おげんはぐっすり寝て、朝の四時頃には自分の娘や小さな甥なぞの側に眼をさました。慣れない床、慣れない枕、慣れない蚊帳の内で、そんなに前後も知らずに深く眠られたというだけでも、おげんに取ってはめずらしかった。気の置けないものばかり――娘のお新に、婆やに、九つになる小さな甥まで入れると、都合四人も同じ蚊帳の内に枕を並べて寝たこともめずらしかった。
八月のことで、短か夜を寝惜むようなお新はまだよく眠っていた。おげんはそこに眠っている人形の側でも離れるようにして、自分の娘の側を離れた。蚊帳を出て、部屋の雨戸を一二枚ほど開けて見ると、夏の空は明けかかっていた。
「漸く来た。」
とおげんは独りでそれを言って見た。そこは地方によくあるような医院の一室で、遠い村々から来る患者を容れるための部屋になっていた。蜂谷という評判の好い田舎医者がそこを経営していた。おげんが娘や甥を連れてそこへ来たのは自分の養生のためとは言え、普通の患者が病室に泊まったようにも自分を思っていなかったというのは、一つはおげんの亡くなった旦那がまだ達者でさかりの頃に少年の蜂谷を引取って、書生として世話したという縁故があったからで。
「前の日に思い立って、翌る日は家を出て来るような、そんな旦那衆のようなわけにいかすか」
「そうとも」
「そこは女だもの。俺は半年も前から思い立って、漸くここまで来た」
これは二人の人の会話のようであるが、おげんは一人でそれをやった。彼女の内部にはこんな独言を言う二人の人が居た。
おげんはもう年をとって、心細かった。彼女は嫁いで行った小山の家の祖母さんの死を見送り、旦那と自分の間に出来た小山の相続人でお新から言えば唯一人の兄にあたる実子の死を見送り、二年前には旦那の死をも見送った。彼女の周囲にあった親しい人達は、一人減り、二人減り、長年小山に出入してお家大事と勤めて呉れたような大番頭の二人までも早やこの世に居なかった。彼女は孤独で震えるように成ったばかりでなく、もう長いこと自分の身体に異状のあることをも感じていた。彼女は娘のお新と共に――四十の歳まで結婚させることも出来ずに処女で通させて来たような唯一人の不幸なお新と共に最後の「隠れ家」を求めようとするより外にはもう何等の念慮をも持たなかった。
このおげんが小山の家を出ようと思い立った頃は六十の歳だった。彼女は一日も手放しがたいものに思うお新を連れ、預り子の小さな甥を連れ、附添の婆やまで連れて、賑かに家を出て来たが、古い馴染の軒を離れる時にはさすがに限りない感慨を覚えた。彼女はその昂奮を笑いに紛わして来た。「みんな、行って来るぞい」その言葉を養子夫婦にも、奉公人一同にも残して置いて来た。彼女の真意では、しばらく蜂谷の医院に養生した上で、是非とも東京の空まではとこころざしていた。東京には長いこと彼女の見ない弟達が居たから。
蜂谷の医院は中央線の須原駅に近いところにあった。おげんの住慣れた町とは四里ほどの距離にあった。彼女が家を出る時の昂奮はその道のりを汽車で乗って来るまで続いていたし、この医院に着いてもまだ続いていた。しかし日頃信頼する医者の許に一夜を送って、桑畠に続いた病室の庭の見える雨戸の間から、朝靄の中に鶏の声を聞きつけた時は、彼女もホッとした。小山の家のある町に比べたら、いくらかでも彼女自身の生まれた村の方に近い、静かな田舎に身を置き得たという心地もした。今度の養生は仮令半年も前からおげんが思い立っていたこととは言え、一切から離れ得るような機会を彼女に与えた――長い年月の間暮して見た屋根の下からも、十年も旦那の留守居をして孤りの閨を守り通したことのある奥座敷からも、養子夫婦をはじめ奉公人まで家内一同膳を並べて食う楽みもなくなったような広いがらんとした台所からも。
「御新造さま、大分お早いなし」
と言って婆やが声を掛けた頃は、お新までもおげんの側に集まった。
「お母さんは家に居てもああだぞい」とお新は婆やに言って見せた。「冬でも暗いうちから起きて、自分の部屋を掃除するやら、障子をばたばた言わせるやら。そんなに早く起きられては若いものが堪らんなんて、よく家の人に言われる。わたしは隣りの部屋でも、知らん顔をして寝ているわいなし――ええええ、知らん顔をして」
お新はこんな話をするにも面長な顔を婆やの方へ近く寄せて言った。
そこへ小さな甥の三吉が飛んでやって来た。前の日にこの医院へ来たばかりで種々な眼についたものを一々おげんのところへ知らせに来るのも、この子供だ。蜂谷の庭に続いた桑畠を一丁も行けば木曽川で、そこには小山の家の近くで泳いだよりはずっと静かな水が流れていることなぞを知らせに来るのも、この子供だ。
「桑畠の向うの方が焼けていたで。俺がなあ、真黒に焼けた跡を今見て来たぞい」
こんなことを三吉が言出すと、お新は思わずその話に釣り込まれたという風で、
「ほんとに、昨日のようにびっくりしたことはない。お母さんがあんな危ないことをするんだもの。炭俵に火なぞをつけて、あんな垣根の方へ投ってやるんだもの。わたしは、はらはらして見ていたぞい――ほんとだぞい」
お新はもう眼に一ぱい涙を溜めていた。その力を籠めた言葉には年老いた母親を思うあわれさがあった。
「昨日は俺も見ていた。そうしたら、おばあさんがここのお医者さまに叱られているのさ」
この三吉の子供らしい調子はお新をも婆やをも笑わせた。
「三吉や、その話はもうしないでおくれ」とおげんが言出した。「このおばあさんが悪かった。俺も馬鹿な――大方、気の迷いだらずが――昨日は恐ろしいものが俺の方へ責めて来るぢゃないかよ。汽車に乗ると、そいつが俺に随いて来て、ここの蜂谷さんの家の垣根の隅にまで隠れて俺の方を狙ってる。さあ、責めるなら責めて来いッって、俺も堪らんから火のついた炭俵を投げつけてやったよ。もうあんな恐ろしいものは居ないから、安心しよや。もうもう大丈夫だ。ゆうべは俺もよく寝られたし、御霊さまは皆を守っていて下さるし、今朝は近頃にない気分が清々とした」
おげんは自分を笑うようにして、両手を膝の上に置きながらホッと一つ息を吐いた。おげんの話にはよく「御霊さま」が出た。これはおげんがまだ若い娘の頃に、国学や神道に熱心な父親からの感化であった。お新は母親の機嫌の好いのを嬉しく思うという風で、婆やと三吉の顔を見比べて置いて、それから好きな煙草を引きよせていた。
その朝から三吉はおげんの側で楽しい暑中休暇を送ろうとして朝飯でも済むと復た直ぐ屋外へ飛び出して行ったが、この小さな甥の子供心に言ったことはおげんの身に徹えた。彼女は家の方に居た時分、妙に家の人達から警戒されて、刃物という刃物は鋏から剃刀まで隠されたと気づいたことがよくある。年をとったおげんがつくづくこの世の冷たさを思い知ったのは、そういう時だった。その度に彼女は悲しさや腹立しさが胸一ぱいに込み上げて来て、わざわざ養子夫婦のいやがるように仕向けて見たこともある。時には白いハンケチで鼠を造って、それを自分の頭の上に載せて、番頭から小僧まで集まった仕事場を驚かしたこともある。あんなことをして皆を笑わせた滑稽が、まだまだ自分の気の確かな証拠として役に立ったのか、「面白いおばあさんだ」として皆に迎えられたのか、そこまではおげんも言うことが出来なかった。とにかく、この蜂谷の医院へ着いたばかりに桑畠を焼くような失策があって、三吉のような子供にまでそれを言われて見ると、いかに自分ばかり気の確かなつもりのおげんでも、これまで自分の為たことで養子夫婦を苦しめることが多かったと思わないわけにはいかなかった。
お新は髪を束ね直した後のさっぱりとした顔付で母の方へ来た。その時、おげんは娘に言いつけて、お新が使った後の鏡を自分の方へ持って来させた。
「お父さんが亡くなってから、お母さんは一度も鏡を見ない。今日は蜂谷さんにもよく診察して貰うで、久しぶりでお母さんも鏡を見るわい」
おげんは親しげに自分のことを娘に言って見せて、お新がそこへ持って来た鏡に向おうとした。ふと、死別れてから何十年になるかと思われるようなおげんの父親のことが彼女の胸に来た。おげんの手はかすかに震えて来た。彼女の父親は晩年を暗い座敷牢に送った人であったから。
「ふーん」
思わずおげんは唸るような声を出して自分の姿に見入った。彼女が心ひそかに映ることを恐れたような父親の面影のかわりに、信じ難いほど変り果てた彼女自身がその鏡の中に居た。
「えらい年寄になったものだぞ」
とおげんは自分ながら感心したように言って、若かった日に鏡に向ったと同じ手付で自分の眉のあたりを幾度となく撫で柔げて見た。
「ひどいものじゃないかや。何だか自分の顔のような気もしないよ」
とまたおげんは言って、鏡を娘の方へ押しやった後でも嘆息した。
「ふーんのようなことだ」
とお新もそこへ笑いころげた。
静かな日がそれから続くようになった。蜂谷の医院に来て泊まっている他の患者達のことに就いても、一番早くいろいろな報告をもって来て、おげんの部屋を賑かすのは小さな甥だった。三吉が小山の家の方から通っている同じ学校の先生で、夏休みを機会に鼻の療治を受けに来ている人があると、三吉は直ぐそれを知らせにおげんのところへ飛んで来るし、あわれげな唖の小娘を連れて遠い山家の方から医院に着いた夫婦があると、それも知らせに飛んで来た。おげんはこの小さな甥やお新に誘われて木曽川の岸の岩石の間に時を送りに行って来ることもあった。夏らしい日あたりや、影や、時の物の茄子でも漬けて在院中の慰みとするに好いような沢山な円い小石がその川岸にあった。あの小山の家の方で、墓参りより外にめったに屋外に出たことのないようなおげんに取っては、その川岸は胸一ぱいに好い空気を呼吸することの出来る場所であり、透きとおるような冷い水に素足を浸して見ることも出来る場所であった。おげんがその川岸から拾い集めた小石で茄子なぞを漬けることを楽みに思ったのは、お新や三吉や婆やを悦ばせたいばかりでなく、その好い色に漬かったやつを同じ医院の患者仲間に、鼻の悪い学校の先生にも、唖の娘を抱いた夫婦者にも振舞いたいからであった。彼女はパンを焼くことなぞも上手で、そういうことは好きでよくした。在院中の慰みの一つは、その家から提げて来た道具で、小さな甥のために三時がわりのパンを焼くことであった。三吉はまた大悦びで、おばあさんが手製のふかしたてのパンを患者仲間の居る部屋々々へ配りに行くこともあった。
おげんが過ぎ去った年月のことをしみじみ胸に浮べることの出来たのも、この静かな医院に移ってからであった。部屋に居て聞くと、よく蛙が鳴いた。昼間でも鳴いた。その声は男ざかりの時分の旦那の方へも、遠い旅から年をとって帰って来た旦那の方へもおげんの心を誘った。彼女が小山の家を出ようと思い立ったのは、必ずしも老年の今日に始まったことではなかった。旦那も達者、彼女もまだ達者で女のさかりの頃に、一度ならず二度ならず既にその事があった。旦那くらい好い性質の人で、旦那くらい又、女のことに弱い人もめずらしかった、旦那が一旗揚げると言って、この地方から東京に出て家を持ったのは、あれは旦那が二十代に当時流行の猟虎の毛皮の帽子を冠った頃だ。まだお新も生れないくらいの前のことだ。あの頃にもう旦那と関係した芸者は幾人となくあって、その一人に旦那の子が生れた。おげんがそれを自分の手で始末しないばかりに心配して、旦那の行末の楽みに再びこの地方へと引揚げて来た頃は、さすが旦那にも謹慎と後悔の色が見えた。旦那の東京生活は結局失敗で、そのまま古い小山の家へ入ることは留守居の大番頭に対しても出来なかった。旦那が少年の蜂谷を書生として世話したのも、しばらくこの地方に居て教員生活をした時代だった。旦那がある酌婦に関係の出来たのもその時代だ。その時におげんは旦那の頼みがたさをつくづく思い知って、失望のあまり家を出ようとしたが、それを果たさなかった。正直で昔気質な大番頭等へも詫の叶う時が来た。二度目に旦那が小山の家の大黒柱の下に座った頃は、旦那の一番働けた時代であり、それだけまた得意な時代でもあった。地方の人の信用は旦那の身に集まるばかりであった。交際も広く、金廻りもよく、おまけに人並すぐれて唄う声のすずしい旦那は次第に茶屋酒を飲み慣れて、土地の芸者と関係するようになった。旦那が自分の知らない子の父となったと聞いた時は、おげんは復たかと思った。その時もおげんは家を出る決心までして、東京の方に集まっている親戚の家を訪ねに行ったこともあったが、人の諫めに思い直して国へと引返した。あれほどおげんは頼み甲斐のない旦那から踏みにじられたように思いながらも、自分の前に手をついて平あやまりにあやまる旦那を眼前に見、やさしい声の一つも耳に聞くと、つい何もかも忘れて旦那を許す気にもなった。おげんが年若な伜の利発さに望みをかけ、温順しいお新の成長をも楽みにして、あの二人の子によって旦那の不品行を忘れよう忘れようとつとめるように成ったのも、あの再度の家出をあきらめた頃からであった。
そこまで思いつづけて行くと、おげんは独りで茫然とした。それからの彼女が自分の側に見つけたものは、次第に父に似て行く兄の方の子であり、まだこの世へも生れて来ないうちから父によって傷けられた妹の方の子であったから。
回想はある都会風の二階座敷の方へおげんの心を連れて行って見せた。おげんの弟が二人も居る。おげんの伜が居る。伜の娵も居る。その娵は皆の話の仲間入をしようとして女持の細い煙管なぞを取り出しつつある。二階の欄のところには東京を見物顔なお新も居る。そこはおげんの伜が東京の方に持った家で、夏らしい二階座敷から隅田川の水も見えた。おげんが国からお新を連れてあの家を見に行った頃は、旦那はもう疾くにおげんの側に居なかった。家も捨て、妻も捨て、子も捨て、不義理のあるたけを後に残して行く時の旦那の道連には若い芸者が一人あったとも聞いたが、その音信不通の旦那の在所が何年か後に遠いところから知れて来て、僅かに手紙の往復があるようになったのも、丁度その頃だ。おげんが旦那を待ち暮す心はその頃になっても変らなかった。機会さえあらば、何処かの温泉地でなりと旦那を見、お新にも逢わせ、どうかして旦那の心をもう一度以前の妻子の方へ引きかへさせたい。その下心でおげんは東京の地を踏んだが、あの伜の家の二階で二人の弟の顔を見比べ、伜夫婦の顔を見比べた時は、おげんは空しく国へ引返すより外に仕方がないと思った。二番目の弟の口の悪いのも畢竟姉を思ってくれるからではあったろうが、しまいにはおげんの方でも耐えきれなくなって、「そう後家、後家と言って貰うまいぞや」と言い返して見せたのも、あの二階だ。そうしたら弟の言草は、「この婆サも、まだこれで色気がある」と。あまり憎い口を弟がきくから、「あるぞい――うん、ある、ある」そう言っておげんは皆に別れを告げて来た。待っても、待っても、旦那はあれから帰って来なかった。国の方で留守居するおげんが朝夕の友と言えば、旦那の置いて行った机、旦那の置いて行った部屋、旦那のことを思い二人の子のことを思えば濡れない晩はなかったような冷たい閨の枕――
回想は又、広い台所の炉辺の方へもおげんの心を連れて行って見せた。高い天井からは炉の上に釣るした煤けた自在鍵がある。炉に焚く火はあかあかと燃えて、台所の障子にも柱にも映っている。いそいそと立ち働くお新が居る。下女が居る。養子も改まった顔付で奥座敷と台所の間を往ったり来たりしている。時々覗きに来る三吉も居る。そこへおげんの三番目の弟に連れられて、しょんぼりと表口から入って来た人がある。この人が十年も他郷で流浪した揚句に、遠く自分の生れた家の方を指して、年をとってから帰って来たおげんの旦那だ。弟は養子の前にも旦那を連れて御辞儀に行き、おげんの前へも御辞儀に来た。その頃は伜はもうこの世に居なかった。到頭旦那も伜の死目に逢わずじまいであったのだ。伜の娵も暇を取って行った。「御霊さま」はまだ自分等と一緒に居て下さるとおげんが思ったのは、旦那にお新を逢わせることの出来た時だった。けれども、これほどのおげんの悦びもそう長くは続かなかった。持って生れた旦那の性分はいくつに成っても変らなかった。旦那が再び自分の生れた家の門を潜る時は、日が暮れてからでなければそれが潜れなかった。そんな思いまでして帰って来た旦那でも、だんだん席が温まって来る頃には茶屋酒の味を思出して、復た若い芸者に関係したという噂がおげんの耳にまで入るようになった。旦那は人の好い性質と、女に弱いところを最後まで持ちつづけて亡くなった。遠い先祖の代からあるという古い襖も慰みの一つとして、女の臥たり起きたりする場所ときまっていたような深い窓に、おげんは茫然とした自分を見つけることがよくあった。
考えまい、考えまいと思いながら、おげんは考えつづけた。彼女は旦那の生前に、自分がもっと旦那の酒の相手でもして、唄の一つも歌えるような女であったなら、旦那もあれほどの放蕩はしないで済んだろうか、と思い出して見た。おげんはこんなことも考えた。彼女と旦那の間に出来たお新は、幼い時分に二階の階段から落ちて、ひどく脳を打って、それからあんな発育の後れたものに成ったとは、これまで彼女が家の人達にも、親戚にも、誰に向ってもそういう風にばかり話して来たが、実はあの不幸な娘のこの世に生れ落ちる日から最早ああいう運命の下にあったとは、旦那だけは思い当ることもあったろうと。そればかりではない、彼女自身にも人には言えない深傷を負わせられていた。彼女は長い骨の折れた旦那の留守をした頃に、伜の娵としばらく一緒に暮した月日のことを思出した。その時は伜が側に居なかったばかりでなく、娵まで自分を置いて伜の方へ一緒になりに行こうとする時であった。
「俺はツマラんよ」と彼女の方でそれを娵に言って見せて、別れて行く人の枕許でさんざん泣いたこともあった。
「お母さん、そんなにぶらぶらしていらっしゃらないで、ほんとうにお医者さまに診て貰ったらどうです」と別れ際に慰めてくれたのもあの娵だった。どうも自分の身体の具合が好くないと思い思いして、幾度となく温泉地行なぞを思い立ったのも、もうあの頃からだ。けれども彼女が根本からの治療を受けるために自分の身体を医者に診せることだけは避け避けしたのは、旦那の恥を明るみへ持出すに忍びなかったからで。見ず知らずの女達から旦那を通して伝染させられたような病毒のために、いつか自分の命の根まで噛まれる日の来まいものでもない、とは考えたばかりでも恐ろしいことであった。
「蛙が鳴いとる」
と言って、三吉はおげんの側へ寄った。何時の間に屋外へ飛出して行って、何時の間に帰って来ているかと思われるようなのは、この遊びに夢中な子供だ。
「ほんに」とおげんは甥というよりは孫のような三吉の顔を見て言った。「そう言えば三吉は何をして屋外で遊んで来たかや」
「木曽川で泳いで来た。俺も大分うまく泳げるように成ったに」
三吉は子供らしい手付で水を切る真似をして見せた。さもうまそうなその手付がおげんを笑わせた。
「東京の兄さん達も何処かで泳いでいるだらずかなあ」
とまた三吉が思出したように言った。この子はおげんが三番目の弟の熊吉から預った子で、彼女が東京まで頼って行くつもりの弟もこの三吉の親に当っていた。
「どれ、そう温順しくしておばあさんの側に遊んでいてくれると、御褒美を一つ出さずば成るまいテ」
と言いながらおげんは菓子を取出して来て、それを三吉に分け、そこへ顔を見せたお新の前へも持って行った。
「へえ、姉さんにも御褒美」
こうおげんが娘に言う時の調子には、まだほんの子供にでも言うような母親らしさがあった。
「蛙がよく鳴くに」とその時、お新も耳を澄まして言った。「昼間鳴くのは、何だか寂しいものだなあし」
「三吉や、お前はあの口真似をするのが上手だが、このおばあさんも一つやって見せずか。どうしておばあさんだって、三吉には負けんぞい」
子供を前に置いて、おげんは蛙の鳴声なぞを真似して見せて戯れるうちに、何時の間にか彼女の心は本物の蛙の声の方へ行った。何処かの田圃の方からでも伝わって来るような、さかんな繁殖の声は人に迫るように聞えるばかりでなく、医院の庭に見える深い草木の感じまでが憂鬱で悩ましかった。
「何だか俺はほんとに狂にでも成りそうだ」
とおげんは半分串談のように独りでそんなことを言って見た。耳に聞く蛙の声はややもすると彼女の父親の方へ――あの父親が晩年の月日を送った暗い座敷牢の格子の方へ彼女の心を誘った。おげんは姉弟中で一番父親に似ているとも言われた。そんなことまでが平素から気になっていた。どうして四十になっても独り立ちの出来ないような不幸な娘を連れていて――それを思うと、おげんは自分を笑いたかった。彼女はそこに置いてある火鉢から細い真鍮の火箸を取って見て、曲げるつもりもなくそれを弓なりに折り曲げた。
「おばあさん――またここのお医者様に怒られるぞい」
と三吉は言って、不思議そうにおげんの顔を見ていたが、やがて子供らしく笑い出した。こういう場合に側に居るものの顔を見比べて、母を庇護おうとするのは何時でもお新だった。
「三ちゃんにはかなわない。直ぐにああいうところへ眼をつけるで」
とお新も笑いながら言って、母の曲げた火箸を元のように直そうとした。お新はそんなことをするにも、丁寧に、丁寧にとやった。
蜂谷の医院へ来てから三週間ばかり経つうちに、三吉は小山の家の方へ帰りたいと言出した。おげんは一日でも多く小さな甥を自分の手許に引留めて、「おばあさんの側が好い」と言って貰いたかったが、退屈した子供をどうすることも出来なかった。三吉は独りでも家の方へ帰れると言って、次の駅まで二里ばかりは汽車にも乗らずに歩いて行こうとした。この田舎育ちの子供が独りでぽつぽつ帰って行く日にはおげんはお新と二人で村はずれまで見送った。学校の生徒らしい夏帽子に土地風なカルサン穿きで、時々後方を振返り振返り県道に添うて歩いて行く小さな甥の後姿は、おげんの眼に残った。
三吉が帰って行った後、にわかに医院の部屋もさびしかった。しかしおげんは久しぶりで東京の方に居る弟の熊吉に宛てた葉書を書く気になったほど、心持の好い日を迎えた。おげんは女らしい字を書いたが、とかく手が震えて、これまでめったに筆も持たなかった。書いて見れば、書けて、その弟にやる葉書を自分で眺めても、すこしも手の震えたような跡のないことは彼女の心にもうれしかった。九月を迎えるように成ってからは、一層心持の好い日が続いた。おげんは娘や婆やを相手にめずらしく楽しい時を送ったばかりでなく、時にはこの村にある旧い親戚の家なぞを訪ねて歩いた。どうやら一生の晩年の静かさがおげんの眼にも見えて来た。彼女はその静かさを山家へ早くやって来るような朝晩の冷しい雨にも、露を帯びた桑畠にも、医院の庭の日あたりにも見つけることが出来るように思って来た。
「婆や、ちょっと一円貸しとくれや」
とある日、おげんは婆やに言った。付添として来た婆やは会計を預っていたので、おげんが毎日いくらかずつの小遣いを婆やにねだりねだりした。
「一円でいい」
とまたおげんが手を出して言った。
婆やは小山の家に出入の者でひどくおげんの気に入っていたが、金銭上のことになるとそうそうおげんの言うなりにも成っていなかった。
「そう御新造さまのようにお小遣いを使わっせると、わたしがお家の方へ申し訳がないで」
と婆やはきまりのようにそれを言って、渋々おげんの請求に応じた。
こうした場合ほどおげんに取って、自分の弱点に触られるような気のすることはなかった。その度におげんは婆やが毎日まめまめとよく働いてくれることも忘れて、腹立たしい調子になった。彼女はこの医院に来てから最早何程の小遣いを使ったとも、自分でそれを一寸言って見ることも出来なかった。
「お前達は、何でも俺が無暗とお金を使いからかすようなことを言う――」
こうおげんは荒々しく言った。
お新と共に最後の「隠れ家」を求めようとするおげんの心は、ますます深いものと成って行った。彼女は自分でも金銭の勘定に拙いことや、それがまた自分の弱点だということを思わないではなかったが、しかしそれをいかんともすることが出来なかった。唯、心細くばかりあった。いつまでも処女で年ばかり取って行くようなお新の前途が案じられてならなかった。お新は面長な顔かたちから背の高いところまで父親似で、長い眉のあたりなぞも父親にそっくりであった。おげんが自分の娘と対いあって座っている時は、亡くなった旦那と対いあっている思いをさせた。しきりに旦那のことを恋しく思わせるのも、娘と二人で居る時だった。父としては子を傷け、夫としては妻を傷つけて行ったようなあの放蕩な旦那が、どうしてこんなに恋しいかと思われるほど。
「ああああ、お新より外にもう自分を支える力はなくなってしまった」
とおげんは独りで言って見て嘆息した。
九月らしい日の庭にあたって来た午後、おげんは病室風の長い廊下のところに居て、他人まかせな女の一生の早く通り過ぎて行ってしまうことなぞを胸に浮べていた。そこへ院長蜂谷が庭づたいに歩いて来て、おげんを慰め顔に廊下のところへ腰掛けた。
「お嬢さんを見ると、先生のことを思出します。ほんとにお嬢さんは先生によく似てお出だ」
蜂谷はおげんの旦那のことを「先生、先生」と呼んでいた。
「蜂谷さん、あれももう四十女よなし」とおげんは言って見せた。
「もうそうお成りですかいなあ」と蜂谷も思出したように、「私が先生の御世話になった時分はお嬢さんもまだ一向におちいさかった。これまでにお育てになるのは、なかなかお大抵じゃない」
「いえ、蜂谷さん、あれがあるばかりに私も持ちこたえられたようなものよなし。ほんとに、あれのお陰だぞなし。あれは小さな時分からすこしも眼の放されないようなもので、それは危くて、危くて、『お新、こうしよや、ああしよや』ッて、一々私が指図だ。ゆっくりゆっくり私が話して聞かせると、そうするとあれにも分って、私の方で教えた通りになら出来る。なんでもああいう児には静かな手工のようなことが一番好いで、そこへ私も気がついたもんだで、それから私も根気に家の仕事の手伝いをさせて。ええええ、手工風のことなら、あれも好きで為るわいなし。そのうちに、あなた、あれも女でしょう。あれが女になった時なぞは、どのくらい私も心配したか知れすか」
「全く、これまでに成さるのはお大抵じゃなかった。医者の方から考えても、お嬢さんのような方には手工が適しています。もうこれまでになされば、小山さんもご安心でしょう」
「そこですテ。私があれに干瓢を剥かして見たことが有りましたわい。あれも剥きたいと言いますで。青い夕顔に、真魚板に、庖丁と、こうあれに渡したと思わっせれ。ところが、あなた、あれはもう口をフウフウ言わせて、薄く切って見たり、厚く切って見たり。この夕顔はおよそ何分ぐらいに切ったらいいか、そういうことに成るとまるであれには勘考がつかんぞなし。干瓢を剥くもいいが、手なぞを切って、危くて眼を放せすか。まあ、あれはそういうものだで、どうかして私ももっとあれの側に居て、自分で面倒を見てやりたいと思うわなし。ほんに、あれがなかったら――どうして、あなた、私も今日までこうして気を張って来られすか――蜂谷さんも御承知なあの小山の家のごたごたの中で、十年の留守居がどうして私のようなものに出来すか――」
思わずおげんは蜂谷を側に置いて、旧馴染にしか出来ないような話をした。何と言ってもお新のような娘を今日まで養い育てて来たことは、おげんが一生の仕事だった。話して見て、おげんは余分にその心持を引出された。
蜂谷は山家の人にしてもめずらしいほど長く延ばした鬚を、自分の懐中に仕舞うようにして、やがておげんの側を離れようとした。ふと、蜂谷は思いついたように、
「小山さん、医者稼業というやつはとかく忙しいばかりでして、思うようにも届きません。昨日から私も若いものを一人入れましたで。ええここの手伝いに。何かまた御用がありましたら、言付けてやって下さい」
こう言って、看護婦なぞの往ったり来たりする庭の向うの方から一人の男を連れて来た。新たに医学校を卒業したばかりかと思われるような若者であった。蜂谷はその初々しく含羞んだような若者をおげんの前まで連れて来た。
「小山さん、これが私のところへ手伝に来てくれた人です」
と蜂谷に言われて、おげんは一寸会釈したが、田舎医者の代診には過ぎたほど眼付のすずしい若者が彼女の眼に映った。
「好い男だわい」
それを思うと、おげんは大急ぎでその廊下を離れて、馳け込むように自分の部屋に戻った。彼女は堅く堅く障子をしめ切って置いて、部屋に隠れた。
九月も末になる頃にはおげんはずっと気分が好かった。おげんは自分で考えても九分通りまでは好い身体の具合を恢復したと思って、それを蜂谷にも話し、お新や婆やにも話して悦んで貰うほどであった。そこでいよいよ彼女も東京行を思立った。「小山さん、小山さん」と言って大切にしてくれる蜂谷ほどには、蜂谷の細君の受けも好くなくて、ややもすると機嫌を損ね易いということも、一層おげんの心を東京へと急がせた。この東京行は、おげんに取って久しく見ない弟達を見る楽しみがあり、その弟達に逢ってこれから将来の方針を相談する楽みがあった。彼女はしばらくお新を手放さねば成らなかった。三月ばかり世話になった婆やにも暇を告げねばならなかった。東京までの見送りとしては、日頃からだの多忙しい小山の養子の代りとして養子の兄にあたる人が家の方から来ることに成った。
出発の前夜には、おげんは一日も離れがたく思う娘の側に居て、二人で一緒に時を送った。
「お新や、二人で気楽に話さまいかや。お母さんは横に成るで、お前も勝手に足でもお延ばし」
とおげんは言って、誰に遠慮もない小山の家の奥座敷に親子してよく寛いだ時のように、身体を横にして見、半ば身体を起しかけて見、時には畳の上に起き直って尻餅でも搗いたようにぐたりと腰を落して見た。そしてその度に、深い溜息を吐いた。
「わたしは好きな煙草にするわいなし」
とお新は母親の側に居ながら、煙草の道具を引きよせた。女持の細い煙管で煙草を吸いつけるお新の手付には、さすがに年齢の争われないものがあった。
「お新や、お母さんはこれから独りで東京へ行って来るで、お前は家の方でお留守居するだぞや。東京の叔父さん達とも相談した上で、お前を呼び寄せるで。よしか。お母さんの側が一番よからず」
とおげんが言ったが、娘の方では答えなかった。お新の心は母親の言うことよりも、煙草の方にあるらしかった。
お新は母親のためにも煙草を吸いつけて、細く煙の出る煙管を母親の口に銜えさせるほどの親しみを見せた。この表情はおげんを楽ませた。おげんは娘から勧められた煙管の吸口を軽く噛み支えて、さもうまそうにそれを燻した。子の愛に溺れ浸っているこの親しい感覚は自然とおげんの胸に亡くなった旦那のことをも喚び起した。妻として尊敬された無事な月日よりも、苦い嫉妬を味わせられた切ない月日の方に、より多く旦那のことを思出すとは。おげんはそんな夫婦の間の不思議な結びつきを考えて悩ましく思った。婆やが来てそこへ寝床を敷いてくれる頃には、深い秋雨の戸の外を通り過ぎる音がした。その晩はおげんは娘と婆やと三人枕を並べて、夜遅くまで寝床の中でも話した。
翌日は小山の養子の兄が家の方からこの医院に着いた。いよいよみんなに暇乞いして停車場の方へ行く時が来て見ると、住慣れた家を離れるつもりであの小山の古い屋敷を出て来た時の心持がはっきりとおげんの胸に来た。その時こそ、おげんはほんとうに一切から離れて自分の最後の「隠れ家」を求めに行くような心地もして来た。お新と婆やは、どうせ同じ路を帰るのだからと言って、そこまで汽車を見送ろうとしてくれた。こうして四人のものは、停車場を立った。
汽車は二つばかり駅を通り過ぎた。二つ目の停車場ではお新も婆やもあわただしく車から降りた。
養子の兄はおげんに、
「小山の家の衆がみんな裏口へ出て待受けていますで、汽車の窓から挨拶さっせるがいい」
こう言った頃は、おげんの住慣れた田舎町の石を載せた板屋根が窓の外に動いて見えた。もう小山の墓のあたりまで来た、もう桑畠の崖の下まで来た、といううちに、高い石垣の上に並んだ人達からこちらを呼ぶ声が起った。家の裏口に出てカルサン穿きで挨拶する養子、帽子を振る三吉、番頭、小僧の店のものから女衆まで、殆んど一目におげんの立つ窓から見えた。
「おばあさん――おばあさん」
と三吉が振って見せる帽子も見えなくなる頃は、小山の家の奥座敷の板屋根も、今の養子の苦心に成った土蔵の白壁も、瞬く間におげんの眼から消えた。汽車は黒い煙をところどころに残し、旧い駅路の破壊し尽くされた跡のような鉄道の線路に添うて、その町はずれをも離れた。
おげんはがっかりと窓際に腰掛けた。彼女は六十の歳になって浮浪を始めたような自己の姿を胸に描かずにはいられなかった。しかし自分の長い結婚生活が結局女の破産に終ったとは考えたくなかった。小山から縁談があって嫁いで来た若い娘の日から、すくなくとも彼女の力に出来るだけのことは為たと信じていたからで。彼女は旦那の忘れ形見ともいうべきお新と共に、どうかしてもっと生甲斐のあることを探したいと心に思っていた。そんなことを遠い夢のように考えて、諏訪湖の先まで乗って行くうちに、汽車の中で日が暮れた。
おげんは養子の兄に助けられながら、その翌日久し振で東京に近い空を望んだ。新宿から品川行に乗換えて、あの停車場で降りてからも弟達の居るところまでは、別な車で坂道を上らなければならなかった。おげんはとぼとぼとした車夫の歩みを辻車の上から眺めながら、右に曲り左に曲りして登って行く坂道を半分夢のように辿った。
弟達――二番目の直次と三番目の熊吉とは同じ住居でおげんの上京を迎えてくれた。おげんが心あてにして訪ねて行った熊吉はまだ外国の旅から帰ったばかりで、しばらく直次の家に同居する時であった。直次の家族は年寄から子供まで入れて六人もあった上に、熊吉の子供が二人も一緒に居たから、おげんは同行の養子の兄と共に可成賑かなごちゃごちゃとしたところへ着いた。入れ替り立ち替りそこへ挨拶に来る親戚に逢って見ると、直次の養母はまだ達者で、頭の禿もつやつやとしていて、腰もそんなに曲っているとは見えなかった。このおばあさんに続いて、襷をはずしながら挨拶に来る直次の連合のおさだ、直次の娘なぞの後から、小さな甥が四人もおげんのところへ御辞儀に来た。
「どうも太郎や次郎の大きくなったのには、たまげた。三吉もよくお前さん達の噂をしていますよ。あれも大きくなりましたよ」
とおげんは熊吉の子供に言って、それから弟の居るところへ一緒に成った。
しばらく逢わずにいるうちに直次もめっきり年をとった。おげんは熊吉を見るのも何年振りかと思った。
「姉さんの旦那さんが亡くなったことも、私は旅にいて知りました。」
と熊吉は思出し顔に言ったが、そういう弟は五十五日も船に乗りつづけて遠いところから帰って来た人で、真黒に日に焼けていた。
「ほんとに、小山の姉さんはお若い。もっとわたしはお年寄になっていらっしゃるかと思った」
とそこへ来て言って、いろいろともてなしてくれるのは直次の連合であった。このおさだの言うことはお世辞にしても、おげんには嬉しかった。四人の小さな甥達はめずらしいおばあさんを迎えたという顔付で、かわるがわるそこへ覗きに来た。
おげんが養子の兄は無事に自分の役目を果したという顔付で、おげんの容体などを弟達に話して置いて間もなく直次の家を辞して行った。その晩から、おげんは直次の養母の側に窮屈な思いをして寝ることに成ったが、朝も暗いうちから起きつけた彼女は早くから眼が覚めてしまって、なかなか自分の娘の側に眠るようなわけにはいかなかった。静かに寝床の上で身動きもせずにいるような隣のおばあさんの側で枕もとの煙草盆を引きよせて、寝ながら一服吸うさえ彼女には気苦労であった。のみならず、上京して二日経ち、三日経ちしても、弟達はまだ彼女の相談に乗ってくれなかった。成程、弟達は久しぶりで姉弟三人一緒になったことを悦んでくれ、姉の好きそうなものを用意しては食膳の上のことまで心配してくれる。しかし、肝心の相談となると首を傾げてしまって、唯々姉の様子を見ようとばかりしていた。おげんに言わせると、この弟達の煮え切らない態度は姉を侮辱するにも等しかった。彼女は小山の家の方の人達から鋏を隠されたり小刀を隠されたりしたことを切なく思ったばかりでなく、肉親の弟達からさえ用心深い眼で見られることを悲しく思った。何のための上京か。そんなことぐらいは言わなくたって分っている、と彼女は思った。
到頭、おげんは弟達の居るところで、癇癪を破裂させてしまった。
「こんなに多勢弟が揃っていながら、姉一人を養えないとは――呆痴め」
その時、おげんは部屋の隅に立ち上って、震えた。彼女は思わず自分の揚げた両手がある発作的の身振りに変って行くことを感じた。弟達は物も言わずに顔を見合せていた。
「これは少しおかしかったわい」
とおげんは自分に言って見て、熊吉の側に坐り直しながら、眩暈心地の通り過ぎるのを待った。金色に光った小さな魚の形が幾つとなく空なところに見えて、右からも左からも彼女の眼前に乱れた。
こんなにおげんの激し易くなったことは、酷く弟達を驚かしたかわりに、姉としての威厳を示す役にも立った。弟達が彼女のためにいろいろと相談に乗ってくれるように成ったのも、それからであった。彼女はまた何時の間にか一時の怒りを忘れて行った。
矢張り弟達は弟達で、自分のために心配していてくれると思うようにも成って行った。
ある日、おげんは熊吉に誘われて直次の家を出た。最早十月らしい東京の町の空がおげんの眼に映った。弟の子供達を悦ばせるような沢山な蜻蛉が秋の空気の中を飛んでいた。熊吉が姉を連れて行って見せたところは、直次の家から半町ほどしか離れていないある小間物屋の二階座敷で、熊吉は自分用の仮の仕事場に一時そこを借りていた。そこから食事の時や寝る時に直次の家の方へ通うことにしてあった。
「でも秋らしくなりましたね。駒形の家を思出しますね」
と弟は言った。駒形の家とは、おげんの亡くなった伜が娵と一緒にしばらく住んだ家で、おげんに取っても思出の深いところであった。
「どうかすると私はまだ船にでも揺られているような気のすることも有りますよ。直さんの家の廊下が船の甲板で、あの廊下から見える空が海の空で、家ごと動いているような気のして来ることも有りますよ」
とまた弟はおげんに言って見せて、更に言葉をつづけて、
「姉さんも今度出ていらしって見て、おおよそお解りでしょう。直さんの家でも骨の折れる時ですよ。それは倹約にして暮してもいます。そういうことを想って見なけりゃ成りません。私も東京に自分の家でも見つけましたら、そりゃ姉さんに来て頂いてもようござんす。もう少し気分を落着けるようにして下さい」
「落着けるにも、落着けないにも、俺は別に何処も悪くないで」とおげんの方では答えた。「唯、何かこう頭脳の中に、一とこ引ッつかえたようなところが有って、そこさえ直れば外にもう何処も身体に悪いところはないで」
「そうですかなあ」
「俺を病人と思うのが、そもそも間違いだぞや」
「なにしろ、あなたのところの養子もあの通りの働き手でしょう。あの養子を助けて、家の手伝いでもして、時には姉さんの好きな花でも植えて、余生を送るという気には成れないものですかなあ」
「熊吉や、それは自分の娘でも満足な身体で、その娘に養子でもした人に言うことだぞや。あの旦那が亡くなってから、俺はもう小山の家に居る気もしなくなったよ。それに、お新のような娘を持って御覧。まあ俺のような親の身になって見てくれよ。お前のとこの細君も、まだ達者でいる時分に、この俺に言ったことが有るぞや。『どんなに自分は子供が多勢あっても、自分の子供を人にくれる気には成らない』ッて。それ見よ、女というものはそういうものだぞ。うん、そこだ――そこだ――それだによって、どんな小さな家でもいいから一軒東京に借りて貰って、俺はお新と二人で暮したいよ。お前は直次と二人で心配してくれ。頼むに。月に三四十円もあったら俺は暮らせると思う」
「そんなことで姉さんが遣って行けましょうか。姉さんはくら有っても足りないような人じゃないんですか」
「莫迦こけ。お前までそんなことを言う。なんでもお前達は、俺が無暗とお金を使いからかすようなことを言う。俺に小さな家でも持たして御覧。いくら要らすか」
「どっちにしても、あなたのところの養子にも心配させるが好うござんすサ」
「お前はそんな暢気なことを言うが、旦那が亡くなった時に俺はそう思った――俺はもう小山家に縁故の切れたものだと思った――」
おげんは弟の仕事部屋に来て、一緒にこんな話をしたが、直次の家の方へ帰って行く頃は妙に心細かった。今度の上京を機会に、もっと東京で養生して、その上で前途の方針を考えることにしたら。そういう弟の意見には従いかねていた。熊吉は帰朝早々のいそがしさの中で、姉のために適当な医院を問合せていると言ったが、自分はそんな病人ではないとおげんは思った。彼女は年と共に口ざみしかったので、熊吉からねだった小遣で菓子を仕入れて、その袋を携えながら小さな甥達の側へ引返して行った。
「太郎も来いや。次郎も来いや。お前さん達があの三吉をいじめると、このおばあさんが承知せんぞい」
とおげんは戯れて、町で買った甘い物を四人の子供に分け、自分でもさみしい時の慰みにした。
上京して一週間ばかり経つうち、おげんはあの蜂谷の医院で経験して来たと同じ心持を直次の家の方でも経験するように成った。「姉さん、姉さん」と直次が言って姉をいたわってくれるほどには、直次の養母や、直次が連合のおさだの受けは何となく好くなかった。おげんは弟の連合が子供の育て方なぞを逐一よく見て、それを母親としての自分の苦心に思い比べようとした。多年の経験から来たその鋭い眼を家の台所にまで向けることは、あまりおさだに悦ばれなかった。
「姉さんはお料理のことでも何でもよく知っていらっしゃる。わたしも姉さんに教えて頂きたい」
とおさだはよく言ったが、その度におさだの眼は光った。
台所は割合に広かった。裏の木戸口から物置の方へ通う空地は台所の前にもいくらかの余裕を見せ、冷々とした秋の空気がそこへも通って来ていた。おげんはその台所に居ながらでも朝顔の枯葉の黄ばみ残った隣家の垣根や、一方に続いた二階の屋根などを見ることが出来た。
「おさださん、わたしも一つお手伝いせず」
とおげんはそこに立働く弟の連合に言った。秋の野菜の中でも新物の里芋なぞが出る頃で、おげんはあの里芋をうまく煮て、小山の家の人達を悦ばしたことを思出した。その日のおげんは台所のしちりんの前に立ちながら、自分の料理の経験などをおさだに語り聞かせるほど好い機嫌でもあった。うまく煮て弟達をも悦ばせようと思うおげんと、倹約一方のおさだとでは、炭のつぎ方でも合わなかった。
おげんはやや昂奮を感じた。彼女は義理ある妹に炭のつぎ方を教えようという心が先で、
「ええ、とろくさい――私の言うようにして見さっせれ」
こう言ったが、しちりんの側にある長火箸の焼けているとも気付かなかった。彼女は掴ませるつもりもなく、熱い火箸をおさだに掴ませようとした。
「熱」
とおさだは口走ったが、その時おさだの眼は眼面におげんの方を射った。
「気違いめ」
とその眼が非常に驚いたように物を言った。おさだは悲鳴を揚げないばかりにして自分の母親の方へ飛んで行った。何事かと部屋を出て見る直次の声もした。おげんは意外な結果に呆れて、皆なの居るところへ急いで行って見た。そこには母親に取縋って泣顔を埋めているおさだを見た。
「ナニ、何でもないぞや。俺の手が少し狂ったかも知れんが、おさださんに火傷をさせるつもりでしたことでは無いで」
とおげんは言って、直次の養母にもおさだにも詫びようとしたが、心の昂奮は隠せなかった。直次は笑い出した。
「大袈裟な真似をするない。あいつは俺の方へ飛んで来ないでお母さんの方へ飛んで行った」
とおさだを叱るように言って、復た直次は隣近所にまで響けるような高い声で笑った。
夕方に、熊吉が用達から帰って来るまで、おげんは心の昂奮を沈めようとして、縁先から空の見える柱のところへ行って立ったり、庭の隅にある暗い山茶花の下を歩いて見たりした。年老いた身の寄せ場所もないような冷たく傷ましい心持が、親戚の厄介物として見られような悲しみに混って、制えても制えても彼女の胸の中に湧き上り湧き上りした。熊吉が来て、姉弟三人一緒に燈火の映る食卓を囲んだ時になっても、おげんの昂奮はまだ続いていた。
「今日は女同士の芝居があってね、お前の留守に大分面白かったよ」
と直次は姉を前に置いて、熊吉にその日の出来事を話して無造作に笑った。そこへおさだは台所の方から手料理の皿に盛ったのを運んで来た。
おげんはおさだに、
「なあし、おさださん――喧嘩でも何でもないで。おさださんとはもうこの通り仲直りしたで」
「ええええ、何でもありませんよ」
とおさだの方でも事もなげに笑って、盆の上の皿を食卓へと移した。
「うん、田舎風の御馳走が来たぞ。や、こいつはうまからず」
と直次も姉の前では懐しい国言葉を出して、うまそうな里芋を口に入れた。その晩はおげんは手が震えて、折角の馳走もろくに咽喉を通らなかった。
熊吉は黙し勝ちに食っていた。食後に、おげんは自分の側に来て心配するように言う熊吉の低い声を聞いた。
「姉さん、私と一緒にいらっしゃい――今夜は小間物屋の二階の方へ泊りに行きましょう」
おげんは点頭いた。
暗い夜が来た。おげんは熊吉より後れて直次の家を出た。遠く青白く流れているような天の川も、星のすがたも、よくはおげんの眼に映らなかった。弟の仕事部屋に上って見ると、姉弟二人の寝道具が運ばさせてあって、おげんの分だけが寝るばかりに用意してあった。おげんは寝衣を着かえるが早いか、いきなりそこへ身を投げるようにして、その日あった出来事を思い出して見ては深い溜息を吐いた。
「熊吉――この俺が何と見える」
とおげんは床の上に座り直して言った。熊吉は机の前に坐りながら姉の方を見て、
「姉さんのようにそう昂奮しても仕方がないでしょう。それよりはゆっくりお休みなさい」
「うんにゃ。この俺が何と見えるッて、それをお前に聞いているところだ。みんな寄ってたかって俺を気違い扱いにして」
急に涙がおげんの胸に迫って来た。彼女は、老い痩せた手でそこにあった坊主枕を力まかせに打った。
「憚りながら――」とおげんはまた独りでやりだした。「御霊さまが居て、この年寄を守っていてくださるよ。そんな皆の思うようなものとは違うよ。たいもない。御霊さまはお新という娘をも守っていて下さる。この母が側に附いていてもいなくても、守っていて下さる。――何の心配することが要らすか。どうかすると、この母の眼には、あの智慧の足りない娘が御霊さまに見えることもある――」
熊吉はしばらく姉を相手にしないで、言うことを言わせて置いたが、やがてまたおげんの方を見て、
「姉さんも小山の家の方に居て、何か長い間に見つけたものは有りませんでしたか。姉さんもお父さんの娘でしょう。あのお父さんは歌を読みました。飛騨の山中でお父さんの読んだ歌には、なかなか好いのが有りますぜ。短い言葉で、不器用な言い廻しで、それでもお父さんの旅の悲しみなどがよく出ていますよ。姉さんにもああいうことがあったら、そんなに苦しまずにも済むだろうかと思うんですが」
「俺は歌は読まん。そのかわり若い時分からお父さんの側で、毎日のようにいろいろなことを教わった。聞いて見ろや、何でも俺は言って見せるに――何でも知ってるに――」
次第に戸の外もひっそりとして来た。熊吉は姉を心配するような顔付で、おげんの寝床の側へ来て坐った。熊吉は黙って煙草ばかりふかしていた。おげんの内部に居る二人の人が何時の間にか頭を持上げた。その二人の人が問答を始めた。一人が何か独言を言えば、今一人がそれに相槌を打った。
「熊吉はどうした。熊吉は居ないか」
「居る」
「いや、居ない」
「いや、居る」
「あいつも化物かも知れんぞ」
「化物とは言ってくれた」
「姉の気も知らないで、人を馬鹿にしてけつかって、そんなものが化物でなくて何だぞ」
こういう二人の人は激しく相争うような調子にも成った。
「しッ――黙れ」
「黙らん」
「何故、黙らんか」
「何故でも、黙らん――」
同じ人が裂けて、闘おうとした。生命の焔は恐ろしい力で燃え尽きて行くかのような勢を示した。おげんは自分で自分を制えようとしても、内部から内部からと押出して来るようなその力をどうすることも出来なかった。彼女はひどく嘆息して、そのうちに何か微吟して見ることを思いついた。ある謡曲の中の一くさりが胸に浮んで来ると、彼女は心覚えの文句を辿り辿り長く声を引いて、時には耳を澄まして自分の嘯くような声に聞き入って、秋の夜の更けることも忘れた。
寝ぼけたような鶏の声がした。
「ホウ、鶏が鳴くげな。鶏も眠られないと見えるわい」
とおげんは言って見たが、ふと気がつくと、熊吉はまだ起きて自分の側に坐っていた。彼女はおよそ何時間ぐらいその床の上に呻き続けたかもよく覚えなかった。唯、しょんぼりと電燈のかげに坐っているような弟の顔が彼女の眼に映った。
翌日は熊吉もにわかに奔走を始めた。おげんは弟が自分のために心配して家を出て行ったことを感づいたが、弟の行先が気になった。ずっと以前に一度、根岸の精神病院に入れられた時の厭わしい記憶がおげんの胸に浮んだ。旦那も国から一緒に出て来た時だった。その時にも彼女の方では、どうしてもそんな病院などには入らないと言い張ったが、旦那が入れと言うものだから、それではどうも仕方がないとあきらめて、それから一年ばかりをあの病院に送って来たことがある。その時の記憶が復た帰って来た。おげんはあの牢獄も同様な場所に身を置くということよりも、狂人の多勢居るところへ行って本物のキ印を見ることを恐れた。午後に、熊吉は小石川方面から戻って来た。果して、弟は小間物屋の二階座敷におげんと差向いで、養生園というところへ行ってきたことを言い出した。江戸川の終点まで電車で乗って行くだけでもなかなか遠かったと話した。
「それは御苦労さま。ゆうべもお前は遅くまで起きて俺の側に附いていてくれたのい。お気の毒だったぞや」
こうおげんの方から言うと、熊吉は、額のところに手をあてて、いくらか安心したような微笑を見せた。
「俺にそんなところへ入れという話なら、真平」とまたおげんが言った。「俺はそんな病人ではないで。何だかそんなところへ行くと余計に悪くなるような気がするで」
「姉さんはそういうけれど、私の勧めるのは養生園ですよ。根岸の病院なぞとは、病院が違います。そんなに悪くない人が養生のために行くところなんですから、姉さんには丁度好かろうかと思うんです。今日は私も行って見て来ました。まるで普通の家でした。そこに広い庭もあれば、各自の部屋もあれば、好いお薬もある。明日にも姉さんが行きさえすれば、入れるばかりにして来ました。保養にでも出掛けるつもりで行って見たら、どうです」
「熊吉や、そんなことを言わないで、小さな家でも一軒借りることを心配してくれよ。俺は病院なぞへ入る気には成らんよ」
「しかし姉さんだっても、いくらか悪いぐらいには自分でも思うんでしょう。すっかり身体を丈夫にして下さい。家を借りる相談なぞは、その上でも遅かありません」
「いや、どうしても俺は病院へ行くことは厭だ」
こう言っておげんは聞入れなかった。
「ああああ、そんなつもりでわざわざ国から出て来すか」
とまた附けたした。
しかし、熊吉は姉の養生園行を見合せないのみか、その翌日の午後には自分でも先ず姉を見送る支度をして、それからおげんのところへ来た。熊吉は姉の前に手をついて御辞儀した。それほどにして勧めた。おげんはもう嘆息してしまって、肉親の弟が入れというものなら、それではどうも仕方がないと思った。おげんはそこに御辞儀した弟の頭を一つぴしゃんと擲って置いて、弟の言うことに従った。
その足でおげんは小間物屋の二階を降りた。入院の支度するために直次の家へと戻った。彼女はトボケでもしないかぎり、どの面をさげて、そんな養生園へ行かれようと考えた。丁度、国から持って来た着物の中には、胴だけ剥いで、別の切地をあてがった下着があった。丹精して造ったもので、縞柄もおとなしく気に入っていた。彼女はその下着をわざと風変りに着て、その上に帯を締めた。
直次の娘から羽織も掛けて貰って、ぶらりと二番目の弟の家を出たが、とかく、足は前へ進まなかった。
小間物屋のある町角で、熊吉は姉を待合せていた。そこには腰の低い小間物屋のおかみさんも店の外まで出て、おげんの近づくのを待っていて、
「御隠居さま、どうかまあ御機嫌よう」
と手を揉み揉み挨拶した。
熊吉は往来で姉の風体を眺めて、子供のように噴飯したいような顔付を見せたが、やがて連立って出掛けた。町で行逢う人達はおげんの方を振返り振返りしては、いずれも首を傾げて行った。それを知る度におげんはある哀しい快感をさえ味わった。漠然とした不安の念が、憂鬱な想像に混って、これから養生園の方へ向おうとするおげんの身を襲うように起って来た。町に遊んでいた小さな甥達の中にはそこいらまで一緒に随いて来るのもあった。おげんは熊吉の案内で坂の下にある電車の乗場から新橋手前まで乗った。そこには直次が姉を待合せていた。直次は熊吉に代って、それから先は二番目の弟が案内した。
小石川の高台にある養生園がこうしたおげんを待っていた。最後の「隠れ家」を求めるつもりで国を出てきたおげんはその養生園の一室に、白い制服を着た看護婦などの廊下を往来する音の聞えるところに、年老いた自分を見つけるさえ夢のようであった。病室は長い廊下を前にして他の患者の居る方へ続いている。窓も一つある。あのお新を相手に臥たり起きたりした小山の家の奥座敷に比べると、そこで見る窓はもっと深かった。
養生園に移ってからのおげんは毎晩薬を服んで寝る度に不思議な夢を辿るように成った。病室に眼がさめて見ると、生命のない器物にまで陰と陽とがあった。はずかしいことながら、おげんはもう長いこと国の養子夫婦の睦ましさに心を悩まされて、自分の前で養子の噂をする何でもない娵の言葉までが妬ましく思われたこともあった。今度東京へ出て来て直次の養母などに逢って見ると、あの年をとっても髪のかたちを気にするようなおばあさんまでが恐ろしい洒落者に見えた。皆、化物だと、おげんは考えた。熊吉の義理ある甥で、おげんから言えば一番目の弟の娘の旦那にあたる人が逢いに来てくれた時にすら、おげんはある妬ましさを感じて、あの弟の娘はこんな好い旦那を持つかとさえ思ったこともあった。そのはずかしい心持で病室の窓から延び上って眺めると、時には庭掃除をする男がその窓の外へ来た。おげんはそんな落葉を掃き寄せる音の中にすら、女を欺しそうな化物を見つけて、延び上り延び上り眺め入って、自分で自分の眼を疑うこともあった。
ある夕方が来た。おげんはこの養生園へ来てから最早幾日を過したかということもよく覚えなかった。廊下づたいに看護婦の部屋の側を通って、黄昏時の庭の見える硝子の近くへ行って立った。あちこちと廊下を歩き廻っている白い犬がおげんの眼に映った。狆というやつで、体躯つきの矮小な割に耳の辺から冠さったような長い房々とした毛が薄暗い廊下では際立って白く見えた。丁度そこへ三十五六ばかりになる立派な婦人の患者が看護婦の部屋の方から廊下を通りかかった。この婦人の患者はある大家から来ていて、看護婦はじめ他の患者まで、「奥様、奥様」と呼んでいた。
「お通り下さい」
とおげんは奥様の方へ右の手をひろげて見せた。その時、奥様はすこしうつ向き勝ちに、おげんの立っている前を考え深そうな足どりで静かに通り過ぎた。見ると、そこいらに遊んでいた犬が奥様の姿を見つけて、長い尻尾を振りながら後を追った。
「小山さん、お部屋の方へお膳が出ていますよ」
と呼ぶ看護婦の声に気がついて、おげんはその日の夕飯をやりに自分の部屋へ戻った。
廊下を歩む犬の足音は、それからおげんの耳につくように成った。看護婦が早く敷いてくれる床の中に入って、枕に就いてからも、犬の足音が妙に耳についてよく眠られなかった。おげんは小さな獣の足音を部屋の障子の外にも、縁の下にも聞いた。彼女はあの奥様の眠っている部屋の床板の下あたりを歩き廻る白い犬のかたちを想像でありありと見ることも出来た。八つ房という犬に連添って八人の子を産んだという伏姫のことなぞが自然と胸に浮んで来た。おげんはまだ心も柔く物にも感じ易い若い娘の頃に馬琴の小説本で読み、北斎の揷画で見た伏姫の物語の記憶を辿って、それをあの奥様に結びつけて想像して見た。この想像から、おげんはいいあらわし難い恐怖を誘われた。
「小山さん、弟さんですよ」
と、ある日、看護婦が熊吉を案内して来た。おげんは待ち暮らした弟を、自分の部屋に見ることが出来た。
「今日は江戸川の終点までやって来ましたら、あの電車を降りたところに私の顔を知った車夫が居ましてね、しきりに乗れ、乗れって勧めましたっけ。今日はここまで歩きました」
こう熊吉は言って、姉の見舞に提げて来たという菓子折をそこへ取出した。
「静かなところじゃ有りませんか。」
とまた弟は姉のために見立てた養生園がさも自分でも気に入ったように言って見せた。
「どれ、何の土産をくれるか、一つ拝見せず」
とおげんは新しい菓子折を膝に載せて、蓋を取って見た。病室で楽しめるようにと弟の見立てて来たらしい種々な干菓子がそこへ出て来た。この病室に置いて見ると、そんな菓子の中にも陰と陽とがあった。おげんはそれを見て、笑いながら、
「こないだ、お玉が見舞に来てくれた時のお菓子が残っているで、これは俺がまた後で、看護婦さんにも少しずつ分けてやるわい」
お玉とは、おげんが一番目の弟の宗太の娘の名だ。お玉夫婦は東京に世帯を持っていたが、宗太はもう長いこと遠いところへ行っていた。おげんはその宗太の娘から貰った土産の蔵ってある所をも熊吉に示そうとして、部屋の戸棚についた襖までも開けて見せた。それほどおげんには見舞に来てくれる親戚がうれしかった。おげんは又、弟からの土産を大切にして、あちこちと部屋の中を持ち廻った。
「熊吉や」とおげんは声を低くして、「この養生園には恐い奥様がいるぞや。患者の中で、奥様が一番こわい人だぞや。多分お前も廊下で見掛けただらず。奥様が犬を連れていて、その犬がまた気味の悪い奴よのい。誰の部屋へでも這入り込んで行く。この部屋まで這入って来る。何か食べる物でも置いてやらないと、そこいら中あの犬が狩りからかす」
と言いかけて、おげんは弟の土産の菓子を二つ三つ紙の上に載せ、それを部屋の障子の方へ持って行った。しばらくおげんは菓子を手にしたまま、障子の側に立って、廊下を通る物音に耳を澄ました。
「今に来るぞや。あの犬が嗅ぎつけて来るぞや。こうしてお菓子を障子の側に置きさえすれば、もう大丈夫」
おげんは弟に笑って見せた。その笑いはある狡猾な方法を思いついたことを通わせた。彼女は敷居の近くにその菓子を置いて、忍び足で弟の側へ寄った。
「姉さん、障子をしめて置いたら、そんな犬なんか入って来ますまいに」と熊吉は言った。
「ところが、お前、どんな隙間からでも入って来る奴だ。何時の間にか忍び込んで来るような奴だ。高い声では言われんが、奥様が産んだのはあの犬の子だぞい。俺はもうちゃんと見抜いている――オオ、恐い、恐い」
とおげんはわざと身をすぼめて、ちいさくなって見せた。
熊吉は犬の話にも気乗りがしないで、他に話題をかえようとした。弟はこの養生園の生活のことで、おげんの方で気乗りのしないようなことばかり話したがった。でもおげんは弟を前に置いて、対い合っているだけでも楽みに思った。
やがて熊吉はこの養生園の看護婦長にでも逢って、姉のことをよく頼んで行きたいと言って、座を起ちかけた。
「熊吉、そんなに急がずともよからず」
とおげんは言って、弟を放したくなかった。
彼女は無理にも引留めたいばかりにして、言葉をついだ。
「こんなところへ俺を入れたのはお前だぞや。早く出すようにしてくれよ」
それを聞いて熊吉は起ちあがった。見舞いに来る親戚も、親戚も、きっと話の終りには看護婦に逢って行くことを持出して、何時の間にか姿を隠すように帰って行くのが、おげんに取っては可笑しくもあり心細くもあった。この熊吉が養生園の応接間の方から引返して来て、もう一度姉の部屋の外で声を掛けた時は、おげんもそこまで送りに出た。
多勢で広い入口の部屋に集まって、その日の新聞なぞをひろげている看護婦達の顔付も若々しかった。丁度そこへ例の奥様も顔を見せた。
「これが弟でございます」
とおげんは熊吉が編上げの靴の紐を結ぶ後方から、奥様の方へ右の手をひろげて見せた。弟が出て行った後でも、しばらくおげんはそこに立ちつくした。
「きっと熊吉は俺を出しに来てくれる」
とおげんは独りになってから言って見た。
翌朝、看護婦はおげんのために水薬の罎を部屋へ持って来てくれた。
「小山さん、今朝からお薬が変りましたよ」
という看護婦の声は何となくおげんの身にしみた。おげんは弟の置いて行った土産を戸棚から取出して、それを看護婦に分け、やがてちいさな声で、
「あの奥様の連れている犬が、わたしは恐くて、恐くて」
と言って見せた。看護婦は不思議そうにおげんの顔を眺めて、
「そんな犬なんか何処にも居ませんよ」
こう言って部屋を出て行った。
その時の看護婦の残して行った言葉には、思い疲れたおげんの心をびっくりさせるほどの力があった。
「俺もどうかしているわい」
思わずおげんはそこへ気がついた。しかし、あんなことを言って見せて悪戯好きな若い看護婦が患者相手の徒然を慰めようとするのだ、とおげんは思い直した。あの犬は誰の部屋へでも構わず入り込んで来るような奴だ。小さな犬のくせに、どうしてそんな人間の淫蕩の秘密を覚えたかと思われるような奴だ。亡くなった旦那が家出の当時にすら、指一本、人にさされたことのないほど長い苦節を守り続けて来た女の徳までも平気で破りに来ようという奴だ。そう考えると、おげんはこの養生園に居ることが遽に恐ろしくなった。夕方にでもなって、他の患者が長い廊下をあちこちと歩いている時に、養生園の庭の見える硝子障子のところへ立って見ると、「そんな犬なんか居ませんよ」と言った看護婦の言葉は果して人をこまらせる悪戯と思われた。あの奥様の後をよく追って歩いて長い裾にまつわり戯れるような犬が庭にでも出て遊ぶ時と見えた。おげんは夢のような蒼ざめた光の映る硝子障子越しに、白い犬のすがたをありありと見た。
寒い、寒い日が間もなくやって来るように成った。待っても、待っても、熊吉は姉を迎えに来てくれなかった。見舞に来る親戚の足も次第に遠くなって、直次も、直次の娘も、めったに養生園へは顔を見せなかった。おげんは小山の家の方で毎年漬物の用意をするように、病室の入口の部屋に近い台所に出ていた。彼女の心は山のように蕪菜を積み重ねた流し許の方へ行った。青々と洗われた新しい蕪菜が見えて来た。それを漬ける手伝いしていると、水道の栓から滝のように迸り出る水が流し許に溢れて、庭口の方まで流れて行った。おげんは冷たい水に手を浸して、じゃぶじゃぶとかき廻していた。
看護婦は驚いたように来て見て、大急ぎで水道の栓を止めた。
「小山さん、そんな水いじりをなすっちゃ、いけませんよ。御覧なさいな、お悪戯をなさるものだから、あなたの手は皸だらけじゃありませんか」
と看護婦に叱られて、おげんはすごすごと自分の部屋の方へ戻って行った。その夕方のことであった。おげんは独りでさみしく部屋の火鉢の前に坐っていた。
「小山さん、お客さま」
と看護婦が声を掛けに来た。思いがけない宗太の娘のお玉がそこへ来てコートの紐を解いた。
「伯母さんはまだお夕飯前ですか」とお玉が訊いた。
「これからお膳が出るところよのい」とおげんは姪に言って見せた。
「それなら、わたしも伯母さんと御一緒に頂くことにしましょう。わたしの分も看護婦さんに頼みましょう」
「お玉もめずらしいことを言出したぞや」
「実は伯母さん、今日は熊叔父さんのお使に上りましたんですよ。わたしが伯母さんのお迎えに参りましたんですよ」
しばらくおげんは姪の顔を見つめたぎり、物も言えなかった。
「お玉はこのおばあさんを担ぐつもりずらに」
とおげんは笑って、あまりに突然な姪の嬉しがらせを信じなかった。
しかし、お玉が迎えに来たことは、どうやら本当らしかった。悩ましいおげんの眼には、何処までが待ちわびた自分を本当に迎えに来てくれたもので、何処までが夢の中に消えていくような親戚の幻影であるのか、その差別もつけかねた。幾度となくおげんはお玉の顔をよく見た。最早二人の子持になるとは言っても変らず若くているような姪の顔をよく見た。そのうちに、看護婦はお玉の方で頼んだ分をも一緒に、膳を二つそこへ運んで来た。おげんはめずらしい身ぶるいを感じた。二月か三月が二年にも三年にも当るような長い寂しい月日を養生園に送った後で、復た弟の側へ行かれる日の来たことは。
食後に、お玉は退院の手続きやら何やらでいそがしかった。にわかにおげんの部屋も活気づいた。若い気軽な看護婦達はおげんが退院の手伝いするために、長い廊下を往ったり来たりした。
「小山さん、いよいよ御退院でお目出とうございます」
と年嵩な看護婦長までおげんを見に来て悦んでくれた。
「では、伯母さん、御懇意になった方のところへ行ってお別れなすったらいいでしょうに。伯母さんのお荷物はわたしが引受けますから」
「そうせずか。何だか俺は夢のような気がするよ」
おげんは姪とこんな言葉をかわして、そこそこに退院の支度をした。自分でよそゆきの女帯を締め直した時は次第に心の昂奮を覚えた。
「もうお俥も来て待っておりますよ。そんなら小山さん、お気をつけなすって」
という看護婦長の声に送られて、おげんは病室を出た。
黒い幌を掛けた俥は養生園の表庭の内まで引き入れてあった。おげんが皆に暇乞いして、その俥に乗ろうとする頃は、屋外は真暗だった。霜にでも成るように寒い晩の空気はおげんの顔に来た。暗い庭の外まで出て見送ってくれる人達の顔や、そこに立つ車夫の顔なぞが病室の入口から射す燈火に映って、僅かにおげんの眼に光って見えた。間もなくおげんを乗せた俥はごとごと土の上を動いて行く音をさせて養生園の門から離れて行った。
町の燈火がちらちら俥の上から見えるまでに、おげんは可成暗い静かな道を乗って行った。彼女は東京のような大都会のどの辺を乗って行くのか、何処へ向って行くのか、その方角すらも全く分らなかった。唯、幌の覗き穴を通して、お玉を乗せた俥の先に動いて行くのと、町の曲り角へでも来た時に前後の車夫が呼びかわす掛声とで、広々としたところへ出て行くことを感じた。さんざん飽きるほど乗って、やがて俥はある坂道の下にかかった。知らない町の燈火は夜見世でもあるように幌の外にかがやいた。俥に近く通り過ぎる人の影もあった。おげんは何がなしに愉快な、酔うような心持になって来た。弟も弟の子供達も自分を待ちうけていてくれるように思われて来た。昂奮のあまり、おげんは俥の上で楽しく首を振って、何か謡曲の一ふしも歌って見る気に成った。こういう時にきまりで胸に浮んで来る文句があったから、彼女はそれを吟じ続けて、好い機嫌で坂を揺られて行った。しまいには自分で自分の声に聞き惚れて、町の中を吟じて通ることも忘れるほど夢中になった。
漸く俥はある町へ行って停った。
「御隠居さん、今日はお目出度うございます」
と祝ってくれる車夫の声を聞いて、おげんは俥から降りた。
その時はおげんもさんざん乗って行った俥に草臥れていた。早く弟の家に着いて休みたいと思う心のみが先に立った。玄関には弟の家で見かけない婆やが出迎えて、
「さあ、お茶のお支度も出来ておりますよ」
と慣れ慣れしく声を掛けてくれた。
おげんはその婆やの案内で廊下を通った。弟の見つけた家にしては広過ぎるほどの部屋々々の間を歩いて行くと、またその先に別の長い廊下が続いていた。ずんずん歩いて行けば行くほど、何となく見覚えのある家の内だ。その廊下を曲ろうとする角のところに、大きな鋸だの、厳めしい鉄の槌だの、その他、一度見たものには忘れられないような赤く錆びた刃物の類が飾ってある壁の側あたりまで行って、おげんはハッとした。
弟の家の婆やとばかり思っていた婦人の顔は、よく見ればずっと以前に根岸の精神病院で世話になったことのある年とった看護婦の顔であった。一緒に俥で来たと思ったお玉も何処へか消えた。
「何だか狐にでもつままれたような気がする」
とおげんは歩きながら独りでそう言って見た。
「小山さん、しばらく」
と言っておげんの側へ飛んで来たのは、まがいのない白い制服を着けた中年の看護婦であった。そこまで案内した年とった婦人は、その看護婦におげんを引渡して置いて、玄関の方へ引返して行った。そこの廊下でおげんが見つけるものは、壁でも、柱でも、桟橋でも、皆覚えのあるものばかりであった。
「ここは何処だらず。一体、俺は何処へ来ているのだずら」
「小山さんも覚えが悪い。ここは根岸の病院じゃありませんか。あなたが一度いらしったところじゃ有りませんか」
おげんは中年の看護婦と言葉をかわして見て、電気にでも打たれるような身ぶるいが全身を通り過ぎるのを覚えた。
翌朝になると、おげんは多勢の女の患者ばかりごちゃごちゃと集まって臥たり起きたりする病院の大広間に来ていた。夢であってくれればいいと思われるような、異様な感じを誘う年とった婦人や若い婦人がそこにもここにもごろごろして思い思いの世界をつくっていた。その時になって見て、おげんはあの小石川の養生園から誘い出されたことも、自分をここの玄関先まで案内して来た姪のお玉が何時の間にか姿を隠したことも、一層はっきりとその意味を読んだ。
「しまった」
とおげんは心に叫んだが、この時は最早追付かなかった。
見ず知らずの人達と一緒ではあるが患者同志が集団として暮して行くこと、旧い馴染の看護婦が二人までもまだ勤めていること、それに一度入院して全快した経験のあること――それらが一緒になって、おげんはこの病院に移った翌日から何となく別な心地を起した。勝手を知ったおげんは馴染も薄い患者ばかり居る大広間から抜け出して、ある特別な精神病者を一人置くような室の横手から、病院の広い庭の見える窓の方へ歩いて行って見た。立派な丸髷に結った何処かの細君らしい婦人で、新入の患者仲間を迎え顔におげんの方へ来て、何か思いついたように恐ろしく丁寧なお辞儀をして行くのもあった。
寒い静かな光線はおげんの行く廊下のところへ射して来ていて、何となく気分を落着かせた。その突当りには、養生園の部屋の方で見つけたよりもっと深い窓があった。
「俺はこんなところへ来るような病人とは違うぞい。どうして俺をこんなところへ入れたか」
「さあ、俺にも分らん」
おげんの中に居る二人の人は窓の側でこんな話を始めた。
「熊吉はどうした」
「熊吉も、どうぞお願いだから、俺に入っていてくれと言うげな」
「小山の養子はどうした」
「養子か。あれも、俺に出て来て貰っては困ると言うぞい」
「直次はどうした」
「あれもそうだ」
「お玉はどうした」
「あれは俺を欺して連れて来て置いて」
「みんなで寄ってたかって俺を狂人にして、こんなところへ入れてしまった。盲目の量見ほど悲しいものはないぞや」
おげんは嘆息してしまった。あの車夫がこの玄関先で祝ってくれた言葉、「御隠居さん、今日はお目出とうございます」はおげんの耳に残っていて、冷たかった。どうして自分はこんなところへ来なければ成らなかったか、それを考えておげんは自分で自分を疑った。
晩年を暗い座敷牢の中で送った父親のことがしきりとおげんの胸に浮んで来た。父の最後を思う度におげんは何処までも気を確かに持たねば成らないと考えた。どうかしてあの父のようには成って行きたくないと考えた。それにはなるべく父のことに触らないように。同じ思出すにしても、父の死際のことには触らないように。これはもう長い年月の間、おげんが人知れず努めて来たことであった。生憎とその思出したばかりでも頭脳の痛くなるようなことが、しきりに気に掛った。ある日も、おげんは廊下の窓のところで何時の間にか父の前に自分を持って行った。
青い深い竹藪がある。竹藪を背にして古い米倉がある。木小屋がある。その木小屋の一部に造りつけた座敷牢の格子がある。そこがおげんの父でも師匠でもあった人の晩年を過したところだ。おげんは小山の家の方から、発狂した父を見舞いに行ったことがある。父は座敷牢に入っていても、何か書いて見たいと言って、紙と筆を取寄せて、そんなに成っても物を書くことを忘れなかった。「おげん、ここへ来さっせれ、一寸ここへ来さっせれ」と父がしきりに手招きするから、何か書いたものでも見せるのかと思って、行くと、父は恐ろしい力でおげんを捉えようとして、もうすこしでおげんの手が引きちぎられるところであった。父は髭の延びた蒼ざめた顔付で、時には「あはは、あはは」笑って、もうさんざん腹を抱えて反りかえるようにして、笑って笑い抜いたかと思うと、今度は暗い座敷牢の格子に取りすがりながら、さめざめと泣いた。
「お父さま――お前さまの心持は、この俺にはよく解るぞなし。俺もお前さまの娘だ。お前さまに幼少な時分から教えられたことを忘れないばかりに――俺もこんなところへ来た」
おげんはそこに父でも居るようにして、独りでかき口説いた。狂死した父をあわれむ心は、眼前に見るものを余計に恐ろしくした。彼女は自分で行きたくない行きたくないと思うところへ我知らず引き込まれて行きそうに成った。ここはもう自分に取っての座敷牢だ。それを意識することは堪えがたかった。
おげんは父が座敷牢の格子のところで悲しみ悶えた時の古歌も思出した。それを自分でも廊下で口ずさんで見た。
「きりぎりす
啼くや霜夜の
さむしろに、
ころもかたしき
独りかも寝む……」
最早、娘のお新も側には居なかった。おげんは誰も見ていない窓のところに取りすがって、激しく泣いた。
* * *
三年ほど経って、おげんの容体の危篤なことが病院から直次の家へ伝えられた。おげんの臨終には親類のものは誰も間に合わなかった。
養生園以来、蔭ながら直次を通してずっと国から仕送りを続けていた小山の養子もそれを聞いて上京したが、おげんの臨終には間に合わなかった。おげんは根岸の病院の別室で、唯一人死んで行った。
まだ親戚は誰も集まって来なかった。三年の間おげんを世話した年とった看護婦は夜の九時過ぎに、亡くなってまだ間もないおげんを見に行って、そこに眠っているような死顔を拭いてやった。両手も胸の上に組合せてやった。その手は、あだかも生前の女のかなしみを掩うかのように見えた。
おげんの養子は直次の娘や子供と連れ立って十時頃に急いで来た。年とった看護婦は部屋を片付けながら、
「小山さんがお亡くなりになる前の日に、頭を剃りたいというお話がありましたっけ。お家の方に聞いてからでなくちゃと言いましてね、それだけは私がお止め申しました。病院にいらっしゃる間は、よくお裁縫なぞもなさいましたっけ」
と親戚のものに話しきかせた。
長いこと遠いところに行っていたおげんの一番目の弟の宗太も、その頃は東京で、これもお玉の旦那と二人で急いで来たが、先着の親戚と一緒になる頃はやがて十一時過ぎであった。
「もう遅いから子供はお帰り。姉さんのお通夜は俺達でするからナ。それにここは病院でもあるからナ」
と宗太が年長者らしく言ったので、直次の娘はおげんの枕もとに白いお団子だの水だのをあげて置いて、子供と一緒に終りの別れを告げて行った。
親戚の人達は飾り一つないような病院風の部屋に火鉢を囲んで、おげんの亡き骸の仮りに置いてある側で、三月の深夜らしい時を送った。おげんが遺した物と云っても、旅人のように極少なかった。養子はそれを始末しながら、
「よくそれでも、こんなところに辛抱したものだ」
と言った。宗太も思出したように、
「姉さんも、俺が一度訪ねて来た時は大分落着いていて、この分ならもうそろそろ病院から出してあげてもいいと思ったよ。惜しいことをした」
「そう言えば熊叔父さんはどうしましたろう」とお玉の旦那が言出した。
「あれのところには通知の行くのが遅かったからね」
と言って見せて、宗太は一つある部屋の窓の方へ立って行った。何もかもひっそりと沈まりかえって、音一つその窓のところへ伝わって来なかった。
「もうそろそろ夜が明けそうなものですなあ」
とお玉の旦那も宗太の方へ立って行って、一緒に窓の戸を開けて見た。根岸の空はまだ暗かった。
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