うたかた


濁江のそのうたかたの消もやらず

ながれも敢へぬ我さだめ(戀路〉かな


墓の下それかしじまの黝き手に

眞やみの淵の温みなき犠


瀨に堰かれ淵によどみつ渦の輪を

橈り泣くわれ力なきさが


宵春を沼の女神のいでたたし

ひめごと宣るか蘆の葉の風


眞裸を水鏡する溫泉や

膚ぞ溫くき百合の咲く谷


黑髪をおどろに搖りて悶ゆる子

世の初戀を呪はしと泣く


解き髪に乳房を押へ湯瀧浴む

大理のとばり肌滑かき


ねくたれやもろ手を擧げて搔いけづる

肩にうねりの蛇に似る髪


緋鹿の子の引裂ひきさきるねくたれの

そのみだれがみ誰ゆゑの嬌態しな


銀屛の野分の態や新妻の

薄茶す手前うつりよき髷


鳴らす手に緋鯉眞鯉の躍り寄る

風溫るき日を藤の花ちる


欄に鯉にと麩をば投ぐる姬

父左近衞はただほほゑます


夕暮は心急かるる旅路かな

山ひぐらしのかなかなと鳴く


川水の朝な朝なに冷え增して

閼伽あか汲む鉢に浮ぶ紅葉


あかき日を綠の波に子を抱きて

人魚ドゲルの母の沖に泣く聲


きしきしと灘にさしたる上げ潮に

人魚泣く宵月燒つきやけかき


人面の白きに似たる睡蓮ひつじぐさ

ハイラスの名よ池のひめごと


森林しんりん禮讚誦らいさんずする

緇衣の婆羅門バラモン鎧ふ帝刹利クシャトリア


婆羅門の御手に阿倶尼アグニの祭司壇

羊の犧をいぶり捲く烟


渦や我輪回の運命流れては

またもともどりかくて年經る


流れてはまたもともとへ繰りかへる

渦に漂ふわが運命かな


谷涸れて石あかあかと枯野山

靑空をゆく白ちぎれ雲


石淸水苔を流るるせせらぎや

指を入るれば聲ひそむかな


うらわかき戀やささやく眞淸水の

岩ばしる聲など睦まじき


信濃なる佐久の平に殘る雪

野守が背戶に李花さく


繪火桶に戶外そとを眺むる半被布の

光琳の浪白砂のふさ


鐵綾のコオトを脫ぎておばしまに

よれるお召の海ずきの君


いなづまを額を越せて我を見る

ゐやにうつむく初對面はつみえの人


向日葵の花いさぎよき姿かな

丈すくすくと男の子の心


靑淵の黝ろきよどみに主やすむ

岩蔭寒し紅葉ちる谷


このぬしはわかき女神と人のいふ

唯靑々と澄める淵かな


晶々あかあかと峰に入日の影さして

鳧なく池をめぐる里路


藥をば硯の水に注ぎけれど

故國くにへのたより書くに物憂き


風吹けば尾花萱原さわさわと

裏葉返へして鳴る河邊かな


さめざめと靈廟たまやへ迫る靑嵐

木の間を洩るる黃金の甍


金鈴のをりをり鳴りて夏近き

空にそびゆる朱欄の塔宇


神杉の木の間斜に飛ぶ星の

消えて跡なき太古の寂寞


おほ空を白雲渡る野路かな

瀧見の駕籠のつれづれに行く


梶の葉に歌かき流す小ながれや

日なたに瘦せし頰なでて見る


庭下駄に飛石忍ぶ手燭てともし

手を執りあへば散る櫻かな


燈籠に火をば入れても見つるかな

秋や小雨のあまり佗びしき


圯に倚り長いたづきの倦るき手に

さめたる戀の歌屑ながす


淀にせきて流れもあへぬ歌くづの

さまにも似たる戀の行末


暮れぬれば繪の具を收め歸る路

月なき谷を猿の聲する


山やどりゑだくむ我のいたづきて

繪まだ了へぬに秋の逝くかな


駕籠の手に八里駄馬に三里して

淺間の裾野草津への路


谷道を唄の聲して下る馬子

箱根八曲り人の影見ぬ


島の燈を船艙の窓にちらと見ぬ

鳴門を避けて瀨戶に入る夜半


ほのぼのとまだ明けやらぬ春の海

鷗のゆくへ追ふ夢ごこち


島山に雲宿りして暮るる空

風に潮路の跡ほの白き


窓明けて頰力なきひぢ杖に

風なきに散る合歡の花みる


故なくて唯さめざめと泣きし夜半

知りぬ我まだ我に背かぬ


振袖の重たき態に聲かけて

うつ小つづみの京の舞姬


大原を嵯峨へと急ぐかり駕籠の

後先となく蟲の聲かな


飼猿の背戶吹きめぐる夜嵐に

故里や戀ふ叫ぶ聲する


手をとれば唯しげしげと我を見る

うなゐの病明日なき運命

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。