「靑空語」によせて

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文藝時代十二月號の小説は、林房雄だけが光つてゐる。『牢獄の五月祭』の持つ魅力が他の小説の光りを消すのだ。然し彼の作品の持つ明るさを以て、全世界を獲得すべきプロレタリヤの信念の明るさ、若しくは作者等の戰線を支配してゐる希望の明るさの表現されてゐるものと見ることには賛成できない。それは寧ろ彼自身の文學の持つ明るさである。


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火つきのいゝきり炭のやうな、前者の作風に反して、改造十二月號葉山芳樹『プロレタリヤの乳』は凡そ濕つた薪にも似てゐる。話の本筋が燃えたと思ふと、直ぐそれは作者の亢奮に燻る。それはかの作を甚だ讀みづらくさせてゐる(が作者が讀者を燻さうとしたらしいことは、その本筋は振はないことでも感じられる)。然しそのなかには、「今日も日が暮れやがる」といふやうな得難い融合もある。先蹤を持たない表現の難いことを思ふ。それにしても、プロレタリヤの持つ重々しい力の感じはこの作に於て表現されてゐる。


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文藝城、新思潮、葡萄園、山繭、驢馬等、目星しい同人雜誌の十二月號の出ないのはどうしたことか。


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凡そ同人雜誌は、新しい藝術の苗床であり花床でなければならない。然も今日多數の同人雜誌、同人雜誌作家の大部分は今尚今後幾度のメタモルフオーゼを行はなければ、その發芽にも至らぬやうに思へる。


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漠然とした新人なるものはあり得ない。
 

この著作物は、1932年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。