかきくどき給ふ也。天狗これにても忖 ( たばか ) り奉ること叶はぬによつて◦その妄念をもやめ奉る也。然ればさんと御寮に帰り給ひ◦でうす に御礼を申し給ふ也
或時、かあであるの懇望によつてその館 ( たち ) に御滞留あれば◦天狗来 ( きた ) つてしたゝかに打擲 ( ちやうちやく ) 仕りたる也。さんと後にそのことを御傍輩に談 ( かた ) らせられ◦天狗は人を成敗する でうす のものゝふ也。わが過 ( あやま ) りに対して我を打ちたる事尤 ( もつとも ) なり。その過りといふは◦別にわきまゆる事なし。かの大名のもとに留りて我にねんごろを尽されしに◦我 ( わが ) 弟子貧なる出家達の為に◦あしき鏡となりたる者也とて◦早朝におきて御寺 ( おんてら ) に帰り給ふと也。或時◦おらしよし給ふ所に◦家の上に天狗馳 ( はせ ) 集りてかしましくするを聴き給ひ◦にはかに外 ( ほか ) に出 ( い ) でゝくるすを唱へて宣はく◦いかに天狗◦万事叶ひ給ふ でうす に対して汝に下知 ( げち ) す。我身に対して でうす より許させらるゝ程あたを為せ。其故は我は我身ほどの敵を持たねば◦汝我身を攻めば我に勝利を得さするぞと宣ふ共に◦天狗即ち退きぬ。御出家ありてより六年目にまるちりよを求め給はうとの心持にて◦しりやといふぜんちよの国に赴き◦大きなる信心を以て御談義し給へば◦その所の主人御談義を聴聞申され◦丁寧にせられ◦もとの所へかへし申さるゝ也。それに依ておん望みをば遂げ給はぬもの也
或時◦ろうまにてさんとと*さん◦どみんごすと◦又おすちやといふ所のかあであると三人語り給ふ半ばに◦かあであるさんとす達に◦何とて各々の御門派の出家よりびすぽを定め◦万人の合力 ( かふりよく ) とは為し給はぬぞと問給へば◦二人共に御返答を色代し給ふが◦終に*さん◦ふらんしすこは◦うみりだあでに引かれて御返事なければ*さん◦どみんごすはおべぢゑんしやに従ひて先 ( まづ ) 御 ( おん ) 返事し給ふ也。我 ( わが ) 門派の出家は◦御分別あらばはや大きなる位を持つ也。わが力の及ぶほどはびすぽになる者あるべからずと存ずる也と宣ふ也。その後*さん◦ふらんしすこの御返事には◦わが門派の出家は大きなる者となるまじきが為に◦めのれすと名付ると宣ふ也
かのさんとは御作者を御大切に存ずるやうにと◦萬 ( よろ ) づの御作の者にすゝめ給へば◦皆々その分いたせしと也。鳥にも御 ( おん ) 談義し給へば鳥来 ( きた ) つて聴き奉り◦御 ( おん ) 衣裳をなげかけ給へど飛ばざると也。或時又蟬 ( せみ ) の御寮近くゐて鳴くに◦いかに兄弟なる蟬◦こゝにきたれと宣へば御手に来 ( きた ) りしを◦でうす を尊 ( たつと ) み奉れと宣へば鳴き◦御許しなきまでは飛ばざると也。又 ぜすきりしと 我は石なりと宣ひつると心得給ひ◦石を踏み給ふ時◦心中に恐れ踏み給ふと也。日月星 ( じつげつせい ) 諸天を見給ふ時◦大きに悦び給ひ でうす を尊 ( たつと ) み奉れと御教化なさるゝ也。ある時出家のうちより望みなけれども◦さんとよりしきりに仰せつけらるゝによつて◦さんとをいやしめ奉り愚痴なる人に在ますと言ひしを聞かせられて◦大きに喜び給ひ◦御身はまことをいふ人也。でうす より深く御賞翫あるべし。我その如くなる事を聞くべき事専 ( もつぱ ) らなりと宣ふもの也。司となるよりも司の下にて従ひ給はん事を肝要なると思召して◦我このせらるの役を上表 ( しやうひやう ) すべし◦我従ふべき為に一人を各々のうちより定められよと宣ふと也。又道を行給ふとては◦伴 ( とも ) の人に従ひ給はんと思召し定められ◦いつもその分し給ふと也。或人従ひを背きたるに◦余人のみごらしの為にとて衣裳をはぎ火にくべ給へども◦暫く焼けざれば◦又取出させその人に与へよと宣ふを受取り見れば◦少しも焼けざると也
或時◦道にて池のほとりに諸鳥集りて囀 ( さへづ ) る処に◦召連れ給ふ人々に◦この兄弟なる鳥共囀 ( さへづ ) りて御作者を尊 ( たつと ) み奉りぬ。いざ我等もその中に交りておらしよせんとて◦その中に入り給へども◦諸鳥飛去らずして囀 ( さへづ ) るか故に読誦 ( どくじゆ ) の障 ( さは ) りとなれば◦さんといかに兄弟なる鳥ども◦汝達 ( なんだち ) は早久 ( はやひさ ) しく でうす を尊 ( たつと ) み奉りたり。我等もおん主 ( あるじ ) へ申上奉るおらしよの果つべきまでは静まれと宣へば◦おらしよの間は鳴かず◦おらしよ果てゝより鳴けと宣へば◦御意の如くせしと也
或さむらひさんとを振舞奉らんとて招待申さるゝに◦さんと亭主に◦いかに兄弟◦我 ( わが ) 意見の如くにまづ御 ( おん ) 身 ( み ) の科 ( とが ) のこんひさんをし給へ。その故は今少しありて御身は別の処へ振舞に行かるべしと宣へば◦その分せし。さんとと御同膳に食し了つて式をせらるると也
或時◦道にて諸鳥の並みゐるに◦御家風の如く人に礼する様に御礼あつて◦如何に兄弟◦汝達 ( なんだち ) も毛を衣裳とし◦翼を足とし◦風大 ( ふうだい ) を道とし◦求めざるに衣食を与へ給ふ御主より大きに御恩をうけ奉るぞと宣へば◦悉く首をさしのべ◦翼をたて◦喙 ( くちばし ) をあけ◦御礼を申す礼と見へたり
或時さんとと談義させらるゝ折節◦燕 ( つばくらめ ) かしましく鳴けば◦さんといかに兄弟◦汝は久しく囀 ( さへづ ) りければ暫く静まれ◦われ でうす の御事を談ずべし◦その間は鳴く事勿れと宣ふとともに静まりたると也
或時◦道にて銀銭 ( ぎんせん ) の入りたる袋を見付け給へば◦御供の出家非人に与へん為に取らんとせらるゝに◦さんと支へ給へども切 ( しき ) りに取らんと言はるゝが故に◦おらしよし給へば◦忽ちくちなはと変じたり。その時さんと◦出家のために金銀は天狗か毒蛇かより外 ( ほか ) の者にあらずと宣ふ者也
このさんとのあぶすちねんしやも比類在まさぬ也。その故は御門派の始めには◦人々の門に立つて物をもらひ食し給ふに依つて◦人より達するほど与へ奉らぬ事多かりしと也。幾度も衆僧ともに大きに喜びて◦草ばかりを食し給ふ事もありしと也。御無病なる時は◦常に煮たるものをも食し給はず。ぱんと水ばかりを御用ひあり。時として煮たるものとては草ばかり也。それをも味ひを覚へ給ふまじきが為に◦灰を添へ◦或は火や水ともに食し給へば◦煮ぬ草よりも味ひなき事也。水をもまたく渇 ( かはき ) のやむほどは飲給はず◦常に渇 ( かはき ) をのこし給ふと也。飯台は直に土の上なり。年中大略 ぜすゝ のみをし給ふなり。ぜすきりしと に対し給ふくあれしまは◦水とぱんにてつとめさせらるゝもの也。その次には◦すぴりつ◦さんとに対し奉りて◦あぽすとろのおんかゞみを学び給ひ◦またくあれしまを勉め給ふ也。又あぽすとろす*さん◦ぺいとろ*さん◦ぱうろに対しても◦くあれしまを勉め給ふ者也。夫 ( それ ) より*さんた◦まりやのあすんぷさんまで*さんた◦まりやに対し奉りてくあれしまをし給ひ◦*さん◦みげるに対し給ひてもあすんぷさんよりその祝ひ日まではくあれしまを勉めさせられ◦なたるの前にも◦くあれしまを用ひ給ふと也。御門派の衆中にも諸々のべやとの日よりなたるまでは◦くあれしまを勉めよとの御下知也。御 ( おん ) 臥 ( ふし ) どころをも直 ( ぢき ) に土の上に定めさせられ◦御枕も石か木の切か也。度々土の上に座してゐ給ひ◦終夜おらしよしあかし給ふ事はめづらしからぬ事也。*さん◦ふらんしすこ常に宣はく*さん◦ろうれんそ◦又天に在ますさせるどうてにてなきべやとと◦現在の才智なきさせるどうてとにあひ奉らば◦天のさんとを差措き◦させるどうての手を吸ふべしと。其故は◦させるどうての御手は御主の御身に触れられ◦又人の力に及ばぬ事を取扱はるゝ手なればなりとぞ
さればそのさんと御存命の間にし給ふ御奇特と◦なほし給ふ病者以下 ( いげ ) を書けば◦山筆海硯にも尽しがたきに依て◦今こゝに載せず。よく知らんと欲せばそのくろにかを見 ( みる ) べし
御死去の事を言はぬ前に◦御臨終より二年前に御覧じ給ふびざおと◦五ツの御傷を受給ふ様体を言ふべき也。このせらひく◦ぱあてれ◦善をし給ふ事を少しもやめ給はぬ也。結句*じやこぶ◦ぱちりあるかの見給ふ地より天に架 ( かけ ) たる橋に上下せられしあんじよの如くにこんてむぷらさんを以ては上り給ひ◦又慈悲の上よりはぷろしもの談義の為に下り給ふ也。その故は功 ( く ) 力 ( りき ) を求め給ふべき為に述 ( のべ ) おき給ふ隙 ( ひま ) を賢く分ち遣 ( つか ) ひ給ふ也。ぷろしもの為にも時を定めて行ひ給ふとぞ。時として ぜすゝ の御事を尚 ( なほ ) 深く案じ給はんとては◦人離れなる所にゆひて観念し給ふ也。されば御主へ御あにまを捧げ給はんとての二年前に◦先 ( まづ ) 大きなる辛労をこらへさせられてより◦あるゑるにやといふ山に上らせられ◦*さん◦みげるに対せられて◦御家風の如くくあれしまを始め給へば◦常よりも天の御 ( おん ) 音信 ( いんしん ) を覚へ給ひ◦天の事に燃立せられ◦深き望みを以てこんてむぷらさんの甘露に充満し給ふに◦御心中に でうす よりの御 ( ご ) 告 ( つげ ) を以て◦ゑわんぜりよの経 ( きやう ) を開き◦なほ〳 〵 御内証に叶ひ奉ることを見付らるべしと知らせ給ふもの也。少しおらしよさせられて後◦あるたるの上にあるゑわんぜりよをとり◦大善人なる御傍輩に渡させられ◦さんちしま◦ちりんだあでに対せられて◦三度それを開かれよと宣へば◦御下知 ( げち ) のごとくせらるゝに◦三度ながら御主の御ぱしよんの所に見当り給ふ也。これを以て でうす の御臣下にて在ます*さん◦ふらんしすこ◦ぜすきりしと の御 ( ご ) 行跡 ( かうせき ) を学び給ふ如く◦その御 ( ご ) ぱしよんの御苦痛をも覚へ給ふべしと弁 ( わきま ) へさせ給ふ者也。其時まではその身のくるすをかたげ給へば身も弱り給へども◦心は少しも弱り給はず◦却て強き心を以て◦何たる苦み◦まるちりよなりともこらへんと御身を捧げ給ふ也。大きなる ぜすきりしと の御大切の心◦火焰の如く燃立ち◦そのかりだあでいかにも強く在ませば◦何たる辛労の水もそれを消す事は叶ぬ也
さればこのべやと でうす へ高く上り給へば◦せらひんの燃ゆる大切とて◦望みの深きを以て、御大切の御上より我等に対せられて◦くるすにかゝり給うふ御 ( おん ) 主 ( あるじ ) へ◦甘露の御大切を以て通じ給へば*さん◦みげるの御祝に近き日◦早朝件の山にておらしよし給ふ所に◦せらひんの形と見へ◦翼を六ツ持ち◦日の色にて光明を輝き◦天くだり給ふを見給へば◦さんと近づき給ふ也。その翼の中にくるすにかゝりたる人の形現れ給ふ也。かの翼二ツをば頭 ( かうべ ) の上に拡げ◦又二ツを以ては御全体を隠し◦今二ツは飛ぶ為に拡げてあり。でうす の御寵臣之 ( これ ) を見給ひて少し驚き給ひ◦御心中に半ばゝ喜び◦又半ばゝ悲しみを帯し給ふ也。我等が御扶手の御寵愛のおん眸 ( まなじり ) を廻 ( めぐら ) し給ふは喜び也。又くるすにかゝり給ふ御姿を見奉れば悲みなりと覚へ給ふ也。いむもるたりだあでの御上に◦くるすにかゝり給ふ弱き御姿を受け給ふ事は◦似合給はぬとの御不審也。されば ぜすきりしと このさんとの目前に現はれ給ふを以て◦その身のくるすに懸 ( かゝ ) り給ふことはあるべからず◦たゞあにまの燃立つ尊き でうす の御大切を以て◦くるすに懸り給ふ ぜすきりしと に似給ふべしと◦告知らせ給ふ也
さてこのびざお果て給へば◦さんとの御心には不思議なる御大切の火焰おこり◦御傷 ( おんきづ ) のうつしもその身にのこり給ふ也。びざおの時くるすに懸り給ふ御形現れ給ふを見給ふ如く◦にはかに御身の手足にも傷のしるしを持ち給ふ也。両のたなうらには御釘 ( おんくぎ ) の頭の黒く見へ◦面には釘の先をかへしたる如く◦皮一重の下に細長く曲りて堆 ( うづたか ) く見へたり。御足にも釘の頭は備り◦足の裏には釘の先高く現はれ◦自由に踏みつめ給ふ事叶はぬほど也。御足の裏とかへしたる如くに見へたる釘の先との間へは◦指一つ入るほどなりとぞ。同じく右の御脇にも槍の傷跡現れて◦廻りは赤くして常に血の流れ出てたると也。それに依ておん肌衣は常に血にそみたると也
然れば◦このさんとに でうす の与へ給ふ広大の御恩をかくし給はんことも叶はず◦又 でうす の御秘密をみだりに現はし給はん事も如何あるべきぞと思召すに依て◦或時◦一段親しく思召す人々と御物語の序に◦もし人の上にかくの如くの御恩を受けたる事あらば◦現はしてよからんや否やと問かけ給へば◦そのうち一人 でうす のすぴりつ輝き給ひて、さんとに申し給ふは◦いかにぱあてれ でうす の御秘密を御身に現し給ふ事は◦時に依て御為 ( おんため ) にあらず、たゞ余人の為なりと心得給へ。然るに人の徳の為に受給ふ御恩を隠したまふにをひては◦以後の御 ( ご ) 糺命 ( きうめい ) あるべしと。さんとこの事を聞き給ひて◦常には Secretum meum mihi とのみ宣ひし人なれども御恐れに引かされ給ひ◦びざむを語り給ひ◦今度おがみ給ふ御姿より語り給ふ事を存生の間には誰にも語るまじき仔細あまたありと仰せられ◦四十日過ぎて*さん◦みげるの御祝ひ日に当 ( あたり ) て◦その山よりおり給ふなり。このさんと石◦木を以て人の造りたるものに非ず でうす の御手を以て作りうつし給ふくるすに懸り給ひし ぜすきりしと の御 ( おん ) 写 ( うつし ) を其身に帯し◦帰り給ふ也。ゑすきりぷつらに帝王の御秘密をば隠す事よしと見へたるごとく◦天の帝王の御秘密を知り給ふこのさんと◦御力のおよび給ふ程 でうす ひいりょの尊き御しるしを隠し給ふ者也。然れども◦人々に対せられて現はし給ふ御恩をばつゝみ給はぬ でうす の御家風なれば◦その御傷のうつしの大善徳を人々に知らしめ給はん為に◦種々の奇特を現はさする者也。なぽりすの国の内の*ろせりよといふ出家◦さんとの御 ( み ) 影 ( えい ) の前にておらしよせらるゝうちに◦まことにこのさんと御主の御傷をうつし給ふやいなやと疑ひの心を起さるゝ折節◦弓を放つ音のして◦その手に大きに痛みを覚へらるゝが故に見れば◦上にさしたる◦決 ( ゆ ) 拾 ( がけ ) は少しも破れず◦決 ( ゆ ) 拾 ( がけ ) をのけて見れば矢きづを受られ◦大きに其傷熱痛して◦すでに死せんとする程なるに依て◦さんとに対し疑ひたることを後悔して◦さんとの受け給ふおん傷はまことに御主の御 ( おん ) 写 ( うつ ) しなりと信ぜらるゝとともに平癒せられしと也。*あどりやのとつき給ふ四 ( し ) 番 ( ばん ) 目 ( め ) のぱつぱ◦又*にこらおとつき給ふ三番目のぱつぱ◦このさんと◦おん傷のうづきましますことを◦あぽすとりかの御文を以て証拠に立ち給ふもの也
このさんと出家し給ひて十八年目に◦あつしすといふ在所にをひて煩ひ付給ひ◦その所に居 ( ゐ ) らるゝほどの御門下の出家を召して◦一人づゝの上に御手を懸られ◦各々にべんさんを唱へ給ひ◦御最期近きと知ろしめすに依て◦二人の出家を召して◦我今死するなれば◦おん主へ深き御礼を申上げ歌はれよと宣ひ◦*さん◦じよあんのゑわんぜりよに◦Ante diem festum paschae と始まるを読ませ給ひ◦御身も叶ひ給 ( たまふ ) 程、Voce mea ad Dominum clamavi といふさるもを読み給ふと也。土の上にしりしよをおき◦その上に灰をまき◦その上に臥し給ひ◦ある程の者におん主を尊み奉るやうにすゝめ給ふ御気 ( かた ) 質 ( ぎ ) なれば◦死するにもその分宣ふ也。いかにわが兄弟なるわがもるて◦よく来られたりと宣ふともに死し給ふ也
或善人なる出家◦大きさは月程に◦光明は日輪の如くに◦形は星の様にしてさんとのあにま天上 ( てんのぼ ) し給ふと見らるゝと也。また別の出家久しく煩ひて居られしが◦さんとの死し給ふ時大音あげて◦いかにぱあてれ◦我も只今まゐる待ち給へと呼ばるゝを◦傍輩の出家達何事を言はるゝぞと問申さるれば◦我等が御親*さん◦ふらんしすこ◦唯今天へ上り給ふを見給はずやと言ひて死せられしと也。このさんと御幼少の時手習をさせられ◦また御出家の後御談義を申し始め給ふ寺に納め奉りしとぞ
されば ぜすきりしと の御 ( み ) 言 ( こと ) 葉 ( ば ) は◦このさんとのうへに帯して顕はれたり。それを如何といふに◦御言葉に我等に対して家一ツを捨てん者は◦一ツを百にて与へ給はんと也。これこのさんとの上に善く現 ( げん ) じ給ふ者也。ゑわんぜりよの御意見を用い給はん為に、僅かなる家を捨て給へば◦今にたえせぬ数限りなき大伽藍の◦諸国諸郡に◦このさんとに対し、建立せられたり。また少しの知行を捨て給へば◦でうす より方々の知行を寺に寄せ給ふ也。またこのさんと別の人よりもへりくだり給へば◦別の人よりも今生後生にてもそれを崇め給ふ也。其故は此世界にても◦いづれの大人 ( たいじん ) 達よりもその名誉在ますぞ。*あれしあんでれ*まぐの*せいざる*あうぐすとの誉れも◦これに比する事にあらず。之について譬 ( たとへ ) あり。街道の傍らにあるはたごやの亭主に向て◦こゝを如何なる侍 ( さむらひ ) 大名達や通らるゝと問はゞ◦その亭主云ふべし。左様の人日々に幾人といふその数を知らず◦誰とも更に分ちがたし。さりながらこゝを通りし貧 ( ひん ) なる武士ありしが◦この宿に一夜泊り◦わが宝を盗むのみならず◦わが面に傷をつけて通りぬ。その事ならばよく知りたりと。然 ( しか ) ればこの世界の人間は◦旅人の一夜の仮宿 ( かりやど ) をかいて行くが如し。*せいざるも*あれしあんでれも◦秦の始皇帝も◦延喜聖帝 ( せいたい ) も◦通り給ふか通り給はぬかも見わけぬ体也。さりながらこゝに*さん◦ふらんしすこ*さん◦どみんごすなどは◦でうす に対し奉りて世を賤 ( いやし ) め財宝を捨て給ふに依て◦世界に大きなる傷をつけ給ふ心なり。それに依て世界は之をよく見知る也。その身はその分し給ふのみならず◦巨多 ( こた ) の人を今に世界の衣裳をはぎすて◦財産所知を捨てさせ給ふを以て◦世界の宝を盗み給ふとはいふ也。しかれば此人々は世に紛れなき御事なれば◦貧なる武士にて世に知れ給ふ者也。縱 ( たとひ ) いかなる世界の者なりといふとも◦大名高家の事をば知らずといへども◦この*さん◦ふらんしすこに◦でうす よりこの世界にて大きなる名誉を与へ給ふといふ事をば◦知らずといふ事なきぞ