← 地歌
こんかい 作者:多門庄左衛門
痛(いた)はしや母上は、花の姿に引き替へて、凋(しを)るる露の床の内(うち)、智恵の鏡もかき曇る、法師にまみへ給いつつ。母を招けば跡(あと)み返(かへ)りて、さらばと言はぬ。ばかりにて、泣くより外の、事ぞなき、野越え山越え里打ち過ぎて、来るは誰故、そさま、故。誰ゆゑ来るは、来るは誰ゆゑ、そさま故、君は帰るか、恨めしや往(いの)ふやれ。我が住む森に帰るらん。勇みに勇んで帰らん。我が思ふ、我が思ふ、心の内は白菊。岩隠れ、蔦(つた)隠れ、篠の細道(ほそみち)掻き分け行けば、蟲の声々(こゑ〳〵)面白や。降り初むるやれ、降り初むる。やれ降りそむる、今朝だにも。今朝だにも、所は跡も無かりけり。西は田の畦(あぜ)危(あぶな)いさ。谷峯(たにみね)しどろに越え行け。彼(あ)の山越えて、此山越えて。こがれ焦るる憂き思ひ。
この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。