うもれ木
第一回
描き出だすや一穂の筆さきに、五百羅漢十六善神、空に楼閣をかまへ、思ひを廻廊にめぐらし、三寸の香炉五寸の花瓶に、大和人物漢人物、元禄風の雅なるもあれば、神代様うづたかく、武者の鎧のおどしを工夫し、殿上人に装束の模様を撰らみ、或は帯書きに華麗をつくす花鳥風月、さては楚を極むる高山流水、意の趣く処景色とゝのひて、濃淡よそほひなす彩色の妙、砂子打ちを楽と見る素人目に、あつと驚歎さるゝほど、我れ自身おもしろからず、筆さしおきて屢々なげく斯道の衰頽。あはれ薩摩といへば鰹節さへ幅のきく世に、さりとは地に落ちたり我が錦襴陶器。
おもひ起す天保の昔し、苗代川の陶工朴正官、その地に錦様の工みなきを歎じ、歳十六の少年の身に、奮ひ起す勇気千万丈、奉行を説き藩庁に請ひ、竪野に二人の教授をむかへて、相伝法受の苦を尽くしつ、猶心胆をねる幾春秋、安政のはじめ田の浦の陶場に、焼着画窯の良結果を奏するまで、刻苦艱難いくばくぞや。それが流れに浴する身の、美術奨励の今日うまれ合はせながら、此処東京の地にばかり二百に余る画工のうち、天晴道の奥を極めて、万里海外の青眼玉に、日本固有の技芸の妙、見せつけくれんの腸もつものなく、手に筆は取り習らへど、心は小利小欲のかたまり。「美とは何ぞ儲け口か、乃至吉原洲崎のちりからたつぽう。品川にも又捨てられぬ代物あり」と、口三味線の筆拍子に、なぐり書きしての自慢顔。「兎角は金の世の中に、優でござるの妙で候のと言ふ処が、結局は仕切り値段の上にあること。問屋うけのよき物一致あり難し」とは、そも何方より出る詞ぞ。
さればこそ売国の奸商どもに左右されて、又も直下げ又も直下げと、さらでもの痩せ腕ねぢられながら、無明の夢まだ覚めもせず、これでは合はぬの割仕事に、時間を厭ひ費用を減じて、十を以て一に更ふる粗画濫筆、まだ昨日今日絵の具台に据りて、稽古は居ねぶりの白雲頭を、張りこかして手伝はする淵がき腰がきの模様、霞砂子みだれ砂子の乱れ書きに、美といふ字は拭ひさる絵のぐ雑巾の汚れ同様、さりとは雪がれぬ恥ならずや。この儘ならば今十年と指をらぬ間に、今戸焼の隣に座をしめて、荒もの屋の店先に、砂まみれにならんも知れた物でなし。これほどのこと気のつかぬ、痴漢ばかりある筈なけれど、時の勢ひは出水の堤、切れかけたも同じこと、我等ふせぎはとんと不得手、先づは高見で見物が当世ぞと、頬杖つきて宙腰の、ふら〳〵とせし了簡には、自己々々が不熱心を、地震雷鳴おなじ並みに心得て、天だ天だと途方途轍もなき八つ当り、的になる天道さま気の毒なり。
然りながらそれも道理、身は蜻蜓洲幾十万の頭かずに加はりて、竈の烟の立居にまで、かしこき大御心なやませ奉る、辱なき心得もせず、大日本帝国の名誉といふ事、摩みくちやにして掃だめの隅に、投げ出す様な罰しらずが、其処等あたりに珍らしからぬ世の中、憤るほど管なるべし。「さりとも我れは我が観念あり。握り初めたる筆の因果、よし狂といはゞ言へ、愚と笑はゞ笑へ、千万の黄金つんで来るとも換へぬ心を腕にみがきて、軽薄浮佻を才子と呼ぶ明治の代に、愚直の価どれほどのもの、熱心の結果はいかに、斯道の真は那辺にあるか、よし人目には何とも見よ、我が心満足するほどの物つくり出して、我れ入江籟三変物の名を、陶器歴史に残さんずもの、口惜しや赤貧の身の、空しく志しを抱ひて幾年間、このまゝならば胸中の奇計、何に向つて何時描くべき。恨みはこれぞ、これ骨までの恨みぞ」と、取りしむる右の腕手首ぶる〳〵と顫へて、煮えよ腸、熱涙のみ込みつゝ悲憤の声は現はさねど、誰れいふとなく慷慨先生と仇名して、酒席の噂はづれぬ代り、柴の戸扣くもの稀々なれば、友なく弟子なく女房なく、お蝶とよぶ妹相手にして、此処高輪の如来寺前に、夕顔垣にからみ、蚊やり火軒にけぶる佗住居、渋団扇に縁のある暮しをなしけり。
第二回
散る木の葉にすら、笑みぞあまると聞く十六七を、貧にくるしめば月も花も皆なみだの種。同じほどの少娘が、流行し帯の新形染の浴衣きて、姿どこやら嫋やかに、よく見ればよくもなき顔だちも、三割とくの白粉ぬりくり、幾度じれたる癖直しの、お陰にふくらむ鬢付きたぼ付き、天晴れ美人と招牌うつて、摺れ違ひに薫る香水の追風まで、ぱツとせし扮粧の夕詣で。何を願ひぞ、神さまさぞやお困りの連中に、顧みられて我が形はづるとなけれど、快よからねば洗ひざらしの浴衣の肩、我れ知らず窄めて小走りするお蝶、並らぶ縁日の小間もの店に目もくれず、そゝぐは一心兄の上ばかり。「願ひは富貴でなく栄華でなし。我が形この上の襤褸に、よしや縄の帯しめよとまゝ、我れ生涯に来べき運、あらば兄様の身にゆづりて、腕の光りの世に現はるゝやう、みがく心の満足されるやう、二つには同じ画工の侮り顔する奴を、兄さまの前に両手つかせたく、仏壇のお二た方に、お位牌の箔つけて欲しき」がそも〳〵の願ひ。手内職の手巾問屋に納むる足をそのまゝ、霊驗あらたかなりと人もいふ、白金の清正公に日参の、こむる心を兄には告げねど、聞かば画筆なげ出して、「芸に親切の志、我れまだ其方に及ばず」とや言はん。
下向はことに家のこと気になりて、心も足もいそぐ道の、とある小路に夥しき人だち。喧嘩か物どりか何にもせよ、側杖うたれぬやうと除けて通る、多くの人の袖のしたを、洩れて聞こゆる涙ごゑ、ふつと耳に止まりて、我しらず差のぞけば、憐れや五十あまりの老女、貧にも限りのなきものかな、我れに比べて今一倍あさましき有様。むかしは由緒ある人か、皺める眉目どこか品もあるを、不憫やこれが商売の、何焼とかいう銅の板、うち渡せし小屋台のかげに、頭すりつけて繰りかへす詫ごと。相手は三十ばかりの髭むしやくしやと、見るからが憎く気な奴、大形の浴衣胸あらはに着て、力足ふみ立てつ耳も聾よと喚き立るは、いづれ金が敵の世の中。元来は懇意づくの、生ながらに顔赤め合ひしなかでもあるまじきに、始めは伏し拝みて受たる恩、返へすことのならぬは心がらならず、この社会に落入りし身の右左不如意にて、約束せしこと約束のやうにもならねば、我れと恥ぢて心ならぬ留守も遣ひ、果ては言ひたくなき嘘に、一月を延ばし十五日を過ぐせど、その揚句さて何ともならず、つまりつまりては烏羽玉のやみの夜、家ぬしの垣の外に両手合はせて拝みながら、不義理不名誉の欠落もすめり。さてもこの老女その類ひと覚しく、四辺はづかしくや小声の言訳、且つは涙ながらの詞とて、首尾全くは聞えぬ物の、取り集めて察すれば、娘にやあらん杖はしらの子、煩ひてゐるかの様子。
「それ本復さへなさば、又つくべき方もあり。今暫時の間まちて給はれ」と、あはれ腸しぼり
尽くす悲しげな声。聞くお蝶は涙もろの女の身、ましてや同じ情くみて知らぬ事もなければ、
何の人事と聞き過ぎられず。
「さりとはあの男の聞訳なさ。百円のかたに網笠なれど、この屋台おこせといふ。それ取られては私しと娘、今日から喰べる事がなりませぬ、お慈悲と合す手を、あれ打ちをつた、憎くい奴にくい奴。自分は手前はさして困る様子もなく、大々しい身躰つきの病ひ気もなささうなに、あの老人のしかも病人抱へて、困苦さこその察しもなきは鬼か夜叉か。あらばあの横つら金で張つて、美事老女救つてやりたきもの。それ処ではなき身、この財布の底はたけばとて、何になる物でなし。口惜しや可愛や」と、お蝶身もだえする程残念がり、黒山と立つ人じろり眺めて、「切めて一人はこの中に憐れと見る人ありさうな物」と、歎息する一刹那、お蝶の肩さき摺るほどにして、猶予もなくずつと出し男。何ものと思ふまもなく、獗りたつ鬼男の前、振あぐる手の肘を止めて、軽くふくむ微笑の色、まづ気を呑まれて衆目のそゝぐ身姿はいかに。黒絽の羽織に白地の浴衣、態とならぬ金ぐさり角帯の端かすかに見せて、温和の風姿か優美の相か、言はれぬ処に愛敬もある廿八九の若紳士。老女の方顧みさま詞つき叮嚀に、「私し通りすがりの身。来歴は何か知らねど、高が女なり。老人に失礼はあり勝ち、あれ御覧ぜよあの通り詫てもゐること、往来はそのうちにも人の目口うるさきに、洋刃の厄介も御身分がらいかゞかや。何と私しに此処の花、もたせては下さらぬか」
と、青柳のいと優しく出れば、
「はてさて、他人の入らぬ口出し。詫や詞ですむほどなら、我等今頃は手を引く筈なり。済まぬ次第きゝたしとならば聞かせもせん。我等二た月三が月、雨露しのがせた事もある大恩人、その上に彼奴めが口車に乗せられて、五円といふ大金貸したは此方も商売づく、五一の利息はよしや天地が逆さまにもなれ、一人子の病人死にもせよ、待つてやる約束もなければ、負けてやる覚えもなし。それに何ぞや泣ごとの数々、地蔵の顔も方図のあるもの。利足の形にも不足なれど、何一つでも取るが取り徳、この代物引取つて行かんといふは、余り無理でもなきつもり」
と、鼻で笑ふ髭づら憎くし。若き男はから〳〵と高笑ひして、
「何ぞと思ひしに金ですむ事なりしか。さりとては訳もなし。入らぬ他人と言はるれど、いづれ四海の内輪同志、金は我れ立て換へん」
と、紙入れ探ぐつて五円札一枚、一円一顆、
「これではまだ〳〵御不足ならんが、内実持ち合せはこれ限りなり。何と雨露しのがせるほどの大恩人さま、了簡しては遣はされぬか」
と、飽まで柔和は粧ひながら、「否なと言はゞあの純白の拳󠄁何処に揮つて、あの髭男微塵になるも知れがたし」と、芝居気のある見物が咡き可笑し。
彼の男は掻きさる様に、金懐中にねぢ込んで、取り出す証書幾通、幾多の人の涙の種を印刷にせし文言名当て、あれかこれかと探がし出して、
「よしか、慥に渡しましたぞ。不足を言はゞまだ〳〵なれど、取らぬには増し。これで算用ずみとすれば、老婆めは大した儲けもの。好ひ親分見付け出して、これから利の出ぬ金借りらるゝやら。人事ながら慈善家の末が案じられる」
と、冷笑て払ふ裳の塵、礼も返さず恥ぢもせず、人かき分けてのさりのさり、行くての大地裂けもせず、跣づく石のなきも不審し。若き男は老女が陳ぶる礼よくも聞かず、
「何の〳〵是式のこと、有つたればこそ役にも立つたれ、無くは我れと其方様といづれ替らぬ難義の淵。浮き沈みは浮世の常に、お礼は其方様大分限になられし時、此方より御催促に出るまでは、お預けのことお預けのこと。はて名告をする程聞こえてもをらぬ名、先づそれもご免なされ」
と、取すがる袖引はなして、優然と去る後ろ影、光明赫灼として輝くとぞ拝まれぬ。
第三回
歳十三の暁より、絵筆とり初めて十六年、一心この道に入江籟三、富貴を浮雲の空しと見れど、猶風前の塵一つ、名誉を願ふ心払ひがたく、三寸の胸中欲火つねに燃えて、高く掛るべき心鏡、くもりといふはこれのみなり。さればとて世に媚び人に媚ること、生をかへぬ限りならぬ質、我れより頭下ぐること、金輪奈落いやといふ一点ばりに、頑物の名高くなるほど、我慢と意地は満身に行わたりて、入れられぬ世と弥々うしろ向きになる心。「見をれこの腕なにが住むか、一飛得意の暁には」と、人も聞かぬ大言はきて、纔かに熱腸を冷やす物の、さても諸道のさまたげと言ふ、貧より外に伴侶のなき身、その得意の暁いつとか待たん。弥勒の出世と並らべ立てゝ、甲乙のなき物よと思ふに、口惜しの念胸をさして、瞼の合はぬ夜半も多かり。
寐ぬに明けたる或る朝、おく庭草の露を見て、亡師のことふツと思ひ出し、俄かに寺参り仕度なり。垣根の夏菊無造作に折りとつて、お蝶が暫時と止むるも聞かず、朝飯まへに家を出けり。
寺は伊皿子の台町なれば、さまでには遠くも非ず。泉岳寺わきの生垣青々とせし中を過ぎて、打水すゞしく箒木目のたつ細道を、がらりがらりと百足下駄に力を入れて、纏はる片裾うるさしと、捲くり上ぐるや空臑あらはに、何の見得もなく、身は小男の面ざし醜くからねど、色黒々と骨だちて、高き鼻しまりし口、眼ざしぎろりと青く凄く、沈鬱の症何処か淋しく、紺薩の古手に白兵児の姿。懐中に建白書相応なれど、右手に持つ夏菊の花の色、流石にやさしき処も見えけり。
心凝つて見る目には、映るものも映る物も皆その色、細づくりの格子戸まへに、米沢数寄屋
の肌つき美くしき人、黒繻子の帯腰つきすつきりとして、芙蓉の面に淡彩の工合、楊柳の髪に根がけの好み、「さても美かな、さても美かな。この美にすさむ心がけを我が陶画の上に移して、共に協力の友を得たし」と、茫然自失ながめ入れば、「あれ薄気味の悪るき人」と、逃こまれて、我れながら、取りとめなき考へ馬鹿らしく、振むきもせず又五六歩、三歳ばかりの男の子のちよろ〳〵と馳せ出しが、袖なし浴衣の模様は何、籬に菊の崩し形か、それよ今度の香炉にあの書き廻しも面白かるべし。注文は龍田川とか、何の我が腕で我が書くに、入らぬ遠慮究窟くさし。先師の言付より外は他人の意見いれたことなき籟三、「身貧に迫つて意を曲ぐるなど嫌やな事なり。さりながら我れ頑物の兄故に、世の人並みのこともせず、米味噌醤油に追ひ遣はるゝお蝶、思へば兄風も吹かされねど、成り行と諦らめてゐてくれる様子。それもそれなり、時運めぐらば何時かは花も咲くものよ、衡門に黒ぬり車出入させて、奥様と尊めらるゝやうになるも不思議はなし。鳴呼その衡門よりは、天晴れの人物えらびて添はせたきもの」と、何がなしに案じてふツと仰げば、今も想像の衡門に、篠原辰雄といかめしき表札。「さても立派の住居かな。主人公はどんな人、身分はいかに。愛国の志しある人ならば、日本固有の美術の不振、我が画工疲弊の情、説かば談合の膝にも」と、夢知らぬ人に望みを属す、狂気の沙汰に心もつかず、あれを思ひこれを思ひ、何時とはなしに坂も登りぬ。
寺門くゞり入れどお僧どの寐坊にや、まだ看経の声もなく、自然の寂寞境に、あさ風さつと松に吹いて、身にしみる心地何とも言へず。本堂をめぐりて裏手の墓処へと、手桶の幷らぶ阿伽井のもとを過ぎる時、
「入江様、しばし」
と呼止める声、少し覚えのと顧見れば、つか〳〵と馳せ寄つて、物言はず大地に両手を突く男、あやしや何者、と呆れて立つ、足もとに身を縮めて、
「お見忘れか、但し人外の私、お詞も下されまじとか。正路潔白の君に対して、合はすべき面貌もなく、言ふ詞出処もなき失策、後悔しぬきし改心の今日、我が田へ水の弁解ではなし、懺悔に滅ぼしたき罪のあらまし、聞いて給はる人外になき身。相弟子のよしみ昔なじみ、君を見かけてのお頼み」
と、頭も上げず詫り入る体、領足美事に耳うらに二つ幷ぶ黒子、「それなり、姿こそ変りたれ彼奴新次め。先師が殊に寵愛にて、行行は養子にもと骨折られしを、生地注文にと多分の金引出して、そのまゝの行方しれず、師の臨終にもあり合さぬ人非人。今頃此処らを彷徨こと憎くし、何の相弟子、失礼至極」と、生来の疳癖目尻に現はれて、言ふことよくは耳にも入れず、
「聞きたくなし、お黙りなされ。相弟子ならば兄弟分、言ふ事あり、咎むる事あり、責むる事あり。さりながらお前様と我れ、何でもなし、他人も他人、見ず知らず。入江籟三潔白を尊ぶ身の、友とも仰せらるゝな、中々の耳ざはりなり。其処退きて給はれ。露をさながら志しの手向けの花、萎るゝも口惜しければ」
と、詞少なに行き過ぎる袂、あわたゞしく先つと扣へて、
「御尤ながら恨めしきお詞。責め給へ、咎め給へ。罪と知つて苦るしき身の上、御折檻の笞にも逢はゞ、却つて身の本懐なるを、捨てゝ顧見ぬ他人向きの仰せ。昔しの入江様、今日の入江様、お人替りしか、お心二つか、我今までの目違いか。君を先師の形見とみて、改心の実も謝罪の情も、君に寄つて現はしたき願ひ、さりとは画餅のお詞かな」
と、半いはさず振かへる籟三、
「だまれ」
と一と声欝憂の気の凝りたる余り、物あらば当らん破裂の勢ひ、唇ぶる〳〵と顫へて生来の訥弁いよ〳〵訥に、
「汝れ新次、人非人、恩しらず義理知らず道しらず。汝れが罪の身を責むるは知らず、我れを批難するか、我れを批難するか。我れ籟三昔しも今も、正義を立て公道を踏んで、一歩の過ち覚えなき身。どこの何処に何の欠点、言ひ聞かん言ひ聞かん」
と、詰め寄る眼尻きり〳〵と釣つて、
「汝不忠不義の奴も、先師寵愛の余りには、世にその罪を包まれて、知る者は師と我ばかり。我れ一と度言はじと定めて十年近く、この口開かねばこそ汝れ安穏に、月日の光り拝むは誰が庇護。頼まれずとも折濫の笞此処にあり、墓前へ手向けん志しの、この花で打つに不思議もなし。打手は籟三、精神は先師、口惜しくは身にしみよ骨にしみよ」
と続け打ち、手に持つ菊花なげつけて、白眼つむる眼の内に感じ来れる新次が体、昔しながらの美顔今一層の品を備へて、あはれ好男子身じろぎもせず、瞼にあふるゝ後悔の涙、眉宇に満つ漸愧の状、「この人先師の愛せし人、我れに謝罪と思ひ込みし人、憎くむが本義か、捨つるが道か」とばかり迷つて判断の胸うやむやになる時、静かに頭を上げて言ひ出る一通り、「聞けば誤りたり、我れ短慮軽忽の処為。この人の罪罪ならず、とる処岐路に落し不幸の身」と、先づ憐みの情より聞けば、「私し元来私欲に非らず。小を捨てゝ大に付く国利国益の策、立てしといふが抑々の破滅にて、
思へば了簡が若かりしなり。腕を組みての考へと、手を下ろしての実験とは、冠履の相違、雲泥の差別。人は我より利口にて、世は思ふまゝならぬ物と、つくづく歎息するにつけて、正義は人間の至宝といふことに漸々に発明し、才ばしりたる考へ身を離れしは、弥々無一物の暁がた。爾来幾年志しを磨きて、遠国他国に流浪の結果、不思議に人らしく世に言はれて、少しは名をも知らるゝ境界、今歳めづらしく帰京の錦、心に飾つて拝顔と楽しみし、師君は此処草陰苔下の人、松風に袂をしぼつて幾朝くむ阿伽井の水の、影見ぬ人に残念は増りて、一と層君のこと懐かしく、慕はしかりし昨日今日。打たるゝも嬉しく罵らるゝも嬉しく、真の兄弟に逢ふ心地」
と、保ちかねてこぼす涙一滴、見る〳〵籟三感歎して、大地につく手まづ上げ給へと扶け起して、
「知らざりし今までの失礼、知りての後悔、打ち割りし意中に物のなきは見え給ふべし。いざ御墓前に仲直りせん、心おく事か」
と光風霽月、引いて立つ手に恨みも残らず、取なせば、
「これも先師の導き、ありし朋友なり相弟子なり、君も訪ひ給へ」
「お前様も来て御覧ぜよ」
「お住居は何処ぞ」
「此処よりは遠からぬ如来寺前に、引結ぶ庵の草深き処がそれ」
「さては目鼻の我が宿もこの坂下、篠原と呼ぶが当時の姓なり」
「さりとは奇遇よ、辰雄殿とは君の事か」。〔ママ〕
第四回
月に恨み風に憤り、天下を悪魔の巣窟と見て、黒暗々の中に彷徨し籟三、何処ともなく一点の光り幽かに見えて、前途の企望漸々に大きくなりぬ。以前の新次、今の篠原辰雄と呼ぶ男、ありし職人時代には、負けぬ気象の人受けよからず、師匠の愛の夥たゞしきほど、憎くむ者さま〴〵の説を構へ、傲慢と罵り狡猾と嘲りて、交際する者稀なるを、籟三例の弱きもの助けたく、弟の様に贔屓せしが、恩は二代の親も同じ、師匠の金持逃するほどの奴、師匠も我れも目違ひと諦らめて、憖ひ恥ぢを世に現はさじと、包み通せし七八年目、何処ぞで悪人の仲間入、今頃は何になりてと、折ふしの思ひ出種、流石に忘れぬ処もありしに、思ひきや今日の身分。変りも変りし立派の紳士になりて、しかも執る主義の高潔さ、話し合ふほど頼母しさ増さりて、墓参帰りの半日を篠原のもとに説きつ説かれつ。
辰雄今日までの経歴につきても、善事と悪事を洩さず蔵さず、篠原と呼ぶ今の家、何某地方の金満家なりし事、其処に住み込みの最初より、次第に気に入られて、一人娘に聟養子となりたること、その身戸主となりて二年とたゝぬ間に、親女房とも引つゞきて病死せし不幸さ。さてその幾万の財産指のさしてなく、我が自由になすも愁らく、家につきての縁類にゆづりて、
身退きたき願ひも、世の人さらに聞き入れてくれず、そのまゝ安座逸居の身、我が位置たかまるに付けて、沸き来る企望のさまざま、及ばぬと知つて捨られぬがこれも癖にや、社会の為の東奔西走、此処東京に計画ありて、出京の昨日今日、生中此方彼方に名を呼ばれて、称へらるゝ身汗あゆる心地。昔しを思へば大恩の師に、よしや理由は何にもせよ、重々の不始末もあるを、素知らぬ顔に青天を歩行くさへ、日月の手前恐ろしく、世を欺くに似て心安からず、手を置かぬ胸夢おどろきて、人知らぬ罪中々にくるしかりきと、腹ある限り告白して、屑よしとする様子、表面をつくろひて底にごる、軽薄者流を厭ふ目には、よくも返りし本善の善、稀なる人よと感じられて、過ぎし過失は美玉のくもり、しかも拭ひ去つて見るに、却つて光りは勝る心地、籟三しきりに憎くからずなりぬ。
中々物語り尽きもせぬに、交際ひろき人のならひ、訪問者陸続とうるさく、
「何と入江様、人気なき閑静な処にて、一日ゆるりと御高説承りたし。君は何時もお暇か」
と問はれて、
「はてさて、貧者に余裕はなし、気楽な事いひ給ふな。人気なき処と言はゞ、我れ佗住居の閑静さ、裏の車井に釣瓶くる音か、表に子守り歌きこえる位のもの、此処よりは遂ひ其処なり。何時ぞは来て御覧ぜよ、麦めし炊かせて薯預汁位の御馳走はすべし」
と無造作の詞、
「さりとは浦山しきかな。世の事聞かず人に交はらず、何事の憂きも宿らねば、胸中いつも清しかるべく、凡界俗境遠く離れて、取る筆一つに楽みをしる御身分、我れ雲泥の相違」
と歎息する辰雄。籟三引きとりて、
「何の浦山しき身分か。筆心にまかせず業世と合はず、我れと埋もるゝ身のはては、首陽か汨羅か底しらずの境界。さりとは世の中あてもなし」
と笑つて、遠慮なき昔し語りに、胸も開らく障子の外に出づれば、廊下いく曲りか広々とせし住居、実に人の身は水の流れと、物言はず顧みれば莞爾と送る辰雄の姿。嗚呼人物と心にほめて、下婢が直す百足下駄、これ特色の慚る体なく、喜色洋々門内を出しが、帰宅の後もお蝶相手にこの物がたり。平常は蛇蝎と忌み嫌ふ世の人、兄さまの褒め者とはどんな人、お蝶見たしと思はねど、喜ぶ兄に我も嬉しく、一日ありて二日目の夕がた、軒ばの榎に日ぐらしの鳴き出る頃、手仕事叮嚀に取片づけ、家の廻り奇麗に掃除して、打水いそがしき門口に、
「入江様は」
と音なはれて、
「誰君」
と振かへる襷すがたを、さても美形と見るは辰雄。お蝶はツ〔ママ〕と心付て、俄にさすや双頰の紅ゐ、色は何の色我れしらず。「見しは清正公のあの時のあのお人。何として我家へは」と、騒だつ胸にこれよりや知る恋。
第五回
床のもとの竈馬かたさせと鳴いて、都大路に秋見ゆる八月の末、宮城の南三田のほとりに、人家二三十戸買ひつぶして、新たに工事をいそぐは何。押たてし杭の面に博愛医院建設地と墨ぐろに記るして、積み立つる煉瓦の土台に、きやりの声の賑はしきと共、四方に聞えわたる篠原辰雄、憂世のうきを憂きと捨てずして、吉野紙の人情あさましゝと、孤身奮ひ起す愛世済民の法。我れ微力不肖の身の、仆れて止まば休まんのみ、今日細民困窮のあり様、見るに腸たえずやある。知らずや錦衣九重の人、埋火のもとに花を咲かせて、面白しと見る雪の日は、節婦こごえて涙こほるべく、大廈高楼に岐阜提燈ともしつらねて、風をまつ納涼の夜は、蚊遣火のもとに孝子泣くめり。中に憐れは疾病の災ひ、名医門にあり、良薬ちかきにあつて、しかも求め難く得がたき身、天命ならず定業ならず、救はるべき命見す〳〵の残念さ、妻の身子の身いくばくぞや。人生れながらに悪意なけれど、迫まりては徳不徳取捨の猶予なく、天を恨み地を恨み、世範これより乱れて国家の末いと危ふし。これを救ふこと仁にありと、我れ先づ資産を擲つて、一着手を救生の急なるに起し、一方は富国利民の策を講じ、一方は貴顕紳商の門に、協力賛助を求むること切なるに、徳孤ならず、何某の殿某の長官、意気投じ処論合つて、甲より乙に美声を伝へれば、徳義を一つの名誉と心得る輩、何となしに雷同して、世上の評判赫と高く、見ぬ人聞かぬ人名を慕ひ、天晴れ仁者と知らぬ者なくなりぬ。
その行ひその詞、見るにつけ聞くにつけ、交るにつけ睦つむにつけ、籟三次第に慕はしく尊とく、口腐れ他人に扶助は仰がじと定めし、我慢の角はこの人の前に折れて、鬱悶の心しのびがたく、我業疲弊不振の物語より、
「斯道挽回の志し一日の休む間なけれど、実をいはゞ勢力なき身の聞き入れてくれてもなく、生中説くこと嗤笑ひになりて、はては後ろ指さゝるゝこと口惜し。さりながらそれも道理、我れこの道に入たちて十六年、まだ一と度の共進会に名を掲げたることもなく、我れ自由の筆、貧ゆゑには縛ばられねど、中々の直行にくまれて、問屋うけよからねば、注文は廉価粗物の外もなく、事心と合せず、筆なにとして揮はるべき。不満々々の塊まりは、何の世の中、あき盲目ども、これ相応と投げ出しものにして、意匠もちひず鍛錬馬鹿らしく、品物の面てよごしてやれば、我が血涙を呑みし粗物も、彼れ衣食の為にする粗物も、見る目に何の変りなく、口ほどもなき駄物師と嘲けられて、我が名いよ〳〵地に落ちたり。季錬月鍛の筆、経営惨憺の意匠、心にあつて物に描かず、我れ男子の身の精神一到、猶こと成らぬ腑甲斐なさ。世人明なきか我れもし惑へるか、誰れに寄つて語り合さん術なく、冥々の内に重ねし年幾年。君一と度びは斯道の流れに立ちし人、汲み知り給ふ事もあるべし。我が為の名案下し給へ」
と、打明かす意中、辰雄しきりに歎じて止まず、
「げによくも合へる物かな、我が国家を見る心その外に出る事なし。徳義の廃頽人情の腐敗、是れを憂ひ彼れを歎けど、道に立つ人大方は、濁流汚溝に身を投じて、しかも汚れを知らぬ輩、味方少なく仇は多し。さりながら捨てぬ処に物は成り立ちて、二人三人の正義の士に、知られ初めし昨日今日の事業。憚り多けれどこれ手本とも御覧じて、入れられぬ世を捨て給はず、腕かぎりの品物こしらへて見給はずや、その資金は我れ受けもたん。この事廉直の君が心に屑しと思さぬか知らず、それは君一身の小事のみ。幾多の画工の睡りを覚まして、国益の一助、たゆたふ処か。吾邦特有の石陶器、価廉といへど品は英仏伊に及ばず、独り薩州陶器のみは、土質釉料他邦に類なく、天晴れ名誉の品なるを、惜しや画工に気慨なく、問屋に一の精神なく、今日の成行くちをしの思ひ、我れも多年の胸中にありし。不思議に心の合するも自からの時機なるべし。外づし給ふな」
と熱心に力を添ふれば、籟三感涙に眶ぬれて、
「何分にも」
と生れて始〔ママ〕めての詞。辰雄その後は聞かず言はさず、「事一切此処に此処に」と胸を打ちけり。
日数隔だつること幾日、三田の工事の喧ましきと共、斯道画工の耳そば立ること沸き来たりぬ。如来寺門前草ふかき処、埋もれものゝ慷慨先生、三年無かず飛ばずの技倆、現はさんとする風説、立つや我れより高き人、くじきたきがこの輩の常、陰に陽に批評たくましくすれど、後ろだて確かなる身の、却りては心可笑しく、静かに須がきの筆を下ろしぬ、生地は素より沈寿官が精製の細璺陶、撰らみは籟三かねての好み、三尺の細口にして、台付龍耳の花瓶一対、百花これより乱れ咲いて、燦たる金色みるは幾月の後。心未来に先づ馳すれば、人物景色眼前に浮かんで、我しらず莞爾と笑む籟三。「王侯貴人なんの物かは」、世塵遠く身を離れて、凌風駕雲の仙に入る心地、経つ日覚えず明けぬ暮れぬ。
第六回
恩に感じ行ひに服して、我れは神とも尊とぶ人の、彼れより心に垣を結はず、睦つれらるゝ事勿体なく嬉しく、篠原といふ名知らず聞かずの最初、身にしみし一事漸々に形づくりて、馴れゆく月日の深きほど、可憐の胸、やみになりぬ。お蝶あくまで優しき姿、萩の下露もろげに見えて、立てし心は現はさねど、思ひ込まば火水の中も、よしや命は仮の世と定めて、二つの道は踏まぬ気象、「我身卑賤の教へもなきに、君様世上に敬まはるゝお身。なるまじき願ひ」と我れを叱かりて、さていよ〳〵捨てがたく、染みし思ひのこれを友に、我身一生一人ずみと、憐れの観念さすがに動るぐは、折ふし耳にする世の評判。よしと言はれて悦ぶは格別、「何某子爵最愛の娘、是非彼の人に」と申込みの噂、聞く胸なにか轟いて、朧々兄に問へば、「大丈夫」と笑つて退けられぬ。
されど流石に気になりてや、そのつぎの夜に訪はれし時、籟三その事いひ出して、「実か」と問へば、
「虚言ではなし。旧大名の幾万石とか、聞くばかりも耳うるさく、断り言ひしも五度か六度。未だに仲人殿むだ足に参らるゝ事可笑し」
とばかり、辰雄心に止めぬ様子。
「それは何故のお断り、君もまだ年若の、これより独身にもゐられまじ。望み好みのあるは知らず、大方ならば極められたがよからんに」
と、籟三心あつて言へば、
「我れ独身にて終らんとも思はねど、華族の聟になる願ひなく、姫君様女房にしたくなし。香花茶の湯に規則どほりの容儀とゝのひて、お役目の学問少々ばかり、何になる物でなし。世路の困難ふんでも見ず、一人立ちの交際もならぬ様な、木偶のばう的のお神さま持込れて、親の光りに頭さぐるなど、嫌な事なり。我れ望みは身分でなく親でなし、その人自身の精心一つ。行ひ正しく志し美事ならば、今でもお世話ねがひたきもの」
と、鮮かな詞、籟三片頬ゑみしてお蝶をかへり見ぬ。
此処に来て遊ぶ時の辰雄、世に高名の人ともなく、さながら家人の打とけ物がたり、只懐かしく睦ましく、友か親族か猶一段、籟三たしかの望み出来て、或る時お蝶にほのめかせば、袂くはへて勝手元に逃げしが、その頃よりお蝶いよ〳〵身の行ひつゝしみて、徳を修むる事専一と心がけ、姿木綿着のいやしきは恥ぢねど、詞づかひ立ふる舞、家の内の経済より始めて、世の交際人づかひと、細かに顧みればまだ身に整はぬ事ばかり、茂げきが中に恋といふ怪しのもの、折々の波むねに起して、飽かれまじ厭はれまじ、喜こばれたし愛されたし、何とせば永世不滅の愛を得て、我れも君様も完全の世の過ぐさるべきと、欲は次第に高まりて、さま〴〵の想像わき来たれば、逢ふに嬉しき物がたりの、裏はいかにと枝葉を疑がひ、我れと我れを歎げき身を責めて、一心の半は辰雄のもの、辰雄ありての喜怒哀楽、善も悪も黒白も辰雄が指のさし次第、恋の山口くらくなりぬ。
籟三局外に立つ身の、迷ひを捨てゝ見る目には、辰雄の愛の度妹に下らず、彼れも真情是れも真情、取ならぶる好一対とこゝろ嬉しく、二人長閑に物がたるを聞けば、百花の園に双蝶の舞ふ心地、春風その座に吹渡つて、我れも蕩然の楽しみ限りなく、右も左も喜びの中に、心障らず意気昂々、取る筆いさんで画図うごき、唐草模様割模様、淵書き腰がき地つぶしの工夫、濃彩淡彩畢生の工み、下焼きなつて又一と窯、二た窯三窯よはいつしか、残菊落葉ときの間の霜と消えて、煤払ひの音もち搗きの声、北風の空に松や飾り松。
第七回
送る歳くる年珍らしからねど、心改たまれば一段の光り、のぼる初日の影にそひて、汲あぐる若水の車井に、廻ぐる世の中おもしろく、屠蘇の盃まづ歳したよりと、さすも可笑しや一家二人の活計に、内裏儀式のむかしを学びて、三つ組の重ふるきを捨てず、新らしき物は二間四枚の椽がはの障子、切り張りの斑らならず、これ例年に替りたる処、篠原が庇護なりとて、元旦早々噂は出でぬ。
籟三片意地の質、人に受くる恵み快からねど、溺るゝ芸に我れと負けて、二十金の生地二拾匁の金箔、比処四五月の費用幾度の窯代、積もりし恩の深きが上、猶心づけの数数もうるさく、その都度に断わるを、新年着の料にとて、送られし去年の反物、迷惑さ限りなく、やりつ返ヘしつの止々の果、「さらば妹に頂戴させん。我れは男のよき衣類きて嬉しからず」と、兄弟ぶりの一反を返へして、残こす一反に人の情無にせじと、お蝶の晴衣に仕立させて、今日の姿つくろひしを見れば、今歳十八の出花の色、玉露の香り馥郁として、一段の見栄え流石に嬉しく、この服装平常着にさせたく思へり。
人は廻礼に忙がしき日も、世捨て人のその苦なく、今日一日はと仕事休みして、横に転ろぶ肘枕。御慶の声に夢やぶれて、珍らしや誰れと問へば、平常は疎とき問屋の何某、末広に祝詞を籠めて、長々と去年の不沙汰の詫、これよりの懇信、一向たのみて行きしこと、お蝶その通り取次げば、「はてさて、利欲にくらみし眼は、何処まで闇らきか方図のなき物。その詞我れへではなし、ご本尊は彼方に」とて、指さすは座敷の花瓶、これ高くなりし評判に、出来上がらぬ内より我れ買ひ取らん、いや是非とも私しにとせり合ひの申込、一々に跳ねつけて、今歳コロンブス博覧会に出品の計画、諸事は辰雄の周旋に、優然構へる小気味よさ、籟三いよ〳〵大言を吐きけり。
暮れてその日も点燈ごろ、辰雄廻礼の車をそのまゝ、交際ひろき身の労れも厭はず、門に梶棒おろさすれば、春色いとゞ長閑になりて、いふ事きく事一々におもしろく、籟三紙鳶の昔しを言へば、辰雄廻し独楽の面白さ忘れずと語り、彼れに移り是れに移り、次第々々に蜜になりて、
「幾変遷の今の身、中々にそのかみの無心恋しきばかり。世のこと人のこと目に移りて、彼れも助けたく是れも救ひたく、不想応の事業に身を委ねて、及ばぬ力の我ながら口惜しく、暗涙を呑むこと誰が業ならねば、訴ふるに処もあらず。凝りにこりし憂鬱の気の晴るゝは、此処にかく遊ぶ時ばかり」
と、何故か例に似ぬ詞、籟三聞き咎めて、
「怪しき事かな。君が博愛の徳、上に聞え下に渡つて、推尊せぬ人なき筈を、何故の御不満ぞ」
と問へば、
「何事も言はぬが花なり。お互に聞きつ聞かせつ、楽しき事ならばよけれど、我が胸にさへ持切れぬ苦を、君達に分けてなる事か。元来正は邪に押され、直は曲に勝ちがたきが常、何事も問ひ給ふな、脳いよ〳〵乱るゝ様なり」
と、振あふぐ面気の処為にや、血の気も見えず青く白く、唇を噛んで沈思の体。お蝶たまらず兄の袂そと曳けば、籟三少し前に進みて、
「よき事のみを聞き聞かせの友いくらもあり、憂喜ともにと言ふ処真実の価値ならずや。これを蔵くされて喜こぶ者、世の中にはあるか知らねど、我等同胞おもしろくなし、とは不遜の詞なれど、兄弟と思ふ君の事、水火の中にも手を携へたきが願ひ、何と打明かしては下さらぬか。承らねば気も落付かず、我よりはお蝶、どの位心ぼそきか。女は気の狭きもの、役にも立たずくし〳〵と気にして、我れも迷惑、可愛さうにもあり、五足十足の同じくは、諸ともに苦を分けたし」
と腹からの詞、お蝶もの言はず打しほれて、組み合はす手を解きつ返しつ、哀や胸の動悸高かり。
辰雄俄かに心付きてや、
「さても馬鹿な事いひ出して、折角の面白さ台なしになりぬ。苦あれば楽あり、楽あればこそ苦もあるなれ。順環して行く処奇な物なるを、一々に憂れはしと見る日には、五十年の寿命たまる事か。お蝶さま案じ給ふな、今いひしは皆酔の上の譫言、泣上戸の言分、何でもなし何でもなし。笑ひ顔みせて我れにも落つかせ給へ」
と、から〳〵と笑つて一物の残らぬ様子。再度もとの話しに返つて、更くる夜遅く帰宅せしが、お蝶いよ〳〵心悶えて、寐られぬ枕うくばかり、涙の床につくづくと案ずれば、「最惜しや君様、あれほど熱心の計画に、何ごとの璺いりたるか。談合する友は少なく、打こわす仇は多き世の中、口惜しさいかばかりぞや。今宵の詞、今宵の顔色、必らず仔細なくては叶はじ。我れに隔ての包みかくしか、我れに歎きを懸けまじとてか。とにもせよ角にもせよ、我れは君の妻、に隔ての包みかくしか、我れに歎きを懸けまじとてか。とにもせよ角にもせよ、我れは君の妻、君を置きて我が夫なし、見すべき心はかゝる時よ。万人一様表面は同じ、その皮一重下の下の骨に刻んで忘れぬは何。知らせて知りて憂喜は共にしたき者」と、思ひを暁の鐘にかぞへて、新玉のとしの始め長閑けからず、暇なき恋に身は使はれ物。
三が日も過ぎて七種の日に、辰雄誕生日の祝ひながら、新年の宴開きたく、お蝶さま是非借りたしとの文言、我れ悦こばせん為かあらぬか、当日一式の身の廻り、何処貴顕の席にも恥かしからず、心をこめし贈り物の品々。籟三喜こんで許るせば、我れもその人の意に背かじと、こらす粧ひは錦上の花。「嗚呼純粋の淑女さま、この運この姿、見せたき物は亡き親」といはれて、お蝶鏡の前に泣きけり。
第八回
百花に魁がけて咲くや窓の梅、来鳴け鶯わが宿は、春風ぞ吹く品物の落成。四窯八度びの窯の心配、薪の増減烟りの多少、火色に胸をもやし微響にも気をいためて、璺や入たる、流れやしけん、金色の不明絵の具の変色、苦を嘗めつくせし此処幾月。思ふこと思ふに叶ひて、新藁みがきに磨き出せし光沢、耀く光りは我が光り。花瓶の上部見切りの中、正面は龍に立つ浪の丸模様、廻ぐりに飛ばす菊桐の、あしらひは古代唐草にして、見切りの境界雲形の、上下に描くや東大寺模様、此処さや形七宝の地つぶしに、帯の菊の丸ありふれたれど、丹誠の筆いやしくもせず。上部終つて劃どりの内の画は、表面対の金銀閣寺、裏面向かひ合はす湊川稲村が崎、誠意誠心みち〳〵て、粧ひなす彩色凡筆ならず。劃の廻ぐりは古薩摩風の秋の七草、金模様の蝶のちらし書き、この地つぶしの雲ぼかし形金なし地、先人未発の工夫をこらして、刻苦の跡いちじるく、台の書きつぶし淵腰のわり模様。「微ならず細ならずと誚らばそしれ、眼を持つものは来ても見よ。一打棒にも美はこもる。我れ籟三不器用の技倆、この品物に止めぬ」と誇りて、晩酌一杯酒気さへ添へば心いよ〳〵面しろく、篠原に風聴がてら、お蝶まねかれし日の礼も言はんと、立出づる門口に、
「兄様しばし」
と袖ひかへる妹、言はんとして言はんとして躊たふを、
「何ぞ用か」
と小戻りすれば、
「何でなけれど夜風お寒むし。風引て給はるな」
の心づけ嬉しく、
「それほど遅くはならぬつもり。なれども酔ざめは油断がならず、羽織今一つ着て行かん」
と、立帰つて着重ぬる椽の先、襟に手を添へて折りながら、
「兄様、大層お髭が生へたり。新年といふに見苦るしや」
と、横顔つく〴〵眺められて、
「何の、夜るではあり知れる事か。明るき処で明日剃りて給はれ。先づは品物も出来上がりて、小成に安んずるではなけれど、祝ひてもよき事なり。四五日の中に辰雄どの誘ひ出して、三人連れに何処ぞへ行かん、その約束今宵して来る心、おそくはならねど金目の物、家にあるだけ不用心なり、門の戸さして待ち給へ。さりとは胸に雲もなし、嗚呼月もよし」
と立上がる兄。その手にすがつて門まで送くれば、地上に落つる影二つ、見る見る一つは遠くなるを、見送つて立つ影うらかなしく、夜風軒ばの榎に淋し。
昔しは他処にみし表札、やがては弟の門くゞる籟三、頼む、どうれの玄関向き小うるさく、辰雄の居間は兼て知る、庭口の戸を押せば明きたり。霜にしめりし芝生の上、踏むに音なき袖がき隠れ、聞こゆる声は高からねど、影は障子に二人三人、聞きたし何の相談会と、引き立つる耳に一と言、二た言、怪しや夢か意外の事ども。「某の子爵たまに遣ひて、何某長官に歎願さへせば、この事必らず成り立つべし。某の殿の証印は柳橋のに握らせ次第、金穴は例の大尽、気脈は兼て通じ置たり。跡は野となれ、山師ともいへ詐欺とも言へ、愚者に持たせて不用の財、引き上げる事世の為なり。思ふも腹筋は洋行がへりの才子どの、何の活眼、しれた物よ。魔睡剤は入江の妹、この間の宴会に眼尻の角度見て取りぬ。あの頑物に説きつけが六づかしけれど、恩と言ふ獄屋入り、八重からげも同じこと。女は増して懐中そだちの世間見ず、情の深きだけ丸め安し。下ろす元手の細工は粒々。籟三といふ奴おもひの外、遣ひ道不向なれど、飼つて置かば何にかなるべし。楠どのゝ泣き男、人間に不用もなき物、博く愛するこれも仁か」と不敵の詞。声は辰雄か、「汝れ」とばかり、奮然立ち上がつて更に摩する腕の無念さ。内には何時か話し絶えて、玉笛の声喨喨と聞え出でぬ。
第九回
この人の一笑に無限の喜こびを知り、この人の一涙に万斛の憂ひを汲み、形より濃き影の如く、起居に心はしたがふその人、玉をのべし容顔憂ひを含んで、しみじみとの物語り。「何の契りの君と我れ、宿世あやしく忘れ難く、国家の為に尽くす心、半分は君に取られて、人に言はれぬ物をも思ふ身、はかなしやお心も知らず、天下に妻は又なしと定めて、何の子爵の娘、振りむく処か、にべもなく断りしが蟻の一穴、実を言はゞ我が所為わるかりし。その子爵殿今までの一臂にて、支出の金に事も欠かず、事業はこびかけし今日になりて、俄かに破約の申込み。この道たえて又こと成らず、恨らみを呑んで我れこのまゝに退ぞかんか、残す誚りも嘲けりも、君故と知れば惜しからねど、何となるべき世の中にや、国家の末を思ひいたれば、残懐山のごとくこの胸やぶるゝばかり、この事誰れに語らるべき。隔てぬ仲の君にさへ、言はれぬはかゝる訳。外にとる道なきでもなけれど、それいよ〳〵心苦るしく」と、言ひはてぬ詞なほもどかしく、「この真情まだ見えずや」と打うらめば、「さりとはその真情、見えて悲しきは事君が上なり。成否善悪はお心一つ。今日賓客の一人彼れ有力の貴顕、我が為金穴たらんと言ふ。心はと問へば、苦るしきはこの処、君の噂をいかに聞きしか、一向妹と思ひ込みて、達ての処望つらからずや。君を他人にゆるして我れ、国家の為と断念られず。よし我れ欲を離なるゝとも、この事何として我が口より言はるべき」と、憂しや恋人断腸のけしき。
可憐の小女魂を奪はれ骨を消されて、責を我が身の上に負へば、「操を破つて操をたてんか、人知らぬ罪わが心の内にあり。さりとて我れ故君が名まで、世に滅ろぶるを他処に見んこと、恩を仇なる畜類の処為。あれも愁らしこれも憂し、何とせん」とんばかりの胸、智慮分別かげきえて、取る処は只死の一つ。「影あり形のある世なればぞ、障り多く妨げ多し。生れぬ昔しの空無量、我れお蝶という身がなくば、何方へ義理なく憚りなく、この恋円満にあるべき筈。よしこれも天命なり、病ひに死ぬも恋に死ぬも、命は一つよ二た度は行かぬ道。天地にも恥づる処あらず、神仏もとがめ給はじ。兄さまも免るし給へよ、我れも悔む処なし」と、決心するどく未練なく、憐れお蝶潔白無双の身、濁りに染まじ乱れじの行ひ、寐る夜の夢のしばしも忘れず、富貴に眼をとぢ貧賤に心をみがきて、今歳十八年くもりなき美玉、打ちくだく大魔王は恋といふ胸の一物。形を辰雄に仮り声を篠原にかりて、或る時は誘ふ春風花ひらく園、ある時は指さす秋雲月くらき天、喜憂を包みし袂のさき、引きて伴ふ果ては何処ぞ。東西南北かげもなく形もなく、愛らしかりし双頰の靨いづくに行きし、なつかしかりし遠山の眉いづくに行きし、双星の眼破蕾の口、又耀やかず又開らかず、黒漆の髪雪白の肌、あれもなしこれもなし。寒風ふきしきる夜半の月に、追へども見えず呼べども答へず、形見は止むる一封の文に、残す手跡のうるはしきも涙。
第十回
どつかと座す花瓶の前、あふれ出る熱涙はらひもあへず、にらみつむる眼光火と散つて、取りしむる腕、「くだけよこの骨、寧ろ生れながらに指まがり筋つまりてあらば、斯道にと志ざすこともなく、入立たぬ昔しに何をか願はん。生中陶画の粋と呼ばれし、先師の画工場に一と称へられて、我れは売らねど自からは人も知る名、貧ゆゑうづもるゝ事口惜しの念、我れ潔白の心に沸きて、願ふまじき名誉ねがひしは何故、たのむまじき人頼みしは何故、喰ふまじき不義の食この口に食みしは何故、免るすまじきお蝶、不義の人に免るせしは何故。汝れ汝れこの腕この芸、心をまどはし目を眩まして、見えず悟らず今月今夜、お蝶不幸の家出は誰が業。磨きし多年の筆故に、最愛の妹ころさするか、ねりし経営惨憺の苦は、汚濁を我が身に染みこませしか、冷笑し辰雄、潮けりし辰雄、声は彼れよ罪は汝よ。交りを断つて悪声を出ださぬ、我れ君子の道は知らねど、受けし恵みの泰山蒼海、無念骨髄に徹れど恩は恩なり。彼れ奸悪の秘事この耳にして、まこと聞き捨てにすべきならず、世の為人の為正義の為、揮ふべき拳こゝにあり、秘蔵の短剣ひらめかして、あの胸もとを貫くも容易。さりとは無念やこの品物、この恩この恵み身をしばりて、向くべき刃なく揮ふべき拳なし。思へば恨らみは我れにあり、腕にあり芸にありこの花瓶にあり。憎くし口惜し仇め敵め大悪魔め、汝れを砕いて辰雄も刺さん。汝れなくは何の恩何の恵み」と、拳しをかためて突立ち上がり、見れば見れば月明りに、浮きて見ゆる金銀閣寺、砂子一つ筋一本心をこめぬ処もなく、まして廻ぐりの金なし地。「鳴呼幾年の苦の名残、描きも描きたり我れながら、天晴斯道の妙の妙、この筆たえてつぐ人ありや。我れ道に入りて十七年、惜しみに惜しみし名を記るして、見よや海外の青眼玉、来たれ万国の陶器画工、日本帝国の一臣民、入江籟三自慢の筆と、心に誇りし満足の品、これ何として砕かるべき、これ何として砕かるべき。兎にも角にも世に合はぬ身の、一生の思ひ出これに止めて、入らんか深山の、それも口惜し。お蝶ふたゝび帰りもせば、辰雄に邪心のなくもあらば、この品保存もなるべきを」と、双手に抱いてためつすがめつ、眺め入る心惚として、我れ画中に入りたるか、画図我が身に添ひたるか。お蝶もなし辰雄もなし、我慢もなし意地もなし、金光我が身に耀いて、四方に沸く喝采の声、莞爾と笑めば耳ちかく、
「籟三愚物のつかひ道なし」と、聞こえ出づるは篠原か、「汝れ」と振仰ぐ袖ひかへて、「お風めすな」と優しき声、「嬉しや、お蝶かへりしか」「兄さま、彼方へ諸共に」と、指さす方は金閣寺銀閣寺、咲くや秋草小蝶とんで、立わたる霧さりとては、我が金なし地にさも似たり。
面白し面白し、蛟龍つひに池中の物ならず、湧き来たる雲形のうちに立浪の丸模様、登り龍下り龍龍の丸、蝶の丸花の丸鳳鳳の丸、をどり桐くるひ獅子二葉葵、源氏車槌車、ぼたん唐草菊がら草、吉野龍田の紅葉に花に、「あれも美なり、これも美なり。お蝶も美なり辰雄も美なり、
中に就て我が筆美なり。これを捨てゝ何処に行かん、天下万人みな明きめくら、見すべき人なし見せて甲斐なし。我が友は汝よ、汝が友は我れよ、いざ共に行かん」と抱きあげて、投げ出だす一対庭石の上、戞然のひゞき大笑のひゞき。夜半の鐘声とほく引きて、残るものは片々の金光一輪の月。