国会開会式のおことば (昭和時代)

昭和天皇による国会開会式のおことば(しょうわてんのう による こっかいかいかいしき の おことば)は、昭和天皇が国会開会式において述べた「おことば」である。第1回から第15回までは「勅語」と呼ばれ、第16回から第35回までは「御言葉」、第36回以降は「おことば」に改められた。

なお国事行為の臨時代行により、昭和天皇が国会開会式に臨席できなかった際にその名代としておことばを皇太子明仁親王(当時)が代読した。


第1回国会(特別会)

1947年(昭和22年)6月23日 国会議事堂参議院議場[1]

 本日、第一回國会の開会式に臨み、全國民を代表する諸君と一堂に会することは、わたくしの深く喜びとするところである。
 日本國憲法に明らかであるように、國会は、國権の最高機関であり、國の唯一の立法機関である。したがつて、わが國今後の発展の基礎は、一に國会の正しい運営に存する。
 今や、わが國は、かつてない深刻な経済危機に直面している。この時に当り、われわれ日本國民が眞に一体となつて、この危機を克服し、民主主義に基く平和國家・文化國家の建設に成功することを、切に望むものである。

第2回国会(通常会)

1948年(昭和23年)1月21日 国会議事堂参議院議場[2]

 第二回國会の開会式に臨み、諸君と親しく一堂に会することは、わたくしの深く喜びとするところである。
 現下の深刻な経済危機を打開し、文化國家にふさわしい國民道義の高揚をはかり、民主的、平和的國家を再建し、信を世界に求めることは、われわれ日本國民が果さなければならない最も重大な責務である。
 わたくしは、國会が國権の最高機関としての使命を果すとともに、國民もまた時局を認識し、力をあわせて祖國復興のために各自の最善を盡すことを切に望んでやまない。

第3回国会(臨時会)

1948年(昭和23年)11月8日 国会議事堂参議院議場[3]

 本日、第三回國会の開会式において、全國民を代表する諸君と親しく一堂に会することは、わたくしの深く喜びとするところであります。
 連合國の好意と援助を受けて、國民が、苦難に屈せず、努力を続けて來たために、今日、わが國には、ようやく、復興のきざしが見え、國民生活が物心両面において、安定に近づく希望も持てるようになつてきたことは、諸君とともに、まことに喜びに堪えません。しかし、わが國が、眞に、文化國家としての実質を備え、國際社会の一員として復帰し、全世界の信頼をうるのには、今後もなお、たゆみない努力が必要であると思います。
 この時に当り、わたくしは、國会が國権の最高機関としての使命を、眞に、遺憾なく果すことを望んでやみません。また、國民が互に励まし、互に戒め、平和國家の実現に向つて進むことを、切に望みます。

第4回国会(通常会)

1948年(昭和23年)12月2日 国会議事堂参議院議場[4]

 本日、第四回国会の開会式において、全国民を代表する諸君と親しく一堂に会することは、私の深く喜びとするところであります。
 日本国民は、新憲法の精神に基き、その理想とする民主的文化国家の建設に向かつてたゆみない努力を続けてきました。しかしわが国が、真に、自由を愛する民主国家として、国際社会において名誉ある地位を占めるのには、今後も、私立ちは、ますます努力を続け、その成果を明確な事実として、全世界に示さなければならないと思います。
 わたくしは、国会が、国権の最高機関としての責務を自覚し、その権威を高め、日本国永遠の理想を達成するために、その最善を盡されることを切に望むものであります。

第5回国会(特別会)

1949年(昭和24年)3月19日 国会議事堂参議院議場[5]

 本日、第五回國会の開会式において、全國民を代表する諸君と親しく一堂に会することは、わたくしの深く喜びとするところであります。
 世界永遠の平和を念願する日本國憲法の理想を心とし、民主主義に基く文化國家建設の目的に向かつて、わたくしたちは、著々歩みを進めています。また、連合國の好意と援助を受けて、國民が幾多の苦難に屈せず努力を続けて來たために、今日、國民生活もようやく充実するきざしを見せるようになりましたことは、諸君とともに感謝と喜びに堪えないところであります。しかし、わが國が、國際社会において名誉ある地位を占めるためには、わたくしたちの間に、民主主義が正しく理解され運用されるとともに、わが國民経済が完全に自立し、物心両面において、世界的な水準に達しなければならないと思います。
 わたくしは、この時に当つて、國会が、國権の最高機関として、その最善を盡すことを、また國民のすべてが、たがいに協力して、わが國の理想を完全に達成することを、切に望んでやみません。

第6回国会(臨時会)

1949年(昭和24年)11月1日 国会議事堂参議院議場[6]

 本日、第六回国会の開会式において、諸君と親しく一堂に会することは、わたくしの深く喜びとするところであります。
 今日わが国が、日本国憲法の理想に基き、連合国の好意と援助とにより、着々、民主的文化国家の建設にその実をあげつつあることは、諸君とともにまことに感謝と喜びに堪えません。しかしわが国が、現在なお直面している幾多の社会的経済的困難を打開して、真にその目的を達成し、世界の信頼を得るためには、われわれ日本国民は、今後、更にいつそうの努力をしなければならないと思います。
 わたくしは、この時に当つて、国会が国権の最高機関として、その重要な使命を果すとともに、国民のすべてが、困難を分ち、相協力してわが国の理想達成のために、その最善をつくすことを切に望むものであります。

第7回国会(通常会)

1949年(昭和24年)12月15日 国会議事堂参議院議場[7]

 本日、第七回国会の開会式において、全国民を代表する諸君と親しく一堂に会することは、わたくしの深く喜びするところであります。
 世界永遠の平和を念願する日本国憲法が施行されて以来、わたくしたちは、連合国の好意と援助とを受け、幾多の苦難をのりこえて、民主的文化国家の建設のために努力を続けてきました。その結果、今日、わが国復興のきざしもいちじるしく、真に世界の信頼を得て、国際社会の一員として復帰する希望がもてるようになつたことは、諸君とともにまことに喜びに堪えません。
 この時に当り、わたくしは、国会が国権の最高機関としての使命を遺憾なく果すことを望んでやみません。また国民のすべてが、たがいに協力して、祖国復興のため、いつそうの努力を続けることを望むものであります。

第8回国会(臨時会)

1950年(昭和25年)7月13日 国会議事堂参議院議場[8]

 本日、第八回国会の開会式に臨み、参議院議員通常選挙による新たな議員諸君を加え、全国民を代表する諸君とともに一堂に会することは、わたくしの深く喜びとするところであります。
 世界の永遠の平和を念願する日本国憲法が施行されて以来、引き続き連合国の好意と援助とを受けて、わたくしたちはこの憲法にもられた理想を達成し、民主主義に基く平和な文化国家を建設し、一日も早く国際社会の一員として復帰できることを目標にし、着々努力を重ねてきました。
 しかしながら最近の内外情勢のうちにあつて、よく憲法の諸原則を遵守し、さらにわが国の復興と安定とをもたらし、世界の信頼をかちうるためには、わたくしたものいつそうの努力が必要であります。
 このときに当り、わたくしは、国会が国権の最高機関としての使命を、真に遺憾なく果すとともに、また国民のすべてが互に協力して、道をふみあやまることなく、諸般の困難に打ちかち、わか国の理想を完全に達成することを切に望みます。

第9回国会(臨時会)

1950年(昭和25年)11月22日 国会議事堂参議院議場[9]

 本日、第九回国会の開会式に臨み、全国民を代表する諸君とともに親しく一堂に会することは、わたくしの深く喜びとするところであります。
 今日、わが国が、永遠の平和を念願する日本国憲法のもとに、連合国のかわらない好意と援助を受けて着々と文化的民主国家を建設するための努力を続けていることは、諸君とともにまことに喜びに堪えないところであります。
 今や、わが国が国際社会へ復帰するきざしも、ようやく明らかになつてきました。このときにあたり、国会が、国権の最高機関としての使命を遺憾なく果たし、また全国民が、憲法の諸原則をよく守り、ますますわが国の安定と復興の基礎をかため、世界の信頼を得るために、互に協力して、各自の最善を盡くすことを切に望むものであります。

第10回国会(通常会)

1951年(昭和26年)1月25日 国会議事堂参議院議場[10]

 本日、第十回国会の開会式に臨み、全国民を代表する諸君とともに親しく一堂に会することは、わたくしの深く喜びとするところであります。
 終戰以来すでに五年余の年月をへて、わが国の復興は一だんとその実をあげ、国民の生活も次第に安定のきざしを見るに至りました。このことは、永遠の平和を念願する日本国憲法のもとに、国民が心を一にして努力を続けてきた結果であるとともに、連合国から終始かわらない好意と援助を與えられたことによるものであり、諸君とともにまことに喜びに堪えないところであります。
 世界の情勢はなお変転を続けておりますが、わが国が文化的民主国家として世界の信頼をえて、国際社会の一員として復帰できる日もしだいに近づきつつあるときにあたり、国会が、国権の最高機関としての使命を遺憾なく果し、また全国民が、憲法の諸原則をよく守り、ますますわが国の安定と復興の基礎をかため、互に協力して、各自の最善を尽すことを切に望むものであります。

第11回国会(臨時会)

1951年(昭和26年)8月16日 国会議事堂参議院議場[11]

 本日、第十一回国会の開会式に臨み、全国民を代表する諸君とともに親しく一堂に会することは、わたくしの深く喜びとするところであります。
 戰争終結以来、満六年を迎えた今日、関係諸国の配意によつて、ようやく講和の機が熟し、近く講和会議が開かれる運びとなつたことは諸君とともに喜びに堪えません。
 この間、わが国民が、永遠の平和を念願する日本国憲法のもとに、連合国の終始かわらない好意と援助とを受けて、窮乏に堪え、困苦をしのび、祖国復興の大業に従つてきたことを多とするものであります。
 世界の情勢は、なお変転を続けており、わが国が文化的、民主的国家の一員として、世界の信頼をえて行くためには、いつそうの努力を必要とすると思います。このときに当り、国会が、国権の最高機関としての使命を遺憾なく果し、また全国民が憲法の諸原則をよく守り、互に協力して、各自の最善を盡すことを切に望みます。

第12回国会(臨時会)

1951年(昭和26年)10月11日 国会議事堂参議院議場[12]

 本日、第十二回国会の開会式に臨み、全国民を代表する諸君とともに親しく一堂に会することは、わたくしの深く喜びとするところであります。
 戦争が終了してから六年の間、全国民のともに熱望してきた平和條約の調印がようやく終つたことは、諸君とともに、誠に喜びに堪えないところであります。
 今後、わが国が、永遠の平和を念願する日本国憲法のもとに、平和を愛好する民主的諸国家の間にならび立つて、正々堂々と歩を進めて行くためには、なお幾多の困難が予想されます。
 わたくしは、全国民諸君が、この機会に、終戦以来わが国に寄せられた連合諸国の好意と援助とに対して感謝の念を新たにし、今後に処すべき不動の決意をふるい起すことが必要であると思います。
 このときにあたり、国会が、国権の最高機関として、独立の日に備える諸般の重要案件を慎重に審議して、その使命を遺憾なく果し、また全国民が、憲法の諸原則をよく守り、互に協力して、各自の最善を尽すことを切に望みます。

第13回国会(通常会)

1952年(昭和27年)1月22日 国会議事堂参議院議場[13]

 本日、第十三回国会の開会式に臨み、全国民を代表する諸君とともに、親しく一堂に会することは、わたくしの深く喜びとするところであります。
 平和条約については、すでに国会の承認を経て、批准を終り、その効力の発生を待つばかりとなつたことは、諸君とともに、まことに喜びに堪えません。
 永遠の平和を念願とする日本国憲法のもとに、世界の諸国と並び立つて、わが国がますます繁栄し、また、国際の平和と民主主義の発展に寄与するためには、わが国民の負うべき責務はいよいよ重大であると思います。
 わたくしは、全国民諸君が、六年余の長きにわたり終始かわらずわが国に寄せられた連合諸国の好意と援助とに対する感謝の念を新たにしつつ、新日本建設の抱負と誇りをもつて、今後の多くの困難を克服する不動の決意をさらに固めることを望むものであります。
 このときにあたり、国会が、国権の最高機関としての使命を遺憾なく果し、また全国民が憲法の諸原則をよく守り、互に協力して、各自の最善を尽すことを切に望みます。

第14回国会(通常会)

開会式が行われる前の1952年(昭和27年)8月28日に衆議院が解散された(抜き打ち解散)。


第15回国会(特別会)

1952年(昭和27年)11月8日 国会議事堂参議院議場[14]

 本日、第十五回国会の開会式に臨み、衆議院議員総選挙による新たな議員諸君をむかえ、ここに全国民を代表する諸君とともに、親しく一堂に会することは、わたくしの深く喜びとするところであります。
 平和条約も、すでに本年四月二十八日その効力を発生し、わが国が再び独立国家として多くの友邦諸国と国交を回復するとともに、内においては経済の発展及び民生の安定に成果を示しつつあることは、諸君とともにまことに喜びに堪えません。
 しかしながら、最近の内外の情勢のうちにあつて、国際社会の一員として世界の諸国の信頼を得つつ、わが国運をますます繁栄に導いてゆくためには、今後、なお、幾多の努力を要します。
 わたくしは、全国民諸君が、永遠の平和を念願する日本国憲法のもとに、不動の決意をもつて、文化的、民主的な国家の建設に努力し、また平和を愛好する民主的諸国と手をたずさえて、国際間の平和と民主主義の発展とに寄与することを望むものであります。
 このときにあたり、国会が、国権の最高機関としての使命を遺憾なく果し、また全国民が、憲法の諸原則をよく守り、互に協力して各自の最善を尽すことを切に望みます。

第16回国会(特別会)

1953年(昭和28年)6月16日 国会議事堂参議院議場[15]

 本日、第十六回国会の開会式に臨み、衆議院議員総選挙および参議院議員通常選挙による新たな議員諸君を迎え、ここに全国民を代表する諸君とともに、親しく一堂に会することは、わたくしの深く喜びとするところであります。
 わが国が、平和条約の発効により再び国際社会の一員となつてから一年有余、その間変転する国際情勢のうちにあつて、よく世界の友邦諸国の信頼と友誼とを得つつあることは、諸君とともにまことに喜びに堪えません。また、内にあつては、経済の発展および民生の安定について、年々、その成果を加えつつあることは、国民諸君の多年にわたる不断の努力によるものであり、深くその労を多とするものであります。
 しかしながら、永遠の平和を念願とする日本国憲法の精神を堅持し、内外の情勢の推移に対処しつつ、わが国運をますます隆盛に導いていくためには、今後、なお幾多の努力を要します。
 わたくしは、全国民諸君が、この際、今後に処すべき不動の決意を新たにし、内、民主国家の建設に努力し、外、国際平和の発展に寄与することを望むものであります。
 このときにあたり、国会が、国権の最高機関としての使命を遺憾なく果し、また全国民が憲法の諸原則をよく守り、互に協力して各自の最善を尽すことを切に望みます。

第17回国会(臨時会)

1953年(昭和28年)10月29日 国会議事堂参議院議場[16]

 本日、第十七回国会の開会式に臨み、全国民を代表する諸君とともに、親しく一堂に会することは、わたくしの深く喜びとするところであります。
 わが国が、近時ますます多くの友邦諸国との交わりを厚くし、着々世界にその地歩を築きつつあることは、諸君とともにまことに喜びに堪えません。また、内にあつては、国民諸君が、よく、近年まれな累次の災害に耐え、困苦を忍んで、生業の安定と経済の発展とに絶えざる努力をはらいつつあることは、わたくしの深く多とするところであります。
 しかしながら、今後なお、わが国運の前途に予想される幾多の困難を乗りこえて、永遠の平和を念願する日本国憲法の精神を堅持し、国運を隆盛に導いていくためには、さらに多くの努力を要します。
 わたくしは、ここに、全国民諸君がいつそうの決意をもつて、文化的、民主的国家の建設に努力し、また国際間の平和と、民主主義の発展とに寄与することを望むものであります。
 このときにあたり、国会が、国権の最高機関としての使命を遺憾なく果し、また全国民が憲法の諸原則をよく守り、互に協力して各自の最善を尽すことを切に望みます。

第18回国会(臨時会)

1953年(昭和28年)11月30日 国会議事堂参議院議場[17]

 本日、第十八回国会の開会式に臨み、全国民を代表する諸君とともに、親しく一堂に会することは、わたくしの深く喜びとするところであります。
 本年は、異常な災害の続発に加えて、内治外交上各種の重要問題があり、これに伴う緊急の諸案件を議するため、しばしば諸君の本議事堂に会することは、わたくしの深く多とするところであります。
 現下の重要な時局に対処して、多くの障害を克服し、将来の繁栄をもたらすよう、国会が、国権の最高機関としての使命を遺憾なく果し、また全国民諸君が互に協力して各自の最善を尽すことを切に望みます。

第19回国会(通常会)

1954年(昭和29年)1月25日 国会議事堂参議院議場[18]

 本日、第十九回国会の開会式に臨み、全国民を代表する諸君とともに、一堂に会することは、わたくしの深く喜びとするところであります。
 国民諸君が、終戦後の最も困難な時期に耐え、かつ、平和条約の締結以来、諸外国との親善関係を日々に加えて、わが国今日の国際的地位を築くにいたるまで、よく幾多の努力を重ねてきたことは、まことに心強く思うものであります。
 しかしながら、われわれが、既往にかんがみ、将来に希望をもつて、国運のいつそうの発展を期するためには、今後なおあらゆる困苦に堪え、耐乏のうちに多くの障害を克服しなければなりません。
 このときに当り、わたくしは、国会が、国権の最高機関としての使命を遺憾なく果し、また全国民が、互に協力して各自の最善を尽すことを切に期待します。

第20回国会(臨時会)

1954年(昭和29年)11月30日 国会議事堂参議院議場[19]

 本日、第二十回国会の開会式に臨み、全国民を代表する諸君とともに、親しく一堂に会することは、わたくしの深く喜びとするところであります。
 わが国が、独立国家として友邦諸国との国交を回復してより二年有余、国民の努力により、世界の信頼と友誼を得つつあることは、諸君とともに喜びに堪えません。
 しかしながら、わが国が、真に民主的文化国家として発展してゆくためには、今後なお幾多の努力を要します。
 わたくしは、ここに、全国民が思を新たにして国運の隆盛と世界平和のため一段と努力することを望みます。このときに当り、わたくしは、国会が国権の最高機関としての使命を遺憾なく果し、また、全国民が憲法の諸原則をよく守り、互に協力して各自の最善を尽すことを切に望みます。

第106回国会(特別会)

1986年(昭和61年)7月24日 国会議事堂参議院議場[20]

 本日、第百六回国会の開会式に臨み、衆議院議員総選挙及び参議院議員通常選挙による新議員を迎え、ここに、全国民を代表する諸君と親しく一堂に会することは、私の深く喜びとするところであります。
 国会が、永年にわたり、国民生活の安定向上、世界の平和と繁栄のため、たゆみない努力を続けていることは、深く多とするところであります。
 ここに、国会が、国権の最高機関として、その使命を遺憾なく果たし、国民の信託にこたえることを切に望みます。

第112回国会(常会)

1988年(昭和63年)1月25日 国会議事堂参議院議場[21]

皇太子明仁親王による代読

 本日、第百十二回国会の開会式に当たり、この席に親しく臨めないことを、誠に残念に思います。
 国会が、永年にわたり、国民生活の安定向上、世界の平和と繁栄のため、たゆみない努力を続けていることは、深く多とするところであります。
 国会が、当面する内外の課題に対処し、国権の最高機関として、その使命を遺憾なく果たし、国民の信託にこたえることを切に望みます。

第113回国会(臨時会)

1988年(昭和63年)7月19日 国会議事堂参議院議場[22]

皇太子明仁親王による代読

 本日、第百十三回国会の開会式に当たり、この席に親しく臨めないことを、誠に残念に思います。
 当面する内外の課題に対処し、国民生活の安定向上と世界平和の実現に努めることは、極めて重要であると思います。
 ここに、国会が、国権の最高機関として、その使命を遺憾なく果たし、国民の信託にこたえることを切に望みます。

脚注 編集

  1. 第1回参議院本会議第6号
  2. 第2回参議院本会議第3号
  3. 第3回衆議院本会議第6号
  4. 第4回衆議院本会議第2号
  5. 第5回衆議院本会議第3号
  6. 第6回衆議院本会議第5号
  7. 第7回参議院本会議第4号
  8. 第8回参議院本会議第2号
  9. 第9回参議院本会議第2号
  10. 第10回参議院本会議第3号
  11. 第11回参議院本会議第1号
  12. 第12回参議院本会議第2号
  13. 第13回参議院本会議第4号
  14. 第15回参議院本会議第2号
  15. 第16回参議院本会議第9号
  16. 第17回参議院本会議第1号
  17. 第18回参議院本会議第1号
  18. 第19回参議院本会議第3号
  19. 第20回参議院本会議第1号
  20. 第106回参議院本会議第2号
  21. 第112回参議院本会議第2号
  22. 第113回参議院本会議第1号

関連項目 編集