「あじあ」に乘りて
編集 九時
「おかあさん、行つてまゐります。」
ぼくが手をあげると、母もあげた。窓を開くことができないので、ぼくのこのことばも通じないらしい。母も何かいつてゐるやうだが、こちらにはわからない。「あじあ」は流れるやうに動きだした。ぼくは、この春休みにハルピンのをぢのところへ行くのである。一度乘つてみたいと思つてゐたこの汽車に乘れて、ほんたうにうれしい。
やがて金州にさしかかると、車掌さんが説明する。
「右手は
雪の少い南滿洲の畠はよく耕されて、農家がぼつぼつ見える。
「何を見てゐるの。」
と、後から聲を掛けた者がある。ロシヤ人の女の子だ。
「あのかささぎの巣を見てゐるのさ。」
しかし、「かささぎ」といふ日本語がわからないらしい。「鳥の巣。」といつたら、すぐわかつた。この子は新京へ母と歸るところで、マルタといふ名ださうだ。
「おかあさんは、あそこ。」
と指さしたところに、みどり色の上着を着たロシヤ婦人が本を讀んでゐる。
「昔、母と子と二人暮しの家があつた。むすこは、勉強のため山東へ渡つ
て行つた。何年かたつて、もう歸つて來るころになつたので、年寄つた母
は、毎日毎日望小山へのぼつて待ち續けた。むすこは、一生けんめいに
苦學したかひがあつて、りつぱな身分になり、いよいよ故郷へ歸ることに
なつた。ところが、途中海が荒れて、むすこは船とともに沈んでしまつた。
母は、そんなこととはつゆ知らず、風の日も雪の日も待つてゐたが、とう
とう山の上でなくなつたといふ。」
大石橋で始めて停車した。ホームへ出ると、風がつめたい。車掌さんが、ボーイに、「もう少し、車内の温度をあげてくれたまへ。」といひつけてゐた。
北の方では、二三日前に雪が降つたので、遠い山の峯が白くなつてゐる。何だか空がくもつて來た。
「スタンプを押しませんか。」
ボーイがさういつて來たので、ぼくは、てちやうに「あじあ」のスタンプを二つ押してもらつた。
奉天に着いた。 ここから安東・
雲が切れて、日光がさして來た。雲はしきりに流れて、早春の畠を、野を、そのかげがはつて行く。「あじあ」は、雲のかげを追ひ越したり追ひ越されたりして、滿洲の大平野をまつしぐらに突進す。
やがて、一人の兵隊さんがぼくに、
「あそこの岡を知つてゐるかね。あれは
と、元氣よく話しながら、日にやけた顔で笑つた。向かふの農家に、滿洲國旗がひらめいてゐる。そばで、滿人たちが
「汽車のかげが長くなつた。」
と、マルタがいふ。汽車のかげだけではない。電柱のかげも木のかげも、ずつと延びた。「あじあ」は、一氣に國都新京へせまつて行く。遠く國務院や、關東軍司令部の建物が夕日にはえ、新しい住宅があざやかに見える。
兵隊さんたちは新京で下車した。ぼくがおじぎをすると、みんな元氣よく
「さやうなら。」「さやうなら。」
マルタは、とびあがりながら手を振つた。
大きな赤い夕日が沈むところだ。夕日とぼくとの間には、さへぎるもの一つない。あすまた、お日樣、ごきげんよう。烏の群が地上から飛びあがつた。薄むらさきの夕空には、ばら色の雲がたなびいた。それを見てゐたら、母を思ひ出した。夕食して、母に手紙を書かうと思つて、食堂車へ行つた。
ふと氣がつくと、「あじあ」はいつのまにか町へはいつてゐた。さうして、時間表通り二十一時三十分に、ハルピン驛にぴたりと停車した。ぼくが急いでおりると、突然、
「やあ、よく來たね。一人でよく來たね。」
と、をぢの聲。ぼくの手は、がつしりとにぎられてゐた。
眞冬のやうに寒い夜だ。空には、半月がさえかへつてゐた。