Page:Shisekisyūran17.pdf/754

このページは校正済みです

院の御願所と號せらる、此所は一切在家をましへす、今の在家ハ此當寺境內なり、殺生禁斷の浦なりし、漁村なとゝ申ものィ无一人もなし、時うつり國一度亂れ、寺廢亡して再ひいにしへにかへらず、庄園悉落て、武家押領の地と也、房跡ハ漁人の栖家となり、院ハ跡なく海士の小家數そひ、當寺界外の下郞ともハ、武家の手に付き、門外に有なから、かへりィてかれらか顏色を窺ふありさまおもひやるへし、佛前の燈もほそく、朝夕の煙もたえかち也と、老僧達三人かたられけるに、袖をうるほしつ、むかし船つかはして、一切經をも異國より取渡し、其外俗書外典とも、世にたぐひすくなき本とも、金澤文庫と書付あるハ、當寺より紛失したるなりとかたらる、經藏もこほれぬれハ、本堂に一切經をばこめおくと也、寺の致境を見めくらしぬれハ、山かこみ古木そひへたつて、松杉の𨻶「ことにィ」秋よりけなる紅葉のほのめきて靑地なる錦をはりたらんハ、かゝるへきかなといひあへり、

何とたゝ空に時雨のふりわけて染る楓に交る松杉

堂前の池にハ蓮のふる葉みたれ合、冬の水ひやゝかに、伽藍の跡ともハ野菜のうねとなり、一の室といへるハ、萱か軒端かたふきて、めくりの房もひゑわたりて、人の音なひもせず、おもへハ却て寂寞無人聲の扉をとぢ、坐禪觀法の床をしめたるに似たり、かく佛法零落の時節、いかなる人か世に出玉ひ、絕たるをつぎすたれたるを起し玉はんか、慈尊三會の曉をたのむばかりなり、世に生れて人のときめきさかへ、何事をなすも、こゝろにまかせ奉らずといふ事なく、いきおひなひきぬるにまかせぬィ事、幾世の因緣をつみてか、果報のかるゝ事ィ无ハいた